路傍のカナリア

2024/03/12
路傍のカナリア 111
            
人生雑感


学生時代から付き合いのあった二人を最近亡くした。同期の友人と一年上の先輩。共に生涯独身のままであったが、そのことは彼らの人生になにがしかの影を落としている。令和の現在ではシングルであることは特段のことではないだろうが昭和の時代では「みんなと一緒」の風潮がはるかに強かったから生き辛かったと思う。世間を渡る通行手形を持っていないようなものである。陰で噂の種になりあるいはいかにも興味津々で婉曲に聞かれたりとプライドが傷つくのはきつい。正面から来る生き方への批判なら受け止めようもあるが好奇の視線というのはとらえどころがないけれども心を萎えさせる力を持っている。萎えるというのは強い力に心が折れてしまう挫折感ではなく腰が抜けるような無力感をともなう。だからと言ってどうすることもできるわけではなく、みずから気持ちを奮い立たせて無関心を装う以外になすすべがない。亡くなった友人が職場でのからかいに「いや自分は結婚している」と嘘をついたとぼやいていたが、そういうところに追い込まれるのである。先輩の死を親しい人に伝えた時も「あの人独身だったよね」と言葉が返ってきたとき、人というのは何でもないようでもそういう風に見るものなのだろうといささか憂鬱になった。悪気はないのだろうがどこかに好奇の口調が含まれている。人生の困難というのは、貧しさも大病も仕事の不遇もあるけれども好奇の渦の中を生きることにもある。悩みの深さは本人にしか分からないだろうが彼らの人生は「よく耐えた人生だった」と思う。逆に言えば、冴えがあるわけではない、何が欠けるでもない、人並みだけが取り柄の凡々たる生を歩み切るというところに幸福なるものは、ある意味存するということなのであろう。

◎家族は勿論のことだが付き合いのあった親しい人が亡くなるのは寂しい限りである。高齢を生きれば別れの場面は多くなるが、それでも残された者は辛い。突然の別れならなおのことである。人がいなくなったことの空虚感ははかり知れない深さがある。気持ちを強く持っていないとその深さの中にどこまでも墜ちて行ってしまう。さりとてこれと言って処方はない。「去る者は日日に疎し」の格言のごとく時間の中で悲しみが癒えていくことに身を任せるほかにない。けれども空虚の中に立ち尽くしたままでは、生も死も混沌の中に右往左往するばかりである。弔うという儀式を終えれば否応なく残されたものは生と死を分かたねばならぬ。
仏前に手を合わせるにせよ、命日に墓参するにせよ、それはどこかで我々が死者の魂を信じているからに他ならない。だからこそ死者の魂を鎮め現世への執着や無念から、また生者たちへの思いから解き放つためには、残された者が一日一日を精一杯生きる以外にはない。生きることに集中することこそ生と死に境界を引き、死者に深い眠りをもたらし死者を死者足らしめることになろう。供養とはこのことだとわたしには思える。
                              貧骨
2024/02/13
「珠洲に未来を」 宝立小中学校八年 山岸愛梨さんの書が素晴らしい

路傍のカナリア No 110

商売雑感

 ◎ 渦中にいると見えていないことがそこから抜け出して改めて冷静な立場で観察してみると自分を翻弄していた渦がどのような性質のものでいかに対処すべきであったかが見えてくる。このような経験は誰もが一度ならずくぐっているのではなかろうか.

私もジュエリーという商材を扱ってその小売り販売に悪戦苦闘してきたけれども、商売から離れてみるとこの商材のむずかしさが最近良く理解できるようになった。何よりもジュエリーは奢侈品であるという現実がある。食料品、衣料品のごとき生活必需品ではないから客が自然と購買するというわけにはいかない。簡単には商品は捌けていかない。有名ブランド店や知名度のあるチェーン店なら,それでもフリーの客を取り込めるかもしれないが、一般の小規模店ではなかなか難しい。どうしてもなじみ客を相手に商売をするが、そのなじみ客の数が広がっていかなければ商品が消費されて無くなってしまうものでないわけだから、売り込むにしても限界がある。
客待ちをして良品廉価の方針で商品を店頭に並べればやっていける商売ではない。季節ごとにセールを企画して新鮮味を出すにしても無理をすれば客離れが起きてしまう。地域社会では付き合い買いがあるだろうが、そういった形に頼るようではじり貧は目に見えている。客の高齢化もじり貧に輪をかける。そればかりかジュエリーは商品在庫に金がかかる上に回転率が低い。粗利率は確かに高いが資金を長く寝かせる実に効率の悪い商売である。
それではこの現実を踏まえてこれから持続可能なジュエリー店とはいかなる像であうか。マニアともいえるほどにジュエリーの魅力に取りつかれ、かつ商売熱心であるか、月々の売り上げなど気にしなくてもいいほどに資金が潤沢で気持ちにも余裕があることが経営者の資格になるであろう。日々資金繰りに追われ、売り上げ増と経費削減に熱心な店はいわば限界集落のようなもので力は下がる一方なのである。「何とかなる」「何とかしよう」熱意は理解できるがジュエリー店はもうそういう心構えの時代ではない。金持の道楽仕事と思われるほどの境目でギリギリ成り立つ商売なのである。そのうえで「客を探す」努力を惜しまない店だけが生き残る。人脈の太いパイプこそが、この時代の必須の武器なのである。商工会議所、ライオンズクラブ、商店街の会合、ゴルフコンペ、カラオケ大会、こまめに顔を出して自分を売り込むことこそ人脈の栄養になる。客待ちしていては商品が古くなるばかりか、兼業の電池交換で食いつなぐようになってしまう。
私にはそのあたりが見えていなかった。成功体験は悪魔の誘いでどうしてもバブルの時代の感覚と為せば成る昭和の感覚から抜け出せなかった。
生き残っているお店には「小規模店に未来を」の気構えで頑張ってもらいたい。そして大手とは一味違うジュエリーの持つ魅力とエネルギーを世の中に伝えてもらいたいと思う。                 貧骨
2024/01/18
路傍のカナリア 109

能登半島地震により被災された皆様に お見舞い申し上げます

雑感


テレビは我々に何を届けているのだろうか。幼児から青年までの柔らかい心に何を刻み込んでいるのだろうか。
 地震によって横倒しになったビル、柱から壁まで破壊されて屋根だけが地面に残った家屋、ひび割れデコボコにうねり寸断された道路、あたり一面がれきが積み上がり折り重なる電柱、津波の被害に落胆する人びとの表情、空港で炎に包まれて真っ赤に燃える旅客機、追突されて火の玉になって滑走する小型機。どれもこれも非日常の惨事の映像が繰り返し繰り返しテレビから流れてくる。我々は確かにそれを見ているが、見せられてもいる。幼児ならば尚更に否応なく見せられている。
 その受動的な形で心の中に刻み込まれた映像は、いつかどこかでフララッシュバックのように現れてこないだろうか。平穏な秩序だった光景の中にぐにゃりと歪んだ惨事の映像が無意識に重なることはないだろうか。精神の病というものはこんなところに芽があるの かもしれない。私事になるが深夜異音がして窓を開けたら真っ赤な空間が目に飛び込んできた。若い頃の話だが今でも鮮やかに思い出す。近隣の火事だったがそれ以来疲労が重なるとうなされるように火事の夢を見るようになった。映像がもつ力というかエネルギーを 思案すれば、柔らかな心にはたぶん見せてはいけないものがあるのだろう。心が自立して映像というものとの間合いを取れるようになるまで保護者の細心の配慮が必要ではないか。そんなことを被災地の報道を見ながら考えている。

振り込め詐欺、高齢者住宅宝石店への窃盗強盗殺人、投資勧誘詐欺、マルチ商法、悪
質ホスト。この犯罪的行為の加害者もそして投資にのめり込む被害者にも働いているのは「手っ取り早く儲ける」という心理であると言って、この心理は不法な世界にだけ広がっているわけではない。
今年から始まった新NISAにしたところで非課税枠の株式投資金額が従来よりも4 倍に拡大された制度であるから合法というだけで、その利用心理としては繋がっている。ようやく日本でも本格的に「貯蓄から投資への流れが本格化してきた」という論評を読むと間違いではないが、いささか楽天に過ぎる感がある。
 合法も非合法も一つの塊になって日本の社会の中に根を張っていきそうな 「楽して儲ける心理」がこれからどんなふうに変容していくのか、是非は別にしても見ておかねばならないと思う。
 ごくごく平凡に暮らしなにがしかの 余剰を貯金として積み上げていくという地道な生活の姿勢が愚かしく映るようでは社会の中に不穏な波乱を含むように思える。とはいえこの私の危惧は 昭和のアナログ老婆心と揶揄されるかもしれないが。
貧骨 cosmoloop.22k@nifty.com
2023/10/13
路傍のカナリア 106

雑感  コロナに感染してしまった

8月のお盆のころである。所用で東京に行き帰宅夕食後、寝床に入ってからどうも具合が悪くなった。頭痛がしてなかなか眠れない。暑さのせいかもしれないとエアコンをつけてみたが、眠ったかなと思うとすぐに目が覚めてしまう。朝までそんな風にであったので試しに体温を測ってみると37℃前後。体がだるく食欲もあまりなく夏風邪でも引いたかあるいは熱中症かと思い、寝てれば何とかなるだろうとグダグダしていた。微熱と頭痛とだるさの三重苦(大げさだが)は変わらずで日頃の「医者なんて」の強気は弱気に変わり、しぶしぶだが家人の説得で医者に診てもらった。「コロナ」に感染していた。鼻の奥に綿棒を突っ込まれてぐりぐりとされると15分もかからずにはっきりと陽性ですと告げられた。もしもコロナの扱いが5類扱いになっていなかったら、この程度の症状でも身体隔離をはじめかなり面倒なことになっていたはずである。
ゾコーバという薬を処方されて三日目あたりで体が楽になった。その三日程度の間の辛さは倦怠感である。熱や頭痛は一日目で解消されたが、だるさは残った。コロナ後遺症で倦怠感を訴える記事をよく読むが、体がだるいというのはなかなか他者には伝わりにくい。熱なら数字で出るし頭痛も自分なりにはっきりわかるが、だるさというのは自分自身でも把握が難しい。ひょっとしたら精神的な怠惰とも食欲減退による肉体弱化かもしれないとも思える。上司から「気合いが入っていない」など無責任に叱咤されている人もいるだろうがコロナ後遺症で倦怠感に苦しむ人は本当に大変だろうと思う。さて体調が戻ってそれでは出歩いていいものなのか、ひょっとして体内に残っているコロナをばらまいているのではないかと心配になって医者に問い合わせると、構わないそうである。良くなればそれでよし、要は風邪と同じ扱いが5類ということらしい。
ところでこのコロナウィルス一体どこから来たのだろうか。当初は中国の実験室から飛び出した説が騒がれたが、その後うやむやになったままである。出自が分からないというのは怖い話なのである。コロンブスのアメリカ発見以来、南北アメリカの原住民はほとんど絶滅してしまったが、それはヨーロッパ人の侵略とそれに伴う虐殺というよりも、かれらが持ち込んだウィルス、原住民には免疫のないウィルスによるものという説がある。今回のコロナ禍も当初は多くの死者を出したのも免疫との関係である。現在は世界中ほとんどの地域に感染が広がり免疫の獲得で騒動は沈静化しているが、免疫のないウィルスが自国民に持ち込まれるとあっという間に死者が積み上がるという事実は忘れてはならない。
いま日本では外国人観光客がオーバーツーリズムと言われるほどに押し寄せている。観光庁の統計では2009年679万であった訪日観光客は2019年には3188万人に増加している。日本の人口の四分の一に当たる。これだけの数の外国人が一年間にやってくる。それも毎年だ。経済的効果は大きいし観光立国は国策だろうが、奈良時代から考えても日本にとっては初めての事態である。インバウンド景気は結構なことだが、その裏側でひょっとしたら潜伏期間の長い未知の疫病が持ち込まれていないとも限らない。私は観光地の賑わいをテレビで見ながらいささか身構えている。    貧骨
2023/08/12
路傍のカナリア No204

「父は祖国を信じて逝けり」(岸上大作歌集より)

戦争のその先にあったもの

今年も8月15日に全国戦没者追悼式が行われる。
8月は戦争とその犠牲について思い起こされる月でもある。太平洋戦争において将兵230万民間人80万が亡くなったと推計されている。この310万という死者の数は当時の人口の約5%にあたる。日清戦争では戦死者約1万3千人、日露戦争では約8万人である。比較すればいかに多くの若者が戦場で命を落としたか、その数には慄然とする。なぜあのような無謀な戦争を始めてしまったのかという悔いが湧き上がってくるのは自然の感情である。戦争は避けられたはずだしそうあるべきだったという識者も多い。私などは、せめて国際的に中立的立場で臨みのらりくらりと情勢をやり過ごし勝者の側を見極めて参戦すれば、戦後の日本には北は樺太、東は満州国、南は南太平洋までを版図とする大帝国の道が開けていたはずなのにと、短慮ながらいら立ちを覚えることがある。
短慮と述べたのは、無謀とも思える日米戦争を避け無傷で戦後を迎えたときに、そこに現れたはずの国は現在のような曲がりなりにも平和と民主主義と国民主権を根底に据えた国ではなく戦前のままの大日本帝国そのものであるという現実があるからである。明治憲法は存続し天皇絶対性は確固として国民生活の隅々にまで浸透し、軍部はますます傲慢にますます権力を牛耳り議会制民主主義は圧迫されたままに違いない。地主制の下小作人は解放されず財閥は解体もせず、婦人参政権の普及も怪しいものである。軍人と官僚エリートが情報を独占し内務機関である特高警察、憲兵が左翼活動に目を光らせ国民を支配する体制、このあり得たもう一つの戦後を我々は受け入れるだろうか。
それではあの戦争に負けて「良かった良かった」と言うべきだろうか。我々が生きている戦後体制を是とする立場から考えればそういう理屈にはなる。けれども将兵たちは負けるために戦ったわけではあるまい。彼らの奮闘に歴史の未来から「負けてよかった」と言うのはあまりにも酷である。「学徒兵の苦悶訴う手記あれど父は祖国を信じて逝けり」(意思表示より)。歌人岸上大作が歌った無名戦士の祖国を信じて死んでいった思いは戦後の繁栄と交差するのか 戦没者の犠牲の上に戦後の繁栄があるというがそれは戦後を生きた者たちの都合のいい歴史解釈のように思えてならない。
かの戦争に勝利すればあるいは戦争を避ければ明治憲法の体制下を生きることになり、負けて310万の戦没者を生みアメリカの占領下で民主主義的改革を強いられ平和と繁栄を得るというのは引き裂かれるような矛盾である。どこかで我々は間違えたのだ。来た道をもう一度辿ってみるほかはない。維新の第一歩のところで明治憲法の中に尊王の思想を組み込んだことなのか、それとも尊王の思想と政治の距離感の問題なのか あるいはまったく別の視点があるかもしれない。
ただ言えることはあの戦争から我々はまだまだ引き出さねばならない思想的課題があると云うことだ。その姿勢こそが祖国を信じ殉じた230万将兵への「鎮魂」と「慰霊」に応える道だと思える。                   貧骨
2023/07/12
路傍のカナリア 203

健康は医者を見抜くところから始まる 
        
どうも食欲がない、胃が重い、食後胃がもたれる痛む、吐き気を催す、困った、胃の不調の時はK医師に駆け込む。老医師と呼ぶほどの年齢だがかかりつけの内科医だ。
「先生、お願いします」と事情を話す。聞き終えた先生は、やおら私の胃の上部あたりを指でグイと押す。痛い、飛び上がるほど痛い。次に片膝をぎゅっと鷲掴みにする。うっと声が出る。これも痛い。「痛いだろう」とK医師が声を掛けてくる。それではと膝のある個所を軽く揉むように押す。「よしよし」とつぶやいて再度胃の上部と膝を押すがもう痛みはない。「これで良し」と笑って、あとは胃薬を処方されて診療治療は10分程度で終わる。これですべて。何度もこの手法でK医師には助けられた。いまでも名医だと思う。若い頃の話だが、この体験があって私は人間の体というものの不思議について、そして体自体の自己回復力について考え始めた。誇張はない、手品のようなからくりもない。もちろん心理的な詐術もない。あるとすれば「全体と部分」をどう理解するかというところに帰着する。
もしも人体というものが、臓器を含め様々な部分の組み合わせで成り立っていると考えるならば、胃が悪ければ、投薬や手術によって胃を直せばいいことになる。けれどもそうではなくて全体は分解すれば部分の集合体なのだが、組みあがっているものは全体としての統一体であり全体には全体としての問題があると考えると、ただ不調な部分にのみ目を奪われては修正できないことが起こる。たとえば機械時計を教科書通りに分解掃除をして組み上げても精度誤差が職人によって差異が生じるのは全体のバランス感覚という視点で見るかどうかにかかわっている。私の場合も、K医師から見れば疲労やストレスによって体全体の円滑な血流が阻害され、その結果胃痛を生じたと判断したのだろう。ツボを刺激してカチカチに固まっている体をほぐしたことで、体内が元に戻り、血流はスムーズになりその時点で既に治っているのだが念のために薬を処方したということだ。
人間の体についてもう一つ考えておかねばならないことは、それが歴史的存在だということである。このことも大変大事な視点である。私の体は父親と母親から受け継いだものである。
と同時に父親も母親もまたその親から受け継いでいる。遡ればどこまでもいけるが、そういう歴史が積み重なって私の体に流れ込んでいる。先祖に結核やがんの病歴を抱えているかもしれないし逆に何一つ病歴がない健康体そのものの体かもしれない。それらがまじりあって自分の体になっている。加えて自分自身の生まれて来てからの自分の歴史がある。
それらの総合体が今の自分の体である。その様に考えると、自分の体は自分で管理するのが一番で、少しでも違和感があれば、それはどこから来るのかどうしたらよいのかまずは体と対話してみることだ。初見の医師がどのように処方しようともそれも参考意見にして自己判断するのが適当だろう。健康とは医者を見抜くところから始まる。
医学書がどんなに詳しく人体を解明しようとも、そういう知識で一人一人の体の全体と歴史が分かるはずがない。その謙虚さを忘れた医者の処方は所詮「畳の上の水練」である。漁師の泳ぎに勝るはずがない。貧骨 cosmoloop.22k@nifty.com
2023/06/14
路傍のカナリア 201

「家ゴロ亭主は留守がいい」

よもやま話の中で90歳の夫婦が離婚をした話を聞いた。旦那さんの横暴に我慢が切れて奥さんの方から離婚を切り出したという。旦那さんは大手企業の役員まで務めた人だというからそれなりに見識がある人だろうし、生活にも困っていたわけでもなさそうだが、なんとなくこの奥さんの気持ちが伝わってくる。90歳の女性一人暮らしのアパートを探すのは大変だったということだが、それでも決断した奥さんは現在の定年夫婦の在り様に一つのシグナルを送っているように見える。(もちろん夫婦内の微妙な事はわからないが)
似たような話題だが定年後家でゴロゴロしていた夫が一週間のうち三日は外にいて欲しいと妻に言われて、居場所を探すのが大変だったという記事を興味深く読んだ。私も仕事をやめて一年ほどになるが家ゴロである。辞めた当初はともかく、次第に細かな事で家庭内波乱がしばしば起きるようになったのだが、一つ気が付いたことがある。それは自分という存在が相手から見たらうっとうしい存在だということである。家事を手伝わないとか、手伝っても手際が悪いとか、雑だとか、鈍いとか そういう個々のことは自然と手慣れていくものだが、そういうことではなく、そこにいること自体がたぶん苛立つのだろうということである。三日は居ないでほしいというあの奥さんの訴えはたぶん切実なものなのだ。この切実さは夫の側からはなかなか理解できないに違いない。自分の頑張りで家族を養ってきたと思えば思うほど、妻の訴えは理不尽に見えてくる。わがままとも、身勝手とも、更年期障害だろうとも痛罵するかもしれない。
が、たぶん違う。主婦の仕事が忙しいこともある。炊事、洗濯、掃除に買い物、ごみ出し、ペットの世話に近所付き合い、家計簿つけて金銭管理、なにより土日の休みなし。それに加えて家ゴロ亭主の世話焼きと小言が重なれば腹立ちストレスは膨張する。けれども根っこにある苛立ちは、夫という存在からオーラが消えてしまったことなのだ。オーラは見えない。本人にもわからない。ひょっとしたら奥さんもはっきりとはわからないかもしれない。でも苛立つのだ。やることもなく家でごろごろしているその精神の内発性を失った存在と同居し顔を突き合わせる嫌悪感がどこからともなく湧き上がってくる。それは引きこもりの家族を抱える当事者のきつさに通じるものだろう。裏返せば人は社会とつながりを持ち生きがいや使命感に浸されて初めて人らしいと言えるのだ。家ゴロからは精神の腐臭さえ臭ってくる。
家族愛と一口にいう、確かに家族の温かさは人を癒す。一方で家族は感情の共同体でもある。生の感情と感情がぶつかり合う坩堝である。相手を慈しみ、思いやる一方で恨み、つらみ、猜疑、後悔、忍従、怒りそれに連なる憎悪と殺意さえ含んでいる。負の感情が塊となって噴出しないために家ゴロ亭主が心すべきことは自らを自覚し理解することに尽きる。いずれ肉体が衰えて家ゴロ精神とつり合いが取れてくれば、家庭平和は戻る。それを「枯れる」というだろうが、自己理解を放置すれば90歳にして痛い目に合うということになる。   貧骨 cosmoloop.22k@nifty.com
2023/04/13
路傍のカナリア 200

イトーヨーカ堂の不振と、二人の鈴木さん

 かなり前の話になるのだが、鈴木敏文氏がイトーヨーカドー(以下IY)の社長から会長の時に経営方針として「トップダウン」を内外に表明したことがあった。その後方針の撤回とか修正のような話題はなかったから、氏が社を去るまでそのままIYの意思決定手法として根付いていただろう。世の中の変化が速いのでボトムアツプのような社内合意積み上げ方式では、とても対応できないというのが氏の理由であった。
確かにその通りではあるが、多少の違和感があって自分の中でいつまでもその違和感を消化できないでいた。というのもそもそも組織というのは、上意下達が基本で経営中枢の方針を組織末端まで浸透させるのは当たり前のことである。にもかかわらず氏があえて「トップダウン」を表明したのはなぜだろうか、そこに別の意味があったということだろう。たぶん現場を知るSC店長はじめ中堅幹部の意見を聞きながらではなく、鈴木氏を中心にほんの一握りの幹部が即断即決で方針を決め下におろしていくということだ。
背景には、現場に出ることなく経営数字の分析でコンビニを躍進させた鈴木氏の言わば天才的な手腕があったことは間違いがない。現場はトップが分析した方針通りにやればよいということになる。当時の鈴木氏の社会的名声も後押ししていただろう。経営者は成功するとえてして自己絶対化、万能感に浸るものだ。
 が、過度なトップダウンは副作用を伴う。打ち出した施策に効果が見られないときにそれは現場の理解不足、徹底不足に因を求めがちになる。と同時に現場特有の課題解決や臨機応変の柔軟な対応に時間を割く姿勢は影を潜め、結局言われたことだけをこなす自己保身型の勤務姿勢が社内に広まっていくことは必然である。それは少しずつ現場の力を削ぎがん細胞のように広がって業績不振を加速させ、それがまた中枢からの現場叱責という悪循環を生み出したのだろう。コンビニ的成功手法とIYの不振は表裏の関係になった。
 けれどももう一人の鈴木敏文さんがいた。2002年ウォルマートが日本に進出するという報道がなされたとき、スーパー業界は大騒ぎでこれは大変な脅威だという声がイオンを含め大半であった。が鈴木氏は「小売りというのは極めてドメスティックなものだから、 大資本だからと言ってうまくいくとは限らない」と平然としていたのが印象的であった。実際には氏の言うとおり今もウォルマートの出資先である西友は苦戦している。「小売りはドメスティック (国内的)」とは平たく言えば「小売業はそれぞれの国特有の事情があるから、そのことをよく踏まえてきめ細かく対応するしかないですよ。ただ資本にモノ言わせてもうまくいくはずがありませんよ。」と言っているわけだ。しかしこの考えを引き延ばしていくと各地に散らばる IYの店舗もそれぞれの地域事情をくみ取りながら運営することがベストということになり、「トップダウン」と矛盾する。
もしも後者の鈴木さんが表に出ていたなら、現場の声が尊重されIYの不振ももう少しましだったように思えるがそうはならなかった。IYは今後食品部門中心に切り替えていくということだが、その道はダイエーの末路と酷似していると日経の記事が指摘していた。安直な思考がIYを救うだろうか。「現場力の弱体化」の克服こそが最大の課題だと思えるのが。                     貧骨     cosmoloop.22k@nifty.com
2023/03/13
路傍のカナリア 199

ロシア

この難解な国から見えている欧米

時々ロシアの要人が不審死を遂げた記事が新聞の片隅に掲載される。ロシア国内のみならず、たとえば今年(令和5年)の1月にもインドでロシア人2名が亡くなっている。そうした場合必ずと言っていいほど現政権に批判的な人物だったというコメントが載る。
不審死とはいえ誰が見ても諜報機関が一枚かんでいるだろうことは推測が付く。ロシアという国は、政財界の人物であっても必要とあればあっさりと抹殺してしまう。そのハードルの低さには本当に驚く。
イギリスに亡命した諜報機関のロシア人も同様の目にあって当時英露の関係がギクシャクしたことがあった。どこへ逃げようとも殺すものは殺す、この非人権感覚が不気味である。オリンピックのドーピング問題で選手の検体のすり替えが露わになったが、ロシア当局が関与しその手口は本当にスパイ映画を見ているほどの念に入れようであった。たかがというかスポーツのフェアな精神すら国家ごと欠落している。 言ってみればロシアという国は我々の常識とかけ離れたところで呼吸をしている。少なくとも私にはそのように見える。もしこの在り様がプーチンとその取り巻きの個性から由来しているならば救いはあるが、ロシアという国の何百年の歴史と文化の所産であるならば、第二、第三のプーチンもいずれ現れるに違いない。  
元防衛大学校長にして京都大学で政治史を教えた猪木正道はその著書 「ロシア革命史」で次のように述べている。「西ヨーロッパの諸国が、大なり小なりローマ帝国の遺跡を継承し、ローマ帝国を通じてギリシャ・ローマの古代文明と直結していたのに反して、ロシアはローマ帝国とまったく無関係であり、したがって古代文明からほとんど何物をも相続しなかった。古代文明を相続しなかった結果、西ヨーロッパ文明を今日あらしめた文芸復興には 全然関与しなかった。人格の自由、人間性の発展といった人文主義の思想、人間中心の考え方はロシアに根をおろさなかった。
「第二にロシアはローマ法王の勢力圏外にあり、ギリシャ正教をとった結果、教権は最初から政権に 従属しており、アジア的祭政一致を具現した。その結果、教権に対する自由な 個人の反抗が、国民国家に支援されて爆発するという西ヨーロッパの宗教革は、ロシアには無縁であった。」この一文を読んでロシアの一面が見えた。要するにロシアという国には歴史の積み重ねからくるヒューマニズムの根付き方がなかったに等しいということだ。こ の理解の上に立てば、ロシアは非情でも残酷なわけではない。ただ、彼らには 人間という価値がさほどの意味を持たないのだろう。
それではロシアから見た欧米はどのように見えているのか。それは自分達ロシアがめざすべき文化なのか、ヒューマニズムを至上価値としている文化なのか、ベトナムの枯葉剤散布、アフガン 大爆撃、無実イラクフセイン大統領の処刑、見えてくる西欧価値観の虚構。  ナポレオンの、ナチスドイツの、モスクワ侵攻の苦い経験知から見れば、欧米とは旗だけはヒューマニズムを掲げながらも隙あらばロシアを飲み込もうとしている群狼に見えていても不思議ではない。ロシアという眼鏡、西欧という眼鏡、ウクライナロシア戦争をともすれば我々は善と悪,正と邪の構図で理解しがちだが、そう簡単ではないことだけは確かである。           貧骨     cosmoloop.22k@nifty.com
2023/02/11
路傍のカナリア 198

経営者がみておくべきものとは

もしも経営者として必要な知識とは何かという問いならば、模範解答は経営指南書に書いてある。読めばいいだけのことである。学生さんやこれから起業しようと志している人たちには必要かもしれない。資金管理、人事管理、売上管理、その他テクニカルな知識はあったほうがいい。けれども実際に経営者の椅子に座ってみれば、会社というものはいかに不安定で危なっかしいものであるか、すぐわかる。知識を役立てるか否かにの前に「追われる生活」が始まるのである。売り上げに追われ、資金繰りに追われ、人材集めに追われて、どれ一つとっても倒産、行き詰まりに直結している。それでも昭和のように消費のパイが広がりつつあるときはいいが、平成令和の停滞時代にはパイの取り合いが熾烈を極める。サラリーマン社長なら失うものは地位となにがしかの報酬であろうが、中小零細のオーナー経営者は、ひとつ間違えれば住む家を失い家族の人生も変わってしまうほどの立ち位置にある。
だから追われてみると焦りや苛立ちが視野を狭める。目の前の課題を乗り越えるだけで日々精一杯になり、会社全体の在り方や経済環境の変化が見えなくなる。あるいは変化が見えていてもそこに経営意識が届かない。大したことは無いと思い込んでしまう。追われるとそういうことになる。逆もある。あまりに順調なゆえに、その成功体験が桎梏になって時代の中に深刻なそして致命傷を負わせるような変化が生じていることを見落とすのである。欧米の圧力によって大店法の運用基準が緩和されたとき日本はバブルの真っただ中であった。が、あそこが時代の分水嶺であった。「何とかなるよ」それは当時誰もが口にしたセリフであったが、小売業の現在を見れば何とかならなかったのである。
経営者としてなにを見るべきか、お手本のような話がある。中華料理チェーン「日高屋」会長の創業苦労話が示唆に富んでいる。「当時は駅を降りると、おでん屋やラーメン屋が駅前に並んでいて、サラリーマンが夜遅くまで通い詰めていたんです。しかし、衛生面や道路整備などの事情で、これから屋台はなくなると見たんです。じゃあ、みんなどこへ行くんだろう。そこで、『屋台のお客さんを追っていこう、食べてもらおう』と思いつきました。それが日高屋の原点なんです。これから商機がやってくると従業員に熱弁した。「徐々にサラリーマンが弁当を持たなくなって手ぶらで会社にいくようになり始めていました。『お昼はサラリーマンはどこかで食事をするから、この商売は面白くなるよ。時代は変わるよ』と伝えたんです」。(ヤフーニュース ENCOUNTより抜粋)
商機はどこにでも転がっている。それが日々追われている経営者にも順調にあぐらをかいている経営者にも見えないだけであろう。「屋台のお客さんを追っていく」とは世の中の変化を追っかけることでもある。が、ともすれば話が大きくなって日本経済がどうの、インフレ、デフレがどうの、わが業界の体質がどうの、と頭でっかちになりがちだが街へ出て人々の動きの中に変化を探り当てる人こそ経営者の大事な資質であろう。楽観もせず悲観もせず、追われていればなおさらのこと視野狭窄の病を自覚して、見るべきものを見る。
それが経営者の第一条件であると自戒をこめて思う次第である。   貧骨
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