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林田信久の「小売の十字路」

■小売の十字路 200 ■2023年2月25日 土曜日 17時3分40秒

ラストコラム  ジュエリー業界は何かが足りない

インフルエンサーという言葉に出会ったとき、いったいなんだか理解できずインフルエンザの亜種がまたはやり出したかと思ったほどだが、IJTの会場で実際にその活躍を目の当たりにして納得がいった。要はスマホとハンディな撮影機器を使って遠隔地の消費者にジュエリーを販売している人たちのことだ。問屋ブースの一角でその問屋の商品を撮影しながら直接消費者とやり取りをしているわけだが、経営視点からみれば究極の小売り手法だろう。
商売のための初期投資がほとんど掛かっていない。家賃無し、ディスプレー無し、人件費なし、何よりも商品はその場にある問屋の商品を使っているわけだからリスクなし。いいことずくめに加えて問屋も商品が捌ければ利益になるわけだから、両者の関係はウィンウィンなのだ。
IJTの看板である業者のための仕入れ会と言う建前は大きな風穴が空いてしまっている。御徒町の業者店舗にもインフルエンサー歓迎の文字が目に付く。こうなると、店舗を構え、商品在庫を抱えて、客待ちをしている一般小売店がいかにも非効率に見える。私が見た限りでは、インフルエンサーはほとんどがアジア系外国人だった。この手法がこの業界で根付くかどうかはわからないし、また日本国内において日本人同士で成り立つかどうかは不確かだが、デジタル機器の進化が生み出す効率的で新しい販売手法がこれからも生まれてくることは間違いないだろう。ただインフルエンサーにかぎらずSNSを利用した小売りにしてもそれがジュエリー業界全体のパイを大きくしていけるかどうか、そこが肝心なところである。
一般小売店では満足できなくなった客の右から左への移し替えである限りでは業界の活性化にはつながらない。販売チャンネルのシェア変化にとどまり変化を厭い十年一日のような経営感覚の業者が淘汰されるだけの話になってしまう。
JJA(日本ジュエリー協会)の出しているジュエリー小売市場動向調査によれば、2021年は前年比17.4%増の9624億円コロナ禍前(2019年)の規模近くまで持ち直し昨年2022年は1兆円超え(前年比4.1%増)の予測をしている。業界全体はけっして悲観する状態ではなく回復基調である。ただなにかが足りない。業界の爆発的成長を促すなにか。消費者を引き付けて離さない魅力的な何かだ。商品なのか、売り方なのか、話題づくりなのか、答えがあるわけではないが、はっきりしていることは現状修正ではなくインフルエンサーに見られるように業界秩序の破壊の中に成長の鍵が隠れていることだけは確かであろう。それは痛みと悶着を伴うものではあるが。
       
ご挨拶
「小売の十字路」は今回で終了します。私事ですが、昨年42年間営業の店を閉めました。現場感覚がなくては内容に説得力が伴いません。今後「番外」のような形で書かしてもらうかもしれませんが、ひとまず筆をおきます。
■■ 小売の十字路 199 ■2023年1月27日 金曜日 15時39分51秒

日々雑感  ブランド店から学ぶもの

JR新橋駅から銀座4丁目の交差点を抜けて東京駅まで歩くのが私の定番の散歩道である。銀座の大通りから北に入った並木通りには以前は画廊が点々とあって面白かったが、今は高級ブランド店が軒を連ねている。世の中の移り変わりなのであろうが、どちらにしても銀座らしい格調の高さ、品の良さは保たれていて、その洗練された空気だけでも十分に楽しめる。ちょくちょく歩くけれども、飽きるということがない。飽きないというのは、それだけ銀座という街の歴史とか在り様とかの奥が深いということかもしれない。
通りからのぞき込むだけなのだが、ブランドの店というのはどの店も共通して綺麗でピリッとした緊張感が漂っている。ドアを開けてひやかしにでも店内に入ろうとしても、無用な人お断りと言われているような冷たい拒否感がある。商品が山のようにあるわけでもないのに、その商品が魅力的に見えるのは店内の空間それ自体を演出していると言うべきだろう。
ルイ.ヴィトンの店内はいつでも客で賑わっているが、多くの店は土日も平日も大概客も少なく閑散としている。いわゆるアイドルタイムという時間だが、こういう場合スタツフは私事のおしゃべりに興じ、だれた気分が姿勢に現れるものだが、どの店にもそれが感じられないのはさすがである。掃除を徹底し、照明を工夫し、どれだけディスプレーにお金をかけても、そこで働く人たちの在り様一つでブランド空間のすべてがぶち壊しになってしまう。人もまた商品と同様に店内を構成する大きな要素であることは間違いがない。いやむしろ人間の方がはるかに厄介で心の在り様が表情やしぐさにすぐ現れてしまう。
ブランド品を売るということは、働く人もまたブランドでなければならないということなのだろう。付け加えておくと、この光景はたまたま見たものではなく、通るたびに常に一貫してぶれることのない「絵」なのである。教育がというよりも店の考え方が物にも人にもきちんと貫徹しているのが見て取れる。このブランド店が醸し出す雰囲気というのを、無用な人お断りの拒否感と書いたが、女性から見ればさほどでもなくむしろ好きなのだと思う。ブランド店だからというのではなく、どのような業態であっても、そうあることに女性は敏感に反応するのだろう。以前、セブンイレブンで掃除を徹底したら客数が大きく伸びたという話をきいたことがある。また最近の日経の記事で、中古品を扱って国内800店を展開する「セカンドストリート」が取り上げられ、古着であっても女性をつかんでいるのは「清潔感ファースト」が特徴であると指摘している。「セカストは10年以上前から白の内装など清潔感を追求してきた。」のだという。
我々小売店というのは、ともすれば商品にこだわり販売のためのSALEに熱心だが、女性を相手に商売をするならば、目には見えないが確かに「在る」雰囲気に工夫を凝らすことは決して無駄にはならないだろう。ブランド店から学ぶものは少なくないはずである。      貧骨
■小売の十字路198 ■2022年12月21日 水曜日 14時30分16秒

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
                           
温和元年   癸卯銀行が不便になった

個人ではハートのマークの第一勧銀のころから、会社の方は富士銀行のころから「みずほ」を利用してきた。駅前にあったので何かと便利で重宝してきたが、三年ほど前に突然法人部門が隣の市に移転してしまった。法人でもATMの利用には差支えは無いが、相談事、事務手続きの変更などは些細な事でもあちらまで足を運ばなければならない。不便この上なく「みずほ」は何たることをするのだと不満がずっと溜まっていたが、店舗の統合閉鎖は銀行業界全体の傾向らしい。
「マネーポストWEB」の記事によると「銀行の店舗が、街から次々と姿を消している。窓口でのサービスを頼りにする顧客から強い不満が聞こえてきた」と書いてある。そればかりかキャッシュレスの加速化でATMも今後どんどんと削減するという。世の中の変化に対応するという名分はあるだろうがなんだか変ではないか。
「みずほ」も「三菱」も「住友」も他行と合併してメガバンクになった。資本は増強され、国内では競争力も抜群になったはずだ。それでは店頭窓口が拡大し待ち時間が短くなり便利で使いやすくなったかというと逆になっている。たしかにスマホキャツシュレスは進むが高齢者デジタル弱者も増えている。ATMを減らすならばスマホ操作の相談窓口を設置しなければ片手落ちである。サービスが明らかに低下している。
何のための合併なのだろう。国際競争力の強化か。いや現在、金利上昇による債券価格の下落でメガバンクは4兆円ほどの損失を出しているという。一行の時よりもより優秀な精鋭たちが集まったはずなのにどうしてこういう結果になるのか。不可解であったがだんだんそのあたりの事情が分かってきた。
テレビドラマ「頭取野崎修平」は金融業界物語である。あるべき銀行の姿を描いて示唆に富んでいる。銀行を内側から見ると合併がもたらすものはリストラと派閥争いだという。重複している支店は統廃合されるしポストは減る。人は余剰になる。加えてそれぞれの銀行の人脈による主導権争いは当然起きる。きれいごとでは済まない生き残りをかけた人事バトルがたぶん現実のメガバンクでも激しいのだろう。行員は収益をあげるためには何でも手を付ける。そう言えばATMの世話焼きおじさんもいなくなった。寒々とした行内風景が目に浮かぶ。銀行を利用する一般庶民の便利不便などはもともと眼中にない。ここらあたりが銀行合併の裏側なのだ。が、内部に亀裂を抱えたまま負担だけを利用者に押し付けて銀行は成長できるだろうか。素朴な疑問がわく。
「方向感を失い銀行が漂流している。」 寒空の下外にはみ出るほどの長い行列を作ってATMを待っている人々の姿を見ながら抱いた感想である。
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令和5年が明けていく。「令和」この冷ややかな語感がどうも好きになれない。「温和」がいい。温かい人の和 焚火を囲む和やかな輪 それで勝手に今年は温和元年。
皆様にとってまた社会にとって温かい一年でありますように    貧骨 
■■ 小売りの十字路 No 196 ■2022年10月28日 金曜日 15時7分24秒

万引き被害がもたらす波紋

 万引き被害にあった際に面倒なのは、その後の処理である。店の責任者が被害にあった現実を受け入れ、丁寧 かつ慎重に対処しないと、被害の波紋 は意外なところにまで広がるのである。  
盗難保険の請求という点からもまずは警察へ被害届を出す。当たり前のように見えるが、そうでもない。経営者の立場からは体面や信用という心理的な壁がある。被害届は警察官による現場検証を伴うから、どうしても事案が人の目に触れて場合によっては野次馬の人だかりになることも生じる。不祥事というものは面白おかしく伝わっていくのが世の常であるので、どうしても事を穏便に済まそうとする。客の目線で見れば、 商品の購入はさておき、あの店に修理品を預けて大丈夫かということに なる。一度目の被害はともかくとして、これが二度目三度目となると周囲から「またか」と思われるので、店側としては被害額がかさんでもできれば届けも出さずに済まそうとしがちである。が、その代償は決して小さくない。被害届を出さないで「泣き寝入り」の処理をすると、スタッフの間で商品管理の緊張 感にゆるみが出て来て少々のことでは気に留めなくなり、万引き盗難か商品紛失かの区別も曖昧になってくる。万引きされても上司に報告もせずに適当な口実でごまかしてしまう。こういうことが重なっていくと棚卸資産と現物に大きな差異が生じてもすべてを紛失処理で片付けるようになるが、それは、社内横領(嫌な話だが)へ通じる道でもある。最近大手宝飾店の不祥事の記事が出回ったが、商品管理の不備による社内での損失の噂はこの業界ではよく耳にする。そうなってしまう根っこには被害をうやむやにする姿勢が潜んでいるのではないだろうか。「被害届をきちんと出す。そしてその情報をスタッフ全員が共有しておく」この現実直視の姿勢を心がけておかないと結局は店の管理体制をゆるがすのである。  
また、万引き被害の後というのは、接客の隙の問題、ケースキーの閉め忘れの問題などどうしても当事者スタッフの間に責任を含めた「重たい空気」が広がる。相手がプロの場合、必ずと言っていいほど下見をしているので、スタッフの誘導の仕方、商品の出させ方、キーの形状などは事前に承知している。きちんとキーを締めたが開けられたのか、それともこちら側のうっかりミスなのかわからない事態を私の店でも経験した。そういう曖昧さも店の中にもやもやした後味の悪さを生み出すのである。 その場にいた当事者のなかには、必要以上に責任を感じたり警察の事情聴取によるストレスで退職を申し出る人もいる。責任者のアフターケアは、店の運営を元の正常な状態に戻すのにとても大切な仕事で、損得にこだわってばかりいると被害の波紋はいつまでもおさまらないのである。  
ジュエリーというのは、高額にしてしかも手のひらに納まってしまうほど小さな品物が多い。万引きリスクと向き合ってばかりでは積極的な接客は出来なくなる。誰もが安心してジュエリーを販売するにはどうしたらいいだろうか。  
次回はその点に触れてみたい。 貧骨 cosmoloop.22k@nifty.com/
■■ 小売の十字路195 ■2022年9月26日 月曜日 16時7分18秒

万引き被害経験談

絶対やるべき万引き防止ロールプレイ
   
万引き被害では何度か痛い目にあっている。
スタッフが客の前で目をそらした一瞬に高額なダイヤリングを万引きされたこともあれば、店内がバタバタしてお客さんが引いた時に、気が付くとケースから喜平がごっそりなくなっていたこともある。
万引きというのは店にとって被害額も打撃なのだが、それ以外にも厄介なことが多々ある。たとえば、接客中に商品が紛失したとして、それが目の前の客の仕業だと見当がついているとしても、ではどういう言葉を掛けたらいいのか、とっさのことでスタッフの側がパニックになって慌てているうちに客がさっと逃げてしまう場合がある。
いきなり客の腕を捕まえて「盗んだでしょう」とは言えない。とりわけジュエリーなどは小物だからいかようにも隠すことができる。警備員や警察を呼ぶにしても、その間決めつけて犯人扱いはできないわけで、言葉の使い方ひとつで話はこじれてしまう。品物が見つからなければ場合によってはこちら側の落ち度にされて人権侵害ともなりかねない。
スーパーの防犯担当者も当の本人が店の外に出て初めて万引きと認定する。商品を未会計のまま持ち歩いても監視はするが、声掛けすらしないのである。それだけ客を万引犯として扱うのは慎重なのである。ジュエリーの場合はこのあたりのところが微妙にして本当に難しい。経験で言えば、ジュエリーの万引きというのは大概計画的なもので、以前から下見なり目星をつけたうえ複数で入店してくる。連携プレイが前提になっている。店舗が一階の場合は勿論のこと、二階三階でも逃走経路まで頭に入れて事に及んでいるから、スタッフ一人で接客応対すると防御は難しい。最初から万引犯だとわかるはずもないわけで、また客をみたら万引犯と思えと意識過剰になるとそれはそれで別の問題も出てくる。商品が自分の視野から消えたときにすぐに「万引き」と声にでも出したら大変なことである。
ジュエリーの万引き被害額は年間相当の額と数があると思うけれども、警察へ盗難届を出したりする面倒と店の体面や信用を慮って泣き寝入りしていることが多々あるだろう。
刃物をもってスタッフを脅すなり、強引に奪い取るような強盗の類のほうが犯罪としてはっきりしているだけに店側としては大声を出すなど対処がしやすいが、万引きは隙を突いてかすめ取る仕業だけに、その認定は相手がプロであればとても難しい。そのためには日頃からロールプレイングをして、それも繰り返し繰り返し行うことで身につけておかないととっさの対応はできないだろう。客をその場にとどまらせる言葉遣いというのも案外難しいものだ。トイレに行きたいと言われたらどうするのか。そのためにはまずは手本が必要である。業界とりわけジュエリー協会などは、率先して万引き防止のためのビデオを作成して小売店に有料配布したらどうだろうか。困っている小売店は多いと思われる。
華やかな仕事ではないが、業界の健全化の一助になると確信している。
貧骨 cosmoloop.22k@nifty.com
■小売の十字路 194 ■2022年8月27日 土曜日 9時2分19秒

小経営の人使いの難しさ

有能なスタッフが入ってきたら万事うまくいくとは限らない

 欠員ができたのでスタッフを一人補充した。使ってみると思いのほか優秀で仕事の飲み込みは速いし接客も丁寧、先輩との折り合いも悪くない。「いい人を獲得できた、即戦力として十分通用する。あとは専門的な知識を吸収し経験を積んでいけばよい」
経営者の側から見れば人を雇い入れる仕事はそれなりに苦労が多い。全く見知らぬ人を履歴書と簡単な面接で選考し判断をしなければならない。雇い入れた人物が、遅刻や早退、欠勤など時間にルーズであったり性格的に問題があったりしては困るのである。辞めてもらうにしても後味は悪いし、それよりも応募を再度一からやり直すのは大きな負担である。募集経費もバカにならない。だから思い通りの人を確保できたと判断すれば一安心、と経営者の思考はここで止まる。いや止まりがちである。
が、この視点は働いているスタッフたちの視点とは一致しない。社内の規律やルールを守れない新人さんは論外としても、有能な新人さんは社内に微妙な心理的波紋を広げていく場合がある。「あの人が活躍し始めると、もしかしたら自分は不要な人材とみなされてリストラされるかもしれない、あるいは配置転換の憂き目を見るかもしれない」そういう不安と憂鬱な気分に陥ってしまうスタッフが居てもおかしくない。あるいは社歴も長くスタッフの長として一目置かれていた人も自分の面目やプライドが損なわれるかもしれないと身構える。一見平穏な社内もいじめや意地悪の素地が生まれてくる。誰が悪いわけではないのだが、そして有能な人は会社にとって確かにプラスなのだが、経営者の楽観ほどにはウィンウィンではない。ジュエリーや時計のように高額で尚且つ修理品の取り扱いに神経を使う仕事ではどうしても売り場の人間関係の重要性は大きい。接客のフォローがトラブルを防ぐからだ。場合によってはおおきな損失につながる。
それでは、意図的に凡庸ともいうべき人を雇えばいいかというとそれではなにも活性化しない。新人さんが持ち込んでくる新しい風が社内と摩擦を起こしつつも従来の在り様を変えるところに人事の妙があるはずである。小経営というのはスタッフが固定化し自然と変化を好まなくなる傾向がある。新しいことは何かにつけて不満を産むのである。
こんな時、社長に小言も言うが、一方で働いている人たちの不満や不安を受け止めながら全体をまとめる「番頭」さん(今は死語に近いが)がいると組織が柔らかい構造になる。人情の機微に通じる人というのは貴重なのである。
私の経験では大きな会社ならば一人は一人でしかないが、例えば5人のスタッフで回している小経営では一人が辞めるということは100人規模の20人に匹敵する影響力があると考えていたほうがいい。逆に言えば一人が新しく雇われると20人の新人が入ってきたことになる。それだけに経営者は、雇って「これで良し」ではなく、「番頭」さんがいないのならばしばらくは隅々まで目を光らせておかないと、社内心理の綾が売上を直撃しかねないのである。        貧骨 cosmoloop.22k@nifty.com

■小売の十字路 193 ■2022年7月28日 木曜日 13時3分29秒

暑中お見舞い申し上げます
     
私の失敗  自分の分身を作るのは難しい

小経営の小売では店主が経営者と店の責任者を兼ねていることが多い。普段はこの形で店は回っていくのだが、店の成長発展を考えると店主が店を離れて様々な情報に触れたり得ることがどうしても必要になる。宝飾品の仕入れなどは自ら展示会等に出向いたほうが幅広くまた自分の思うような商品を手に入れることができる。また業界ばかりではなく異業種の人々との交流は有望なビジネスチャンスと巡り合うチャンスでもある。ネット販売の
技術的ノウハウなども自分の世界だけではわからないことが多い。店に縛られないことは経営者にとって大切な事項である。そのためには店を任せられる責任者が必要になる。
ここでいう店の責任者というのは留守番というのとはいささか違う。その時々の判断を店主の代わりに行わなければならないし尚且つそれが店主の意向に沿っていなければならない。当たり前のことだがそれだけに責任が重い仕事でもある。店主の側から見れば「自分の分身」を作ることだ。これが難しい。だから「分身」を手っ取り早く経営者の奥さんだったり親族だったりするから小経営というのは同族経営になりがちである。身内というのは遠慮がない分意見の対立が感情的対立と相まって結構面倒なことが多い。わたくしごとの夫婦喧嘩がそのまま店の雰囲気に出てしまうことも間々ある。
あくまでも経営者の「分身」なのだから忠誠心があり尚且つ経営者の代理として仕事をこなしてくれる人でなければならない。こういう人材にはなかなか巡り合えない。もちろん人を育てるという方法もあるだろう。もしも適宜な人がいたらそれは経営者が「経営運」を持っているのだと私は思う。「運」は大事にしなければならない。店も順調、任せられる責任者もいる。こうなると遊び心が芽生えて軌道を外しやすいものだが、経営者がなすべきことは楽をすることではなく今まで以上に仕事に没頭することである。本人が緩めば「分身」も緩む。あるいは隙ありとみて不心得な気持ちが生まれないとも限らない。仕事ができれば経営者以上に数字やデジタルに精通し、どんどん物事を推し進めていくかもしれない。経営者に事案の判断ができないとなれば、分身のほうが経営の主導権を握ってしまう。経営者の器以上の人は育たないという格言の所以である。だから経営者は自己研鑽、自分への投資を惜しむことなく「分身」よりも常に前を走らなくてはならない。
それではこの私はどうであるかと言えば、「分身」という問題意識そのものが欠落していたのだから凡庸ということになる。しかし考えてみれば「分身」の奥にあるのは経営者である自分が他人の人生を背負えるかという覚悟の問題でもある。「その覚悟、無かったなあ」というのが本音である。経営者にそもそも向いていない?
いやたぶん「経営者」であるということがどういうことか その出発点が曖昧だったのだろうと今頃になって反省している。  貧骨 cosmoloop.22k@nifty.com
■■小売の十字路 192 ■2022年6月28日 火曜日 13時4分22秒

完全閉店セール  
肝心な事あれこれ その2

閉店セールを無事にかつ成功裏に終わらせるというのはなかなかの難題である。商品在庫がさばけてしまえばそれでいいだろうと単純に考えがちであるが、商売である以上少しでも資金回収が多い方がいいわけだから、それなりの事前思考が必要になる。もしも借金を抱えていてセールの売上を返済に充当するつもりなら尚更のことである。
一般のセールとは違って閉店ともなるとお客さんの来店数はぐっと増える。たぶん物販なら業種を問わないであろう。近隣の紳士服の店舗がコロナの影響でやめた時にも最近では最も売れたと当のスタツフから聞いたが閉店セールはそういうものである。それはディスカウント期待値が高いからであるが、その分店側の利益というのはマイナスになりがちだし、またチラシ、DM代金、人件費などコストは普段よりも嵩む。それゆえに閉店セールでは通常のセールに比べて特に冷静な計算が要求される。普段ならセールの赤字はまた通常営業で取り戻せるが閉店ではそうはいかない。いわば最後の一発勝負である。
また閉店ともなるとお得意さんばかりか休眠客もフリーの客もやってくる。現行のスタツフでどう上手くさばくかがポイントになる。ジュエリーや時計は接客、販売に手間暇がかかるし加えて換金性が高い商材だけに、盗難、トラブルなどのリスクも高まる。一時に客を集中させないような工夫が要求される。それはまたスタツフの疲労への配慮でもある。スタッフの疲労というのは意外と馬鹿にならない話で、疲れてくると仕事が雑になり思わぬミスでそのリカバリーに時間を取られることがある。勤務ローテーションは細心の注意が必要で、ともかくも人間というものの扱いはむずかしいのである。なんとかなると安易に考えていると詰めの甘さで足をすくわれる。
商品についても考えておかねばならない。閉店セールと聞いて問屋筋から、それでは商品を貸しましょう(委託)と有難い?提案をされることがある。こうした場合商品はあればあつたほどいいのだが、また客の側から見ても選択肢が増えるしセールも盛り上がる。商品が順調に捌けていくと、もっとあればもっと売れるはずだと思うのは商売人の性のような心理だが、委託品の売上。が伸びてもそれに準じて仕入れも増えていくわけで閉店セールの趣旨とずれてくる。そのあたりを心得違いをしないように自戒をしておかないと自店の在庫が売れ残り、問屋の品物が売れてしまったということになりかねない。
セールも終わりやれやれと思っていても最後に店の片づけコストがかかる。借店舗ならとりわけSCテナントならスケルトンすることが原則要求される。意外な出費となることがある。更に商品の在庫処分で仕入れがほぼゼロに等しい場合売上にまるまる10%の消費税がかかってくる。気が付くと手元に残る資金は思うほどではないというのが閉店セールの現実である。
新規出店には「イケイケ」の高揚感があるが、退店にはどうしても残念感が漂う。それでもきちんとした清算作業は次の出発の礎になる。長い消費低迷の中、様々な選択肢に悩む店主の皆さんも多いだろうが、閉店という一大イベントに潜む落とし穴にはまらないことを願うばかりである。        貧骨 cosmoloop.22k@nifty.com
■小売の十字路 192 ■2022年5月26日 木曜日 16時15分2秒

完全閉店セール  
肝心な事あれこれ

閉店セールの看板は時々街中で見かける。さほど珍しいわけではないが、セールを仕掛けている当の本人にとっては一生に一回あるかどうかのセールである。経験がない人が大半であろう。
閉店を決断したら明日にでもセールを打てるかというとそう簡単でもない。自宅兼店舗ならともかく、借り店舗の場合、あるいはSCのテナントであれば閉店退去は6ヶ月前通知が相場であるから、嫌でもその間は営業せざるを得ない。(違約金を払えば別であるが) 
別の角度で表現すれば、6ヶ月先になったら案外世の中の景気が好転しているかもしれないし、今までの努力が実って千客万来の事態になっているかもしれない。その難しい見極めの末に決断するのが閉店セールなのである。
経験がないわけだから、閉店セールも普段のセールも同列に考えがちになる。消費不況、ジュエリーの不振(時計も同様だが)が長く続いている現在、「閉店のセールを仕掛けてもさほど売れるとは思えない、むしろ何もせずに店を閉めたほうがいいのではないか」、セールの成果に懸念を持つ店主も多くいるだろう。また「タイトルを変えればいいだけのことではないか」とシンプルに考えている御仁もいらっしゃるであろう。間違いではないが、やはり違いはあるわけで、そのあたりをきちんと整理、理解しておいた方がより多くの成果を得られると思われる。
一般論だが、普通のセールというのは営業活動の一環で売上と共に利益を追求しているのだが、完全閉店となると利益というよりも今まで投資した店頭商品の資金回収が主足るものになる。貸借対照表流動資産「商品」に記された金額に当たる。仮にこの額が1500万だとすれば1500万あるいは、それ以上に売り上げればセールは一応その目的を果たしたことになる。ただしセール期間中も通常の経費は掛かるし、セールのための経費も上乗せ
されるから、その分のマイナスも計算に入れておかねばならない。期間を長く取れば閉店値引きの期間も同様に長くなり利益なき売り上げは確保できるが人件費を含め経費もかさむことになる。間延びやダレで売上が伸びなくなれば、かえって回収金額に食い込むことになる。効率よく回収するには、それなりの期間設定が必要なのである。それではと定価の値引き率を例えば半額のところを3割引き程度に調整してより多くの資金回収を意図した場合、今度は商品が思うほどには捌けなくて売れ残りかえって回収金の減額というリスクが生じる。そのあたりの加減は店主の判断だが事前に熟慮すべき大事な課題である。
もう一つポイントになる違いは、閉店セールが通常のセールに比べてより多くの来店客を見込まれることにもある。「閉店」というのは店側が考えるよりも消費者には強いインパクトなのだ。最近の実例だが、閉店セールをやってみたところ、予想以上に盛況な為に「閉店」そのものを取りやめてしまった店がある。とりわけ貴金属価格の高騰という背景も追い風になっている。普段の値引き感ではない魅力が「閉店」という言葉には詰まっている。
問題は、閉店セール特有のリスクを回避しながら無事に閉店に持っていくための工夫である。次回はそのあたりに触れてみたい。 貧骨  cosmoloop.22k@nifty.com
■小売りの十字路 191 ■2022年4月29日 金曜日 9時54分47秒

人使いは難しい

些細なことだが抜けないトゲのような話

部下の勤務態度を注意叱責するのは上司にとって作今なかなか神経を使う。遅刻やサボリ休みのような明らかに規律違反の事柄ならともかく、良し悪しグレーゾーンというべき場面にぶつかると上司は判断に迷い、ついつい解決を先送りにしがちである。社内の融和的 人間関係を優先してそのまま黙認することもあるだろうが、それはそれで更なる問題に発展してしまう。  
Aさんは勤務歴の長いパートさんで宝飾品を販売する接客が主たる仕事である。もちろん売り場全体の雑務もこなしている。 彼女は朝10時から午後5 時まで勤務し昼休みを正 午から1時間とる。勤務姿勢に特段の問題がある人ではない。彼女は習慣的に午前午後の勤務中に一度ずつトイレのために売り場を離れる。 が、いつ頃からか昼休み直前にもう一 度トイレに行くようになった。この場合管理者はこの離席を黙認すべきだろうか。それとも昼の休憩時間内で済ますように注意すべきだろうか。微妙な問題である。上司が男性の場合この類の話は言葉を選ばないと「セクハラ」と受け取られかねない。また「我慢できません」「無理をすると膀胱炎になります」と反論されたらどう説得するのか、あるいは 「それなら休憩10分前なら構いませか」「トイレの回数は決まっているのですか」とだんだん話が込み入ってきて休憩時間はどのような意味で休憩なのかという「そもそも論」にまで発展しかねない。それではとそのままにしておくと、それまでは問題のなかったBさんもCさんも同様に休憩前トイレ離席をし始めるし、しなくても不満が溜まっていく。規律の平等は職場の原則である。トイレ離席に限らず、スマホの取り扱い、スタッフ同士の会話等々職場には是非が難しい事柄が多々存在している。些細なように見えて根は意外と複雑である。社労士に相談したところ「職場全体の雰囲気の問題でしょう、Aさんのような行動を自然と許さないような雰囲気を作っていくことが大事」と指摘されたが、「言うは易し」の感がある。読者の皆さんはどのような感想をお持ちだろうか。  
いくらかでも大きな会社ならスタッフの配置転換、他支店への人事異動という人を流動化させる方策で事を解決できるが、零細な小売店になるとそうもいかない。スタッフが固定すると上下の 距離感が近づいておのずと緊張関係が損なわれる。気心が知れるという面 もあるが「この程度はいいだろう」という規律の弛緩がどうしても生まれる。そこから仕事への姿勢が雑になり私語が多くなり詰まるところ売り場全体の空気が悪くなるのである。一喝して万事がうまくいったのは昭和の時代感覚で、注意とパワハラの使い分けが難し いのが現在である。
長い間オーナー兼店長の立場で人を使ってきて、小さな店の「労務」というのは実に難しいというのが実感である。               
貧骨   cosmoloop.22k@nifty.com
■小売の十字路 190 ■2022年4月27日 水曜日 11時18分0秒

人使いは難しい
些細なことだが抜けないトゲのような話

部下の勤務態度を注意叱責するのは上司にとって作今なかなか神経がいる。遅刻やサボリ休みのような明らかに規律違反の事柄ならともかく、良し悪しグレーゾーンというべき場面にぶつかると上司は判断に迷い、ついつい解決を先送りにしがちである。社内の融和的人間関係を優先してそのまま黙認することもあるだろうが、それはそれで更なる問題に発展してしまう。

Aさんは勤務歴の長いパートさんで宝飾品を販売する接客が主足る仕事である。もちろん売り場全体の雑務もこなしている。彼女は朝10時から午後5時まで勤務し昼休みを正午から1時間とる。勤務姿勢に特段の問題がある人ではない。彼女は習慣的に午前午後に勤務中に一度ずつトイレのために売り場を離れる。がいつ頃からか昼休み直前にもう一度トイレに行くようになった。この場合管理者はこの離席を黙認すべきだろうか。それとも昼の休憩時間内で済ますように注意すべきだろうか。微妙な問題である。上司が男性の場合この類の話は言葉を選ばないと「セクハラ」と受け取られかねない。また「我慢できません」「無理をすると膀胱炎になります」と反論されたらどう説得するのか、あるいは「それなら休憩10分前なら構いませんか」「トイレの回数は決まっているのですか」とだんだん話が込み入ってきて休憩時間はどのような意味で休憩なのかという「そもそも論」にまで発展しかねない。それではとそのままにしておくと、それまでは問題のなかったBさんもCさんも同様に休憩前トイレ離席をし始めるし、しなくても不満が溜まっていく。規律の平等は職場の原則である。トイレ離席に限らず、スマホの取り扱い、スタッフ同士の会話等々職場には是非が難しい事柄が多々存在している。些細なように見えて根は意外と複雑である。社労士に相談したところ「職場全体の雰囲気の問題でしょう、Aさんのような行動を自然と許さないような雰囲気を作っていくことが大事」と指摘されたが、「言うは易し」の感がある。読者の皆さんはどのような感想をお持ちだろうか。
いくらかでも大きな会社ならスタッフの配置転換、他支店への人事異動という人を流動化させる方策で事を解決できるが、零細な小売店になるとそうもいかない。スタッフが固定すると上下の距離感が近づいておのずと緊張関係が損なわれる。気心が知れるという面もあるが「この程度はいいだろう」という規律の弛緩がどうしても生まれる。そこから仕事への姿勢が雑になり私語が多くなり詰まるところ売り場全体の空気が悪くなるのである。一喝して万事がうまくいったのは昭和の時代感覚で注意とパワハラの使い分けが難しいのが現在である。
長い間オーナー兼店長の立場で人を使ってきて、小さな店の「労務」というのは実に難しいというのが実感である。             
貧骨  cosmoloop.22k@nifty.com
■小売の十字路 189 ■2022年3月30日 水曜日 13時30分8秒

繁盛店のラーメンはたぶん美味しくない

今日もあの店の前には開店前から 行列ができている。自分の店は典型的な街中華で客も固定してさほど売り上げが落ち込みはしないが伸びもない。 くすぶっているのである。どうにかして自分の店もあの店のように繁盛店になりたい。マスコミに取り上げられるほどの評判が欲しい。うらやましさと悔しい気持ちとねたましさが混然となって毎日悶々としている。それだけでは心が空中分解してしまうが、日々あれこれと創意工夫したラーメンに挑戦してみている。
味にこだわるだけではなく、タウン誌の広告宣伝も積極的に利用して周知コストを掛けている。そのうちに少しずつ客足が伸びて口コミで評判が広がってきた。というサクセスストーリーは現実には難しいが仮にその様な展開で話を進めてみる。 手ごたえが感じられると益々やる気が充満してそれがまた好循環を生み、たとえば高名な評論家も来店してSNSで発信されると客足はぐんぐんと伸びていく。明日は明るい、希望に満ちている。がいっぽうで店のシステムはそのままだからひずみが出てくる。なじみの客に「通」の客が少々程度なら忙しさも何とか賄えるが、不特定多数が押し寄せるとそうはいかない。まずはスタツフが足りない、店員の教育に時間を取られる、従来の阿吽の呼吸が通用しないということでバタバタする。当初より仕入れの量が増えてきめ細かい見極めができなくなる。レシピは同じでも微妙に味が変化していく。 でも客足は途絶えない。一度は食べてみよう、行列があるから自分も並んでみようという野次馬客がさらに行列を作る。  
美味しいラーメンがあるから行列ができる理屈は行列ができるからその店のラーメンは美味しいはずだと成る。論理が逆転する。味が落ちてもその味こそが美味しいもので自分の味感覚が間違っているのだと錯覚する手合いは結構いるものだ。権威とはそういうものだ。  繁盛店になったら当然人件費、光熱費等の経費も増える。諸々の経費が否応なく嵩んで売り上げが落ち込んでくるとすぐに赤字になる。繁盛店は自転車操業のように繁盛し続けなくてはならなくなる。今までならラーメン作りに没頭できたのに経営管理の仕事が日増しに膨れ上がる。店の雰囲気が変わってなじみの客の足が遠のき味にムラができて「通」の客は消える。これがあこがれの繁盛店なのか−、どこかおかしい、どこで間違えたか。  
経営指標に損益分岐点があるように繁盛店には繫盛分岐点がおそらく存在する。これ以上客足が増えてしまったら味でもサービスでも限界値を超えてかえってレベルが下がるという境目である。そこをどこまで意識できるか。 繁盛を目指しながら尚且つ意識的に繁盛させないといういわばアクセルとブレーキの使い分けが必要なのだ。  
時系列でみれば「通」の客がぼちぼちと増え始めたそのあたりが最もおいしいラーメンだったはず。その味に触れるのはなかなかタイミング的に難しいものだが食する側にもそれなりの手間暇が必要なのである。「極上」とはそういうものだろう。  
ジュエリーの特別セールを開催しな がらそんなことを考えた。     
貧骨   cosmoloop.22k@nifty.com


■小売の十字路 188 ■2022年3月1日 火曜日 10時48分18秒

廃業・閉店への心構え

店を閉じるというのはなかなか大変な心理劇である。決断するには店主の心の折り合いがまずは肝心なのである。「よし、閉店しよう」と自分に言い聞かせても明日になると「いや、もう少 続けてみよう」と迷いだすのが常である。だから右に振れ左に振れながらだ んだんと煮詰まっていよいよとなるまでにはそれなりに時間がかかる。  
煮詰まるというのは事態が好転しないまま時間だけがすぎていくからである。仕事への意欲が旺盛ならばなんとかしようと思うし周囲を見て同業者の誰も閉店しなければ、外聞や見栄も出て来て心理的にはますます閉店から遠ざかるようになる。「年金で暮らして細々と続けるか」「止めて毎日遊んでいてもつまんない」と考え始めると閉店の決意も薄まってまたダラダラと継続することになる。結局「閉店」という事態に なるのは自らの意志というよりそうせざるを得ない状況が生じるからである。 店主本人が、あるいはパートナーであ る妻が体調を悪くして働けない。ビルの建て替えで移転を余儀なくされた。資金融資を断られた。 なんであれ状況を跳ね返せなくなった末の「追い込まれ閉店」である。  
が店主自らの意志による「主体的な閉店」もある。こちらの方がはるかに難しいが経営者の力量が問われるという 点では見るべき点学ぶべき点の多い「閉店」である。売り上げは停滞しているが最終利益は小さな黒字と赤字を繰り返している。その気になれば現状維持はしばらく可能である。店主もスタッフも健康で社内コミュニケーションも別段問題はない。消費者からの支持もある。が継続リスクは年々高まっていく。店内設備の老朽化は進む。ネットを含め消費環境は激変している。デジタル化は容赦ない。再びのバブルは望み薄だ。大きな赤字に落ち込まないとは 限らない。余力のある今こそやめるべきか。  
考える、悩む、また考える、の繰り返しだが、すこしずつ閉店の意味が深まる。自分の都合から離れて地域社会で の役割も視野に入ってくる。決して無為な時間の過ごし方ではない。だから決 断すれば迷わない。売り上げの変動を含め状況の底を流れる先行きの変化 を見切るからだ。「見切り千両」とはよく言ったものだ。  
アサヒビールの樋口幸太郎はその事業の継続か断念かを判断するとき決算時1円でも黒字なら続け1円でも赤 字ならやめると話していたが、大会社の事業以上に人生を賭けるともいえる小売店の主体的閉店への思考と決断は 意義深い。  
「閉店」を考え始めたら「人生の閉店」に思考が跳んだ。道行きの向こうに冥途への迎え火が見えたとき、人はそこへ向かって諦めるように歩いてゆくのか、それとも「見るべきものは見つ」と人生を見切るか どちらが人間らしいか 「願わくは花の下にて春死なん、その如月の望月の頃」西行命日旧暦2月16日 彼はどう死んだのかふと疑念がわ いた。              貧骨     cosmoloop.22k@nifty.com
■小売の十字路 187 ■2022年1月30日 日曜日 10時0分9秒

私の失敗 
借金はつらいよ

それまでは無借金で経営していたものを確か2000年前後から借金生活になった。金融機関からもすんなりと借り入れができたので当時はさほど深刻には考えていなかったが以後20年に わたって借金苦がのしかかってきた。 資金繰りに窮して金を借りるというの は最もダメな類の借り方である。が当時はさほどの問題意識があるわけではなく何とかなるだろうと構えていた。
いざ借り入れてみると怖くて使えない。1000万円を60か月(5年)で返済する計画だと月17万ほどの返済になる。が月々少しずつ金が足りないからその1000万円から充当する。すると減り方は進む。プラスの月もあるがそれは大概仕入れを絞ったからで次の月にはどうしても仕入れが元に戻る。更に仕入れを絞ると売り上げに影響して悪循環になる。やり繰りで回っているうちはいいが大きく売り上げが落ちこむ月が生じると不安で眠れなくなる。手元資金が想定外に減っていくのは嫌な感じである。600万円ほど返済が済んだあたりで(残債400万)資金が無くなりそうなのでまた1000万借り換えをして手元に600万円が振り込まれるが借金は1000万円に逆戻り。次回の借り換えはさらに早まるだろうと思うとじりっじりっと追い詰められる感覚。事態を傍観しているわけではなく家賃の値下げ交渉、人減らしなど固定費の削減はやってみるが、世の中の空気に危機感が醸成しないと結局売り上げ減は店の側のやり方次第というところに落ち着く。家賃下げは門前払いで人事リストラは社内がギスギスする。なかなか思う通りにはならないものだ。  
きつかったのは東日本大震災による計画停電。全く商売にならなかったが、現在のような直接支援は全くなし。金は出ていく一方で別ルートの借金をして何とかしのいだがトータルでいえば1500万から一時は1800万くらいに借金が膨れ上がった。いわゆる「街キン」に金を借りたこともあったが、きちんと返済したので怖い目にあったわけではないが振り返ればいい経験にはなった。  
なぜ金を借りるか商品の充実もある、店舗の改装もある、新しいデジタル機器の更新もあるネットを含めた販売ルートの開拓もある、どれもこれも売上と利益の増大に寄与するための借金である。経営者の先読みと意欲が試される借金であるが、なにがしかの希望はある。売上が下がり続けて赤字の帳尻を合わせる借り入れでは結局食いつぶしのための時間稼ぎにしかならない。言い訳めいていえば、経営勝負をしてみようという経済及びわが業界の上向き環境が2000年以降一度たりともやって来なかったからだ。少なくとも私にはそのように感じられた。平成の後半は競争の激化と停滞の時代だったのだと思う。
耐えて凌いで借金を借金で回して年金を支えに給与も取らず休日もなく、それでも何とか健康でここまで来たのだから、良しとしなければいけないのだろう。経営者としては情けない話ではあるが。  
小さな教訓「何とかなるだろう借金は昭和でお終い。             
貧骨   cosmoloop.22k@nifty.co.jp
■小売の十字路 185 ■2021年11月26日 金曜日 15時3分42秒

昭和の遺物
兼業店でジュエリーは売れるのか

私の店は時計とジュエリーの兼業店であるがジュエリーを売るというのが年々難しくなっている。それは現場に立っている自分の勘のようなものだが、言葉にすれば店舗競争力の低下といってもいいかもしれない。展示してある商品量が少ないとか商品の鮮度が落ちていて時代遅れのデザインが多数を占めているかということではない。
また商品価格の点で他のジュエリー店に比べて割高であるかというとそれも違うと思える。昭和から平成前半までなら商品の量や価格で勝負できただろうが、今は目に見えない雰囲気の力が醸し出す店舗トータルの統一感、キラキラ輝くようなファッション感が必要なのだろう。
この雰囲気を作り、なお進化持続していくことは零細な小売店にはかなりの負担がかかる。兼業店ではなおさらのこと難しいというより不可能に近い。
ジュエリーと時計が混在している店というのはどうしても時計の存在に圧倒されてジュエリーの良さが出てこない。ジュエリーの脇に目覚ましが置いてあり、掛時計が視野に入ること自体野暮ったいのだ。経営的には安定するが、新規の客を引き付ける力に欠けるからどうしても従来の客に頼るじり貧経営になってしまう。
雰囲気づくりには「ブランドショップ」を見ればわかるように店舗の隅々までコンセプトに沿った気配りができていることが肝要で、スタッフのユニフォームひとつとってもコストをかけている。また社員教育にしても同様で立ち振る舞い、言葉遣い等個人差が少ないように仕組んである。それだけ人材を集め訓練をしているということだが。
ある研修の講演で、スタッフの接客姿勢がバラバラだと「店の色」が出ないと指摘されたことがある。そういう些細なところを徹底していくことがジュエリー店の魅力につながる時代なのだ。ともすれば価格訴求や催事に目が行きがちだが洗練された店全体の雰囲気づくりにコストをかけ続けないと新規の客は呼び込めないであろう。
人材の視点ばかりでなく、ディスプレー、照明、POP、等々常に鮮度と工夫が要求される。大手チェーン店は雰囲気でも競い合っている現実がある。そこを消費者が体験してしまうと兼業店のみならずただジュエリーを展示してあるジュエリー専門店も結局購買選択肢に入らなくなってしまう。要するに魅力がない店に成り下がってしまうのだ。
大手のツツミが新規に開店したので視察に行ったが、従来の商品の量と割安感で売るスタイルから明らかに変化している。この変化力こそ大手の強みである。
兼業店という形態はこれから復活するかというとたぶん難しい。雰囲気格差は加速度的に広がっていき兼業店にとつてジュエリーは持て余し気味になっていくだろう。商売の基本である親切丁寧に徹して顧客密着型の運営を心がければチェーン店にはない味が出るだろうが、業界全体のパイが拡大していく展望が見えない中厳しい経営を強いられることは自明のことと思われる。        貧骨    cosmoloop.22k@nifty.com
■小売の十字路 184 ■2021年10月31日 日曜日 10時29分47秒

私の失敗

赤字決算とどう向き合うべきか

資金繰りに追われて赤字決算の警告を軽んじてしまったことを前回は書いた。
それでは赤字決算を目の当たりにしてどうすればよかったのだろうか。
 先代(私の親)が長く社長の座にいたので先代の心理は推測するしかないがたぶん「なんとかなる」と思っていたに違いない。なぜ「なんとかなる」と考えていたかというと店の現場から離れていたので具体的な事は分からないということもあっただろうが、それ以上に「なんとかなってきた」昭和の成功体験が基礎にあっただろうと思われる。
平成の初期、バブルがはじけて不良債権が山積みになっても処理に手を付けず株価が戻り地価上昇の反転が始まれば「なんとかなる」と考えていた金融機関幹部の思考と重なるものだ。成功体験の呪縛は大局観を誤らせる。経済全般から業界の在り方まで情報を集めて「先を読み」、どうも従来の経験則では今回の赤字は乗り越えられないと判断できれば大したものだが、凡庸な経営者は嫌な事には目をつぶりがちで根拠なき楽観論に流されるのである。私もそのひとりである。それでも赤字決算が続いていけばさすがに「なんとかなる」だけでは通用しない。その時どうするか、どうすればよかったか。簡単な真理だが「経営に手品はない」。資金繰り優先の経営に陥らないためには決算書をよく読み、自店のすべてを2年ごとあるいは3年ごとに見直すことに尽きる。
 商品在庫量は適切か、鮮度は維持されているか、中心価格帯は顧客層と合っているか、品目別の構成比はどうか 店舗設備は老朽化陳腐化していないか サービスの在り方は進化しているか、接客のレベルは年々アップしているか、セールの手法はマンネリ化していな いか、社員教育は徹底しているか、顧客管理に漏れはないか…、見直し項目は いくらでも出てくる。目に見えないところに思わぬ事が潜んでいる。上司と部下 の関係、スタッフ間の待遇を巡る不平 不満。表面には出てこないが、意欲的 になれない職場環境。  きちんと総ざらいするにはまずは経 営者が立ち止まることだ。振り返ってみ てじぶんはそこが甘かった。「なんとかなる」の受け身から「なんとかしよう」と思考転換した時に、その「なんとかしよう」のはじめの一歩は自店解剖であり、 自店解体なのだ。今まで経営体を動か し続けてきた仕組みをバラバラにして 一つ一つのパーツを点検し劣化したものは取り換え使えるものは磨きなおして新しい経営動体に組み替える。それ はスタッフの意識改革にもつながるも ので各人の不満との闘いでもある。空中分解を恐れずにやり遂げられていた ら、たぶん私の店の経営ももう少しましだったろうと後悔はある。
 パブル崩壊、リーマンショック、コロナ禍、売り上げ減の言い訳は簡単に見つかるがそこに甘んじていて決算と向き合う覚悟をおろそかにすることほど危険なことはない。
 数字が示すものはごまかしがきかず「経営は冷たいのだ」と思うが、その冷たさに寄り添うメンタリティを持たないものは結局社長には不向きなのだ。             貧骨

■小売りの十字路 183 ■2021年10月1日 金曜日 11時42分40秒

私の失敗 資金繰り経営の愚と必然

 商売ではとにもかくにも手元にある程度の現金がなければ話にならない。 従業員の給与も家賃もなにがしかの経費も現金が必要になる。商品仕入れに掛買いをしても銀行から借金をしても支払期日は確実にやってくる。資金繰りが大変だと経営者がしばしば口にするが手元の現金は会社存続の命綱なのである。
「黒字倒産」という事態があるように現金のひっ迫は零細な企業の経営者を追い詰めるのである。 がそれでは経営の肝は資金繰りにある小売の十字路かと言えばそれは全く違う。 勘違いも甚だしいのであるが、資金繰りの苦しさにとらわれるとどうしてもそこに意識が集中するのである。もしも資金繰りが楽になって金回りが良くなったとしてもそれも経営が順調であることの証左ではない。背に腹は代えられないとはいえ資金繰り優先の運営は健全な経営とは言い難いのである。
 経営の基本中の基本なのだが、要は黒字決算か赤字決算かが大事なのだ。そこの数字を正確に把握しておく問題意識が経営者の義務だと言っても過言ではない。赤字決算だということは何らかの形で自己資本の減少を意味する。一年間を締めた時点で手許現金、商品在庫が昨年よりも減少しているか、借金が増えているか、そのすべてか、あるいは経営者個人の預貯金を会社につぎ込んでいるかである。もちろん黒字決算ならその逆で会社の資本力が増すのである。赤字決算が続けばいずれ会社は立ちいかなくなる。もちろん赤字額の幅が小さければあるいは自己資本が十分あれば資金繰りのやりくりで凌げるが、自己資本の減少には変わりがない。ただ決算は一年に一度が基本だからどうしても日々の資金繰り経営に傾いてしまい会社の現実を見ているつもりで見過ごすのである。資金の円滑な回転なければすぐにでも倒産、廃業、借金苦の恐怖がのしかかってくるからである。私自身、長年赤字決算と付き合いながらなんとか商売を継続してきたが、もちろん経営としては失敗している。商品在庫を減らし、借金増に苦しみながら凌いできているが、結局累積赤字が積み上がっていくばかりである。バブル当時を100とする商品在庫は今20まで減少している。黒字決算かトントン決算なら80は現金なり他の資産で残っていなければならないが残っていない。現状コロナ禍の中で業績に苦しんでいる小売店は多いだろうが、だからと言って赤字決算を放置しておけば私のように会社資産の多くを失いかねない。黒字か赤字かの分岐点の意識、そして決算書を丹念に読み込む自己鍛錬は経営にとって大切なものなのである。
 では、赤字決算という現実にぶつかってどう手立てをすればよかったのかと反省してみるが、答えは見つからない。店を閉じてしまえば家族の生活は明日からも成り立たない。さりとて経費を削減するにしても人件費を含め最低限の運営コストはかかる。家賃はそう 簡単には下がらない。平成の低成長と競争激化の状況下では収益の増加もなかなか難しい。つまるところ資金繰り優先の経営に追い込まれるのである。資金繰り経営は「愚」であるがなかなか抜け出せない「必然」なのである。               
貧骨    cosmoloop.22k@nifty.com
■■ 小売の十字路182 ■2021年8月29日 日曜日 8時37分25秒

業界の低迷を考える(その4)

ブライダルマーケットは魅力的か

コロナ禍によって消費者の外出が減少し、結果衣料品の不振は甚だしく、アパレル集積地では倒産の連鎖が続いているという。
需要が蒸発する、あるいは大きく変質してしまえばいかなる業態でも苦境に追い込まれるのは当然のことである。経営者の習性として同業他社を横目に見ながら、自店の不振は自助努力の至らなさにあると経営者は考えがちであるが、現在のような需要の急激な縮小の状況では、むしろいかに「生き残るか」を思案したほうが正解なのである。
消費が戻るまで昼寝をしている人が真っ当で、まじめに仕事に打ち込む人ほど袋小路にはまる。需要というのはまさに企業の死命を制するものである。
消費財はその名の通り消費されることによって新しい需要が生み出されるが、ジュエリーは消費されてしまうものではないから、その他の消費財とは需要の構造が違うと前回書いた。
それゆえ小売の品揃えという点では、「傾向と対策」はほとんど通用しない。ジュエリーは消費者の気まぐれのような嗜好に支えられていると言っても過言ではない。
しかしジュエリーの中ではっきりと需要がある例外品目が2点ある。一つはフォーマルな真珠製品であり、もうひとつはブライダルジュエリーである。前者の真珠製品は以前ほどの安定した売れ行きは無くなってきたが、それは成人式・冠婚葬祭の儀式が簡素化されてきたこともあるだろう。またブライダルについてはブームということも背景にあって、確実に売れていく商品群なのである。市場規模はよくわからないが、顕在化している需要である。だから参入すれば一定のシェアを取れそうに見えるが、現状では店頭の一角にブライダルコーナーを展開すれば何とかなるという次元の話ではなくなっている。
ブライダルで売上を伸ばしている店というのは、大概それ専門の店づくりをして、店内装飾にも凝り、加えてユーザーに選ばれるための広告宣伝費も十分掛けている。更にイメージ戦略には立地戦略も重なっている。
店舗立地はブライダルビジネスの重要なファクターである。各店の競争は激しいが消費者は限られている。資金規模の小さな店が新規に参入してその競争力において勝ち残れるかというとリスクは極めて高いと言わざるをえない。平成の半ばくらいの時期、まださほどブライダルジュエリー専門の店が少なかったころ、先見の明で思い切って参入した小売店がブームにも乗って経営の軌道に乗せたのが現状であろう。
こう考えてくるとジュエリーを売るのはなかなか難しいことが分かる。とりわけ人「人材」、モノ「商品」、金「資金規模」ともにチェーン店に劣る単独店にとつては、コロナ禍がないとしても、じり貧のプロセスにはまってなかなか抜けだけないのが平成後半から令和にかけての偽らざる現実であろう。
ジュエリーの需要の在り様を考えれば考えるほど小売店の悩みは深くなるのだが、現状直視はすべての判断の基礎である。そこからしか出発できないのである。(つづく)。
貧骨 cosmoloop.22k@nifty.co
■小売りの十字路 No181 ■2021年7月31日 土曜日 9時29分21秒

ジュエリー業界の低迷を考える(その3)

ジュエリーは超耐久消費財・・・そこが問題

 ジュエリーと似ている商材を考えてみると、アパレル、バッグ、靴、時計などファッション関係のものが直ぐに思い浮かぶ。
見た目ファッション雑貨という括りでとらえればその通りなのだが、それらの業界の手法や情報でジュエリーに対処しようとするととんでもない間違いを犯すのではないかと思われる。あまり指摘され、強調されていないが、ジュエリーという商材は超が付くほどの耐久消費財であって、そことを基礎認識にして業界論理を組み立てていかないと迷妄の道を歩むことになるのではないか。
 今一枚のブラウスを例にとれば、使用するに従って必ずブラウスは劣化する。色褪せ、縮み、縫製の劣化等々が生ずるのはごく自然のことである。食品が象徴的だが、家電製品から車のような耐久消費財でも例外ではない。消費とは、モノが消えてなくなることである。それゆえに需要が生ずるのである。このはっきりと存在している需要をどう取り込むかというところに多様なマーケティングの手法や小売業相互の企業努力が問われているのである。
 それではジュエリーはというと、ほとんど劣化もしなければ形状変化もしない。丁寧に使用すれば、価格にかかわらず一生モノである。よって新しい需要というのは、ファーストジュエリーを購入する若い女性を除けば、買って良し、買わなくて良しのファジーな需要となる。よほど古めかしいデザインでもない限り ジュエリーは常に消費者の手元にあっ て、使用できる状態で出番を待っている。
 リングでもネックレスでも、他の商材同様に消費されてしまえば、需要の予測、傾向と対策が可能だがそうではない。小売店は消費者が何を求めているかの予測が難しく、いわば衝動買いに近いから一通りの商品を置かざるを得ない。ピアス、イヤリング、リング、ネックレス、真珠、ブローチ、等々一見華やかだが、効率の悪いことおびただしい。またそれぞれの分野ごとにデザインは無限で奥行きが深い。商品在庫はこれでいいという限界値が見えない。あれもこれもという風に品揃えをしていくと、資金繰りが圧迫されるばかりである。時計の商品構成と比較すれば、違いは一目瞭然である。間口が広く、奥行きに際限がない上に、消費財とはいえないほどの 耐久性を持っている商材、それがジュ エリーである。
 よってジュエリーには小売業の一般的な販売手法は通用しないのである。 催事・展示会方式による売込み販売が行き詰まりを見せているというが、店頭 販売に徹して商品を並べて、ひたすら客待ちをして、かつ来店した客が何を気に入るかわからないという商売はたぶんジュエリーだけではなかろうか。
 時代の先行きに明るさと安心感が満ちていた昭和の時代ならば自然に売れていったジュエリーを、閉塞と不安感がごちゃ混ぜになった令和の今の時代感の中で売るには、何が必要で何が余分なのか、それぞれが立ち止まって新しい答えを見出すしかないのである。(続く)               貧骨    cosmoloop.22k@nifty.co

■■ 小売の十字路 180 ■2021年7月3日 土曜日 15時58分28秒

ジュエリー業界の低迷を考える 其の2

 ジュエリーブームがやって来ることはこの業界の誰もが望んでいることだ。負け組は言うまでもなく勝ち組と言われているチェーン店にしたところで、業界のパイ自体が拡大すれば競合競争の厳しい世界は緩和されるし、経営的にも一息つける。
大衆が動くというのは、山が動くようなもので恩恵は大きい。でも、ただ待っているだけでどこからともなくブームがやって来ると夢見していたとしたら無知の極みである。どんなブームにも種まきの時期と頃合いをみた仕掛けがある。横目にらみで他の業界のブー ムを見ていたところで「棚からぼたもち」の僥倖に出会ったわけではないのは自明のことである。
 振り返ると「トルマリン」「ゲルマニウ ム」「ブラックダイヤ」などわが業界でもそこそこのブームは生まれたが、それなりの仕掛けがあってのことである。
 前回触れたようにジュエリーには業界全体を活性化する企業というものが存在しないのだから、業界組合等の関係者が汗をかいて少しでもジュエリーの魅力を消費者に伝えなければ購買意欲そのものが沈む一方なのである。 消費者にジュエリーを身に着けると気分が明るくなる、自身がとても美しく見 えるようになる、着ているものがぐっと引き立つ等々ジュエリーの効用とパワーを伝えて、少しでもジュエリーに対する意識付けを高めておくことが、回りまわってジュエリーブーム発生の種になるはずである。
 が、私の知る限りそうなっていな い。「ジュエリーデー」というツールも眠ったままだし、これといった仕掛けもない。以前御徒町に「ジュエリー神社」を造ったらどうだと提案したが見向きもされなかった。種まきにも仕掛けにも金も人も花が咲くまでの時間も必要だが、何よりもそれ以前に業界関係者に業界全体のパイを大きくするにはどうすべきだろうか、という問題意識そのものが欠落しているように思えてならない。チマチマと宝石の定義にこだわってみたところで 消費者の財布からお金は流れて来ない。業界の低迷の中で思考停止に陥っているのか。知恵は出しようだと思うが。
 今どのあたりにジュエリーの魅力を消費者に伝える場があるかというと、「CLASSY」「VERY」「Oggi」などの女性向けファッション雑誌である。必ずと言っていいほどジュエリーの特集を毎号掲載している。がそこだけと言ってもいいかもしれない。パワー不足は否めない。
 結論的に言えば「ジュエリーブームの到来」は限りなく期待薄だということだが、誰彼を非難する話ではない。肝心なことはコロナ禍が過ぎても、景気が回復してもジュエリーブームはやって来ないという現実である。「ひょっとしたら」という楽観はますます企業環境を悪化させるばかりである。
 ジュエリーは必ずしも買わなくてはならない商品でもなく、ブームもやって来そうもない。このことを前提に次回は別の角度から業界の低迷を書いてみたい。 (続く)               貧骨    cosmoloop.22k@nifty.co
■■ 小売の十字路 179 ■2021年7月3日 土曜日 15時56分32秒
         
ジュエリー業界の低迷を考える (その1)

洗濯機よりジュエリーを

長い間ジュエリーの小売業に携わってきたが、この商売はいつまでたっても難しいという感じが払拭できない。「こうしたら売れる」という手法の手ごたえというものがつかめない。この感覚はあのバブルの時代でも同様で、当時売上は順調であったが、偶然に偶然が積みあがった感で、商売への自信というものにはつながっていない。
ジュエリーを扱うというのは本来どういうことなのか、そもそもジュエリーという商材の特徴はどこにあるのか、そのあたりの基本中の基本を自己総括のためにも整理してみた。業界活性化にいささかでも役に立てば幸いである。
ジュエリーというのは女性のあこがれの品物である。だからスイスイと売れていくかというととんでもない。なぜだろう。一番の理由は「あこがれ」というよう、そこそこの出費を伴うが、だからと言って直接何かの役に立つものでもない。買わないで済まそうと思えば済ませる商品なのだ。気に入ったリングを見つけて、いざ買おうと思ってもたまたま洗濯機の調子が悪くなったらジュエリーは後回しになる。屋根の修理に思わぬ出費がかさんでも同じこと。
スマホの新製品が出て子供にせがまれればそちらにお金が回る。可処分所得は限られている。そのあたりが奢侈品なるものの商売のつらいところで、生活必需品にはかなわない。購買優先順位は低いのである。
要するにジュエリーの需要は気まぐれに近い。もちろん売れないわけではないが、何が何でも買わねばならぬものではない。ファジーなのである。財布の入り口あたりで、ジュエリー用のお金が出たり入ったりしている。このファジー状態をしっかりした需要にする、洗濯機に負けない需要にしないとジュエリーは売れていかない。
女性の背中をグイと押す何かが必要なのである。ではどうすればいいのか。例えば車でも電気製品でも携帯電話でも、常に新しい付加機能の付いた新製品が日夜市場に投入されて消費者の購買意欲を刺激しているし、TV宣伝も抜け目なくしっかり行っている。実際は、個々のメーカーが自社製品を販売するために努力しているわけだが、それが結果として業界全体のメッセージとして伝わるから消費者はそちらの方に振り向くのである。
小売市場の業界シェア争いという点では、ジュエリーはかなり不利である。商材の性格からいって付加機能なんてものはない。それは土台無理な話である。
企業のそれぞれの販促活動を片輪とすれば、もう一つ業界全体を活性化する、あるいは業界のパイ自体を広げるもう一方の片輪がぜんぜん動いていないのである。消費者から見れば「ジュエリーを買いたいな」という心理がムードとして刺激されないから、どんどんと財布の奥の方にジュエリー購買意欲は落ち込むのである。
 (続く) 続きは次回。貧骨 cosmoloop.22k@nifty.co
■■ 小売りの十字路 178 ■2021年4月29日 木曜日 10時41分29秒

セイコーへの違和感

セイコーから月々新製品のリーフ レットが送られてくるが、最近は仕入れたい商品がなかなか見つからない。自分の店の客層が求めているものとマッチしない。メカニカルなもの、ダイバー系のもの、相変わらずのルキアの新製品、10万円以上の高級時計などがセイコーが主に提供しているものだが、こちら側が求めているものは高齢者向きのベーシックで価格も5万円までの中低価格品である。それらは従来品としてはあるのだが、選択肢も多くなく、売り場にいつも同じものが並んでいる状態なので活性化しない。困ったことなのだが、この困惑は地域に根差した時計小売店が共通に感じている思い であろう。

 セイコーから見れば国内市場全体を俯瞰し、今後の成長分野と停滞分野を切り分けて将来へ向けて投資をしていくのは当然ことであろうが、それではわれら地域密着零細時計店はセイコーが進む方向に自店の品ぞろえを変えていくことが肝要かというとそれは違うと思う。売り場に立てば確かに高齢者が手ごろな価格帯で見やすい普段使いの時計を求めているのは歴然たる事実である。加えて言えば高齢者ほどセイコーへの信頼愛着が強いのである。(歴代のセイコーの社員の汗と努力の賜物である。ありがたい話だ。)
 この食い違いの背景には何があるのだろうか。時事通信の最近の記事が参考になる。それによると「腕時計メーカーが、高級品に注力する姿勢を鮮明にしている。腕時計型で多機能のスマートウォッチが数千円から手に入るため、腕時計市場は普及価格帯を中心に打撃を受けている。シチズン時計とセイコーウォッチは、安定需要が見込める機械式時計など高価格帯商品を拡充し、差別化を図る考えだ」。セイコー広報の直のコメントではないにしても、たぶん事実に近いのだろう。なるほど「腕時計メーカーはこういう流れの中にいるのだ」という判断のもとに方針を決めていることは理解はできた。スマートウォッチの普及力に脅威を感じているところから見るとこの判断は若い世代の需要を基本に考えているのだろうが、全世代を見てみれば普及価格帯のアナログ時計のシェアを席捲するほどの勢いがスマートウォッチにあるだろうか、という疑問は残る。
 今一つは高額品とりわけ機械式時計に重点を置く時、抜け落ちてしまう時計マーケットをどう考えているのだろうかという疑問である。薄くて軽い、 安定した時間精度、容易な操作性、手頃な価格帯、というごく普通の人が使うどちらかといえば高齢者市場である。それは決して侮れない大きなマーケットだと思う。定年は撤廃されつつあり高齢労働者は日々生まれているのだから。
 大衆とともに歩んできたセイコーが、ワンランク上の世界へ重点を移す時、 その得るものと失うものとどちらが大きいのか 興味深いテーマではある。
 感傷で言うわけではないが、お客さんが電池交換に持ち込んでくる「ラザール」「ニナリッチ」「ジュン・アシダ」の商品を見ながら、薄く軽く洗練されたデザインの時計生命力を今尚感じるとともにその流れを引き継いだ商品がし ばらく市場に出てこないことを残念に思う。 貧骨    cosmoloop.22k@nifty.com
■小売の十字路 177 ■2021年3月30日 火曜日 14時56分34秒

キャッシュレス、ペーパーレスの時代風景

 怒涛の如くというかキャッシュレス、 ペーパーレスの生活様式がどんどん進んでいる。「おさいふ携帯」などはもう当たり前すぎて死語になりつつある。従来のクレジットカードに電子マネー、ペイペイ、付加ポイントなどが混在し、それぞれの発行元がサービスを競うから、ますますキャッシュレスは浸透していく。
現金支払いは一番効率が悪いのである。JRの改札を見ていると切符を買っている人がいるだろうかと思われるほどカードタッチで人は流れていく。
 ペーパーレスもそうだ。お互いのやり取りが電子メールで処理されるだけではなく、WEB上にアクセスして事を済まそうとする流れが加速している。昨年の持続化給付金の申請もそうだが、企業の事務連絡も文書やFAXから切り替わっている。部品の在庫確認や発注も メール処理である。加えてQRコードの普及が進んでいる。スーパーで景品が当たる応募券をもらったら、QRコードの読み取りから応募してくれと書かれている。
シチズンが時計の取取り扱い説明書を冊子からQRコードに変えたのもペーパーレスの一環であり、みずほ銀行が一部の人の預金通帳をデジタル通帳に変換しようとしているのも同様のことである。 生活の細かいところに「レス、レス」が浸透し始めている。
 「レス、レス」生活は便利で快適かというと、スマホを含めデジタル機器を使いこなせる人たちにとってはそうであっても、全体を見てみればむしろ戸惑い、ストスを感じている人たちの方が多いのではないか。スマホは確かに高齢者にも普及したが、持っているということと使いこなせることは別物である。行列の流れの中で処理を誤ると、無言のプレッシャーが背中にぐっとかかってくる。焦るとさらに悪く転んで何が何だか分からなくなる。ログインIDにパスワード、失念するとWEBは開かずお手上げ状態になる。間違えないようにとパスワードを使いまわせば盗用のリスクが発生する。
 「デジタル強者」と「デジタル弱者」の格差は拡大している。が怒涛の如くと書いたように格差など一顧もせずどんどんと「レス、レス」は拡大している。追 いつくことができない人間は、いわば切り捨てられる様相である。誰もが叫んでいる「世界よ、しばらく止まれ」。
このペーパーレス、キャッシュレスをつなぐものは何か、「レス、レス」の根底には何があるか。「スピード」である。ビジネス、生活の効率や便利さではない。 それは派生的なものだ。一瞬のうちに情報が例えば日本からロシアの片田舎に、アマゾンの奥地に、アフリカの砂漠に届いてしまう超高速情報社会が生み出した必然の速さである。誰もがこの速 さに歩調を合わせていくことを容赦なく強いられている。だから「レス、レス」は必然なのだ。「のんびり行こう」などという「情緒性」は個人にはともかくとして企業に関する限り怠慢以外の何物でもない。経営の中に「速度」を組み入れることが生き残りの必須条件なのだ。
 意思決定の速さであったり、資金調 達、商品仕入れの速さであったり、商品回転率の速さであったり、具体的には部署部署によって違うにせよ、会社の隅々まで速度が意識されていなければ、この大きな渦の中で停滞と衰退に見舞われることは自明の理である。
 われらの業界はどうか。ジュエリー業界は十年一日のごとく変化に乏しく、時計業界も新製品こそ月々発売されているものの、迫ってくるような速度感はない。メーカー寡占の中であぐらをかいているのではないかと腹立たしいこともある。「レス、レス」のもつ意味 に無関心なのか、それともその解釈を間違えているのか。いずれにせよ時代の速度に追随できなければ成長は見込めないのである。貧骨                   cosmoloop.22k@nifty.com

■小売の十字路 176 ■2021年3月1日 月曜日 17時10分57秒

デヴィ夫人のコート事件

 デヴィ夫人がホテルのフロントに高価なコートを預けたところそのコートの一部が破れていたという話題があっ た。もともと破れていたというホテル側の主張とホテル側の粗略な扱いでコートが破れたという夫人の主張は平行線で結局裁判沙汰になったが、ホテルの カメラ映像が証拠になって、ホテル側の実質勝訴というかたちで事件は落着した。
現実には双方で和解が成立した形になっている。夫人の面目を考えて和解という形式にしたのかそれともホテル側にもいささかの落ち度があると認定されてそうなったのかは不明だが、預かる時の確認注意が万全でなかったということが割り引かれたのかもしれない。夫人は自分の言い分をテレビで広言していて怒り心頭だったが、 ホテルの側は客商売の手前もあり黒白が付くまでは忍の一字の心境だったことは想像がつく。
 この話は決して他人事ではない。時計やジュエリーの小売店では修理品を預かることはごく当たり前の仕事である。高価な品物を扱うこともあるから修理品の受け渡しには神経を使う。とりわけ預かる時点での品物の観察確認は要の一線で預かってからの問答は客に不信感を生むだけである。デヴィ夫人の件もホテル側がすぐに気が付いて説明に行ったが話がこじれた。 確認ミスとコートが破けていたという事実関係は別のことだ。が、その通りに理解されることは少ない。どうしても客側が冷静さを欠きがちなのである。
 そればかりではない。預かる、預けるという両者の関係性の中には実は微妙な問題が潜んでいる。預ける側がその品物について特別高価なもの、他に類を見ないほどの貴重なものだと思っている場合、預かる側がその客の前で一般的な商品と同様な取り扱いをするとそこにわずかだが不信感が生まれる。「大丈夫かな、この店に預けて」という心理といえばいいかもしれない。はっきりと意識されるわけではないが自分にとって大切なものを大切なものとして扱ってくれるかどうかの疑問符である。すると受け取る時にいささかでも品 物に瑕疵があると「やっぱり」という話になる。想像だが夫人がホテルの若い女性スタツフに預けた時も似たような心理が夫人によぎったかもしれない。
「4千万円もする貴重なロシアンゴールデンセーブルの毛皮であることを理解しているか、客のコートというだけではないこの価値を」。
 その帰結として若い女性スタツフがコートを踏みつけて破けてしまったというストーリーが夫人の中で出来上がってしまう。表面には出ない心理の流れだがありうることだろう。話がこじれた遠因はそこにあるように思える。
 話の筋がすこしずれるが客の中に高価な時計を持ってきて電池交換をしてくれ、修理をしてくれという人がいる。「いやこういう類のものはとても当店では扱いきれませんから、百貨店にお持ちください」と丁重に断るといかにも満足そうに帰る客がいる。そういうプライドをもった人もいるのである。
 注意に注意を重ねてもそれでも理不尽ともいうべき事案はある。ごくシンプルな真珠のネックレスの糸替えを引き渡す時に金具の形状も間違いないのに「これはどうも自分のものとは違う」といわれたことがあった。腕時計の竜頭の色も形も預けた時と違うという客もいた。店側が品物を見極める限界というものはあると常々思っている。預けに来た客の見定めということは嫌な感じがあるが頭の隅に置いておかねばならない。
 デヴィ夫人の事件を書いてなにごとか教訓めいた話をしたいわけではない。また夫人を非難するつもりでもない。誰でも間違えるものなのだが、日々預かりものに神経を使っている「小売店のため息」というべき感想を伝えてみたかったのである。               貧骨    cosmoloop.22k@nifty.com」
■小売の十字路 176 ■2021年1月30日 土曜日 14時1分43秒

人を使うというのは大変な事だ

 人を使うというのは、自分の意図を理解し、自分の分身のごとく動いてもらうことだが、これはなかなか簡単にはいかない。細かい指図をしなくとも、だいたいのことが回っていくには、それなりの時間とエネルギーが使う側に求められるのである。
日々怒鳴り散らしたり、威圧的に注意しても人はかえって委縮して、言われたことだけを最低限こなす受け身そのものになってしまって、それはそれで困るのである。とりわけ小売りの接客を主足る仕事とする場合、気持ちが入っていなければ顔つきからして沈むのである。ではとソフトタッチでスタッフ に接すれば、今度は組みやすしということで、伝えるべきことの半分くらいしか実現しないし、詰めが甘くなる。その甘さが致命的なミスに発展しかねない。
人によって硬軟使い分けると不公平や依怙贔屓の批判に直面することになる。スタッフとの距離の取り方は微妙で、年季のいる仕事である。
 上下関係以上に厄介なのがスタッフ同士の関係である。そこを常に管理監視しておかないと仕事は円滑に進まない。労働観の違いというものはある程度許容範囲ではあるが、そ れでも仕事に意欲的な人と並みの人とでは、お互いに不満を抱くことがありがちだ。
例えば体調不良や家庭の事情でパートさんが欠勤する場合、 一方でそれでも自分はやりくりしながら出勤してきたと考える人がいると、それだけで波風が立つ。使う側が欠勤を 認めることにしても、安易に流れると職場の在り方まで問われることになる。 個々の人はみな常識的でいい人であっても、それだけでうまくいくことはまれである。
スタッフ相互の労働観、労働規律の足並みがそろって初めて売り場に芯が入る。またそのように持っていくのが使う側の仕事でもある。
それでも日々人間関係は揺れ動くから多少の綾は生じる。ジュエリーや時計というのは販売ばかりではなく修理品の扱いもある。場合によっては高価なものも預かることがある。スタッフの間の意思疎通が円滑であれば預かるべきかどうかの相談もできるが、そうでないと一人の判断で思わぬリスクを抱え込むことが生じやすい。相互に最低限の対話しか成立しないような人間関係では仕事にならない。不満や不公平に見える(実際は違うにしても)状況をそのままに放置しておくと、売り場から活気が失われていく。現場の責任者にとってスタッフの管理はいかなる場合にも手を抜けない最優先ともいうべき仕事である。  また「意識改革」というのもなかなかの難題である。ベテランのスタッフは経験値も高く阿吽の呼吸でこちらの意図を理解してくれる頼もしい戦力ではあるが、その積み上げられた経験が時代の変化の中では桎梏になることがある。従来のやり方に慣れている分仕事の変化には抵抗感が強い。不満が鬱積するのである。そしてその不満と付き合い抵抗を押し切っていくのが意識改革という仕事であるが、ベテランの処遇はプライドも絡んで一筋縄ではいかないのが普通である。
勤務シフトの作り方、残業の有無、 社員とパートの仕事の線引き、本当にいろいろある。全くもって使う側にとって売り場は人間関係の戦場である。こちら側の意図が通る売り場を作っていくには命令や指示だけで事足れりとはいかない。日々生まれてくる外目には些 細に見える人間的事案をひたすら処理しながら走り続けるのが小売の現実である。大きな会社なら人事異動という形で解決できるものが、単独店舗ではその中で解決を図るしかない。
パワハラ、セクハラと働く側からの問題は提起されるが、スタッフを管理し監視し不平不満が極力少ない気持ちのいい職場、売り場にする使う側の労力というものも考えられてしかるべきものである。            貧骨    cosmoloop.22k@nifty.com
■■ 小売りの十字路 175 ■2021年1月1日 金曜日 7時32分22秒

社長の不在

新年あけましておめでとうございます。めでたさも中ぐらいな春です。コロナウィルスの跳梁跋扈が続いています。世界は苦悶しています。
急げヤマトよイスカンダルへコロナ滅のワクチンを誰もが待っています。ワクチンが届けば世界は活気を取り戻し、奮闘努力の甲斐もなく今日も涙の小売店にも希望の灯がともるでしょう。
愛は地球を救います。金はすべてを解決します。金運の神様がわれらの業界に格段の恵みを施されることを祈っております。
2021年トンネルを抜けるとそこはビッグチャンス満載のパラダイスであった。初夢が正夢になることを心より願って、今年もよろしくお願い申し上げます。              零細な小売店では現場の責任者が社長を兼ねている場合が多い。
「店主」と名乗るのはどちらにでも解釈できる便利な肩書だからである。とはいっても実際は店長の現場仕事のほうが圧倒的に多くてほとんどそのことにかかりっきりになってしまう。時計と宝石の兼業店なら尚更のことで電池交換から軽修理、仕入れ、商品管理、顧客管理、店内演出、セール企画、クレーム処理、等々仕事はいくらでもあり、また処理しなければ仕事はどんどん山積みになる。スタッフに任せるにしてもその管理監視の仕事が発生する。  
だから社長とはいってもせいぜい資金繰りに神経を使う程度で済ましてしまう。いや小さな店では他に社長のどんな仕事があるんだと思うかもしれない。 貸借対照表を読めようが損益計算書を読めようが、あるいは黒字なのか赤字なのかということはさほどのことではない。
店主の報酬を勘案すればどうにでもなる。それより明日の金のほうが心配なのが零細な会社なのである。割合からすれば社長1に現場店長9である。いや社長などいなくとも現場は回る。  
現実はその通りなのだが、それで十 分かというとそこは違う。社長業は絶対に大事な仕事なのである。ただ社長業の場合日々現場のようにこなさなくてはならない仕事が次から次とは生じないから一人二役だと現場中心になる。これは必然である。店は息子に任せて自 分は社長に収まっている人はやることはさほどないから、商店街の役員を務めたり、商工会議所の顔役になったり、 業界組合にクビを突っ込んで偉くなったかのように錯覚する。社長業をおろそかにして組合活動に深入りをした挙句平成不況に飲み込まれてしまった事例をいくつか知っているがそれは社長とは何をすべきかの問題意識が全くと言っていいほど希薄であるからに他ならない。社長、社長と呼ばれていい気になって生産性ゼロに近いのに給料がっぽり取って会社の不良人材になり果てた人はあちこちにいくらでもいる。  では社長は何をすべきなのか−−、端的に言えば世の中の環境変化に目を凝らし自店の維持発展のために節目節目で大きな判断をすることに尽きる。なんだ、教科書に出てくるような無味乾燥な提言じゃねえかと思うかもしれないが、実際にできる人は少ない。  
平成は小売業に大きな変化が訪れた。大店法の改正、SCの大量出店、年中無休営業の広がり、等々どれをとっても零細商店には対応が難しい逆風の変化である。
でどうするか、現状の自店は対処できるか、競争力は維持できるか、その予測判断は難しい。今は順調だがこの今こそ閉店の好機か この期に及んでの状況分析と進むべき進路への判断これこそが社長業の神髄なのだ。店の運営には些細に見えて将来に禍根を残すがごとき小さな岐路にぶつかる時がある。今までは無借金だった、がなかなかそうもいかなくなった100万借り入れた。あるいは年中無休の営業体制に移行せざるを得なくなった。家 族でやっていけるか。 経営の質的転換の時期にこそ社長の見通しと判断が重要なのである。
■小売りの十字路 174 ■2020年12月1日 火曜日 9時24分22秒

ジュエリー業界雑感

コロナ禍の業界

 大手ジュエリーチェーンの第2四半期累計の決算が出たので調べてみた。
 エスポワールは同様に売上103億800万で昨年同期比26.9%の減収、経常利益も前年8億5200万が▲3億4600万の赤字に転落した。
 3社とも売上の減少が顕著だが、それでもこの程度に収まっていると見たほうがいいかもしれない。実際第2四半期(7.1~9.30)だけをみれば大きく落ち込んではいない。たとえば、ツ ツミの場合売上の昨年比は107%である。4月からの店舗休業の反動増や10万円一律給付の影響もあろうが、3社とも売上は戻しつつある。ただ利益は厳しいものがあるので経営的観点からは今後の見通しは不透明だろう。
 矢野経済研究所は2020年の国内宝飾市場を前年比25.7%減の7320億円と予測。 リーマンショックを超える落ち込みだが、通販チャンネルは年々目立っているとしている。  
大手の数字だけを見ているとさほどの悲観には傾かない。が、現場での感覚、問屋との話、御徒町での情報などなど肌で耳で感じ取る景況感はまた別のものがある。来店客数は間違いなく落ち込んでいるので仮に売り上が立っ たとしても明日は売上ゼロかもしれないという不安感が膨れ上がる。資金繰りも日々厳しさを増して、焦燥感に苛まれる。月で締めてみると昨年対比で極端なことはなかったとしても、本当に一 日一日が貴重で長く重たいのである。
 コロナ禍の中のジュエリー業界というのは俯瞰的に見れば昨年比25%減程度で推移しているようだが、実際に現場に立つと何か手ごたえというものが感じにくい停滞感だけが際立つのである。セールを仕掛ける、反応が薄 い、ではもっと大規模に仕掛ける、それが正解なのか、アナグマのようにじっとしてじり貧に耐えるのが正解なのか、株高が象徴するようにもう夜明けは見えているのか、それとも株高が期待感先行の誤作動なのか。
 私にはさっぱりわからない。この「わからなさ」がたぶんコロナ禍という渦の中でのジ
ュエリー商売なのだろう。           貧骨   cosmoloop.22k@nifty.com

2020/4.1~9.30    売上高    経常利益
ジュエリーツツミ 8056百万円  ▲186百万円
昨年同月期比   87.6%     昨年よりマイナス646百万円

ベリテ      3022百万円  306百万円
昨年同月期比   77.8%     昨年よりプラス12百万円
                             
■■ 小売の十字路 173 ■2020年10月31日 土曜日 14時33分57秒

ジュエリー業界の現在

「ジュエリーツツミ」の企業考察

 コロナ禍というかく乱要素を別にしても、ジュエリー業界は低迷が長い。右肩下がりの状態が続いているのだが、それがどの程度のものなのかはよくわからない。自店の売上や問屋筋の話などを根拠に判断しているのだが、小さな世界の情報で全体を見るというのは危うい事である。
もしかしたらジュエリーの市場規模は拡大していてただ中小零細の小売店のみが落ち込んでいるかもしれな い。
実際、竃野経済研究所は2019年の宝飾品小売市場規模を前年比3%プラスの9851億円としている。 ジュエリーチェーン店としてトップクラスの「ジュエリーツツミ」(以下ツツミ) を考察することは、当業界を客観的な数字の角度から見るという意味で有益で あろう。
 一年位前に近くのツツミが閉店したので、ツツミも経営は青息吐息で創業者も商社あたりに資金の融通を頼んで小さくなっているだろうと想像していた が、これはもう全くの見当はずれであった。ツツミは企業としては超が付くほど安定した優良企業である。
 有利子負債はほとんどゼロ、利益剰余金が465億、自己資本率98.0%とは恐れ入る。しかも、創業者である堤征二氏が48.4%、ほかすべてツツミ関係で株を所有している。投資ファンドを含め他の資本がつけいるスキがない会社である。 
2020年3月期の決算を見てみると 売上高187億、経常利益8億3千万である。うち卸部門が10%を占めているので小売りの売上168億となる。ネットによる売上がどの程度かは記述がないので不明だが仮20%を占めていると仮定して差し引きすると実店舗の売上は134億となる。店舗数は159(年度末)だから一店舗当たり平均年商8400万月販700万となる。この700 万(推定)をどう見るかだが、例えばジュエリーベリテにしても決算書から同じように割り出してみると似たような数字になる。現状このあたりの額が店舗売上のおおよその基準なのであろう。
 ここで指摘しておきたいのは店頭でもこの程度は売れるという事実である。まして利益もきちんと計上している。 売上原価が97億7千万(総売上187億に対して)粗利益率約48%だから無理な安売り商売ではない。
 ツツミの売上には、それなりの意味がある。たとえば700万の月商を100万の商品を7点売り上げて達成することも上得意を主たる顧客にすれば可能であるが、ツツミはそうではない。低単価の積み重ねで売っているのである。 そうでなければ、あれほどの商品在庫を展開している意味がない。もう一つ、ジュエリーはお客にどうすれば売り込むことができるかという視点から語られがちで、そこでイベント仕掛け、展示会という流れになるのだが、ツツミ流の店頭販売でジュエリーが売れるのである。表現を変えれば、そういうマーケットがあるということだ。委託が、展示会が、イベントが、というこの業界の販売慣習とは別次元の世界があるということをツツミの数字が示している。言ってみればごく常識的な商売が成立しているということでもある。
 ツツミの経営数字と商売方法を頭に入れながら、ジュエリー業界の景況感を考えてみると悲観一色ではないことが分かる。ジュエリー業界は呉服業を含め異業種の参入もあり、なかなか全体を把握することが難しい。ツツミの年商187億円にしても市場規模約98 00億からすれば1、9%のシェアにすぎないから、ツツミを考察するだけでは業界全体を論ずることはできないが、参考資料にはなろう。
 ジュエリー業界は、底なしの深刻と前に書いたが、様々な角度から細かい数字を集めてみないと「群盲像をなでる」の愚を冒しかねないといささか反省している。               貧骨    cosmoloop.22k@nifty.com
■■ 小売りの十字路 172 ■2020年10月1日 木曜日 16時48分23秒

電池交換の風景と時計店のこれから

 少し前に比べると腕時計の電池交換という作業は現在かなり面倒なものになっている。少し前というのはセイコーもシチズンも電池式のクォーツ (ソーラー式ではない)時計を製造していた頃のことである。当時は持ち込まれる商品が型にはまっていてパートさんでもいくらか経験を積めばできたのである。オメガやロンジンのようなスイスの時計も持ち込まれたが数量は少なくまた容易に判別が可能であった。
 今はもう実に多種多様である。スーパーブランドもあればブランドとして売り出しているが作りから見て低価格帯のように見えるものもある。また主にネットで販売しているようだが 、代理店がはっきりしないものもある。あるいは雑貨店で扱っているような安物商品もある。と思えばびっくりするほど高価なレアブランドもある。なかには30年も40年も以前のセイコーやシチズンの時計を持ち込んでくる人もいる。
 だから技術以前に電池交換を手掛けていいかどうかの判別が今は実に難しいのである。加えて名の通った海外ブランド、高級国産品の一部はパーツを供給しないから、些細なことでも話が大事になる。たとえばブルガリの「ブルガリブルガリ」、「ディアゴノ」、「ソロ テンポ」はよく持ち込まれるが、電池交換自体はさほど難しくはない。が、いざ裏ブタを閉めようとすると裏ブタパッキ ンの経年劣化のために裏ブタが納まらないことがある(経験されている時計店は多いのではないか)。代替品でハマればいいがそうでないとブルガリへ送ることになり、では内部点検とワンセットで受け付けますなどと言われかねない。時間ロスと修理代持ち出しで割の合わないことになってしまう。これは一 例だが、電池交換にはかなりのリスクが潜み、尚且つそのリスクはどんどんと大きくなっているのが現実である。
 電池交換はその場で簡単にできるものと思い込んでいる客は多い。確かにその通りなのだが、慎重にならざるを得ない状況が生じているのである。「以前はすぐやってもらえた」「ほかの店ではそんなことはなかった」などと押されて、つい手掛けたもののスムーズに行かなくてクレームになってしまうことがありうる時代なのである。それはまたその時計自体にとっても決していいことではない。消費者本位よりも時計本位に考えたほうが無難だし、信用も得られるはずである。  
「電池交換」を取り上げたが、上述のことは時計修理全般に当てはまることで、持ち込まれた時計修理の捌き方がなかなか難しくなっているのである。捌き方というのは、受けるか断るか、受けるなら自店でやるのかメーカー修理にするのか、外部委託がベターかどうか 時計自体の見極めを含めて正確な判断が要求されているということである。
同時にお客に対するそれ相応の説明能力が求められているのである。これは時計内部のメカニズムへの理解と業界の傾向と積み重ねられた経験があってこそ成しうる仕事である。必ずしも技術的に優れている必要はない。技術に自信があればこそ不用意に手掛けて手に 負えなくなるリスクが格段に増しているのである。これからの時計店はかならずしも技術の習得が必要条件ではない。一言でいえば「時計修理コンサルテイングというべき仕事が求められているのではあるまいか。
 町の時計店が 少なくなり、 SCの時計店は 経験の浅い若い人たちが対応している現在、 生き残った時計店は時計修理に活路を見出せそうに見える。が、それはそれで情報収 集と研鑽に励まなければ淘汰されてしまうことも事実である。
 「練習は裏切らない」というが「勉強も裏切らない」。モノを売ることと同時にメンテナンスを掘り下げていけば小さな時計店にも希望は灯るのである。
 SNSによる情報拡散はあなたの店先に行列を作ることを可能にしているのである。              貧骨     cosmoloop.22k@nifty.com
■小売りの十字路 171 ■2020年9月1日 火曜日 15時38分29秒

路傍の警鐘

セブン&アイ、25.8%と3.2% 米国コンビニ買収の 危なすぎる賭け

 セブン&アイHLDGS(以下セブン)が米国店舗数3位のコンビニ、スピードウェイを約2兆2千億円で買収することの報に周辺の論評は概ね好意的である。日本国内のコンビニ業界の将来的な成長に限界が見えている一方、 米国はまだまだその成長余地は大きい。尚且つ、この買収を踏み台にグローバルリテイリングを目指すとセブンは説明している。誰にでも分かりやすく通りの良いこの戦略的構図に読み抜けはないのか。全員賛成は大概ダメである。 数字に語ってもらうことにする。
 表は2018年度のセブンのセグメント別の決算の一部である。 セブンの総売上6兆7千億円、営業利益4千百億円。国内コンビニの売上は9千5百億円にとどまっているから全体の売上の14%を占めるに過ぎない。 が営業利益全体の6割を稼ぎ出している。その売上高利益率は25.8%にも達している。海外コンビニは売上だけで2兆8千億もあるが利益は9百億強、売上高利益率は3.2%にすぎない。25.8%と3.2%。なぜこれほどの差異が生じるのか。物流を含めた運営システムの経費の違いか、本部と現場オーナーの利益配分比率の違いか、意地悪な見方をすれば国内店舗オーナーからのみ過剰に利益を搾り取っているともいえる。その収益性の低い米国コン ビニに2兆2千億を投資すること自体大いなるリスクである。2019年1 2月度スピードウェイの営業利益は11億ドル(1160億 円)総売上が268億ドル(2兆8300億 円)売上高営業率4.1%、米国の税制は分からないが税別利益をほぼ半分の 600億円とすると、単純計算では買収金額を回収するのに36年かかることになる。コロナ禍を別にしても5年先も読めない時代に国内コンビニに利益の半分以上を依存しているセブンの利益構造を考えれば、この買収がいかにも危うい ことは誰の目にも明らかである。  数字を離れて別の角度から見てみ る。セブンの経営の真骨頂は「堅実経 営」にある。伊藤雅俊も鈴木敏文もそこ は変わらない。減益となれば出店を抑 制してでも業務改革を徹底したイトー ヨーカドー、ドミナント方式の出店戦略 で物流効率を追求したセブンイレブン、 共に世間に見栄えのいい店舗数や売 上高を誇ることなく、地道に利益重視の 経営姿勢を貫いてきた。今回の買収劇 はこの社風ともいうべき利益重視の DNAに反する決断ではあるとともに、今 まで資金繰りの重圧とは無縁に近い役 員たちが、トータルで約3兆円強の負債 を担いながら経営判断をするという状 況が生まれたということだ。井坂社長自 ら当面の資金繰りの厳しさに言及して いる。仮に想定外の追加投資が生じた とき、正確なジャッジは可能だろうか。  セブン首脳部はスピードウェイの資 産の圧縮で実質的買収額は1兆2千億 円程度と説明しているが、他人の会社 など入り込んで隅から隅まで調べ抜かなければ何が出てくるか分かったものではない。机上の楽観を広報する姿勢そのものに「堅実経営」とは一線を画す危うさをみることができる。
 この買収劇は今年2月の蒸し返しである。その時は買収金額2兆3千億に折り合いがつかなかったとのことだが、結局2兆2千億で交渉成立したということはセブンのほうがよほどこの話をまとめたかったのだろう。「千載一遇のチャンス」 とは井坂社長のコメントである。がそののめりこみ方に視野狭窄の落とし穴はありうる。もしもだが、鈴木前会長なら1兆 円でも買わなかったようにおもえるが。
 少し前になるがウォールマートの日本進出が報じられたとき、イオンはじめ多くのスーパー関係者がその影響力に強い不安感を表明したことがあった。 その際セブンの鈴木氏が「小売業というのは極めてドメスティックなものだから、世界的な大資本が進出したからといって成功するとは限らない」と述べて泰然としていたが、その見通しは見事に的中した。そのセブンが海外へ進出し、グローバルリテイリングを目指すというのだから、「小売り哲学」は真逆である。鈴木氏の後継者であるはずの井坂社長にどのような変心があったのか不明だが、違和感が残る。
 セブン、乾坤一擲の大勝負である。それにしては見通しの甘さが目立つ。たぶんセブンの危機は早々にやってくるに違いない。伊藤雅俊と鈴木敏文、この創業者たちが目の黒いうちに「見たくないもの」を見る羽目にならないことを祈るばかりである。              貧骨     cosmoloop.22k@nifty.com
■小売の十字路 170 ■2020年8月3日 月曜日 17時45分54秒

暑中お見舞い申し上げます。

コロナ禍売り上げ推移の記録といささかの雑感
 

 コロナ禍は歴史的出来事である。零細な私の店の売上高の推移を記録しておくことも無駄にはならないであろう。前年同月対比の数字を挙げておく。
 1~3月の低迷は消費税10%の影響と考えられる。4月は8日から緊急事態宣言で5日間店休、その後再開したが客足は伸びず一人で回せる程度の閑散状態であった。
当初の宣言終了予定の5月6日までは状態は変わらず。延長期間の5月7日から徐々に売り上げが戻り始めたが数字が示すように5月は前年の半分程度であった。
6月も前年比で7割程度まで戻しているが時計関連は回復が速い。5月のウォッチの売り上げは分母が小さいとはいえ数量を伴う伸びであったため、たぶん自粛期間の反動だと思われるが、それでも6月も順調である。
7月もウォッチは同様に売上数量とも回復している。現場の感覚でいうと10 円給付金との関連を感じさせる。逆にジュ エリーは苦戦したままである。ジュエリーの売り上げ全 体に占める構成比がおおよそ50%前後なので経営的には苦しいが、当店のような兼業店は耐久力があると思える。
もしもジュエリー専門店であれ ば、廃業も視野に入れざるを得ない数値である。と同時に一言付け加えておくとジュエリーの仕入れ展示会が軒並み中止になって困っている。型通りのものではない目新しい商品を目の当たりにできないのである。
ジュエリーの低迷はしばらく続きそうだが何事も物は考えようで、例えばアパレルなどは商品が季節性のために不良在庫化と新規仕入れの資金調達に腐心せざるを得ないが、時計もジュエ リーも我慢していればそのまま商品を販売できるのだからこの業界は楽とい えば楽である。10万円給付は3兆円市場とも報じられている。魚影はある。ガンバレ小売店、悲観の隣に小さな楽観も座っている。               貧骨    cosmoloop.22k@nifty.com
■■ 小売りの十字路 169 ■2020年6月30日 火曜日 15時53分17秒

変化力という物差しで考えてみる

ガンバレ小売店

 仲間内で一杯飲みながら、あるいは取引先との会話の中でも「世の中変わったよね、なかなか合わせていくのが大変」なんてことを愚痴ることがある。今のコロナ騒動とは限らず消費税が10%に上がったときも、ペイペイのような新規の電子決済が登場した時も、そんな話題で話が弾む。
社会人の挨拶のようなものだが、小売りのプロであるならば勿論その位置で感心していては失格である。世の中が変わるということは小売りの立場ではどのように消費者の意識、生活、行動が変わるか、あるいはこれから変 わっていくかということであり、そのことに常に着目していなければならない。さらに着目して話題にしているだけではだめで、その変化に合わせて自店が変わっていかなければならない。しかし、話題のレベルから行動のレベルには個店というものはなかなか変われないから、すると消費者のトータルの志向、嗜好とずれてくる。ずれてくるけれども、世の中の変化にさほど左右されない顧客層というものはある定程度いるので、その客層を相手に商売をしている限り、経営は何とかやりくりができるのである。
電子マネーもペイペイも関心が薄い客層は新しく増えるわけではないから経営は年々厳しくなっていくにしてもである。これをじり貧という。されどじり貧に耐えるにも限度があるわけで、そこで硬直化した頭でひねり出すのが、スタッフ への過剰なノルマだったり、顧客への強引な売込みだったりするわけで、長い目で見ればじり貧が加速するばかり なのである。
誰かが小売りとは変化業だと言ったが、まさにその通りで日々変化し続ける消費者の行動様式にぴたりと追随していくのが小売業なのである。だから個店の変化力というのが問われるのである。
川の流れに沿って動いて行けばさほど苦労せずとも自然と利益も売り上げも伸びていくが、川をさかのぼろうとすると努力の割には得るものが少ないのである。
変化力を司るのはもちろん店主、経営者の柔らかな思考力にある。回転率がさほど高いわけではないわれらが業界(時計、ジュエリー)では、十年一日のごときの商売スタイルでも顧客とのズ レは見た目大きく現れないので変化力という物差しなど関心のない店主も多 いだろうが、年々売り上げが減少して いくこと自体変化力が乏しいことの証左なのである。
変化するということはまずは日々の当たり前の事柄を疑ってみることでもある。「すべてを疑え」デカルトおじさんの声が響く。品ぞろえ、価格帯のモノ関連、接客、サービス、販促、演出のソフト関連、何でもいい、消費者が言葉には出さないが求めているものを探し当てるためには常に常に自店のすべてを疑ってかかることである。そこから変化が始まる。いやデカルトはいう「すべて」です。ジュエリー店も時計店も○○店という囲い方自体がもう古いかもしれ ない。業態革命。コンビニが登場した時、「業態が問われたように。  変化力この物差しで改めて自店を見てみると、旧態依然としてマンネリそのものの部分が見えてくる。そこだ、そこを変えよう。ガンバレ小売店。              
貧骨 cosmoloop.22k@nifty.com

■■ 小売りの十字路 168 ■2020年6月2日 火曜日 14時50分39秒

「あの時」の無極めが盛衰を分けた

頑張れ小売店

 不愛想で気難しい、客あしらいは下手お世辞も苦手、口数少なく黙々と仕事に打ち込む、巧拙はあっても仕事へのこだわりは強くプライドも高い。職人気質の通り相場の形容だがこういう人たちが戦後しばらくの間時計屋を開いていたのである。モノ不足の時代は皆モノを大切に扱ったから、時計の修理だけで十分食べてゆけた。今では想像しがたいが、目覚まし時計も自店で修
理していたのである。なにしろ機械式の時計は精度に難があるから、また品物自体もけっして優良品ばかりではなかったからこそ経験と技が要求されたのである。
 商売の上で時計を販売することは二義的といっても過言ではなかった。
 この秩序を砕いたのがS E I KOのクォーツ式腕時計の出現である。時間精度が安定し、分解組み立ても機械時計に比べれば容易なシステムであったから職人技は不要になったのである。
時計屋の看板はそのままでも求められるものが革命とでもいうべき変化であつた。時計を修理して使用できるように戻す技術から時計自体を販売する技術への転換である。この変化に翻弄さ
れて多くの時計店が淘汰された。それでもクォーツ式の新規需要がある間はそれなりにどの店も潤ったのであるが、買い替え需要の流れになると店先に商品を並べるだけでは売り上げは伸びな
い。時計を修理調整するのも技術なら販売するのも技術である。
 店舗立地の選択、品ぞろえ、演出、販売促進、集客、接客、顧客管理、アフターサービス、諸々の事柄の総合力こそが販売であってみれば、一朝一夕に身につくものではない。量販店の値引
き攻勢に苦戦を強いられたのは、大資本と零細資本の差ということだけでなく、販売技術の稚拙さが根底にあったと言わざるを得ない。がこの販売技術こそが時計店の今後の流れになるとい
ち早く気づいた人たちもいたのである。またそういう時計店は曲がりなりにも生き残ってきたのである。職人から商人へ。腰を低くして笑顔を作りお愛想を言い、お客様のお帰りには深々と頭
を下げてお見送りをする。その姿勢が商人の第一歩である。
 時代の節目、技術革新の節目にぶつかったとき、従来の秩序のなかの既成の勢力は淘汰され、新興勢力が新しい秩序を作っていくことは自然のことではあるが、その節目の意義と将来を渦中
の中で当事者として見抜くことは至難のことである。
 コロナ禍の渦の中に我々はいる。100年に一度の危機だという。新しい生活様式という変化の節目をどう見るか、この変化は我々小売業に何をもたらし、我々はどう対処するのか。
 外出自粛、密の回避、テレワークの拡大、今まで通りの商売が持続できるのか、見直さねばならないものは何か、確かにクォーツの出現のごとき技術革新の衝撃ではないが、従来の7割程度の経済が定着すれば、時計宝飾の業界では旦那と奥さんだけの路面店が案外復活するかもしれない。

■■ 小売りの十字路 167 ■2020年5月7日 木曜日 13時28分38秒

「疾風に勁草を知る」

頑張れ小売店

 コラムというものは希望を書くものだが、今はただ重苦しい空気に圧し潰されそうである。
 暗中模索、五里霧中というものではない。コロナ禍とそれに伴う行政の外出自粛の圧力の高まりは結局小売業ほとんど全部に一時的であれ「死」を告げているのである。「千客万来」が商売繁栄の基礎であるとしたら、その全否定が今の世の中の声である。これではただひたすら耐えるしかない。耐えてなお命があるか、うずくまるように生き倒れるかそれは誰にも分らない。一か月程度ならともかく二か月三か月となるともう死屍累々というありさまではなかろうか。
 耐える哲学があるとしたら「いずれ潮目は変わる」ということになる。4月下旬欧米ではコロナ感染者数のピークを超えつつあり、経済を少しずつでも動かそうとしている。日本ではまだそこまでは事態は収まっていないが、これからは新型コロナウィルスの蔓延の中でそれに慣れることで経済活動が再開されるのだろう。コロナ後の世界は劇的に変化するかもしれないがそれは安全なワクチンができた後のことで、当面は自粛のいささかの緩和の中での商売ということになるだろう。が人が動き出せばウィルスの感染も再び広がるであろう。それではもう元には戻れない。
 この際廃業閉店を考えている経営者も少なくないと思うが、それも現実的な方策のひとつであろう。家賃を払い人を雇い借金をして商売に熱心な人たちが苦境に陥り、年金暮らしで細々と経費をかけずに運営している零細な小売店が凌いでゆけるのはなんとも皮肉な話ではある。
 今更ネットに参入したところで、満員電車に乗り込もうとするようなもので商機が見いだせるとは思えない。百年に一度の危機ならばそれなりの覚悟をもって取り組まなければ、すぐに行き
詰ってしまう。普通の不景気克服の成功体験を捨て、戦線を縮小し削れる経費は削り経営者自ら人の二倍三倍働いてそれで帳尻が合うかどうか、運が良ければ生き残れるであろう。
 国民に一律10万円が給付されるという話があるが、高齢者のお客さんから貰ったら何か買いに来るよと言われた。年金暮らしの人にとってはちょっとしたボーナスだから、時計やジュエリーの売り上げに貢献するかもしれない。気晴らしのない自粛生活では案外ジュエリーのD M セールも効果的かもしれない。商売が何よりも好きな人にとっては悲観よりも楽観が勝っているに違いない。「事業継続給付金」も当面の資金繰りには役立つ。
 確かに小さな展望はある。来店の客はサイフとともに運も運んでくる。丁寧に扱えば運も膨らむというものだ。
 がそれもこれもコロナの感染を一時の災難ととらえての上のことである。事態が一段と深刻になればこれはもう戦争である。戦争であれば焼野原も覚悟しないといけない。根っこから発想を転換しなければ生きていけない。
 4月26日日曜日、街は閑散として臨時休業の看板ばかりである。映画をみているような異様な光景である。私の店も非常事態宣言以降来店客がほとんどない。ガンバレ小売店「疾風に勁草を知る」と書いたが、「逃げるが勝ち」も頭に入れとかなければなるまい。貧骨
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■■ 小売りの十字路 166 ■2020年4月2日 木曜日 15時27分54秒

三人座談

「憂国の情」の不可解店頭販売は、業界活性化の起爆剤たりえるか

 ジュエリー業界の低迷はずいぶんと長い。売り上げ上昇の期待感はしぼむばかりである。業界全体の活性化のためにはどうすればいいのか、俯瞰した視点からの提言が何よりも求められる
が、低迷に立ち至った原因自体が幾つもの事柄の絡み合いである以上スパっと割り切れるものではない。
 地方経済の減退、中心都市への人口集中と地方の過疎、少子高齢化、所得格差、実店舗とネット販売の競合と消耗戦、若い世代のモノ離れとジュエリーへの関心度の低下、ジュエリー業界全体の広告宣伝費の縮小、ヒット商品、話題性商品の皆無といっていい現状、どれ一つを取り上げても掘り下げれば重たいテーマである。
 業界では名の通った三人の方が集まって業界が今後健全に発展していくための提言が本紙に掲載されている。現状を憂い現状を打破したいがための思いに駆られた発信であろう。憂国の情というところか(本紙前号)。
 趣旨を私なりに要約すれば以下のとおりである。

 宝飾業界の何が問題かというと「店頭販売を蔑ろにし、催事に頼りすぎた商売の在り方」であり、加えて「仕入れを行わず委託ばかりとなっている点が、全ての問題を大きくしている」と指
摘している。そのことに付随して割引ありきの割高プライス、高齢者偏重で次世代への取り組み不足、ジュエリーを身に着ける文化や価値の醸成の喪失にも触れている。
 また自分で仕入れたものには思い入れがあるが、委託では消費者に思いが伝わらないとも述
べている。要するに「店頭販売こそ忘れられていたのではないか」ということのようだ。
 指摘は妥当だろうか。私には不可解の念がぬぐえない。商売の手法にはいろいろある。例えば催事中心の商法であれ、店頭での接客商法であれ、それは経営者それぞれの裁量の範囲のことで甲乙、上下、正統と異端の区別があるはずもない。どう展開しようと構わないわけで、社会的な倫理の範囲内なら問題視するほうがおかしい。催事に頼りすぎた商法はなぜダメなのか、なぜそのことが業界の今後の健全化に桎梏になっているのか説得力のある具体的な論拠を書かないと、当該小売店から不満の声が出てくるのではないか。
 また催事に頼った商法の小売店の数は、宝飾業界全体を左右するほどに圧倒的に多いのであろうか。そのあたりにも疑問が残る。
 小売業全体を取り巻く環境の変化は激しく店頭売りも手法の一つにすぎなくなっている。ジュエリー業界も同様である。ネット然り、TVショッピング然り、通販然り、従来の百貨店の外商販売然り、催事商法然り。販売チャンネルと販売手法の多様化は時代の必然である。
 なぜ催事商法だけをやり玉に挙げるのか。それならメーカー、問屋が小売りを直接営むのは問題視しないのか。
 委託についても仕入れの努力を行わずに商売をしていると批判されているが、理解に苦しむ話である。委託は、小売店にはありがたい手法で、何よりも自己資金を使わずに済む。
 この不況期に商品回転率が低く、尚且つ多額な資金が必要なジュエリーという商材を扱うにあたって、まずは資金繰りというリスクと向き合わなくてはならない。加えていくらかは目新しい商品に切り替えていかなければ店全体の商品鮮度そのものが落ちてしまう。ジュエリーという商売は金食い虫である。委託の活用は仕入れ努力の放棄という側面より、資本効率と営業継続のための貴重な手段という面が強い。問屋筋にしても委託が全面的にマイナスならやるはずがないはずで、そこに何らかの利を見るからこその委託ではないのか。
 店舗を構え自ら吟味してジュエリー商品を仕入れ、店頭で定価販売をするという形を理想論のように位置付けているが、低迷の底にある業界の起爆剤になるとは思えない。通信技術の革新と
スマホの消費者への浸透を考えれば、また若い世代への取り組みという面という観点からも、これからは全く新しい販売手法が生まれてくるはずである。
 店舗をスマホの中に持ち、在庫負担を極力を減らし、革新的な映像技術でジュエリーの魅力を伝えていく手法ではないかと考えているが、それはもう私のようなアナログ人間には手に負えな
い世界ではある。貧骨
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■小売の十字路 165 ■2020年3月24日 火曜日 13時20分19秒

シチズン時計不振に思うこと

2月半ば日経新聞がシチズン時計の不振を報じた。2020年3月期の連結純利益が前期比で70%OFFの40億円になりそうだという。その記事の中で原因の一つが北米、国内の中価格帯腕時計の販売不振であることを指摘している。この内容は日経新聞以外の論評でも見られるから多分事実なのであろう。
この記事を読んだ時に「そうそう、その通りだよな、やっぱりね」という納得の感想を抱いたことを覚えている。昨年一年の間にシチズンが発売した新製品の中で、これはぜひ店頭に並べてみたいという商品は残念ながら記憶にない。別段難しい話ではない。我々のような個人の店は高齢者が主な客層なのだがそのお客さんが探しているのはごくごく普通のアラビア数字の婦人用時計なのだがそれを作らない。フェイスはいくらか大きめで見やすいことが第一である。一万円までの商品なら確かにあるが、3万から6万円くらいのまさに中価格帯が品薄というよりほとんどない。なぜだろう。高齢者マーケットというのは魅力がないのだろうか。高齢者はそれなりにお金もありおしゃれ心も十分持ち合わせているのに、そこを掘り下げる姿勢が新製品からは見えてこない。Xc(クロスシー)の販売促進に女優さんをイメージキャラクターに使っているが、高齢者にフィットする時計なら何の販促費を使わずとも自然と売れていくのは必定である。当然のことながら高齢者は毎日生まれている。これほどに魅力的な市場はないはずだが。
雑誌をめくっていたらインデックスが全てアラビア数字のおしゃれな時計に出会った。「これはいいねぴったり」とよく見たらパティックフィリップだった。コーチもエルメスもオールアラビア文字の時計を出している。海外ブランドの価格は別にしてもなぜ洗練された国産ウォツチが世に出ないのだろう。セイコールキアにしてもだが、相も変らぬ似たり寄ったりの「新製品」の鮮度は極めて低いと言わざるを得ない。
最近シチズンは「シチズン・エル」というシリーズを投入している。意欲的なデザインで、仕入れの食指がいささか動くものもあるが、いかんせん60g、70gの重さがあってはそれだけで選択肢に入らない。婦人ものの重さのリミットは50gまでである。そのあたりの問題意識が作る側に希薄なのか、なにかちぐはぐ。
ソーラー時計も電波時計もシチズンが先駆者であった。セイコー、シチズンではなく、シチズン、セイコーではないかと指摘したこともあったが、現在では両社の技術的差異は感じられない。いやむしろ電波時計の操作性の難がそのままになっている。時間合わせができないといって店に持ち込んでくる消費者が後を絶たない。電波時計の技術は小売りの現場、消費者からみるとさほど進化していないのである。いつのまにかシチズンのシチズンたる売り物が失われてしまったのだ。
思うのだが、新製品を世に出すに当たって、あるいは製品の改良版を出すにあたって小売りの現場で実際に時計を販売した経験を持つ人が携わっているのだろうか。「机上の空論」ならぬ「机上の製品」になっているとしたら、それは小売りの現場とかみ合うはずがない。
セイコー、シチズン両社ともお互いを意識した商品群を揃えて競い合っているが、そのことが結局当たり前の事実、消費者の声を吸い上げてこそ初めてモノは売れていくという事実を軽んじているように思えてならない。       貧骨
■■小売の十字路 164 ■2020年1月28日 金曜日 15時32分21秒

急げ、急げ、自己革新をひたすら急げ、「デジタルが来る」

 あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。
 正月である。めでたい話をしたい。にぎやかな話もしたい。笑い転げるような話題を語りたい。極楽島の極楽鳥の話をしたい。が歳末の厳しい商戦をくぐってみると不安と緊張で頬が強張る。シベリア凍鶴の心境である。この先商売はどうなるのだろう。小売りの現場にいるとなにか時代の大きな節目に立ち会っている感がある。変化のうねりが大きい。
 直近で明確なことは、消費税10%の世界が始まったということである。8%から10%へ、わずか2%のアップなのだが、実際に消費をしてみるとズシリと重い感覚にとらわれる。
 10%というのは計算が楽だけに余計に負担感が増す。「10万円で1万円を上乗せ」は生活になじむまでにかなりの時間を要するように思われる。とりわけ年金暮らしで現金が何よりも必要な高齢者の消費は、奢侈品を中心にしばらくは落ち込んだままだと推測される。我々の業界には明らかに逆風である。
 いまひとつほとんど話題になっていないが、今年で団塊の世代(昭和25年生まれまで)は、すべて70歳代になるという事実である。昭和20年生まれは後期高齢者になる。団塊という大きな塊の消費が、老後に備えて節約志向をさらに強めるのは必至である。
 70歳、なんとなく老人のハンコを押された感がある。これも奢侈品業界にはプラスに働かない。
 世の中の変化を別の視点で見ると、現在のスマホを利用したEC取引の加速度的広がりがある。今年も来年も近未来もこの勢いは止まらないだろう。むしろ更なるデジタル技術革新で小売り
の大半を席捲してしまうのではないかと思われる。
 イケアのAR(現実拡張)にみる手法に触れるとモノの売り方そのものの大革新が始まっている感がある。店舗を構え品ぞろえを充実して接客で売るという従来型の小売り自体が非効率で
時代遅れになりつつあるのだろう。その正統派の店舗運営がむしろ硬直した体制に見えてしまうのも時代の流れである。夜中にスマホから商品を注文すれば、明日には手に入る時代に何ゆえに在庫を抱えた店舗なのか。在庫の鮮度劣化を考えればスマホECに勝るはずがない。消費者がどうしても店に行かなければ用が足りない業種、例えばメガネ、マッサージ、オーダー衣料、
諸々の修理ビジネスは当面生き残れるが、それも過当競争に勝利しての話である。
 店舗にこだわるなら頭を柔らかくしてジュエリーを売る傍らでスイーツでも扱ってみるか。固定観念と成功体験は何ももたらさない。スイーツを売る店がジュエリーを扱うかもしれない。すべてが融解しつつある。
 平成が始まってすぐ株価の暴落、地価の値下がりが起きた。それが新しいビジネスモデルへの転換のシグナルではあったが、「いずれ元に戻る、しばらくは我慢」の大局観は結局傷を広げただけだった。「しばらく」が通用しないのが令和である。超現在進行形なのである。
 大手小売りはともかくとして、零細小売りはどうすべきか。私にもわからない。わからない私が言えることは、“ともかく今にとどまるな”、“売り上げが下がったら何とかしよう”と前向きに考える前に、この売り上げが令和の現実だという認識のもとに、それでやっていけるシステムを頭をひねりにひねって考え出すことだ。赤字続きなら「廃業」も躊躇なく選択肢に入れたほうがいい。超悲観的である。それほどのデジタル革新の時代である。
 急げ、急げ、自己革新を急げ アマゾンが来る、第2、第3のアマゾンがやってくる、怪獣デジタルアマゾンが小売りを飲み込みやってくる。いや今年は麒麟も来ると返されていささか和んだ。  貧骨
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■小売の十字路 163 ■2019年12月27日 金曜日 12時54分48秒

売上至上主義はなぜダメになったのか

売上と利益のいささか複雑な関係

賢い人には釈迦に説法の話なので恐縮だが、それでも基本に戻ったつもりで売上と利益の関係について整理してみたい。
最近は売上よりも利益というタイトルを目にすることが多い。が、利益というのは売上の中に含まれているわけだから、利益重視といったところで売上を追求しないことには利益を得られないことは当然のことで、そのあたりをよく掘り下げておかないと結局売上至上主義に落ち着くということになる。
年初にわが社は“利益重視の方針で行くぞ”と決意したところで年末になればいつの間にか売上をひたすら追っかけていることになるのである。「売上はすべてを癒す」とは、ダイエーの中内氏の有名な言葉があるが、ある意味売上至上主義は今でも通用する真理を含んでいる。
経済が右肩上がりに成長しモノに対する消費者の需要が強いときは、売上をひたすら追求すれば利益は後から付いてきたのである。100個仕入れれば自然と80は売れ、残20は値引きをすればそれもいささかの利益を含んで捌けたのである。だから売上だけを意識して商売をしていれば、自然と利益を確保でき資金繰りにしても十分回せたのである。
売上至上主義の内容はそういう意味のもので、時代背景によくマッチした原則だったわけだ。が、消費者の嗜好が変化し、生活防衛意識が高まりデフレ基調の経済になると、話はややこしくなる。利益は売り上げの中に含まれているから売上を追うのは当然なのだが、100仕入れても60しか売れず、残りを捌くにしても原価割れか不良在庫の積み上げが生じるようになると、ただひたすら売上を追っても結局60個分の利益は取れても値下げの分に食われて薄くなる。在庫の積み上げは資金繰りを苦しくし、新規の品ぞろえが十分にできなくなる。そこで今度は利益重視の方針に切り替えたとしても、では小売りの現場において具体的にどうすればいいのかというと品物の動き自体が鈍いわけだから、安易な考えに流れれば「売れないよりはまし」の方針になる。すると必然的にディスカウントによる消費刺激で何とかしようとする利益の薄い売上至上主義になってしまうのである。これでは薄利少売でますます苦しい経営を強いられることになる。そこでこの機に及んで尚利益を重視しようとすると、経営者の頭にすぐ浮かぶのが経費の削減である。
そうはいっても会社のランニングコストというのは、すべからく売上に結びついているわけで、人員整理をすればスタツフの仕事が増えて士気は落ちる。販促費を削ればそれはそれで売り上げ減に直結する。計画していた設備投資を抑えれば、店はいつまでも古臭く新鮮さが失われる。目先の利益も一年のスパンでは逆効果のほうが多い。なによりも経費の削減には限界があることは自明である。利益重視が経費削減主義にすり替わっては展望が開けるとは言えない。売上と利益の関係は消費停滞の時代には簡単な方程式ではないのである。
利益を重視する方針を実のあるものにするには、同じ売り上げでもその中身の利益を増やすことを目指さなければならない。が、それには値引きを極力抑えて定価販売に徹するか、粗利益率の高い商品を取り扱うか、修理等のサービスの価格を引き上げるか、などが想定される。このどれをとっても、小売りの販売技術を磨かないとできないことで、一朝一夕には手に入らない。がこの狭き門こそがたぶん単純な売上至上主義から解放される唯一の道であろう。このあたりについて当方の頭の整理がついたら仮説として書いてみたい。           貧骨
■小売の十字路 162 ■2019年12月18日 水曜日 11時28分2秒

セブンイレブンの危機とはなにか
神様の指摘は的確だった

牛乳の話がある。牛乳のメーカーが常温でも一年ほどは日持ちのするパック牛乳を開発したというニュースが報じられ世間で話題になった時に、コンビニの神様ともいうべき鈴木敏文氏は「消費者が望んでいるのはしぼりたての新鮮な牛乳をすぐに飲めることで、そのためにはどうすればいいかを考えるのがメーカーであり小売業である」と指摘した。この話は売り手の側の発想というのがどうしても自己中心的になり、消費者側の心理を二の次にしがちであるということを意味して実に新鮮だったことを今も記憶している。もう20年も前になる事ではあるが、氏の発想法を象徴している挿話である。
もう一つ。新聞のインタビューの中でのやり取りではあったが「消費者本位といい、消費者側の利便性を徹底するというとき、必ず売り手の側にできる範囲でという条件が付く。その条件を付けなかったらどうなるのか、そこを追求したい」正確な記憶ではないが言わんとする趣旨は間違いがない。自分も小売りの側の人間であったから、とんでもないことを言う人だといささか苛立ったことは覚えている。
セブンイレブンはこの鈴木氏の小売り哲学そのものであり、それを徹底して追求してきたのが今の姿である。たぶん氏にとつて同業他社は視野にすら入っていないに違いない。競争すべきは消費者の変化であって、それ以上でもそれ以下でもないはずである。だから氏が会長職の間コンビニ飽和説は一度も語っていない(私の知る限り)。掘り下げるべきは日々変化する消費者のニーズだからである。そこにセブンの常なる革新性があったといえるし利益の元があったともいえる。「おでん」「100円コーヒー」「ATM」「金のパン」すべて他社に先駆けて仕掛けて話題になった事案である。だからこそのセブンであつた。
氏が退任したのが2016年4月、そこから3年半確かに営業利益は最高益を達成したが、その間世間の耳目を引き付ける新規なものは生まれていない。結局店舗数の拡大によって本部が最高益を得たということだが、それは現場オーナーを同時に潤すものではなく、自社競合の弊害すら生んだということだ。ここにあるのはセブンが消費者の潜在的な需要を掘り起こす革新性を失ったということであるとともに、他社コンビニとの同質化競争に巻き込まれていることを意味する。要するにセブンは平凡なコンビニに成り下がったのだ。
競争社会において同質化競争が激しくなればなるほど当該店舗へのストアロイヤルティは低下、客の分散化を招くことは明白である。それでは個々の店舗の売り上げも利益も伸び悩む。
鈴木氏が退任に至った経緯は当時セブンの社長だった井坂氏の処遇を巡る取締役会の対立であった。鈴木氏が井坂社長の在任中に新規の企画を打ち出せなかったことを更迭の理由にしたのに対し、社外取締役を中心にした幹部たちが、最高益を達成した井坂氏を擁護したことにある。今のセブンはまさにその通りの展開になっている。コンビニの神様の指摘は的確だったのだ。
24時間体制への反旗に見えるオーナーの不満がなかなか収まらないのは、せんじ詰めれば人手不足よりも売り上げ利益ともオーナー側が稼げなくなっていることが根っこにあるからだろう。
 セブンの危機それは我々時計宝石の業界にも通じる危機でもある。同質化競争を避け、消費者心理を掘り下げる努力と創意を放棄すれば、無理無理販売と値引き競争しか手立てはないのである。    貧骨  
■小売の十字路 161 ■2019年10月28日 月曜日 13時51分28秒

「廃業」考

大廃業時代だという。「時代」と銘打つのは事業は順調だが後継者不足の為やむなく廃業せざるを得ない経営者が多くいるという意味があろう。
もう一つは長引く経営不振で廃業に追い込まれる人達が多くいるという意味もある。どちらにしても社会の構造が「廃業」を生んでいるということだ。前者の人達の無念も分かるが、不振の現状を前にしてやめるべきか継続すべきか判断に迷う経営者の苦悩は察するに余りある。従業員の生活の事、自身の身の振り方、借財の清算、長年付き合ってくれた顧客への心残り、取引先とのしがらみなど、廃業にあたっての実務的な問題がすぐに頭に浮かぶがそればかりではない。普段は冗談半分に「いやもう資金繰りもしんどいし、このあたりが潮時かな」などと軽口を叩いていてもいざとなるとなかなか決断できるものではない。私自身廃業の判を押す寸前までいったが思い直して現在に至っている。
その時思ったのは営業不振で敗者の烙印を背負うことへの心理的抵抗である。世間向けに取り繕うことは出来るにしても自身をごまかすことは出来ないわけで、やはり事業を断念するにしても自分との折り合いを付ける時間がどうしても必要になる。この時ほど大義名分が欲しいと思ったことはない。家主からビルを取り壊すから退出してくれとか、家族なり自分が健康を損ねて事業継続が難しくなったとか、大地震や大火事の為そのどさくさでやめるとか、なんにしても「やむを得ざる」という背中を押す事情が自分自身に対して欲しいのである。が私の場合何もなかった。有難いことに極めて健康で平穏無事であった。(笑) 廃業には何と言っても時間が必要なのである。
今あらためて周囲を見渡すとずいぶんと小売店の廃業を見てきた。小売りの仲間内で最初に商売を止めたAさんの言葉が印象に残っている。「自分の資金は全部商売につぎこんだ。生命保険も解約して手当てした。これ以上はつぎ込むものがないから閉店する」商売の仲間内というのはお互い見栄もあるし意地もあるから最初にやめるのは本当に勇気がいるがよく踏ん切りをつけたと思う。
Aさんの後も一人また一人と閉店したが、それもAさんが先陣を切ったことで精神的に楽になったことが影響していると思う。けれども今振り返ってみればやめた方が良かったのか我慢しても継続していたほうが良かったのかと考えると継続していたほうが良かったという結論が出てこない。そういう世の中の流れなのだろう。経済のパイが右肩上がりではなく、またECを含めた小売りの在り様そのものが変化してしまって、従来のやり方ではじり貧なのである。令和のこれからはもっとそうであろう。「あの時やめていれば」「廃業した人がうらやましい」と内心思っている小売の人も多数いるであろう。
気を付けておかねばならないのは廃業か継続かの結論を先延ばしにしているうちに、急な売上減が生じて借財が膨れ上がり「廃業」そのものが出来なくなるという事態が起きることである。やはり仲間内のBさんが口癖のように言っていたが「廃業できる人がうらやましい。私の場合、家も土地も担保に入っていて今やめればホームレスになってしまう。ともかくも継続するしか方法がない」廃業すらできない。
これは怖い話であるがどこにでも転がっている現実である。先の事は誰にも分からない。商圏の中の動き次第では順風が吹くとも限らないが、時代の変化はけた違いに速い。大廃業時代の渦の中でどうかじ取りをしていくのか、小売業とりわけ零細な小売にとって経営者の力量が試されるこれからである。  貧骨
■小売の十字路 160 ■2019年10月3日 木曜日 13時12分55秒

書くことのない今に書く重箱の隅

今朝の新聞に「アマゾンエフェクト」の文字が躍っている。米国ではアマゾンの勢いに押されて小売業の廃業、倒産が増えているという記事だ。今後もこの傾向は続くだろうと書いてあるが、世の中まったくもって猛烈な速度で動いている。
そういえば「シンギュレーション」なる言葉を最近知った。AIがどんどん進化してAIがAIを作り出し、ついには人間の手に負えなくなることのようだ。2045年問題というのがあってその頃にはこのシンギュレーシヨンが起きそうだという。5G、6Gの通信の世界は来年のことで、いったいどんな変化がこの先待ち受けているのだろうか。キャッシュレスに象徴される金融システムの溶解はどんどん進んでいるし、自動車は無人運転が実現間近だ。 変革の大きな渦があらゆる業界を巻き込んでいるのだが、はて我らの時計業界もジュエリー業界もまるで異世界のごとく平穏にして変化らしい変化が見えない。喜ぶべきことか身構えるべきことか不分明だが、そんなわけで書くことがない。だから「重箱の隅」をつっつくが如きことを取り上げてみよう。

常々疑問に思っていることだが、腕時計バンドメーカーは皮バンドの場合、なぜ美錠の金色と銀色を同時に用意しないのだろうか。金色の時計に銀色の美錠を付けて渡すわけにいかないから予備に持っている金色に付け替えて渡すのが小売りの作業なのだが、必ずしもぴたりとはいかない。
とりわけ剣先がストレートで先細になっていない場合は、使えるものを探すのに結構手間取る。もしもパッケージに反対色の美錠が添付してあればずいぶんと手間が省ける。がそれ以上に思うことは、美錠には様々な意匠が凝らしてあってそれなりに美しいと感じるのだが、予備の反対色にするとどうしても平凡なものになりがちで、それでは皮バンド自体の良さが減じてしまうのである。美錠とバンドの一体性こそが時計バンドの持ち味だからこそ、美錠のデザインにメーカーはこだわっているのではなかろうか。客の中に美錠にまでこだわる人は少ないのだが、それでもメーカーにはこだわって反対色の美錠を添付して欲しいと思う。すべてのバンドにとは言わないが、美錠一つでバンドの魅力が一段と引き立つと思う。
もう一つ重箱の隅。腕時計の故障原因の一つに強い磁気を帯びることで時間がずれてしまう現象がある。この場合、コンパクトな簡易磁気センサーがあれば、小売りの現場ではずいぶんと助かるのだが、相も変わらずそのような機器は出回らない。9月のセイコーシチズンの展示会に行ってみたが、セイコーの会場で磁気センサーのデモを行っていたが市販の製品を使用していたので参考にはならなかった。時計に接触するセンサーの先端部が太すぎて、時計の巻き芯を抜いてみなければ測れない仕様になっている。本来時計用に開発されたものではないだろうから使い勝手が悪い。磁気による影響は今後も考えられるわけだから、是非時計メーカーは、時計用の簡単に使える磁気センサーをなんとか作ってもらいたい。「○○ガウスの磁気おびの為時間がずれてますよ」という説得力のある説明が小売りの店頭で可能になる。付け加えれば、時計の修理を生業にしている人たちは、修理報告書を作成する場合磁気おびのガウス数を明記してもらいたい。それはもう当たり前のことで「直してあるからいいだろう」という職人気質は通用しなくなっている。それが時代の変化であり要請でもあるのだ。                    貧骨
■小売の十字路 159 ■2019年9月10日 火曜日 16時10分7秒

仮説  
ジュエリーマーケット 底なしの深刻

少し目線をあげて平成時代のジュエリー売り上げの推移を見てみれば、ほぼ一貫して右肩下がりである。どこかで2年間でも3年間でも右肩上がりに上向いたということはない。ここ最近も一段と厳しい状況が訪れている。
これは需要自体が冷え込んでいる証左であってジュエリーショップを経営している人たちは先行きに対して強い不安を覚えていると思える。べつの表現をすればこちら側、売る主体である側が工夫ひとつで打開できるような状況ではなく、また店舗間相互の競争激化による勝者と敗者の振り分けというのでもない。冷夏に夏物衣料を売るがごときもので、消費者のジュエリーへの関心度がどんどんと薄れていっているのである。こうなると小売店としては、品揃えがどうの、話題の商品がどうのということよりも、いささか強引な手法を使っても顧客に売り込むしかないわけで、少し長い目で見れば顧客離れに自ら手を貸していることになる。自分で自分の信用を損なうことに結果としてならざるを得ない。
もちろんコアのジュエリー大好きファンは常にいるけれども、その人達だけで経営が成り立つわけでもなく、やはり広く一般大衆にジュエリーを購買してもらわなければ商売は長続きしないのである。
老後の生活資金が2000万円ほど不足するといういささかショッキングな報道が、消費者の節約志向にさらに追撃を加えたかもしれないが、それ以上に日本人にとってジュエリーというのはまだまだ生活に根付いたものではなくブーム的な域を出ていないのであろう。ジュエリーを換金する買取り業が盛んなのも、そのあたりの心理を反映していると思われる。手放すことの心理的なハードルが低いのである。
時計店も経営状況は似たり寄ったりだが、こちらの方は需要自体はしっかりしていて、ただ流通チャンネルの多様化の中で同質化競争を強いられるがゆえに、没個性的な商店が淘汰されつつあるわけだ。その点はジュエリー業界が苦境とはいえ、質的な違いは明確である。またセイコー、シチズンの2大メーカーの発信力、新製品の投入が常に市場を活性化し消費者に陰に陽に刺激を与えていることも大きい。
それではどうすればいいかという事になるが、ズバリいえばどうしようもないのである。
どうしようもないというのは、従来の発想の延長線ではという意味である。
メーカー筋なら、中国をはじめアジアに出かけて行って新しい市場を開拓することも可能だろうが、店舗を構えている小売店はただひたすら耐えるか、見切りをつけるかになってしまう。
もともとジュエリーというものは、身に着けることで気持ちに張りが出てくる、衣服との組み合わせでおしゃれの相乗効果を増す、など女性を美しくするモノなのだから情報発信する強力な主体があれば、ジュエリー需要はおのずから活性化するのだが、残念ながらその主体が見当たらない。またブームになるようなヒット商品も出てこないから、マーケットは沈み込むばかりである。消費税上げの直前になっても買い急ぎの動きがほとんど出てこないこと自体が、消費者のジュエリーへの関心度を示している。
売り上げの低迷していることをまずは自店の努力不足、工夫不足と捉えてスタッフに過剰なノルマを課したり、叱咤激励する経営者もいるだろうが、むしろ経営者自身がマーケットの縮小と変質にどう対応するか、既成観念にとらわれない「頭の体操」が先決なのである。        貧骨                            

■小売の十字路158 ■2019年8月26日 月曜日 11時49分41秒

暑中お見舞い申し上げます。酷暑の折皆様のご健康をお祈りいたします。
来年のカレンダーの申込み用紙が届いています。本当に一年は速いものですね。 

現場から   高齢者とどう向き合えばいいか

Aさんの場合。腕時計の電池交換を受けるときは、お客さんに「だいたい10分くらいかかりますが、店内でお待ちになりますか」と聞くのだが一回りしてくるという人の方が多い。その場合は名前だけ聞いておく。日をまたぐ場合は必ず預かり引換券を渡すことにしている。ご婦人のAさんが来店して一週間前の○日に電池交換で預けた時計2個を取りに来たとおっしゃる。さて覚えがない。すぐに戻るつもりが預けたことを忘れて後日取りに来る人もいるが、その場合は必ず帳簿に記載して管理してあるが、その記載もない。とりあえずは調べてみるということでその場はおさめたが、無いものはないわけでその旨をAさんに伝えたが頑として納得しない。
次の日から何度も電話がかかってきて、預けた時計を返せの一点張りでこちらの説明は一切聞かない。ついには店に来て、まるでこちら側が盗んだかのような言葉まで投げつけられた。
Bさんの場合。夕方に来店されたご婦人のBさんは18金の細いネックレスが切れてしまったから直してほしいとの依頼であった。見てみると切れたのではなく留め金の丸環が外れていただけなので10分程度の時間を貰うことにした。私が受け私が直した特段問題のない修理のはずであったが、Bさんが戻られてダイヤのペンダントが付いていないという話になった。もちろん受けた時に一目なにもなかったので、そのように説明して帰ってもらった。次の日の朝やはりダイヤを返してもらってないという電話がかかってきた。私が外出中ということもあって昨日の事情がよくわからずスタッフは大混乱。ひと騒動になってしまった。
Cさんの場合。クレームではないのだが、やはりご婦人のCさんが腕時計のバンドがどうもおかしいので直してほしいと来店された。拝見したが三つ折りタイプ形式で、何処にも問題はなさそうなので、「このままお使いになれます、特にどこかが壊れているようには思えませんが」と答えたがCさんが言うにはバンドにもともと小鎖が付いていたはずだが、それが取れてしまったという。「いや、この時計のバンドには小鎖はつかない形のものですからこれで正常です」とバンドのあり方を含めて説明した。これで話は一段落したのだが、ご婦人は帰り際に「いや、私が自分で使っていたから小鎖が付いていたことは間違いがない」とおっしゃられた。
AさんもBさんもCさんもともに高齢者なのだが、共通しているのはこちら側の説明がほとんど頭に入らないというところである。頭から思い込んでいて、ちょつと冷静になって考えれば理解できそうなところがそうならない。それは年齢に関係ないヒューマンエラーの話なのかもしれないし、高齢者特有の思い込みの話かもしれない。ただ小売の現場ではやはり高齢者に対するにいささか身構えていたほうが無難だろうとは思うのである。  貧骨
■小売りの十字路 157 ■2019年7月2日 火曜日 16時22分14秒

時計店の現場から 電池交換の今

 電池交換が最盛期の頃は、それだけの取次屋さんがあって、店頭にのぼり旗など立てていたものだ。クリーニング店や金物店、カメラ屋さんなど時計とは関係のない異業種の人達が、いわば副業のように扱っていた。ホームセンターなどでもパートと思しきおばさんたちが、当たり前のように手掛けていたし、私の店でも半年も勤めれば「簡単な電池交換程度はやってください」と要請していた。
 量があったことと、電池交換自体がさほどリスキーな作業ではなかったことがおもな理由だが、現在はかなり風向きが変わっている。街で取次屋さんを見かけなくなったのは、量が全
体として減少して集配コストが賄えなくなったことが原因と聞いているが、そればかりではなく、電池交換自体が次第にリスキーな仕事になってきたことも影響しているように思える。
 そのリスキーというのは、時計部品供給の期限切れというのが一つあって、例えば電池交換の作業中にコイルを傷つけてしまえば、時計自体を弁償せざるを得ないということがある。
 クォーツ時計が発売されてから50年も経つわけだから、古い時計の電池交換には、こういう事は当然起こり得る。またブランド品を含めたスイス時計の対応も年々変わってきて、ほとんど部品を出さずに自社修理に徹しているから、結局何か些細な問題が起きても時計店は、代理店へ全面修理で依頼せざるを得ず高いものにつくことがある。
 パートさんたちが作業できたのは、持ち込まれる品物が主に国内大手のメーカーのものと名の通ったスイス時計の一部であったから、品物の見極めが楽であったが、現在は本当に多種多
様なブランド品や、ブランド風の安時計などが出回っていて、預かるときによほど慎重に観察したうえでないと、面倒なことになりかねない。そのため電池交換の技術の向上はもとより大切なことだが、同時に手掛けていい品物かどうかの見極めがとても大切な時代になった。時計のチェーン店で断られたものを、私の店に持ち込んでくるお客さんが結構いて、さほど難しいとは思えないものがあるが、たぶん電池交換の扱う種類を、店の方でかなり絞り込んでいるように思える。それだけ電池交換の作業がリスキーなものになっているということだ。
 経験でいえば、電池交換では何度も痛い目に合っている。側開けを滑らせてコイルを切る、裏蓋閉めの作業でガラスを割る、裏蓋開けの段階でケースがキズになる等、こちら側が責任を負う事ばかりでない。機械を抑えている中枠を外す作業中に、文字盤のインデックスが外れる、秒針が外れるなど、品物自体の作りの粗雑さから来るやむをえないトラブルもある。ねじを外そうとしたらねじ山が半分欠けて、電池を抑えることが出来なくなったことも古い時計では何度もあった。電池交換はリスクを伴う作業であるが、起きてしまった不手際に、自店で修理対応が出来るかどうかというと、出来ない品物の方が格段と多くなっているのが現状である。
 ブランドに対する時計店の勉強不足も一因ではあるが、そればかりではなく、やはり市場に流れ込んでくる品物の多様性こそが、電池交換のリスキーの度合いを高めているのである。当たり前のことではあるが、常日頃より情報収集を心掛けておくことが、時計店に一段と求められている。
 業界の人達には釈迦に説法のような文章なのだが、電池交換の「今」を記録しておくことには、幾分かの意義があると思った次第である。    貧骨
cosmoloop.22k@nifty.com
■小売の十字路 156 ■2019年6月12日 水曜日 13時18分59秒
  
「合成ダイヤモンド」(ラボグロウン)
俺だったら混ぜちゃうけど。

呼称はとりあえず「合成ダイヤモンド」にします。さほどの意味はありません。「合成ダイヤモンド」が話題になっていますが、これってどこでどのように生産されているのかその辺がいまひとつ分かりません。市場にどのように受け入れられるかばかりに関心が行っていますが、まずは出生の秘密について調べてみることも「合成ダイヤ」を考える上で大切な事でしょう。
中宝研のレポートによると、合成ダイヤの製造方法は二種類あって(HPHT法とCDV法)どちらも工業用ダイヤを製造してたけれども、需要減退等の要因の為生産の一部を宝飾用に転用したとのこと。2018年は全体で500-700万ct生産されていて、その量というのは天然の3〜5%になると見積もられています。どこで作られているかというと中国が圧倒的であとはロシア、インド、シンガポール、アメリカ、イギリス。中国にはこの合成ダイヤを作る機械が8000台以上あるが、その他の国では全部で1000台ぐらいという事らしい。
一体この製造する機械というのはどのようなものなのか、高額なものなのか、簡単に制作できてしまうシロモノなのかははっきりしませんが、私だったら天然に混ぜて売っちゃうけど。
とろとろとジュエリー用に販売するより手っ取り早く儲かるもの。その手の事が得意な人達っているじゃない。かの偽ドル紙幣事件、思い出しませんか。「合成ダイヤ」製造機械をどっかから調達して闇ルートで流すってやつ。実際問題、中宝研のレポートによると「中国製と思われるメレサイズのHPHT合成ダイヤモンドがジュエリーに混入し始めたのは2015年の9月半ばからです。それ以降増加し続け、2017年の5・6月をピークに減少しています」やっぱりね。
最近では買い取り屋さんでも簡易な鑑別機を使って天然と合成を分けていますが、それまではほとんどフリーパスだったわけで合成ダイヤはすでに世界中にばらまかれているのではないでしょうか。今後精巧な鑑別機が作られたところで結局いたちごっこで、混ぜる側は鑑別機をクリアする技術を多分開発するでしょう。オリンピックのドーピングをめぐる騒動とウリ二つ。
だからデビアスがこのたび「合成ダイヤジュエリー」の発売を明らかにしましたが、それってどこで製造されているのか興味ありますよね。NYの地下で厳重な管理体制の下でデビアス独自に作られているのか、それとも中国なり他国からの輸入品なのか。誰かデビアスに問い合わせてみませんか。
なぜデビアスが「今」合成ダイヤジュエリーに取り組もうとしたのかというと、すでに「合成ダイヤ」が世界中で天然の中に混ぜられていて、実態が明らかになるとダイヤモンド市場の信用度が一気に落ち込んでしまいかねないと危機感を持ったのかもしません。
それならまずはデビアス自ら合成ダイヤを認知して混ざっていてもさほど問題にはならないように先手を打った戦略的思惑がこのたびの売り出しの背景と考えられますがどうでしょうか 私なりの勘繰りで済めばいいですが。   貧骨                                             
(追)中宝研レポートというのはCGL通信(NO49 March 29,2019)です。
■小売の十字路155 ■2019年4月23日 火曜日 13時2分27秒
 
「合成ダイヤモンド」の微妙

 「合成ダイヤモンド」が今業界の中で話題になっていて、それに関する講演会では小規模であるとはいえ立ち見が出来るほどの盛況だという。(本誌既報) きっかけはデ.ビアスが合成ダイヤモンドを使ったジュエリーをネット販売すると昨年発表したところから始まっている。 それ以前にもこの種のダイヤモンドは生産されていたが、誰も見向きもしなかったわけだから、デ.ビアスの影響力はやはり大きいという事だろう。こういう風向きになると先駆けて合成ダイヤモンドジュエリーの販売を行おうとする業者も出てくるだろう。JJAも「合成ダイヤモンド」の定義や正式な呼称に取り組み始めている。
さりとて話題は先行しているのだが、まだジュエリーとしての実物を誰も見たことはない。(たぶん) 先日も甲府の仕入展示会に行ってみたが、合成ダイヤジュエリーなど見かけなかった。「声はすれども姿は見えず」というのが現状だろうが、さてデ.ビアス製品を含め合成ダイヤは低迷する国内の宝飾品市場を活性化するだろうか。活性化への願望がむしろ話題先行の状況を生んでいるのが現実であろう。
ところでこの合成ダイヤモンドジュエリー(以下CDJ)が、市場に投入されたとき消費者はどういう形でCDJを受け止められるだろうか。供給する側が天然のダイヤと全く同じものであることを前面に出した場合、その額面通りに消費者が受け止めれば当然のことながら天然ダイヤの売り上げは下がる。なにもわざわざ高価なものを身に着ける理由が希薄になるからだ。1カラットのダイヤを購入するにあたり天然も合成も同じものだと言われればそれなら合成で十分だということになる。全体のダイヤマーケットサイズは変わらずただ天然と合成のシェア比率が変わるだけになってしまう。
それでは同じダイヤモンドだが天然とは違うことを強調したらどうだろうか、すると今度はCDJが大量生産できる工業品のイメージでとらえられ、シンセチックやキュービックの代替え品程度の商品の位置づけで販売が思わしくなくなるリスクが出てくる。だから天然でないが同じものであるということが消費者の中できちんと区別されて全く別物のモノとして認識されるように打ち出していかないと、ダイヤモンドジュエリーマーケットの混乱だけが生じる事態になりかねない。
CDJがジュエリーの全く新しい市場を切り開くには本物のダイヤモンドでありながら大量生産の工業品であるという正負の二面性をマーケティング的に上手に処理しなくてはならない。供給側が一社独占ならともかく、数社入り乱れての競争になれば結局供給過剰による飽和感が消費者に「飽き」を生むのではないだろうか。「合成ダイヤモンド」の微妙な所である。
もう一つの微妙は合成ダイヤを天然ダイヤと偽る、あるいや混ぜ込んで販売する輩が必ず出てくるということだ。デビアスはルース販売をしないとしているが、入手ルートはいくらでもあるわけだから、マスコミネタでダイヤマーケットに消費者の不信の目が向けられる可能性は捨てきれない。
デビアスが扱い始めることで話題性のインパクトはあり、CDJはジュエリー市場活性化の救世主かもしれないが、反面鬼っ子になるかもしれない。まったくもってCDJは微妙なシロモノである。
ここで一つの疑問。デビアスはなぜ今CDJを扱うのだろうか。なぜ今なのか。 貧骨
■小売の十字路 154 ■2019年4月3日 水曜日 13時13分41秒
 
「いつも変わらない味」
「いつもおいしい店」

「あそこのお店はいつも味が変わらないでおいしいね」とお客さんが感じるのは普段からきちんと食材管理を徹底し味が変わらないように努めているからではなく、すこしずつ味を変えているからだという趣旨のコラムを読んだ。お客の嗜好は知らず知らずのうちに世の中の流れに沿って変わっていく。その速度に合わせるように作る側が微妙に味を変えているからこそ、お客は同じ味、同じようにおいしいと感じるのだという。変わらないのは変わっているからだという禅問答のような話である。似たような話はセブンイレブンの鈴木社長が冷やし中華の味付けを季節ごとに少しずつ変えていることでいつもと同じ味を打ち出しているのだと述べていたことに通じている。
このように書くといとも簡単な仕業のように見えるが、ではどのように変えていけばいいのかと具体的なことになると試行錯誤の連続の中からつかみ取っていくしかない。場合によっては客離れにならないとも限らない。それでもリスクを冒してでも現状から変化しようとするのは、世の中の変わりようが実際に「見えている」からである。
この事例のポイントはどこにあるかというとお客にとつて自分の感覚が知らず知らずのうちに(無意識のうちに)変化していることにある。以前はおいしいと思っていたラーメンがどうも口に合わなくなった感覚ということになろう。このことは食べ物だけでなく消費全般に通じることは言うまでもない。
我々の時計・宝飾の業界でも同じことである。時計の場合はメーカーがソーラー時計や電波時計を開発し、また機械時計を復活させたりして消費者の潜在的な欲求に応えてきて、今はスマホ時代に合わせたスマートウオッチを市場に提案している。それらが売れていくのは消費者が「知らず知らず」のうちにこういう時計があったら便利だという意識下のニーズを具体的な形で目の前に提供したからである。そのタイミングが早すぎても遅すぎても多分ダメなのであろう。消費者の変化の速度に合わせて新製品を投入していくことが消費者から見て業界が常に相変わらず魅力的に映るのである。一言付け加えておけば、新しいというのはデザイン感性も含まれている。なにも新機能という事ばかりではない。消費者はトータルで常に変化し続けているのである。「知らず知らずに」。
それでは宝飾業界はどうであろうかというと、どうも業界自体の長期の低迷は「いつもと変わらない味」どころかバブルの時の味付けそのままではないかという疑念が消えない。消費者の感性は変化し続けているという問題意識そのものが希薄なのだ。新製品という概念自体があって無いような業界だから、新しく作った商品であるには違いがないが、一世を風靡するようなモノは出てきていない。小売店の売り込み方も、相も変わらない展示会方式か、チラシによる馬鹿馬鹿しいほどの値引き、格安販売が継続されている。もう消費者の方が飽き飽きしているのは明白なのだ。「あのお店味が落ちたね」と多分言われているに違いがない。
景気のせいでもデフレのせいでも高齢化社会のせいでもなくて、たぶん宝飾業界の低迷は消費者のおしゃれ心が「しらずしらず」求めているものを提出できていないことによると自戒をこめて思うのである。     貧骨
■小売の十字路 153 ■2019年2月27日 水曜日 12時38分58秒

小売の現場に起きていること。
軽減税率なんて面倒くさいだけ

例えばスーパーのレジに並んでみるとわかるが、一人一人の決済がとても煩雑になっているのがよくわかる。現金支払い、クレジットカード払い、商品券、JCBなどのギフトカード、電子マネー、溜まっているポイントによる支払、高齢者用割引券など実に多様だが、さらに電子マネーに現金チャージをする客がいると思えば、ポイントで一部を支払い、残額を現金で支払う客がいる。財布からカードを取り出す客がいる一方で、スマホに組み込んだお財布ケータイで支払う人がいる。並んで待っている側からするとじつにイライラするのだ。
消費者を自店に囲い込むための様々な決済サービスが結局のところ一人あたりの決済時間を延ばすことになるから、ちょつと混み合うとすぐ行列になる。ネット記事だが、高齢者はモタモタしていることがある。すると「背後から舌打ちが聞こえる」と嘆いていた。レジは消費者にとってもかなりストレスだろうが、処理をする側のレジ係にしても同様だろう。そこで今度はスピードアップを図るためにセルフレジの導入と相成ったが、考えてみれば変な話ではある。本来店のレジ係の仕事の一部を消費者が自ら担うのであるから、それはそれでその分値引きすべきではないかという話になりそうだし、いやいやそれよりもセルフレジに戸惑ってもたもたしているひとが結構いるのである。
便利なサービスのはずが、どんどんと面倒になっていくというのが今の消費の現場でその会計処理は企業にとっても大きな負担になっている。一日の〆の会計処理自体が煩雑なのだ。競争社会の自業自得と言うべきなのか、 業界なり行政が全体の視点から何らかの整理整頓のルール作りに乗り出すべきだといつも思うのだが、実態は逆にややこしさが増している。
一例が割賦販売法の改正に伴って今年の6月からはクレジットカードのセキュリティ対応が義務化され、対応しなければクレジットカードが使用できなくなった。こうなると、小売りにとつては死活問題で否応もなく端末機の新規導入を負担しなくてはならない。このセキュリティ問題は、情報犯罪者とのいたちごっこだから更なる高度なセキュリテイに進むに違いない。どこまで行っても小売の現場は混とんの中にあるだろうと思える。現金だけの時代が懐かしい。キャッシュレスとセキュリティ、コインの表裏のごときこの問題も小売りの決済の現場に大きな負担を強いている。
ここに軽減税率という課税対象の線引きの難しい税制を導入するというのだから、これはもう現場知らずの政策と言わざるを得ない。経済弱者の救済策なら他にいかようにもあるだろうに。対応に人、物、金を投入せざるを得ない小売の側からの視点がストンと欠落しているのである。
物事は行き着くとこまで行けば破たんの後に再生が始まるのが常だから、いずれ完成度の高い決済仕様になるだろうが、モノの売り買いの苦労よりも支払いのあり方に労力を割くのはどうにも本末転倒のような気がする。貧骨
■小売の十字路152 ■2019年2月5日 火曜日 16時13分12秒

小さな苦言

○ IJTではなぜ事前に会場図面を配らないのだろうか

今年も国際宝飾展が東京ビッグサイトで開催された。主催者や問屋筋から同種の招待券が幾通も送られてくるが、会場の図面というのは当日入場してからでないと手に入らない。これは買い付けに行く業者の側から見るととても不便なことで、加えて会場が広い上にA会場B会場2か所に分かれているのだから目当てのブースを見つけるのに一苦労する。またゆったりできる場所も無いに等しいので会場内を右往左往することしばしばである。実に効率が悪い。一日の歩き見る効率的な行動予定が立たない。みな忙しい。一日で済ましたいと考えている業者が圧倒的であろう。そのあたりへの問題意識がIJT事務局にはかけているのではないか。
これは出店している業者にしても、自分の位置を事前に正確に知らせにくいという意味でマイナスに作用しているに違いない。
昨年は事前に会場図を送ってもらうよう交渉して、とりあえず縮小コピーをFAXで手に入れたが、鮮明ではないためほとんど役に立たなかった。今年も改善の兆しはなかった。
希望する業者には例え送料有料でも配布しないのかさっぱりわからない。入場をスムーズにするためにVIP受付を増やしたりしているが、それ以上に会場図の事前配布の方が遥かに利用者の利便性を高めるのではないか。IJT事務局に是非検討願いたい。

○ ジュエリー製品の新品の定義を明確にした方がいい

宝飾の小売業が仕入れをする場合、現在のマーケットに流れ込んでくる宝飾品には正真正銘の新品もあれば、廃業した小売店の店頭品もあれば、買取店が消費者から買い取った状態のいい品物もある。また再仕上げをした買い取り品もある。ジュエリーの場合そのあたりの区別は一目ではつかない。店頭の滞留品の方が小傷がついていて中古にみえ、中古仕上げ品の方がまさにピカピカの新品にみえても何の不思議はない。だからなにをもって「新品ジュエリー」なのかがかなり曖昧になっている同時に、意図的に中古品を新品として売ってしまう小売店があっても不思議ではない。
これは是非のない現実であって、今のところ週刊誌ダネになるような業界不祥事が起きているわけではないが、危なっかしい状態であることは誰にでも理解できるはずである。
日本ジュエリー協会などの業界団体がこのあたりのことについてきちんと詰めて「新品」についての定義を発信すれば、現在の混沌とした状態はかなり整理されるであろう。
簡単なことで「新品ジュエリーとは一度なりとも消費者の手に渡っていないジュエリーである」と定義すればいいのである。この定義が業界の共通認識となれば、消費者から買い取ったものは未使用であっても中古品であり、店頭処分品は新品の扱いになる。これだけの線引きでも曖昧さは無くなる。そのうえでIJTなどの展示会では中古品を販売する場合はその通りに表示する義務を出店業者に負わせればいいのではないか
ジュエリーではないが、中古品を新品と偽って販売し詐欺罪で逮捕された記事が先日ネットに載っていた。信用信頼が要の宝飾業界であればこそ、似たような事件を起こさないためにも新品の定義は速やかに発信されてしかるべきである。    貧骨
■小売の十字路 151 ■2018年11月2日 金曜日 12時51分37秒

業界雑感     
GMS 「地域密着型」の虚妄

チェーンストアの考え方でいえば、品揃えもサービスもチラシ販促も画一的な店舗を全国に作っていくことで、規模の利益、効率の利益を追求するものである。今でもチェーンというのはそういうもので運営されていると思うが、その画一性そのものが消費者のニーズとずれてきていることも紛れもない現実である。モノ不足、右肩上がりの経済、売り手本位のマーケットという背景のもとでの成功方式が、今の消費者の目にはありふれた、面白みに欠ける店舗運営に感じられるという事でもある。そこで画一性から脱け出してその地域地域に合わせた店づくりに変換しようと躍起になっているのが、不振の淵にある総合スーパーである。ヨーカドーもイオンも思うように営業利益を上げられず、ユニーに至ってはドンキホーテについに飲み込まれてしまった。時代の要請にこたえた「地域密着型」に素早く転換できれば、状況は変わっていたものをと思うが、素早くできないところにチェーンストアシテムという構築物の硬直性がある。
チェーンシステムを本部と現場店舗の関係性で見ると、圧倒的に本部の権限が強い。商品仕入、販売促進企画、情報分析、社員教育等々。当然のことながら本部に人材が集まることになる。現場はこの本部の指示通りに動くことが至上命令で、その徹底度がチェーンシステムの成否につながっている。本部に集計される情報の精度は各店がそれぞれの裁量で運営される幅が少ない方が上がるということになる。店長以下現場従業員は、いわば本部の実行部隊という位置づけになる。この方式に長い間慣れ親しんで店で働いていると、目の前の客の要望を吸い上げて売り場に反映させることよりも、指示されたことを正確に速やかにこなすことこそが第一になる。本部の人間もまた現場にそれを望むのである。
そこへ「地域密着型」である。その地域に相応しい品揃え、サービス、催事の企画とタイミングの判断、正確な情報分析 これらの業務をこなしてかつ業績に寄与できるようになるにはそれにふさわしい人材の育成、従前の従業員の根本的な意識改革、本部の人間から権限を取り上げて現場に移す組織改革が必要とされるが、それは社長の宣言一つで成しうるほど簡単な事ではない。モタモタしているうちに業績は上がらず、結果、本部主導の「地域密着型」という木に竹を接ぐがごとき中途半端なものになるのが必定である。
これと似たような事例が、最近はあまり話題にならなくなったが国の仕組みを変える「地方分権」の動きである。掛け声は立派でも結局国主導から脱却できないのは、移譲された権限を縦横に使えるだけの人材が地方には少ないという現実がある。国家官僚に渡り合うにはそれに見合うだけの力量のある地方公務員の存在が不可欠だが、それには国家官僚と同程度の試験を地方にも要求するになる。それは明治以来の国家公務員試験制度の抜本的改革なくしてはありえない。首相が旗を振って成しえることではない。何事によらず権限の委譲とりわけ有能な能吏から取り上げるというのはこれはこれで大変な抵抗力なのである。
ドンキホーテの快進撃の一つに現場への大胆な権限移譲があるが、それは創業当初からの手法だからこそ根付いているので、壊すべきシステムはもともと無かったという事情がある。
GMSが長年親しんだ組織を変革するには、人間と人間の関係性という実にウエットなシロモノと正面から向き合わねばならない。社長が号令をかけて幹部が絵図を書いて中間管理職が骨を抜いて現場の長がお茶を濁して万事メデタシ。それでは困るのだが。
                                貧骨
■小売の十字路 150 ■2018年10月5日 金曜日 15時40分15秒

業界雑感 いずれ売れる

目の前に並んでいるジュエリーの中にとりわけ気に入ったものを見つけた。値段を聞くと予算よりもかなり高い。「さてどうしたものか、仕入れるべきか 見送るべきか」値切りの交渉をしてみたがそれにも限度がある。資金繰りが頭を駆け巡り、欲しい気持ちが膨らんだりしぼんだりする。そんな時営業マンは「いい品物はいずれ売れていくものです、仕入れて損はありませんよ」と踏み込んでくる。欲しい気持ちが八割だから、そのセールストークに背中を押されて決断するのだが、業界全体が伸び盛りの時ならともかく、いまでは「いずれ売れる」は閉店セールの時まで待たなくてはならないかもしれないのが現実である。「いずれ」の時間軸と「売れる」という受け身が有効なのはバブル崩壊までである。

デフレ経済の申し子なのか、高齢化社会の写し鏡なのか、不用品買取り業は相変わらず活況に見える。ジュエリーの買取りに絞ってみても、ネットを含め折込みチラシ、看板等あちこちに派手めの広告宣伝が目に付く。が、その客寄せのキャッチコピーの根っこにあるのは、実にシンプルな原則で「当社がどこよりも一番高く買い取ります」と言っているだけである。
そして買取り業というのはここに尽きるのである。それ以外何にもない。だからあとは買取りの品目を広げていくしかない。金プラチナ製品にかぎられていたものを銀製品、コハク、象牙、という風に。
仕事がシンプルだけに入れ代わり立ち代わり参入者は後を絶たないだろう。が、考えてみれば小売店が店舗内で買取りを副業として行うのが一番競争力がある。改めて人件費や家賃が上乗せするわけでないからである。素人の無知に付け込むような利益率を追求しない限り、かつ広告宣伝に上手に資金をつぎ込むなら、この先宝石小売の安定収入になるであろう。

ジュエリーの売り上げが落ちていく中で、顧客管理というのはどの店でも売り上げ確保のための重要な課題になっている。そのやり方こそが、企業秘密ともいうべきもので、上手下手が店のいわば命運を左右するともいえる。けれども世の中の流れがジュエリー離れになるなかでは管理コストの負担の方が大きく、現状の顧客を囲い込みできないという一面もある。くわえて顧客管理に傾き過ぎると、一人一人の顔が見えてくる反面、「重ね売り」の如き弊害も生ずる。ジュエリーの微妙な傾向の変化も見えにくくなる。
ジュエリーを売るのが年々厳しくなる今、顧客管理についても一度見直すタイミングかもしれない。

■小売の十字路149 ■2018年10月5日 金曜日 15時39分21秒

業界雑感 いずれ売れる

目の前に並んでいるジュエリーの中にとりわけ気に入ったものを見つけた。値段を聞くと予算よりもかなり高い。「さてどうしたものか、仕入れるべきか 見送るべきか」値切りの交渉をしてみたがそれにも限度がある。資金繰りが頭を駆け巡り、欲しい気持ちが膨らんだりしぼんだりする。そんな時営業マンは「いい品物はいずれ売れていくものです、仕入れて損はありませんよ」と踏み込んでくる。欲しい気持ちが八割だから、そのセールストークに背中を押されて決断するのだが、業界全体が伸び盛りの時ならともかく、いまでは「いずれ売れる」は閉店セールの時まで待たなくてはならないかもしれないのが現実である。「いずれ」の時間軸と「売れる」という受け身が有効なのはバブル崩壊までである。

デフレ経済の申し子なのか、高齢化社会の写し鏡なのか、不用品買取り業は相変わらず活況に見える。ジュエリーの買取りに絞ってみても、ネットを含め折込みチラシ、看板等あちこちに派手めの広告宣伝が目に付く。が、その客寄せのキャッチコピーの根っこにあるのは、実にシンプルな原則で「当社がどこよりも一番高く買い取ります」と言っているだけである。
そして買取り業というのはここに尽きるのである。それ以外何にもない。だからあとは買取りの品目を広げていくしかない。金プラチナ製品にかぎられていたものを銀製品、コハク、象牙、という風に。
仕事がシンプルだけに入れ代わり立ち代わり参入者は後を絶たないだろう。が、考えてみれば小売店が店舗内で買取りを副業として行うのが一番競争力がある。改めて人件費や家賃が上乗せするわけでないからである。素人の無知に付け込むような利益率を追求しない限り、かつ広告宣伝に上手に資金をつぎ込むなら、この先宝石小売の安定収入になるであろう。

ジュエリーの売り上げが落ちていく中で、顧客管理というのはどの店でも売り上げ確保のための重要な課題になっている。そのやり方こそが、企業秘密ともいうべきもので、上手下手が店のいわば命運を左右するともいえる。けれども世の中の流れがジュエリー離れになるなかでは管理コストの負担の方が大きく、現状の顧客を囲い込みできないという一面もある。くわえて顧客管理に傾き過ぎると、一人一人の顔が見えてくる反面、「重ね売り」の如き弊害も生ずる。ジュエリーの微妙な傾向の変化も見えにくくなる。
ジュエリーを売るのが年々厳しくなる今、顧客管理についても一度見直すタイミングかもしれない。
■小売の十字路148 ■2018年10月4日 木曜日 17時43分39秒

業界雑感 いずれ売れる

目の前に並んでいるジュエリーの中にとりわけ気に入ったものを見つけた。値段を聞くと予算よりもかなり高い。「さてどうしたものか、仕入れるべきか 見送るべきか」値切りの交渉をしてみたがそれにも限度がある。資金繰りが頭を駆け巡り、欲しい気持ちが膨らんだりしぼんだりする。そんな時営業マンは「いい品物はいずれ売れていくものです、仕入れて損はありませんよ」と踏み込んでくる。欲しい気持ちが八割だから、そのセールストークに背中を押されて決断するのだが、業界全体が伸び盛りの時ならともかく、いまでは「いずれ売れる」は閉店セールの時まで待たなくてはならないかもしれないのが現実である。「いずれ」の時間軸と「売れる」という受け身が有効なのはバブル崩壊までである。

デフレ経済の申し子なのか、高齢化社会の写し鏡なのか、不用品買取り業は相変わらず活況に見える。ジュエリーの買取りに絞ってみても、ネットを含め折込みチラシ、看板等あちこちに派手めの広告宣伝が目に付く。が、その客寄せのキャッチコピーの根っこにあるのは、実にシンプルな原則で「当社がどこよりも一番高く買い取ります」と言っているだけである。
そして買取り業というのはここに尽きるのである。それ以外何にもない。だからあとは買取りの品目を広げていくしかない。金プラチナ製品にかぎられていたものを銀製品、コハク、象牙、という風に。
仕事がシンプルだけに入れ代わり立ち代わり参入者は後を絶たないだろう。が、考えてみれば小売店が店舗内で買取りを副業として行うのが一番競争力がある。改めて人件費や家賃が上乗せするわけでないからである。素人の無知に付け込むような利益率を追求しない限り、かつ広告宣伝に上手に資金をつぎ込むなら、この先宝石小売の安定収入になるであろう。

ジュエリーの売り上げが落ちていく中で、顧客管理というのはどの店でも売り上げ確保のための重要な課題になっている。そのやり方こそが、企業秘密ともいうべきもので、上手下手が店のいわば命運を左右するともいえる。けれども世の中の流れがジュエリー離れになるなかでは管理コストの負担の方が大きく、現状の顧客を囲い込みできないという一面もある。くわえて顧客管理に傾き過ぎると、一人一人の顔が見えてくる反面、「重ね売り」の如き弊害も生ずる。ジュエリーの微妙な傾向の変化も見えにくくなる。
ジュエリーを売るのが年々厳しくなる今、顧客管理についても一度見直すタイミングかもしれない。
■小売の十字路148 ■2018年9月3日 月曜日 16時20分37秒

ジュエリー 仕入のための断片ノート

仕入れをする時、売れると思われるものを仕入れるという考えと自店で売っていきたいものを仕入れるという考えが自分の中ではごっちゃになっている。
売れると思われるものを仕入れるにしても欠品の単なる補充と新しいデザイン、新しい仕様の仕入の違いがある。 新しいというのは、新製品という意味と従来から製品としてはあったが自店で初めて仕入れるという意味がある。

売っていきたいものをアイテムという範疇でとらえるなら、ピアス、イヤリング、ネックレス、リングなどになるが、さらに細分化してピアスの中の遮断機タイプを売っていきたいという時もある。その判断の前提には、商圏のマーケットがどんなことになっているのかという認識がなければならぬ。
自店の商圏の中で他店がほとんど扱っていないとか、少量であるとか、という競合店要素と同時に、むしろそれ以前に需要そのものが旺盛かどうかということがある。

売っていくというのは一つの意思だから、そこには他店の客を取るという意味合いもある。
また潜在的な需要を掘り起こしていくという意味も含んでいる。当然のことながら数量ベースでも一定の量を確保することになるから投資額は膨らむ。小規模の店なら店なりに負担増になる。
意思としての品揃えは他店との差別化につながっていくが、それが成功するか否かは別問題である。逆目が出れば、不良在庫を抱え込むことになる。

それでは仕入を補充と割り切って売れたら定番商品なら同じものを、ファッションデザインなら似たようなものを仕入れていくというやり方もある。特段品揃えに特徴があるわけでもなく、まんべんなく品揃えをするという事になるが、それが悪いわけでもない。かえって幅広くお客さんを取り込むことが出来る。無難なやり方だが、特徴がないともいえる。

ジュエリーの品揃えにすっきりとした答えが出ないのは、数があまり出ないからだと思われる。数量がでないと物事の因果関係がはっきりしない。極端な話、お得意さんの顔を思い浮かべながら仕入したほうが遥かに効率も良く、売り上げに寄与することになる。すると、ジュエリーというのは品揃えの構成などを一生懸命考えること自体、さほど意味ない事になってしまう。
一方で、ではお得意さんだけで何年も食べていけるかというとそれも違う。するとまた元に戻ってフリーのお客さんに来てもらう、買ってもらうにはどのような品揃えが必要かというテーマになる。堂々巡りのように見えて、やはり商品の力は商売の原点ということに立ち返らざるを得ない。がそこからの踏み出しが難しい。資金は常に限られている。
ジュエリーは商品のアイテム構成ばかりを考えるわけにはいかない。価格に上下の幅が大きいので、そのあたりを詰めないと資金ばかりが無駄に寝ることになる。黒字でも資金繰りに窮することになりかねない。
今のようにジュエリーの売れ行きがぱっとしない状況では、店頭に並べる商品量もじり貧にならざるを得ない。そこで「鮮度を保つ」という視点から商品構成を考えると売りたいものを売る、そのための工夫ということになるが、そこでまた話は戻る。

問題提起だけの文章だが、商売のためのヒントぐらいはあるかもしれない。   貧骨
■小売の十字路 147 ■2018年9月3日 月曜日 16時17分58秒

業界雑感 「平成越え」

 小売のための企画企業であった「セブンズクラブ」が今年6月末で事務所を閉鎖し催事企画の事業を止めるとFAXがあった。「セブンズ」と言えば宝飾の業界ではそれなりの知名度があった会社で、催事企画は一つのビジネスモデルでもあったわけだが、地方の人口減や高齢化、消費者のジユエリー離れなど環境の変化の波に対応できなかったのではないか。ブライダル小売りや手作りジュエリーも手掛けていたようだが、現在のところ一つのモデル事業の構築までは至っていないのであろう。
催事企画以外の販促事業は、別名の会社で引き継ぐと書いてあったが、どちらにしても
「平成」の終わりに「手仕舞う」というところに時代の節目を感じる。売り上げが低迷し資金繰りに窮しているどの企業にとっても「平成越え」は一山を超えるがごとき大変なエネルギーを要するに違いない。

 ビジネスモデルということになると宝飾業界では「ブライダルジユエリー」が一時盛り上がったことがあつた。10年前くらいの事だと記憶しているが、今でも「ブライダル」は有力な事業のように言われているが実態はどうなのか。
今も10年前も少子化や格差の広がりは相変わらずで、ましてや様々な形式を省いてしまう「無し婚」が流行っている現実からは、どう考えても「ブライダル」がジュエリーマーケットの主流とは思えない。むしろじり貧の部類ではと思われる。
推測だが、新規のビジネスモデルが見えない中ブライダルジュエリーを手掛けた企業がたまたまうまくいったために我も我もと参入したのが真相で、リフォームマーケットもそうだが、喧伝されているほどの需要サイズは多分ない。利益を出して順調に運営しているのはほんの一握りで大部分は投資額に見合わないまま慢性の赤字で苦しんでいるのがまぎれもない現実だと思われる。「セブンス゛」もマーケットを読み間違えたのかもしれない。

 合成ダイヤモンドの件がちょっとした話題になっている。御徒町の買い取り屋さんで実際にあった話。
1カラットのダイヤのルースを持ち込んだお客さんがいて、40万程度の価格を付けようとしたところ、よく見るとガードルのところにほんのわずかに黒いものが見えた。よく見てみると合成を示すマークだったということで難を逃れたという。
デビアスが合成ダイヤジュエリーをまずはアメリカで売り出すと報じられている。でも中国で製造していれば、すぐにでも横流しで日本に流れてくる。古めのプラチナ枠にでもはめ込まれたら、買い取り屋さんは騙されそうな気がする。
合成ダイヤのジュエリーが出回れば、案外質のいいカラーストーンが天然石ということで相対的に人気が出るかもしれない。デビアスの試みも見方によってはかなりのリスクを含んでいると思える。
                              貧骨
■小売の十字路 146 ■2018年8月6日 月曜日 14時44分38秒

暑中お見舞い申し上げます

なぜGS(グランドセイコー)は販売条件が厳しくなるのか

これがセイコーのやり方とは

セイコーから一通のFAXが届いた。GSの現在の販売を見直し、新たに「グランドセイコーショップ」制度を2018年7月からスタートさせる。その概要というのは、
@ GSの常設コーナーを設置すること
A GSを常時20本以上陳列すること
B GSを年間、500万以上販売すること
を条件としてGSの取り扱い販売を認めるというものである。このショップになれなかった場合でも、2018年年末までは出荷するがそれ以降は出荷を受け付けないということである。この制度の導入はGSのブランド独立化に伴ったものであると書いてある。

へえ~って思うね。いきなりこんなFAXもらったらそりゃ驚くよね。どれだけの数の小売店がこの制度に参加するかというより参加できるかって考えればほんのわずかだろうね。ま、実際は零細な小売店からGSを取り上げるための制度だろう。これでGSのブランド価値が上がるというわけだ。ほんとかね。二、三年前ロレックスが販売条件をいきなり厳しくして確か関西の時計組合が「死活問題」だって騒いだ件とよく似ている。手法も似ているしその強引さも似ている。真似たんだね,猿みたいに。
それでも海外ブランドならビジネスライクの割りきりで分からないでもない。並行輸入という抜け道もある。けど、セイコーがね。どの小売店だってセイコーとは長い間、取引をしてきている。現在だってそうだ。GSに限っても少量とはいえ販売実績はあるはず。なんでGSを常時20本以上陳列し、年間500万円以上販売しなくちゃならないのか。多くの小売店が参加できるような条件設定の配慮が微塵もない。
それではネットの販売はどう対処するのかな。ブランド価値を高めるなら、量販店の値引き販売はやめさせるのか、小売店の利益に直結することだから、そのあたりを含め、きちんと説明するのが国内トップの時計メーカーの義務というものだ。
FAX一本、問答無用の企業姿勢で「万事事足れり」と考えているとしたら、それはもう小売店を川下のビジネスパートナーとして位置付けているのではなく、二次三次下請けの扱い感覚だろうね。「セイコーの時計を扱わしてやっているというね」殿様気分。たまんないね。蹴散らしても踏み潰してもさほど痛痒は感じないということか。
このFAXの最後の一文がね、無神経むき出しで面白い。セイコーの人材のレベルがよくわかる。「本制度に何卒ご理解賜りますようお願い申し上げますとともに、今後ますますグランドセイコーのご拡販をお願い申し上げます」悪い冗談かと思うよ。
GSを小売店から取り上げようって制度なのに、それでなんで小売店がGSの拡販しなくちゃならないの。ショップ制度は、一面では販売店舗が絞られるだけに、必ずしも成功するとは言えない。大赤字でも出したなら、一寸のコオロギたちが羽を擦り合わせて大喜び。                                  
                                 貧骨
■小売の十字路 145 ■2018年7月20日 金曜日 16時36分8秒

零細小売の社長の辞め方

世上では中小の会社の後継者不足が話題になっているが、後継者がいればいるで厄介なこともある。
身内が例えば息子が親の商売の跡継ぎになることは、親から見るとうれしいことには違いない。が揉める種も同時に抱え込んでいるのでそのあたりのリスク認識をきちんとしておかないと、事業の継承は空中分解しかねない。
事業の継承と書いたが、要は社長の座の引き継ぎ方が最も難しい。一昔前なら親の方がだんだんと衰えてきて、仕事への意欲がしぼむ、あるいは病院通いで子の方が社長代行になって世代交代が進んだものだ。そのうちに親が亡くなって自然と事業が引き継がれたが、現在のように高齢者が元気な社会では、いつまでたっても社長はそのまま居座るということが起きる。どこかの時点で社長の引き継ぎがきちんとできないと息子の方は親が亡くなるまでじっと待つということになってしまう。
とはいえこの会社の引き継ぎというのは外から見るよりもなかなかむずかしい。
社長が交代したとして、ではこの会社の資産たとえば商品在庫はどう扱うのか、親から買い取るのか、それとも何の見返りもなく新社長が貰い受けるのか、大会社ならともかく個人商店ではなかなかのハードルである。親の側に十分な資産があれば、社長を辞したあとも生活は何とかなるが、そうでない場合は生活保障も絡んだ金銭問題になりがちである。
資金繰りの預金の譲渡も面倒な事案で、会社の金と個人の金がごっちゃになっている場合がままある。またその辺を整理すると社長が個人的に会社につぎ込んだ会社負債が多かったりする場合はどうするのか 上手に処理しないと親と子の泥沼の争いになる。

金銭がからむ問題だけではない

社長を引き受ける側から見ると別の意味での引き継ぎの問題が見えてくる。現在のように変化の流れが速く商売の仕方が次々と革新されている状況では、即断即決が会社の命運を左右することが多い。社長が現場から離れて携帯電話を使うのもおぼつかないようでは、息子と話がかみ合うはずもない。スマホの一から説明するようでは、どんどん判断が遅れるが、社長の側に理解能力が乏しければ思い切った決断などできない。世の中の変化を見れば息子のイライラは募るばかりだが、社長のほうも何が何だかかよくわからないのでイライラする。そうこうしているうちに社運が傾くのである。これでは働いている人までとばっちりが来てしまう。
社長たる者まさに引き際は難しいのである。どんなに小さな商店でも、長年営業してきた思いもある、名誉欲もある、自由にやりたい権力欲もある、一代で築き上げたなら尚のことである。それらを手放すのは覚悟のいることである。
万事引き継ぐというのは一つの儀式なのだが、この儀式を曖昧にしたりなし崩しにしたり、二重権力の状態にすることなく、何一つ瑕疵のないものとして執り行うことが人の心にけじめをつけるのである。このことは社長自ら率先して行わなければならないが、はてどれほどの人が自覚しているだろうか。
最後に一言嫌味を言っておけば、社長よりも後継者の方がボンクラではお話にならないという事。創業者の血縁というだけで大会社の社長であったり幹部に抜擢されている例は山ほどあるが、有能な社員はたまらないだろうね。  貧骨
■小売の十字路144 ■2018年6月4日 月曜日 14時44分19秒
 
ショツピングセンター(SC)出店の罠

路面のお店でがんばっている側から見るとSCに出店するのはあこがれのように見えるかもしれない。わたしが通っているスピード理髪店の若い経営者が、よもやま話のなかでSCにお店を出せたらどんなにかいいだろうと語っていたので、「いやいや大変ですよ」と答えておいた。いや本当にしんどいのである。出店の誘いがあっても募集があっても、余分ともいえるくらいの資産があればともかく、なけなしの金か借金で進める事業ではないことははっきりしている。
路面の店なら自由に休業日と営業時間を自分で決められるが、SCに入ったらその営業時間を守らなければならない。これは絶対的なルールで否応ないものであるから、たとえ自分が冠婚葬祭もろもろの諸事情があっても、たとえば親が亡くなっても店は営業しなければならない。どのSCも今は殆どが年中無休だから元旦でも休めない。まあ昼間コンビニのようなものである。そのうえ営業時間もその時々の小売情勢で変わるのである。経験でいえば
夜11時までやったことがある。文句をいっても始まらないのである。SCで一店だけ休業している店を見たことはないようにそれが決まりなのである。路面で見かける「本日臨時休業」の張り紙 あれはありえない。自店の採算を度外視してもSCの要請に応えなければならない。年中無休、長時間労働をクリアしていくには、どうしても代理の責任者を雇用するがそれだけの人件費が払えるかどうか、気が付くと資金の追加投入がどんどんと必要になって行き詰る。いやそれよりもこういう営業環境に慣れていく意識改革の方が大変だろう。家族には確実にしわ寄せがいく。
初期の設備資金の回収やら借入金(あれば)も売上が順調なうちはなんとかしのげるが、低迷していけば当然のことながらさらに厳しい現実が待っている。駅ビルのなかには成績の思わしくない店を年間2割ほど入れ替えると報じられていたが、そういう恐怖とも向き合っていかねばならない。
一口にSCのテナントといっても総合スーパーのテナントだとスーパーそのものに稼ぐ力があるから、全体の補完店舗という意味で成績にさほどうるさくない構造になっているが、テナントの集合体を運営しているSCだと、テナントの稼ぎがそのまま運営会社の収益に直結しているから成績の悪い店舗は入れ替えの圧力がかかりやすい。出店するならその辺もよく考慮しないと思わぬリスクを背負い込むことになる。
1990年代前半まではまだ大店法の規制が一程度効果的だったせいもあって、SCにも休日もあり営業時間も制限があったが、それ以降は社会全体の規制緩和の流れの中で、テナント小売りの経営環境は厳しくなった。零細な小売店がSCで商売できる客観的な状況ではないのが現在なのである。
SCの側から見るとすこしでも個性的な店があった方がいいから、繁盛している店には出店の誘いをかけるのだろうけれども、よほど事前の情報収集を綿密にしないとやめるにやめられず借金漬けのあげく全財産を失いかねない。
「あかずきんちゃん 気を付けて オオカミの言葉はいつも魅惑的」   貧骨
■小売の十字路143 ■2018年5月8日 火曜日 14時50分26秒

「接客笑顔」はストレスのもと

いつだったか勉強のために他店めぐりをしていた時の事。店員さん同士がお互いに向き合って笑顔を作りあっていた。「ご苦労な事」というのが初めに来た感想で今でも変わらない。
40年近く現場で店長/経営者を務めているが、従業員に笑顔を強制したことは一度もない。また笑顔の良し悪しを話したこともない。そんなことはどうでもいいと思っているし、要は普通でいいのだ。接客業だから愛想よくしてくださいとは常識の範囲内の事で、それ以上に笑顔がどうのこうのというところまで踏み込むのはちょっと違うのではないか。
しかし、どうも世の中には「笑顔コンサルタント」まで居て、最近も小売の業界冊子をぱらぱらとめくっていたら、なんとかコンサルタントとかいう立派な会社のおばさんがやっぱり「笑顔」を作りましょう、練習をしましょうなどと書いていたから、ひょっとしたら、この世の中には「笑顔業界」なるものがあるかもしれない。
そのおばさんの文章の一部を抜き出してみる。
「笑顔はお客様の心をほぐし、ハッピーな気分や安心感を与え、相手の笑顔をも引き出す力を持っています。だからこそ、自分から積極的に笑顔を発信していきましょう」
なるほどね もっともらしく書いてある。経営者の中には専門家の指摘だからと鵜呑みにして従業員に「笑顔トレーニング」を押し付ける人もいるだろうね。結果、「あなたの笑顔は魅力がない」とか「もっと心から笑え」とか「顔が引きつっている、気味が悪い」とか言い出しかねない。人によって、職場によってはノイローゼになる人も出てくるだろう。そういうリスクがこの「笑顔」論にはあるということだ。
「笑顔ストレス」そういうのを“感情労働シンドローム”というらしいが、難しい用語を使うまでもなく、要するに人間の自然に反している所作ということだろう。
笑顔の話にイチャモンをつけたのは、今の小売業が「お客様ファースト」を追求するがあまり、働いているのは壊れたら廃棄処分できるロボットでもなく、命令指示はなんでも実行する奴隷でもなく、「血の通った普通の人間である」という認識の希薄さである。かのコンビニのカリスマが「消費者満足」を追求するに当たり「できる範囲で」という常識を取っ払って徹底したのは周知の事実だが、その成功体験の呪縛か、そのあたりから年中無休も24時間営業も誰も異を唱えなくなった。過労死予備軍も実際はわんさかいるのだろう。
人間についてのごくごく当たり前の洞察さえどこかへ行ってしまい、売り上げと利益の数字だけが闊歩している。
笑顔の話も詰まる所お客さんの満足度の為には、人間の心を殺しなさいと言っているに等しい。やだね むき出しの資本主義は。    貧骨
■小売の十字路 142 ■2018年4月2日 月曜日 11時28分39秒

「接客の教科書」
新人さんは意外とよく売る 

一通りのことは覚えたうえで、新人さんに売り場に出てもらうと意外と売れるのである。本人はもとより、管理している人にとってもドキドキなのだが、お客さんの目線は違う。
人は皆、体全体から「気」を発しているが、ベテランの販売員の「気」は売り場にふらっとはいってきたお客さんよりも強いのが普通だから、否応なくお客さんは気後れしがちである。それは店全体のもつ雰囲気を背後に抱えているからでもある。高級ブティツクや老舗ジュエリー店がなんとなく入りにくいことを想像すればすぐわかることである。お客さんが気後れするというのは別の角度からいえば販売員の目線を上から感じるという事でもある。
だからともすれば販売員主導での買い物になりがちだし、とりわけジュエリーという品定めや価格が分かりにくいアイテムではそうである。そこに若い素人風の女子がいると、冷やかし半分で入れるし、ああだこうだ、あれを見せてこれをみせてと気楽なのである。要するに今度は客の方が上から目線に逆転しているのである。そうなると品定めも楽にできるから案外自分主導で買い物ができるので、自然と「このくらいならいいや」とサイフの紐がゆるむ。新人さんが「売る」というのはそういう客の心理に沿ったことに間違いがない。それでは販売員は新人さんに限ればいいかというとそれは違う。ベテランの販売員はただのお邪魔虫、典型的なやり手ババアというわけではない。お客さんはモノを買うとき無意識のうちに不安と安心の間でぶれている。自分に似合っているだろうか、まがい物ではないだろうか、アフターはきちんと対応してくれるだろうか どうもこの若い子では心もとないなどなど。だからいざ支払うという段になるとお客の目の片隅にでも経験者然とした人が入ることで、安心感が生まれるのである。困るのは成功体験が何回か続くと、新人さんはそれを自分の実力と勘違いすることである。
長年にわたり培ってきた店全体の信用、ベテランの存在があってこその新人の立ち位置が見えていないと、というよりも上司がきちんと教え込まないと本人の為にもならないし社内不和の種にもなりかねない。数字だけ追うと見落としてしまいがちな視点である。
また一方、新人の接客が教えていることもある。経験者であるが故の「気」をいかに柔らかく包むか、いかにしてお客から見て買いやすい販売員であるかという心構えが大事という事である。不断の自己解体こそ経験者に課せられたテーマである。
店に入りモノを選び決断し支払うという一連の流れの奥にある客の心理の変り方と販売する側の心理の在り様の交差が接客を主とする小売業の肝であってその洞察抜きには売り上げは伸びないのである。
私は銀座のクラブなど無縁な人間だが、好不況にかかわらず生き抜いている店というのは客を見抜くことに長け、今晩はどのスタッフが目の前の客に好ましいかを一瞬のうちに判断できるママがいることであろうと思っている。
客が気持ちよく買い物をする、あるいは気持ちのいい時間を過ごす そのためには計算された接客があってのことである。金はそうやってあたかも自然に落ちるかのように店に落ちる。それが接客の「芸」というものであろう。貧骨

■小売の十字路 141 ■2018年3月20日 火曜日 11時19分20秒

「接客」リスクを逆手に取る有能な販売員とは

販売員がお客さんと懇意になる、打ち解けるのはよいことではある。おなじみさんというのはそういうものだし、だからこそ高価なジュエリーも売れる。それは間違いのないことなので、一般の「接客」論などもそういうことを勧めている。一時流行した「デート商法」などもある意味ではその極端な例だともいえる。だが、親しくなればなるほど客との距離が近づくほどに「接客」リスクも高まっていくことも事実である。商品のやり取りにかぎってみても最初は遠慮がちだったお客の要求もだんだんにエスカレートして対応に困った経験は誰もが持っているだろう。過剰値引き、過剰サービスも客の目からみると当たり前に見えてしまうと、断り方ひとつで話がこじれて、お得意さんを失いかねない。自身のことから家族の悩み、健康、お金、趣味と女性はおしゃべりは大好きだから、盛り上がれば客と販売員の境目が曖昧になるほどに話し込むことはありうる。だが、それはあくまでも客の側からのアプローチであつて、店側の人間が同じように溶けてしまっては問題なのである。
言い換えれば「衝動買い」はありうるが「衝動売り」はないことと同義である。客の話に相槌をうち、客の気持ちに添った聞き役であったとしても、販売員である以上身構えを崩さず
冷静に一定の距離間いわゆる間合いを保つことを忘れないことがまずは「接客」の基本である。客との良好な関係を長く続けるには、つねに「YES」で対応するのではなく「NO」といえる程度の関係性を意図的に売る側が築いていくことなのである。
その上での話だが、逆に売り手の側から距離を詰めていく、そういう手法もある。
「今日はご来店いただいてありがとうございます。寒い中大変だったでしょう。タクシーでいらしたの」「いや、歩いてね」「ご家族に車に乗せてもらえれば楽でしょうに、旦那さんは?」
「旦那は半分寝たきりでね、子供たちはもう独立していますから一緒には住んでないの」「それじゃジュエリーをお求めになるのが楽しみなのね、いくつもお持ちなんでしょ?」「そうでもないね、昔買ったやつがいくつかあるけどみんなサイズが合わなくなっちまってさ」「お持ちくださればサイズ直しいたしますよ、買い取もやっていますので、今は金が高いからお小遣いの足しになりますよ、お孫さんに何かいかがですか」「孫は二人とも男だから。」
さりげないやり取りではあるが、売り手の問いかけは計算されていなければならない。これでこのお客さんがどういう人で家族の構成と暮らしぶりは分かろうというものだ。話の中から拾う個人の情報収集は次の来店にも売り込みにも役に立つ。それが相手に気取られずにできることこそが有能な販売員である。おしゃべりには情報が詰まっている。
このやり口をもう少し正確に緻密に掘り下げて悪用すれば、「振り込め詐欺」につながる。お客さんとのやりとりは、かならず売り上げにつながる道であるが、それは売り手の側の意識次第なのである。接客から得た情報をどう生かしていくか、それから先は経営者の手腕である。接客の奥は深い。                貧骨
■小売の十字路140 ■2018年3月20日 火曜日 11時18分31秒
 
接客員の心すべきこととは  「接客リスク」への備え

時計やジュエリーを販売するには接客が欠かせない。この接客技術はスーパーのレジ接客やファーストフード、コンビニのカウンター接客とは次元の異なるものである。笑顔の作り方、お辞儀の角度、見送りの仕方などは常識の範囲でいいものでさほど重要視されるものではない。肝心なのはいかに主体的に売っていくかである。それにはお客さんとの間合いの取り方、距離の取り方を考えておかねばならないが、このあたりのことはまさに技術と呼ぶものであって一朝一夕に身につくものではない。
接客というのは人と人が付き合うことでもあるわけだから社会的な常識のマナーは当然としても、それ以上にお客さんというのは常に「自分は客である」という意識だけは強く持っているからその辺をわきまえないと案外機嫌を損ねることになる。「わきまえる」というのは懇意であっても、長い付き合いであっても、同級生であっても、近所の知り合いであつても、稽古ごとの仲間であってもあくまでも客としてもてなす、そういう言葉遣いに徹するということである。言葉の使い方と客との距離感は相関している。顔見知りの客こそ計算された言葉づかいで接していかないとお客さんからみると「馴れ馴れしい」嫌な感じになるのである。
その上での話だが接客をしている人というのは、ベテランの人でもえてしてお客さんに「気分よく買い物をしてもらおう」「親切なお店だと思われよう」というプラスの思考で相対しがちである。あるいはお客さんに信頼されるようにしたいと思っている人もいるだろう。
「接客」をコンサルタントしている人たちの話もそういう筋になっているから、よけいに誰もが思い込みがちだが、それは「接客」の基本ではない。
人が買い物をするうえで大切なことは「モノ」が主役ということである。「モノ」にお金を払うのである。気持ちのいい接客も値段のうちなどと売る側が勝手に考えていてもお客さんから見れば当然のこととしてしかとらえていないのである。このシンプルな事実を前にすれば、接客する上での基本的な心構えというのはお客に販売員が信頼されることではなく「不信感」をもたれない事である。「気分よく買い物をしてもらうことではなく「不愉快な気分」にならないように努める事である。親切な店であるように印象付けることではなく「不親切な店」でなければいいのである。
この両者の違いをはっきりと認識すれば、自ずと言葉は少なく接客姿勢もある意味控えめになる。
両者が同じこと、あるいはその違いが分からずに混同していると、思わぬところで「接客リスク」にハマるのである。ここが販売接客の初歩であり原点である。このことでお客には購買した商品が無意識のうちに主役として意識されるのであるが、裏返せばその分販売員は影が薄くなる。接客の基本はそれでいいのである。
この姿勢が身について初めて、その一歩上のレベルで接客の際に言葉を足していく経験を得て自然と過不足のない「売りの言葉」が洗練されてくるのである。
私はどうも接客が苦手と思い込んでいる人もいようが、上手と思われている人の方が言葉が多すぎて案外不評を買っている場合も多いのである。   貧骨
■小売の十字路139 ■2018年1月31日 水曜日 15時14分21秒

小売業に定休日の復活を
  
あけましておめでとうございます。
今年はどんな年でしょうか。商売繁盛の神様が微笑んでくれるでしょうか、それとも貧乏の神様が相変わらず居座ったままでしょうか 
十干十二支から見れば平成30年は戊の戌(つちのえのいぬ)に当たります。土と犬、組み合わせをみれば相性はよさそうです。
足に地が着いた穏やかな一年になって欲しいものです。と同時に我々時計宝石の業界が好景気の幸に恵まれますことを心より祈っております。
今年もよろしくお願い申し上げます。

いつごろからかと言えば90年代半ばごろから、小売業では過剰なほど競争が激しくなって定休日がほぼ一斉になくなってしまいました。そればかりか今では元旦こそ休む店はあるものの年中無休があたりまえの流れの中にいます。その理由の一つに「消費者ファースト」こそが小売業の基本であり、生き残りの術であるという考えが席巻していることがあります。コンビニが大成功し、小売業の新業態として社会的な認知度を高めたことも消費者最優先の考えに大きな説得力を持たせています。それ故にというか、小売業のどの業態からも定休日を設けようという声は出てきません。
でもどこかおかしくありませんか。小売りで働く大概の人は店に定休日があった方がいいと思っているはずです。定休日がなくても交代で休めばいいというのは、現場で実際に働いたことのない人の論です。店がまるまる一日休むというのは、働いている側からすると肉体的よりもむしろ精神的に実にリラックスできるものです。営業が継続されていて交代で休むというのであれば、休日中も半ば店と繋がっている状態であることを意味しています。短期的には交代制でも問題はありませんが、恒常的、長期的になれば労働者の心身を蝕んでいくことは必定です。経年疲労の病理は想像以上に水面下で広がっているのではないでしょうか。ソフトブラックと言っても過言ではありません。
ではなぜ「定休日」は復活しないのでしょうか。自店が休むだけ売り上げが他店に奪われるその恐怖感がライバル企業相互にもまた企業の労使共々にも在るからでしょうが、それ以上に「消費者ファースト」の思想自体が小売業全体に隅々まで浸透、定着し「定休日」がないこと自体を誰も疑わなくなっていることがあろうと思われます。「定休日」が無いことから来る弊害は当然店を支えている労働者にそのしわ寄せが有形無形の形でているにもかかわらずです。大手小売業の労組のひとつとして異議申し立てをしないということはすでに問題意識自体が希薄か思考停止の状態だと言わねばなりません。
労働者が自らの団結力で賃上げを勝ち取るのではなく、政府自民党のいわば圧力によって賃金が上がるというお笑いのような現実をみると、いったいこの国の労組というのは何のためにあるのかと思います。小泉進次郎が「労働者の味方は連合でしょうか自民党でしょうか」と痛烈に皮肉りましたが本当に情けない話です。
働き方改革がお上主導で進められるならば、いっそのこと小売業の定休日も決めてもらったらどうでしょうか。それなら否応のない話になりますから実現は可能でしょう。が、経営サイドの論理が前提にしている従業員を取り換えの利く労働機械として位置付けている発想自体を否定し、働いているのは血の通った人間であるという原点に立ち返るならば、「定休日」の復活はごくごく当然のことです。貧骨
■小売の十字路138 ■2018年1月31日 水曜日 15時13分32秒

腕時計の流通問題は解決したか、それとも深刻化しているのか

まるで腕時計の流通問題は解決済みのように誰も触れない。ネット販売が広まるにつれて値引きはもう当たり前になって、問題視すること自体が時代に合わない空気がある。だからといってでは小売りの仕入マージンが増えたという話は聞かないから、結局時計の零細小売はただただ淘汰の波の中に沈んでいっているというのが現実である。ではセイコーやシチズンのメーカーはこのネット販売にどこまでかかわっているのだろうか。100%出資の子会社を立ち上げて仮面小売りを行っているか、アマゾンあたりに仮面出品者としてこっそりもぐりこんでいるかに違いないのだが、資料も統計数字も出てこない。零細小売にとつてはメーカー直販の値引き販売は大いなる迷惑行為であり、死活問題でもある。
メーカーによるネット値引き販売という事案とは別にもう一つ零細小売店を苦しめているのが、メーカー委託販売である。ディスカウンターや百貨店の腕時計の売り場に商品を委託し、売れた分だけを仕切るという手法である。この手法のどこが問題かといえば、在庫リスクゼロという点にある。零細な小売店は商品を仕入れ、その商品が売れていくことで資金を回収し新たな商品を仕入れるサイクルで動いている。売れなければ不良在庫として抱え込むか、処分販売の外には手はない。限られた資金の枠内では、次から次へと新製品を店頭に展開するわけにはいかないのが現実である。けれどもメーカー主導の委託販売なら、商品の入れ替えなど苦も無く可能である。定期的に大手百貨店の腕時計のコーナーをのぞいてみれば、いつでも旬の商品が置いてある。それでは今までの商品は全部売れ切ったのか。毎度毎度売り切るのか。どう考えても不自然である。売り場の鮮度と言う視点で見れば、零細小売の不利は明白である。
最近の日経の記事によれば、セイコーの決算は黒字に浮上しその原因に高級腕時計の販売が好調だという記事が載った。高級品なら尚更委託販売の方が圧倒的に有利なことは明らかで、ますます零細小売は負けつづけるのである。
売り場の品揃えだけでなく、その売り場の接客員というのもメーカーから派遣されているのか当該売り場の社員なのかも今一つはっきりしない。これも人件費の負担に通じる大きな問題である。
ネット問題も委託問題も水面下の事案で、はっきりした証拠があるわけではないだけに始末が悪い。時計組合が代表して正式にメーカーに問いただしてみるのがまっとうな在り様だし、かりに回答が無かったとしても「無かった」という事実だけは公になるということである。それが次につながる一歩である。

腕時計の流通問題は、相変わらず形を変えて零細小売りを苦しめているのが偽らざる現実である。小売りが黙することは自らの首を自らで絞めることで何一つ得るものがないことを指摘しておくが、あえてメーカーにモノを言えば「世の中馬鹿ばかりではない」ということだ。                             貧骨
■「小売の十字路 137 ■2017年10月30日 月曜日 13時3分43秒

ジュエリーコーディネーター
坂本純一氏のコラム その3

まずは一読願いたい
宝石商売、「真面目」と「儲かる」関係なし

よく聞く話、よくある話に「えっ!」と疑いたくなるような商売をしているところが世の中には沢山ある。その度に「わたしのところでは絶対あんな商売の仕方はしません」と言い訳を言う。またある時は、「あの店の商品、最低なのにどうしてあんなに売れるんだろう。買ったお客様が気の毒だ」これもよく聞く話だ。
このように悪徳業者が儲かるのが現実なのである。真面目に取り組んでいる店が、苦労している店が儲からないのも現実である。毎月、毎月自転車操業を続け懸命に働いているのに、面白いように儲かるというわけにはいかない。ハッキリ言うが「真面目に働く」ということと、「儲かる」ということは残念ながら関係ないのである。真面目にやっても倒産するときは倒産してしまう。社長も真面目に社員のことを思い、頑張っている。社員も夜中まで血の滲むような努力をしているのに容赦はない。スタッフも最高にいいやつばかり、それでも潰れる時は潰れる。それが現実だ。
悪徳業者がなぜ儲かるのか。大体悪徳業者は品質の悪い商品を抱え込んでいる。誰も見向きもしない商品だから超安値で仕入れられる。黙って持っていたら永久に売れない。お客もつかない。そこで,どうしたら売れるか真剣に考える。どんな宣伝をすればいいのか、どんな呼びかけをすればいいのか。もう真剣そのものだ。キャッチフレーズも考え抜いた末の名言である。どんな仕組みが効果的か、徹底的に売り方を考える。それが結果として売れる店を作ることになる。
確かな品質の商品を商売しようとすれば、する程、商品の品質にこだわりすぎて売り方を真剣に考えなくなる。今売れなくても例え在庫になっても、こんなに安くていい商品なのだから何時かは売れるという驕りがある。つまり商品に甘えているのである。さらに根が真面目だから楽しむことをしない。気が付けば雑用ばかりに追われている。雑用は利益を生まない。
忙しいのに儲からない。どこかでボタンの掛け違いをしている。「暇だけど儲かる」商売に徹底的に売り方を研究しよう。

異彩を放つ痛快な文章である。真面目に働くことが道を開くわけではない。自己陶酔努力も自己満足努力も所詮徒花、パチンコに入り浸っても風俗に遊んでも売り方さえ頭を巡らせていれば十分儲かる。商売とは詐欺師の如きセンスだとズバッと言い切っている。読み方によっては危なっかしいが、趣旨は明快である。
たぶん坂本氏は現場のなかで格闘しながら目の当たりに地獄を見てきたのであろう。潰れるときは潰れるという認識は経験からしか出てこない。現場から離れて当たり障りのない文章でお茶を濁しているインテリ馬鹿には書けない内容である。       貧骨
■小売の十字路136 ■2017年10月2日 月曜日 15時0分45秒

ジュエリーコーディネーター 
坂本 純一氏のコラム その2

坂本氏は宝飾会社の部長を務め、その後独立、ジュエリーコーディネーターとしてデビアスの講師にも呼ばれたというから、相当の実力の持ち主だったのであろう。氏のコラムは「変革期に入った宝飾店のマーケティング」の題名の下に書かれている。バブル後本紙(W&J)に連載されたということだが、内容は新鮮なので前回に引き続き紹介してみる。

「売上げ不振の原因を探ってみれば」

それにしても自分の店に、何故お客が入らないのか。その原因を具体的にあげられる店長がどのくらいいるのか。「品揃えが悪いのか」「サービスが悪いのか」「販促が悪いのか」明確でない。曖昧な原因には曖昧な対策しか打てない。ある店で店長試験を行ったおり、「貴店で顧客が離れていく原因を二十項目以上十分間で答えなさい」と言う問いを出した。当然答えはバラバラであつた。
二十項目以上書いた人はいずれも成績優秀店の店長であつた。これはごく当然のことである。店長としての仕事上のチェックリストが普段から頭に入っていれば、容易にできることだからである。店長としてのあらゆる仕事は、直接的、間接的に売り上げに結びついている。売上げの伸びない原因の多くは、店長としての当たり前の仕事をしていないことなのだろう。売上不振の原因を追究していくと、結局のところ「人間の問題」であることが解る。 販売に関する基本マニュアルは同じでも、そこに係わっていく人間のパワーの差なのである。

時代の背景が違うにせよ、唐突に10分間で売り上げ不振の原因を20項目挙げよと言われたら、答えに詰まる。「消費不況」の一項目は出てくるが、あとは絞り出しても三項目ぐらいであろうか。けれどもこういう問いは鋭く新鮮である。10分という時間の区切りがいい。日々漫然とルーティンワークをこなしていると、売上の低迷に慣れが生じてずるずると行ってしまいがちである。どこかで自分自身の怠惰に楔を打ち込むがごとき刺激があらためて状況を見直すきっかけになる。

坂上氏はこのコラムのなかで売り上げ不振のチェック項目を挙げている。
@ 立地条件として 生活人口が減った。交通の便が悪くなった。競合店が出店してきた。人の流れが変わった。店前の通行人の客層が変わった。
A 店舗イメージとして 整理整頓、清潔度が低い。商品が選び難い。陳列センスが悪い。
接客マナ−技術が悪い。設備が老朽化している。メンテナンスが悪い。
B 販売促進として ターゲットが明確でない。量、数、訴求力が弱い。POP演出が不足、注目を集めるイベントがない。
C 商品として 商品MDと顧客のずれ。品質が悪い。価格が高い。品揃えが悪い。

読んでみれば小売り全般に通用する基本的な事柄ばかりである。氏の指摘は一読の価値がある。と同時に改めて自店を活性化させる起点でもある。
                                      貧骨
■小売の十字路135 ■2017年8月31日 木曜日 16時43分4秒
 
ジュエリーコーディネイター 坂本純一氏のコラム

 以前業界新聞に連載された坂本純一氏のコラムの一部を私は大切に保管している。氏がどのような活躍をされた方なのかは分からないが、書かれている内容には今でも読まれるべき内容が詰まっている。紹介してみる。

「元気な女性のいる店は強い」

チェーン店での全店会議に出席してみていつも感じるが、女性店長の元気のいいのには驚かされる。それに引きかえ男性店長や男性社員の元気の無さにはがっかりする。
小規模専門店でのチェーン店では現場を預かる店長が元気なのが一番である。その点、女性店長だと現実売場の問題に全神経を集中できるようだ。女性は真面目に脇目も振らずに店内のこと、お客様のこと、商品のことに集中して商売をする。ところが男性店長は今日のこと明日のことが気がかりのようだ。店の先行のことや、外的要因であるマーケット全体のことや経済の動きや立地の変化や競合店の動きなど、頭の中がいっぱいで現実の今に集中ができない。明日の思い煩いは明日に任せることが出来ずに思い悩んでしまうのが男性店長である。
小さな宝飾専門店でも元気な奥さんが売り場に出て接客している店には底力がある。お客様の一人ひとりに目を配り、気を配るのは奥さんであって旦那ではない。(奥さんに)明日の手形の心配から資金繰りまでさせたのでは、売り場での元気の元を削ぐことになる。
売り場の人には売ることに集中してもらわないとモノは売れない。

「迷った時ほどスピードが必要」

何事も迷いに迷った時ほど行動がスローになり、加速することで迷いが消えて運もついてくるものだ。不透明な時代こそ、如何にスピードアップして毎日売っていくかが運を掴むことにつながる。思い悩まずにガムシャラに売る店、店長が先に立って売り続けてる店、無理かなと思う計画でもクリアしてしまう。運が味方をしてくれる時である。
最近売れない、調子が悪い、上手くいかない、そう感じた時はスピードが落ちてる時である。よく調子に乗って失敗するというが、それは油断と傲慢さのためで、スピードのせいではない。スピードが上がってくると小さな欠点が気にならず、知らないうちに危機を脱出していることが多い。
例えばこんな話がある。「婚約リングは人口の減少でますます売れなくなるし、不況は深刻で高額品は売れない」と決め込む人は売れないという自縛から解放されずに動きは鈍くなるし完全に思考はストツプしてしまう。客数が減ってきたと思ったら、皆で店頭に立って声掛けをしてみる。婚約指輪が売れないと感じたら顧客情報の中からその年齢層をピックアップしてDMを送る。また「あたらしい愛の絆づくり」を企画してみる。動きが速いと思い悩む暇がないし、この緊張感はより速く「危険」を察知することもできる。

坂本氏のコラムの一部を切り貼りしながらまとめたものだが、実につぼを心得た内容で今でも通用するいい文章である。いやこのレベルの論に出会わなくなった。それは書き手の不在かもしれないが案外読み手の不在なのかもしれない。ジュエリー業界は十年一日のごとく停滞しているか、むしろ下降線をたどっているのだろう。   貧骨
■小売の十字路134 ■2017年7月28日 金曜日 16時15分45秒

暑中お見舞い申し上げます。炎暑の折、くれぐれもご自愛下さい。

修理クレームあれこれ  心掛けておくべきこと

どんなささいなクレームでも対応次第では後味の悪いものになってしまう。零細な小売店では、思うようにはモノが売れないので時計やジュエリーの修理に活路を見出しているが、それは反面クレームリスクを抱え込むことでもある。そのあたりが生き残りの策とはいえ痛し痒しのところでもあろう。
最近、私の店で生じたクレームを紹介してみたい。特別の事例ではなくどの店でも起きている内容であるが、いささかの参考になるかもしれない。
セイコーの紳士物の腕時計を分解掃除で預かったのだが、出来上がって引き渡す時にお客さんから時分針に小さなシミがあると指摘を受けた。当方から目視で見て分からないほどのシミでどう考えても作業中のミス?とは思えない。修理委託先に確認したところ、もともとシミはあっただろうが、修理の際にガラスを磨くのでシミがはっきりしてきたのではないかという説明であった。その通りにお客さんに伝えたが納得はしてもらえなかった。
預かった商品を渡す時に、キズがあった無かったというのは常に起こりうることで、他にも海外ブランドの時計の竜頭が元は金色だったのに銀に替わっていたなどというクレームもあった。 竜頭など交換しようがないしそれで当方になんの得もないのだが、お客さんがそうであったかもしれないというレベルならともかく、そうであったと強く思い込まれていると対応に苦慮する。
似たような例はどのお店でも経験されていると思うが、この種の苦情のポイントは、店側にとって問題がないと認識しているその虚を突かれるということである。気持ちの準備というか構えがないところにある。だからお客の言い分に飲まれてしまう。よく従業員に話すのは、クレームをなるべく少なくするには預かる時のそのやりとりの場が肝心で、そこで良く観察をすることに尽きるという事である。観察するのは預かり品ももちろんであるが、預けに来た人もよく見ておいた方がいい。それだけでもずいぶん違う。いったん預かった後で説明に及んでもどうしても不審の芽は残る。現在はデジカメで写せばすぐに印刷できる技術が普及しているから外注に出す時は私の店では、できるかぎりそのようにしている。
このところお客さんから聞くのは、修理品を断られる事例である。百貨店でも専門店チエーンでも断られるという。自店で扱っている、販売している品物に限って引き受けるという話であるが、店側の自衛措置なのだろうが、それはそれで客を逃していることにも通じる。それならばこそ零細店の出番ということにはなるが、引き受けていい品物どうかの鑑別に始まって、そこに潜むリスクのうちお客に伝えるべきこと、言うべきではないがありうるリスクを速やかに判断しなくてはならない。二流三流ブランドも出回っているからそのあたりの情報収集も欠かせない。修理を引き受けるうえでの説明能力というのも大事なことで、分かりやすく噛み砕いて話すことが客の側の信頼につながる。それは後のクレームを防ぐ力にもなっている。修理を増やせば当然想定外の客も来る。修理で生き残っていくとしても不断の努力が必要なのである。       貧骨
■小売の十字路133 ■2017年7月5日 水曜日 12時56分2秒

クレ−マ−論

落語家の立川志らくが新聞のコラムで「クレーマー論」を書いている。我々小売りもクレームの問題は避けて通れない事なので、関心をもって読んでみたが、事例として挙げているのはいささか極端な例である。除夜の鐘がうるさいというので数年間は鳴らすのを止めた寺院。歩きスマホを連想させるからと二宮金次郎の銅像を座らせた形に作り替えた例。どちらも対処の在り様がおかしいと志らくは憤っている。もう一例、島根県でダビデ像は教育上好ましくないからパンツをはかせろとクレームがついたことも挙げている。どれもこれも馬鹿馬鹿しい申し入れであることは分かる。僧侶だったら除夜の鐘の由来を話し仏の道を説くのが筋と志らくは言うが、それは一応の社会的常識をもった人に説く話でクレーマーというのはその辺の欠落がはなはだしい人達なのだから実際はそんなものではない。
小売りの現場にいてもそうだが、クレーム内容そのものが理不尽に近いものであったとしても、それに対する筋論よりも、剣幕だったり怒声だったり、圧してくるような態度そのものに気おされて筋論を言う以前に最初から店の側が後手に回ってしまうのが大方である。
くわえて他のお客の手前もあるので何事も丸く収めようとする気持ちが勝り、どうしても相手の要求の大半は小売りの側が飲んでしまうことになる。このように書いて、納得する人も多かろうと思える。志らくも指摘しているが「お客様は神様である」という考え自体がどんどん拡大解釈され、客は大切に扱われるべきものだという思い込みが日本中に広まったことも一因であろう。10年ぐらい前だったと記憶しているが、お客様様本位、お客様中心主義ともいうべきものが加速した時期があって、マンホールのふたの紋様にまでクレームがついたことがあつた。
その当時の誰もがクレーマーよりはましになったとはいえ、今でも小売りの現場では気の抜けない日々である。
では理不尽クレームにどう対処すればいいのかということになると、一般論になるがまずは「ジタバタ」しない事である。とはいってもといいたくなるが、そこのところは結局店が開いている時間は、店長は常にクレームに身構えていることが肝要である。それだけでも虚を突かれないで済む。クレームは常に理不尽とは限らないから、よく相手の話を聞いて冷静さをこちら側が保っていればその場は納まっていくものである。その際細心の注意事項はけっして言葉、態度の隙を見せないことで、言葉は少ない方がいい。こういうときこそ言葉尻にリスクがひそむのである。相手は基本的に素人、上手に反論しないとかえって物事はこじれる。
話がちょつとそれるが、「一見の客お断り」という料亭があるが、あれは最近になって良くわかるようになった。店の側が客を選べるというのは、たぶんとてもいいことで、そのことで店と客双方が満足できる時空間を確保できるシステムなのだろう。店側に客の気心が理解されているということはクレームを極力防ぐ一つの知恵である。
十人十色、なんでもない応対が客の癇に障ることはありうる。さらに高齢化社会特有のコミュニケーションミスも増えていくだろう。我々の業界も様々な事例を情報として共有化する仕組みを作れば、いくらかはクレーム対応がスムーズにいくのではなかろうか。
                                    貧骨
■小売りの十字路132 ■2017年6月1日 木曜日 12時42分39秒

経済雑感、2題

節約生活は重たい流れ

消費者の節約生活の流れは重たい。「重たい」というのはそう簡単に反転しそうもないということである。賃金が少しばかり上昇しても、失業率が改善し雇用不安がほぼ解消しても、節約志向はしばらく続くと考えた方がいい。それは高齢者ばかりではなく、現役の世代も共に将来への生活不安が払しょくされないからで、仮に可処分所得が増えても、預金を含めてとりあえずはため込むことになる。東京オリンピックのお祭り気分も生活者から見れば浮かれるどころか、のちのち自分たちにツケが回らないように身構えている。
政府の側から見ると、春闘に口出ししてでも賃金の上昇を実現しようとしたくらいだから、賃金上昇は景気の回復、とりわけ消費の回復と直結していると思い込んでいる。経済学の理屈からいえばそうなるが、「不安」という人間心理の厄介なものはさほど見えていないのだろう。「プレミアムフライデー」なる奇手も不発に終わったのは、結局のところ「不安」と正面から向き合っていないからにほかならない。
節約生活とは逆にみれば潜在的消費力が大きいということでもあるから、年金制度の大改革なり、子育てコストの大支援が実現すれば、それなりの効果は見込まれるだろうが、ハードルは高い。生活者の「不安」は、口コミを通して増幅しながら伝播し、誰もが当たり前のように節約し始めている。そうなればなるほど余裕のある人まで節約し始めるから、消費は回復しないのである。経済指標は改善しているが、経済全体の閉塞感は分厚い壁となって立ちふさがっている。

時代はひっくり返っている

「いやあ 世の中変わっちゃったね、バブルがなつかしいね」挨拶代わりの愚痴話を我々はそんな風に話すけれども、本当に時代が変わってしまったという大情況の認識というのはなかなかできるものではない。明治維新や先の大戦の直後ならば目に見える形だから疑いようがないが、平時の時代転換というのは、見えない人にはいつまでたっても見えないものだ。それでも経費をトコトン切りつめて、あるいは自己報酬をほとんど取らなくてやってみても、資金繰りは相変わらず苦しく、借金も減らない。あるいは、商品在庫を増やしてみたが売り上げは上がらず、当月はそこそこ売れたと思って〆てみると、昨年売り上げを超えない。どこかおかしい、楽になるはずが楽にならない。この「どこかおかしい」の嗅覚が肝心なのだ。デフレ経済、少子高齢者社会、財政赤字と消費増税、もっともらしいメディア用語に捕らわれることなく、「おかしい」という自己感覚にこだわれば、今世紀のどこかで時代がひっくり返ってしまったことが見えてくる。さすれば成長期からバブルの頂点までの成功体験の手法がじつはもっとも桎梏になっていることに気付くはずである。洋上で転覆した客船から脱出するには船底へ向かうしかないように、経営者の大情況にたいする判断は、成長期の時代とは様変わりして会社の命運を左右するのである。間違えることは取り返しがつかないというである。
貧骨
■小売りの十字路132 ■2017年6月1日 木曜日 12時42分39秒

経済雑感、2題

節約生活は重たい流れ

消費者の節約生活の流れは重たい。「重たい」というのはそう簡単に反転しそうもないということである。賃金が少しばかり上昇しても、失業率が改善し雇用不安がほぼ解消しても、節約志向はしばらく続くと考えた方がいい。それは高齢者ばかりではなく、現役の世代も共に将来への生活不安が払しょくされないからで、仮に可処分所得が増えても、預金を含めてとりあえずはため込むことになる。東京オリンピックのお祭り気分も生活者から見れば浮かれるどころか、のちのち自分たちにツケが回らないように身構えている。
政府の側から見ると、春闘に口出ししてでも賃金の上昇を実現しようとしたくらいだから、賃金上昇は景気の回復、とりわけ消費の回復と直結していると思い込んでいる。経済学の理屈からいえばそうなるが、「不安」という人間心理の厄介なものはさほど見えていないのだろう。「プレミアムフライデー」なる奇手も不発に終わったのは、結局のところ「不安」と正面から向き合っていないからにほかならない。
節約生活とは逆にみれば潜在的消費力が大きいということでもあるから、年金制度の大改革なり、子育てコストの大支援が実現すれば、それなりの効果は見込まれるだろうが、ハードルは高い。生活者の「不安」は、口コミを通して増幅しながら伝播し、誰もが当たり前のように節約し始めている。そうなればなるほど余裕のある人まで節約し始めるから、消費は回復しないのである。経済指標は改善しているが、経済全体の閉塞感は分厚い壁となって立ちふさがっている。

時代はひっくり返っている

「いやあ 世の中変わっちゃったね、バブルがなつかしいね」挨拶代わりの愚痴話を我々はそんな風に話すけれども、本当に時代が変わってしまったという大情況の認識というのはなかなかできるものではない。明治維新や先の大戦の直後ならば目に見える形だから疑いようがないが、平時の時代転換というのは、見えない人にはいつまでたっても見えないものだ。それでも経費をトコトン切りつめて、あるいは自己報酬をほとんど取らなくてやってみても、資金繰りは相変わらず苦しく、借金も減らない。あるいは、商品在庫を増やしてみたが売り上げは上がらず、当月はそこそこ売れたと思って〆てみると、昨年売り上げを超えない。どこかおかしい、楽になるはずが楽にならない。この「どこかおかしい」の嗅覚が肝心なのだ。デフレ経済、少子高齢者社会、財政赤字と消費増税、もっともらしいメディア用語に捕らわれることなく、「おかしい」という自己感覚にこだわれば、今世紀のどこかで時代がひっくり返ってしまったことが見えてくる。さすれば成長期からバブルの頂点までの成功体験の手法がじつはもっとも桎梏になっていることに気付くはずである。洋上で転覆した客船から脱出するには船底へ向かうしかないように、経営者の大情況にたいする判断は、成長期の時代とは様変わりして会社の命運を左右するのである。間違えることは取り返しがつかないというである。
貧骨
■小売の十字路131 ■2017年5月8日 月曜日 15時7分53秒

「てるみくらぶ」破綻にみる
潮目をみるむずかしさ

格安ツァー会社「てるみくらぶ」の破綻はちょっとした話題になったけれども、その大元の原因というのは格安経営を成り立たせている航空券やホテル代のディスカウントがある時期から減少したという構造的なものだと報じられている。
この会社は19年間も営業していたわけだからそれなりに順調だったのだろうが、客観的には収益を支えるシステムが変化した時適切な手を打てなかったゆえに破綻したということにはなる。この結末を経営者の目という視角からいえばビジネスの潮目を読み間違えたということなのだが、それは言うほどに簡単な事ではない。なぜなら「潮目」なるものを正確に見抜くのは至難の業で、たいがいは何年も先にきてそこから振り返った時にそういえばうちの会社がダメになった、成長したのはあの年だったなどというのが常だからである。それはごく自然なことで、「潮目」といったところでそれぞれが感じ取るものだから、すぐさま正解がわかるわけではない。変化を感じて少し控えめに経営のかじ取りをしようと思ってみても、例えば幹部の中には強気一辺倒の人もいて社長の弱気が会社の成長の足枷になっているなどと、経営方針の対立にまで発展しかねない。
潮目という流れの実体は確実に存在するがその潮目の判断はそれなりにリスクを含んでいる。
新田次郎の「珊瑚」という作品の中で、珊瑚取りに出かけた船の中で嵐が来る予感がするから引き返そうという船長に「あんたは臆病風に吹かれてる、このまま進んで行こう」と反発する船員たちとの確執が描かれているが、同じことである。物事を見抜くといってもたとえそれが正しい判断だとしても会社が人間集団である以上それに人を従わせるのはもっと難しい。が経営者としてはけっして妥協してはいけない領域だともいえる。
大企業の経営者などは「潮目」を読むことにさほど熱心ではないだろう。それは結局金があるからで、社員のだれの目にもはっきりとわかるほど業績が悪くなってから、言ってみれば社内に共通認識が出来上がってからでも間に合うのである。(昨今は株主がうるさいが)
90年代のバブルの清算を延ばし延ばしにした金融業界の在り様はその典型といってもいい。中小零細はそんな悠長なことは言っていられない。収益の構造を直撃するがごとき変化に鈍感であれば、すぐさま経営危機か、抜け出せない借金地獄の罠にハマるかである。「てるみくらぶ」の経営者にビジネスの「潮目」を読むという問題意識があったかどうかは分からないが、この意識が欠落していればかわいそうなのは社員である。見方を変えれば、そこに経営のダイナミズムがあるともいえるわけで、いかに小さな会社であっても世の中の流れをつかんで離さない経営者に恵まれれば生き抜いていけるのである。
イトーヨーカドーが発展途上の企業規模のときに「荒天に備える」の号令のもと思い切った業務改革を推進したのは有名な話であるし、いまユニクロが現状に満足せず「情報製造小売業」に脱皮しようとしているのも会社のトップの「潮目」への鋭敏な感覚が成せるわざであろう。
移ろう季節の変化は「目にはさやかに見えねども、風の音にもおどろかれぬる」と先人は歌ったが、風の音雨の音に驚くというその繊細な神経こそ経営者の資質である。   貧骨
■小売りの十字路130 ■2017年3月31日 金曜日 11時14分46秒
 
時計小売りに将来はあるか

自分の店を子供に継がせた方がいいかどうか迷っている店主もいるだろう。先が見えないとはいえそれなりに成り立っているなら閉店も踏ん切りがつかない。コアの客もいる。どうしたものか、世の中の変化は速い。子供の代で行き詰るリスクも小さくない。あれやこれや悩むところである。そこで時計小売りの現状と将来を整理してみた。参考になれば幸いである。
まず時計の小売は社会から必要とされていることは間違いがない。ネットが全盛であってもリアルな店舗は必要とされる。時計の販売に限らず、バンド交換、修理全般、それぞれにネットがすべてを代替えは出来ない。けれども時計小売りが先行きも今も経営として成り立つかどうかは極めて危うい。だから必要とされるという事だけに気を取られると間違える。肝心なのは時計小売が経営として成り立つか否かということである。
これからの時代にとつてリアル店舗でモノを販売する上で押さえておかなければならないことは数点ある。一つは扱っている商品にネット対抗力があることである。宝飾品ならば手に取ってみないとわからない部分もあるのでネット販売には限界があるが、時計は品質の均一性を考えてもネットで売れる商材である。仮に今は店舗販売の方が主流であったとしても、今後の時計販売の伸びは期待できないと考えた方がいい。次にその商品の粗利率が高いことである。数量は少なくとも利益が高ければ何とかやっていけるメドが立つが、時計は期待できない。ディスカウンターの割引率もネットの割引率も正札の30%にもなっている。これでは一般の時計店はどうしても利益を削ってしか販売できない。利益の面から見れば時計は儲からないのである。もう一点は扱っている商品に自店の商圏内で競争力があることである。この点では宝飾品なら自店の個性を出せるが、時計ではメーカー主導なのでほぼ似たり寄ったりの品揃えになる。結局商圏内で他店との差別化は極めて難しいということになる。
まとめてみると扱い商品に1ネット対抗力があること2利益率が高いこと3商圏内競争力があることということになるが時計はことごとくダメである。それでは時計修理はどうだろうか。一見すると修理こそ小売りの生き残る術のように思われるが、そうではない。時計の修理で肝心なことは、技術が優れていることではない。そうではなくていかに修理品を数多く集めるかである。そうなると結局地域の一番店が信用からいっても立地からいっても優位になることは必然である。品ぞろえがきちんとしていなかったり、場所が町のはずれであったりすればおのずから修理品も限られるのである。加えて今後メーカー独占修理のウェートが大きくなるだろうから、利益の面から見ても先行きはけっして明るくない。おそらく人口と時計修理のパイは一定程度相関している。右肩上がりに伸びていく分野ではない。
時計小売の現状と展望の一般論を述べたが、まったく新しい視点から時計小売りの経営、運営を創造しない限り、従来の在り様ではせいぜい地域一番店が生き残る程度ではなかろうかと思える。時計業界というのは圧倒的にメーカーの力が強い。それゆえ時計組合が小売りの利益のためにメーカーと対決するかというと訴訟ひとつ起こせないていたらくである。
時計小売の発展的将来は従来の路線の上には無いといっても過言ではない。             貧骨                              
ご意見ご提案は本紙(FAX03-3833-1717)まで。真摯なご意見には回答させていただきます。
Cosmoloop.22k@nifty.com
■小売の十字路129 ■2017年3月2日 木曜日 16時10分32秒

零細小売の経営とはなにか
経営者と店長のはざま

私は開店以来「店長」の肩書で通している。父親が亡くなって会社を引き継ぎ代表取締役になったからと言ってずっと「店長」のままである。そのことに特段の不満などない。パ−トさん3人を使う程度の店では、店長みずから現場(店)に出て朝から晩まで働かねば、すぐにも行き詰ってしまう。おそらく零細のなかの零細な小売店など皆似たり寄ったりだろう。だからものの考えもどうしても現場サイドに流れて、もう一面の経営者としての仕事がおろそかになるというか、まあ資金繰りや給与、賞与の決定ぐらいになってしまう。そういう意味では「店主」という呼び名が零細小売では一番適当かと思うのだが、では改めて経営者としての仕事とは何かというと、それは店の将来をかんがえて「戦略」を立てることに他ならない。現場の仕事というのはこの「戦略」に則った「戦術」の位置づけということになる。
大きな企業なら、経営陣と現場の長は別々の仕事をしているわけだが、零細では一人二役ということになっているだけで、原則は変わらない。
この「戦略」という問題意識が希薄かスポンと抜け落ちていれば、ただ日々の仕事に忙殺されて世の中の浮き沈みの中で気が付いたら10年前と同じ位置にいるか沈んだままということになりかねない。世の中の流れに主体的にかかわってこそ、零細も豊かになろうというものだが、またその「戦略」の失敗は致命傷にもなるのである。いま東芝が存亡の瀬戸際に立たされているが、それも東芝を原発事業で発展させようとしたいわば当時の国策に近い「戦略」に賭けたが故の損失である。
では個人商店の戦略とはいかなるものかと言えば、大企業となにも変わらないのである。
要するに「全体」で考えることである。日本経済という全体の動き、国内消費動向という全体の動き、自店の商圏内の変化という全体の動き、それから自店の全体の売り上げの傾向という全体の動きである。こう考えてきてそして自店内部の経営体力を全体として眺めてみてではどういう方向に自店をかじ取りするのかというのが「戦略」である。もしも負債が多額で競争力も期待が持てなければ、近い将来の閉店も戦略の具体的選択のひとつになる。
かりに今後も事業の継続を前提にするなら、経営者としては自店の全体の把握が戦略の基礎になる。全体の把握とは一日一日の事ではなく、年度で区切ってここ数年の売り上げ高を時系列でみて、そのうえではどの方向に進めていけば生き残れるのか、発展させていけるのかを判断することになる。
時計店の場合なら、修理が売上数字からみて有望ならばその前提に立って、どうすればさらに修理を伸ばせるのか、技術なのか、接客なのか、販促なのか、この辺の現場感覚になると、今度は経営者の戦略的思考よりも店長というもう一人の自分が出てこなくてはならない。いやまさに一人二役なのである。大企業だと経営者は別人だから方針はそうそう変わらないのだが、一人二役となると当初の戦略的な方針はいつのまにか曖昧になったり忘れてしまって、気が付くとただ日々の業務に追われっぱなしということになる。
この辺が零細が零細のままであってしまう大きな原因ではなかろうか。俗っぽく言えば大志をいだいて突っ走るような人でないと成功はおぼつかないのである。
「戦略」と「戦術」、「経営者」と「店長」 その区別の理解と実際行動は零細企業こそ生き残りの鍵である。       貧骨 

■小売の十字路128 ■2017年2月21日 火曜日 11時15分36秒

うまいものとうまそうに見えるもの

年明け早々、売上げ低迷に悩むラーメン屋のおやじが訪ねてきて「いやまいった、打開策が思いつかない、」とぼやき始めた。ふだんなら聞き役に徹してまあお互い頑張ろうや程度の話で済むのだが、いかにも落ち込んでいたので、少しばかり普段から感じていたことをぶつけてみた。
シニア層のおばさんをターゲットに「取り立て野菜の健康ラーメン」を数量限定で出してみたらとか、販促費だけは削らないでネット広告を利用してみたらとか客の立場と第三者の目で具体的に提案をした。藁をもすがるくらいの境地ではないと人の話などは耳を傾けるはずがない。が、かみあわないのである、ぜんぜん。やりとりに感情が混じってはいけないので、途中からはまた聞き役に回ったのだが、冷静になって考えると「うまいもの」を作るこだわりと「うまそうに見える」こだわりの違いだと気が付いた。
行列のできる食いもの屋というのが話題になっているが、思うに本当に「うまい」店は一割にも満たないのではないか。本物に出会うのは簡単な事ではないことは世の常である。それでも人が並ぶのは「うまいもの」と思い込まされていることも一因なのだろう。安売り屋の看板につられて入ってみると、度派手な演出に惑わされて全部の商品が桁外れに安いと錯覚してしまうのと似ている。これはこれで商売というもので、決して道を外れているわけではない。だれもが天才的な料理人の腕を持ち合わせているわけでない。味は並みでも、いかにも「うまそうにみせる」のは商人の腕に違いない。行列ができるほどにいろいろな仕掛けをしていかにも「天下一品」の味のように思わせることは、それはそれで結構な努力の果ての力業である。簡単なことではない。今の消費者に対する観察と分析なくしてうまくいく話ではない。一つ間違えれば販促費は露と消えていくのみである。その商人の精神こそが今は生き残りの術なのだ。
前述のおやじと話をしていると、作る料理の味にこだわる、その職人魂は分かるが、それを販促費というコストをかけてでも上手に伝えないと、ただの自己満足がんこ料理人になってしまう。
この話は、我々のような宝飾品の世界にも通じる話で、自ら作るか、問屋筋から仕入れるかの違いはあるが、店頭に並べる商品には商売人ならだれでもそれなりのこだわりはある。がその職人的世界を商人的世界に転換させてこそ、モノは売れていくということになる。値引きという単純なディスカウントはもう有力な武器にならなくなっている。現在業績絶好調というべき4゜Cの店を見てみれば、派手な看板もPOPもない。ジュエリーが整然と並んでいるだけであるが、それでも人を惹きつけるものがあるとしたらそれはなんだろうか。
トータルとしての清潔な売り場空間かもしれないが、それを日常的に維持していくスタッフの意識の高さかもしれない。
自らのこだわりに固執することなく、消費者が求めている何事かを探り当てる努力の外には成功の道はない。言うは易し、「何事か」は常に変化しているし、無限の正解があるはずである。そこが分かっていないと結局は4゜Cの二番煎じを作るだけになってしまうのである。         貧骨
■小売の十字路130 ■2017年1月30日 月曜日 16時47分29秒

うまいものとうまそうに見えるもの

年明け早々、売上げ低迷に悩むラーメン屋のおやじが訪ねてきて「いやまいった、打開策が思いつかない、」とぼやき始めた。ふだんなら聞き役に徹してまあお互い頑張ろうや程度の話で済むのだが、いかにも落ち込んでいたので、少しばかり普段から感じていたことをぶつけてみた。
シニア層のおばさんをターゲットに「取り立て野菜の健康ラーメン」を数量限定で出してみたらとか、販促費だけは削らないでネット広告を利用してみたらとか客の立場と第三者の目で具体的に提案をした。藁をもすがるくらいの境地ではないと人の話などは耳を傾けるはずがない。が、かみあわないのである、ぜんぜん。やりとりに感情が混じってはいけないので、途中からはまた聞き役に回ったのだが、冷静になって考えると「うまいもの」を作るこだわりと「うまそうに見える」こだわりの違いだと気が付いた。
行列のできる食いもの屋というのが話題になっているが、思うに本当に「うまい」店は一割にも満たないのではないか。本物に出会うのは簡単な事ではないことは世の常である。それでも人が並ぶのは「うまいもの」と思い込まされていることも一因なのだろう。安売り屋の看板につられて入ってみると、度派手な演出に惑わされて全部の商品が桁外れに安いと錯覚してしまうのと似ている。これはこれで商売というもので、決して道を外れているわけではない。だれもが天才的な料理人の腕を持ち合わせているわけでない。味は並みでも、いかにも「うまそうにみせる」のは商人の腕に違いない。行列ができるほどにいろいろな仕掛けをしていかにも「天下一品」の味のように思わせることは、それはそれで結構な努力の果ての力業である。簡単なことではない。今の消費者に対する観察と分析なくしてうまくいく話ではない。一つ間違えれば販促費は露と消えていくのみである。その商人の精神こそが今は生き残りの術なのだ。
前述のおやじと話をしていると、作る料理の味にこだわる、その職人魂は分かるが、それを販促費というコストをかけてでも上手に伝えないと、ただの自己満足がんこ料理人になってしまう。
この話は、我々のような宝飾品の世界にも通じる話で、自ら作るか、問屋筋から仕入れるかの違いはあるが、店頭に並べる商品には商売人ならだれでもそれなりのこだわりはある。がその職人的世界を商人的世界に転換させてこそ、モノは売れていくということになる。値引きという単純なディスカウントはもう有力な武器にならなくなっている。現在業績絶好調というべき4゜Cの店を見てみれば、派手な看板もPOPもない。ジュエリーが整然と並んでいるだけであるが、それでも人を惹きつけるものがあるとしたらそれはなんだろうか。
トータルとしての清潔な売り場空間かもしれないが、それを日常的に維持していくスタッフの意識の高さかもしれない。
自らのこだわりに固執することなく、消費者が求めている何事かを探り当てる努力の外には成功の道はない。言うは易し、「何事か」は常に変化しているし、無限の正解があるはずである。そこが分かっていないと結局は4゜Cの二番煎じを作るだけになってしまうのである。         貧骨
■小売の十字路129 ■2017年1月10日 火曜日 14時31分31秒

マゾヒズムとしての消費

マゾヒズムってあれです。女性を裸にしてムチでしばいたり、ろうそくを垂らしたりしていじめているあれです。見た目にはもう虐待の部類なのだけれども、なんといったってそのいたぶられている当の本人が快感にひたっていて、「うーきゃー、ひー」なんてあられもなく乱れるんだから、人間とは奥の深いものです。
全然そんなことに関心のない人がマゾに目覚めるというか、だんだんとより強い刺激を求めていくうちにもうその世界でしか性の快感を得られなくなってくるのでしょうね。
そういえばこの手の女性議員が一時話題になりましたっけ。かくいう私は実はサディズム嗜好で、いやいやそういう筋の話ではなく、消費者のことです。消費者というものも似たようなところがあって、毎日毎日朝から晩までいろいろな消費情報に晒されているわけです。それはまさに晒されているわけでテレビをみてもスマホを開いても否応なくどんどんと自分のテリトリーに入り込んでくるようになっています。出し手の側はただ情報を流しているのではないのですね。どうやったら消費者の関心をひくか、計算しているわけです。新製品の紹介にしても、おいしい飲食店のメニューにしても、あたらしいサービスの提供にしても、すべてマスメディアに莫大なお金をかけて次々と消費者の関心をひくような刺激を与え続けているということです。その量たるや昼夜構わず年がら年中です。洗脳というより情報洪水のなかに消費者をずぶずぶとつけると言った方がいいでしょう。
すると消費者の方もだんだん単純な刺激では物足りなくなるしすぐ飽きてしまう。新しい刺激を無意識のうちに求めるようになりますね。まさに「もっともっとぶって」の世界が開かれていくわけですね。すると出し手のほうもそれに合わせてどんどんと興奮してもっと面白いものもっと話題になるものと工夫していくわけですが、こうなるとお互いが求め合うようなある種の相互依存の構造が成立して、まさにサドマゾの世界と相成るわけです。単純に強い刺激ではなく、幾重にも仕掛けられた罠のような刺激ではないと消費者は満足できなくなっているわけです。
これが今の世相というか消費者なんだと思います。この国を覆っているというか浸透している消費情報の力はじいちゃんもばあちゃんも小さなお子さんもおしなべて影響されていて例外はありません。コンビニがなんでこれほど人気があるかと言えば便利というコンセプトは基礎にありますが、要するにいつもなにか変化があるというその刺激、それもどんどんと変わっていくその時間的速度が大衆の無意識を揺さぶっているからだと思います。おそらくそれって快感なんでしょうね。性的な快感と繋がっているかもしれません。
ひるがえっていえば、どの業種の小売も消費者に変化を感じさせなくなったら衰退していく一方だということです。
路面店が苦戦しているのは一見すると世評が指摘するようなことのように見えますが、根っこにあるのは常に消費者に変化を感じさせる店づくりをなかなか成しえないその停滞感にあると思われます。じいちゃんばあちゃんを例に出したのは、仮に自分の店のお客さんが地域の限られた年寄だとしても、変わらなければ彼らからさえ飽きられてしまうということです。
すべてを飲み込むかのごとき激しい変化の時代はますます加速度を増していくし、それが標準速度になっていくのがこれからの現実であることは間違いないんですね。速度のギアチェンジができるかどうかそこが小売りの生死の分かれ目でしょう。    貧骨
Cosmoloop.22k@nifty.com
■小売の十字路 128 ■2016年12月21日 水曜日 14時59分32秒

イトーヨーカドーの再生は可能か
鈴木体制の負の遺産を考える。

昼食に弁当を食べるときは近くのイトーヨーカドー(以下IY)を利用している。そのさいには日本茶ペットボトルのホットを一緒に買うことにしているのだが、困ったことに夏場になると売り場はすべて冷やしたものに替わってしまうのでホットのものは手に入らない。致し方なく面倒だがお茶だけを近くのコンビニに買いに行くことになる。いちどこのことでIYのお客様の声に投書をしたことがある。
「夏とはいえ、弁当に温かいお茶はつきものだし、それだけではなく冷たいものを飲み過ぎてお腹を壊した人もいるだろう。ホットのお茶は常に必要だし事実コンビニには年間置いてあるのになぜ陳列しないのか」そんな趣旨だったと記憶している。帰ってきた答えは全くトンチンカンだったのでそれ以上は踏み込まなかったが、あれからもう7,8年経つが今でも私の利用するIYの食品売り場には夏になると弁当は売っているがホットのお茶は消えるのである。
とりたてて問題視するほどでもない話なのであるが、IYの対応で似たような事例にぶつかったことはいくつもあって(差しさわりもあるので割愛するが)、対処の方法で共通しているのはIYのスタツフは何事によらずマニュアル通りに事を処理することに慣れていてそこから一歩たりとも出ない姿勢が実に鮮明だということである。お客さんの声にはきちんと答えるというマニュアルがあるからその通りにとりあえず回答だけはするが上からの方針で夏場は冷たいものを置くとなればその通りにする。だからこちらの疑問にきちんと答えるという内容のある受け答えになっていないのである。組織人としては確かに優等生なのであるが、現場の生きた回答を出せないのである。
たぶんそういう人は異端児として扱われるのだろうと推測している。
これはもうIYの体質ともいうべきもので、その源をたどれば鈴木前’7&i会長が推し進めたトップダウンの意思決定方式だと言わざるを得ない。鈴木氏は「世の中の変化の速い流れに速やかに対処するにはトップダウンでなければならない。多くの意見を聞いてその集約をしていては世の中に立ち遅れる」趣旨の発言をしてどんどんとその路線を推し進めたが、それは結局のところ一人のカリスマと多くの思考停止の集団を生んだことは間違いがない。
トップダウンの意思決定方式は、一時的、緊急避難的におこなうもので常態化すれば、ただただ上からの指示に黙々と従うだけのメンタリティーが組織の隅々まで行き渡ることになる。鈴木氏の鶴の一声で一切がひっくり返ってしまった嘆きの声をIYの取引業者からしばしば聞いたことがあるが、多分IY社内ではだんだんと諦めと思考停止の空気に支配されてきたのだろう。
零細、中小の会社ならトツプダウンは当たり前だが、それがさほど問題ならないのは小さな会社ほど社員の表情や態度が見えるからであり、それが一つのデータとしてトップダウンの方式に一定の抑制を与えているからであって、IYほどの大企業ともなれば一人一人の社員の表情がみえるわけでもないから、その弊害が進んでいくのである。
鈴木氏がIYのトツプに就いて24年、もう4分の1世紀になろうとしている。当時の大学新人がいま40代半ば中堅社員である。その思考停止の社員集団から今の時代を切り開く創造力が一朝一夕に出てくるとは思えにくい。これこそが鈴木氏の残した最大の負の遺産である。いま7&iは鈴木氏の後継者たちによって、というのは鈴木氏の思考の枠内でしか考えてこなかつた人達によって運営されているのだが、彼らがこの負の遺産を払しょくできるとは到底考えられない。それは自分自身の否定につながることでもある。
ヨーカドーの先行きに時代は待ってくれるだろうか 私は悲観的である。貧骨
Cosmoloop.22k@nifty.com

■小売の十字路127 ■2016年12月21日 水曜日 14時54分41秒

戦後は酉年から始まったという意味深
飛躍の12年か、どん底の12年か  
皆様の読み筋はどちらでしょうか

あけましておめでとうございます。本当に一年過ぎるのが早く感じられますが、それは歳をとったせいかもしれませんがひょっとしたら時間そのものの速度が進んでいるのかもしれません。
今年はどんなお宝の年になるのでしょうか、できることなら「ここ掘れわんわん、金銀ザクザク、濡れ手の泡で50両」なんてことになれば申し分ないのですが、天網恢恢、神様はちゃんと見ているわけで、額に汗して働かざる者にはたぶん「キャン」と泣いてしまうようなきびしいお仕置きが待っているのではないでしょうか。世の中案外公平に出来ているものです。
そういえば昨年は一月しょっぱなから株はどんどんと下がり、上歯と下歯がかみ合わないほどの恐怖を味わった方もいらっしゃるでしょう。が今年はなんといったって「あれよあれよのトランプさん」の登場ですからね。春から縁起がいいかもしれません。おやまた金で金を生ませる話になってしまいました。なにはともあれ皆様にとって穏やかで実り多き一年であることを祈っております。
さて2017年は酉年です。あの戦争が終わり新生日本が始まった1945年も酉年でした。戦後日本にとつて酉年は節目の年なんですね。1957年は戦後の混乱がおさまりこれから高度成長がはじまるその助走の年です。
1969年は高度成長のひずみが出て、成熟したゆたかな社会への転換点になっています。1981年は戦後日本経済の集大成とバブルの時代の起点になっています。1993年の酉年は1995年から構造改革が始まるようにバブルの清算の出発点です。そして2005年からの12年は政権交代に特徴づけられる政治的波乱の時代でした。
酉年の特徴は時代の明確な転換点ではなくその助走点だということです。3年位たつとその変化の相がはっきりと現れてきます。それではこれからの12年はどうでしょうか
2017年から2028年、東京オリンピックもあれば、大阪万博も期待されています。観光立国として国内消費は持ち直すかもしれません。AIやロボットの進化が切り開く世界も見逃せませんが、一方で経験値のない超高齢化社会の大いなる負荷がすべてを飲み込んでしまうとも思えます。皆様の読み筋はどちらでしょうか。
2017年の年頭に立って小売りの現場感覚でいえば、楽観よりは悲観に傾きますが、ともかくも新しい12年が始まるのですから、時代への問題意識だけは研ぎ澄まして、主流に流されることなく傍流に足元をすくわれることなく、健康と資金繰りに留意しつつ自分の信じる在り様を掘り下げていければと思っております。今年もよろしくお願いいたします。                                貧骨
Cosmoloop.22k@nifty.com

■小売の十字路126 ■2016年11月7日 月曜日 14時3分24秒

なぜ宝飾業界は低迷するのか
市場活性化無策のツケ

我が国経済の個人消費が伸び悩む中で、それならば奢侈品の象徴のようなジュエリーが売れなくても当然という雰囲気が業界の中にもあるけれども、販売不振の理由はそれだけではない。
高齢化、将来不安、派遣労働者の増加に見る格差の拡大、デフレによる金融資産価値の上昇、モノあまりなど確かにマーケットは厳しいが、そこに主体的に取り組んでジュエリー市場を活性化しようとする施策がほとんど見られないこともこの業界の低迷を長引かせている一因であるに違いない。
いかなる時代にあっても女性というのは年齢を問わず、美しくありたい、着飾りたいという気持ちは変わらずに持っている。それだけでなく日頃から芸能人や他の女性のファッションに関心を持っていて、自分も彼女達のように洗練されたおしゃれをしたいと絶えず比較の中で暮らしている。ちょっとブームが起これば、わたしもわたしもということになる。
だからジュエリー市場の活性化というのは、真珠やダイヤモンドをどう売っていくのかという直截的なこと以前にまずはジュエリーが世間の話題になるようにしていくことで、そこからだんだんとこの市場の温度が上がっていくというか、消費者の中での購買順位付けがよくなっていくことをいうのである。けれども売っていく側がその点について全く無自覚で、ただ目先の商品をどう売るのかしか考えていないから、点が点でしかないのでそのうちに点が消滅して行っているのである。
ジュエリー神社を作ったらどうだと何度言っても無視されているが、今では神社が外国人観光客に大人気でとりわけオミクジはとても面白がっているという報道を読むと、さっさと作っておけば少なくともメディアが片隅にでも取り上げてなにがしかの宣伝効果を生むものを思う次第である。神社に限らずたとえば「銀座で見かけたジュエリー美人」の企画でジュエリーを身に着けている素人さんを何らかの形で紹介すれば、それも話題性はあるわけだから、女性の関心を呼ぶに違いない。
女性のファッション雑誌に取り上げられればそれはもうラッキーこの上ない。そういう急がば回れのけれどもメディアが取り上げやすいような「絵」になる地道な事をコツコツと仕込んでおこくことが、ジュエリー市場の活性化につながるのである。「絵」になるということはTVがもっとも喜ぶことでもある。
いま街中の女性を観察しているとパールのロングサイズネックレスがいくらか流行っているように見受けられるが、その流れをさらに強くするために発信力のある仕掛けをすれば、ブームになる予感がある。が、ではいったい誰がという主体の話になるとこれはもう見当がつかないのが現実である。
いま目の前でどんな変化が起きつつあるのかその議論の場さえ無い。ジュエリー協会(JJA)が真っ先に思い浮かぶがどういう問題意識で運営しているのか理解しがたいところがある。
JJA発の斬新な活性化企画にお目にかかったことが無い。こうしてブチブチ文句を言いながら今年ももう10月を迎えてしまった。ジュエリー業界の冬は暗く長そうである。 
                                   貧骨     
Cosmoloop.22k@nifty.com
■小売の十字路 125 ■2016年11月7日 月曜日 13時58分54秒

イトーヨーカドーの再生は可能か
鈴木体制の負の遺産を考える。

昼食に弁当を食べるときは近くのイトーヨーカドー(以下IY)を利用している。そのさいには日本茶ペットボトルのホットを一緒に買うことにしているのだが、困ったことに夏場になると売り場はすべて冷やしたものに替わってしまうのでホットのものは手に入らない。致し方なく面倒だがお茶だけを近くのコンビニに買いに行くことになる。いちどこのことでIYのお客様の声に投書をしたことがある。
「夏とはいえ、弁当に温かいお茶はつきものだし、それだけではなく冷たいものを飲み過ぎてお腹を壊した人もいるだろう。ホットのお茶は常に必要だし事実コンビニには年間置いてあるのになぜ陳列しないのか」そんな趣旨だったと記憶している。帰ってきた答えは全くトンチンカンだったのでそれ以上は踏み込まなかったが、あれからもう7,8年経つが今でも私の利用するIYの食品売り場には夏になると弁当は売っているがホットのお茶は消えるのである。
とりたてて問題視するほどでもない話なのであるが、IYの対応で似たような事例にぶつかったことはいくつもあって(差しさわりもあるので割愛するが)、対処の方法で共通しているのはIYのスタツフは何事によらずマニュアル通りに事を処理することに慣れていてそこから一歩たりとも出ない姿勢が実に鮮明だということである。お客さんの声にはきちんと答えるというマニュアルがあるからその通りにとりあえず回答だけはするが上からの方針で夏場は冷たいものを置くとなればその通りにする。だからこちらの疑問にきちんと答えるという内容のある受け答えになっていないのである。組織人としては確かに優等生なのであるが、現場の生きた回答を出せないのである。
たぶんそういう人は異端児として扱われるのだろうと推測している。
これはもうIYの体質ともいうべきもので、その源をたどれば鈴木前’7&i会長が推し進めたトップダウンの意思決定方式だと言わざるを得ない。鈴木氏は「世の中の変化の速い流れに速やかに対処するにはトップダウンでなければならない。多くの意見を聞いてその集約をしていては世の中に立ち遅れる」趣旨の発言をしてどんどんとその路線を推し進めたが、それは結局のところ一人のカリスマと多くの思考停止の集団を生んだことは間違いがない。
トップダウンの意思決定方式は、一時的、緊急避難的におこなうもので常態化すれば、ただただ上からの指示に黙々と従うだけのメンタリティーが組織の隅々まで行き渡ることになる。鈴木氏の鶴の一声で一切がひっくり返ってしまった嘆きの声をIYの取引業者からしばしば聞いたことがあるが、多分IY社内ではだんだんと諦めと思考停止の空気に支配されてきたのだろう。
零細、中小の会社ならトツプダウンは当たり前だが、それがさほど問題ならないのは小さな会社ほど社員の表情や態度が見えるからであり、それが一つのデータとしてトップダウンの方式に一定の抑制を与えているからであって、IYほどの大企業ともなれば一人一人の社員の表情がみえるわけでもないから、その弊害が進んでいくのである。
鈴木氏がIYのトツプに就いて24年、もう4分の1世紀になろうとしている。当時の大学新人がいま40代半ば中堅社員である。その思考停止の社員集団から今の時代を切り開く創造力が一朝一夕に出てくるとは思えにくい。これこそが鈴木氏の残した最大の負の遺産である。いま7&iは鈴木氏の後継者たちによって、というのは鈴木氏の思考の枠内でしか考えてこなかつた人達によって運営されているのだが、彼らがこの負の遺産を払しょくできるとは到底考えられない。それは自分自身の否定につながることでもある。
ヨーカドーの先行きに時代は待ってくれるだろうか 私は悲観的である。
■小売の十字路 124 ■2016年11月7日 月曜日 13時58分38秒

イトーヨーカドーの再生は可能か
鈴木体制の負の遺産を考える。

昼食に弁当を食べるときは近くのイトーヨーカドー(以下IY)を利用している。そのさいには日本茶ペットボトルのホットを一緒に買うことにしているのだが、困ったことに夏場になると売り場はすべて冷やしたものに替わってしまうのでホットのものは手に入らない。致し方なく面倒だがお茶だけを近くのコンビニに買いに行くことになる。いちどこのことでIYのお客様の声に投書をしたことがある。
「夏とはいえ、弁当に温かいお茶はつきものだし、それだけではなく冷たいものを飲み過ぎてお腹を壊した人もいるだろう。ホットのお茶は常に必要だし事実コンビニには年間置いてあるのになぜ陳列しないのか」そんな趣旨だったと記憶している。帰ってきた答えは全くトンチンカンだったのでそれ以上は踏み込まなかったが、あれからもう7,8年経つが今でも私の利用するIYの食品売り場には夏になると弁当は売っているがホットのお茶は消えるのである。
とりたてて問題視するほどでもない話なのであるが、IYの対応で似たような事例にぶつかったことはいくつもあって(差しさわりもあるので割愛するが)、対処の方法で共通しているのはIYのスタツフは何事によらずマニュアル通りに事を処理することに慣れていてそこから一歩たりとも出ない姿勢が実に鮮明だということである。お客さんの声にはきちんと答えるというマニュアルがあるからその通りにとりあえず回答だけはするが上からの方針で夏場は冷たいものを置くとなればその通りにする。だからこちらの疑問にきちんと答えるという内容のある受け答えになっていないのである。組織人としては確かに優等生なのであるが、現場の生きた回答を出せないのである。
たぶんそういう人は異端児として扱われるのだろうと推測している。
これはもうIYの体質ともいうべきもので、その源をたどれば鈴木前’7&i会長が推し進めたトップダウンの意思決定方式だと言わざるを得ない。鈴木氏は「世の中の変化の速い流れに速やかに対処するにはトップダウンでなければならない。多くの意見を聞いてその集約をしていては世の中に立ち遅れる」趣旨の発言をしてどんどんとその路線を推し進めたが、それは結局のところ一人のカリスマと多くの思考停止の集団を生んだことは間違いがない。
トップダウンの意思決定方式は、一時的、緊急避難的におこなうもので常態化すれば、ただただ上からの指示に黙々と従うだけのメンタリティーが組織の隅々まで行き渡ることになる。鈴木氏の鶴の一声で一切がひっくり返ってしまった嘆きの声をIYの取引業者からしばしば聞いたことがあるが、多分IY社内ではだんだんと諦めと思考停止の空気に支配されてきたのだろう。
零細、中小の会社ならトツプダウンは当たり前だが、それがさほど問題ならないのは小さな会社ほど社員の表情や態度が見えるからであり、それが一つのデータとしてトップダウンの方式に一定の抑制を与えているからであって、IYほどの大企業ともなれば一人一人の社員の表情がみえるわけでもないから、その弊害が進んでいくのである。
鈴木氏がIYのトツプに就いて24年、もう4分の1世紀になろうとしている。当時の大学新人がいま40代半ば中堅社員である。その思考停止の社員集団から今の時代を切り開く創造力が一朝一夕に出てくるとは思えにくい。これこそが鈴木氏の残した最大の負の遺産である。いま7&iは鈴木氏の後継者たちによって、というのは鈴木氏の思考の枠内でしか考えてこなかつた人達によって運営されているのだが、彼らがこの負の遺産を払しょくできるとは到底考えられない。それは自分自身の否定につながることでもある。
ヨーカドーの先行きに時代は待ってくれるだろうか 私は悲観的である。
■小売の十字路123 ■2016年9月6日 火曜日 16時8分28秒

ミリマリストの登場と総合スーパーの苦戦
21世紀型商売の可能性について

ミリマリストというのは必要最低限のモノで暮らしていくことを生活信条としている人達のことです。生活信条ですから、貧しいとかという金銭的な制約からくるスタイルではありません。この人たちの具体的な暮らしぶりや、彼らが集まっているマンションがニュースのトピックで紹介されていたのをみて、モノ余りの時代がついにここまで来たんだという驚きを禁じえませんでした。モノがあふれモノに囲まれている世界のなかで生まれ育ってきた世代の中からモノを相対化できるこういう感覚を持った人達が生まれてきたということです。モノと自分との距離感というのがはっきりしていて、それが故にモノに醒めているというか、自分自身をモノのなかに埋没させない生き方を目指しているというか そういう感じが見えてくるわけです。「物欲が無い」とは異質な感性ですね。このミリマリストの感覚というのは彼らほど突出しないにせよ今の若い世代に共通のものでしょう。それだけではなくて、それ以前の世代から我々団塊の世代までこの感覚は浸透しつつあるように思えます。日本全体でモノが「何とはなしにうっとうしい存在」になりつつあるといっても過言ではない状況が生まれているということです。買い取りという業態がにわかに小売りの一角を占めるようになったのも、モノが溢れる生活空間に対する違和感が陰に陽に作用していると解釈できます。たしかイオンの社長だったと記憶していますが「日本人は食以外に楽しみがなくなった」と嘆いていましたが、ある意味時代の一面を突いています。
このモノ離れ現象の中では「ブランド品」「限定品」「一点もの」のような希少性のイメージを膨らませる商品が消費者の選択肢に入るわけで、ありふれたものというよりありふれたものというイメージを背負ったモノは売れないということになります。この視点でみると大手スーパーの衣料品売り場は相変わらず大量生産、大量展示、大量販売の思想から抜け切れていません。モノ不足の中で生まれ育った団塊の世代にはモノそのものへの執着、飢餓感がありますから彼らが消費の主役であつた時代なら通用した流儀も、ミリマリストが登場する今になっては時代錯誤の売り場に成り果てています。余談になりますが夏物衣料が山のように積まれた売り場も8月半ばになると秋物に替わっていきますがではいったい売り場から撤去された夏物衣料はどこへ行くのでしょうか。なぜひと夏で売り切る程度にというのは売り場が一時ガラガラになるようにアレンジしないんでしょうか。モノが売り場にあることの安心感というかそういう心理自体がすでに今の消費者感覚とズレていることに気が付かない。「モノとは何か」その哲学を徹底して掘り下げていない証左だと思いますね。もちろん我々の業界もモノを作り販売しているわけですから同じことが言えます。そこをくぐっていかない事には展望は開いていかないでしょう。誰かが20世紀型の商売から21世紀型の商売に切り替わっていかねばならないけれども、その21世紀型のビジネスモデルがいまだ確立されていないと発言していましたが、その通りです。もうすぐ21世紀も5分の一になろうとしています。売上の低迷を嘆くよりもモノと向き合うわれわれのビジネス頭脳をモデルチェンジしたほうが遥かに希望が持てるというものです。         貧骨
■小売の十字路122 ■2016年7月29日 金曜日 15時6分53秒

なぜ送料が60%も値上がるのか
リズム時計は丁寧な説明を

今年の6月からリズム時計に商品を注文した時の送料が値上がった。上代総額20,000円未満(税抜)の場合、従来500円+税だった額が800円+税に変更になった。なんだよこれ、ひどいじゃないか これじゃあ3,500円の目覚ましを1、2個頼むわけにはいかないよ。今みたいに消費が低迷していてまとめて仕入できないのが零細小売の現実なのに、それに追い打ちをかける仕業だね。時計業界は販社とメーカーが一体だから、リズム時計の商品はリズムに発注するしかない。事実上の独占体制だから、小売りにとつては否応のない話である。これって独占禁止法でいう優越的地位の乱用じゃないのかね。
リズム時計が配布した値上げについての文書をみてみよう。
「さて、弊社では平成28年6月1日より小口配送料金価格を改定します。
昨今の運送業者の労働改善に伴う値上げ要請に対応すべく、弊社では業務の効率化、経費の節減で価格維持に努めて参りましたが、これ以上の自社でのコスト吸収が困難であると判断し、誠に不本意ではありますが、小口配送料金の価格改定を実施させていただくことといたしました。」
え、なんとなく変じゃないこの文面。「労働改善に伴う値上げ要請」ってどこの運送業者でしょうか。佐川急便ですか、ヤマト運輸ですか、日本郵政ですか、宅配競争は熾烈な競争を繰り広げていてとても運賃値上げの状況下にはないと思いますが、ほんとに値上げ要請があったのですか。それなら別の業者と交渉したのですか。わが店も宅配を利用しているが値上げの話などないし、佐川の運ちゃんに聞いてみたけど値上げなどありませんと言ってましたが。さらに労働改善のコストを吸収できないほど運送業者は利益が出ていないでしょうか。2016年3月期の各運送会社の決算をみてみます。
ヤマト運輸 経常利益 694億円
日本通運  経常利益 623億円
日本郵政  経常利益 9662億円
新聞を読んでも国内景気の低迷で相変わらずデフレが続いているのに、いったいどこから値上げ要請がでてきたのか。リズムさんには説明責任があるとおもいますよ。
邪推だと断ったうえだが、本当は値上げ要請などなかったのだが、リズム自体が経営難から従来の送料を維持するのが困難になったために、値上げを決めたのではなかろうか。
真相はわからない。けれども一理はある推測だとおもいます。それにしてもいつも思うのは、メーカーというのは負担する側への配慮など微塵も感じられない文面を作るね。文は人なりというが、官僚的というか、たかが300円と思っているのか、零細小売の苦境など眼中にないのか、そっけない姿勢が伝わってくる。それでこの時代を乗り越えていけるのか。あの文章を読んで「さあリズム時計の商品を仕入れよう」とだれが思うだろうか。
「皆さんも苦しいが私たちも苦しい。どうか値上げを我慢してください。業績が上向いたときはかならず値下げさせてもらいます。よろしくよろしく本当によろしくお願いいたします。」 平身低頭 この程度の文章を書いてみろ。             貧骨 
■小売の十字路121 ■2016年7月13日 水曜日 15時40分38秒

試論 売り上げを追うか 客の変化を追うか

どの商売でも同じだろうけども、売り上げの数字は追っかけているし、追っかけられている。経済全体のパイが年々成長しているときは、売り上げの数字を追うことはごく自然なことでそれは目標であってもなにひとつ疑問なことはない。予算達成まであと少し、よしあのお客さんにOOを売り込んでしまおうという営業スタイルも通用したのである。そういうことが長く続いたので、今でも数字を追うことが現場の仕事のありかたとして当たり前になっている。そこでは消費者の像というものがシンプルにして一律のものとして把握されていてたとえば、誰もがモノへの欲求が強くあり、人並みあるいはそれ以上の生活をのぞんでいるという前提が設定されている。というより、そういう時代であってだから組織のトップから中間管理職、現場の販売員まで一丸になって数字を追いかけた。結果売れないのは売る側の主体的な努力不足、精神力不足ということになる。が時代が少しずつ変化して、モノ余りが明白になり、さほど欲しいものが消費者に見当たらなくなっている現実と、一方で過剰なほどのメディアを通じた消費刺激に消費者自体がさらされている現在、消費者の在り様は極めて複雑である。それゆえただ営業数字を第一義的に追い続けるということは、現場の営業に無理な売り込みを強いることになる。営業員が数字合わせのために自腹を切ることになることは、社会的な事例がよく示している。
こういう時代では売り上げの数字の意味というものが変わってきて、必ずしも売る側の目標というわけではなく、むしろ消費者の変化にいかに対応できているか否かの指標という意味を帯びている。このことが十分に理解されていないと、小売りというのは伸びていかないのである。ここで大事なことは、組織のトップがこのことを深く理解しておかないと、組織というものは相変わらず売上を目標としてしまうということである。「深く理解して」というのは、売り上げが停滞したときに、部下に何故なんだ何とかしろという形ではなく、客はどう変化しているのだ、どこで客の要望とズレたのだという問いを発することができるか否かということである。このことに自覚的でないといつの間にかまた数字を目標にしてしまっていて、結果と目的の混同が起きるのである。
いままで客はシンプルでたとえば値引きをすれば売れるだろうぐらいに考えていたイメージを、より細かく丁寧にそしてなお変化し続けるものとして把握し直すという、実にやっかいな、けれどもこれこそが客なるものと本気で向き合う小売の本来の姿勢に我々が立ち返ることでもある。
その答えはまさに仮説と実験の繰り返しの中にしかないのであるが、宝飾や時計という商品回転率が低い我々の業種にも当てはまることは間違いない。消費者に影響をあたえている種々雑多の情報の中から、分析と検討と対策の作業を日々間断なく行えてはじめてこの停滞感漂う時代から脱け出せるというものであろう。     貧骨
■小売の十字路 120 ■2016年5月30日 月曜日 12時45分36秒

鈴木敏文を退任に追い込んだ「日本の常識」(続)

いずれセブンイレブンは平凡なコンビニになる

前回は鈴木敏文という人が、日本的な取引慣習にとらわれることなく、消費者都合を徹底して貫く姿勢がセブンイレブンをコンビニ日本一にした話をしましたが、そのつづきです。

今回井坂社長の交代案が否決されたことで、鈴木さんはいわば足をすくわれた形になっていますが、交代提案の理由に井坂氏を評して「物足りない」と言っています。何が物足りないのでしょうか。社外取締役達との対立点もここでした。最高益を出している社長の交代は社会の理解が得られないという反論でした。ここに鈴木さんの小売哲学のもう一つのメジャー(判断基準)があります。それは「変化力」です。
今年一月イトーヨーカドーの戸井社長が業績不振の責任を取る形で辞任していますが、直前の幹部会で鈴木さんは厳しく叱責しています。「ヨーカドーはなんにも変化していない。だから売り上げも利益も落ちっぱなしだ」とまあそこにいたわけではありませんが、そういう趣旨を言うわけです。ここはとても肝心な所で、要するに「変化」してないから売上が落ちると言っているわけです。でも世評というものは「売上不振」で社長の事実上の更迭と報ずるわけです。ここにすでに誤解の萌芽がありますし、世の中の常識との対立がほのみえています。象徴的なのが後任の社長に前社長の亀井氏を据えたことです。この人事について、雑誌の記者が「亀井さんの時にもヨーカドーは売上不振なのになぜですか」という問いに「いや彼でいいんだ、つなぎの役ではない、かれは分かっているから」と答えています。
売上や利益は目標としての第一義ではない。それは変化していくことで得られる結果ということになります。表にはほとんど出ませんがセブンイレブンも投入した商品にしてもサービスにしてもかなりの失敗例は隠れているはずです。仮説を立て実験し検証するというよく知られている論理からいえばそうなります。けれどもその失敗例の検証から例えば100円コーヒーのような爆発的なヒット商品が生まれることでおおいなる利益にむすびつきます。するとその従来にないものを作り出す精神こそが最も貴重ということです。まずは売上、まずは利益の発想がない。販売直前の弁当が、いわば鶴の一声で廃棄される映像をTVが流していましたがそれもお客さん都合がすべてということです。
鈴木さんの著書を読むと消費者の変化にいかに対応したかの成功体験がいくつも書かれていますが、書かれていない事があります。それは他社のことです。ファミリーマートもローソンも一切言及がありません。(わたしの知る限り) これは鈴木さんにとつて消費者の変化とだけ向き合ってきたことの証左にほかなりません。たぶん他社というのは情報としては持っているでしょうけれど、視野には全く入っていないのでしょう。消費者の求めるものをひたすら追求すれば結果はついてくる。その一点だけがコンビニの生命線ということになります。
ではなぜそのように変化していかなくてはならないのかという本質的な問いがでてきます。
一言でいえば消費者が変化しているからです。その求めるものがミクロの目でみれば日々というか刻々と変化しているからです。その変化の源は混とんとした時代の一切合財でしょうが、消費との因果でいえばどこをすくい取るべきか、それは仮説と検証の繰り返しの作業の中にしか答えはないということです。
井坂氏の問題に戻りますと、7年間セブンイレブンの社長を任せたけれども、「変化力」という点では「物足りない」、だから更迭するということになります。最高益は過去形であって将来をたくすという点では「物足りない」ということになります。自分が作り出したレールの上に載っているだけであたらしいものがでてこない。そこに井坂氏への不満があります。同時に鈴木さんはその「変化力」のメジャーを徹底します。だから後任の古屋氏が年齢では井坂氏より上であることは全く問題視しません。「変化する能力」こそセブンが生き残る最優先の基準となります。「老害」なんて発想それ自体がないんです。ここにも日本の常識とぶつかる素地がありますね。好き嫌いとか、派閥とか、そういう私情が絡むのが日本の人事の常識ですから。
だから見る方にそういう「常識」があるから鈴木さんの次男を後継者にしたいという噂に惑わされちゃう。小売りの現場にいれば私情を挟めるほど甘い世界ではないことは一目です。
「鈴木さんも人の親なんですねえ」とまことしやかな嘘を平気で書く輩がいるから始末が悪い。小売りをやればわかるんです。

でもこの鈴木さんの日本のコンビニをというかセブンイレブンをここまで大きくした哲学はシンプルなんだけど一面外から見るとわかりにくいんです。「お客様都合」「変化力」といっても多義性というか解釈の幅があるんです。カリスマだから鈴木さんの判断で社内的には通ってきましたけど、外部の人間にはなかなか理解がむずかしい。誰の目にもはっきりとわかるものじゃない。まあ社外取締役など商売なんてやったことがないから机上の常識を振り回すんです。理屈だけは一人前ですから。「正義は我にあり」
売上高昨年比何%、経常利益ooo億を計上という方が、人間評価としてもすごくわかりやすいし説得力がありますからね。だから指名報酬委員会で社外取締役と議論しても、鈴木さんは論破はできない。そこにコンビニ知らずの学者や官僚の凡庸さが見て取れるわけですが、それでは結局セブンイレブンは売上や利益を第一優先で追う企業になってしまう。今度の事態で一番不安を感じているのはセブンイレブンのオーナー達でしょうね。彼らはともかく生活がかかってるわけですから。

ともかくも事態は鈴木さんの退任で一段落しました。「日本の常識」がその筋を通したという事でしょうが、その後継を誰が継いでも鈴木さんのようにはいかないでしょう。それだけははっきりしています。この事は経営能力の優劣という点にではなく、セブンイレブンの運営原則とも生命原則ともいえる「お客様都合」「変化力」の徹底化という点に於いてです。
さほどのミスもなくよく貢献してくれている、そのうえ主要株主の子会社でもある三井食品を切る、最高益を出し続けている社長を更迭する、「お客様都合」「変化力」の徹底化とはつまるところ日本の商慣習、日本の常識を力でねじ伏せることです。そんなこと普通はできっこないんです。鈴木さんが出来てしまうのはそこで妥協してしまう自分を許せないもう一人の自分がいるからでしょう。決断するにあたってためらいとか葛藤は当然あると思いますけどそれを自分の中で押し切る精神的な強さがあるということです。だから鈴木さんにとって代わる後継者がなかなか出ないんです。鈴木さんは自らの日本人的な感性を半永久的に自己否定しつづけていくという意味でじつに稀有な経営者です。半永久的というのはだれでも一度や二度は出来てもだんだん矛先が鈍るのが日本人なんですが鈴木さんにはそのゆるみが全く感じられないからです。それは成功体験に満足せずつねに自己改革に徹していくセブンイレブンと重なります。
鈴木さんの退任それはセブンの自己改革の緩慢化へとそして平凡なコンビニに成り下がる日がやってくることを意味しています。     貧骨
■小売の十字路 119 ■2016年5月2日 月曜日 15時11分1秒

鈴木敏文を退任に追い込んだ「日本の常識」
いずれセブンイレブンは平凡なコンビニになる

愚かな事をしたものです。小売業にまったくの素人の学者風情が常識を掲げてセブンの会長鈴木敏文を退任に追い込んだのですから。この騒動には正直びっくりしました。いずれセブンイレブンのオーナー達からこの社外取締役連中は集中砲火を浴びることになるでしょう。がその人間的な確執劇は脇に置いて、今回の騒動を鈴木氏の小売哲学と日本的常識の衝突という点から見てみたいとおもいます。それは我々にとっても面白いというかとても勉強になる事案です。
鈴木さんの小売哲学を象徴するような事柄が4月21日の日経新聞に掲載されています。
それはセブンイレブンの取引先を三井物産から国分に変更したときの経緯です。ちょっと引用してみます。

セブン&アイの主要株主である三井物産グループとの取引を減らすと言い出した鈴木に対し、井坂は「セブンプレミアムの商品開発で貢献してもらっている。」と強硬に反対した。
その後、井坂の反対を押し切り、三井物産系の三井食品との取引の大幅削減を決めた。代わりに食品卸3位の国分グループ本社と結んだ契約は年間1000億を超える。ほとんど付き合いのなかった国分が一躍、大口取引先となる異常な事態。競合する食品卸のある幹部は「三井物産によほどのミスがあったなら分かるが、そんな噂は聞こえてこない」と驚きを隠さなかった。

鈴木さんのメジャー(判断基準)は極めてシンプルです。お客さん都合の徹底で売り手都合はいっさい認めないということにつきます。でもこのことを実際に徹底するというのはほんとに難しいんです。たとえばわが社にもジュエリーの問屋がやってきます。持ち込まれた商品の中に欲しいものが無かったとします。でもこの前いろいろと世話になったからね、とか、
まあこっちの方面までわざわざ来てくれたんだからとか言って商品を2,3点仕入れることは日常的なんだけど、それってお客さんが欲しいものじゃなくて会社相互の関係性を優先していることになるわけです。仕入の担当者が、仕入先からバックマージンを貰うというのも似たような構造です。これは日本人特有のしがらみとか、義理だとか、持ちつ持たれつという関係がビジネスの社会にもはびこっているからです。結局お客さん都合の真逆になるわけですが、われわれはそこを徹底できないように生きているわけです。事の大小はあるにしてもというか大問題にもかかわらずというか、主要株主だとか、別の事で貢献してもらっているとか、よほどのミスがないとかそんなことはお客さんにとつては全く関係ないことで、だからスパっときれるのが鈴木さんのメジャーなんです。主要株主に関係があったら普通はそこそこ考慮しますよね。さかさまに言うと主要株主のほうに甘えが出るんですね。「こっちは株主だよってね」だからわれわれは井坂さんのように振る舞うんです。そこにシンパシーを感じるわけです。すると取引先と良好な関係になるんだけど、気が付くとなあなあになっていて結局会社都合が優先しちゃうんですね。改革という旗をかかげていても建前になっていて、小手先の修正で妥協しちゃうわけです。日本人の常識的な人間関係がどうしても顔をだすんですね。
その点鈴木さんは徹底して妥協しない。だからこそセブンイレブンの今の最高益があるんです。                       つづく
                  小売の今を読み解く       貧骨
■小売りの十字路 118 ■2016年5月2日 月曜日 15時7分11秒

ジュエリー業界
値引き商法を蛇蝎のごとく嫌う人たちはいるけれど

ジュエリー業界に35年以上身を置いてますけれど、この業界の胡散臭さというのはいつまでたっても感じますね。それってどこから来るのだろうかを考えていくと、商品の価値と価格の関係がとてもアバウトなところにあるでしょうね。今年初めのIJTでエメラルドのリングを探したんですが、本当に価格はまちまちで、ほぼ同じくらいの品質のものが一方では80万、他方のブースでは150万に付いていて、あらためてこの業界っていうのは分からないなと思いました。我々のような業者でさえそう思うのだから一般消費者はもっとわからないでしょう。ジュエリーの値段に適正価格があるのかどうかそれ自体があやふやですね。まあそこにこの業界の面白みというかうまみもあるのだけれども一方で信用、信頼という点で見ると実に怪しげなわけです。そこで小売りの展示会やセールなどでメーカー価格の5割引きとか半額以下なんてチラシをみると、こういう商売をしている輩がこの業界の信用を落としている元凶なんだ、とんでもない奴らだという、ちょっと短絡的な発想がうまれるのでしょう。なかには「おれっちの仲間に入るんだったら、まっとうな商売が条件だからね。値引き販売なんてぜったい認めないよ」そんな会もあるかもしれません。
でもあらためてジュエリーの値引きについて考えてみると、「ダメダメ」みたいな感じと違う現実が見えてくるんです。
例えばですが、小売りの私が仕入れに行ったら、卸の処分市をやっていて本来⒑万円するものが3万円でいくつか手に入ったとします。それに25万の定価をつけて赤札⒑万円均一で店頭に並べたらそれはどこか不当な事かといつたらそんなことはないはずです。
あるいはパールのネックレスのロットの中に他のものと比べていいものが混ぜっていて、それを仕入れた場合価格を高めにつけて値引き販売しても問題ないでしょう。現金払いと伝票つけ払いでも仕入れ価格に違いがでてきますしね。小売りの企業努力という観点から発想していくと値引き販売というのにもそれなりの合理性はあるわけです。
じゃあ業者がつくっているチラシなどに現実離れした定価がついていてそれの値引き販売はどうなんだという論もあるかもしれません。客をだましているイメージですね。でも小売の現場にいると、消費者のほうがちゃんと心得ていてそんな定価じゃないよねなんて言いながら、でも関心をよせているんです。30万のものが⒑万で手に入って、でも自分の身に着けているジュエリーは30万のものなんだという満足感があるんですね。その満足感というのはとても大切なもので、とりわけ女性は、上手に買い物をしたいという気持ちが強いんです。セール好きは女性特有の心理でしょう。よっぽど馬鹿馬鹿しい値段でもつけない限り、文句なんて言うはずないです。信用問題にもなりません。
僕らだって仕入展示会で9割引きなんて看板があれば、とりあえず行ってみますね。それって嘘くさくても楽しいんです。
ただひとつ言っておきたいのは、値引き商法というのは常時やっていれば飽きられてしまうという現実です。だから真っ当なというか、世間に通用する価格を付けた商売をし続けての信用があってこその値引きだということです。そこをお忘れなく。貧骨
■小売の十字路 117 ■2016年2月26日 金曜日 13時13分26秒

セイコーサービスセンターは公開見学会で時計店の修理応援を

私の町の周辺はSCがパタパタとよくできる。隣町のちょっと先、北へ車で20分位行ったところに大きなSCが昨秋にできたと思ったら、店の近くのSCが改装オープン。つづけて駅ビルが従来よりも1.8倍も売り場を拡張して新装開店。やれやれこれで一段落かいなと思っていたら西方面の隣町にそれも私の町との境の近くにどでかいSCが今年の秋にオープンの予定との話があった。ぎゅうぎゅう詰めの満員電車にさらにどかどかと乗り込もうとするのだから誰かが押しつぶされるしかない。進出する側はコンセプトがどうのこうのと能書きを垂れるけれども有力テナントなんてものは決まっているのだから消費者から見りゃ似たり寄ったりなものに違いない。一度行けばすぐ飽きるのであるがある程度客は流れて戻らない。だからただひたすら満員状態が続くだけで既存も新規もみんな採算は苦しいのである。ま、SMの世界、被虐の悦楽ですな。苦しいのが日常で慣れっこになってしまう。
はて面妖な、それではいったい儲けているのはどなたかなと考えてみると、おいしい話をにおわせてテナントを集めているSC運営会社か、そのどでかい建築物を作った建設会社がすぐに頭に浮かぶけれど、それ以外にもテナントの店舗設計や施工を請け負っている会社でしょうね。では主役のはずのテナントはどうかといえば、私の見立てでは???????????ですな。
いや話の本筋はそこではありません。日本国中いたるところに起きているこのSC乱立状況のなかでは零細個人商店に限らず多くの小売店がモノを販売して生き残っていくのは至難の道だということです。メーカーなり卸しからモノを仕入れて売るのではどのみちモノに他店差別的な競争力があるわけではなし、じり貧は既定の路線です。
だからこその時計の修理なのですが、それだってただポスター一枚張れば修理品が集まるわけではありません。消費者から信頼を得るための日々の努力を惜しんではなりませんが、その一環としてぜひセイコーサービスセンター(SSC)には小売店のための公開見学会を開催して欲しい。これからは時計技術を磨くというよりは、消費者に時計修理についてわかりやすく説明できる能力が必要とされると時代でしょうから。とりわけソーラー時計などメーカー修理のウエイトが高くなる一方なので、実際の修理の現場をみておくことは話に説得力が出てきます。そのことはまた正確な知識の伝搬と修理にやる気のある店を育てることにも繋がるでしょう。「セイコーの修理の現場を見てきましたけど、いやほんとにすごいですよ、あれなら間違いなく修理は安心してまかせされます」そういう会話が、パートのおばさんでもできれば店の信用は確実に上がるし、SSCにとつても小売店が修理のどういう点で困っているかの情報収集の一助になるでしょう。
JJAが造幣局の見学会を募集していて、私も以前参加しましたが直接販売に役に立つわけではありませんがやはりお客さんとの対話の中で話に奥行きが出てきます。いい体験でした。日頃見えないところを覗くのはそれなりに刺激になるものです。
本来なら時計組合の企画でしょうけれども力が落ちてますから、やるならSSCが主体になって企画して欲しいですね。それは回りまわってセイコーの信用力にプラスになって跳ね返ると私は信じています。     貧骨

■小売の十字路 116 ■2016年1月29日 金曜日 14時59分46秒

消費者心理 その核にあるもの

店で暇を持て余していた時、パートさんが「家の近くにユニクロがあるんですけど、流行っているんですね、レジが10台あってそれぞれに行列ができているんですから」という話になった。そんなものかなと思っていたら、駅ビルにユニクロがオープンしたので見に行ったらなるほどここでもレジに行列ができていた。ユニクロの商品というのは特別見た目にも個性的というわけではない。極々ベーシツクで無難なデザインのアイテムが、整然とあるいは山積みに展示されていて、それなのになぜこれほどユニクロなのと思わざるをえない。SCが開店すると必ずと言っていいほどユニクロは出店していて、我が町にも私が知る限り2店はある。日本中ユニクロだらけになっちゃいそうな勢いだけど、それはなぜなのだろうか。
独断だが、結局「安心感」なんだと思う。みんなと一緒という安心感。ユニクロはかっこいいという漠とした評価があって、自分で本当にそうなのかどうかと考えるのではなく、その評価の中にいることの安心感なのだろう。人と同じものを着ていることの抵抗感よりも、一緒であることを選択するんですね。逆に言うとあれってダサいっていう評価が広まってしまうと、もうそれだけで購入の選択肢のなかに入れない。個々の商品がどんなに優れていてもダメなんですね。個が全体の中に埋没してしまうのは、日本人の心性ですが、それは何時の時代でも変わらないのでしょう。ユニクロはみんなに選ばれたブランドだということです。
ではユニクロに怖いものなしかというとそういうものでもありません。その快進撃そのものがリスクという逆説が成立してしまうのが今の時代の消費者心理の一面でもあるのです。
モノ余りの中で次から次と新製品が出ては消費者を刺激し続けている現在では、すぐに消費者が「飽きてしまう」のです。ブームなるものは一過性ですぐに次に変化していってしまいます。わがジュエリー業界のトルマリンやゲルマニウム商戦を振り返ればわかることです。この「飽きてしまう」という心理のサイクルはどんどん速くなっていますし、飽きられれば、企業の死命を制するほどの打撃をあたえかねません。ユニクロの服が売れれば売れるほど、みんながユニクロ化すればするほどどこかの地点で「もう飽きちゃった」と言われかねないということです。だからこそ常に新鮮で常に最先端で常に旬であることを消費者に発信し続けなければならない。停滞は即転落を意味します。まあたとえていえば波乗りサーフィンみたいなものでしょうか。あるいはこういえるかもしれません。ユニクロも飽きられる、が飽きられた後の消費者の欠落感を新しいユニクロが埋めていく、その繰り返しだと。

昔ながらの日本人の気質、周囲からあまり目立たないことを良しとする気質とモノ余りの中での激しい販売競争の力学の交点に成立している消費者心理にきちんと向き合って、マーケットの勝ち組で居続けるのは、並大抵のことではないでしょう。
今の時代ユニクロよりも安くていいものを作れば売れると、商品にばかりこだわると、要するに目に見えるものに安易に飛びつくと間違えます。ユニクロの二番煎じでユニクロを抜き去ろうとするのは虫のいい話です。商品プラスアルファのアルファの部分がとても大きな比重をもっている現在の消費者心理を解読することこそが第一義のはずです。           
               
小売の今を読み解く       貧骨
■小売りの十字路115 ■2016年1月15日 金曜日 14時53分44秒

小売りからみたセイコー
「やっぱりセイコーだね」と感心するところ

あけましておめでとうございます。今年平成28年は丙申(ひのえさる)の年です。丙申というのは陽の火と陽の金の組み合わせで相剋というんだそうで、火剋金と書いて意味的には「火が金を滅ぼす」ということです。ぎょ、すぐ頭をめぐったのは日本のどこかの火山が大爆発するか、お隣の何とかに刃物みたいな国から突如ミサイルが飛んできて我が国が火の海になるかして、とどのつまり株価の大暴落が起きてしまうという悪夢のシナリオです。縁起でもありません。小心者の私は平穏にして無事の一年をただひたすら願うばかりです。春とは言わず夏とは言わず柔らかい陽の光がさんさんと降り注ぎ、仕事順調・家内円満・心身健康・美女遭遇、懐のサイフにはチャリンチャリンとリズミカルな音をたててお宝が貯まっていくという極楽の如き一年でどうかありますように。もちろん皆様の一年もそうであってほしいとわが身の次に願っている次第でございます。ことしもよろしくお願い申し上げます。

セイコーのトツプにいる人達が、自社の製品について語るときに必ずと言っていいほどグランドセイコーやクレドール、アストロンのような高級時計に言及しています。それらの製品はセイコーの技術が集約されている自慢の商品であることがこちら側に伝わってきます。
インバウンド特需もあって、良く売れていることもその背景にあるのでしょう。結構なことです。会社の役員みずから自社製品を売り込むためにメディアに語るというトツプセールスの手法と理解するならその語り口もわかりますが、そのあたりのところにセイコーの凄さがあるかと言えばいささか違うようにいつも感じています。私のような技術素人がいう事ですからその分割り引いて聞いてもらっていいのですけれども、GSにしてもそれ以外の高級時計にしても金と人材と時間をつぎこめば何とかなっちゃう製品じゃないんですかね。世界中どこにいても海の中でもヒマラヤのてっぺんでもアマゾンの奥地でも現地時間も海外時間も誤差ゼロの時計ってどれほどの魅力なんだろうか。それってセイコーが開発したクォーツ時計の延長線上にあるだけじゃないの。まあ幹部さんたちが自慢したけりゃどうぞって。
じゃあどこがセイコーがすごいかっていえば、それは低価格帯製品のアルバの品ぞろえと製品の質の高さです。これってすごいよなっていつも感心しています。お客さんに安心して売れるんですね。クレームはほとんどないし、バンドの駒詰めも楽だし、電池交換も難しくない。おまけに造りにムラがない。価格だって3000円代からある。「泳げる10気圧防水」の巻タグつけて5500円なんて技術の高さを象徴してますね。自信がなけりゃ「泳げる」なんて書きませんて。品ぞろえも豊富。他のメーカーさんも太刀打ちできないですよ。アフターパーツもきちんとしている。多分ですが世界の冠たる時計メーカーでこういう仕事しているところってないでしようね。ロレックスもオメガも絶対やってませんよね。
ちょっと余談になりますが以前車を買おうとして「賢い車の選び方」なんて本を読んでいたんですが、そのなかでトヨタの一番廉価なスターレットという車について触れていて、この車種は非常に高い技術水準のもので、このクラスにこういう車を作ってしまうところがトヨタの底力なんだと。そこそこ手を抜いたって通用するんだろうけれど、そこをきちんとするというのがすごいなと覚えていて、アルバも似てるんですね。私が知る限りセイコーの役員からアルバ自慢の声を聞いたことが無いですけど、担当している人達はたいしたものです。なかなかの芸当だと思いますね。
爆買いさんに踊っている人たちが多いですが、日本の庶民に愛される安くて良いアルバ製品をセイコーさんどんどん作ってくださいね。応援してまっせ~。
小売りの今を読み解く   貧骨
■小売の十字路 114 ■2016年1月15日 金曜日 14時22分31秒

ユニクロの服は売れてヨーカドーの服はなぜ売れないのか
自分という死角

思考実験ですが、もしもユニクロの服をそのロゴだけはずしてヨーカドーの服として同一価格で販売したら、ユニクロとおなじように売れるだろうか。 商品の品質(機能性、デザイン)こそが消費者に選ばれる第一優先事項と考えるなら、同じように売れるはずなのだが。たぶん売れないだろうね。
時計業界でいえばグランドセイコーとザ・シチズンのシェアの違いに重なるものでしょう。それは商品なるものが、実は品質とは別にイメージという価値が付着していて、多分ですが、今の消費者にとつてはとても大切なものとして受け止められているからだと思います。でもそれは消費者からはとてもよく見えるけれども、提供する側からは盲点になっていることがしばしばあります。作る側が競争相手を意識すればするほど、どうしても目に見えるもの、要するに品質にエネルギーを注ぐからです。
でもイメージというのは、とらえどころのないものですが、きちんと力をもった実体です。そのことを理解して莫大な広告宣伝費をかけているのが欧米のブランドですが、そこまでいかなくてもユニクロは企業自身がブランド化しています。それは結果としてそうなったのではなく、あくまでも意識的な戦略として積み上げてきたものでしょう。ただ広告費をかければいいということではなく、どうしたら消費者の心の中に自社のイメージを刷り込ませることができるかという高度な心理技術に成功したのです。今どこのSCにも大概ユニクロはありますが、それほどに支持されているのは消費者からみてファッションブランドとして認知されているからだと思われます。
ひるがえってヨーカドーに象徴される総合スーパーはどうでしょう。商品の質や価格にこだわるほどには、提供している自らの姿には無頓着で、今でも従来型のスーパーの旗を変えることが出来ません。だからテコ入れ策として外部から人材を招いたり、新しい衣料「ブランド」を作ったりしていますが、ことごとく失敗しています。それは単品としてのモノにこだわり、全体としてのイメージの価値がみえていないからに他なりません。
誰でも目の前のモノは見える。品質もデザインも価格も見える。けれどもそれを見ている自分自身をもモノをみるように外側からみえなければ何も変わらないのです。その上で自ら全体をどう変えていくかという課題に立ち向かわなければなりません。少なくとも総合スーパーの中枢には、そういう問題意識自体が希薄だと私には思えてなりません。

モノ余りという時代軸のなかでは、いいものが安ければ売れていくのではなく、プラスアルファのイメージという部分が重みを持っているということになります。
え、それってスーパーで売ってたヤツかい、ワゴンに山積みしてたんじゃないの、そう思われるだけで、売れる以前の門前払いでしょうね。
ではスーパーのファッション衣料に活路がないかと言えば、そんなことはないと思いますが、その話はまた別の機会にします。

小売の今を読み解く     
貧骨
Cosmoloop.22k@nifty.com
■小売の十字路113 ■2015年10月29日 木曜日 15時1分19秒

ジュエリーは奢侈品なのか
店頭品揃えのための思考

一般にジュエリーは奢侈品といわれていて、不景気になるとすぐ消費者のサイフから敬遠されるモノとして扱われていますが、実際そうであろうか。そうなると小売店頭の品ぞろえなどいくら考えても無駄で、果報は寝てまての例えどおり、景気がよくなるまでは寝ているしかないのだが、それではお店が冷たくなってしまう。それは困るとなると、金を持っていそうな客を目当てに売り込み攻勢をかけるとか、大幅値引きで客引きをするか、どちらにしてもいささか無理筋の営業スタイルが主になってしまいますね。
が、たとえば真珠のチョーカータイプのごく普通のネックレス。これなどアコヤでもクロチョウでも奢侈品というよりフォーマルな場の必需品。結婚式は少なくなったけれども葬儀が増えて大概の人は身に着けて参列している。それから双方がペアで身に着けるマリッジリング。これも必需品。ブライダルリングは予算の関係で省く人たちもいるだろうけれどね。
さらにペンダントを付けるためのベーシックチエーンも必需品の一つでしょう。今迄使っていたものが劣化したり切れてしまうことはよくあることですから。
ではファッションリングはどうでしょうか。値の張りそうな色石やダイヤのリングはお出かけ用ですから奢侈品の部類でしょうが、普段使いの少々手荒に扱ってもいいリングは女性はたいてい身に着けていますから、いわば奢侈品と必需品の間でしょう。
ピアスとイヤリングは耳回りの装飾品ですが、需要の視点でみると違いがはっきりします。
ピアスは装着していないとピアスホールドがふさがってしまいますから、どうしても使わざるをえないので、一定の需要が必需としてあります。イヤリングは、その点必需要が弱いですね。ブローチも同様に奢侈品でしょうね。
ではプチネックレスや地金だけのデザインネックレスはどうかというと、洋服の胸元の空き具合では相不似合もありますし、長さの長短も考えなければなりませんから、ジュエリーのなかでも奢侈品そのものということになるでしょう。
こうみてくるとジュエリーを一括りにぜいたく品と言ってしまうのは無理があります。需要という視点からジュエリーアイテムを考えて、そのうえで店の品ぞろえに生かすと、経営の安定度というのが違ってきます。ジュエリーの場合、パールネックレスに代表される必需品は、一度購入すればしばらくは買い替えることが少ないという需要の底の浅さもあります。逆に奢侈品の類はいくつあってもいいという深さがあります。
自店の商圏のマーケットサイズや競争関係をいったん脇に置いたうえでの仮説ですが、必需品ともいうべきものから優先度を高くして厚く品揃えをしていけば、常に一定の売り上げは確保できることになります。奢侈品ともいうべきものを優先すると、売上は不安定になりますが、大きく伸ばすことも可能になります。世の中の景気の動向とりわけ消費者の動きを観察しながら品ぞろえの調整をしていくと、不良在庫をためることなく常に鮮度のある売り場がつくれます。そのためにはジュエリーアイテムの意味性を掘り下げていくことがとても肝要だと思いますね。
小売りの今を読み解く
コスモループ代表 貧骨
Cosmoloop.22k@nifty.com
■小売の十字路112 ■2015年10月29日 木曜日 14時59分50秒

接客を思考する
ジュエリー販売の接客は
どのあたりが肝心なのか

ジュエリーという商材の販売は接客抜きではありえません。「どうもうちは接客が下手で」と悩んでいる店主も多いでしょう。スタッフに専門知識をぎゅうぎゅう詰めにしてもお客さんへの接し方が雑だとうまくいきません。といって売ってくれればいい、売上をあげるスタッフこそすべてで、そのやり方を学べというのはいささか乱暴な話です。
世の中に流布されている接客ノウハウのなかには、おじきの角度がどうだとか、笑顔の作り方とか、丁寧な言葉使いとか、お客さんの見送り方とかなどがありますが、はっきりいってどうでもいいことだと思いますね。コンビニ、ファーストフード、スーパーなどのレジ対応ならいくらか役に立つでしょうけれど。大手スーパーが接客に力を入れ始めた記事をよく見かけますが、この形式的なレベルでは衣料品の販売はとても無理で、スーツなど一着も売ったことのない人の机上からの号令でしょう。OJT研修のなかに、お互いが客と販売員に扮して接客技術を学ぶ手法があって、JJAなどは接客コンテストをやってますが、やらないよりはまし程度じゃないでしょうか。
大手の専門店の元なんて肩書の人の講演もいくつか聴きましたが、核心を射るという印象を受けませんでしたね。
商品を売る、とりわけジュエリーを売る場合、一番肝心なことは来店したお客が、はっきりと購買意思を示すことは少なく、ただふらっと立ち寄ったのか、気に入ったものがあったら買ってもいい程度の気持ちがあるのか、客自身じぶんの気持ちがはっきりしなかったり、その心理は様々だということです。だからおなじみさんはともかく、一般にはお客をまずはよく観察することに尽きます。そのうえでの声掛けから始まる会話の中で、チャンスがあれば購買意欲を高めるような言葉をチョイスしながら、販売ぎりぎりまで持っていければ良しとします。声掛けの一言もマニュアルではなくその人を「見て」の言葉ですから、それなりの状況判断が必要になります。そうでなければ言葉に力がこもりませんので、ひとは反応しません。「言われた通り」が通用しないところです。逆に人を言葉で動かすこともできます。「衝動買い」という言葉があるとおりです。逆に「衝動売り」という言葉はありません。モノを売る行為はあくまでも目的をもった意思によるからです。そこに接客の技術が入り込む余地があります。スタッフの力量が問われるところです。
ノーチャンスのお客もいます。その場合でも最低限のことを販売員はしなければなりません。接客会話をする中で、意図的にお客との距離を詰めて 次回来店したときに自然に接客ができるようにお互いが相手をおぼえておくように布石を打っておくことです。さらに無駄話でもいいですから少しでも長く店内にお客をとどめておくことが、他のお客が心理的に店内に入りやすい状況を客観的には作り出していますから、その点にも留意が必要です。
アプローチからクロージングまで接客には一連の流れがありますが、その流れと店全体の状況把握の交点に接客があります。そのうえで最初の観察から会話までがうまくいけば、そこさえうまくできれば接客は成功していると思います。この最初の一歩ともいうべきところこそマニュアルノウハウが通用しない、OJTでも習得できない、スタッフの接客センスが出るところです。ここに注目して、スタッフの意識改革をすすめることこそ、接客レベルの向上につながるはずです。

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コスモループ代表  貧骨
Cosmoloop.22k@nifty.com
■小売の十字路 111 ■2015年9月1日 火曜日 16時8分40秒

「セイコー高級ウォッチ専門店」出店の? ? ?
そんな金があるなら小売りに還元しろっていいたいけど

セイコーが国内初という路面の小売店を出して、「グランドセイコー」「クレドール」「ガランテ」の高級品のみ扱うんだそうです。メーカーが小売りに進出するなんて業界の仁義に反するじゃないの。おなじGSを扱っている小売りからみればとりわけ首都圏の小売店からみれば客をとられかねないわけでまったくもって迷惑千万な話なわけです。だからブチブチと文句をいって嫌味の百も吐き出したろと思ったのだが、なにはともあれ現地調査。
ありました確かに、銀座七丁目日本橋へ延びる大通りに面して。「セイコープレミアムブティック」。中に入っても見ましたが、「なんでこんなところに日本人」ならぬ「なんでここにセイコーブティツクなの」という印象ですね。だって目と鼻の先にある「和光」とどこに商品の差があるのって思うし、ブティツクの隣はラオックスでここでもGS売ってましたよ。小売りやってる感覚でいうと、わざわざあそこで買う必然がみえませんけどね。深謀遠慮があるのか、武士の商法、金持ちの道楽か 私は後者に手をあげますね。これが新宿とか横浜とか関西なら理解ができますが。ちなみに横浜に出店して海をモチーフにしたオリジナルなGSを限定品で売り出したら結構いけるんじゃなかろうか。(おせっかいなことですが)
ま、いまのところ銀座のセイコー小売店は、ほとんどわれわれに影響なしと思います。が、
あくまでも「いまのところ」。
それにしてもどっかの県の時計組合が「こういうことは困る、今後の出店は控えてほしい」趣旨の申し入れをしたという話も聞かないから、小売りも危機感が希薄なんですね。
私が役員なら「そんな金があるならGSの値入率下げてもっと小売りが扱いやすいようにしたらどうだ。おたくの営業本部副部長は講演で専門店の皆様なくしてセイコーウォッチの成長はなかったなんてきれいごと言ってるけど、それならなんで小売りをやるのかね 言ってることとやってることが違うじゃねえか」とかみつきますが。
時計組合役員の立場の人はセイコーの銀座店が単にここで納まるのか、それとも今後の小売り展開の試験店で、ひょつとしたら全国主要都市に広げていく橋頭堡かもしれないという警戒心はあってしかるべきでしょう。朝起きたら目の前にセイコー直営小売店なんてね。だからこそセイコーに申し入れぐらいすべきなんです。JOWJAPANは月報でこのセイコープリミアムブティツクをまるで我々のお仲間が増えたみたいに紹介してますがメーカーが積極的に小売りに進出する怖さがまったく分かっていないですね。神経を疑います。
死んだばあさんがよく言ってました「首をしめられているのにキャンともいわずに尾っぽをふっていたらそりゃおまえ生きた屍だよ」 ピンポ〜ン あたり。
            
小売りの今を読み解くコスモループ代表 貧骨
ご意見ご感想はCosmoloop.22k@nifty.comまで
■小売の十字路109 ■2015年6月16日 火曜日 11時27分30秒
 
小売受難の時代
真面目な人こそ地獄へ行くというお話

イオンやヨーカドーのような大手スーパーが苦戦を強いられているのは、最近の事ではなく前々からのことです。巨大な店舗と資本とそれなりの人材を駆使しても思うような成長軌道を描くことができないのは、企業努力の不足ということではなくやはり社会の構造的なものだと理解したほうが自然でしょうね。このことはもちろん他人ごとではなく我々の業界にも通じることで、小売り全般にのしかかってきている二重苦三重苦があるからにほかなりません。
長引く景気低迷と雇用構造の変化で、いくらか経済が上向いても消費の回復に結びつかないように日本経済自体が出来上がってしまっていることは前回のコラムで触れましたけれどもちろんそれだけじゃありません。
消費者からみてモノはもう十分足りていて、あえて買わなくてはならないほどのモノはそれほど無いという現実があります。コンビニの消費が好調であると報じられていますがそれは扱い品目が食料品であったり、日常の消耗品であるからで、それならば一日にコーヒーを二杯も三杯も飲む人はいるだろうけれど、まさかTシャツを毎日買う人はいません。食料品は、衣料品や耐久消費財とはもともと需要のあり方が違うので、消費一般で論ずることは無理があり、おそらく大手のスーパーも食料品を除いた衣料品や住居関連品だけで売上高や営業利益をみたら、惨憺たる数字が出てくると思っています。セブンイレブンの鈴木会長は、コンビニの業績を背景にして持論を得々と語りますが、一方でヨーカドーは不振が続いています。鈴木理論は衣料品などには通用しないんでしょうね。要するに構造としてモノは売れないってことです。
いまひとつ指摘しておきたいのは規制のない自由競争の小売市場というのはどうしても供給過剰になりがちだということです。工場の跡地に懲りもせずパカパカと大型のSCが手を変え品を変えて出てきますけれど、結局限られたパイの取り合いだから、誰も黒字にならないんじゃないですかね。新たに出店した店だって新規の設備投資を回収するまでに、また別の新SCに客を取られちゃうんないでしょうか。まあ大資本はアンテナショップで採算度外視でも構わないけど、そうなると結局割を食うのは零細な小売店ということになるでしょう。それに加えてネットだって目に見えない売り場面積の拡大ですから、いやもうほんとに小売受難の時代と言っていいと思いますね。靴を売る、婦人服を売る、ジュエリーを売る
そういう「売る」こと一本で生き残っていくことはとても困難というか、いずれ行き詰ってしまうんじゃないでしょうか。TPPの交渉をみても政府はこれからもますます自由競争を推進していくわけですから当面公的な援護はないと覚悟しておかなくてはなりません。
そんなわけですから、まじめになんとかしようなんとかしようと努力してもなかなか報われなくて、店に資金をつぎ込むほどに借金が増えていくという話は、きわめて現実的です。
気が付くとやめるにやめられないズブになっちゃう。(ズブというのはズブズブの借金漬けのことです) いちど川から上がって冷静に自他の周囲を見回してみて、今後もやっていけるかどうか真剣に考えてみる時代のように思えます。
小売の今を読み解く 
コスモループ代表 貧骨
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■小売の十字路108 ■2015年6月2日 火曜日 11時40分18秒

「政府」が読み違えた消費の激流
賃上げがもたらさないもの

消費税が8%に上がった時、政府の経済予測は駆け込み消費の反動で一時的な落ち込みはあるものの、秋口には回復するであろうというものであつた。が現実は追加の増税を先送りせざるを得ないほどの消費の落ち込みの連続であった。なぜ予測は間違えたのか、というよりなぜ回復の軌道にのると予測したのか。その点の明快な解説を寡聞にして知らないが推測するに前回1997年の消費増税(3%から5%)の時の経験があったのだと思う。駆け込みでモノを買い込む、それが消費されてしまうのが秋口ということなのか、消費増税生活に慣れるのに半年ぐらいかかると読んだのか分からないが、おそらくその両方を勘案したのだろう。たしかに前回はそれで済んだ。が今回は違ったのはなぜか。
1997年当時団塊の世代は50歳前後で働き盛り、雇用状況も悪化しておらず2%の消費増税をこなしていくだけの余力があったことが大きい。世帯主の稼ぐ力が衰えてなかったということだ。パートで働く主婦層もその収入を自己満足消費に回すことができた時代であった。先行きへの不安もさほど深刻化していない。本格的な「不良債権処理」がはじまるのはこの時期以降である。
今この団塊の世代が65歳以上になってリタイヤ家計を営んでいる。平均2000万の退職金を支給されているが、家計は年平均80万程度の赤字だと言われている。平たく言えば何とかなるだろうの楽観が失せて「こんなはずじゃなかつた。節約生活にかじを切ろう」と現実を見つめなおしはじめたということだろう。ジュエリーなど買ってる場合じゃないのだ。
くわえて労働市場の正規、非正規の格差の拡大も消費を一律に拡大しない要因になっている。労働報酬の偏在が起きていて、賃上げも昔ながらの万人に広くではない。これらのことがからみあって消費増税後の消費の低迷が続いているとみるのが妥当である。消費は「節約」が主流になって、そこから簡単には脱け出せない構造になっているということである。「構造」というのは一企業の努力でなんとかなる次元ではない。国家の政策レベルの話である。
だからマクロの数字でみると賃上げの効果を含め先行きの明るさが語られているが、ミクロの小売りの現場では何も変わらずむしろ競争が激しい分、厳しい経営を強いられているのが大方の企業の現実であろう。
賃上げが消費を刺激し雇用も伸び景気が回復してくるというシナリオが、超高齢化と格差拡大の日本資本主義にどこまで当てはまるのか、素人にもわかるような説明をぜひ政府の関係者から聞いてみたい。
「待てば海路の日和あり」というが、漫然と待っていたら「日暮れて道遠し」の現実がのしかかってくると身構えていたほうがよかろうと自分の危機意識がつぶやいている。
小売りの現場の空気を解釈する
コスモループ代表  貧骨
 
ご意見、ご感想歓迎します  cosmoloop.22k@nifty.comまで
■小売の十字路107 ■2015年4月6日 月曜日 13時37分19秒

時計業界の不思議
愛すべきおばさん達の時計はなぜ少ないの。おばさんは毎日生まれているのに。

月ごとの新製品案内のリーフレットをみるとシチズンはクロスC、セイコーはルキアが必ずと言っていいほど掲載されている。それも従来のデザインとさほど変わらない似たり寄ったりである。よくもまあ作るものだと感心するが、このおおよそ30代前半までの女性をターゲットにしたウォッチマーケットは、海外有名無名ブランドも含めて多種多様な商品であふれている。
カシオもオリエントもこの市場で勝負している。だからここに次々と新製品を投入するのは、外側から見ていると満員のバスにさらに乗り込もうとするようなもので、どうみても効率のいい仕事とは思えない。
一方でいわゆるおばさん達のためのウォッチというのは、高級品はともかくとして、3万円前後までのちょっとした小遣いで買えるような手頃な中級品の新しいものがどのメーカーからもでてこない。シチズンにクレティアという商品群があったけれど、今はもう売り減らしのような感じで補充もままならない。おばさんマーケット、高齢者マーケットはさほどに魅力のないものか、小売りの現場からするとこれはちょっと困った事態である。おばさん&高齢者は、来店客の過半を占めているのに’仕入れるものが見つからないのである。
高齢化社会という言葉を持ち出すまでもなく、おばさんも高齢者も毎日生まれている。市場規模は当面縮小するはずのないものである。にもかかわらずなぜ、シチズン、セイコーという大手2社とも揃って消極的なのだろう。こちらのバスはガラガラであるのに。
おばさん&高齢者マーケットももちろん画一ではなく、日々変化している。どう変化しているかというと若々しくなっているのである。高齢者というとすぐ痴呆とか介護という話題になるが、それは物事の一面でしかない。単に平均寿命が延び続けていているばかりか、体力も気力も知力も充実している人たちが多くなっているのである。70歳現役は珍しくないのが現実である。いま50歳で線を引いてそこからをおばさんと呼んだとして、その人たちは当然実用一点張りの見やすい時計ではなく、それにプラスアルファのファッション性を求めるのは今の時代しごく当然のことである。
また男性より女性のほうが社交的で、身なりにも気を配るから、その点からいっても掘り下げるに足る市場なのである。ちょっと前のおばさんと今のおばさんは違うのである。ただ作る側が、おばさんとはこういうものだ、高齢者はこういうものだという従来の観念にとらわれたままでいると、それなりの物しか出てこない。これは小売りの現場から距離のある川上でものをつくるメーカーが、変化しつづけるマーケットをどう把握し分析していくかという問題とつながっている。小売店回りの営業スタッフの情報回路よりも机上のパソコンデータを重んじているのではなかろうか。それは存在する商品の動向しかわからない。存在しない商品のデータはあるはずがなく議論の余地もない。
もうひとつ指摘おきたいのは、おばさん&高齢女性は、ソーラーは好むけれど電波時計までは要求してないという事実である。なんでも技術の先端にいけばいいというものではない。技術者の側がみる「便利さ」と当のユーザーの「使いやすさ、便利さ」にはズレがある。そのズレがわからないのは技術オタクである。
新製品のなかにはベーシックなものも当然あるが、おばさん&高齢者へのきめ細かく丁寧な分析にもとづいた商品がないのは、まったくもって不思議である。

小売りを援護射撃する コスモループ代表 貧骨
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■小売の十字路106 ■2015年3月3日 火曜日 15時50分27秒

JJAさん 無死満塁 見逃し三振はかんべんして
業界活性化ならジュエリー神社に本気で取り組め

訪日外国人の数が1000万を超えた昨年頃から、彼らの購買力が消費に大きなインパクトを与えている話題を見聞きするようになった。一口に1,000万というが東京の人口とは比べものにならない。皆が皆お金を使うために訪日しているのだからこの1,000万は関東近県の購買力に匹敵するのではないか。そればかりか東京オリンピックまでは確実に増え続けるというのだから、彼らの消費を取り込むかどうかは、業界の浮沈を左右するといっても過言ではない。中国人は一人当たり日本円にして平均23万円ほど購買するのだとTVが伝えていたけれども、驚くべき数字である。
産経ニュースによると神奈川県の箱根では、海外からの観光客が殺到していて、箱根登山鉄道の乗客の半数以上が外国人で占められる日もあるという。箱根町や観光業界は、「この追い風を逃すまいと、外国人向けの芸者遊び体験プランや人気アニメとのコラボレーションなど新たなサービス開発に躍起になっている。」また箱根鉄道では、発着情報をハングルや中国語、英語で表示、タイ語のパンフレットも設置しているし、行政は外貨自動両替機の設置や無料の公衆無線LANの整備を進めるという。
時計業界もメイドインジャパンを買い求める外国人で増産体制を整えていると聞くし、都内の百貨店も「爆買い」で潤っている。まさに外国人様様の光景であって、これがほんの一時的でないところが大いなる魅力なのである。国をあげての観光客誘致なのだからますますかれら外国人相手の商売は熱気をはらんでくると思えるが、われらがジュエリー業界の協会は、ではどんなふうに対処しようとしているのかなとJJAのホームページを覗いてみると、あるいは会報の理事長年頭所感を読んでみると なんと外国人の「が」の字もないのである。
げっ なんちゅうこっちゃ 目の前をカモがネギしょって、いやいや外国人ご一行様か゛金を使うぞとわが日本に来ていただいとるのに。いかにメイドインジャパンのジュエリーを売り込むか、その仕掛けを協会としてどのようにするのか、これこそ大本命の活性化策にきまっとるのに。何考えとるの。ギブミーチョコレートならぬギブミーマネーや。どの業界も目の色変えてんのに。こんなチャンスに見逃し三振はかんべんしてよ。
そりゃ、宝石の定義のセミナーもね、コーディネーターの育成もね、海外へ出てって(海外の人が日本に押し寄せてくるというのに)日本製品の紹介もいいでしょ。コンテストも反対しませんがね、これって業界活性化策かい。10年後でも通用しそう。消費税増税後のジュエリー業界の低迷を考えれば、優先順位は低いんじゃないの。
少々の反対は押し切ってでも「ジュエリー神社」を作ってみる。本気で取り組めば面白いコンテンツになる。箱根の芸者遊びだって、日本人相手ではたいして盛り上がらなかっただろうけれど、外国人の感性は違う。まさに「フジヤマ」「ゲイシヤ」は日本のシンボル。神社だって同じ。使い方もいろいろある。
JJAのお偉いさん あの伝統ある神田明神がアニメとコラボで盛りあがってるのを知ってますか。アニメの「聖地」になってます。これを仕掛けた神社側の頭の柔軟性は素晴らしい。
ジュエリー神社を手掛けたら大失敗だった。それでもいいじゃない。石を持って追われたって。その気概と気迫と今への危機感がないなら、JJAは会員から見放されまっせ。

この先無いかもしれないオリンピックチャンス到来 無死満塁 JJAに代わって代打貧骨  あはは これは冗談。
小売を援護射撃するコスモループ代表 貧骨
ご意見はcosmoloop.22k@nifty.comまで
■小売の十字路105(みんなでともそう生き残りの灯改題) ■2015年2月6日 金曜日 16時21分46秒

ひとごとではない大手スーパーの苦戦
消費者にとってモノとはなにかという本質的問題

現在の消費ついて大局的な視点から「今はモノ余りの状況であるから、それ以前のモノ不足の時代の商売は通用しない」と看破したのは、私が知る限り7&iの鈴木会長ひとりである。
このモノ余りというのは、たとえば、洋服ダンスの中に山のように衣服があるとか、小間物が部屋中に散らかっているとか腕時計を二つも三つも持っているということだけでなく、世の中にモノが溢れていて、とりたてて色とか形にこだわりをもたなければ容易に手に入る状況をも意味している。実際のところ生活に必要なものの過半は100円ショップで間に合ってしまうのである。
こういう社会のなかでは消費者はモノとどう向き合っているのかというと、モノ不足の時代のモノがほしいが高くて買えない、買ったら大切に使おうという感性は「汎用品」については希薄か全く無くて、モノの中でも一部の人しか持っていない限定品やブランド品を欲しがるのである。それは贅沢志向というよりも、モノを通しての自己表現という生活していく上での大切なメンタルファクターを消費者がありきたりの商品では満足させられないからに他ならない。
いま「汎用品」をありきたりのものと定義したとして、消費者はこの「汎用品」を現実には購買消費しているのだけれども、意識の深いところで多くの人が魅力を感じなくなっていることは間違いない。JRの限定スイカにあれほど熱狂するのもその一例である。
「汎用品」より限定品、限定品よりブランド品、ブランド品なら二流より一流へとモノの序列が消費者のなかで出来上がっているのである。
だから小売業はこの消費者の変化に対応して自己変革を遂げていかねばならないのだけど
そしてそういう企業が実際勝ち残っているのだが、スーパーはどうだろうか。
スーパーというのはいわばモノ不足の時代の花形のような業態で、ファッションという視点でいうと巨大な「汎用品」の塊のようなものである。いまでも似たような商品が山積みされて20%off~50%offのPOPをつけて売られているが、そういう売り方じたいが「汎用品」を扱っている店の象徴として消費者に伝わってしまうのである。それがスーパー業界の慢性的な低迷の原因のひとつといってよい。
がひとごとではない。我々のようなジュエリーや時計の業種にしても気を付けばならないことは、店頭に展開してある商品が消費者からみてありきたりのモノと見えないように細心の配慮をした演出が求められているということである。豊富な品ぞろえは、小売業の基本中の基本と思われてきたが、またそのことを自慢するお店もあると思うが、たぶんいまの時代はそれ以上に新鮮な品ぞろえが優先順位の上位を占めると思える。商品回転率の低い我々の業界で、鮮度維持というのはなかなか難しい課題だが、それをどうクリアーするかが、経営者の手腕であろう。

現場の目線で考える コスモループ代表 貧骨
小さな疑問が、成長の種 小売の悩み、疑問はcosmoloop.22k@nifty.comまで 
■みんなでともそう生き残りの灯 104 ■2015年1月7日 水曜日 14時50分7秒

厄介な時代がやってきた
消費税再増税を一日でも早く、それが我々を救う道

あけましておめでとうございます。本年もよろしくご愛読のほどお願いいたします。
年の初めは目出度いものだ。希望が語られなければならないけれど、今年はどうも雲行きがあやしい。気を引き締めて事に当たらないととんでもないことになるかもしれない。そんな予感がする。
昨年秋ごろから回復するはずだった個人消費はいっこうに盛り上がらないまま年を越してしまった。あわてて政府は再増税をさらに一年半延期したけれども、これはもう泥縄ともいうべき対処療法で、この国の経済の先行きにおおきなリスクを抱え込んだといわざるをえない。再増税を当初の計画どおりに実地すべきかどうかの論争は「延期派」がその主張を通したわけだが、この措置で経済が良い方向にいくとはとても思えない。先の総選挙でどの野党も消費再増税の早期実施を訴えなかったことも驚き以外何物でもない。政治家の中に現実の経済をくみ上げて分析する知性が欠落していることを憂うばかりである。
可処分所得は変わらずのまま消費者物価が上昇したら消費者は支出を控えるだろうか。抽象的な経済学上の個人を想定すればそういう仮定が成立することは自明のことだが、現実の個人消費というものはもう少し複雑で心理のウエートが大きいものではないのか。
バブルの頃、誰もがバンバン物を買った。金なんて無くったって身の丈を超えるほどの借金をしてでも消費したし、車もジュエリーも家だって飛ぶように売れた。将来に対して能天気なほどの楽観主義が社会全体を支配していたから、「なんとかなるさ」と年金の事など頭の隅っこにもなかつた。良し悪しは別である。ただ人が物を買うときに、先行きに対する予見性が大きな割合を占めると言いたいだけである。8%でさえきついと思っているのに10%に消費税がなったらどうなるのだろう そういう不安が必要以上に消費を委縮させ、生活防衛行動が主流になる。女性はとくに情報を新聞やテレビのニュースよりも友達やご近所さん達から得るから同調行動しがちである。だから、一斉に節約に走るのである。いささか家計の収入が増えたとしても、先行きを考えて貯蓄に回してしまう。とりわけジュエリーのような奢侈品は購買の優先順位がぐっと下がる。
消費の低迷を招いているもう一つの因は、外税形式になったプライス表示がある。メディアはあまり取り上げていないが、これが消費の経済にすくなからぬ混乱を招いている。前回の消費税増税にさいしては内税形式にする行政上の縛りがあったが、今回の増税にあたってはその縛りが解けた。事業者の自由にまかせたわけだが結果として、メーカープライスは(たとえば時計やトケイバンド)再増税時の事務経費の節約から外税式が主流になった。販売の現場にいるとこれは内税式に慣れてきた消費者に必要以上に痛税感を与えているのがよくわかる。買い物ごとに否応なく8%を意識させられるのである。このこともまわりまわって消費税10%生活への不安感と結びつく。
10%への再増税が延期になったということは、先行きへの不安と痛税感の状態がその分長く続くだけで個人消費の回復という課題の解決になるとはとても思えない。
さっさと10%にしてしまえば、一時的な経済の落ち込みはあってももうこれ以上上がらないという安心感と払拭感、さらに内税式への復帰で消費者はそれなりにその現実を受け入れるはずである。案ずるより産むがやすしなのだ。消費税10%生活に腹が据わるのである。そうなれば自然と消費は回復してくる。
日銀の発表では2014年9月末の家計の金融資産残高は1654兆円(昨年比2.7%増)、その内現預金が昨年比1.7%増の870兆円であつた。この統計値からも4月の消費増税で家計がさほど傷ついていないと私はみている。直近の経済指標を棒読みして再増税延期の論陣を張ったマクロ経済学者の説にはおおきな疑問を感じざるを得ない。

が賽は投げられた。厄介な時代がやってきた。これから約2年半晴れでも雨でもない曇天の日々をすり抜けていかなくてはならない。我々の業界には厳しい日々であろう。覚悟をきめて向き合っていくことにしよう。ではみなさん 今年一年がんばりましょう。
貧骨   
ご意見、ご要望はcosmoloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯103 ■2014年11月17日 月曜日 10時41分12秒

1秒に縛られたくない人に
月差15秒のシンプルクォーツがおすすめ

自分はほぼ毎日店に出ているが、修理品の対応はするがモノを販売する接客はほとんどしない。スタッフの女性にまかせている。20坪程度の売り場だからその体勢で店は機能しているし消費者の声も十分私に届くのだが、それでも自分で接客してみると消費者の要望に新しい発見がある。小さな売り場でも店長という管理の立場と接客最前線のスタッフでは消費者情報に差があるということは、普通に考えれば大きな売り場ならそれだけ差が大きいということになる。よほど意図的に消費者の声をくみ上げるシステムを作るなり管理者とスタッフの情報交換を密にして売り場に反映させないと、魅力ある店であり続けることは困難であるにちがいない。消費者と直接接している小売業でさえ常に修正力が必要とされるのだから川上のモノ作りのメ−カーはそれ以上に謙虚にマーケットの声を聞く姿勢を保たないと、とんでもない方向違いにつきすすんでしまうリスクがある。
小売店を通じて長い道のりの果てにメーカー本社の開発部長なり課長に消費者の声なるものが届いたとしても、建前はともかく「聞く耳もたなければ」それでお仕舞いの話ではある。
困ったことではあるが、「地べたの声」は天の声であって天声聞かずして繁栄あるべからずとでも言っておくしかない。
繰り言めいたことを書いたのは、最近届けられたセイコーウォッチの仕入便覧をみると製品の過半以上がソーラー電波時計とメカニカル時計で占められていたからである。時間精度からいえば両極端のものでどちらも使用勝手がいいとは言いにくい。社の方針といわれればそれまでの事だが、それにしてもマーケットが求めるものはセイコーのイメージに沿うものだろうか。高齢化社会ということもあるが、そのことをべつにしても薄くて軽いベーシックなクォーツ時計は根強い需要があるはずである。竜頭を引っ張って針を回せば時間あわせが誰でもできる。使いやすいのである。なぜこの時計群が窓際扱いなのだろうか
一秒も狂わない時計ばかりでは息が詰まらないか。いやそれよりもなによりも人が普通に生活していくうえでの時計という道具はどうあるべなのかという哲学の問題かもしれないしそれ以上に生活の中の時間観念の理解の問題かもしれない。私が使っているクォーツ時計はいつも2,3分進んでいる。進ましたわけではなく勝手に進んでしまったのだが、そのままにしておいて結構重宝している。アバウトというのは人の生活の中心にあるものではないだろうか
セイコーのお偉いさん達には時計技術の極致の地点がみえているのだろうが、国内第一の時計メーカーとしてもう少し幅広い品ぞろえをしてもいいと思うのだが。

コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 102 ■2014年10月15日 水曜日 13時9分26秒

1,000万円と50万円の落差
具体的な説明がないとみなが迷惑する

 本紙山口遼氏の『自信をもってウソをつく』は、アバウトな業界話としては面白いが、業界全体の信用という点では見過ごせない部分もあるので指摘しておきたい。「その7」の一部を引用する。
 「これまでは、日本中の宝石店はすべて良い店で、そこで売られているジュエリーはみんな良いものですよと言ってきた訳ですよ。そんなことはないことは業者ならみんな知っている。それが結果としてはっきりと現れたのが、いま作り直しや売却しようとするととんでもない価格にしかならない商品の山ですよ。堂々たる百貨店の領収書が1,000万円のものを、引き取るとすると50万円にしかならない、これはザラにあることです。こうしたことを繰り返しては、宝石業界の将来はない」と述べた上で「できることなら、近い将来に、お客に本当のことを言っても商売できる連中だけで、小さな会を立ち上げたい」と結んでいる。
 コラムの真意は、業界の現状を何とかしたいという未来志向なのだろうが、それにしても1,000万円で売られたジュエリーが引き取ると50万円にしかならないという事例がザラにあるとは、どう解釈したらいいのか、よくわからない。
 すらっと読むと百貨店はずいぶんとひどい「ぼったくり商売」をやっているような印象を受ける。50万円程度の品物を1,000万円で売っているように読める。実際はどうなのか。何一つ具体的に書いてない。第一に1,000万円で売られたジュエリーはどんなものなのか不明である。リングなのか、ネックレスなのか、ブローチなのか、素材は何なのか、地金なのか、ダイヤ製品なのか、真珠類なのか、色石系のものなのか、それらによっても事情は違ってくる。加えて1,000万円で購入したお客さんが10年ぐらい使い込んでから引き取りに出したのか、それとも購入してすぐ売却したのか、その辺のところも勘案しなくてはならないだろう。仮に、そのジュエリーの状態が新品に近かったとしても、買い取り業者の査定のみでジュエリーの価格を決め付けるように論じていいのだろうか。
 いや、そもそも山口氏は、どうあるべきだと言いたいのだろうか。1,000万円で売られたジュエリーが引き取りに出されたら、西洋のアンティークジュエリーのように、むしろ1,000万円以上の価格がつけられるべきと考えているのだろうか。
 以前、金無垢の名の通った舶来時計を買い取り査定のため銀座のコメ兵に持ち込んだことがある。そのとき言われたことは、「買い取り価格」というのは、「その商品の価値を表すというよりも、この商品をほしいと思う客がいるかどうかにかかっている。どんなレアなものでも、需要がないに等しければ、1gいくらの世界です」といわれて納得した。
 要するに、小売店と買い取り店では、価格をつける基準が違う。そこを混同すると大きな誤解を生む。 
 山口氏は、事例がザラにあると述べているのだから、少なくとも一例か、二例は、詳細な経緯を説明してもらいたい。百貨店を含め、大概の小売店はまじめに商売しているし、そうでなければ生き残れない時代である。1,000万円のモノが50万円に化けるという情報が不用意に世間に広まれば、この業界の信用は失墜する。まさか伝聞を元に論じたわけではないだろうから、発信者として正確な説明責任を果たさないと皆が迷惑する。
現場の目線で考える

コスモループ代表 林田信久改め貧骨
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■みんなでともそう生き残りの灯 101 ■2014年9月18日 木曜日 10時24分25秒

宝飾店経営の難しさはどこにあるか

地味な商売であることの掘り下げを

宝飾店の経営は難しい。それはここ10年位の外部環境の逆風のせいもあるけれどもそれだけでなく、需要自体が無限にあるようにも見えまた限りなくゼロに近くにも見える。加えて宝飾品を販売すること特有の制約がある。
宝飾品はたしかに生活必需品ではないから、日々コンスタントに売れていくものではない。
女性の美しく着飾りたいという心理とつながっていて、その人の感性にピッタリとあったものが売れていくように思える。では感性というとらえどころのないものを品ぞろえに生かそうとすると、ファッションリングというアイテム一つとっても際限なく広がっていかざるをない。商品数が多ければ多いほど競合店より優位に立てるが、こんどは滞留在庫(不良在庫)というリスクが高まってくる。
パールネックレスやペアのマリッジリング、ベネチアやアズキといったベーシツクチェーンなどの宝飾必需品を充実させたらどうか 売上を安定させる方策のひとつではあるが
他店との差別化が出来にくい商品群であるとともに、ひとりの消費者がいくつも買うものではないという市場の壁がある。
価格という視点から切り込んでみて、低価格品を中心にした品ぞろえで勝負したらどうかそういう誘惑にかられるが低価格品だと数をさばけないと話ならないので、立地がおおきなウェートを占めるようになる。SC内、駅ビル内、地下街、など集客力があるところでないと低価格品商売はむずかしい。ただかりにSC内であってもモノ余りの今、数をさばける商品自体があるのかという根本の問題もある。逆に高額品はどうかといえばこれはもう気に入ったからそこで買うかというと、商品以前に店自体が選ばれねばならない。
これらの具体例は代表的なもので実際に現場の目線でみればまだまだ多くの事を語れるけれども、これらの制約を「商品回転率の低さ」と言い表しても間違いではないが、やはり「奢侈品」販売特有の制約というべきものだと思える。バブルのような熱狂ともいうべきブームの時代にはこの制約は表面に出てこないので「宝飾店」経営ぐらいおいしいものはないと商社などが資金にものを言わせて参入してくるのであるが、勘違いはバブルがなくなれば直ぐわかる。
ではバブル崩壊後のなかで生き残ってきた店は、どうしてきたのか。特有の制約を「顧客管理」で補ってきたのである。地縁、血縁を含む店自体の人脈を時間をかけて地下水脈のごとく張り巡らせて店自体がまずは消費者に選ばれるようにシステムを作ってきたのである。これこそ宝飾店経営の命綱といってもいい。だから宝飾店の経営が安定するには時間がかかる。誰かが「宝飾店」ほど地味な商売はないと言っていたが、その「地味」を時代に合わせて掘り下げていけば希望はみえてくる。
振り返ってバブルのあと、知名度の高い店も倒産したり廃業の憂き目をみたのは結局のところ宝飾店経営の根っこにある「制約」に足をすくわれたのである。
いまも宝飾店経営は厳しい。が客の側からみると価格があって無きがごときものを買うには「信用」「信頼」「安心」が大切なのだから小さな店も「顧客管理」に徹すれば生き残っていけると思われる。

現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久改め貧骨
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■みんなでともそう生き残りの灯 100 ■2014年7月30日 水曜日 13時53分43秒

あなたは生き残れますか?

 私たちが今直面している困難さはどこから来るのだろうか。それは具体的には経営のことであったり、家族のことであったり、雇用のことであったり、心身のことであったりするのであるが、抜け道などないように私たちを追いこんでくる。
 一昔前、この国は一億総中流であったし、町の商店主は「小金持ち」であった。あの流れが大きく変わらなければ、たぶん商店街は今も元気で、後継者不足などなかったに違いない。
 バブルがはじけた後、1990年代半ばから政府は日本資本主義のマネジメントの思想的転換を図る。ケインズ経済学に依処した需要創出重視の経済運営から、ミルトンフリードマンに代表される供給サイドの規制緩和を重視する経営運営に軸を移す。いわゆる「市場原理主義」と評されるもので、規制なき市場における価格の変動こそが、効率のいい経営運営と経済の活性化をもたらすと考える経済哲学が根底にある。このことは、単に商品やサービスを提供する企業に関するだけでなく、働いている人のための保護法制も緩和して、市場メカニズムを通して失業問題の解消を図ろうとするのである。
 1995年12月、自社さ政権は「構造改革のための経済社会計画」を閣議決定する。この閣議文書で「市場メカニズムの重視」「規制緩和の推進」「自己責任原則の確立」の論理が打ち出され、「構造改革路線」が宣言される。
 この静かな「改革」から、誰にとってもきつい大競争社会が始まる。現在でも成長戦略の一環として、相変わらず規制緩和や特区構想が取り上げられているが、政府が「市場原理主義」の経済運営を基本的に踏襲しているからに他ならないし、加えてこれまで以上に規制の緩和を推し進めようとしている。商店街を壊滅状態に追いやった大店法の規制緩和も外圧だけでなく、この経済運営の転換の流れの中での出来事として理解すべきであろう。
 この大競争社会の中では、大が小を食うという単純な構図ではなく、小が大を食い、大が大を追い落とし、飲み込む際限ない戦いが日本中隅々にわたって、繰り広げられる。経営者も働き手もゆっくりと眠ることが許されない。
 消費者の変化に対応できない企業は、
明日にでも市場から退出を余儀なくされる。今日の安心は、もちろん今日だけのものである。
 このコラムも100回になるが発信してきたことは、市場の変化に対応しないと生き残れないということに尽きる。そのための仮説であり検証である。景気がどんなに良くなっても、規制のあった中でのバブルはもう来ない。10人の勝者と90人の敗者がいるだけである。よほどのことがない限り、これからも大競争の時代は続く。だからこそ「これはチャンス」と受け止められるものだけが生き残れるのだと思う
 「機を見るに敏」という言葉があるが「消費者の変化に敏であれば」零細も生き残っていけるのである。では「消費者をどう把握するのか、消費者はどのように変化し続けているのか、簡単ではない市場からの問いである。その答えを日夜探し続けているものだけが、勝者の資格を得るのである。あなたは生き残れますか。
 ご愛読ありがとうございました。次回からは筆名を変えて気分一新、もう少し間口を広げて書いていきたいと思います。よろしくお願い申し上げます。
 
現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 99 ■2014年7月15日 火曜日 15時46分38秒

管理される売り場の空気

東京駅の大丸の時計宝飾売り場をちょくちょく覗くのだが平日のせいもあってか、いつ行ってもガランとしている。働いている店員さんのほうが客の数より当然のことながら多い。
そういう場合、店員さんの無駄なおしゃべりの姿が目に付くものだが、それはほとんどといっていいほどない。
持ち場持ち場でそれぞれが何等か仕事をしているから、フロア全体がほどほどの緊張感で保たれている。働いてる人のモチベーションの高さかもしれないが、常時一定の状態が保たれるためには、売り場管理の意思が働いていると考えるのが自然である。
食品売り場のようにお客さんが常に流れているような業種と違って、時計や宝飾の売り場では、お客さんがいない時間が結構長い。そのアイドルタイムを各々の販売員が、質の高い集中力を保って過ごすというのは、なかなか簡単なことではない。販売員がその辺をわきまえてというか、問題意識をもって対処しないと、長続きはしない。
と同時に大手の会社だと売り場の管理責任者自体がさらに上司から管理されているから、否応なく管理が徹底していくのだろう。
業種を問わず、個人商店の数が減り続けている。個人商店の売り場は管理されないアットホームな人間臭さが良さとしてあるのだけれども、コンビニからファーストフード、スーパー、専門店、デパートにいたるまで大手企業が運営する現在では、消費者の感性自体が大手仕様に慣らされていっている。売り場は商品と接客だけでなく、消費者が売り場に入った時の雰囲気もまた売り物の一つになっている。そういうところで買いたいと消費者が感じているということだ。
逆に言えば客待ちの時間に販売員どおしが無駄なおしゃべりなどしていると、あるいは所在無げにぼーと立っていると、それだけで以前よりはるかに目立つし、マイナスのイメージが伝わってしまうということを意味している。
「売り場の空気」が管理されていると、例えばお客さんが修理品を預けるにしても安心感があるので自然と修理品が集まってくる。また預かる側もミスが少なくなる。
黙々と目配り、気配りしながら待つのは楽な仕事ではないが、そのひとりひとりのスタンスが客を呼ぶのである。
競争が激しくなればなるほど、規模の大小にかかわらず店が生き残るには消費者サイドに沿って変化していく以外にない。「このていどの事は」という甘さがいつのまにか客離れを招くのである。山本七平が「空気の研究」を書いているが、日本人はものをはっきり言わないかわりに、その場の雰囲気で事を察するに長けている国民である。それだけに「売り場の空気」に経営者は敏感でなければならない。厳しすぎてガチガチの緊張感が流れていては、客も気詰まりであるに違いない。「ほどほど」そういうとごく常識的な話になってしまうが、それはあくまでも「売り場の空気」を管理するという意識次元がまずあってのことである。
個人の小さな店はその気になれば明日からでも変わることができる。そこが大手にない強みでもある。生き残ることは意識の変革でもある。

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コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 98 ■2014年7月2日 水曜日 13時4分35秒

W杯に妄言を一言
だれもがいい夢をみた   ゆっくり休め八咫烏

後半ロスタイムぎりぎりのところでPKをとつてギリシャがC組一次リーグを突破した。このチームのしたたかさに感じ入るとともに、勝負というのはゲタを履くまで分からないものだと改めて思う。もしも日本がコロンビアに勝っていたらギリシャのPKは、日本にとってまさに奇跡に近い僥倖であったけれどそうはならなかった。
では、そうならなかつた責をだれが負うのかといえばすくなくとも選手だとは思えない.初戦、対コートジボワール戦の選手の動きにはそれまでみてきたザックJAPANのスピード感が全くなかった。個々の選手の体自体にきれがなくチームとしての動作が全体に重い。たぶん選手自身もいままでとは違う自分にとまどっていたのではないか。
高温多湿の南半球でサッカーをする時の体力消耗の度合いと質が、北半球でプレーする選手には大きな負担であったことは間違いがないし、おそらく真剣勝負の場としては初めての体験だったのではないか。海外組といわれる主力の選手だってみなヨーロッパで活躍している。加えて攻撃的プレースタイルなら尚更のこと目一杯の運動量が必要とされる。戦術や技術にとらわれすぎて、ブラジル特有の環境への適応が死角になっていたのだと思える。
相手は「生まれも育ちも」赤道直下である。勝負の要諦は「天の時、地の利、人の和」といわれるが「地の不利」がすべてであったし、勝たなくてはならない初戦の負けがすべてであつた。格下のチームが後手を踏んだらなかなか勝ち上がれるものではない。
対ギリシャ、対コロンビア戦で我々が見てきたような日本サッカーが戻ってきたのは、現地の環境に選手たちが適応し始めたからであろう。だからこそ今回の敗退は、偉い人たちのマネジメントミスなのだと思う。一日でも早く現地入りしてブラジルの気候や気温を選手の体に染み込ませておくこと、アウェーリスクに足をすくわれた と私には思える。
勝敗はついてしまった。でも嘆くことはない。3戦全体をとおしてみれば日本サッカーはどこに出しても見劣りはしない。パスを通しクロスをあげ相手の守備を崩して点をとったじゃないか 「試合に勝って勝負で負けた」とまでは言わないが相手の国から警戒される存在になったのだ。伸びしろは大きい。
選手にはご苦労さん ゆっくり休め八咫烏と言いたい。とりわけ本田選手には、君のビッグマウスでこの国のだれもがいい夢をみることができた。落ち込むことも恥じ入ることもない。胸をはって帰国すればいい、そしてわれわれにあたらしい夢をまた語ってほしい。

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コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 97 ■2014年6月19日 木曜日 16時27分26秒

世事雑論
どうかキツネが出ませんように

 私たちのコミュニケーションは、言葉だけではなく身振りや顔の表情などを含めた、トータルなものとして成り立っている。冗談を言うときは笑っているし、怒りの言葉を発するときは拳を握り締めている。この当たり前のことが、電話のやり取りではいささか難しくなる。自分の感情のすべてが、言葉の中に集約されて伝わるぶん誤解も生じやすいが、一方発した言葉を通じて相手に対する上目線だったり、下目線だったりするスタンスも伝わってしまう。電話を掛けながらぺこぺこと頭を下げているのは、たぶん「正しい電話の掛け方」なのだろう。実は内心いやいやなのだが、世辞の一つも言わなければならないお客を相手にするときは、十分心せねばならない。気持ちのありようが見透かされてしまう。
 仕事柄、若い女性のお客さんの携帯へかけるときなど、最初の一言にとても神経を使うのであるが、それでも「中年のおっさんが何か用かい」といった一瞬の警戒心の反応がうとましい。これが仕事筋にかけるときは頓着がないので、必要とあらばさっさとダイヤルインして、少々横柄な言葉使いかなって思いながらも事を済ますのであるが、その仕事筋の中でこちらの方がちょっと身構える相手がある。
 一流ブランドの時計修理部門である。具体的に、どのブランドというわけではないが総じて頭が高い。「当社の規定によります」、「その様な修理は受け付けておりません」、「修理明細書に書いてあるとおりです」、「直接修理品は受け付けておりません。当社小売部門の窓口にお持ちください」などいかにも紋切り形で、話の継穂がつかめない。
 最近はいくらか改善された感があるが、それでも上から目線の対応に腹立たしいことはしばしばある。
 まさか会社の方針でマニュアルはあるにしても、高姿勢で臨めというわけでもあるまい。西欧のアジア蔑視、アフリカ蔑視は今に始まったことではないだろうが、そういう雰囲気に会社全体が染まってしまっているのかもしれない。こちらも頭に血が上って不愉快な一日を過ごすことになる。誰かから「それは虎の威ならぬブランドの威を借りたキツネみたいなものだから、相手にしてもしょうがない」、「電話を掛けるときには、キツネが出ませんようにお祓いをしてからにすればいい」と笑われたが、電話口にでるのが欧米人ならともかく日本人同士がちょっと寂しい話ではある。
 シチズンやセイコーの修理ではそんなことはない、丁寧親切極まりない、と話したら「まとうほどの威ではないんじゃないの」と返された。いやいや彼らは、日本の大衆とともに歩んでいるからに他ならない。敬すべしと言っておいた。

現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 96 ■2014年6月2日 月曜日 12時51分29秒

みんな困っているスイス時計の修理 その3

では本当に困ったらどうするのか?

 昨年のことだが、JOW JAPANに「スイス時計の修理で皆困っているが、どう考えているのか」と問い合わせたことがある。その返事の文書は手元にあるが、それによるとJOW JAPANが創立時以前から、ロレックスともスウォッチグループ各社とも部品の供給について交渉を続け、創立後(2010年)も交渉したけれども、どちらもNOの回答であった。
 また一般社団法人日本時計輸入協会も、この件に関しては立ち入れないということで、「交渉の窓口すら閉ざされているのが現状であります」と結んである。
 それだけの短い文なので、その後の対処をどうしたかわからないが、おそらく組織としては、公式には何もしなかったのだろう。要するに「何とかしてくれ」と話をしてみたが、埒が開かなかったから、それまでですということである。
 私が疑問を持つのは、スイス時計各社の回答は、もともと予想されたことであって、それは事態打開の出発点であってゴールではないだろうということである。出発点をゴールと勘違いしているのではないか。
 スイス時計については、部品供給制限の問題だけでなく、コンプリートメント修理という名目の過剰修理という懸念もある。これらの問題は、業界として何年も放置座視していいわけがない。JOW JAPANは、時計小売の利益代表である。顧問弁護士がいれば良し、いなければ無料の法律相談を利用してでも事態の打開に動くのが責務ではないだろうか。
相手方に交渉するつもりがないなら、この問題が日本の公正取引における「優越的地位の乱用」に当たるのかどうか、きちんと行政に問い合わせるのが筋であろう。
 そのうえで、もし当たらないとするなら、それはいかなる事例なのか、当てはまるとしたなら、それはどういう事例なのか、その具体例を条文解釈を含めて調査し、公開することこそ、まずはやるべきではないだろうか。そうすれば場合によっては、「公正取引委員会」に訴えることだって出来るわけである。
 2013年11月1日の日経新聞に「スウォッチの部品供給義務解消へ」という記事があった。「スウォッチはスイスの機械式駆動装置の約7割を供給している」ため部品供給義務を「優越的地位の乱用を防ぐ目的」でスイス政府が課していたが、今後は、その義務が解消されると書かれている。スイス政府でさえスウォッチに部品の供給義務を課しているのである。
 日本には日本の法があるのだから、当然のことながら事例研究をすべきで、駆け込み窓口を作り、そのうえで、交渉に臨めば事態はいくらかずつでも、動いていくだろう。そうすれば、部品供給以外でも、取引条件の急な変更など、スイスメーカーの不合理ともいうべき有様にも、一定の抵抗線を構築できるに違いない。
 ぶつぶつと不満を言って、最後は「しょうがない」で終わらせては何にも解決しないのである。
 いや「本当に困っているんだ。時間がない。追い詰められちゃうよ」そんな人には、
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公正取引委員会審査局・管理企画課情報管理室(東京都千代田区霞が関1−1−1、中央合同庁舎・第6号館B棟:03−3581−5471)
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へ相談しよう。相談の匿名性は、確保されると言っていました。まずは電話を。 

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コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 95 ■2014年5月13日 火曜日 14時6分40秒

迷える名人の一手と経営の一手

 森内名人と羽生三冠との間で、いま将棋の名人戦七番勝負が行われている。プロの将棋指しなどというのは、われわれ普通人とは異次元の頭脳を持っているように思えるが、それにしても一手を指すのに一時間も二時間も考えるその中身は何なんだろうか、興味深いところである。
 もちろん差し手を深く掘り下げたり、浅く広く読み込んでいることは、素人目にもわかるが、そう単純でもなさそうである。
 第十四世名人木村義雄の「勝負の世界」に長考の内容が書かれている。
 「手の読めるときには、盤面をヒョット見て、頭を下げた途端に、三十手くらいはスッと見える。だから時間はいらない」(順調な時の経営者みたいですな、、、林田)。「長考の時は概して手が読めていないのである。手が読めていないからこそ時間がいるのだ」(経営が曲がり角に来たとき、みんなあれこれ悩みますよね)。
 そのうえで木村名人は長考の内容に言及する。
 「すでに指してきた手、相手の作戦意図、それから相手の得意形と不得意形を考慮に入れて考え直す」。それでも迷いが生じてくる場合がある。そうした時は、誰かが前に指していたかどうか記憶を探る。あてはまるものがあれば、そこから優劣の判断ができる。そういう「知識の総動員をやるのだ」。だからこそ、日ごろから他人の将棋は並べて、調べておく必要があるという。(経営には情報収集が欠かせない)
 では知識を動員しても、記憶を蘇えらせてもうまく当てはまらない場合はどうするか。(我々だったら、ええままよ、何とかなるだろうって、決断しちゃいますけど)。
 「その時は、この将棋は大体どの辺まで戦線が広がって、どの辺で大体の形勢が分かれるようになるかを考える。そして自分の持ち時間はどうなっているか? 相手の持ち時間は?と、これも慎重に比較し、同時に自分の体の調子と相手の疲労状態に注意を向ける。その結果、急戦模様に持っていくか、持久戦に持っていくかを決めるのだが、その間、敵の得意形、不得意形をも織り込んで十分検討しなければならない。苦労もすれば時間もかかるのだ」(このあたりが凡人と名人の違いでしょうね。大局的な判断が大事である同時に、他社の分析に前のめりになって、自社分析が甘くなることは経営者にありがちなことです)。
 どこまで手を先まで読めるかなどという技術は、高段者にとっては大した差はないだろう。だから勝負を分けるのは、誰もが迷う局面、不利な局面で有効な一手をさせるかどうかにかかる。
勿論相手も同様に考えているわけだから、そのねじりあう思考の格闘の末に盤上「長考の一手」が指されるのである。
 「勝負の世界」を読んで臆病ともいえる慎重さこそが、第一人者であり続けるための「哲学」であることが伝わってくる。(経営もこうありたいですね)。(参)木村義雄「勝負の世界」恒文社刊。

現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯 94 ■2014年5月1日 木曜日 14時2分31秒

消費増税前の商戦から見えてきたもの(続)
マス(一般大衆)を動かすという問題意識の希薄さが大問題

 ジュエリーという商材は、売る側から見ると衣料や住居の必需品のように、常に一定の需要があるものではない。
 店頭に並べておけば自然と売れていくというわけにはいかない。けれどもたとえばテレビのように一家に一台もあれば十分で、それ以上は壊れでもしない限り売れていくはずのないものでもない。
 買う側から見ると、大概の女性はジュエリーに憧れていて、一つならずいくつでも欲しいものであるに違いない。潜在的なマーケットの奥行きは深い。
 もしも売る側が、ジュエリーが売れないのは、ジュエリーが生活の必需品でなく、不況や生活苦のような環境によるものだと考えているのならば、その環境が好転するまで待つしかなくなる。
 では買う側は、どうだろうかというと、日々の生活品とは別に、嗜好品、趣味品の購買順位があって、それはその時々の話題やブームによって、常に変化し続けている。一時俳優さんが、ゲルマニウムをテレビで取り上げた時には、一大ブームになって末端の我々もひと商売できたが、それなどがいい例である。
 最近ではダイヤを高く買い取ってもらえるという報道があったらしく(私は見てないのであるが)ダイヤの買い取りが急に増えりした。消費者は常になにがしかの刺激にさらされていて、右へ左へと動いている。不況や金銭の多少などは、買わない理由の決定的なものではなくなっている。
 日本の消費者は、権威に弱く(ブランド品志向)、メディアにも弱く、みんなと一緒が大好きだから、そのあたりを考えて仕掛けてみれば、ジュエリーも大きく動くのである。これはあくまでも全体の話で、個々のお店の話ではない。ビルのてっぺんから地上を見下ろすがごとき視点での話である。
 そこで、今回の消費増税前の商戦だが、17年ぶりの大きなチャンスだったのだから、業界全体に発信力のある団体がマス(一般大衆)を動かすという問題意識を持って、ジュエリーの販売促進に取り組んだのならジュエリーの売り上げパイは、大きく膨らんだろうと思えるのである。
 仮に失敗したにしても、その問題意識と経験は必ずこの先役に立つはずだろうが、消費者像をとらえようとする問題意識が希薄では、次の消費増税前の商戦も望み薄である。
 JJAも真珠組合も甲府の組合も幹部たる人たちが消費者なるものの情報収集と分析とマス(一般大衆)の動かし方に知恵を絞っていただかないと業界は先細りの一途であろう。

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コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com

■みんなでともそう生き残りの灯 93 ■2014年4月15日 火曜日 10時44分26秒

消費増税前商戦から見えてきたもの
ジュエリーの消費者における心理的水位について

 消費増税前の駆け込み需要は、ジュエリー業界を潤しただろうか。
 私の店の実際や取引卸筋の話、4月2,3日に開催された甲府ジュエリーフェアでの感触など、加えて御徒町のパール問屋の話をまとめて街角景気的にいえば、駆け込み商戦は、まずまずの成果だったといって間違いないだろう思う。ただ指摘しておかねばならないことは、売り上げの伸びほどは数量が伸びなかっただろうと思われる。 
 単価は高くなったのだが、それはこの増税前に「この際だから買っておこう」という心理と高額のものほどプラスが大きいという心理が働いたからである。一部のもともと買う意思のある人が、この機会を利用して動いたということだろう。だからその辺の消費者心理を読んで仕掛けをした小売店は、潤ったのだろうが、待ちの姿勢の小売店は駆け込み需要を取り込めなかったと思う。ジュエリー小売りも明暗がはっきりしたのではないか。
 3月半ばから月末までは、メディアによる駆け込み需要の報道が増え、いわばそれにあおられる形で、消費全般は伸びている。たとえば、軽自動車の3月の契約台数は、単月で過去最高の30万2,350台を記録した。白物家電も日経の記事になるほど売れた。百貨店もスーパーも売り上げを上乗せした。
 17年ぶりの増税前に消費者は大きく動いたけれど、ジュエリー業界は蚊帳の外であった。マス(一般大衆)が動いていれば、数量が伸びて、単価が低くなり売り上げが伸びる形になる。ジュエリーは駆け込み買いの対象ではなかったということだ。
 別の表現をすれば、あれも売れています、これも売れています、どこそこの店では開店前に行列ができています、と言った煽るような報道にも関わらず、消費者のモノを買う上での、心理的優先順位をジュエリーは最後まで上げることができなかったということだ。そこに生活防衛、倹約生活に軸足を置いて堅実な消費者像を見ることが出来るが、一方でジュエリーへの関心がなかなか高まっていかない消費者像も見ることが出来る。
 このことは、ジュエリー業界にとってとても深刻な現実である。宝飾品を買う視野に広がりが見えず、限られた顧客層を相手に、当面商売をせざるを得ないからである。そのうえで、ジュエリーへの関心の低迷を、嗜好品特有のことだとか、経済全般の停滞のためだとか、考えるのではなく、業界の主体的な取り組み不足としてとらえて対処していかないと、いつまでたってもジュエリー業界の活況は生まれてこないであろう。
 3月商戦を見る限り、私の考えでは、少々の賃上げや経済の好転でジュエリーが売れ始めるとは思えない。4月以降のジュエリー業界の苦戦が予想される。増税生活でマス(一般大衆)は、ますます買わず、買うべき人たちは買ってしまったのだから。反動減を甘く見ない方がいいだろう。

現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯 92 ■2014年4月1日 火曜日 12時1分59秒

あなたの会社は賃上げしますか 
どんぶり労務が士気をそぐ  

 賃上げの話題が新聞紙上を賑わしている。少し前の円高不況とは様変わりだが、さてその賃上げの恩恵が巡って自社の売上が伸びてくれないかなと経営者は考える。従業員はうちの会社も賃上げはしてくれないかなと考える。経営者と従業員の思考回路の違いは、如何ともしがたいが、世の中の雰囲気がもう少し良くなってくると労働条件の整備、改善は中小零細でも無視できなくなるだろう。 
 日本経済の長い低迷の中でリストラは当たり前、社員を派遣、パートに切り替えてなんとか凌いできた多くの企業にとつては、いつの間にか働いているものは、人間でなく取替えのきく部品のように思えているのではなかろうか。その際立った例が「ブラック」企業なのだろうが雇い入れる代わりにあらゆる理不尽を押しつけたのでは、労働者の基本的な権利はどこにいくのだろうか。暴動を起こすわけでもなく、ストライキひとつ打つわけでもなく資本の側の攻勢に黙々と耐える労働者群像(サラリーマン群像)を見ていると、なにがしか侘しいものを感じてしまう。 
 上場会社でさえ「ブラック」はあるほどだから、中小零細では自社の従業員を労働基準法によって守られた人間として対するという問題意識をもっている経営者のほうが少数派かもしれない。けれどもそのへんを曖昧、どんぶりにしておいて良しとして「いやならやめればいい」と考えていると「職場」の活力は無くなり労働効率は落ちて、結果として会社の業績が停滞することも否定できない現実である。大概は経営者の胸三寸で賃金も賞与額も決まってしまうのが中小零細の常だが、それでも働いている人の権利への配慮がないと職場には、労使対立の無言の軋轢のか風が吹く。 
 若い頃に、「多くの経営者は会社の規模が大きい事、売上を伸ばしていることを自慢するが、そんなことよりどの会社よりも一番高い給料を社員に払っていることを誇りに思う経営者になれ」といわれたことがある。もちろん私の会社がそうなっているわけではないが、一石を投じる哲学ではある。 
 人を雇う以上賃金は最低賃金以上でなければならないし、それ以外にも残業手当て、休日出勤の手当て、夏期冬期一時金の支給、有給休暇の取得規定(パートさんにも有給休暇の権利はありますから)、交通費の支給などはっきりさせておかねばならないことは多々ある。それらのごく基本的な労働環境の整備が、働きやすい職場を作るし、士気を上げる。 
 視点を変えれば「労務」を充実させることは、企業継続のためのリスク管理を担っている。そう思えば、コストは決して高いものではないだろう。  
 ではあらためて、みなさんの会社 賃上げは視野に入っていますか?

現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯 91 ■2014年3月14日 金曜日 14時9分6秒

65歳の憂鬱
私的老後生活論 その2

老後の生活を95歳までとして計画してみたが、「そんなに長生きできそうもない」、「70歳過ぎたらいつ死ぬかも分からないから、計画なんて意味ないんじゃない」という感想を抱いた人が少なからずいると思う。
 私も似たように考えていたけれど、それは老後を計画する上での「死」の扱いの難しさだろう。「死んでしまえば」と思えば、計画することがあやふやになり、曖昧になり、「ま、何とかなるでしょ」精神が頭をもたげてくる。
 それは「死」の壁の前で思考停止になっているに過ぎない。予想通りになればいいけれど、長命ゆえの悲惨な現実がすでに日本国内、どこでも見られている。国も地方自治体も事実上の「おじ捨て、おば捨て」に手を染めている。
 この先さらに高齢化社会が進めば、「人間らしく老いて死ぬ」ことは、それなりの覚悟と計画なしには不可能な時代がやってくるに違いない。 
 「死」を脇に置いて、一つの基準としての老後モデルを考えておくことは、そこらかどのぐらいズレて生活しているのかということが、はっきりするだけでも有意義だと思える。平均寿命から考えて「65歳〜95歳」の30年の設計は、決して不自然なものではない。
 ではこの30年のどこに節目があるかといえば、75歳に境界線を引くことができる。
 現実に、いま医療の世界で2025年問題が取りざたされているのも、団塊の世代が75歳を迎えるからに他ならない。このことは「老後の生活」という視点で見るとこの75歳前後からは働いて稼ぐということが、大半の人にとっては難しいということだ。病気とは言えないにしても、耳が聞こえなくなったり、視力が低下したり、歩くにも杖がいるようになる老人特有の機能低下も、労働意欲をそぐ。
 だからこそというべきか「老後生活30年」の「65歳〜75歳」が、肝心な10年になる。一つの選択肢だが、この10年仕事に選り好みせず働いてみる。そして75歳から「年金」と退職金を支えとした生活に入るとすると、95歳まで2800万円で足りる。これなら何とかなると思う人も多いのではないか。65歳でリタイアして、あとは細々という世の中全体の風潮に流されることなく、また「働いて稼ぐ」という精神的緊張を切らすことなく、10年頑張ってみる。75歳の前で少し先の余裕ができたら、そこで初めて余裕分心も体も遊ばしてみる。これが私なりの一つの結論。
 そうなると自分のペースで働ける自営業は外から見ると、結構羨ましい職業に違いない。少子高齢化がますます進む中では、行政の社会保障サービスは低下する一途。「なんとかなる」が通用しなくなる。認知症の家人を抱えて途方に暮れる風景は珍しくなくなる。「人間らしく死ぬ」ために働けるうちは働かねばならない時代の到来である。

現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯 91 ■2014年3月14日 金曜日 14時7分37秒

65歳の憂鬱
私的老後生活論 その2

老後の生活を95歳までとして計画してみたが、「そんなに長生きできそうもない」、「70歳過ぎたらいつ死ぬかも分からないから、計画なんて意味ないんじゃない」という感想を抱いた人が少なからずいると思う。
 私も似たように考えていたけれど、それは老後を計画する上での「死」の扱いの難しさだろう。「死んでしまえば」と思えば、計画することがあやふやになり、曖昧になり、「ま、何とかなるでしょ」精神が頭をもたげてくる。
 それは「死」の壁の前で思考停止になっているに過ぎない。予想通りになればいいけれど、長命ゆえの悲惨な現実がすでに日本国内、どこでも見られている。国も地方自治体も事実上の「おじ捨て、おば捨て」に手を染めている。
 この先さらに高齢化社会が進めば、「人間らしく老いて死ぬ」ことは、それなりの覚悟と計画なしには不可能な時代がやってくるに違いない。 
 「死」を脇に置いて、一つの基準としての老後モデルを考えておくことは、そこらかどのぐらいズレて生活しているのかということが、はっきりするだけでも有意義だと思える。平均寿命から考えて「65歳〜95歳」の30年の設計は、決して不自然なものではない。
 ではこの30年のどこに節目があるかといえば、75歳に境界線を引くことができる。
 現実に、いま医療の世界で2025年問題が取りざたされているのも、団塊の世代が75歳を迎えるからに他ならない。このことは「老後の生活」という視点で見るとこの75歳前後からは働いて稼ぐということが、大半の人にとっては難しいということだ。病気とは言えないにしても、耳が聞こえなくなったり、視力が低下したり、歩くにも杖がいるようになる老人特有の機能低下も、労働意欲をそぐ。
 だからこそというべきか「老後生活30年」の「65歳〜75歳」が、肝心な10年になる。一つの選択肢だが、この10年仕事に選り好みせず働いてみる。そして75歳から「年金」と退職金を支えとした生活に入るとすると、95歳まで2800万円で足りる。これなら何とかなると思う人も多いのではないか。65歳でリタイアして、あとは細々という世の中全体の風潮に流されることなく、また「働いて稼ぐ」という精神的緊張を切らすことなく、10年頑張ってみる。75歳の前で少し先の余裕ができたら、そこで初めて余裕分心も体も遊ばしてみる。これが私なりの一つの結論。
 そうなると自分のペースで働ける自営業は外から見ると、結構羨ましい職業に違いない。少子高齢化がますます進む中では、行政の社会保障サービスは低下する一途。「なんとかなる」が通用しなくなる。認知症の家人を抱えて途方に暮れる風景は珍しくなくなる。「人間らしく死ぬ」ために働けるうちは働かねばならない時代の到来である。

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コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 90 ■2014年3月3日 月曜日 15時33分32秒

65歳の憂鬱 私的老後生活論

 大半の勤め人は、半ば強制もあるだろうけれど65歳でリタイアして、年金生活に入る。そこからの生活設計は、どんな風に組み立てれば良いのか、暴論を承知で私なりに考えてみた。そろそろ店仕舞いを考えている零細小売り店さんにも参考になるかもしれない。
 まず「老後生活」を65歳から95歳までの30年間と設定する。毎月の生活費をすべて年金で賄えないとして5万円の補填が必要とすると年間60万円になる。10年間で600万円、30年で1800万円になる。月7万円の補填だと年で84万円、30年で2520万円になる。
 次に年間でかかる生活費用を計算に入れる。家屋のメンテナンス、耐久消費財の買い替え、年で払う税金(固定資産税など)、大病の医療費、慶弔費、車検代などを、年50万円として、10年で500万円、30年で1500万円、予備費(老後にともなう思わぬ出費)を年30万円として10年で300万円、30年で900万円、例えばやむなく民間の老人ホームに入居するにしても、頭金はかなりの出費になる。
 「老後生活」には30年で合計4200万円が、月々の年金とは別に必要となる。大手企業のサラリーマンでも退職金は平均2000万円から2500万円ぐらいだから、それを食いつぶしても足りない。年金生活を始める際の金融資産、不動産資産が別に2000万円ぐらいあれば、辛うじてセーフだが、自宅を処分すると自分たちが住む住居費が別途かかってくるので難しい点もある。(国民年金だけなら状況はもっと厳しい)
 勿論生活プランナーでもない素人の机上論だが、ひとつの生活モデルとして提示してみた。非現実的な空論でもないと思っている。
 団塊の世代の大学進学率が20%前後であることを考えると、厚生年金と企業年金でガードされ、十分な退職金を手にした人は少数で、「老後の生活設計」の計算の前で、立ちすくんでいる人の方が多いであろう。気がついたら崖っぷちという現実である。
 「65歳の憂鬱」は勿論私自身の問題である。年金ではとても足りない。さらに自営業の常として、借金はあるが退職金はない。(シャレにもならないけど)ではどうすればいいのか、次回はその辺に触れてみたい。
 
現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 89 ■2014年2月17日 月曜日 15時58分48秒

CWC(ウオッチコーディネーター試験)を受けてみた

 この年齢になって受験勉強をするとは思わなかったが、“モノは試し”とCWCを受けてみた。会場は神田神保町「日本教育会館」だが、なかなか場所が分からなくて試験開始15分前に滑り込んだ。
 私は第一会場だったが第三会場まであって、受験者の多さにビックリ。試験は午後一時から三時までの二時間。回答を選択肢の中から選ぶマークシート式で、ざっと70〜80問ぐらいあったと記憶している。
 問題自体は事前に勉強しなくとも、一般常識と時計の販売経験で、二割から三割は解けるだろう。テクストの一夜漬けで、更に三割ぐらいは上乗せできるが、それ以上はきちんと勉強しないとダメだろうとの印象を受けた。
 次の文章のうち正しいものを選べ、あるいは間違っているものを選べという問い形式が多かったが、その選択文章が、正確な知識を要求しているので、大雑把な理解では、間違いやすいのである。ただテクストを踏まえたうえでの応用問題は殆どないので、そういう意味ではテクストをきちんと理解しておけば大抵は解答できるレベルである。
 この試験を主催した日本輸入時計協会の事務局によれば、試験委員会?を開いて解答率の具合で、合格ラインを決定するのだから、問題が簡単であれば、合格率は上昇する事になる。(前回は解答率70%以上で合格であった)
 このCWCの試験は腕時計を販売したり、修理を受け付けたりする仕事に、小売の店頭で従事する人達が、常識としてもっていなければならない知識レベルを問うものである。 
 時計の歴史から内部の仕組み、また贈り物の基本から商品演出のやり方まで、浅く広くテクストに書かれている。輸入時計協会の主催とはいえ、スイス時計についての理解を深めるというものではない。ただ自分の知識の再確認や欠落部分を補うという点では意義があるけれども内容が難しくないだけにウオッチコーディネーターを名乗るにしてはもうひとつ物足りなさを感じる人も多いだろう。
 この試験の上に上級CWCを設定して、より掘り下げた時計関係の知識を必要とする筆記試験と腕時計の分解、組み立てが最低限できる技術試験を加えれば、権威ある資格として世の中に通用するのではないだろうか。「上級CWCを持っているの。たいしたもんだね」って感じかな。
 最後に費用について一言。
テクスト台、3800円、筆記試験受験料7000円、実技実習受講料18,000円、CWC会員登録料(5年分会費含む)20,000円、合計48,800円。私には少々負担である。

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コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 88 ■2014年2月12日 水曜日 15時30分56秒

政治風景からみる筋論の力
 
 都知事選に立候補した舛添要一氏はなぜ自民党の支援を受けたのだろうか  
離党の際に自民党の歴史的使命は終わったと広言したのだから、当然その政治認識を貫いてこそ面目を保てるというものものだろう。選挙戦を有利に戦うために自分のよって立つ根拠まで崩してしまっては、政治家舛添の「魂」が泣くではないか。変節の批判を受けるような際どい端を渡らなくとも、氏の政治的経歴から考えて十分戦えるのに。そんなことを考えていたら、自民党の方からも批判が出てきた。「支援する大儀はない。いままでわが党を支持してくれた人達に説明ができない」小泉進次郎の放った筋論の矢は小気味良くメディアの注目を浴びたが、舛添氏も自民党も既定の方針どおり突きすすんでいる。
いままでの経緯は「水に流して」ここは舛添さんで「丸く収めましょう」「固いこと」ばかりではものごとは前に進みません。「清獨あわせ飲んでこそ」政治です。 テレビや新聞から伝わってくる舛添氏や自民党の匂いのようなものを言葉にするとこんな感じになる。   
 筋論を包み込む、日本人特有の心性が物事の流れを作っていく。そういえば、自治会でも商店街の会合でも似たような意思決定の風景を見ることができる。根っこはとても深いのである。筋論を言えば言うほど周囲から煙たがれ孤立し「変わり者」として扱われるのが関の山である。 
では筋論は無力かというとそれは違う。立ち位置の違いを問わず、誰の心にも染み込んでいくものである。当座は無視されたり、棚上げされたりするけれども決して消えてしまう事はない。ムラ社会的な心情のアンチテーゼとしてひとの心を揺さぶり続けるのである。小さな声でも筋が通った論は強いし、生命力がある。ものごとが理屈にあった形になるまで、強いエネルギーを放ちつづける。「なあなあ」と「まあまあ」で物事が決まり、筋論が通らなかったとしても、いずれ誰かがふたたび拾い上げて、主張し始めるのである。 
この時計美術新聞で多くの人達が業界の問題点をなんどもとりあげてきたが、何かが変わったという感じはしない。けれどもJJAであれJOW JAPANであれ筋論の警鐘を軽んずれば、消費者からおおきな「NO」を突き付けられる日がいずれ来る。
小泉進次郎氏の論は空を切ったようにみえるが大衆は見ている。政治もビジネスも畏怖の心を失えば転落するのである。

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コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 87 ■2014年1月20日 月曜日 14時6分48秒

「永遠の零細」はて 打開策はありやなしや
                  
販売促進費の視点から見てみると 
 
 私の店はまさに典型的な零細小売りである。経営者兼店長である私のほかは3人の女性のパートさんでなんとか回している。このあり様は当面変わりそうもないので、来年も再来年も零細だろうし、たぶん永遠に零細だろう。
 これは一にかかって私の経営能力の無さによるものだが、すこし突き放して現実を観察すると零細からなかなか脱出できない「今」の小売りの仕組みが見えてくる。 
 小売業において一昔前とくらべて変化したもののうちキーポイントになるものは、物余りによる買い手本位の市場の現れが一つ。もう一つは規制緩和が生み出した競争の激化である。このことによって小売業は、ただ漫然と商売をしていると、どんどんと客をとられ、仮に景気が回復してもその恩恵を得ることが極めて困難になってしまった。 
 近隣に大型の商業施設ができるという分かりやすい形だけでなく、通信販売やネットショップのような業態による侵食も小さくない影響がある。それぞれが消費者に直接間接に働きかけることで、その需要を奪い合っているのである。この事態を消費者からみると、消費者が日々なんらかの消費のための刺激を受け続けているわけで、零細とはいえなにもしないと、物を買う前に店選びですでに消費者の選択肢からはずれてしまう。御馴染みさんを相手に商売をすればいいという考えがあるかもしれないが、それだとつまるところじり貧である。
 「品揃え」や「商品知識」「接客」ではどこにも負けないと自負しているお店もあるだろうが、今の時代は「広告宣伝費」が小売業の経営には大きなウエートを占めている。そしてこの「広告宣伝費」こそ、まさに零細小売業の泣き所なのである。たとえば「品揃え」はお金を物に変えているだけで売れなければ処分という方法もあるが、「広告宣伝費」は使って無くなってしまうお金である。使っただけの効果があればいいが、確実性に乏しいリスクの大きい費用である。ましてや大手が生き残りをかけて熾烈な宣伝合戦の最中に割って入るのである。リスクをとる資金とそれを使う柔らかい頭脳が常に要求されるところが厳しいのである。広告宣伝の効果が無いと見るや大手ならつぎつぎと人材を投入してくるのに、我々は一人で立ちむかわなければならない。零細の本部機能は一人で賄っているのである。 
 「零細小売業」にとっては辛い時代である。例外はあるにしても構造として「零細」は「永遠に零細」である。その現実を見据えた上で、今年の景気回復の分け前を、少しでも積極的に取り込むよう「小さな宣伝、大きな効果」のアイデアをみなさん考えてみましょう。なにもしないで守りのままだと名はあれど姿、形がみえない「ニュートリノ零細」になってしまうのである。
     
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コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 86 ■2014年1月20日 月曜日 14時5分18秒

一年の計は元旦にあり
リーダーに求められる「大局観」

新年あけましておめでとうございます。今年一年われわれの業界が平穏無事でありますことを願うとともに、皆様の会社に商売繁盛の神様が訪れますことを祈念しております。私個人といたしましては、天下の回りものである「お金」様が、我が懐にザクザクと飛び込んできていただくことを夢想しております。なんといったって「金は零細を救う」のです。
リーダーたる者のもっとも大切な資質とは何かといえば、健康であることを除けば「大局観」が優れていることに尽きる。では「大局観」とはなにかというと、全体を観る目というか、その形成判断というべきかなかなか説明が難しい。けれどもこの「大局観」は物事の大事を誤らないための要のなかの要ともいうべきものであってそれは人生においても、企業においても、国家においても同様である。 
1904年2月日露戦争が始まる。当初より戦費調達の問題を抱えていたこともあり困難が予想された戦いであった。 同年12月激戦の末203高地を攻略、翌3月ロシア軍を破って奉天を占領したがすでに武器弾薬は底をつきその調達の目途さえたたず戦闘能力は限られたものになった。その厳しい状況下バルチック艦隊が迫る。この海戦に破れることは日本海の制海権を失うことであり、大陸に展開する陸軍の補給路が絶たれることを意味する。のるかそるか日本の連合艦隊にとってまさに「皇国の興廃、この一戦にあり」は決して誇張ではない。日本海海戦は5月27日28日両日の戦いであったが、日本の圧倒的な勝利で終わる。おそらくはこの勝利に日本国中が沸き立ったことだろう。これならもう一押しすれば、ロシアに勝てる、そう考えても不思議ではない。そのくらい鮮やかな勝利ではあった。けれども三日後の5月31日外相小村寿太郎は米大統領セオドアルーズベルトにロシアとの調和の仲介の斡旋を打電している。政府指導者は勝利に酔わない。ここが退き時、これ以上の戦いは国を誤らせる。俗にいえば「見切り千両」。すばらしい「大局観」である。  
同年9月5日ポーツマス条約が締結される。ロシアからの戦争賠償金はゼロ、苦汁の決断であったが、この戦いのあと日本は欧米各国に近代国家として認知され、後に国際連盟の常任理事国にまで上り詰める。
私見だが近代日本は幕末の勝海舟、維新の大久保利通、日露戦争時の政府指導者、それぞれの「大局観」によってその礎が築かれたといっても過言ではない。

 一年の計は元旦にあり。事をなすに当っては計画を先ず立ててからにせよ、という程度の意味ではあろうが、その計画立案の基礎には富士山のてっぺんから下界を見下ろすがごとき全体を見る目がなくてはなるまい。
 今年はいかなる年とあいならんや、年の始めに皆様の「大局観」を聞いて見たい。
平成26年 甲年 元旦

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■みんなでともそう生き残りの灯 85 ■2014年1月17日 金曜日 16時29分14秒

『電波時計の不思議』
シチズン、セイコーと賭けて「不美人(ブス)」と解く、そのこころは

 シチズン、セイコーと賭けて「不美人」と解く、そのこころは 正確(性格)が取り柄
 電波時計」というのは不思議な時計である。誰がこの時計を本当に必要としているのだろうか。一秒の誤差が大きな損出や利益に繋がるような株取引やFXのごとき為替相場に首を突っ込んでいる人々、コンピューター関連のビジネスマンは例外としても一般庶民の生活では、一秒の誤差なんて殆ど意味をなさない。
 正確無比といわれる電車の運行だって一秒を意識しているわけではない。
それなのに何故国内大手メーカーは、一秒も狂わない時計を追及するのだろうか。クオーツ時計で誤差月差を実現し、次に年差に進歩し、これで十分だと思っていた。
 ここからさき動作エネルギーを環境保護視点からソーラーに変えていく技術開発は時流に沿ったもので誰でも納得できるが、一体何故誤差ゼロにこだわるの。
 完成された技術の上に、さらなる技術を付け加えようとしているようにしか見えない。戦略なき技術の自己目的化というべきなのか、あるいは、試しに売り出してみたら結構手ごたえが良いのでズルズルと作り続けているのかしら。
 いやいやそんな目先のちっぽけなことじゃありません。20年後か30年後の私たちの生活は、コンピューター管理が更に進化し、秒の狂いが許されない社会に変化していくに違いない。だからこそ、技術的布石です。素人さんには分からない深〜い考えがあってのことですから、と返事が帰ってくるかもしれない(ほんとかいな)。
 それにしても正確だけが取りえの時計って魅力的かな。加えて誤差ゼロ自体気になりませんかね。本当にゼロかって。「あっ一秒狂っとる」、「あっ直っとる」、「おや0.5秒ずれとる、これ故障じゃないかな」。
 我々は、自分の時間を管理する為に時計を使いながら、その時計の技術進化が我々を逆に管理するとしたら、随分と窮屈なことだ。時計という道具って、どうあったらいいんだろうか。そういう時計哲学を「電波時計」は、暗黙裡に我々に投げかけている。
 偉い人が言っていました。「戦略の失敗は、戦術の成功では補えない」。
 JAPAN IS BACK 技術大国日本、メイドインジャパン「電波時計様のお通りだ」いけいけドンドン、夜明けは近い。で、たどり着いた先がガラパゴス諸島でないことをお願いしますよ。我々零細もシチズン、セイコーの商品で糊口を凌いでいるわけですから。
 では来年も老骨に鞭を打ち、老脳に柔軟剤を注入して頑張るとしましょう。皆様良いお年をお迎え下さい。

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コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com  
■みんなでともそう生き残りの灯84 ■2014年1月17日 金曜日 16時27分56秒

続 みんな困っているスイス時計の修理

過剰修理の懸念 小売店は見積書をよく読んで保管しておこう
 
一流どころのスイス時計のメーカー修理を依頼した場合、ほとんどがコンプリートメンテナンスという形で見積書が送られてくる。平たくいえば、「部分的な修理は受け付けません。完全なる修理をします。それでなければ修理はしません」という趣旨になろうか、機械内部の分解修理ならそれでいいだろうが、文字盤の傷みや外装のケースの劣化まで含めて(ケース交換)要求されると修理代金が高値になることがある。
お客さんから、「分解掃除だけでいいのに」と不満を言われたことは小売店なら経験しているであろう。
あるメーカーに電池交換と防水検査だけの限定修理を依頼したところ、「消費電流が基準値を超えているので、分解修理が必須である」との回答をもらった。そこで「その基準値はいかなるもので当該品がどの程度超えているのか教えてほしい」と聞いたら、「基準値そのものは答えられない」と言う返事であった。総じてスイス時計の修理品に対する姿勢は、消費者の意向に極力添っていこうとするものとは違う。
また修理工程についての情報の公開という点でも消極的な印象を受ける。頑固な寿司屋のおやじが「黙って食え、食えばわかる」といってるみたいなもんだろうか。「一流の時計を身に付けるなら、より完璧な状態で使用して下さい」そういう修理哲学が背景にあるかもしれないし、単なる利益主義かもしれない。 
けれどもユーザーに有無をいわせない在り方というのはいささか強引な感じがある。このことに部品供給の制限という状況が重なると、コンプリートメンテナンスに「過剰修理」という懸念 が生まれることになる。
例えば、「分解掃除依頼の際の外装ケースの劣化交換」という判断が妥当かどうかを別会社で聞いてみるということがユーザーは事実上出来ない。セカンドオピニオンが作用しない。もしかしたらユーザーは、必要以上の修理を事実上強制され、割高な修理代を支払っているかもしれない。
現状の部品供給の中では、小売店はメーカー修理を選択せざるを得ない場合が多い。それならばせめて見積書を良く読んで、その判断についての根拠を詳しくメーカーに問いただす作業を地道に行なうほかない。その上で、世の中の風向きが変わってくれば、「過剰修理」の証として使える場合もあろうから見積書は保管しておくのが賢明であろう。 
食品偽装の世の中である。「過剰修理」で返金の事態もあるかもしれない。
現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 83 ■2014年1月17日 金曜日 16時26分34秒

みんな困っているスイス時計の修理

黙っていると小売店の利益はますます少なくなっていく

 オメガ、ラドー、エルメス、グッチなど一流どころのスイスクオーツ時計の修理を引き受けると、分解修理は可能だが、集積回路が入手できないから、そのリスクは承知しておいて欲しいという返事を修理委託の会社から受けることが最近多い。
 あるいは集積回路の不良の為修理が出来かねる、直接メーカーに送って欲しいと言われる事もある。自店の取引先の会社以外にも問い合わせてみたが、似たり寄ったりの回答であった。「要するにメーカーが修理も独占しようとしているのですよ」と腹立ちげに話してくれた会社幹部の方もいたが、そういう一面もあるかもしれない。
 こういう事態になってくると、修理を自分で行なっている小売店も困るだろうし、それだけでなく電池交換の作業途中にコイルを傷つけてしまうとお手上げになってしまう。ブランド品を含めたスイス時計を保有している人の割合が、どの程度かはっきりしないが、その修理が時計業界にとって無視できるほど少ないとは思えない。
 時計材料店も修理委託会社も小売店も、現に経営上の影響を受けているだろう。各方面に当って調べてみると、この問題は最近急に生じたことではなく、2010年にETA社が部品の供給を制限すると、オフィシャルに発表したことが端緒だそうである。これを2010年問題と呼ぶようだが、具体的な内容は分からない。
 皆、困っているが、ではどうすればいいのかという事になると、現状ではそれぞれが人脈,社脈を使って必要な部品を調達しているだけで、業界全体の問題として捉え、解決しようとする動きにはなってない。しかし、それがまたスイス時計のメーカー側に、これで良しという感覚を生んでいることも否定できないし、さらなる修理の制約に踏み込んでくるかも知れない。実際今年に入ってからスイス時計メーカーの対小売り店修理のマージンは、殆どがゼロになってしまった。
 なめられているとまでは言わないにしても、そういう感じを持っている人は多いと思う。クオーツ時計以外にも、例えばロレックスでも、部品供給の制限が厳しくなっている話を聞くし(未確認情報)、スイス時計全体で修理の在り方に大きな変化が起きているかもしれない。
 この種の事柄は、当然のことながらそれぞれの組合が表に立って交渉すべきことで、JOW JAPANなどは、修理売上げこそが零細小売店の生き残る為の主たる手段だと主張しているのだから、先頭に立つてしかるべきである。面倒なことにはだんまりを決め込んでは(水面下の事は分かりません)組合の存在意義が問われるのではないだろうか。
 事態の打開の為には、先ずは全国規模の実態調査をして、スイス時計の修理の困っている現実がどういうものか把握し、それを公表することから始めなくてはならない。
それらの現場の声を集めた上で、それぞれのメーカーに公開質問状を出すなり、行政に相談するなり、何らかの手は打てるはずである。言うべき事は言わないと、そしてやるべき事はやらないと、小売店の利益はますます少なくなっていくだけである。

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コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 82 ■2014年1月17日 金曜日 16時24分45秒

「野田岩」のうなぎ

 「野田岩」といえば江戸時代から続く老舗のうなぎ屋である。通の人なら一度や二度は賞味した事はあるであろう。味は絶品という評判で、社長の金本兼次郎氏のわざは、NHKの「プロフェッショナル」という番組で取上げた程だからご存知の方も多いであろう。大手百貨店ばかりか、パリにまで支店を出している。それだけみても蒲焼きを含めた料理のレベルの高さが分かろうと言うものである。
 話はここからであるが、あくまでも「仮に」の話である。「野田岩」の大将が、今のうなぎ業界の全体を見たうえで、「スーパーで売っている蒲焼など、とても食えたもんじゃないね。ありゃ蒲焼もどきだよ。売るほうも売るほうだけど買う奴も買うやつだ」、「地方に評判のうなぎ屋があるってんで行ってきたよ。特上を試食したが器だけは立派だったが、蒲焼の本物の味が分かんない客に器で底上げしてんだね」、「鰻が値上がりして商売にならないで、廃業している店があると聞くけど、うちの店じゃ客がさばき切れないで困っているよ。三ヶ月先まで予約で埋まっている。分かる客というのは、いるもんでね。ま、世の中の99%の蒲焼は偽物だよ」などと発言したら、それは間違っているのである。(野田岩さんごめんなさい。あくまでも仮のお話です)。
それは本音はそうだが、建前としては、奇麗事を言うべきだということではない。本音自体が間違っているのである。
世の中には、こういう類の発言を囃し立てたり、面白がる人もいるが、つまらないことである。
 どんな業界でも必ずルール違反をしたり、違反スレスレの商売をする業者はいるものである。だからそこだけを、区分した上で具体例を上げながら指摘するのは業界のためになることである。然し業界が成り立っているという事は、大方の人たちは、良心的な商売をしているからに他ならない。どうしたら安くて、美味しい蒲焼を提供できるか、日夜努力していることが、見えていないのである。“俺の蒲焼は天下一品”などと他人を見下し、それを食べる客までも見下すなどは、業界のそれなりの立場にいる人の見識ではない。
 野田岩の大将なら、多分こんな風に言うのではないだろうか。「国民食とも言うべきうなぎの蒲焼が、これからも多くの人に愛されていく為に、スーパーの蒲焼も良し、路面のうなぎ屋さんもいいですから、是非食べ比べてみて下さい。その時、その時の懐具合もございましょうからね。そして一度は私どもの店に来てください。うなぎ料理の裾野が広がって、お客様の選択肢が増えていくこと、それこそがこの業界が発展していく基本だと思います。その上で、業界全体の蒲焼のレベルが上がっていくことを、価格以上の値段を提供できることを願っております」。

 パール業界のトップに位置するミキモトに「花珠真珠」は置いてありますかと問い合わせたら、少し前まで扱っていたが、今は基準が曖昧なのでやめたということであった。おやおや花珠商売をやっていたのだ。東京・銀座の真ん中で、本物が「分かっているお客から鼻の先で笑われている」鑑別書を付けて、ジュエリーらしき「雑貨」を売っていたのだろうか。「人間プライドを失ったら終わり」でしょうに。

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コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 81 ■2013年10月15日 火曜日 13時48分3秒

コンビニと宝飾店の違いが分かるコラム

 猿でも分かる話ではないか、と言われそうだが、コンビニの有り様を整理することで、その対極にある宝飾店の一面をはっきりさせて見たい。 
 セブンイレブンの鈴木会長は、講演や著書でよく「小売業というのは社会科学である」との趣旨を述べている。売り場に商品を展開する際に、どれほどの数をどの様に並べれば、どれほど売り上げが伸びるかという仮説をまず立ててみる。その仮説を実際にやってみて、結果としてどうなったか検証してみる。仮説通りでなければ、また別のやり方に修正して実験してみる。この繰り返しをしながら、消費者のニーズに出来る限り近づいていくことが出来る。死に筋といわれる商品も、展示の方法やタイミングを工夫すれば、売れ筋になるかも知れない。
 この仮説、実験、検証という考え方が全ての小売業種に当てはまるかとは思えないが、食料品や生活必需品のように需要自体が顕在化していてサンプル数が多く、かつ高回転率の品目の場合は、仮説から結果までが早いので、消費者の欲求に合わせた売り場の修正が直ぐ出来るのである。この作業工程は、殆ど数字に還元することが出来る。
商品種類数、展示数、展示スペース、時間帯、外気温等々、コンビニはその集約点ともいうべき業態である。
 コンビニとは何かと私なりに言えば「便利さを数字的に徹底的に追求している小売業」という事になる。「追求している」と現在形で書いたのは、消費者は常に変化しているという前提でコンビニは運営しているので、便利さも常にその内容が変わるからである。
 コンビニは言わば「数字の固まり」である。逆にいえばその数字を撹乱するものは、極力排除した方がいい事になる。多分接客はその最たるもので、そうすると商品が売れたことのデーターの純粋性が損なわれるのだろう。コンビニの定員のあり方が、徹底して受身であることには、そういう意味が読み取れる。
 では宝飾店はどうだろう。まず需要なるモノがあればある。なければないという極めて曖昧なものである。どうしても必要なものは、パールのようなフォーマルジュエリーぐらいである。商品の回転率なども数字として出せるが、さりとてそれでどうするということもなかなか難しい。喜平のようにデザインからして画一的なものならとも角、18金かPtかでおおよその価格ラインは、どのあたりか程度しか数字的には絞り込めない。数字でなければ何か。
 宝飾店の中心にあるものは「人」である。定員の一言でジュエリーが輝いたりしぼんだりする。商品の売りに繋がっていくのは「人」の力である。買いたい気分にするのも(需要の掘り起こし)「人」である。顧客管理も「人の繋がり」である。
 婦人画報の編集長、出口由美さんは、ジュエリーコーディネーター(59号)の記事の中で「ジュエリーは買う時に、何らかの決心が必要な商品ですね」と語っている。この表現は、ジュエリーという商品の消費者目線からの位置づけとして核心を突いている。だからこそ「人」の高度な接客力が必要となる。
 コンビニにとって「数字」の扱いが生命線のように、宝飾店には「人」こそが生命線なのである。

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コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 80 ■2013年9月30日 月曜日 13時35分31秒

平成の召集令状
介護大戦争に思う

 ジュエリーの取引先のAさんが退職の挨拶に来た。冷やかし気味に「リストラですか」と尋ねたら、高齢の父親の介護で故郷に帰るという。まずは自分が行って、いずれ家族を呼び寄せるつもりだが、先方での職はまだ決ってないと話していた。
 予定通りの場合もあるが、急にということも多いのが親の介護で、今は誰にでも降りかかってくる問題になっている。私の店でもパートさん3人のうち2人は老親を抱えているし、私自身母親を施設に預けている。介護が長引けば、家族全体の人生の軌道が変わっていかざるを得なくなることも多い。とはいえ「命」と向き合う事柄だけに、中途で放り出す訳には行かない。先日も「超高齢社会の基礎知識」という主題のささやかな勉強会に出席したが、テキストに沿った議論よりも、親の介護にまつわるお互いの体験談で盛り上がってしまった。
 親の介護を含めて高齢者の介護というテーマの奥には、「人間とは何か」という問いが潜んでいるが、その哲学的な問題を別にして、実際の介護では介護する側の自分自身との戦いが辛いのである。介護には先が見えない。いつまでと言う期限がない。明日終わるかも知れないけれど、10年、15年かかるかもしれない。最初の頃はなんでもなかった世話する作業が、1年、2年と経つうちに、徐々にきつくなってくる。「何時まで続くのだろう」と思い始め、真面目に一生懸命介護すればするほど、親の寿命が延びるという現実に直面する。親の体調は安定しているのに、今度は自分の方が体調不良で寝込みそうになる。親と子の親和性が崩れてゆき、痴呆や徘徊がはじまると状況は更に悪化する。介護する側の精神的な一線が切れてしまえば、そこから老人虐待までは一直線である。勿論誰もがどこかで踏みとどまっているのだが、水面下には危ういものを抱えている。
 まだまだ高齢者は増え続けていく。この国では介護大戦争と呼ぶべき状況が現出している。
 ああ、あの顔であの声で、手柄頼むと妻や子が、ちぎれるほどに振った旗、遠い雲間にまた浮かぶ「暁に祈る」より。
 Aさんが帰った後、ふと思ったのは彼に介護大戦争の召集令状が下ったのだ。この家庭の中の静かな戦いには、手柄などと言うものはない。戦地に赴く高揚感もない。背中を押してくれる勇ましい軍歌もない。私はただAさんと、そのご家族の無事を祈るだけである。

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コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 79  ■2013年9月20日 金曜日 13時36分54秒

褒めるわけではないけれど
売って安心「シチズン、「セイコー」

 時計業界では、昔から「セイコー、シチズン」と一括りにして表現するが、これでは何時までたってもシチズンは、セイコーの後塵を拝し、万年2位のように思われる。 
 けれども今流行のソーラー時計であれ、電波時計ではシチズンの方が手掛けるのも早かったし、仕様的にも進んでいる。エコ時計としてシチズンがソーラーを、セイコーがキネティックを競って発売したが、市場を制したのはソーラーであった。些細な事かも知れないが時計関係者は、シチズンに敬意を表して「シチズン、セイコー」の呼称を用いてはどうだろうか。
 それにしても、小売業をしていて最近感じるのが、シチズンの時計も、セイコーの時計も、販売していてとても安心だということである。
 その理由の一つに、販売後の不具合の苦情が全くといっていいほどなくなったと言う現状がある。時計を製造する技術が一段と進んだのか、完成品の出荷前の検査技術がより厳格になったのか、その両方なのかは分からないが、小売店にとってはあり難いことである。
磁気による時間の狂いに対する処方が多くの商品になされるようになったことも、苦情が減る一因になっているだろう。あまり表立って話題にはならない事柄だろうが、評価されてしかるべきだろう。
 鎖バンドの調節作業が、時計の販売にはついて回るが、この点でもシチズンもセイコーも、出来るだけ簡単に出来るように工夫し続けている。だから女性にパートさんでも直ぐ出来るようになる。売れたはいいが、技術者がいなくて困ってしまうという懸念が殆どない。海外ブランドのものは、作りにムラがあることもあって、簡単にいかないことが多い。ある程度修練を積んだ作業技術力が要求される。それは海外ブランドの取り扱いと技術者の雇用がワンセットであることを意味している。この点でもシチズン、セイコーは売って安心なのである。
 時計販売後のアフターケアという事柄でもシチズンもセイコーもその対応において、特別不満を感じさせるような事はない。修理仕上がりの期間の融通性もあり、随分と助けてもらったことがある。ユーザーとメーカーの間で板ばさみになって、ニッチもサッチもいかなくなったという経験はない。
 褒めるわけではないけれど、小売店から観るとシチズン、セイコーの時計は「売って安心」なのである。これはトータルとしての時計製品の完成度が極めて高くなっている事を意味している。このレベルを今後も維持し、かつ向上させてもらいたいとともに、あえて一言注文をつければ、高齢者の為の時計をもっともっと研究、掘り下げてもらいたい。とりわけセイコーさん、今の年代の高齢者は、セイコー愛好者が多い。その人たちの為の使いやすい、時計を開発してみませんか。商機はありますよ。

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コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 78 ■2013年9月20日 金曜日 13時12分3秒

「ジュエリー雑感」
バージンダイヤモンドと離婚のダイヤモンド

 私たちが手にするダイヤルースというのは、様々な履歴を持っている。けれども表向きは、それらの履歴はソーティングのパックには記載されていない。鉱山から掘り出されて、研磨されはじめて製品化されたダイヤモンド(仮にバージンダイヤモンドと呼ぶVD)と一度消費者の手に渡り、使用された後、何らかの事情で買い取られルースとして市場に再流通しているダイヤモンド(こちらをセカンドダイヤモンドと呼ぶSD)の割合は、日本国内ではどれくらいなのだろうか。買取の市場がおおっぴらになった最近では、SDはかなりの割合になるかもしれない。リ・ジュエリー業界の判断では、ダイヤに新品、中古の区別は存在しないので、VD,SDの言い回し自体意味をなさないかも知れないけれど、消費者目線ではどうだろうか。
 SDの中には何度も何度も製品として加工されて売られながら、またルースの市場に戻ってきてしまう「不幸なダイヤモンド」があるかも知れない。呪われたといえば大袈裟だが、身につけたユーザーが、なぜか手放してしまうような事情に出あってしまうダイヤモンドというのは、誰だって避けたいに決っている。VD,SDという用語が消費者に浸透していけば、ブライダルの市場では、必ずVDが求められるようになるであろう。
 こんな事を考えるようになったのは、ブライダルのダイヤリングを売却に来た中年の女性客の話からである。息子さんが離婚したので、相手から戻されたリングを処分したい。この品物は、大手百貨店に勤めていた時、その縁で買い求めたもので、品質はとても良い物である。是非高値で買い取って欲しい。そういう趣旨の内容であった。なるほどダイヤは鑑定書こそないものの、0,50ctアップの綺麗な石であった。
 このルースに新規に鑑別書を作成し、枠付けをしてブライダルリングとして売り出せば市場価格より安く買い取っているわけだから、大きな利益を得ることが出来る。
 確かにダイヤモンドに「離婚」の履歴が刻印されているわけではない。ダイヤはダイヤである。ビジネスとして割り切れば割り切れる。でもモラルとしてどうか。「離婚」の履歴を知った以上、何か吹っ切れないゴソッとするものがある事は事実である。結果としては、製品化して店頭で売ることなくルースを再売却したわけだが(これで良かったと思っているが)多分小売店ではこういう事例は決して少なくないであろう。
 再流通のダイヤモンドの扱いには、いささか厄介な問題が含まれていると感じると共に、いずれダイヤに新品中古の区別なしという言い分が通らない日が来るかもしれないとおもうのである。
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コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 77 ■2013年8月12日 月曜日 12時35分28秒

JJAの新役員の皆さんへ
業界百年の計 御徒町に世界で初めての「ジュエリー神社」を

 JJAの役員が一新された。是非この機会にフレッシュな理事さんの感性と頭脳で「ジュエリー神社」を御徒町に作ることを検討して貰いたい。
 いまでも御徒町は、宝石の問屋街として認知されているし、小売りもある。業界の中心地である事は間違いない。この御徒町に「神社」を作れば、話題性ばかりではなく、業界の象徴の意味合いにもなるだろう。目先の利を考えても、業界の販売促進のツールとして使えるだろうけれども、それ以上に業界全体の大局的な発展という視点でみれば、存在するだけで無形の発信力を持つはずである。御徒町に「神社」を作っても、その辺の小売店が儲かるだけで、問屋やメーカーにはメリットなど少しもない、そういう小さな損得勘定で考えては駄目で、ジュエリー業界全体の5年、10年先を見た発想で取り組んでもらいたい。
 勿論先立つものはサイフ。作るとなれば初期投資だけでなく、維持管理のランニングコストも計算に入れなければならないから、中々大変なことなのだが、まずはJJAで、そのための事前調査費を計上してはどうか。決して損にはならないと思いますが。
 でも一体神社なんて勝手に作って良いモンだろうか。全国の神社を取り仕切る神社本庁あたりからお叱りを受ける事になったら、それはそれで困った事になる。いやいや宗教法人なら、色々と厄介なのだが(県知事の認証や宗教法人登記)そうでなければ勝手に創建できるのである。
 面白神社の例を挙げると
 山形県西村山郡の「空気神社」、地元の長老の発案で、ご神体は「空気」。この世で一番大切なものを奉ってあるということで、20年前に創建した。観光に一役買っている。
 長野県飯田市の「貧乏神神社」。元銀行員が事業で辛酸をなめたことを契機に15年前に創建、ロイター通信が世界に発信して一躍有名になった。
他にも愛知県犬山市の「桃太郎神社」、秋田県大館市の「老犬神社」など皆個性的である。
 神社には、お祓いや祈願の意味合いがある。同時に御利益があるなら一度は行ってみようという集客の効果もある。それらを上手く組み合わせた「ジュエリー神社」なら世界初、外国人観光客にもアピールできる。観光スポットにもなるし、何より日本のジュエリーの情報をソフトに発信できる場として活用できるのではなかろうか。
 一瞬のうちに情報が世界を駆け巡る時代である。「神社」が切っ掛けになって、メイドイン・ジャパンの宝石ブームが起きないとも限らない。
 JJAだけでなく、リ・ジュエリーの関係者にも参加してもらい、更には御徒町の業界関係者も巻き込んで、まさに業界全体で取り組めば、夢のある面白いモノが出来ると思う。
 面白神社の記述の部分は、ネットから引用しています。
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■みんなでともそう生き残りの灯 76 ■2013年8月12日 月曜日 12時34分9秒

暑中お見舞い申し上げます
今年は一段と暑さ厳しく、皆様のご健康をお祈りします。

野菜サラダを最初に食べるという“食事法”を試してみては

 まったくもって暑い日が続いている。小売の我々は、冷房の効いた店内での仕事だが、全国を走り回っている問屋筋の営業には同情する他ない。上手にこの夏を乗り切ってもらいたいと思うばかりである。
 夏バテには、よく食べてよく寝るという健康の基本を守るに越した事はないが、この食について一寸触れてみたい。
 糖尿病の人の為の食事療法として、食べる順番を変えるというのがある。最初にサラダ、野菜を食べ次に肉類をたべて最後にご飯を食べるというふうにすると、血糖値の上昇の度合いが抑えられるというものである。テレビで放映されただけでなく、ネットでもダイエットのひとつとして紹介されている。物は試しでやってみたが、特別の効果は感じられなかった。自分が糖尿を患っているわけでもなく、肥満でもないからかも知れないが、それ以上にメニューによっては(例えばラーメンや丼物のような場合)順番食いが難しいから、効果が分からなくなっているのである。
 そんな折、取引先の役員から「最初に野菜サラダを一人分食べる」これを守れば後は普通に何をどういう順番でどう食べようと構わない。お試しあれという話になって「医食同源」をモットーにしている私は即実行。一度二度試しただけで食後のだるさ、眠気が解消されてスッキリ。かの氏が言うように体が軽くなるのである。もうひとつは整腸効果が顕著である。お腹の具合が実に良いのである。それから二ヶ月間、朝、昼、晩三食来る日も来る日も、必ずスーパー、コンビニで野菜サラダを調達して食べ続けてみたが(家人はあきれてましたが)効果は持続し、何がしかの副作用があるかと思ってみたが何もなし。私の消化器系は実感的には快調である。
 野菜サラダを先ず最初に一人分食べる。これだけのことで身体の中で何かが変化するんですね。素人考えだが、このことと糖尿病の食事療法は、多分どこかで繋がっているのでしょう。いやいやひょっとしたら、このことは人類なるモノが、先ずは草食で次に肉食なり、最後に穀物を栽培して食するという食の歴史のDNAを呼び起こしているかもしれないなどと、大それたことを夢想してしまいましたが。
 中小零細の会社、商店にとっては、社長・店主の健康だけが命の綱。この食事の方法がいささかでもお役に立てば幸いです。では皆さん、秋の風が吹いてくるまで、頑張りましょう。

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コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 75 ■2013年8月12日 月曜日 12時32分54秒

メーカー(シチズン・セイコー)は高齢者向けウオッチの開発に真剣に取り組んで欲しい

 日本そのものが高齢者社会になり、今後もますますその傾向が強まっていくにも拘わらず、現在の高齢者の気持ちを吸い上げた腕時計が少ない。
 メーカーの仕入れ総合カタログを見ると、なるほど高齢者向けと思われる商品の種類はある。けれども実際に小売の現場から見ると、満足のいくものではない。加えて毎月出てくる新製品も、若い世代向けの商品が圧倒的に多く、その中から高齢者に売れそうなものを選んで品揃えしているのが小売の現状である。
 何故こうなるのだろうか。私にはメーカーサイドの高齢者マーケットの把握が、少し現状とずれているのが原因と思われる。
 高齢者といっても男性と女性では違う。一般論で言うのだが、男性の場合定年退職すると生活スタイルが変わり、それほど身だしなみに神経を使わなくなるから、身につけるものも実用に重点がおかれる。
 女性の場合は、生活に大きな変化はなく、常に身奇麗でいたいという気持ちがあるので、消費も積極的である。だから高齢者の腕時計というとき女性用のものの方が、商機はある。
 では高齢の女性が欲しい時計とはどのようなものなのか。そう難しい話ではない。
 私の店のお客さんは、60代から70代の女性が中心である。この人達が時計の購入にあたって異口同音にいうのは、「時間が見やすい時計が欲しい」である。時間が見やすいとは、消費者から見て、具体的に何を意味するのだろうか。さてメーカーの開発担当者は、なんと答えるだろうか。ちょっと興味があるところである。
 時が、1,2,3と算用数字で、かつシンプルであること。
 時計のフェイス自体が幾らか大きいこと。
 時分針が見やすいこと(視認性が高いもの)。主にこの3点である。
 次に消費者が求めるものは、鎖バンド式の軽い時計である。鎖のバンドとは、三つ織りで横プッシュ式でなければならない。高齢になると装着の操作性が購買動機の大きな一因になるのである。つけるときにイライラするようではダメである。
 軽い時計とはどの程度の重さだろうか。これもメーカーの答を聞いて見たい問いである。
 女性物で50g以下、紳士物で100g以下である。普段使いの時計は、軽いに限るが、メーカーにこういう問題意識はあるのだろうか。何とか50g以下に抑えるように開発してみようという問題意識が。5gや10gぐらい大したことでないと思ってないだろうか。
 高齢の女性は、時計に日付曜日類はいらない(余計なものはいらない)というが、考えてみれば当たり前で、見やすい時計を欲しい人が小さな日付窓など見るはずがないのである。それにしてもそういう時計が多い。
 また2針より3針を望む傾向にある。動いているかどうかが直ぐ分かるからである。更に消費者からは電池交換のいらない時計が欲しいといってくる。この点シチズンの方が一歩も二歩も進んでいる。高齢になればなるほど、買い物に出る事自体が億劫になるし、費用もかさむからである。またそのために人に頼むのもわずらわしいと言う意識が働くのである。
 最後に大事な点がある。女性の場合は以上のことを踏まえたうえで、なお実用一点張りでなく、お洒落なデザインでなければならないこと、手頃な価格であることである。そう難しいことではないようであるが、仕入れしようとすると少ないのである。
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■みんなでともそう生き残りの灯 74 ■2013年8月12日 月曜日 12時31分14秒

ウオッチメーカーの小売参入は、問題視してもしょうがない
冷静に考えてみよう

 JOW JAPANが国産ウオッチメーカーの直営小売出店を問題視している。事実であれば、既存の小売店にとっては嫌な感じのする問題である。
 何となく小売店のお客さんをごそっと持っていかれるような気持ちになるけど、冷静に今という時代を見回してみると違う風景が見えてくる。
 一昔前と違って、小売自体のチャンネルが多様化している。インターネット、アウトレット、TVショッピングなど。店舗での販売が、数ある小売の一つの形態になっていて、必ずしも主役とはいえない時代である。
 またメーカー、問屋、小売の区分も、あいまいになりつつある。ユニクロの製造小売が象徴だが、大手スーパーのPB商品の広がりも一つの例である。こういう時代においては、メーカーの小売参入の是非などという問題自体が成り立たない。この事は時計業界でも例外ではない。
 例えばであるが、セイコーがネット販売しても見極めは難しい。販売会社名を変えればそれ以上調べようが無い。アウトレットでも、TVショッピングでも同じことである。全国チェーンの時計小売企業に、メーカーが資本参加した場合はどうなるのだろう。これも形を変えたメーカーの直接販売である。 
 資本参加が30%までなら良いとか悪いとか、論じること自体無意味であろう。メーカーの小売を問題視するなら、銀座和光はどうなるのだろう。理屈から言えば閉店の要請をするのだろうか。事実上メーカーの直接販売は行なわれていて、ただ無用な摩擦を避ける為に、露骨な店舗販売だけは控えているのが現実ではなかろうか。
 逆に、メーカーの店舗での直接販売を問題視しない考えも成り立つ。
 デパートやショッピングセンターが新規に出店すれば、当然時計の小売売り場は出来るであろうが、その時、出店者が小売サイドのものかどうかは、たいした問題ではない。困るのは、ディスカウンターによる大幅値引きであって、メーカー直営ならかえってそういう事はないであろう。
 セイコーやシチズンが直営の店舗を出店したとしても、既存の小売店に大きな打撃を与えるとは考えにくい。メーカーだけに品揃えは充実するだろうが、それだけで順調に運営できるような消費環境ではないだろう。私が消費者ならその店で商品を見て、ネットで買うかもしれない。そういう時代である。
 小売の領域にメーカーが参入する事は、一昔前なら一大事で、それこそ「縄張りを荒らすんじゃない」と言う事になろうが、物余りの現在では、消費者の心理に通じていなければ小売りの勝ち組にはなれないのである。
 「メーカーの直営店歓迎します」そういう時計の小売店がいても不思議でないのが、今の時代なのである。

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コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 73 ■2013年6月19日 水曜日 13時40分46秒

データーが語るもの、語らないもの
全体とは“何か”という哲学

 ここに一つのショッピングセンター(以下SC)がある。その中はA,B,Cの3部門で構成されているとする。SC全体の売り上げは、この3部門の集計になる。
 いまAの部門の当月売り上げが、昨年比90%に落ち込んだというデーターが表れた場合、担当者は更に細かいデーター分析をして、A部門のどの構成項目に問題があるか、追跡するだろう。
 結果として売上げの落ち込んだ売り場の何らかの対策を立てる事になる。また逆に売り上げが伸びているC部門のデーターがあれば,売り場の拡張という手を打つことで、更なる売り上げ増につながるかもしれない。
 売り場に仮設をたて実行しそれを検証して、それを基にさらに仮説を立て実行し検証するというエンドレスの作業が小売業の常識になった今、データーを縦に読み、横に読みしながら日々売り場の修正、改善に取り組むと言うのがSCの日常である。
 SCが一定の売上げを維持しつづけるのは、データーを活用した地道な作業の積み重ね以外のなにものでもない。
 しかし見ておかねばならないのは、このデーターを駆使したSCの運営の根っこには、各部門の売り上げの集計が全体を構成するという「哲学」があるということである。
 一方で全体は、部門の集計を越えた全体それ自身の問題があるという考えもある。
 SCの店内全体の設備が老朽化し、消費者の足が遠のき始めている。
SCの清掃が行き届いていないので、客用の休憩場所やトイレの汚れが目立つ。
お客さんへの掲示板が無管理のため、半年も同じPOPが張ったままの状態になっている。
 SCに出店しているテナントのマナー違反があっても誰も注意しないから、全体の規律が弛んで、すべてについてだらしなくなっている。
 集客に関与するエンターテイメントの施設が無い。 
 SCで働く人たちの不満や困りごとを吸い上げる窓口や機会がない。
 例を上げたが、これらはけっしてデーターや売り場を見ているだけでは、見えてこない問題である。それを正面から取り上げて日々改善していくのは、全体とは何か、全体にはそれ自体としての問題があるという「哲学」が自覚されねばならない。
 そうでないと、それは末節の問題として処理されるだろうが、それではいつか全体の問題に足をすくわれるであろう。
 SCを運営する上での全体とは何かという問題は、また専門店にとっても肝要なことであるに違いない。

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コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 72 ■2013年6月19日 水曜日 13時38分6秒
    
7月7日七夕にジュエリーのオリジナルイベントを
 
 業界他紙の投稿に、11月11日のジュエリーデーは効果がないので別に「宝石の日」を制定したらどうかという趣旨が掲載されていた。   
一部引用すると「昭和61年に第1回ジュエリーデーを実施して平成23年で25回目を迎えた。が25回目で自然消滅した形で終わってしまった。何んの効果も得られずに浸透もせず。」「20回目の時に、宝石の日にしてみませんかと担当者に手紙を書いたが何んの返答もなかった」「カタカナのホは十と八に分解できる。だから10月8日を宝石の日とする。意義付けなど必要ないのである。・・・(これならば)小学生でも覚えられる。宝石の日なら、安売りがあるかな、と即座に誰でも思う。この程度でいいのである。」 
この投稿を読んでジュエリーデーって25年もやってたんだ、それにしても効果無いわりによく続いたねえという感想だけがある。 
JJAによるとジュエリーデーは自然消滅したわけではなく、昨年は予算付けが無かったが今年は何がしかをやるとのことだが、イベント効果は多くは望めまい。ジュエリーデーというツールを作ってみたものの、なかなか使いこなせずさりとてやめることもできず、もてあまし気味というのがJJAの本音だろう。では投稿氏のいうように「宝石の日」に改称したらどうだろうか。1年365日どの日もみな何らかの日になっているのだろうが、「売り」に結びついているのは、クリスマス、バレンタイン、ホワイトデー、と母の日ぐらいだろう。父の日のマーケットは相変わらず小さいし、誰でも知っている「時の記念日」も「売り」につながっていない。「・・の日」というツールは、なかなか今の消費者の心を動かさないのではなかろうか。 
思うに、7月7日は七夕、牽牛と織姫が一年に一度出会うというこのストリーは誰でも知っている。この七夕の物語とジュエリーを組み合わせたイベントができないものだろうか  そんなことを考えていたら、JJAから今年の7月7日を「エンゲージメントデー」と制定するリクルートブライダル総研の企画に参加するという案内が届いた。オフイシャルパートナーとしてそのキャンペーンを推進するという。「エンゲージメント」と聞いてすぐに具体的なものをイメージできるだろうか、私のようなおじさんはそれって何?、まず聞き返しますがね。ジュエリーの売りに繋がるのだろうか それはそれで成功することを願っていますが 夏の夜空のロマンスとジュエリーを繋ぐこの業界だけのオリジナルな企画も、JJAには是非検討頂きたい。
       
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コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 71 ■2013年6月19日 水曜日 13時36分23秒

5月26日は日本ダービー
一頭地を抜くとは、素人「競馬」考

 いい風が吹きぬける5月である。緑が美しい5月である。そして3歳サラブレッドの頂点というべきダービーの5月である。
 競馬はスタートからゴールまで、サラブレッドが全速力で走りきって、その順位を競う競技とは少し違う。それでは大概の馬は、途中で失速してしまう。スタートしてから、そこそこスピードを抑え、最後のコーナーからゴールまでの直線で、それまで貯めていた力を一気に爆発させて全速力で駆け抜けるのである。
 レースの流れや自分の馬の能力、脚質を見極めながら、騎手がゴーのサインを出した時に、それに素早く反応して、ギアチェンジできなければならない。どの馬よりも早く走る事が出来る事は、大事なことである。けれどもその素質だけでは競馬は駄目で、走ろうとする本能の抑制と騎手の意思をレースの中で理解するクレバーな部分を兼ね備えていなければならない。
 「競走馬」の技術というべきか、騎手の側から見れば、操作性の柔軟な馬こそ勝てる馬の条件になるだろう。言うは易しだが、走る本能を適度に抑えるというのは、馬にとっては中々出来るようで難しいのではないだろうか。
 レース本番になると、興奮して手が付けられなくなる馬も要るし、そこまでいかなくとも、本番特有の緊張感が馬にも伝わって、稽古(調教)どうりには、走らない馬も出てくるのである。そこをなだめすかしながら、最後の勝負どころまで持っていくのが騎手の腕前ということになる。
 人馬一体とはよく言うが、騎手の意図を察知できる馬と馬の状態を理解できる騎手のあうんの呼吸が折り合ってこその競馬である。そこに競馬の面白味、奥行きの深さがある。とはいえ技術だけでは、競馬は勝てない。
 レース中には位置取りを巡って、馬同士がぶつかる事もある。馬体重は400キロから500キロもあるから、それなりの衝撃はあるけれど、そこで走る気をなくしたり、怖がっては競走馬として生き残ってはいけない。メンタルタフネスでなくてはならないのだ。
 また稽古(調教)をこなし、レースを次々と走っていく強い体力も当然要求される。厳しい稽古をしたら直ぐ故障したり、バテてしまっては、困るのである。
 サラブレッドの世界だって、結局のところ「心技体」のトリプルバランスの高い次元での結晶こそが、一頭地を抜くのである。
 3歳馬の3冠レースの一つ「皐月賞」は、今年は“ロゴタイプ”が勝った。中山競馬場の芝2000メートル、右回りのレースであった。日本ダービーは、東京競馬場の芝2400メートル、左回りである。東京競馬場特有の最後の直線距離の長さ、400メートルの距離延長、左回りを克服してロゴタイプは、3歳サラブレッドの頂点に立てるか。


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■みんなでともそう生き残りの灯 70 ■2013年5月1日 水曜日 10時49分33秒

マクドナルドはラーメンを売らない

その意味を考える

 「逝く春を近江のひとと惜しみけり」(芭蕉)晩春から初夏へ季節はゆるやかに、大河の流れのごとく移ろっていくが、人の世の世知辛さは、日々厳しさを増すばかりである。
 日本マクドナルドの既存店売上げは、今年に入って1月・2月とも10%以上の減少、3月が3.6%の減少である。
 一人の消費者という立場で見て、マクドナルドは(以下マック)随分と様々な仕掛けをしている。100円バーガー、朝マック、ノベルティー、サービス券のチラシ配布などだが、極め付きは注文後1分以内に間に合わなければ料金はタダという企画である。
 実際私も言ってみたが、現場は本当に大変そうであった。あの企画をやり抜くには、よほど現場との意思統一が取れていなければ、現場に混乱と不満だけが残るはずである。これだけの企業努力にもかかわらず、マックは苦戦している。
 社長以下経営陣は、おそらくハンバーグをどうやって売るか、朝から晩まで考え抜いている。消費者の嗜好の変化や価格反応のどんな小さな変化にも敏感でなければ売上げの維持は困難であろう事は、想像に難くない。けれどもである、ハンバーガーはもう伸び悩んでいるので、ラーメンを売ってみようとは、一瞬たりとも考えないであろう。ハンバーガーを売るのである。売り抜くのである。この一点に限って一切の妥協は無い。単品を売ることのある種の「残酷さ」がそこにある。そうでなければ「一分以内企画」など出来るはずが無い。景気が悪いので売り上げが伸びないという発想は恐らく無い。消費者の変化からズレた為に売り上げが伸びない。だからそのズレを修正すれば売上げは回復する。ではそのズレとは何か、価格か、味か、パフォーマンスサプライズか、マックのウォッチングから学ぶものは少なくない。
 翻って我々の業界はどうだろうか。時計が売れなければ、眼鏡で凌ぎ、それも駄目なら宝飾品に重点を移し、リングからネックレスへ、それから話題のブライダルに変えてきて、全て思うようにならないので、これからは買取りでやっていこうと、それも中小零細企業の生き残りの知恵には違いないが、気がつけば時代のせい、景気のせいと言い訳の果てに「物を売る」ということの基本精神の衰弱だけが目立ってはいないだろうか。

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■みんなでともそう生き残りの灯 69   ■2013年5月1日 水曜日 10時48分22秒

経営に悩みはつきものだが、答えは一つ 

経営者はいつも悩んでいる。 
お店の経営方針をめぐって後継者の息子(娘)と意見が合わない。 
後継者の息子が仕事に身をいれないで、遊んでばかりいる。  
ベテランの社員は、自分のやり方に固執して世の中の変化に対応しようとしない。 
募集してもいい人材がこない。来てもすぐやめてしまう。 
従業員教育がうまくできない。
コスト削減のため家主と家賃交渉してもなかなかはかどらない。 
金融機関に融資を頼んでいるが、おもうようにいかない。
近くに大きなショッピングセンターができるが、どうしたらいいか。 
商店街で閉店する店が増えて、お客の数が減っている。 
チラシを打っても、元がとれない。 
目新しい販売促進策がイメージできない。 
仕事が少ないので、従業員のお喋りが始まってしまう。 
新規のお客さんが来ないので、売上に限界を感じる。
ネットに挑戦したが、労多くして成果が少ない 
滞留在庫がおおくて、商品の鮮度が落ちているが新商品を仕入れできない。 
思い通りのブランド品が手に入らない。 
商品管理が甘いので、お客さんからの返品が多い。  
従業員のやる気を引き出すことがなかなかできない。
社内の人間関係が円満とはいいがたい。 
お互いのコミュニケーションが円滑でない。 
社長である自分の考えが社内に浸透していかない。 
ライバル店との価格競争で、利益がとれない状態が続いている。 
競合店が多くて、自分の店の特懲を打ち出せない。
借金がかさんで、閉店もままならない。 
健康に不安がある。病気がちである。

書き出せばきりがないが、答えはひとつしかない。「それをなんとかするのが経営者でしょう」ということになる。問われているのはまさに経営者という孤独の権力者自身の競争力である。
   
現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com  
■みんなでともそう生き残りの灯 68 ■2013年4月2日 火曜日 16時3分28秒

政治風景雑感

いま沈思黙考すべきものは何か

 あれほど愛し合って一緒になったのに、今はもうこの地球上の同じ空気を吸っている事さえ我慢がならない。男女の仲の顛末は、そのようなものだが、民主党と有権者の間も、それに似て冷え切っている。
 年金改革、子供手当て支給、消費税据え置き。「あの人、一緒になる前は良い事ばかり言っていたのにがっかり。要するに甲斐性が無いのよ」「余分なもの、無駄なものを整理すれば、お金が出てくると思っていたが案外だった。その点は謝るよ」
 確かに表面的にはその通りだが、そこら当たりでことを済ましてしまって、いずれまたヨリを戻そうと思っているとしたら甘いのである。
 私もこの党に一票投じたクチであるが、今回の衆議院選挙の総括にしても、新党首の物言いも、胸に響くものが無い。「嘘つき」「ペテン師」そういう罵声を何故浴びたのか。国民の怒りと不信がどれほど深いか。気分だけでいえば、私だって生卵の一つや二つ投げつけたいのである。
 その事を正面から取り上げ、掘り下げ、分かりやすい言葉で国民に伝える事が出来るかどうか、見たくないものを見る事にどれだけのエネルギーを注ぎ込めるか、そこにこの党の浮沈が掛かっていよう。
 (小さな声で言うのだが)それにしてもあの時、福田赳夫率いる自民党と大連立に踏み込んでおけばと思う。「政権を担うという事は大変な事だ。先を考えて経験を積んでいた方がいい」。自民党政治の裏と表を熟知している小沢一郎氏の大局観に従っていれば、民主党政権の有り様も変わっていただろう。
用意周到、準備万端は、ことを始めるに当たっての要だろうに。
 世の中の変化は、急激というほどに早い。携帯電話はスマホに変わり、プリンターは立体(3D)型が出回るという。癌もアルツハイマーも、新しい治療法が日々出てくる。もたもたしていれば、万事から遅れを取ってしまうような切迫感はある。けれど目先の利は、脇においても、沈思黙考せねばならない岐路というものは、政治ばかりか経営である。
 大敗北の民主党のその後の「懲りない」振る舞いを見ながら「沈思黙考」の価値について考えてみたのである。

現場の目線で考える
コスモループ代表林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 67 ■2013年4月2日 火曜日 16時2分42秒

山梨村に春は訪れるのか

あるものはどこにでもあり、無いものはどこにも無い現実

 国内の宝飾品売り上げのうち(海外ブランドを除いて)山梨県産のシェアはどの程度だろうか。見当で言うのだが、7〜8割はあるかも知れない。ともかくもジュエリー業界の一大産地である事は間違いない。だからこの山梨の宝飾メーカー、問屋のありようが、業界全体に与えるパワーというものも無視できるものではないが、かと言って常に革新的かというとそうでもない。どちらかというと沈滞ムードに沈んでいるのである。それは、世の中のデフレ不況の嵐のせいだけではないものを含んでいるように思える。
 新しい商品作りには、熱心であることは私の店の取引問屋を見れば分かる。デザインにしても、各問屋それぞれの持ち味を出している。商品はいっぱいあるのである。にもかかわらず何となく「今」とずれているのである。
 ひょっとしたら、そのいっぱいある商品は、問屋筋が売りたい商品ではないかと思う事がある。消費者が買いたい商品だろうか。 
 お客さんから良く聞かれるのが、K18やPtだけのダイヤも何も付いていないリングだが、そういうものは、殆ど無いのが現状である。普段にガシャガシャと気兼ねなく使いたい、はめっぱなしで使いたい、ごく当たり前の要望だがそれに応える問屋というのは本当に無い。恒例の甲府ジュエリーフェアにも足を運ぶが、適当なものは少ない。プラチナの地金中心のクロストップを頼まれたが、これもどこにも無い。依頼したお客さんは、アレルギーがあってプラチナにこだわっているのである。
 意匠をこらしたレアなものではなく、ごくシンプルなものが手に入らないのである。
 商品作りのはじめの一歩が間違っているのではないだろうか。商品を新規に作り上げていくプロセスの中で、ベースになる「情報」をどこから取り込んできているのだろうか。
 「今」とのズレは商品だけだなく、商品を組み合わせてタイムリーに提案するというソフト面の少なさにも見受けられる。どういう商品を作れば売れるのかという視点が固定化すると商品それ自体で勝負しようとする為に、ヒットしないと商品だけが、そのものとして溢れかえるのである。つまるところは、おなじみの価格訴求(仕入れる側にはありがたいが)に行き着き、「今」の人を惹き付けるサプライズが乏しいのである。
 山梨村から商品は、手を変え品を変え出てくるが、「今」とのずれは、十年一日のごとく変わらない。アベノミクスの風が吹き、山のテッペンには春が来たが、この春をみんなと一緒に麓の村にて待つのではなく、自ら春を取りにいかねば生き残れない時代ではなかろうか。

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コスモループ代表林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯66 ■2013年4月2日 火曜日 16時2分4秒

ジョウジャパンへの提言 その3

時計修理の売上げアップは、お客さんの声を聞く事から

我々の常識は換わらないが、消費者の常識はどんどん変わる

 時計修理の売り上げ増加を目指す場合、組合という立場で成し得ることは、現場で何に困っているかを調査することであると前回書いた。それと共にお客さんの声を聞かなくてはならないだろう。いやむしろその事の方が優先順位は先だろう。
 日本ジュエリー協会は、お客様相談室を開設し、クレームを含む消費者の声を吸い上げている。協会の会報に掲載されている時は目を通すのだが、今の消費者の感覚が分かって参考になる。ともすれば売り手の立場で物事を見がちであるが、自分の側の常識は、さほど変わらないが消費者の常識はどんどん変わるのである。その事に敏感で無いと時計修理の売上げも伸びないであろう。
 メーカーそれぞれにお客様相談室を設けているが、ジョウジャパンでも修理についてのお客様相談を引き受けたらどうだろうか。消費者意識の現在とその変化の情報収集のためにである。
 ネットで購入した時計が、マイナーのメーカーの品物なので、どこか修理を頼めるところはないか。
昔の機械式時計を直して使いたいが、どうしたらいいのか。
電池交換で裏蓋に傷が付いてしまったが、店に話してもラチが開かないが、何とかなら無いか。
既に生産中止になったブランド品のバンドの中留めが壊れたが、使えるように出来ないか。
そういう消費者の声を情報としてフィードバックすれば、そこから零細小売店の修理のあり方が見えてくるのではないか。
メーカー修理で対応できる事の周辺に、様々な細かい修理のニーズが広がっている事は間違いない。これを拾い上げていく事にこそ零細小売店の生きる道はあると思われる。 
 前回指摘した現場の声も、そして消費者の声もそれは皆「情報」である。そしてその「情報」を集める事が出来るのは、全国規模のジョウジャパンが一番適任ではないか。
 組合員の時計修理の売上げアップを目指すならば、まずは地道な調査に基づく現実認識こそが第一歩であるといいたい。

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コスモループ代表林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 67 ■2013年4月2日 火曜日 16時0分51秒

山梨村に春は訪れるのか

あるものはどこにでもあり、無いものはどこにも無い現実

 国内の宝飾品売り上げのうち(海外ブランドを除いて)山梨県産のシェアはどの程度だろうか。見当で言うのだが、7〜8割はあるかも知れない。ともかくもジュエリー業界の一大産地である事は間違いない。だからこの山梨の宝飾メーカー、問屋のありようが、業界全体に与えるパワーというものも無視できるものではないが、かと言って常に革新的かというとそうでもない。どちらかというと沈滞ムードに沈んでいるのである。それは、世の中のデフレ不況の嵐のせいだけではないものを含んでいるように思える。
 新しい商品作りには、熱心であることは私の店の取引問屋を見れば分かる。デザインにしても、各問屋それぞれの持ち味を出している。商品はいっぱいあるのである。にもかかわらず何となく「今」とずれているのである。
 ひょっとしたら、そのいっぱいある商品は、問屋筋が売りたい商品ではないかと思う事がある。消費者が買いたい商品だろうか。 
 お客さんから良く聞かれるのが、K18やPtだけのダイヤも何も付いていないリングだが、そういうものは、殆ど無いのが現状である。普段にガシャガシャと気兼ねなく使いたい、はめっぱなしで使いたい、ごく当たり前の要望だがそれに応える問屋というのは本当に無い。恒例の甲府ジュエリーフェアにも足を運ぶが、適当なものは少ない。プラチナの地金中心のクロストップを頼まれたが、これもどこにも無い。依頼したお客さんは、アレルギーがあってプラチナにこだわっているのである。
 意匠をこらしたレアなものではなく、ごくシンプルなものが手に入らないのである。
 商品作りのはじめの一歩が間違っているのではないだろうか。商品を新規に作り上げていくプロセスの中で、ベースになる「情報」をどこから取り込んできているのだろうか。
 「今」とのズレは商品だけだなく、商品を組み合わせてタイムリーに提案するというソフト面の少なさにも見受けられる。どういう商品を作れば売れるのかという視点が固定化すると商品それ自体で勝負しようとする為に、ヒットしないと商品だけが、そのものとして溢れかえるのである。つまるところは、おなじみの価格訴求(仕入れる側にはありがたいが)に行き着き、「今」の人を惹き付けるサプライズが乏しいのである。
 山梨村から商品は、手を変え品を変え出てくるが、「今」とのずれは、十年一日のごとく変わらない。アベノミクスの風が吹き、山のテッペンには春が来たが、この春をみんなと一緒に麓の村にて待つのではなく、自ら春を取りにいかねば生き残れない時代ではなかろうか。

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■みんなでともそう生き残りの灯65   ■2013年2月15日 金曜日 11時18分26秒

ジョウジャパンへの提言 その2

時計の修理売上げをどのようにサポートするか?まず現場の声を聞いてみたらどうだろう

 零細な時計店が生き残っていく上で、修理部門の売り上げ確保は、大変重要と思われるが、そのためにジョウジャパンという立場で何をしたらいいのだろうか、私なりの提案をしてみたい。
 まずは今、時計店の修理の現場で何が起きて、何に困っているのか。単純に修理が減っている、売り上げが減少しているという事から踏み込んで、よりキメの細かい実態調査をしたらどうだろうか。その上に立って、団体という立場と力で解決すべき問題を取り上げて、積極的に取り組むのが筋ではないだろうか。例を上げて見たい。
 ブランド時計の取次ぎ銭ゼロの問題や、部品供給がなされない問題など、すぐ指摘できる。  
 この問題も年々ひどくなっているのが現状だから、どこかで歯止めをかけないと、ブランド時計の修理自体が困難になり、ここから様々な問題が起きてくる事になる。
 電池交換で修理を受けたが、ミスでコイルを傷つけてしまった場合など、部品の供給が無いと、結果として大きな損害を小売店が被ることになる。公式にジョウジャパンとして事態の改善に向けてブランド各社に申し入れをしたらどうか。
 次に「技能士会」では、国産メーカーへメーカー修理を出すと、通常より仕切値が安くなるとしているが、その事の不合理については指摘した(この点につきセイコーウオッチにきちんとした見解を求めているが、現時点では回答が無い)。
 それよりも今後、メーカー修理の増加が技術的観点からも見込まれるであろうから、修理品に添付される修理報告書のお客様価格を撤廃してもらった方が、遙に小売店のためになるのではなかろうか。現にクロックのリズム時計では、修理品のお客様価格は小売店で決められるのである。そうすれば修理部門の粗利益率は、直ぐにでも改善するのである。
 他にも幾つもの困った事、改善すべき事はあるはずで、その声を聞けば小売店の修理の現場は随分と助かると思われる。
 不合理な事で個店1店ではなんともならないけれど、そのために組合があるわけで、その団体力で交渉するのが、ジョウジャパンの存在意義だと思われる。零細小売店の目線に立ち、その悩みに寄り添う事、それはジョウジャパン設立の原点であろう。

現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯64 ■2013年2月14日 木曜日 17時2分31秒

ジョウジャパン その1

時計技能士会への疑問

昨年暮れ、二度目の時計技能士会入
勧誘の封書が送られてきた。何度読み返してもこの会の趣旨が分からないのであ。霞がかかったようにモヤモヤしていのである。そう感じているのは多分私だけでは無いだろう。
中小零細の時計店がこれから生きていく為の選択肢の一つとして時計修理の売り上げ増加に力を注いでいる事はその通りだと思われる。そのサポ一トという形でジョウジャパンが時計技能能士会を立ち上げた事も、まっとうな話ではある。
では何がおかしいのか送付された設立趣意書や会則の文章をあげつらっ
ても意義あるとは思えないので、全体を見たうえでのわかりにくさを指摘したい。
この技能士会は、活動実態が無いの
である。外目から見れば、時計技能士というのは、時計修理のスペシャリストの事である。その人たちの集まりの会である以上、そこでは機械時計から最新の電波時計まで機械構造の研究や修理技術の鍛錬など、一通りの勉強会が何らかの形で行われていて、会員になるにも一定の技術条件があるものというのが、ごく常識的な理解ではなかろうか。こういう活動の実績の上に立つて自分たちの技術を消費者にアピールすることで、修理売上げの増加を図るなら、消費者の信頼にこたえるものとして、評価できるし、それが筋というものである。
しかし、今回の技能士会は、そういう活動なしに、ジョウジャパンの会員なら年会費6,000円払えば入会できるのである。これはいささか乱暴な話で消費者から見たら看板に偽りありの感なきにしもあらずである。
技術を看板にするなら常に一定の研鑽を積み続けないと、そしてそのための制度的仕組が担保されていなければ、技能士会は名ばかりの空虚なものといわなくてはならない。
もう一点指摘しておきたいのは、この技能士会に入ると特典として国産メーカーのメーカー修理の代金に値引きが生じるのである。この値引きの原資は、会員の会費を充当するのではなく、セイコーなり、シチズンの側が負担する純粋な値引きである。
話を単純化すると、年会費6,000円(2年目からは、3,000円)を払うとメーカー修理品の仕切値が安くなるのである。これはおかしい事である。
こういう形で値引きが生ずるならば、メーカー修理が常に一定額以上ある小売店からメーカーに対して不満が出る事は必定である。しかしそれ以上に分からないのは、技能士の会なのに、メーカー修理を増やしていこうとしている事である。メーカーに依頼したものも、自らの技術の向上を通じて自店修理に切り替えていって、利益率の向上につなげていくのが、技術で食べていく本来の姿ではないか。
こう見てくると「技能士会」は、単に修理品を集める為のツールでしかない事が良く分かる。これで中小零細の時計店は生き残れるのだろうか。
消費者はそれほど甘くないと私には思える。
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■みんなでともそう生き残りの灯63 ■2013年2月14日 木曜日 15時22分25秒

宝飾小売りは、“ブラック産業か”あなたの職場は、何色でしょう

 ネットの記事だったか正確な記憶は無いけれど、若い人にとってこの業界は敬遠されているらしい。その理由のひとつに、ノルマがあることが挙げられていた。この辺の事情について、関西を拠点に全国を回っている宝飾品卸の営業マンであるQさんと話してみた。
問)この業界あんまり若い人に人気ないですね。そんな記事読みましたけど。
Q)そりゃノルマがありますでしょう。その上店に客が来ませんからね。上からは「店に居たってしょうがない、外回りして来い」言われますわ。
問)外回りっていうのは、お客を直接訪問して売り込むなり、そのメドをつけることでしょ。それは大変ですね。
Q)どうしても無理がありますけど、それで売るのが腕ですかね。ですから客の方だって無理言いますわ。支払いを長期の分割にせいとか、以前買ったものを引き取れとか、次の週末出かけるから運転手頼むわとか、きついですよ。それでもやっぱりノルマこなさなきゃ色々言われますから。
 問)ジュエリーがその魅力で自然に売れていく、その為にはどう演出し、どう接客していくか。そういうことよりも売り込むんですね。客との新密度がものを言うけど、接客力というよりも接待力みたいですね。
 Q)仕事が終わってから会議ですわ。業績が思わしく無いやつは、それなりに責められますからね。つまるところ自腹を切って商品を買うということが結構ありますよ。
 問)そういう職場である事は、それなりに外に漏れるだろうから、若い人は敬遠するでしょうね。
 Q)店長ってやりたがらない人多いですよ。何故ってノルマはきついし、それにスタッフを管理せにゃならんでしょう。誰かが休めば自分が穴埋めしなくちゃならないしね。全部が全部そういう職場じゃないだろうけど。だから若い人でその店の息子さんとか娘さんは継いでやりますけど、一般の人は中々この業界に飛び込んでこないんじゃないですかね。

「ジュエリーは、どうしたら売れていくか」という問題の立て方と「ジュエリーをどう売り込んでいくのか」という問題の立て方では、解決への取り組み方は全く違う。
 後者のようにオーナーが考えたとして、それに従業員のノルマを組み合わせると、結局きつい職場になっていかざるを得ないのではないだろうか。
 希望に満ちて明るいゴールド職場、ちょっと落ちるけど働きやすいシルバー職場、可もなく不可もないグリーン職場、上司の無自覚パワハラが横行するような危ない雰囲気のイエロー職場、そして誰もが敬遠したいブラック職場、さて宝飾業界の皆さんの職場はどの色でしょう。
 JJAも売上高アンケートばかりでなく、こういう調査をして、この業界の労働実態を公開してみたらどうだろう。

現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
cosmoloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯 62      ■2013年2月14日 木曜日 15時1分12秒

8人の日本人のこと
 
 新年あけましておめでとうございます
今年こそジュエリーのごとき輝きが日本国中隅々まできらめくことを祈念しております。まさに「黄金の国 ジパング」の復活の願いであります。 
 よろしくお願い申しあげます。

もういまから100年以上前、キューバの領有をめぐってアメリカとスペインが戦った米西戦争があった。正確には1898年(明治31年)4月の開戦である。この戦争はアメリカの勝利に帰するのであるが、直接のきっかけは自国民保護の名目でキューバ島ハバナ湾に停泊していた米軍艦メーン号が同年2月なんらかの原因で爆沈したことによる。乗組員354名のうち260名が亡くなったのであるが、驚いたのはこの乗組員のなかに8名の日本人が居たことである。彼等は全員コック、ボーイとして勤務していて6名が犠牲になっている。8名全員の氏名と出身地は判明しているが、半分の4名には身寄りが無い。どの様な経緯でかれらが、戦艦で働くようになったかはわからないが当時の交通事情をかんがえれば地の果てというべきキューバにまで来ることに、愉快な背景があったとは思われない。
 「英語は話せていたのだろうか」「体の具合が悪いときはどうしていたのだろう」「給料の交渉など出来たのであろうか」「日本人ゆえの差別、いじめはあったのだろうか」「解雇されたらその後の仕事はすぐ見つかるのだろうか」
暖衣飽食のこの現在の日本にいてすぐそういう心配をしてしまうのだが、それだけ生命力が衰退しているのかもしれない。
明治になって多くの日本人が主に生活苦から海外へ出稼ぎに出た。アメリカ本土、ハワイ、ロシア、オーストラリア、ニューカレドニア、カナダ、メキシコなどなどである。明治後半からはブラジル移民が増えていく。
ひとつまちがえれば帰国もかなわず異国の地で物乞いに成り果てることも、あるいは命そのものを失うこともありえたであろうが、そういう人々の命懸けの出稼ぎ行を読むと、明治の普通の人々の生きるエネルギーに圧倒される。
  
8人の日本人若者の生死にまつわる小さな記録が伝えるものはたぶん「希望」である。 
では今年一年頑張りましょう。  
(参)アメリカにおける秋山真之 上島田 謹二
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コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com  
■みんなでともそう生き残りの灯 61 ■2012年12月13日 木曜日 15時3分24秒

2012年歳末雑感 消費の失速を思考する 
 
 歳末商戦たけなわのはずであるが、「こんなに悪いとは」「当てが外れた」「先行き不安」そう感じている小売店が多いのではなかろうか。店仕舞いまで考えてしまう店主も少なからずいると思う。確かに消費の失速が多方面から指摘されている。
 大手スーパーは、1000品目、2000品目と争うように値下げ合戦である。社長自ら「値下げは消耗戦なのでやりません」と広言してから、2~3日で値下げ戦に参加したヨーカドーのような例もある。外食産業も生き残りをかけてやはり値下げである。マクドナルドさえ、今年は既存店売上がついに昨年に届かず苦戦を強いられている。メインターゲットの20~30代の内食節約志向がその主な原因だと分析している。
政府の発表する経済全体の数値も、芳しくない。7~9月期のGDPは年率換算で3,8%の減少であるばかりでなく、内閣府は10月の景気動向指数から判断を「悪化」に下方修正した。 
高齢者の節約生活には、消費税増税や社会保障給付全体の抑制という構造的な仕組みからくる不安感があるが、若い人達にも格差の広がりからくる生活不安が根強い。がそれらのことは以前からもあったことでことさら今の消費失速を説明するものではあるまい。
思うに消費税増税法案が成立する、中国との領土をめぐる確執から中国ビジネスが落ち込む。すると確かに一時的な消費の落ち込みが起きる。このことをきっかけにそうした状況に先手を打つように一部大手が値下げをする。マスメデイアがおおきく報じる。他社が値下げに追随する。それを見て一部消費者は、節約生活を進める。そのうちに必要のない人も節約生活に入る。消費がさらに落ち込む。値下げが進む。無意識のうちに「華やぐことは控えよう」という生活スタイルが浸透していく。たぶんこの負の連鎖こそがいまの消費の低迷を加速させている主因のように思えてならない。 
解決の妙案がある訳ではない。宝飾品を販売していくのは大変な歳末である。潮目はどう変わっていくのか、いまはただ経費を節約してじっと凌ぐしかないと思ってみたが、おや、かくいう私も「節約」なのである。
政治は期待できるのか 無制限の金融緩和は、魔術のごとき力を持つだろうか 振り子はインフレに振れるのか 疑心半分ではある。そしてその政治を担う政治家は信頼に足るのか。 
そういえば議員候補者の街頭演説を最近耳にした。 
「政策なんてどうでもいいんです 政党なんてどこだっていいんです 私はただ国会議員になりたいんです 国会議員でいたいんです どうか皆様のなげやりの一票をこの私にお願い致します」 あれは幻聴であったか。

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コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com  
■みんなでともそう生き残りの灯 60 ■2012年12月13日 木曜日 15時1分49秒

小売り主権の確立という問題意識で
 
2012年師走 ふだんは落ち着いている師にして年の暮れはせわしく走りまわるから師走だが、いまは議員候補者が駆け回っている。国の主権者たる国民の清き一票がこれからの日本の行く末を決めるのである。期待も冷笑も失望もない混ぜになっている現在の混沌から新しい政治のうねりは生まれるだろうか 
で話は、国民主義ならぬ『小売り主権』についてである。以前私の店には、クレドールもアニエスベーもオメガもロレックスも少数とはいえ展示してあった(すべて正規品)。それらはいつの間にか無くなり、いまは専門店向けのカタログ掲載品のみの扱いになっている。その辺のいきさつについては似たり寄ったりで、年間の仕入れ本数、仕入れ額に最低限度が設けられるようになり結果として扱いをやめざるをえなかったことに尽きる。いまでもブランド型といわれる時計を扱う上では、おなじようなことが当たり前のようにまかり通っている。  
仕入れ本数のノルマについてメーカーとやりあった事がある。もしも注文した品番の商品が欠品していたときその責任はメーカーサイドにあるわけだから、仕入れ分としてカウントすべきではないのか 担当者の答えは曖昧のままだったがいまでも自分の主張は筋が通っていると思っている。
ブランド型ウオッチを扱う上で最低展示数という制約もある。コーナーをつくってこれだけの数は展示してくださいというしばりである。こうなるとその在庫負担からしてなかなかどの店でも取り扱うわけに行かなくなる。
こういう慣行についてなにか当然視するような雰囲気があるが、おかしな事である。「へんぴな田舎の時計店にロレックスが一つ二つ置いてあってもどうですかね」なんていう人が結構居るのである。大きなお世話である。小売店がどう品揃えをするかは原則、小売店の判断である。対象となるマーケットを熟知しているのは、そこで長年商売をしてきた小売店に決まっている。全国展開しているメーカーに分かるはずがない。「15点展開してもらって、コーナー作りをしないとこの時計のイメージが損なわれますから、販売にも影響します。」よくそういわれた経験があるが、特別根拠のある話ではない。 
 小売り店が自己責任のもと自己判断で自由に品揃えできること それが小売り主権の確立ということに他ならない。そういう問題意識がないと、いつまでもメーカーに振り回されるばかりである。
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コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com  
■みんなでともそう生き残りの灯 59 ■2012年12月13日 木曜日 15時0分13秒

ブティックのための初歩の時計講座を

 本誌の10月15日号に「日本時計研究会」の月例会に関する記事が掲載されていた。この「研究会ってなに」というわけで主にネットで調べてみたのだが、もう50年の歴史があり「休まず現在まで月例会を主催して時計師の技能発展の為に尽くしてきた」と書かれている。この「研究会」のホームページに月例会の講演内容が載っているが、時計技術の専門的な事柄が中心で、機械への深い関心がうかがえる。時計職人というと、自分の殻にとじこもりがちなイメージだが、こういう情報交換の場があるならば、もう少しこの研究会は世の中に知られていいように思われる。  
ただ今回私が提案したいのは、このような専門家の集まりの対極にある話で、初歩中の初歩の時計講座を開催したら どうかという事である。 
 一日限り、アナログ時計の合わせ方、電池交換、バンドのコマ詰めだけを学んでもらう。 
時計を時計店で販売するというのは当たり前のように見えて、すでに実情とはかなりかけ離れている。ネットはいうまでもなく、雑貨店でも時計扱っている。とはいえ扱うにあたってのそれなりの壁はあるわけで、鎖バンドのコマ詰めや販売後の電池交換などいささかだが技術が必要されることは自明である。逆にいえば、自店で扱う時計にかぎってこれだけできれば、十分時計は売れるのである。 
ファッションの一部として時計を扱ってみたいけれど、技術の関係で二の足を踏んでいる例えばブティツク関係の人達は、結構居るのではないか。セイコー、シチズンの大手メーカー品ばかりか様々な面白い時計が流通している現在、それらを扱う販売チャンネルをサポートする講座があれば、時計販売の裾野は広がると思われる。一般の時計店でも新入りのパートさんを即戦力にするためにも有効活用できるだろう。   
加えて、講座受講者のための「お助け110番」を開設しておけば、時計の扱いなど全くの素人の女性でも、安心して仕事に取り組める。
この種の企画は、自然と電池の販売拡大にも、軽修理の扱い拡大にもつながる。時計材料組合などが主催すれば、それなりのメリットはあるだろう。「日本時計研究会」が時計技術の深化に寄与しているとすれば、初歩講座は時計販売の新規参入をうながし業界全体の活性化につながっていくと思うがどうだろうか。
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コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 58 ■2012年12月13日 木曜日 14時58分15秒

ジュエリー 新品と中古品の間にある「曖昧な新品」をどう扱うのか  
 
 お客さんがジュエリーを購入するとき、それが新品であることを大概の人は疑わないだろうと思う。鉱山から掘り出された原石が研磨され、新しい枠に留められて今自分の目の前にある。そういうイメージだろう。またそういうものとして小売店の店頭に並んでいる。しかし現実はもう少し複雑である。たとえばダイヤのルース、買取り店が増えたこともあり、そのルートを通して出回っている物もかなりあるだろうがそれに新しい枠づけをしたものは「新品」だろうか、買い取ったカラーストーンのリングのうち地金部分は売却し残った石を新規に仕上げてそれに新しい枠付けをしたものは「新品」だろうか。廃業した小売店の商品を格安に仕入れたらそれも「新品」だろうか。「新品」として販売することは可能だろう。がお客さんが考える「新品」のイメージとはいささか開きがある。真っさらな「新品」と使用感のあるはつきりとした「中古品」のあいだにいわば「曖昧な新品」ともいうべき製品が現在多数流通している。これをどう扱ったらいいのか。  
 リ・ジュエリー協議会では、協議会発足の段階で宝飾品(製品)を3区分している。新品、アウトレット品、中古品である。そのうえで一度でも消費者に渡ったと思える品物は中古品であるとしているが、ルースに関しては新品、中古品もなく、すべて同列とみている。「新品」「アウトレット品」の定義について触れられていないので良く分からない点もあるが、ただこういうジュエリーの区分の問題提起は、現在とても大切な事になりつつある。
 従来と違い買取り店が増え、また倒産や廃業が多くなって、ジュエリーマーケットも様々な経歴の商品が流入してきている。少しでも安く仕入れて利益を得ようとする当たり前の企業行動が、結果として消費者からの不信を生まないようにするには、どうしたらいいか。「中古品」以外はすべて「新品」という定義で消費者に通用するのか「新品」と「中古品」の間にもうひとつ別の名称を作るのか定義などまどろっこしい話ではある。個々の企業にはどうでもいいことかもしれない。が業界全体としてはけっしておろそかにしてはならない問題にな っている。  
マーケットの変容のなかでこの業界の信用を先手を打って維持していく。そういう危機管理の視点からみると、リ・ジュエリー協議会、JJA、JOWJAPANなど主だった業界団体が議論をして統一の定義を作り上げる時期に来ていると思える。    
* リ・ジュエリー協議会の3区分は、リ・ジュエリービジネスレポート2号による。
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コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com  
■みんなでともそう生き残りの灯 57 ■2012年12月13日 木曜日 14時55分5秒

社会現象から見える「消えた客」

 いまこの国でどんなことが起きているのだろうか。それは我々時計宝飾を扱う小売り店に明るい将来を約束するのだろうか。
 一つの象徴的な出来事が日経新聞一面につい最近掲載された。イトーヨーカドーがここ2,3年ぐらいの間に8千人強の社員を半分に減らし、その代わりをパートで埋め合わせるというもので約100億円の経費節減を見込むという。パートのなかでも優秀な技術や能力のあるひとには、高い賃金を支払い、役職への道も開くと書かれている。 
 スーパー業界の勝ち組であり、経営的にも優等生でもあったヨーカドーにして今この苦境である。社員を派遣労働者やパートで置き換えるとともに、それらの低賃金労働者のあいだに競争原理を導入して生産性を上げると共に、経費削減を計ろうとする現象は、おそらく日本のいたるところでみられるものである。しかしながらこのことが意味するものは、小売業にはボディブローのように効いてくる重く鈍い打撃で 
ある。お父さんは、今まで以上に追いまくられるか失職し、お母さんはお
小遣い稼ぎでのパートから家計の目減り分の埋め合わせのために必死に働かざるを得なくなる。家庭からすこしづつ余裕が失われていっている。ちょっと前まではお母さんが、パートで得た   収入でジュエリーを買ったものである。
 もう一つ家族が追い詰められていく要因が、高齢化による介護で家族の精神的、肉体的、金銭的負担が小さくない。介護にはいつまでという期限が見えない分きつさが倍加する。予想される介護を前にして、節約生活を始めてしまう家庭もある。殺人事件のうち家庭内が件数一位という事実も、また学校でのいじめが報告されているだけで7万件という事実も家庭自体の手詰まりという現実をみつめれば納得がいく。たぶん1990年後半から2000年前半にかけてこの国では社会の大きな構造転換がおきたと思われる。経済での大競争時代の現出と超ともいうべき高齢化社会の進行である。その流れはいま益々加速している。企業がなりふり構わず生き残りをかけてコストダウンに取り組めば結果として労働者にも淘汰の波がおしよせてくる。このいわゆる中流階級の下方解体と家族の疲弊からは、時計やジュエリーを買うというストーリーは出てこない。これがいま我々が見つめねばならない消費の現実である。 
 中小零細の小売店が対象してきたのは一部の富裕層ではなく、まさに一億総中流といわれた時代のその中間層であったが、それが消えつつあるのである。
 これでは全く希望のない話しになるが、この現実を見据えた上で希望を語るなら身を飾ることは女性の永遠の欲求ともいうべきものだから、時計やジュエリーの業界もまた永遠に続くであろうということになろうか。
■みんなでともそう生き残りの灯 56   ■2012年9月27日 木曜日 14時56分37秒

業界紙の新しい風
続「リ・ジュエリービジネス・レポート」が面白い

 前回このレポートについて紹介したが、2号にも小売店に参考になる記事がある。「店主近況」という囲み記事で、リモデルを承る方法をジュエリーショップを経営する佐々木幹雄氏が細かく語っている。おおよそのところを纏めてみた。
 リモデルを承るには、お客様との距離感を縮めることが必要で、常連客だけでなく、来店回数の少ない顧客の場合はどうしたらよいのか。そこで佐々木氏のお店では、「誕生日」に関する演出に力を注いでいる。
 翌月にお誕生日を迎えるお客様に、DMを送る。A5サイズの封筒に、ご挨拶、プレゼント券、商品情報など10種類以上の資料を入れるとのこと。
 次にお誕生日当日、電話をかけるけど、対象者が多くても「どんなことがあってもかける」。氏によれば「誕生日おめでとうございます」といわれて、無下に電話を切る人はほとんどいない。留守の場合はFAXを利用して送信しているが、効果は絶大と語っている。
 引換券を持って来店するお客様には、仕掛けを仕込んであって、お客様の足を止めるようになっているから、無理なく「距離感を縮めることが出来る」
 最後に氏は、次のように締めくくっている。
 「これらの方法は、単純なノウハウではありません。スタッフ全員の問題意識の共有と、継続に対する強い志がなければ続ける事は出来ません。これらのことがトータルとなって、、、リモデル承り件数を増やすことにつながっていると確信しています。」
 実際の記事には、コスト面や細かいデーターまで書いてあるので、関心のある方は直接読まれることを進めるが、私が感心したのは、良くここまで情報公開をしたなということである。
 JJFやIJTで講演してもらったらどうか、現場の経験ほど説得力のあるものはない。商売では、誰でも情報の集め手であるが、出し手ではないだけに、成功談も大体抽象的な内容になってしまいがちである。佐々木氏の器もあるだろうが、こういう記事を編集したこのレポートを読むと、次の号でどんな店主が何を語るかが楽しみになってくる。
 「リ・ジュエリービジネス・レポート」は、まさに新しい風になりつつある。リモデルについて書かれている攻めの考えは、そのまま一般ジュエリーの販売にも当てはまる。生き残りをかけた小売店にとっては、情報戦でもライバルに後手を踏まないよう心しなければなるまい。
現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯 55   ■2012年9月19日 水曜日 15時4分26秒

業界紙の新しい風
日本リ・ジュエリー協会の「リ・ジュエリービジネス・レポート」が面白い

 御徒町の取引先に置いてあった冊子をなにげなく目を通していたら、「おや結構面白い事書いてあるな」と印象に残ったのがこの「リ・ビジネス・レポート」。たまたま次の号も読む機会があったが、その内容も小売店からみると示唆に富んでいる。協議会に問い合わせたら創刊されたばかりで、まだ2号までしか発行されていないとのことだが、業界紙にあたらしい風が吹いてきた感じがする。 
創刊号の「リ・ジェリー・ビジネスは攻めの商売」という文章は、このビジネスをリモデル、リサイクル、リペアの3分野に区別したうえで、そのビジネスの長所と欠点を分かりやすく説明している。なかなか自分のビジネスの欠点は言いたくないものだが、そこに踏み込んだうえで、きちんとした現状認識をしている。ではどうしたらいいのかということに言及している。この文章を読んで私の印象に残ったのは、消費者がなにを考えているかについての心理考察がなされていることである。
消費者を儲けの種ぐらいにしか考えず、どうやったら売り込むことができるか、できたかという話や目先の変わった催事の成功事例の記事は山のようにあるが、消費者がどういう事に関心をもち、不安を感じ、無関心であるかということに触れたレポートは少ない。上記の「攻めの商売」の中からリモデルに触れた部分を引用してみる。
「ジュエリー販売では、なんらかの記念日とか、自分が頑張ったごほうびとか、消費者自身が自主的に動いてくれる何らかのきっかけがあって、品物が買われ、売れていくことが多い。しかし、リモデルの場合は、こうしたきっかけが消費者側に見つからない。
・・・ときたまリモデルしようかなという気持ちが起きることがあっても、みずから店に足を運んでオーダーするまでの明確な動機付けに至ることはあまりないのがリモデル、ビジネスの欠点である。
いわれてみればその通りであるが、そういわれてはじめて、ではどうするという「攻めの商売」の意味がはっきりしてくる。
 「消費者が自主的にリモデル市場に入ってくることが少ないのであれば、リモデルの魅力を伝え、当方ではこういうサービスをしていますと媒体を使って伝え、店頭の顧客に対しては直接どんどん話かけていく。結果、そうであるから、積極的に働きかけているところは数字が伸びる」という。
 一例をあげたが、他にも小売店にとってはいろいろと貴重な情報、数値が掲載されている。宝飾小売り専門の業界紙がないだけに、リ、ジュエリービジネスに取り組むかどうかは別にして、小売店には一読の価値のある業界紙には間違いないと思う。
現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯 54 ■2012年8月31日 金曜日 15時52分58秒

JOW JAPANはオリジナルウオッチ企画の総括を公開して欲しい
それが次につながる礎になる

 JOW JAPAN(以下JOW)が昨年春セイコーとタイアップしてオリジナルウオッチを企画販売した。
 ドルチェが2モデル、婦人用スピリットが1モデル、それぞれ300個の数量限定であったから、合計900個である。粗利益率は50%。以前から組合単位でメーカーの協力の下に、オリジナルなウオッチを企画販売してきた経緯はあるけれど、大概一回限りで持続してこなかったことを考えると、今回の場合はどうだったのだろうか。
 私なりの問題意識のもと、知りたいことを列記してみたい。 
 JOWの話では、全て完売しているということだが、全て組合員からの引き合いだろうか。例えば50個ほど売り残しがあったが、各役員が責任感から引き受けて、結果として完売という形になっているという事はないのだろうか。
 実需として、全てが完売となったとして、それでは発売後、どの程度の期間で完売になったのだろうか。
 JOW会員のうち仕入れをした小売り店の数はいくつだろうか。地域的な分布はどうか。最初に仕入れをした個々のお店からのリピート率はどの程度の割合だろうか。
 ある時点、発売後一年経過した時点で小売店頭に在庫としてどの程度残っているのか。小売店は、この商品を定価で販売したのか、それとも割り引いて販売したのか、割り引いたとして何%程度なのか。
 仕入れした小売店は、このようなJOWのオリジナルウオッチを今後も取り扱いと思っているのか、今回限りでいいと思っているのか、価格ラインについてはどう考えているのか、3種類は数としてどうか、多いのか少ないのか。
 この商品が売れて儲かったというお店があるとして、ではその店はどの様な販売手法をとったのか。
 今回JOWは、会員に販売するにあたり、JOW自身はマージンを得たのか、得たとしたら幾らか、とらないならその選択は正しかったのか。
 オリジナルウオッチを作る事は、一つの実験で、それを通して得られるはずの情報を文書にまとめて管理すること、それがJOWの財産になっていくと思われる。JOWの役員が替わっても、こういう情報が基にあれば、次代の人はこの件を参考にすることが出来る。そういった情報は、協力してくれたメーカーにも役立つのではないか。今回のオリジナルウオッチの試みから何が見えてきたのか、まずはその点を明らかにして欲しいと思うのである。
現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯 53 ■2012年8月31日 金曜日 15時52分13秒

コラムの裏側

 8月は夏休み盆休みの月なので、それにあやかり業界話は一休みさせてもらって、コラムを書く事にちょっと触れてみたい。
 もともと文才がある人ならともかく、自分のような素人が文章をまとめるというのは、随分と骨が折れる仕業である。せいぜいA4一枚程度の分量ではあるけれど、スラスラと掛けた試しがない。出来上がった原稿を読み返してみても、もう少しリズム感のある弾むような文章にならないかなと常に思うのだが、生硬さが抜けない。それはもう諦めるしかないのだが、ただ気がついたことがある。
「話しことば」と「書き言葉」の違いである。「話す」というのは人間が特別の訓練なしで、誰でもなしえるいわば自然な行為であるのに対し、「書く」というのは、文法の制約の中での意思的な表現行為だということである。
 書くべきテーマを決め、そのことを論じる為にコラム全体の論理の構成を考え、なおかつ読む人に言わんとすることが伝わるように漢字を選んで文章を作るのはそう楽しい作業ではない。締め切りがあるのもプレッシャーになっている。
 ただ「書く」という行為が役に立つのは、意思的行為であるがゆえに、物事を比較的冷静に把握できるところにある。この業界に限ってみても、腹立しい事はいくらでもあるが、だからといって感情的な表現に流れては、面白いが話の詰めが甘くなって結局、説得力に欠ける内容になってしまう。
 有名人のブログが時々炎上するが、だいたい感情をそのままぶつけているものが大多数で、批判らしい批判になっていない。そうならないように誰が読んでも「なるほど」と納得してもらうには、一旦冷静に物事を観察してから、文章にするという心の中の手続きを踏まなくてはならない。頭に血がのぼると視角が狭くなって、大体すっぽりと大切な視覚が抜け落ちるものである。
 自分のコラムが理屈どうりになっているかどうかは別にしても、自分の主張を文章の形にするというある種の訓練は、いろいろなことを教えてくれたことは間違いない。方針らしきものがあるとすれば「世の中に通りのいいごく常識的なことをあえてなぞるような文」だけは書かないように心がけてきたつもりである。
 真摯な批判は歓迎である。事実関係で不正確な部分があれば、指摘していただきたい。業界内の風通しが少しでも良くなる切っ掛けになればと思って書く続けてきたし、これからもその気持ちに変わりはない。悪文ながらお付き合い頂きたい。
 末尾になりましたが、残暑厳しき折、皆様のご健康をお祈りいたします。

現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯 52 ■2012年7月30日 月曜日 14時47分47秒

時計小売組合は、会員全体の利益のために闘えるかまるで他人事のJOWJAPAN

最近業界紙を読むと輸入時計の取り扱いを巡って、急な取引条件の変更を求められて小売店が困りきっている話が載っている。
確かに私の店にもオメガ、ロンジンなど修理口銭の改悪が一方的に通告という形で伝えられている。
修理口銭程度の話なら些細な事で、それらの修理扱いをやめればすむ事である。
しかし、商品自体を販売している小売店にとって厳しい取引条件への変更を迫られることは、経営への影響もあることだから、おいそれと飲めるものではあるまい。
しかし、そういう事態が組合で話題になったという記事のその後、組合で何か抗議声明を出したり、法的な措置の検討に入ったという話は聞かない。要するに「困った、困った」と一通りぼやいて終わりなのである。だからまた同じことが、しばらくすると起きるのである。
県単位の時計組合であれ、JOWJAPANであれ、メーカーサイドの対応にいつも目を光らせて、問題が生じれば、会員の訴えがあろうと無かろうと、それが「優越的地位の乱用」によるものであるかどうかを調べ、場合によっては当局への告発も辞さない姿勢が必要なのではあるまいか。
 JOWJAPAN7月号に近藤理事長の総代会の挨拶が掲載されている。その中に「あるブランドは、パーツを全く供給しなくなった。各ブランドはどの様に考えているのだろうか。そのために締め付けが厳しいのか」。まるで他人事のような発言である。これで小売店全体の利益が守れるのか。修理の収益を柱にするという考えと、どうつじつまを合わせるのか。
 時計メーカーと小売店が協力関係を築いて、業界全体が活性化するに越したことはない。しかし、それはキレイ事の話ではなく、相反する利益を巡る緊張関係を裏側に背負った力と力の関係性である。
 「一寸の虫にも五分の魂」ではないが、組合というものは、その全体の利益が損なわれるかもしれないと認識した時には、断固として闘わなければその存在意義が問われると思われる。組合の幹部には、それだけの責務があるはずである。
 取引条件の急な変更も、当事者同士の契約を巡る話で、組合が関与するものではないと見てみぬふりも出来よう。しかし、この事案が公正取引の観点から見て、どうかということをキチンと「公正取引委員会」に問い合わせて法的に隅々まで調べ抜いておく事は、会員の今後の利益保護という点からもやらねばならぬことではないか。
 無理が通ってしまえば、当たり前の道理は引っ込むのである。

現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
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■みんなでともそう生き残りの灯 51 ■2012年7月30日 月曜日 14時46分44秒

ネット時代に“修理売り上げ”は時計店を救うか

 量販店であれストレットであれ、それらの進出は無に見える形の脅威であるから、何らかの対応をとる事は可能だが、インターネットは違う。自店の商圏が知らない間におかされているのである。ワンクリックで。
 昨日までお得意さんであった山田さんは、ネットで時計を購入しているかもしれない。田中さんはお店で商品を見てネットで注文しているかも知れない。売り上げ減少の目に見えない原因、それがネットの恐さであるが、その大きくなる一方である。
 時計自体の店頭販売あgジリ貧にならざるを得ないなら、時計店は修理の売上げに活路を見出せるか。ネットで購入した商品でもメンテナンスの手間は生じるから、一理ある話ではある。
然し、その際二つのことが肝心だと思える。
 一つは、修理の専門店としての店作りをきちんとすることである。時計が売れなくなって、結果として電池交換や軽修理で細々やってきたその延長線のありようではなく、時計修理を店の柱として位置づけて積極的に外に向かってアピールしていく経営に転換することである。
 今ひとつは、電池交換数を含め、修理自体大きく伸びないことを前提に(分解掃除もメーカー師弟が増えていくだろう)以下に粗利益率をあげていくか、工夫していくことである。
 時計店の新しいビジネスモデルを作るつもりで取り組めば、それなりの展望はいくらか開けるかもしれない。身近で安心して時計修理を頼める店を探している消費者はいるわけだから、その需要をどう取り込んでいくか、アンが得る価値はあるだろう。
 JOW JAPANがこのたび「時計修理技能会」を泰挙げた。会の運営では、まだまだつめておかなければならないことが多く、消費者から見て誤解を招きかねないようにも思え、生煮えの感があるが、中小時計店の閉塞状況を打破する試みとしては軌道に乗って欲しいと思う。とりわけメーカー修理の際の小売り店サイドの粗利益率改善に積極的に取り組んでもらえれば、会員は増えていくだろう。
 売り上げの減少の中でも利益率が改善されれば、生き残りの灯はともるのである。
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コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯 50 ■2012年7月25日 水曜日 16時30分17秒

『中小時計小売店』の将来は暗い

 率直にいって「暗い」と思う。個々のお店は毎日、時計を売るために努力をしているとは思うが、大局から見て時計を小売して経営を成り立たせることは随分と困難だろう。それは構造的な問題で、努力の城を超えたこといって良い。
 一つは、時計にはメーカープライスが付いていて、小売の粗利が一定の枠内に定められているという現実がある。値引き販売は、自らの首を絞める事になるが、現状を定価で売れるような変化の兆しはない。むしろ逆にネット販売が増えて、そこでは小売店の粗利をゼロないしマイナスにするような割引販売が行なわれている。ネットの高齢者利用の広がりを見るかぎり、時計の粗利確保は、今後益々不利になって行くと予測される。
 また時計は、セイコーシチズン国内2大メーカーのシェアが圧倒的なため、どの小売店も品揃えが似たり寄ったりになって、店独自の個性を打ち出せないという事実もある。セイコーやシチズンが扱うデザイナーズブランドであれ、輸入時計であれ、取り扱い自体に様々な制約があり、一部の大手時計店以外思うに任せないし、その制約が益々うるさくなってきている傾向にある。
 中小の時計店は結局のところ、セイコー、シチズンの仕入れ便覧に掲載されている商品を、量販店、ネット販売と競合しながら売っていくしか方法がないのである。商品の完成度が上がれば上がるほど、品質のムラがなくなり皮肉な事に消費者から見れば、どこで買っても同じという事になる。
 またメーカー自体が、名目だけ別会社にして、卸価格であるいはそれ以下でネット販売を手がけたとしても多分無抜ける方法はないであろう。(勿論仮定の話だが)。そうしてもおかしくない時代なのである。量販店以上にネットは、今後時計店を苦しめるだろうと思われる。
 JAW・JAPANがセイコーに依頼して、会員向けオリジナルウオッチをデザインして販売した。中小時計店の苦境を打開する為の企画で、その危機感は評価されるには違いないが、時計店の将来を明るくするというには程遠いといわざるを得ない。
 時計業界についていえば、中小小売店は対メーカーの力関係では、圧倒的に不利な立場にあり、その構造が変わらない限り将来は暗いのである。
現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯 49 ■2012年6月19日 火曜日 10時31分42秒

踊り場の迷い道

 物事が順調に進んでいるときはアクセルを踏み続けていればいいが、売れていたものが売れなくなったり、停滞し始めるいわゆる踊り場に立ち至ったとき、どの様に対処するか、売り場の責任者、経営者の力量が問われる。
 半知の理解で恐縮だが、スーパーマーケットが全国に広がろうとしていてイトーヨーカドー(以下IY)も出店攻勢を掛けていたとき、売上げの伸びに陰りが出た。その際IYでは、徹底して社内の商売のあり方を見直し、改革にメドがついてからまた出店を進めたいという経緯がある。
 スーパーというのは、当時は新しい業態で消費者の支持もあり出店した者勝ちの様相であったから、少々の事は新店の売り上げなり、利益で埋め合わせする事は自明であったろうに、あえて社内に目を向けて次の飛躍の基礎固めにエネルギーを注いだところにIYの勝ち組たる所以があると思える。経営者の非凡さを感じる。
 売り場でも同様なことは起きている。例えば店頭で5,000円前後の天然石ネックレスが良く売れていた。しかし、ここ2ヶ月ほど数量ベースで前月を下回っている。売り場の責任者ならどうするか。
 ネックレスを縮小してブレスなど他の商品を展開してみるのも一方策だろう。商圏が狭く、消費者の来店頻度が高いSCなら、飽きられない為にも、また売り場のマンネリ化を防ぐ意味でも有効かもしれない。しかし反面新たな在庫負担と資金負担のリスクを負う事になる。結果が出ないと、更なる在庫と資金の負のスパイラルになりかねない。
 では「掘り下げる」というスタンスから考えてみたらどうか。天然石ネックレスを売るという軸を変えない。売り場のスペースも変えない。このことを堅持したうえで、思いつける限りの手を打ってみる。
 多様な価格訴求、展示手法の変更、POPの文言の工夫、一部新製品の投入、資金負担よりも「思考負担」に取り組むわけだが、それは別の形で壁にぶつかった時の乗り越える基礎力になると思われる。
 企業経営であれ、売り場の数字であれ、進むか変わるか引くかの踊り場は、迷い道でもあるが、一番困る事はそういう認識のないことで、それは破綻への道である。
現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯47 ■2012年6月19日 火曜日 10時28分37秒

「全体の全体」という考え方

 大相撲の夏場所が開催されているらしい。“らしい”というのは、それほどに魅力が無くなっているからである。
 理由は八百長のような不祥事があったからというように思われがちだが、それ以前から客離れがおきていたのである。
 「八百長事件」は、不人気に止めを刺すようなもので、大相撲の盛り上がりはしばらく望めないだろう。同じようにプロ野球も人気が低迷している。決定的な事件がない分、いくらかましな程度だろう。日本を代表していた両スポーツの低迷は、それを見て育った我々のような世代には寂しい限りである。
 両者に共通しているのは、協会なりコミッショナーと言う全体を統括する執行機関が各部屋、各球団の利害調整を優先し、顧客が望んでいる在り方に十分対処してこなかったからに他ならない。多分ある時期まではそれで通用したが、時代の変化が内向きの運営にNOを突きつけたと言うことだろう。
 組織の中心の人達が、まず「全体」のことを考える。ファンが望んでいるエキサイティングで魅力のあるプロ野球とは、大相撲とは、その枠組みの中で個々の構成単位の利害調整をしていくという組織運営に徹しなければ低迷からの脱却は困難だろう。
 似たような事は業界団体の運営にも言えるわけで、全体としてどうするのかと言う問題意識なり、視点がまず最優先されなければならない。ともすれば全体的な個別の現象に目がいきがちだが、それでは中々ユーザーにインパクトを与えることが難しい。
 JJAが今ルビーの含浸の問題を取り上げているが、それはそれで全体の信用にかかわる問題ではあるのだが、消費者の心をジュエリーに振り向かせるための仕掛けとは別物である。
 「御徒町にジュエリー神社を作ってみたらどうか」という私が提案するのは、業界全体をどーんと打ち出す事で、消費者に何がしかのインパクトを与えられるのではないかと言う事に尽きる。
 JJAは全体の企画として、「絆ジュエリー」のキャンペーンを打ち出しているが、物を売らんかなの商売スピリットが全面に出ていては、結局は販売促進の枠内のことで、消費者の心を掴むとは思えないのである。
 大きな視点、全体を全体として運営していくものの考え方は、捕らえどころがなく、漠然としているようだが、消費者に焦点を当ててその変化から目を離さなければ自ずと成すべき事は見えてくるものである。
 宝飾業界も時計業界も、大相撲やプロ野球の組織運営を反面教師にして、時代の変化に柔軟なあり様を模索していかないと、消費者との溝は広がるばかりであろう。
現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯 47 ■2012年6月19日 火曜日 10時26分10秒

あるパン屋さんの成功話 観察の力と想像の力

 仮にAさんとしておこう。Aさんは経験は無いながらSC内に出店しているパン屋さんの店長になった。お店の売上げは「縮小傾向にあり、立て直しが迫られている」状況であった。「特に夕方の落ち込みがひどく、隣の食品売場はにぎわっているのに、自店には立ち寄る方がほとんどいない状態」「売れ筋は順次追加していたのですが、それでも焼きたてを出した瞬間しか売れず、結局はロスになっていました。」とAさん。
そこで夕方の食品売場にいらっしゃるお客様を呼び込むために、動向を注意深く観察すると、お客様が食品売場で競うように手に取っているのは、値下げ商品であることに気付きました。もうひとつこの時間帯に自店に訪れるお客様を観察すると、一つのパンだけを買う人がほとんどいないことも発見しました。
 そこでAさんは、夕方のピーク時に値ごろ感のある焼きたてパンを、少量ずつたくさんの種類を提供する方針に転換。人気商品も一種類だけだったものを充実させていきました。  
この方針転換が成功して、それまで一日の売上構成比のうち17時以降が16.7%だったのが24%まで伸張しました。
  Aさんは、お店の改善のため「年齢層、人数、歩く速度なども見て」その心理を想像していると言います。「夕飯の準備が控えていたり、ご帰宅の途中といった理由で、ご購入を急いでいる方が多いようです。」そのためパンの置き方の試行錯誤を繰り返しているとのこと。「でもまだまだ、やっとスタートラインに立ったようなもの」とAさんはいいます。
 この話を紹介したのは、消費者目線で物をみて売場の改善に取り組めば、まだまだやり様はあるわけで、それは宝飾店でも当てはまるものだということを言いたいからであるが、Aさんに感心したのはその観察する姿勢である。お客さんの一挙一投足を良く眺めて、そういう動きはなぜだろうと自問し、こういう事ではないかと想像してその上で対策を立てていることである。だから結果が出ないときは、自分の想像まで立ち返ってみて、改めてではこういうことなのかなと別の想像をして新たな対策に取り組めることである。こういう地道な取組をしないで、「消費者目線」といっても言葉だけの上滑りで、結局結果らしい結果は望めないのである。                     
現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯 46 ■2012年6月19日 火曜日 10時25分4秒

「時計修理の技術者が二番目に大切なものは何か」小売店サイドから一言

 二番目に大切なものと問われて、すらすらと二つも三つも答えが出てくる人はたぶんこの時代にあってもそれなりに商売繁盛ではなかろうか。逆に答えに詰まって考え込む人は、苦戦しているように思われる。
私の父親も職人かたぎであったからわかるのだが、修理技術に自信のある人ほどお客さんの心理が見えていない。他人に直せないものでも自分が直す、それは技術者の誇りであろうし、お客さんも満足するわけだが、だからといって「感謝」するほど有り難さもある訳ではない。あちこち時計店をまわって断られ、やっと修理をしてもらえる技術屋さんに出会えた人なら別であろうが、そうでなければ対価に見合う満足にとどまるだろう。
 最終ユーザーとばかりでなく小売店経由で修理品を扱っていれば、小売店の心理も見えていなくてはいけない。「腕はそれなりだけど、どうもやり辛くってね」小売店からそう言われる職人さんは結構いるのである。 
 一番大切なものは、勿論のこと時計をきちんと直すことに他ならない。では二番目はなにか 納期をきちんと守ること 素人にもわかりやすい修理報告書を添付すること 再修理のばあいは極力すみやかに対処し納期も早めにすること などであろう。
「なんだ当たり前のことじゃないか」と思う人がいるかもしれないが、その当り前のことを常に意識しているかどうかが肝心で、そういうところへ修理品は集まるのである。なぜならそれがお客さんの望む事だからである。別の言い方をすれば時計を直すだけではなく、二番目に大切なこともきちんとできて、それではじめて「時計を修理する」という事なのである。少なくとも今の時代は。
 とりわけ修理報告書の添付という点では、付いてくればましで(さすがにメーカーは付いてくるが)それでもわかりやすくだれが読んでも分かりやすいという配慮はほとんど感じられない。時計を直すという指先の細かい技術と報告書を書き上げるというそれはそれで一つの事務技術というのはひとりの人間の中でなかなか両立しにくいのかもしれない。ただお客さん本位の商売という時代の流れのなかでは、なかなか通用しにくいことも事実である。
 時計の機械と向き合う自閉の外側で、確実に世の中は変化しているのでありそのことに敏感でないと、腕をふるう機会もますます細っていくのではないだろうか。
現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯 46 ■2012年6月19日 火曜日 10時15分19秒

「時計修理の技術者が二番目に大切なものは何か」小売店サイドから一言

 二番目に大切なものと問われて、すらすらと二つも三つも答えが出てくる人はたぶんこの時代にあってもそれなりに商売繁盛ではなかろうか。逆に答えに詰まって考え込む人は、苦戦しているように思われる。
私の父親も職人かたぎであったからわかるのだが、修理技術に自信のある人ほどお客さんの心理が見えていない。他人に直せないものでも自分が直す、それは技術者の誇りであろうし、お客さんも満足するわけだが、だからといって「感謝」するほど有り難さもある訳ではない。あちこち時計店をまわって断られ、やっと修理をしてもらえる技術屋さんに出会えた人なら別であろうが、そうでなければ対価に見合う満足にとどまるだろう。
 最終ユーザーとばかりでなく小売店経由で修理品を扱っていれば、小売店の心理も見えていなくてはいけない。「腕はそれなりだけど、どうもやり辛くってね」小売店からそう言われる職人さんは結構いるのである。 
 一番大切なものは、勿論のこと時計をきちんと直すことに他ならない。では二番目はなにか 納期をきちんと守ること 素人にもわかりやすい修理報告書を添付すること 再修理のばあいは極力すみやかに対処し納期も早めにすること などであろう。
「なんだ当たり前のことじゃないか」と思う人がいるかもしれないが、その当り前のことを常に意識しているかどうかが肝心で、そういうところへ修理品は集まるのである。なぜならそれがお客さんの望む事だからである。別の言い方をすれば時計を直すだけではなく、二番目に大切なこともきちんとできて、それではじめて「時計を修理する」という事なのである。少なくとも今の時代は。
 とりわけ修理報告書の添付という点では、付いてくればましで(さすがにメーカーは付いてくるが)それでもわかりやすくだれが読んでも分かりやすいという配慮はほとんど感じられない。時計を直すという指先の細かい技術と報告書を書き上げるというそれはそれで一つの事務技術というのはひとりの人間の中でなかなか両立しにくいのかもしれない。ただお客さん本位の商売という時代の流れのなかでは、なかなか通用しにくいことも事実である。
 時計の機械と向き合う自閉の外側で、確実に世の中は変化しているのでありそのことに敏感でないと、腕をふるう機会もますます細っていくのではないだろうか。
現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯 45 ■2012年4月17日 火曜日 10時8分37秒

売り方の技術を鍛える いつも頭の体操を

 今ここにワンロット10本で10,000円のアコヤ7,5ミリのパールネックレスチョーカーがある。一本単価1,000円、価格から見て、粗悪品の類である。
この商品を一本10,000円以上で売り切って利益を出す。こういう課題が与えられたら、皆さんのお店ではどのように対処するだろうか。
まずは価格訴求である。
 一例だが、25,000円の定価を付けておいて、半額の12,500円で売る。そのさい通りからも目立つ限定10本、半額!のPOPも付けてみる。展示方法も工夫してたとえばパールの下に引く布地の素材や色にもこだわってお客さんの反応を試して見る。玉の肌荒れや変形部分をあえて強調して、自然のままの風合いとして打ち出してみてもいい。
接客も積極的に取り組んでみよう。来店されたお客さんには、ダメモトでまずは薦めてみる。事前にきちんとセールストークを考えてお店全体で意思統一しておく。『カジュアルパールとしていかがですか』『セカンドパールとしてどうでしょうか』パールネックレス2本で、一本のロングネックレスに加工して、30,000円均一5本限りという売り方はどうだろうか。タウン誌に小さな広告を出したらお客さんの範囲はぐっと広がるから、コストとの兼ね合、
いだが、いい結果につながるかもしれない。技術があるなら、デジカメを使ってミニDMをつくるのも面白い。
 我々が宝飾品を売るに際しては、商品自体の価値に頼りがちである。アメジストのこの深い紫はあまり手に入りませんよ、このダイヤはハートキューの最高のカットですから、プラチナを使った丁寧な作りのリングだからいずれ売れるよなどなど日常的である。しかしそうであるからこそ売るという技術が甘くなると言う事が反面としてある。冒頭の課題はそういう商品価値に頼らずに、売るという技術自体を鍛える頭の訓練である。
 どの小売店も長年培った信用がある。
価値ある良い商品をえらんでお客さんに提供するのが商売というもの。二束三文のものを売る技術などとんでもないという考えはあろうが、そうではない。例えば不良在庫、滞留在庫をすこしでも利益を乗せて売るにはやはり売る技術が大事なのである。
 常日頃から売る技術を鍛えに鍛えてこそ、なんとかこの時代を乗り越えられるのではないか。老舗の名に頼り過ぎて消えていった会社があるように、商品の価値に頼り過ぎては先行きは危ういと思えるのだが。
現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
Cosmoloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯 44 ■2012年3月30日 金曜日 15時0分14秒

業者催事、業者チラシとどう取り組むか
お客・業者・小売 皆がニコニコするように

 売上の低迷が顕著な今、業者催事というのは『需要の喚起』という意味で
有力なツールではある。が小売店サイドからみてどのように考えて取り組めばよいのか考えた事を述べてみたい。
 業者の催事というのは結局業者だけが儲かって小売店にはたいした利は無い。地道にやるか、自前の商品でセールを打つ方がずっといい。そう考えている小売店主も多いかと思うが、別の角度からみたプラス面に注目したらどうだろう。
業者催事のいいところは、品揃えが豊富なことで普段はなかなか見れない商品が展示されたり、ベーシックなものでも数が多いのでお客さんには選ぶ楽しみがグンと増す。だからまず業者催事は、お客さんが喜んでくれる。 
 次に喜ぶのは、まさに業者。売れれば売れるほど業者は儲かるわけで当然の事である。がそれだけでなく少しでも業者に儲かってもらいたい、喜んでもらいたい、そういうスタンスで臨むのがいいので、回り回ってより良い商品、より良い情報が入ってくる ものである。
 では小売店はどうだろう。チラシ代金やらディスプレーレンタル代やら、普段以上の人件費の出費やら諸々の経費と販売商品の仕入れ代金を合算して催事売上金と差し引きしたら、手放しでは喜べないかもしれない。
 ではどこにプラスを求めるかといえば、ひとつは地域市場のなかでの自店の存在感を高めることができるということである。自店の顧客という限られた枠をこえて地域に『やる気のある店』『活性化しようとしている店』『あたらしい企画に取り組んでいる店』などいい意味のメッセージが伝わるのである。それは新規の顧客を増やす良い機会になる。
 では催事企画ならなんでもいいかというと違う。自分の店を今後どうしたいか。例えばダイヤ部門で地域一番店を目指すならダイヤをメインにした催事を。パールを強化していきたいならパールの催事をというように、店の方向性に沿った形で催事を利用していけば、お客さんへの店のイメージが明確に伝わり有形無形のプラスがもたらされるのではないかと思う。 
 だからまずは店の方針を明確にすることが第一で、そこからすべてが位置
付けられてくると、催事の有効利用ができるようになる。こういう考えのもとでは、お客さん、業者、小売店がみなウィンウィンの関係になるのだが、小売りが目先の利益にこだわりすぎると、得られる果実は少ないのである。
現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
cosmoluup.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯 43 ■2012年3月19日 月曜日 11時35分25秒

消費者が今感じていることはなに?

 一月二月の宝飾品売上の落ち込みは顕著であった。当初これは自分の店のみの事かと思ったが,御徒町を歩いてみたり、問屋筋の話しを聞いてみたりすると全般的な傾向のようである。その訳を売る側からではなく、買う側の心理の変化という視点から見て見たい。
 ひとつは「寒さ」である。首都圏の話ではあるが、ようやくこの頃になって「梅」が咲いたということを聞くが、本当に寒い冬であった。ダウンジャケットを手放せないようでは、宝飾品を身に付けて着飾るという気持ちにはならないであろう。消費者にとって暖房衣料がまずは第一優先で、宝飾品の購入順位はかなり下の方になってしまう。
 もう一つは、震災後遺症とでも言うべきなのか、東京を中心に震度7クラスの直下型地震の発生確率が直近高まったという内容が大きく報道されたことである。このことはとりわけ女性の不安心理をいわば直撃して、防災用品の売上を伸ばすと同時に益々宝飾品にたいする購買意欲を削ぐ作用をしたと思われる。この二つつのマイナスの心理の相乗効果が、今年に入ってからの宝飾品の売上減につながっているとおもわれる。例えてみれば黒潮の蛇行が変わってさっぱり魚が獲れなくなって困っている漁師のような立場だろうか。
 それでは小売店はどうしたらいいだろうか。寒さは和らいでいくだろうが、地震への不安心理は、マスメディアの影響もあってしばらく続くだろう。
 ひっこんでしまった宝飾品への購買意欲をどうかきたてていくか。 [需要の喚起]がとても大切な状況のように思われる。[需要の喚起]というと二割引,三割引といった割引一本槍になりがちである。がそれではすぐ飽きられてしまう。消費者心理の方程式はそう簡単には解けない。不安感が強いなら、気持を落ち着かせる宝飾商品はないか、商品開発までしなくとも今ある在庫を上手に使って打ち出せないか、POPに一工夫してみてはどうか。「この際消費」というのはどうだろう、お客さんの側にお金がないわけではないから、[この際買っておいてもいいか]とおもわせるDM、チラシなら効果があるかもしれない。お客さんの心は固い、こちらの頭も固いでは、状況は打開できないだろう。
現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
microloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯 42 ■2012年3月12日 月曜日 16時31分32秒

『成長』という言葉の反対語は?

 『成長』という言葉には明るい心地の良さがある。子供の成長、会社の成長、経済の成長、将来の展望が開け、いずれ得られる果実には夢がある。
 成長はわかり易い。数字で表すことが出来る。「うちの息子、ひと夏で5センチも背が伸びたよ」「当社の今期売上げは昨年比20%アップです」「わが国の外貨準備高はついに50兆円を突破しました」。
 数字が仕事の中心を占めるようになると、目標も立てやすくなるし、業績の対比も明瞭で、すべからく管理するほうも管理されるほうもあるいみ楽である。
 だから『成長』というものの考え方は、誰にでも理解され国民の心の奥深いところまで浸透してきたのだと思う。そうして日本という国は、戦後しゃにむに頑張ってきた。大企業も中小企業も個人商店も、そこで働く人々も皆「成長」の果実を得ることが出来た。バブル崩壊後の低成長時代にあっても、いや昨年の大震災による原発事故後にあってさえ、日本経済を成長させるにはどうすべきかという論議は当たり前のようになされている。
 然しこの国の経済の足元を冷静に見つめれば、石油の自給率であれ、原発のリスクであれ、いかに脆弱な基盤の上に「成長」が進められてきたかは、一目でわかる。
 またこれからの人口減少、超高齢化社会の到来も視野に入れれば、闇雲に「成長」というわけにいかないであろう。
 一端「成長」というものの考え方を脇において、別の行動規範になる言葉はないだろうか。「成長」ばかり考えてきたので、その反対語というと「停滞」「衰退」という言葉しか思い浮かばないが、それでは明日にも沈没しそうである。
 「成熟」という言葉、考え方は正解だと思うが、解りやすくはない。「成熟」を数字で示す事は難しいし、例えば企業の目標設定としてもやりにくいだろう。しかし「成熟」を「身の丈にあった生活」「身の丈にあった経営」と解釈すると、前へ前への力みが消えて、自分のあり様が良く見えてくるのではないだろうか。
 この国のあり方など、大きな話をしたわけでない。中小零細な企業、商店の生き残りの方策について思うところを書いてみたのである。
現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
microloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯 41 ■2012年2月7日 火曜日 16時49分0秒

輸入時計「不親切ランキング」を作ろう

 名の通ったブランドウオッチであれ、スイス時計であれ、総じて輸入時計というもののサービスの在り方には、首をひねることが多い。
 先日もスポーツウオッチとして有名なT・Hのバンドの駒詰めをお客さんから頼まれたのだが、一目見るとCリング形式のたたき出しだろうと思われた。試しにたたいてみるとピンが堅くて抜けてこない。このまま強くたたいていいものかどうか、とりあえずT・Hのサービスセンターに時計の品番を告げたところ、修理はT・Hの特約店にもって行って欲しいの一点張りで、まさに門前払いであった。
 なぜこんな対応になるのだろうか。代用のきかない専用の工具が必要ならそういえばいいことだし、そうでないなら教えたところで誰か損でもするのだろうか。T・Hの特約店が全国どの都市にもあるならともかく。われわれ時計小売店がそうするのは、あくまでもお客さんの便利を考えてであって、貰ったところで1,000円程度の仕事である。別段やりたいわけではない。しかし商売と言うのは、損得を超えて困っているんだったら助けて上げましょうという一面があると思うから手がけているのである。そうしたからといって特約店の収益に影響が出るとは思えない。
 重箱の隅をつつくような話を承知の上で取り上げたのは、似たような経験を一般の小売店は大抵していて、本当に困ってしまったこともあるだろうと思うと同時に誰かが事態の改善に乗り出している話も聞かないからである。
 皮バンド一本取り寄せるにしても、口銭はゼロは良い方で、販売しない、 センターへ送れなどの注文が付く。こういう不条理なことがまかり通っていても、例えばJOW JAPANが何かを申し入れたと言うことも聞かない。結局輸入時計商社側の言い分のままである。このままなら今年も来年も再来年も。
 輸入時計商社側は、一般小売店についてというよりも、その先にいる消費者について、どのように考えているのだろうか。我々の商品は,街の時計店になど持ち込まれては困る、そう考えているのだろうか。またそうならば何故持ち込まれては困るのだろうか。ぜひその辺について修理哲学をお聞かせ願いたい。
 輸入時計の中にだって、日本のメーカーと同じように対応するブランドもある。ここは一つ小売店から見た「不親切ランキング」を作って見たらどうだろう。買っては見たけれどこの時計、修理が本当に不便なんてことにならないように情報公開すれば、消費者利益にかなうこと請け合いである。
現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
輸入時計のサービス、ケアのあり方について、また実際に困ったことなどのご意見・経験談などを聞かせて下さい。
microloop.22k@nifty.com

■みんなでともそう生き残りの灯 40 ■2012年1月27日 金曜日 13時53分23秒

消費者本位ということの厳しさ

 今年も元旦からの営業である。「うちは年中無休だから」というと「でも正月くらい休むんでしょう」という返事が返ってくることが多い。
 勿論一日の例外もなく無休である。エンドレス営業でもう10年以上続いている。営業時間もAM10:00〜PM9:00だから、経営環境としては楽ではない。日本全国ショッピングセンターといわれるものは、大概似たり寄ったりの状態だろう。
 大店法(改悪?)の改正、廃止の流れの中で生まれた小売業界の現在のあり様が意味するものは、規制の撤廃がいかに厳しい競争をもたらすかということとともに、厳しい競争を勝ち抜くには、ただ規模が大きかったり、歴史や伝統という付加価値が必要なのではなくて、「消費者本位」に徹する以外にないということである。
 「消費者本位」というのは奇麗事の建前ではない。元旦も営業して欲しいと消費者が望めば、自分の側でやりたくなくてもそうせざるを得ないし、少なくとも夜9時までの営業についても同様のことである。そうまでしなければならないかという自問自答はある。休日と営業時間を自ら決定できないのがSC内テナントのルールである以上、半ば強制的に現状に適用するしかない。それもゆっくり時間をかけてというわけではない。
 経験で言えば、私の店にあるSCの休日がゼロになったのは、本部からのFAX一枚である。「当該SCの休業日は、年間を通してなくなりました。各テナントの皆様にはご協力のほどよろしくお願い申し上げます」。否応ナシである。次の日から年中無休の日々が始まったのである。
 従業員の勤務ローテーションの変更一つとっても、すんなりと行くものではない。パートさんが主力であればなおさらである。すったもんだの末に、結局自分の休みを削減せざるを得なくなる。事前に相談があって、話し合いの結果物事が進行するのではなく、結論がまず出て、各自それに対処するのである。
 やり方に是非はあるだろうが、そのトップダウンのスピード感ある決断実行についてきたからこそ、何とか私のSCも私の店も生き残ってきたのかもしれない。
 休業日や営業時間だけが「消費者本位」の全てではないけれども、消費者が望む変化についていくという事は、往々にして我が身を削ることと表裏の関係にある。その努力を惜しむ、あるいは方向違いの努力では、結局生き残れないのではないか。
 中小零細の小売店やその集まりである商店街が、活力を失い衰退してしまい、なお衰退進行形なのは、不平、不満、障害は山ほどあろうとも「消費者本位」の物差しで見てやらねばならない事は、どんなことをしても実行していくという「強制力」に欠けるところがあることも一因であろう。
 望んでいるわけでもない元旦営業をしながら、思い感じたことを書いてみた次第である。
現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
cosmoloop.22k@nifty.com
■みんなでともそう生き残りの灯 39 ■2011年12月27日 火曜日 13時58分16秒

知らないうちに「希望の灯」になる

 新年明けましておめでとうございます。
 昨年はこの国がゆれた一年でした。直接的な地の揺れはもとよりですが、安全とか安心とかの基盤になっている考え方自体が揺らいだように思われます。それまでは政府というものは、いくらかの手抜かりはあったとしても根っこのところで信頼に足るものだという風に信じてきましたが、そうではなくてかなりいい加減というか、平時なれというか、そういうことが明らかになってしまった訳で、その事は全く残念なことです。ただ人心も少し筒、安定を取り戻しつつあり、年明けという伏目を切っ掛けに陰の極から反転し、万事に陽の勢いが生まれることを願わずにはいられません。
 最近「貴方は誰かの希望です」というコピーを眼にしましたが、とても印象に残っています。{宗教団体のこう国の一部ですが、私はその団体とは無関係です。念の為}。
 売上げの低迷やら、借金苦やらでつい考え込んでしまうことは日常茶飯です。それでも、店を開け一日一日が場って仕事をしていること、それだけで多分同様の悩みを抱えている人から見ルト、くじけそうになる気持ちの踏ん張りになっていることがありますよ、そういう意味合いだろうと理解しましたが、自分自身を外側から見てみると、案外愁眉を開くことがあるかもしれません。
 ボランティアに精を出したり、義援金を送ったりするわけでもないけれど、普通に真面目に商売に励むことが、誰かの希望になっているとしたら、それはそれでとてもいいことだと思います。
 「生き残ろうとする灯」それが気づかないうちに「希望の灯」になっているということでしょうか。
 一年が始まります。ジュエリー業界も時計業界も、その展望は不透明ですが、社会に向けて少しでも明るい話題がこの業界から発信され、業界全体が潤うことを願って、年頭の挨拶とさせていただきます。
(現場の目線で考えるコスモループ代表 林田信久
cosmoloop.22k@nifty.com)
■みんなでともそう生き残りの灯 38 ■2011年12月8日 木曜日 15時18分51秒

日々雑感  店じまいという選択肢

ギリシャ危機が飛び火してイタリア、スペインの国債の利回りが上昇している。欧州は今、てんやわんやの大騒ぎだが、対岸の火事で高みの見物とはこの国もいかないだろう。
 実際の話、日本国債が暴落したらどんなことが起こるのだろうか。新聞記事の拾い読み程度をベースにした仮定話だが、考えてみたい。
 GDP比200%という先進国最悪の国債残高があるにもかかわらず、国債価格が低位安定しているのは、その大半を国内金融機関で消化しているからであるとはよく言われる事である。日本国債のこの強みが暴落の場合逆目に出て、国内金融機関は多額の損失を被る。貸しはがし、貸し渋りはもとより
経営自体が怪しくなり、一部では取り付け騒ぎも起きる。預金は1千万円までしか保護されないから、国債価格が
下がり始めると、預金の流失が起こる。
 金融機関の経営悪化に伴う融資減は、企業倒産を生み、その流れは止まらなくなる。国内の金融機関による国債の消化が難しくなると、益々国債の価格は下がる。外国為替相場では円が売られる。円安は、輸出産業にプラスに働くが程度を超えた円安は、石油、天然ガスといったエネルギー原料の価格高騰をもたらし、この点からも企業収益が圧迫され、失業、倒産が増加する。物価の高騰が年金生活者をはじめ一般人の生活を直撃する。公共事業による景気浮揚策も制限される。
 現在のギリシャ、イタリア、スペインを見れば分かるように、市場は政府に容赦なく厳しい財政再建策を強要する。年金の減額、医療費の自己負担分の増加、増税、公務員の削減、公共サービスの低下などなど。もしも歳入に見合った歳出を否応なくなく強制されれば、どれほどの負担を国民が負うか見当が付かない。消費税30%も現実となってくる。
 この国では、1,000兆円にも上る国債残高がありながら、なお年々40〜50兆円の国債を発行し続けている。単純に計算しても10年後には、1,500兆円になる。今のままなら今後10年の間のどこかで、日本経済には極端なことが起きるかも知れない。いやもう目の前に来ている、と民主党税制調査会会長の藤井裕久氏は最近の講演で指摘したが、さてどうだろうか。
 家族を守り、自らを守るためにそろそろ「店じまい」の準備をするのも賢明かもしれないが、いやいや商売を続けて、少しでも日銭が入った方がベターなのかも知れない。世界経済の動きなど零細商店には無縁と思っていたが、どうやらそうもいかなくなってきたこの頃である。(現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
cosmoloop.22k@nifty.com)
■みんなでともそう生き残りの灯 37 ■2011年11月16日 水曜日 15時44分20秒

基本ということ

 今年の日本シリーズは、セ、リーグの覇者とパ、リーグの覇者の決戦となった。日本一を賭けるにふさわしい組み合わせで、好勝負が期待できそうだ。落合野球に声援を送ってきた我が身としては、監督に有終の美を飾ってもらいたいのだが、勝利の女神は、どちらに味方するのだろうか。
 私自身、長年のプロ野球ファンで、ひいきチームの勝ち負けだけでなく、野球を巡るエピソードにも随分と関心をそそられてきた。面白いだけでなく味わい深い話も数多くある。
 二軍戦でのことである。イージーな外野フライをさばいてベンチへ戻ったところ、育成に熱心で知られる監督が、その選手を叱り飛ばした。「日頃から、フライの捕球のときは、必ず両手取りしろ。片手取りはするなと言ってるだろう。なぜ守らないんだ」。見過ごしても構わないようなワンプレーではあるが、そのときの監督の剣幕は、物凄いものがあったと書かれていた。
 当の選手が監督の叱正をどう受け止めたか分からないが、これからは言われた通りにしよう程度の次元で理解したら、この選手は伸びない。外野フライを片手を添えて両手で取るという「基本」を、体の奥の奥まで染み込ませること、無意識でも自然と両手取りしてしまうまで体に覚えこませること。その為の訓練こそ二軍でやるべきことだからである。「基本」を身に着けるには、どれほどの反復練習が必要なのか、そういう問題意識を自らに課して取り組んでこそ一軍にいける権利を得られるのである。監督の剣幕を解釈すればこういう事になろうか。
 今年のヤクルトと中日の最終盤の死闘を見ていると、ワンプレーワンプレーが勝負に直結するしびれる試合の連続であった。一つのミスが命取りになる緊張状態の中では、基本に忠実な安定感のあるプレーをする選手を監督が使うのは当然のことである。プロ野球で飯を食うとはそういうことであろう。
 以前にも触れたが、「初歩」と「基本」は違う。「基本」は物事の核心とも言うべきものである。売り上げが低迷したら、展示であれ、接客であれ、販促であれ「基本」から考え直してみることだ。「基本」がしっかりしていれば、いずれ浮上していくのではなかろうか。
 今日もまた私の仕事机の横でパートのお嬢さんが電池交換をしている。「そうじゃないでしょ、三つ折鎖バンドは、そのままで裏蓋を開けるのではなくて、ピンを外してから取り掛かるように言ったではないですか。簡単だからといって無精しちゃダメですよ」。
 基本を身に付けるのは難しいが、基本の大切さを伝えるのはさらに難しい。
■みんなでともそう生き残りの灯36 ■2011年11月16日 水曜日 15時42分44秒

変化する接客

 今年初め国際宝飾展(IJT)の接客セミナー会場を覗いて見たらほぼ満席であった。接客力の向上は、売上げに大いに関係してくるだけに宝飾店にとっては、見逃せないテーマだったのだろう。
 接客というのは、物ではなく人という最も難しいものを扱うだけに基本の徹底が何よりも要求される分野である。それだけではなく、接客のスタイルも少しづつだが確実に変わってきている。善し悪しは別としてではあるが。
 我々が物を買ったりサービスを受けたりする際に対応される接客というものから最近はあまり不快感を受けなくなっている。コンビニであれ、スパーであれ電話口に出るコンピューター会社の対応であれ、また携帯電話会社の受付窓口の対応でも同様である。
 無愛想の典型のようなJR東海道線の車掌(中高年男性が主だが)の対応も、一昔から様変わりしている。接客がマニュアル化され、徹底しているという見方も出来るが、それを可能にしているのはお客様アンケートに見られるチェック機能だろう。
 モデルになる接客のスタイルがまずあって、そこから外れる部分を修正させるか、その人自身を接客業務から外すということで、同質の接客レベルを確保していると考えられる。
 人に満足感、快感を与える事よりも不快感を与えない事に重きを置いているということであろう。  
 専門店であっても、一人一人の個性というものが出にくくなって、誰から買っても同じ笑顔、同じ挨拶、同じ角度のお辞儀と相対する事になる。善し悪しはともかく、こういう接客の流れの中で、中小零細な個人のお店はどう対応したらいいのだろう。
 外部から接客トレーナーを呼んでの積極的な接客教育に継続的に取り組んでいるお店は例外にしても、大半の店は社会常識の範囲の対応なら良しとしているのが現状であろう。少人数の固定したメンバーのお店に、接客チェックを不用意に行なえば、人間関係までおかしくなってしまう。言葉足らずで無愛想で、加えて横柄、店主の接客対応こそ、まずは改善って十分ありえる話である。
 生き残りをかけるなら、まずは自店の接客を見直し、挨拶など基本に立ち返ることだが、それと同時にかなわない部分はかなわないと認めて、その不利を埋め合わせる何かを見出していくことの方が生産的かもしれない。
 商品の流行は変化し、人の生活スタイルも変化し、接客のあり方も変化していく。「新しい接客」と「古い接客」そういう観点からの状況の捉え方も、店のあり方を考えていく上では必要なことではあるまいか。
(現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
cosmoloop.22k@nifty.com)
■JOW-JAPANへ ■2011年10月14日 金曜日 14時59分37秒

腕時計の磁気帯びについて、正確な解説文書を

 いま小売店では、磁気による影響で時計が狂うということについて、その対応に苦労している現状がある。水、湿気といった目に見えるものと違って、磁気による狂いというのは、お客さんに説明するのが難しい。磁気によるものか否かの見極めもまた難しい。同時に、メーカーによる磁気についての説明も通り一遍で、磁気製品を羅列して消費者に注意を促す程度にとどまっている。
 この磁気と時計の関係について理解しておかなければならないことが数多くあるように思われるが、業者向きにきちんと書かれたものがない。小売店それぞれで、磁気の理解にバラツキがある事は好ましいことではなく、消費者に不信感を生むだろう。
 いくつかの例をあげてみる。腕時計が磁気と接触すると、時計内部に磁気が残ることがある(残留磁気)。この残留磁気は、クオーツの場合そのままにしておいても、その後の時計の運針に影響が出ないと言う説明と時計に狂いが出るという説明を受けた。どちらもメーカー関係者、時計技術者の話である。どちらの説明が正しいのであろうか。もしも影響が出ないのなら、お客さんから磁気抜きのための修理を受ける必要はなく、時間だけ合わせてあげればよい事になる。
 では残留磁気のある時計が、更に新たな磁気と接触すると増幅作用が働いて、余計に時計は狂いやすくなるだろうか、よく解らない。
 セイコーやシチズンでは、磁気から時計を保護する耐磁機能をつけているが、仕組は裏蓋に薄い純鉄を張って、磁気をこの純鉄に逃がすとの事である。磁気をシャトアウトするのではなく、裏蓋の鉄板に逃がすと言うのは、その鉄板は磁気を帯びることになるのだろうか。すると耐磁機能の時計は、結果として残留磁気を溜め込むシステムだろうか。
 私の店で依頼している時計修理担当者から、強い磁気によって回路が傷んだのでは、回路交換をしましたと言う報告を時々受ける。時計の回路というパーツは、磁気によって壊れるものだろうか。
 磁気を帯びた時計の磁気抜きについても、分解掃除をしないと抜けないと言う説明もあれば、磁気抜きだけで可能という説明もある。
 時計と磁気の関係は、理論的な問題だから簡単に答えは出るはずであるが、現状はそうなっていない。諸説あるのである。
 是非JOW-JAPANには、メーカーの協力の下に磁気と時計の関係についての解りやすい業者向け解説文書を作ってもらいたい。
現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信久
COSMOLOOP.22k@nifty.com
■時計修理をかんがえる ■2011年10月3日 月曜日 16時8分0秒

 私の店でこんな事があった。
春先に舶来の紳士物手巻き時計の分解修理を預かった。かなりの年代物だったが、特別問題もなく、通常の分解修理で対応してお客さんに渡したのだが、夏場になってガラスが曇る、遅れるという苦情がきた。時計内部の乾燥と時間調整をして使ってもらう事にしたが、その後も状態の改善が見られないということで、再三の預かりの後料金の全額返金ということで落着した。
 このような例はまれなので、問題視するほどのことではないのだが、ただこの事例には、現状の「時計修理」というものをかんがえさせるいくつかの要点というものがあるように思える。
 その一つは、時計修理を受けるときにお客さんに伝えなくてはならないリスク情報があるということである。今回の件でいえば、「古い時計はケース自体の傷みが進んでいるから、夏場の使用は無理かも知れませんよ」。「機械の劣化状態によっては、時間調整に限界があるかも知れませんよ」、「2,3年たったらまた同じ位の費用がかかる修理が必要になるかも知れませんよ」といった事である。
 これらのリスク情報をきちんと伝えていれば、苦情は防げたであろうという意味で反省点の一つではある。
 一方で、リスク情報を強調してしまうと修理を取りやめる場合が多くなり、商売としては誠実だが収益源に繋がる。それでも小売店は修理だけが売上げの全てではないが、実際に仕事を手がける時計職人なり修理会社にとっては、そう簡単に割り切れる話ではあるまい。修理の完成後に、たとえば非防水時計として使用して欲しい等のコメントはつけるだろうが、修理前にそういう制約があるが修理しますかという事は、なかなかいい辛いのではないだろうか。そこに苦情の種があるにしてもである。
 今ひとつ指摘しておきたいのは、個人で修理を請け負っている人を除いて、メーカーの修理センターも修理会社も、小売店の引き受け手である私と修理を実際に行なった職人さんと直接話が出来ないようになっているという現実がある。だから今回のように再三の再修理にもかかわらず、相手方の窓口対応の人との間接話法になってしまって、この時計の実際がどうでどう直したかが、今ひとつはっきりしない。すると対お客さん説明も当然、曖昧になるわけで、結果として不信感だけが膨らんでいってしまう事になる。
 時計の修理というのは難しい。それは、技術のレベル云々というよりもお客さんにとって「時計が直った」ということと、技術者がいう「時計を直した」ということの間に埋まるようで埋まらない溝があって、それは多分に引き受ける側の利害が絡むからだろうと思われる。
 今回の事例を基に、改めて時計の修理を引き受けることについて、少し考えてみた次第である。
(現場の目線で考える
コスモループ代表 林田信之
cosmoloop.22k@nifty.com)
■買取り狂騒曲の落とし穴 ■2011年9月20日 火曜日 15時29分5秒

 8月後半から金相場が高騰し、それに伴って銀座タナカへ金の売却に殺到する人たちの行列がTVで放映されてから、まさに買取り狂騒曲ともいうべき事態が全国で始まった。一時は御徒町の最終買取り会社が、あまりの買取り貴金属の多さに資金不足に陥り、店を閉めるという異常なことが起きたのである。
 金価格の上昇は、世界経済の通貨不信、とりわけドルへの不信に根ざし簡単には解消されないという解説記事を読むと、当面は現状のような貴金属売却の流れは続くかもしれない。
 買取り依頼のお客さんを観察していると、今売らなければといった切羽詰まった感じ、熱に浮かされたような感じ、浮き足立った感じがみて取れる。TVを含めたマスメディアの影響力のすごさであろう。またジュエリーは、女性客が主なので、女性特有の心理も、この騒動を増幅させているのかも知れない。冷静に現在の円高を見れば、買うという逆方向の投資活動も有り得ると思うが、そういうお客さんは皆無に近い。
 お客さんが熱に浮かされたような状態で思い出すのは、カシオのGショック・フィーバーで、この時も店頭に朝から行列が出来、商品の奪い合いが起きたのである。入荷したGショックが、瞬間蒸発のごとく売れていったが、商品機能を丁寧に説明するなどの接客は全く不要な状態で、それはそれで異常な状態であった。程なくブームが去ると、商品の動きはピタリと止まり、売り場は在庫の山になった。このような異常な流れには、必ず異常な反動があるというのがその時の教訓であった。
 今回の買取りフィーバーを「千載一遇」のチャンスと捉えて、小売店が積極的に関与していくのは、個々の経営判断の問題だが、例えばダイヤモンドのL,D,H(レザードリルホール)処理など、落とし穴は幾らでもある。またこういうときは、自店の客層とは別の様々な人たちが集まってくるわけで、対応を慎重にしないと思わぬトラブルに巻き込まれないとも限らない。
 が最も気をつけなければならないのは、リング一つ、ネックレス一本をきちんと売っていくという日々の当たり前の仕事が雑にならないように心がけることだろう。展示方法、プライス設定、接客などなど今ジュエリーを売っていくのは、大変な工夫がいる。がその工夫こそが、宝飾店の基本力を高めていく事は間違いない。
 買取りの狂騒がさめてみたら、自店の売り場が荒れて販売力を失っていたというのが、恐らく最悪な落とし穴だろう・・・。
(現場の目線で考える:コスモグループ代表 林田信久)
cosmoloop.22k@nifty.com
■明るい話題が業界を救う ■2011年9月20日 火曜日 15時22分12秒

再考 御徒町にジュエリー神社を

 我が宝飾業界というのは、不祥事の種が沢山ころがっている。放っておくと種は目を出し、芽は成長してついには花が咲いてしまう。
 昨年のダイヤモンドカラーグレーディングのかさ上げ問題は、その典型で、結局その後始末に多くのエネルギーが費やされ、業界全体がイメージダウンからの回復という守りのスタンスを強いられてきた。だが業界が浮揚していくには、やはり明るい話題作りで攻めの情報発信をしないと消費者に振り向いてもらえないだろう。
 私の年初の挨拶の中で、「御徒町にジュエリー神社を」作ってみたらどうかと提案したが、改めて考えてみたい。
 この業界には、胸というか中心がない。御徒町が宝飾の街というのは、ある程度認知されているのだから、この街の一角にジュエリー神社を作れば、ジュエリータウンとしてのイメージがはっきりする。最初から本格的なものを創るのではなく、空き店舗を利用して神社のように飾り立ててみればよいと思う。
 話題になるほどの水晶玉でも、ダイヤモンドでも展示しておけば、とりあえず行ってみようという見物客はいるわけで、場合によってはTVのワイドショーにも取り上げて貰えるかも知れない。秋葉原は今活気を取り戻しつつあり、その流れに乗って御徒町にも人を呼び、ジュエリーに少しでも関心を持ってもらう事は、業界全体の活性化の一助になると思える。
 ただすべからく「仏を作って魂入れず」では逆効果になるわけで、いつ行っても小奇麗で新鮮さを保つように、神社の運営管理をしっかりとし、誰でも楽しんでもらえる「お立ち寄りスポット」として打ち出せば面白いのではないか。来年には、東京スカイツリー見物の観光客も見込まれる事を考えれば、その人たちに御徒町に来てもらう切っ掛けにはなるだろう。
 また、業界の側から見ても「神社」というツールは、いかようにも幅広く使えるので、ジュエリーイベントにも、情報発信基地としても、利用できるものではないか。
 JJAは近じか「絆」ジュエリーを仕掛けるわけだが、それもこの「神社」を絡めれば発信力は倍増するだろう。
 きらびやかで美しい神社なら、自然と人は寄ってくると思える。予算組みや運営主体の問題など、実現には課題は多いが、長い目で見て業界全体の活性化を考えるならば、JJAを中心に業界あげて取り組んでもいいのではないか。
(現場の目線で考えるコスモループ代表 林田信久:cosmoloop.22k@nifty.com)
■JJA新執行部への注文 ■2011年9月20日 火曜日 15時20分14秒

役員経歴の情報開示を

 JJAレポート82号(2011年6月)に、JJAの新しい役員人事と退任した役員の名簿が掲載されている。この名簿の入れ替わりを見てなんの感想ももてないのは、役員一人一人の経歴が全く記載されていないからで、これでは
公的な団体運営の常識を疑わざるを得ない。
 少なくとも各人の年齢、性別、出身母体の会社内での肩書き、当該会社の業種(卸、小売なのか、その外)内容(主な扱い品目)程度は、公開するのが筋というものである。そのことで、今回は小売り出身の役員が前より増えたとか、平均年齢が上がった下がった、女性の役員が多くなった少なくなった、ということから執行部の性格というものを外側から理解するわけで、まったく無記載というのは実に珍しい。
 新役員の「エム・エヌ・アラウディーン」という人、男性、女性?どこの国の人?どんな商売をしているの?ぜんぜん分かりません。この異国の人が、役員として何を担当するのだろう。梶光夫氏って、あのジュエリーデザイナーの梶氏のことだろうけれど、世間は広い、同姓同名全くの別人かもしれない。
 堀会長は、今回役員数を50名から30名に絞って、コミュニケーションを明確にすると述べているが、数はともかく、その絞込みの基準はあるのだろうか。例えば小売り出身の役員を増やすことで、消費者の動向をより的確に把握したいというような意図があってか、否かというような類の基準である。
そういう事は、きちんと説明していただきたい。
 仮に小売り出身の役員がいたとしても、年商規模が10億〜20億円規模のチェーンを束ねる社長クラスなら、そういう商売の発想をするだろうが、では年商にして5,000万円にも満たない宝飾業界の過半数を占める中小零細小売店の声を、JJAはどう吸い上げていくのか、そういうことを見るためにも、役員の経歴というのは、大事なものなのである。
 たぶんJJAは、そういうことには無頓着なのだと思う。今世間を騒がしている「原子力村」と同じく「宝飾村」があって、主だった会社の面々は互いに旧知の関係で語るほどもないということかも知れない。街の商店街の役員感覚で会費を集めるのではなく、公金を集めて運営している全国規模の団体である以上、会員に知らせなくてはならない基本的な人事情報はあるわけで、それを怠っていいという理屈は通らないだろう。
 市場規模8,000億円の宝飾業界の全体をリードしていくべき位置にある協会なのだから、改めてきちんとした役員情報を出して頂きたい。(現場の目線で考える・コスモ ループ代表 林田信久)
■みんなでともそう生き残りの灯 30 ■2011年8月2日 火曜日 10時26分40秒

私見 ブランドビジネス考

 「あたらしいブランドが出来ましたので、ご紹介にうかがいました」。こういう挨拶で、卸商が持参する商品群は確かに一定の視点で括られているわけだが、果てブランドと呼ぶべきものか。「今後の小売店のありかたは、店自体をブランドかしていくことです」、そのこと自体は問題ではないが、言うほど一朝一夕に出来るものか。
 ブランドとは何か、そのこと自体について議論のたたき台ぐらいにしかならないつもりで、触れてみたい。(スーパーブランドを念頭において)
 多分「ブランド」の核心というのは、そのデザインにあると思える。一目見て誰からも「あのブランド」と分かるほどの、個性的で斬新な時には奇抜ともいえるデザイン。品質も一流のレベルである事は間違いないが、デザインへのこだわりこそが全てといっていい。だから「ブランド品」というのは、そのブランドへの熱狂的とも言うべき信奉者、そのデザインがピタリと似合う一部の人々がいる一方で、そのブランドのデザイン感性を全く受け付けない人々もいるという事になる。言い方をかえれば、デザインが人を選ぶ事になろうか。そこにデザインという表現の生命力を見ることが出来る訳で、知的財産権の保護という話にも通じていく。
 日本時計輸入協会が発行している「時計ブランド年鑑」を見ると、どのブランドもデザインのオリジナリティを主張していて、他のブランドに似せるという感覚がない。要するにありふれてないのだ。商売になろうがなるまいが、これが俺のデザインだ。気に入た奴に買ってもらえればそれでいい、そういうスピリットが伝わってくる。
 確かにヴィトンのバッグがどれほど人気になろうと、グッチやエルメスがロゴだけ変えたパクリ商品を出す話は聞いたことがない。(当たり前だが・・とはいえ日本では逆が当たり前だが)
 もうひとつ「ブランドメーカー」は、ブランドイメージの維持に莫大なコストをかけていることである。このブランドを身につけることが、憧れであり誇らしいことであると消費者に思わせるようにである。店舗立地、店内装飾、接客応対、パッケージ、広告宣伝、モノが売られていく上での全ての契機が、ブランド力の維持向上という一本の横糸に貫かれている。だから消費者に寄り添うのではなく、イメージという魔力に磨きをかけて消費者をブランドのもとに、ひれ伏すように仕掛けているわけである。
 こう見てくると「ブランド」というのは、個性溢れるデザインにこだわり、トータルとしてのブランドイメージを大切にし、そのブランド支持者の創出に腐心している姿が見えてくる。このことがブランドビジネスの原点とも言うべきものだと思える。が「ブランド」という言葉を、どう理解しようと自由ではあるから、冒頭に触れたような事例が日常的にみられるが、そういう言葉の使用方法からビジネスの成功話が生まれるとはとても思えない。
(現場の目線で考えるコスモループ代表 林田信久:cosmoloop.22k@nifty.com)
■みんなでともそう生き残りの灯 29 ■2011年7月14日 木曜日 13時11分8秒

リフォームビジネスは割に合うか

 苦戦がつづく宝飾業界の中で、リフォームの需要は底堅いという話をよく聞く。貴金属の買取りと並んで、リフォームは小売店にとってまさに「干天の慈雨」と感じられているかもしれない。一方で積極的に乗り出すには、そのリスクを考えると二の足を踏んでいる小売店も多いだろうと思える。改めてリフォームのリスクについて触れてみたい。
 預かり物全般に言えることだが、リスクは人的リスクと物的リスクに分けられる。例えば預かった色石が、枠を外したら爪止めのところに欠けがあった。リングの石をペンダントに加工し直したら光線の加減で隠れていたクラックがハッキリしてしまった。デザイン画どおりに作ったが、画の雰囲気が生かされていないなど、ジュエリーの場合あげればきりがないほどの物的リスクがある。
 人的リスクというのは、依頼する消費者の中には非常に猜疑心の強い人がいて、要望通りだったとしても、このサフアイアは私のものと違う気がする。もっと色が濃かったはずなどと、言い出す場合が一例である。JJAレポートでも触れているが「石をすり替えられるかもしれない」という懸念を持っている消費者は随分いると思う。
 またリフォームを引き受ける店の側でも、スタッフが基本的な確認事項を怠ったり、加工する業者とのやり取りに店の意図が間違って伝わったりして出来上がりに不備が生じることがある。こういう人的リスクもジュエリーの場合大きな損失につながりかねない。
 リフォームの場合、手がけた以上元に戻せないというリスクもあるので、仮に何らかの解決がなされたとしても、消費者、小売り双方に不満の残る後味の悪さもある。こう見てくると「リフォームビジネスは割に合うか」という疑問が出てくる。
 今までは個店対応しだいだったリスク対応に、業界全体の取り組みが最近始まった。「日本リ・ジュエリー協議会」が設立され、リモデルカウンセラーの資格検定制度を導入し、受託者賠償保険も誕生した。消費者保護の観点から見れば、こういう動きは勿論好ましいことで、直接の引き受け手である小売店も、リスク軽減の環境整備が整いつつあると感じられるだろう。しかし現場にいて思う事は、リフォームがうまくいってお客さんに喜ばれるために必要な事は、多分一人のお客さんに十分な時間をとってこまかいところまで話を詰めていくという基本的なことではないだろうか。この“十分な時間”の中でお客さんのジュエリーへの思いを聞き、作り変えのさいの懸念、不安を和らげることが最良のリスク管理といえる。
 リフォームという仕事は、貴金属の買取よりははるかに難しく、需要があるということで安易に手がけられないだけでなく、人の見極め、物の見極めを含め宝飾店のトータルとしての力量が問われる事は間違いない。割りに合うかと問われれば、合わないかもしれないといいたいところだが、そういった計算を超えてリフォーム本来の意味である石を生かし直すという仕事に意義ややりがいを感じるなら、挑戦する価値は十分にあるだろう。(現場の目線で考えるコスモループ代表 林田信久:cosmoloop.22k@nifty.com)
■みんなでともそう生き残りの灯 28 ■2011年7月6日 水曜日 14時55分6秒

舶来時計雑感 

いわゆる町の時計店というのは、主にセイコーやシチズンの製品を長年取り扱ってきて今も世の中の変化ほどには変わっていないだろうと思う。だから時計取扱いでの商慣習というものも国産メーカーとの間の事が自然と基準になっているので、舶来時計の扱いでは戸惑うことがしばしばある。とりわけメンテナンス分野では著しい。
 たとえば保証書 国産メーカーでは束で送られてくるが、舶来時計では一点につき一枚で、書き損じでもしたり、キヤンセルにでもなると対応に困る。化粧箱についても同様である。
 メーカー送りの修理品の場合、セイコー、シチズンともに小売店の立場も消費者の言い分も配慮して臨機応変の対応をしてくれるが、舶来時計では紋切り型の自社基準どおりの対処が圧倒的に多い。そういう修理でなければ受け付けませんという姿勢に面すると、その頑なさにいらだちを感じるが、たぶんそういう経験を誰もが一度はしているのではなかろうか。自店で扱っているわけではないが、お客さんサービスのひとつとしてブランド品のメーカー修理を引き受けても、修理利益はゼロで送料持ち出しの事例はいくらでもある。時計文化の違い、大衆品と高級品の違い、一つ一つの製品、ブランドへのこだわりの違いと理屈はつけられるが、たぶん名の通った舶来メーカーやスーパーブラントでは、電池交換一つとっても町の時計屋さんに扱ってほしくないというのが本音ではなかろうか。
 あるスーパーブランドに修理品を送ろうとしたら小売店からの受け付けはしない。ユーザーには特約店に持ち込むようにとの返事であった。特約店がどの町にもあるわけではなし、消費者本位の視点からみると随分と身勝手な対応である。輸入時計には国産にはない夢があってもいいとは思うが、[郷に入って郷に従う]ということわざもあるとおり、その国の商慣習を無視したがごとき在り様ではいずれ静かなる客離れが起きるのではないか
 気位が高いということは結構なことだ。それならそれで首尾一貫して、並行輸入品という安売り垂れ流しもやめたらいいのでないか、そちらのほうはほうかむりの算術優先では、舶来時計のプライドが泣くというものだ。
 それにしても常々知りたいと思っていることに、いったい海外とりわけヨーロツパでは一般大衆はどんな時計を使っているのだろうというのがある。皆が皆オメガやロンジンのような高級時計をやっているわけではないだろう。時計店というのは日本と同じように小さな商店としてあるのだろうか。ディスカウンターによる時計販売は主流だろうか。修理はどのように対応されているのだろうか。保証の期間は一年だろうか。保証書は発行されているのだろうか。セイコーやシチズンの時計は高級品扱いなのだろうか。新製品発表にみる華やかな話題やブランド品についてのなにがしの文章はよく目にするが、普通の人々の暮らしの中の時計というものの在り様についてきちんとしたレポートがない。それらを知ることが、すぐに業界の発展に寄与するわけではないが、自分たちの商慣習の基準値を見直してみるという意味では、けっして無駄ではないよう思える。
(現場の目線で考える コスモループ代表林田信久)cosmoloop.22k@nifty.com
■職場の風通し    ■2011年6月16日 木曜日 16時15分4秒

社員とパートどこが違うの

 小さな会社では人を使うということは、なかなか難しい問題をかかえこむものである。
景気がよかったころの話だが、私が店長で数人のパートさんで店をまわしていたのだが、若い女性社員を一人雇うことになった。彼女には当然の事ながらフルタイムで働いてもらったのだが、その労働時間の長さを除くと仕事内容はパートも社員もほとんど差がないのである。
電池交換もバンドの取り付けも接客もまた簡単な仕入れもパートさんはこなしていたから、改めて社員でなければならない仕事というものがないのである。当時は営業時間が延びていた時期だったので、社員の女性も退社時間が夜8時〜9時になったのだが、パートさんは契約時間どおりの退社であった。「わたしもフルタイムのパートで働きたい、それなら時間通り早めに退社できる」とその社員の女性から申し出られて困ったことがあった。 
社員だけ、あるいはパートだけで職場が構成されていればともかく、社員とパートが組み合わせられている場合にはまず雇用する側が、その辺の区分について明確な理解をしておかないと、社員、パート双方に不満がたまり職場のコミュニケーションが十分でなくなる恐れがある。 
業種によっては誰の目にも分かる形で仕事内容が区別されているだろうが、時計や宝飾品を扱う小売店の売り場ではどうだろうか。
 社員の仕事を補佐するのがパート、フルタイムではなく短時間働くのがパート、いろいろな定義をかんがえてみたがしっくりこない ベテランになると社員並みの仕事をするひともいるし、一日8時間労働のパートさんもいる。 社員を減らしてパートでやり繰りしたいと思っている経営者も、そういう試みをしたがうまくいかなくてまた社員を雇いなおした経営者も、似たようなことで悩んでいないだろうか
 考え考えしながら私なりにたどり着いた結論は、法律論は別にして次のようなものである。この日本という国においてはという限定つきではあるが。
社員というのは、その人の生活の中心に「仕事」がある人のことである。休日出勤もあれば、残業もある。泊りがけの出張もあれば転勤も会社によってはある。プライベートの時空間が仕事の都合で突然の変更を強いられることもありえる。体調不良で欠勤することも基本的には認められていない。そうならないように健康管理が求められるのである。それに対してパートというのは、その人の生活の中心が今働いてる「仕事」「職場」以外のところにある人のことである。たとえば主婦ならば「家庭」である。その家庭の仕事の空いた時間、やり繰りしてできた時間を利用して働きに出るから、時間の一部という意味でパートなのである。子供が熱を出したり、同居のお年寄りが具合が悪くなったなどで急に休むことがあってもそれはやむをえないことなのである。「中心」である家庭の事情が優先されるのである。
 なまじの社員より有能なパートはいる。「うちで社員で働かない」そう声をかけたくなるのだが,雇う側も雇われる側もそれは中心というものの本質的な変化であることをよく自覚したうえでないと、職場に混乱だけが残る結果となりかねないのである。(現場の目線で考える コスモループ代表 林田 信久cosmoloop.22k@nifty.com)
■職場の風通し    ■2011年6月1日 水曜日 13時13分7秒

社員とパートどこが違うの

 小さな会社では人を使うということは、なかなか難しい問題をかかえこむものである。
景気がよかったころの話だが、私が店長で数人のパートさんで店をまわしていたのだが、若い女性社員を一人雇うことになった。彼女には当然の事ながらフルタイムで働いてもらったのだが、その労働時間の長さを除くと仕事内容はパートも社員もほとんど差がないのである。
電池交換もバンドの取り付けも接客もまた簡単な仕入れもパートさんはこなしていたから、改めて社員でなければならない仕事というものがないのである。当時は営業時間が延びていた時期だったので、社員の女性も退社時間が夜8時〜9時になったのだが、パートさんは契約時間どおりの退社であった。「わたしもフルタイムのパートで働きたい、それなら時間通り早めに退社できる」とその社員の女性から申し出られて困ったことがあった。 
社員だけ、あるいはパートだけで職場が構成されていればともかく、社員とパートが組み合わせられている場合にはまず雇用する側が、その辺の区分について明確な理解をしておかないと、社員、パート双方に不満がたまり職場のコミュニケーションが十分でなくなる恐れがある。 
業種によっては誰の目にも分かる形で仕事内容が区別されているだろうが、時計や宝飾品を扱う小売店の売り場ではどうだろうか。
 社員の仕事を補佐するのがパート、フルタイムではなく短時間働くのがパート、いろいろな定義をかんがえてみたがしっくりこない ベテランになると社員並みの仕事をするひともいるし、一日8時間労働のパートさんもいる。 社員を減らしてパートでやり繰りしたいと思っている経営者も、そういう試みをしたがうまくいかなくてまた社員を雇いなおした経営者も、似たようなことで悩んでいないだろうか
 考え考えしながら私なりにたどり着いた結論は、法律論は別にして次のようなものである。この日本という国においてはという限定つきではあるが。
社員というのは、その人の生活の中心に「仕事」がある人のことである。休日出勤もあれば、残業もある。泊りがけの出張もあれば転勤も会社によってはある。プライベートの時空間が仕事の都合で突然の変更を強いられることもありえる。体調不良で欠勤することも基本的には認められていない。そうならないように健康管理が求められるのである。それに対してパートというのは、その人の生活の中心が今働いてる「仕事」「職場」以外のところにある人のことである。たとえば主婦ならば「家庭」である。その家庭の仕事の空いた時間、やり繰りしてできた時間を利用して働きに出るから、時間の一部という意味でパートなのである。子供が熱を出したり、同居のお年寄りが具合が悪くなったなどで急に休むことがあってもそれはやむをえないことなのである。「中心」である家庭の事情が優先されるのである。
 なまじの社員より有能なパートはいる。「うちで社員で働かない」そう声をかけたくなるのだが,雇う側も雇われる側もそれは中心というものの本質的な変化であることをよく自覚したうえでないと、職場に混乱だけが残る結果となりかねないのである。(現場の目線で考える コスモループ代表 林田 信久cosmoloop.22k@nifty.com)
■みんなでともそう生き残りの灯 ■2011年5月17日 火曜日 17時2分26秒

業者催事のプラスとマイナス

小売り宝飾店の倒産が相次いでいる。3月にはリエジェを展開していた「ナカニシ」が、4月には「ジュエリーフォンド」が、そしてつい最近では「銀座審美堂」が経営に行き詰った。
店舗閉鎖などのリストラ策により生き残りを目指したものの販売不振から脱却できなかつたということだが、この販売不振の波は一段と勢いと水位をあげている。
 市場規模が縮小に次ぐ縮小を重ねていくと、宝飾店の経営というのは詰まるところ無借金であること、家賃支払いがゼロに近いこと、金融資産が十分であること、この3条件を満たした    企業のみが生き残ることができるようになるだろう。平たく言えば資産家の趣味的事業に近いものになる。連鎖的な3社の倒産からは見えてくるものは、3,11以降ついにそういう経営環境の一端が現れたのではないかという懸念である。
 そうであるがゆえにというべきか、売上げ維持の即効薬である業者催事について触れてみたい。
売上げ不振に悩む小売りにとって催事は魅力的である。業者チラシや顧客をホテル等に誘う展示即売会は、一定の売り上げは確保できる。恒例化しているとそれを楽しみにしているお客さんもいるだろうが、経営の視点でみると自店の商品が基本的には動かないから、手元に残るのは粗利益から経費を除いた部分である。
催事を行うまでの準備期間の手間暇も経費に繰り入れれば、売上次第では案外赤字ということもありえる。業者による催事はお客さんからみればあたらしい刺激という点で意味あることだが,全体のパイが縮小している現在では一年のうちそのときだけ購入してくれる顧客も少なくないと思われる。すると自分の顧客を業者に紹介しているだけで、結局自分の首を自分の経費を使って締めているという見方も成り立つ。また催事商品が、割高であったり品質的にも説得的でなかったりということもかんがえなければならない。
 これが自分の在庫を売るためのイベントであれば仮に少々の赤字であっても売上金には自店が投下した金額すべてが含まれるわけだから、資金繰り的に楽になり、なおかつ新しい商品に切り替えができるのである。
誤解されると困るが、業者イベントを否定しているわけではない。私の店でも利用しているがこの大不況下その功罪についてはよく理解をしておかねばならない。
 と同時に自分の目を信じて格安に仕入して自らの工夫で売るという商売の基本が、十分な利益と店の活性化と経営の改善をもたらすことは自明の理である。もちろん言うは易しではあるが、その原点に返ってのいわば開き直りからしか小売店の展望は開けないようにおもえる。 
冒頭でもふれたが大半の宝飾小売にとって、行くも大困難、退くも大困難の時代がはじまっているのである。
(現場の目線で考える コスモループ代表 林田 信久)
cosmoloop.22k@nifty.com
■宝飾品店頭在庫を見直してみよう ■2011年5月10日 火曜日 13時0分14秒

自己主張する品揃えを

1990年前後をピークとしてこの国の宝飾市場規模は、現在にいたるまでほぼ一貫して縮小しつづけている。今回の震災は更なる市場規模の縮小をもたらすだろうし、回復への道のりもけっして楽観視できない。この流れに比例して小売店の店頭在庫も、大半では減少しつづけていると思われる。それは市場規模縮小にあわせて意識的に在庫減に取り組むというよりは、売上の減少が資金繰りを圧迫し、その経営的必然として在庫減の状態になったといってよい。売り減らし、売り食いの類である。10の仕入れすべきところを8、 8の仕入れのところを6といった具合で在庫が減っていくのである。在庫の減少は機会損失のリスクをはらんで売上の減少をもたらし、それがまた在庫の減少をもたらすという負のスパイラルになる。推測だがこういった状態はバブル崩壊以降現在でも相も変わらず続いているのではないだろうか、にもかかわらず宝飾小売店が生き残ってこれたのは、業者催事やホテル催事などを活用しての売り上げ確保が寄与したと思われる。業界紙を見渡しても、OO展に多数の入場者、OOホテルのジュエリー展盛況といった記事や「売るための接客、催事」といった即効性の高い記事は目につくが、物を売るうえでの基本的な事柄を確認していくような記事は皆無といってよい。色石を売るための、真珠を売るためのセミナーはあるが例えばジュエリーPOPの作り方、ジュエリー売り場の色調を手早く変えるための教室なんてものは無いのである。またジュエリーの品揃えをしていくうえでの注意すべき問題点とはなにかといった文章にも出会わない。 そういうことへの問題意識が、稀薄な業界なのだろう。
 経営の効率化という視点からいえば、少ない在庫で同等の売り上げが確保できるにこしたことはないが、それはきちんとした在庫の編成ができてのことで、単なる仕入れ抑制では機会損失による売上減を避けることができない。計算された在庫というものは、自店のターゲットカスタマーを明確にしたうえで、中心価格ラインを設定 扱い品目も絞り込み恣意的になりがちな在庫量に歯止めをかけていくことである。
いわば自己主張できる店頭在庫ということである。そうすることで売れ筋、死筋がすこしづつ見えてきて、そこから在庫の効率化という一歩が始まるのである。
これらのことは極めて基本的なことで、靴であれ、化粧品であれ、時計であれ、物販全般に通じることだが、この業界で中心的テーマとしてほとんど論じられないのは、宝飾品特有の商品回転率の低さに起因すると思われる。正味一回転もすれば好いほうではないだろうか(店頭在庫が一年間で一回入れ替わるという意味)。そのため何が売れるか売れないかのデータ分析は効果的ではなく、また消費の変化に合わせて在庫構成を変えるのも資金的困難を伴う。勢い、売っていく手法だけが関心事になるのだが、逆にいえば商品回転率を上げていくための工夫の余地はまだまだあるということだ。
あらためて自店の商品を見渡して、過剰な部分、不足の部分を整理して「主張のある品ぞろえ」をしてみたら、新たな宝飾店のありかたが見えてくるのではないだろうか。(現場の目線で考える宝飾店研究のコスモループ代表 林田信久)
cosmoloop.22k@nifty.com
■「がんばれニッポン」ブレスレット  を業界全体でアピールしては? ■2011年4月18日 月曜日 11時42分49秒

余震もすこしづつ収まり計画停電も中止になってようやく商売の環境が整ってきたと思いきや、自粛ムードが大きな困難の壁になっている。
多数の方が亡くなり被災した人の苦労を思えば自然と生活全体が控えめになるのはやむを得ないにしても、限度を超えるとまさに「ぜいたくは敵」ということになってしまう。花見もダメ、祭りも中止、観光も見合わせでは、それで食べている人も行き詰ってしまう。日本経済のGDPの構成比の    7割弱が第三次産業であることからしても、自粛ムードはなんとかしないといけない。
もちろん宝飾業界にとっては死活問題になりかねない。といって正面からこのムードに異を唱えて声高に「消費、消費」といつても効果的とは思われない。この局面を打開していくには、この流れに沿いながらすこしづつ無理なく消費の活性化へ方向転換するように工夫する必要がある。
わたしなりの提案だが、「がんばれニッポン」の文字を刻印した天然石ブレスレットを売り出したらどうだろう。みんなの支援の心がひとつの輪になるという意味でブレスレットなのだが、小売りは100円分高く仕入れしてその分義援金にまわし、消費者にも100円分高く買ってもらって同じく義援金とする。肝心なことは、自粛ムードの局面の打開が目的だから、個店ではなく業界全体で取り組まなければならない。
たとえば日本ジュエリー協会(JJA)なりJOWJAPANなりが前面に出る形がベターだと思う。そうなればメディアへの発信力も強くなり、宝飾品を購入することへの心理的な抵抗感もなにがしか薄まるのではなかろうか。
 またこの際ジュエリーデザイナーにもひと肌脱いでもらって、洗練されたデザインのものができれば素晴らしい。 また業界全体の意思表示としてのポスターも作ってみたらどうだろう。
今回の震災の支援で、各界の著名な人たちが億単位のお金を出している。それはそれでいいと思うし、売上金全てを義援金にあてるチャリティもいいとおもうが、卸も小売りも利益を得ながらなおかつ義援金が自然と広く浅く集まってくる仕組みを作ることが、消費の活性化と支援の持続を両立させる方策だろうとおもわれる。
 [震災寄付]シールも作ってみたらどうだろう。プライスに貼って売上金の一部が義援金に回るように消費者にアピールするためのものである。こういう仕掛けも個店では、なかなか経費面からむずかしいがJJAやJOWJAPANなら容易ではないだろうか。
 自粛という固まってしまった心理面をうまくときほぐして、消費で支援という風に流れを変えていくために、思いつくことはなんでもやってみることだ
 非常の時である。平時の発想やいずれ考えてみようといった時間感覚ではとても対応しきれるものではない。即断即決 失敗も経験のうちぐらいの胆力でたちむかわないと、自粛の嵐に小売りも卸もなぎ倒されてしまうと懸念している。コスモループ代表  林田 信久)Cosmoloop.22k@nifty.com
■謹んで震災のお見舞いを申しあげます ■2011年3月31日 木曜日 14時19分26秒

中小小売店の今なすべきこととは

大震災の二次災害ともいうべきか [不要不急]の商品の象徴ともいうべき宝飾品の売り上げが急減している。もともと低迷していたこの業界に更なる追い討ちである。どう対処すべきか 中小小売店の立場に立って考えてみよう。
小なりといえども会社である以上、経営者としての在り方と店主、店長としての在り方が普段は混在している。この非常時ともいうべき時は、[経営]を最優先にして物事を組み立てていくのがベストだろう。
 まずは経費の削減である。テナントならば家賃の一時的な値下げの交渉、 パートさんには時間数を減らしてもらう、社員にも協力を仰ぎ、自らの給料ももちろん削減する。
次に資金繰りの確保。問屋等への支払いの繰り延べの依頼、低利の公的機関からの融資の情報収集、それから商品仕入れの絞り込み。しばらくは商品を仕入れるのではなく今ある商品の演出に力を入れるよう店長に指示する。
更に可能ならば少しでも粗利率の高い商品構成に変えていく。経験があれば電池交換もやってみる。すると時計バンドも売れるかもしれない。
最後にこれがもっとも大事なことだが、経営者トツプ自身の心身の健康管理である。健
康であることが、中小小売店にとっての最後の砦である。この混乱は長引くかもしれないという状況認識と震災前に戻ったとしても[低迷]状態に戻るにすぎないという認識を重ね合わせると、まさに生き残りをかけた経営手腕が試されているのである。
一方、店長という立場で言えば、[基本]に徹するにつきる。売り場を季節感をともなった鮮度味のある状態に保ち、お客さんのニーズに沿った演出を心がけることである。消費者心理が落ち着いて来れば、そういう構えをもった店にお客さんはまずは戻るものである。
 配慮しなければならないのは、手足となって働いてくれるスタッフのやる気を維持すること。円滑なコミュニケーションが売り場の活気を高めるだろう。
これで一通りの[震災モード]の対応になる。3,11以降すべてが変わったのか否か、見極めは難しい。将棋の谷川九段は阪神大震災の自らの体験から、被災者の人たちに「がんばりすぎないように」というメッセージを送っている。この戦いは長きにわたる。気力だけでは乗り越えられるものではないという趣旨である。小売店もまた同様に長く深い低迷と相対していかねばならないように思える。わたしが思いついた以外にも、震災対応の処方があるならぜひ教えていただきたい。まさにみんなで生き残りの灯をともさなければならない非常の時であろうから。   
(コスモループ代表 林田信久 cosmoloop.22k@nifty.com)
■JJA ダイヤモンド鑑定問題に係る再発防止策への大疑問 ■2011年3月31日 木曜日 14時18分18秒

小売業に責任はあるか

JJAがダイヤモンドの鑑定問題に係る再発防止策をまとめた 具体策として3点あるのだが、小売業の販売の在り方についてまず取り上げている。 「今回のダイヤモンド鑑定問題でクローズアップされた最大の問題は、現在のダイヤモンドの小売販売の多くがダイヤモンドの品質や価値、価格などについて、その根拠を全てグレーディングレポートに依存するような販売の仕方で、販売者責任というものが二の次になっている点である。」
 え、今回の不祥事って小売業にまずもって責任があるの? 事件の流れからいえば小売りは被害者の立場ですよ  消費者からクレームを受けたり、店頭の商品を再鑑定に出した
り、それなりに事後処理に手間暇係っているのに、どういう議論をするとこういう結論になるのだろうか
 今回の事件の遠因、背景ということになれば小売業のありかたに言及することもしかるべきかもしれないが、再発防止策ということになれば、まずはどうして鑑別会社がこういうことをしたのかということを調査し、その直接的な原因について対策をたてるのが筋ではなかろうか。
 [全宝協」なる鑑別会社が、ダイヤモンドのカラーグレイドをごまかした訳だがどうしてそうなったのか JJAは「ことの真相を明らかにするため、関係者に事情聴取を」行ったわけだからその内容を是非公表してもらいたい。再発防止とは、その事実認識の上に立ってのことであることは大相撲の八百長問題で真相究明が第一優先であることを見ても明らかである。その結果としてなるほど小売業の過半の店が[全宝協]になんらかの不当な圧力をかけていたという事実があるなら、再発防止策として小売業がやり玉にあがってもやむをえないだろう。
 そもそも鑑別会社はダイヤのグレーディングをごまかしたところで、自らダイヤを販売
するわけではないから信用を落とす以外なんのメリットもあるはずがない。当然そうする
ことで悪徳利益をこっそりかすめとった輩がいたはずである。その鑑別会社と顧客との関
係性こそなにはさておいてもメスを入れなければならないのは、だれの目にも明らかであ
る。そのことをきちんと文言として書いたうえで、そのための再発防止策を冒頭に示すの
が見識というものではなかろうか事件の遠因や背景というものを挙げはじめたらきりがな
いわけで、小売店にダイヤのマスターストーンが用意されてないことも一因だろうし、宝
飾市場の縮小に伴う鑑別会社間の過当競争も一因だろう。
それでは議論の焦点が拡散するばかりで説得力ある再発防止になるはずがない。小売業
がダイヤジュエリーの販売にあたって[販売証明書]を発行するようになったら鑑別会社
とそこにダイヤを持ち込む卸との関係性は変化するだろうか 私には、全く別次元の事
柄に思える。JJAの再発防止策には、大いなる疑問を感じるのである。
(コスモループ代表 林田 信久 cosmoloop.22k@nifty.com)
■腕時計 雑感 ■2011年2月1日 火曜日 13時6分15秒

誤差ゼロの先に何を求めていくのか

腕時計にはおそらく技術的価値と装身具としての価値がある。
技術的な価値を突き詰めていけば、誤差ゼロの電波時計に一つの到達点を見いだすであろう。装身具としての価値ということになると、その時計を身に付ける事がとても誇らしく感じられたり、うれしく感じられることだと思われる。時計としてはそれなりに正確であれば十分ということになる。
私の理解では、SEIKOもCITIZENも技術的価値に重きをおいて開発に企業力を投入してきている。その結果が年差のクォーツ・キネテック・エコドライブ等に表れている。しかしそうした新技術製品も、すぐに量販店に大量に陳列され、まるで一山幾らのように売られてしまうから、装身具としての価値が損なわれてしまう。いつも感じることは日本の時計メーカーは、せっかく多額の費用をかけて開発したものを、なぜもうすこし大切に育てないのだろうかという疑問である。開発に携わった技術に対する敬意というものが感じられない。
SEIKOがキネティツク・オートリレーを発売したとき、スイス時計の営業マンが「うちならあれで3年食えますよ」と語したのを今でも覚えている。すでに装身具としての価値を確立している腕時計に技術的な価値が加われば、競争カはぐつと増す。しかしその逆に技術的に優位であっても装身具としての価値を付与していくのは簡単ではない。はたしてSEIKOもCITIZENも日本のユーザーにとって魅力ある装身具ブランドだろうか。
一方、海外ブランドではオメガであれ、ロンジンであれ、ホイヤーであれ、カルティエであれ、クォーツ時計の分野において目立った技術開発は見られない。環境配慮の時代だからあたらしい基軸のソーラー時計でも発売するのかと思っているが、そうでも無さそうである。
想像だが、きっと彼等はブランドイメージを守り高め浸透させていくことこそが最大のテーマで、その事に日本のメーカーの技術開発に匹敵するコストとエネルギーを注いでいることに違いない。
平たく言えば「誤差ゼロの時計、それって生活に必要ですか」、「個性あふれるデザイン、あなたに似合うけど、けっして私には似合わない時計だから、貴方の生活が楽しくなる」ということになろうか。
デザインやイメージを重視するのか、技術開発を更に進化させるのか方向性の違いで、優劣の問題ではないが、それにしても誤差ゼロの先に何を求めていくのか、日本ブランドにいささかの危惧を感じるのである。(コスモ ループ代表:林田信之)
cosmoloop.22k@nifty.com
■新年あけましておめでとうございます ■2011年1月19日 水曜日 16時33分49秒

御徒町に『ジュエリー神社』を

新年あけましておめでとうございます。今年一年が平穏にして無事であることをまた誰の身にも大きな災厄がふりかからないことを願ってやみません。
年初の心境を歌にたくせば「めでたさも中ぐらいなりおらが春」というとこでしょうか、良い年であってほしいものです。「このどん底不景気のどこがめでたい」なんて野暮はいいっこなし。寅さんじゃないが、それをいってはお終いなのだ。
新春の富士山でも拝んで、縮んだ思考回路のシワをのばすに越したことはない。世の中捨てる神もいるが、拾う神様だってちゃんといる。
ひとつ提案だが御徒町の一角に『ジュエリー神社』を造ったらどうだろう。ジュエリータウン御徒町とうたっているが、シンボルというか象徴がないからイメージ発信力が弱い。
ジュエリー神社があれば、宝飾の町として分かりやすい。朱塗りの鳥居をポツンと建てただけじゃ絵にもならないが、例えば日本の何処にもないくらい大きな水晶玉をドンとすえて、この水晶に触ると元気なパワーが身に付きますよ、とか水晶玉に水を流して“水晶神水”という名称で売り出したりしたら、そういう事大好きおばさん達がどっと押し寄せる気がしませんか。案外東京観光のスポットになる可能性はある。
近々スカイツリーも完成するけど、象徴としてのジュエリー神社があれば、望遠鏡でのぞいて観光客が立ち寄ってくれるかもしれない。あの無味乾燥の如きジュエリーディーの企画だってこの神社をからめて催せば生き返ってくると思いますが....。
素人さんが沢山やってきたってわたしら卸には一文の得にはなりませんよって、ケチな事はこの際いわない。年々歳々活力が失われれて気が付けば、天然石を扱うインド人の店舗と地金買取り店舗がドット増えてしまったジュエリータウン御徒町 昇るインドと中国 沈む日本かいな やれやれ。
「将を射んとすれば、まずは馬を射よ」の例えのごとく、まずはサプライズな話題作り さすれば消費者のジュエリーへの関心度があがること間違いなし。回り回ってみんなが潤うようにこの世の中はできている。
いささか荒唐無稽の観なきにしもあらずの提案だが、チマチマしたセール企画よりずっとインパクトがあるんじゃなかろうか。幸いジュエリーデザイナーも居ることだし、きらびやかで美しい、誰でも一度は訪れてみたくなるような神社を業界全体で力を合わせて造ってみませんか。(コスモ ループ代表:林田信之)
■来年への展望 −17− ■2010年12月22日 水曜日 15時40分17秒

どこに希望はあるのか

 今年を振り返って来年への展望をテーマに書くつもりだったが、展望が見えてこない。二重三重の停滞感に取り巻かれて窒息しそうな幹事を過半の経営者が持たれた今年一年ではあるまいか。
 卯年を迎えてピョンピョンと兎が跳ねるが如き飛躍の素地が何もないのである。規模の縮小、経費の更なる削減、廃業か継続かの決断。今年の負の経営課題が引き続き来年の経営課題であるという深い閉塞。何処に希望があるのだろうか。

 いやいやこの世に着飾ることが本能的に好きな情勢がいる限り、宝飾品がなくなるなって事はありませんよ、なんて慰めにもならない言い方もあるだろうが、次のような話もある。
 小売店が買い取ったスクラップ貴金属を回収する業者によると回収金額は、会社全体で月に数十億円になるそうだが、この月商額は10年以上も続いているという。都市鉱山は掘っても掘っても枯れることはなく、貴金属はザクザク出てくるし、今現在も出てきているというのは紛れもない現実だ。60兆円もの貴金属資産が日本にも眠っているという説もある。
 エコポイントの特典期限切れ間際には、家電量販店に行列が出来るのも現実。必要なものは高額でもちゃんと買う。日本の銀行に1,400兆円の金融資産があるのも現実。この国は、貧しいのか、豊かなのか?

 日本市場は、消費の潜在的な力は充分にある。それを引き出す方策が、いつもいつもワンパターンで、消費者の側から見ると陳腐化しているに過ぎないかもしれない。「やり方一つだよ」といってしまえばそれまでだが、それでも校風の余地があるだけ希望はあるということだ。
 私事で恐縮だが、タウン誌に広告を出すとき、担当する貴社に「小さなスペースだが、今までに見たことのないデザインを考えてくれ」と伝えることにしている。結果、成功もしくじりもまあまあもあるのだが、消費者に関心を持ってもらうにはいつもまっさらな地点から作り上げることが大事だと思うが故にである。

「そう言うもののなかなか思うようには行きませんよ」とつぶやく声が聞こえてきそうだが、諦めてしまえば落ちるのは速い。とどのつまり、希望とは一人一人の経営者の生き残っていこうとする意思とやる気ということになる。希望は内側にある。それが「みんなでともそう生き残りの灯」なのである。ではみなさん、良いお年をお迎え下さい。(コスモ ループ代表:林田信久)
■買取りビジネスは邪道か? −16− ■2010年12月22日 水曜日 15時38分24秒

「生活鉱山」の視点から見れば宝飾店の新しい利益の柱に

邪道であると思っていた。不用の貴金属を田中貴金属に持ち込めば、金相場に比例した価格で換金できるにもかかわらず、いわば素人の無知に付け込むがごときかたちで安く買い取るのは、商売の倫理として納得がいかなかった。 インターネットで調べれば自店の利幅もわかるわけで、そういう点でも信用にかかわるという懸念もあった。
がしかし、「買取り」を正式に始めてみると別の風景が見えてきた。「貴金属を売りたいが、どこに持ち込んでいいか分からない。買取り専門店はどうも信用できない」というお客さんが随分といるという事実。売る事情もさまざまで古くなったジュエリーの換金処分だけでなく、金の価格が上ってきたからという人、奥様を亡くされてその遺品処分という人、身辺整理を始めた
からという高齢者、工場を閉じた時に出た廃棄貴金属を持ってくる人等々。
要するに「都市鉱山」という言葉に似せていえば生活鉱山ともいうべき現実があるのである。
一日一日の金相場に関心がある訳ではないが、信頼できる近隣の宝飾店で不用の貴金属を売却したい人達がいる。ならば、それに応える「買取りビジネス」は邪道ではないだろうと今は考えている。当店ではK18とPT900の買取り価格を店頭でオープンにして、金プラチナ相場に日々連動させている。
そうすることで他の買取り店と価格比較が可能になり、消費者利益がいくらかでも守られるだろうと思われる。
既存の宝飾店がジュエリーという美しい物を販売する一方で、使い古しの貴金属を同時平行で買い取るというのは上水道と下水道を一緒くたにするがごとき観はあるから、「買取りビジネス」に参入することにためらう経営者はいるだろうし、現に参入していても疑間を感じている人も居るだろう。が視点を変えれば、いくらか手間暇はかかるとはいえ、人件費なり家賃があらたに発生するわけではない「買取り専門店」よりはるかに買取りの競争力がある。売りたいお客さんにも喜ばれる。
今の時代はエコやリサイクルという考えが浸透し、買ったものを只ためこんだり廃棄するのではなく、再利用したり換金してすこしでも物を無駄なく処理しようとする生活スタイルに変化している。その変化に対応した「買取りビジネス」は、長期的な視野に立って取り組んでいけば宝飾店の新しい利益の柱になると思われる。(コスモ ループ代表:林田信久)
■続 あれも花珠 これも花珠 みんな花珠 −15− ■2010年11月15日 月曜日 2時31分43秒

一般的な真珠のネックレスを人は一生のうちで何本買うだろうか。自分用に買い変えるなら、せいぜい2本くらいだろう。娘さんでもいれば嫁入り道具に買うこともあるだろうが、購人の機会がその程度であれば消費者にとって真珠の品質の善し悪しを見極める
のは至難だろう。珠が丸いとか、傷がないとかといった目でみえることはともかく光沢とか仕上がり、巻きの薄い厚いなどは経験がものをいう世界である。
そこで分かりやすい説得の手段が「花珠」鑑別書である。「花珠」といえば消費者の認知度も高いから、それなら安心ということになろうが、その花珠鑑別書の信頼度がゆらいでいたら、、、、、。

ダイヤのマスターストーンのごとき客観的な基準が真珠の花珠にある訳ではない。Aの鑑別機関の花珠基準とBの鑑別機関のそれとはまったく別物である。個々の鑑別機関が自分なりの基準で「花珠」と呼ぶのである。すると「当方では偽物でなければ真珠はすべて“花珠”として鑑別書を作成しております」なんて極端な例もでてこな
いとは限らない。
最近「超花珠」なんていう珍妙な呼称を目にしたが、疑似「花珠」が市場にあふれてくれば、そういう事も珍しく無くなるだろう。しかし事態を冷静に見据えれば、異様な光景であることは間違いない。厳密な定義は措くとしても、常識的には「花珠」といえば真珠のなかの最高品質のものを意味するし、その珠の集まりが「花珠ネックレス」である。では最高品質とは何かということになると解釈の余地はあろうが、少なくともシワやエクボやキズが
無いことぐらいは最低基準であろう。それは、素人の消費者感覚といっていいものである。その基準さえ満たさないネックレスが「花珠」ソーティングを付けて出回っているのが現実である。
消費者の「花珠」志向につけこんで、低品質のものまで「花珠」と鑑別するのはダイヤのカラーグレードかさ上げ間題の時と同様の構図が見えてくる。
真珠の卸は、疑似「花珠」でひと儲け、鑑別機関は「花珠」鑑定料でひと儲け、小売りも「このシワは天然の証明ですよ。今はこういうものを花珠と呼ぶんです」なんてセールストークでひと儲け。
「花珠」は業界にとって知名度のある貴重な商材である。業界全体で大事に、大事に育てていけば売り上げ、利益に貢献する大きな柱になるものである。
 目先の利益にとらわれて金の卵を産むガチョウを殺してしまう愚を見ているのはしのび難い限りである。
(コスモ ループ代表:林田信久)
■あれも花珠、これも花珠、みんな花珠 M ■2010年11月2日 火曜日 1時38分43秒

 真珠の花珠のネックレスが、ひところに比べて随分と安くなった。採れた真珠の中で花珠なるものの割合が飛躍的に多くなったのか、あるいは長引く消費不況の中で、価格自体を引き下げざるを得ないのか。需要と供給のアンバランスから生じたことなら納得もいくが、果たして本当のところは。
 私「花珠が安くなったね」
 卸の店主「いや〜前は花珠の鑑別を鑑別機関に持ち込むと、この珠とこの珠は、他の珠と差し替えてもらわないと花珠鑑別は出来ませんなんて事があったけど、最近はそんなことはありません。今の花珠ネックレスなんて普通より少し良い程度のものですよ」

 私「此花珠の鑑別書、巻き厚の数値が書いてないけど」
 卸の店員「いや、テリとかキズとか仕上げとかはクリアしていますから」
 私「このネックレスに花珠のソーティングが付いているけど、ほらこの珠もこの珠もシワやエクボがあるよ。素人だってはっきりわかるよ」
 卸の営業「でもこれってあの有名な鑑別機関のソーティングですよ」

 卸の営業「8_で3万円切る花珠ネックレスありますけどどうですか。B鑑別付いていますから」
 全て最近の私との実際のやり取りである。需給事情ではなく花珠なら売りやすいという売り手事情と鑑別機関の利益事情の暗黙の合意が、「花珠」なるものの価格を下げているとしか思えない。花珠ビジネスの不誠実さは、いずれ消費者からの手痛い反撃を受けるだろう。
 でもこんなことを書くと小売店が自らの責任で「花珠」と勧められる商品を仕入れすればいいではないですか。鑑別書は業者間取引の目安になるものですよなんてお門違いの批判が出てくるかも知りませんけどね。(コスモ ループ代表:林田信久)
■L メンタルサプリメント ■2010年10月20日 水曜日 0時53分32秒

最近目にした文章の中で印象的だった内容を2,3紹介してみたい。
悩める私のような経営者には、いささかメンタルサプリメントの効果を感じさせられたが故にである。
@ (企業の)衰退が始まってしまった時、どうすればいいのか。
答=まずは「残酷で困難な現実から目をそらさずに直視すること」が不可欠だ。無謀な事業拡大による損失、時代遅れになった自社技術、吐き気がするような財務諸表の数字、低下する社員の士気、自社をどんどん引き離していくライバル企業。こうした悪い情報を無視したり、小さく見せたり、ねじ曲げて解釈したりすると、衰退の勢いをさらに加速させてしまう。
そして、そんな厳しい時こそ、幹部や社員と十分な対話を重ねて行くべきだ。社内に、健全な激論ができる雰囲気を絶対に残すべきだ。それは経営トップの責任である。《日経ビジネス:10月4日号より抜粋》
A 今の時代は世界の先進国の中でも日本の消費の実態というものはアメリカ型でもなく、ヨーロッパ型でもない“日本独自”の新しい消費パターンを作っている。また同じデフレでも「昭和初期の農家でさえも明日食べる物がないという時代」のデフレ論理をかざし、対処論を語っても何の役にも立たない。
新聞、雑誌の記事は過去の時代の論理で書いているケースが多く見られる。今、物が売れないのは不況だから売れないというのではなく、物が充足していることと、もうひとつ「将来に対する不安」があるからなのだ。今の不況も、モノ不足の経済であれば割りと簡単に克服できるのでは無いだろうか。
モノ余りの時代だからデフレが続いている。不況だからデフレになっているのではないのです。
重要なのは「日本のお客様、自店の周りのお客様二一ズにどれだけ応えられているか」であり、それに応えられたお店が唯一の勝者であるということになる。《鈴木敏文氏の講演「デフレ経済下における企業経営」平成14年10月
中央大学祭友会会報より抜粋》
B「基本」は決して「初歩」と同じではない。もっと本質的なものだ。《阿部絋久・文章力の基本100題より抜粋》
内容について細かい説明やコメントはいらないだろう。Aの鈴木敏文氏とは、現7&iホールディング会長である。リーマンショック前の講演であるが、今でも十分通用する考え方といってよい。Bも短い文だが、奥の深い意味合いを含んでいる。@,A,Bをならべてみて視えてくることは、今の状況の中で生き残っていくには、残酵な現実を直視し、流布されている常識を疑い、基本にそって行動するということになろうか。(コスモ ループ代表 林田信久)
■JOW.Japan(全日本時計宝飾眼鏡小売協同組合)への期待と懸念 K ■2010年9月28日 火曜日 7時21分21秒

 各県の協同組合上部団体としての全時連が解散して、個々の会社単位で参加するJOW.Japanが発足して約4か月がたった。中小零細小売店の全国的な組織であるこの組合が、会員全体の利益のために活動してくれれば、有り難い事である。いまは参加した店も参加を見送った店も、この組合が具体的にどんな活動をするのか、じっと見守っているところであろう。
 そんな中、組合員限定の目覚し時計が発売になった。デザインも癖のないベーシックなもので5種類、小売価格も3,150円と適当である。細かいことであるがSEIKOの文字も刻印されている。この商品の掛け率が35%は、魅力的である。値引きをしたり、また目玉商品として使わないで極力利益を取って欲しいと商品案内にコメントしてあるが、その通りだと思う。
 量販店の値引き攻勢に押され、時計は売っても儲からない商材になって久しいが、こういう企画がこれからも次々と出てくると小売店の経営にもいくらか明るさが見えてくるだろう。今流行りのPB商品の一種であるが、メーカーサイドを含め全体として成功して欲しい企画である。組合員もJOW,Japanに参加して良かったと実感できるのではないだろうか。
 一方で「現状のままでは将来がない」、その強い危機感の下時計専門店の復権を旗印に掲げたJOW,Japanは、時計店経営を根本的に圧迫しているウオッチの流通問題(量販店の安売り、派遣店員の人件費を誰が負担しているか)などについてもキチンと向き合ってくれなければ困る。むしろこちらの方が復権のための優先順位としては先ではないかという考えもあるだろう。本質的な問題への取り組みなくして展望が開かれるとは思えない。
 利益率の高いオリジナル商品開発は、メーカーの協力なくして成り立たないがそのことにとらわれすぎてJOW,Japanがメーカーに対してずけずけと物が言えないようであると、結果として時計専門店のさらなる衰退をもたらすのではないかと懸念している。(コスモ ループ代表 林田信久)
■「五行投稿」で業界世論を J ■2010年9月28日 火曜日 7時19分44秒

ダイヤ鑑定のかさ上げ問題は、どのような再発防止策が具体的に打ち出されるのだろうか。消費者庁が乗り出してきて抜本的な改革を進めるという訳でもなさそうだから、時間が経つにつれて関係者の熱も冷め、当たり障りのない改善宣言でお茶を濁すのではないかと懸念している。
お互い顔見知りのような狭い業界の中では、同情論のようなウェットな感情に引きずられ、本来最も考慮しなければならない消費者信頼の確保が二の次になる可能性が大である。そういう意味では宝飾業界の先行きを悲観的に見ているのだが、ただ今回の騒動の中で光明もあった。多くの志しある関係者が、この時計美術宝飾新聞(W&J)の呼びかけに応じて自分なりの意見を投稿したことである。
 個々の意見には賛否はあるだろうが、ともかく一人一人が自分の意見を言うことがとても大切なのだと思う。業界の役職についている人たちのみで物事が進むのではなく、改革に関することは業界上げてまさに「万機公論に決すべき」であろう。
 光明という点でもうひとつ指摘しておきたいのは、本紙W&Jがこのダイヤ鑑定かさ上げという業界の不祥事に対して投稿を呼びかけるというカタチで、紙面を割いたことである。黙していてもなんら問題になるわけでもないのに、あえて声なき声に場を開くということは、業界紙という正確を考えればなかなかの勇断であろう。事実の報道というスタンスを超えて、問題の本質へ迫らんとするあり様は評価されてしかるべきである。
 W&Jには今後ともこの姿勢を貫いて欲しいが、同時に我々読者もどしどし投稿しよう。W&Jの紙面が業界世論になると、この宝飾業界も少しずつ変わっていくだろう。
 書くのは面倒という人も居るだろうが、いいたいことだけ5行程度で書いて、ともかく投稿することをお奨めしたい。小さな声も集まれば無視できない力になって、山を動かすこともありえる話である。
 後に続く人たちに、少しでも希望の持てる業界としてバトンを渡したいと思っている人は決して少なくないだろうから。(コスモ ループ代表:林田信久)
■「ヘタクソおじさん」と「横向き少年団」 I ■2010年9月28日 火曜日 7時18分12秒

自分の手足となってテキパキと仕事をこなしてくれる部下ほど頼もしい
戦力はない。「気の利いた事」と「余計な事」は紙一重だが、その辺の按配も心得ている。加えて正確な状況判断が出来、そんな人材がいればこの不況は乗り切れる。人の扱い・育成が実に困難な時代である。
その子の為と思って育てるつもりで強く叱れば「パワハラ上司」、コミュニケーションを計ろうと親しげに声をかければ「セクハラ上司」のレッテルを貼られ兼ねない。踏み込んだ人間関係を築けなければ、レベルの高い仕事は望むべくもなく、企業としての競争力も維持できないのだが、“人の和”こそ経営者を悩ます最大のテーマになっている。
一般論でいうと、団塊の世代と今の20歳代の人の組み合わせは最悪のミスマッチ。「なせばなる」の精神で金メダルを獲得した女子バレーの大松監督に感激し、小突かれても蹴飛ばされても食らい付いていく逞しさを身に付けた世代。働けば働いただけの収入があり、それゆえに強い上昇志向が日本全体を覆っていた時代の空気を十分過ぎるほど吸い込んだ世代。これが団塊の世代のありようなら今の若い人達はどうだろう。
一億総中流といわれた時代の中で生を受け、特段の不自由もなく、物はあふれ、少子化のなか真綿でくるまれるように育てられた世代。日本こそN01という論が語られ、努力してもしなくても取り敢えずの生活も、将来も、安泰という空気を吸い込んだ世代だ。
週刊現代にプロ野球二軍監督の嘆きが掲載されている。「このヘタクソ、おまえなんか止めちまえ」と指導者に言われたら、昔の選手は何クソと食らいついていった。今は違う。心を閉ざして言うことを聞かなくなる。次の日は練習に来なくなるんだから」と。
愛情を込めてだがミスを咎めてつい「このヘタクソ」と言ってしまう。「ヘタクソおじさん」から叱られ慣れていないから、すぐソッポを向く「横向き少年団」。この世代間の感性とその落差を埋めて、職場を活性化する処方箋を私は持ち合わせていない。
ただ「横向き少年団」の人達が、このコラムを読んでくれたら、「ヘタクソおじさん」はどの職場にいっても必ずいるし、かれらの叱咤には、それなりの意味があることを理解してほしい。また「ヘタクソおじさん」が、この拙い記事を読んでくれたら、若い人の心のネジを巻こうと思ったら、いくつものネジを持っていた方がいいと思う。私も「這ってでも出てこい」ぐらいは言ったほうだから、自戒を込めて自分が育てられたようなやり方では、今の人は育たない。そのことだけは理解して欲しい。
不況の中で目先の売上にとらわれて職場もギスギスしがちだが、きちんとコミュニケが取れた、働きやすい環境こそ競争力の最たるものだと思うが、
どうだろう。(コスモ ループ代表:林田信久)
■JJF入場者資格と日本ジュエリー協会の指導力 H ■2010年9月28日 火曜日 7時16分33秒

 9月1日からJJF(ジャパンジュエリーフェア)が始まる。私のところにも招待状が送られてきているが、業界関係者のみが入場できるように書かれている。ただこの業界関係者の中に宝飾業界に「これから携わる予定の方」も含まれているから、少々悪意に解釈すれば誰でも入れることになる。「これから携わる予定」をどう証明させるのだろうか。
 JJAも主催者責任として中小小売店の全体の利益と宝飾業界の取引秩序を守る観点から、入場者資格について事前説明が必要ではあるまいか。やっとの思いで高額ジュエリーを売ったら、JJFで安く買われてキャンセル、販売した卸の出店者が儲かったなんていう事例が出ないようにしてもらいたい。
 また今年のIJTのように初日からどう考えても観光客にしか見受けられないアジア系外国人が大勢入場していたが、今回はその点について規制がなされているのか。「これから携わる予定」なるものを言い訳にして、事実上の素人フリーパスでは、結局泣くのは中小零細小売店である。
 誤解されては困るのだが、卸やメーカーが小売りをすることを問題視しているのではない。小売りは小売りを、卸は卸の境界を守るべきなどは時代錯誤の寝言でしかない。卸も小売りをやってみればいいし、その際卸の価格で小売りしても一向に差し支えない。なぜなら卸の粗利益率では小売りの経営は成り立たないはずだから。
 してもらって困るのは、業者間の取引現場に一般人が混ざり、卸の価格で一般人が購入することである。こうなると業界の取引秩序が崩れてしまう。この一線を守る事が業界人のモラルであるとともに、守らせることがジュエリー協会の使命であろう。この点についての考え方があやふやだと、展示会企画会社の利益優先からどんどんと一般人が入り込んでくるだろう。
 視点を変えて出展者の立場からすれば、売れるに越したことはないからあまり窮屈に規制などして欲しくないだろう。「高い出展料を払っているんだ。うるさいこと言うな」、「三日間程度のことだ。たいした影響はない。一般人に売ってどこが悪い」なんて居直る卸商も結構いるだろう。
 JJAの会員やひょとしたら役員の会社も出展者に名を連ねているだろうが、そういう利害を考慮して入場者資格に厳密な運用をしないようであればJJAは、メーカー、卸商のためだけの利益団体になってしまう。
 今回のJJFが、いかなる展開になるか、主催者でもある日本ジュエリー協会の指導力と問題意識が問われる三日間である。(コスモ ループ代表:林田信久)
■みんなでともそう生き残りの灯 ■2010年8月9日 月曜日 4時31分1秒

イチローの一言

 イチローが大リーグで売り出し中の頃のことだが、メディアから「あなたのような細身の体格のものが、大リーグの大男達と伍していくのはとても大変ではないか。大きなハンディを負っているのではないか」という趣旨の質問をたびたび受けていた。
 「野球というスポーツは格闘技ではないから、要求される身体能力というものは、機敏性とか柔軟性であってパワーそのものではない。メジャーの大男こそかえってこの野球というスポーツに不向きではないのか」
 このイチローの答えは、実に印象的であった。まだまだ日本人大リーガーが珍しかった当時、確かに私たちも身体的コンプレックスを感じていたし、これから太平洋を渡ろうと思っていた選手も同じように不安を感じていただろう。
 イチローの一言は、決して負け惜しみではなく野球というボールゲームの核心をついたものであった。コンプレックスも不安も見事に一掃された。
 彼の活躍もあってだろうが、冒頭のような質問はその後ピタリと無くなった。
 こんな話をしたのは、宝飾店なるものも規模の大きさや店舗数の多さを目指すものではなく本当は店主の美意識こそが肝要で、そこにこだわることこそが、本来の宝飾店のありようではないかと考えるからである。またそういう考えで店を運営していくことが中小零細な小売店が生き残っていく指針だろうし、案外イチローのように時代を切り開けるかもしれない。
 美術商や骨董屋のような一店一店個性が光る品揃え、面白そうではありませんか。では頑張っている意欲があるお店の皆さん“書中お見舞い申し上げます”(コスモ ループ代表:林田信久)。

■みんなでともそう生き残りの灯 ■2010年8月9日 月曜日 4時28分40秒

ゲルマニウムは健康に効果が無いのか

 ゲルマニウムブームが一段落した後も、ゲルマニウム関連のジュエリーはコンスタントに売れていた。私の店のパートさんは今でもゲルマのブレスを離さないでいる。肩こりが随分と楽になるというし、実際そういうお客さんの声を何回も聞いたから、ゲルマが身体に何らかの作用しているのは確かだろう。
 このゲルマの販売に水を差したのが、昨年6月の国民センターの新聞発表であった。センターのホームページからその趣旨を引用してみる。
 ゲルマニウムの商品について「健康に対する何らかの効果を示す旨の表示がみられたが独立行政法人科学技術振興機構の科学技術文献データーベースで検索したところ科学的根拠を示す文献は確認できなかった」とある。
 まどろっこしい表現である。さらっと読むとゲルマニウムには、健康に効くという科学的根拠がないと誤解してしまう。そうではない。上述のゲルマニウムに関するデーターは約2,400件、しかしその中にゲルマニュームが体にどの様な作用を及ぼすかというテーマの文献は0件である。要するにそういう研究自体がが無いのである。これは国民生活センターに問い合わせて分かったことである。「科学的根拠を示す文献がない」ということと「科学的根拠がない」ということはまったく別のことである。
 ゲルマニウムには、まだ分からないことが多分にあるということだから、打ち出し方を工夫すればまだまだ魅力的な商材だろうと思うし、自店のパートさんのように健康の一助になって喜ばれることもあろう。
 JJAの倫理ガイドラインに「宝石やジュエリーが、科学的根拠がないのに健康に良いなどと言って販売しないこと」というのがあるが、ゲルマニウムについて言えば現実に肩こりなど効く人はいるが、なぜ効くのか、その科学的根拠、メカニズムは解明されていないというのが、正しい言い回しである。健康志向の今、ゲルマニウムに大いに活躍してもらおう(コスモ ループ代表 林田信久)。

■みんなでともそう生き残りの灯 ■2010年8月9日 月曜日 4時24分7秒

「ジュエリー小売り協会」があったなら

 小規模な宝飾小売店の悩みだったり不満だったり疑問だったりをキチンと受け止めて、業界全体へ発信できたらこの業界も根っこのところで活性化すると思う。
 昨年のことだが、消費者が甲府の展示会でジュエリーを安く手に入れたために小売店の予約品がキャンセルになりひと騒動起こった。全時連と甲府の卸組合で話し合いがもたれたが、事態は特別変わってない。
 今の展示会は、卸が直接消費者に販売してしまうことが行なわれているが、打ったもの勝ちで中小の小売店は黙って見ているだけである。そういうことは止めて欲しいと申し入れる団体がない。
 東京ビッグサイトの国債宝飾展にしても、神戸の国際宝飾展にしても中国人の観光客と思われる人達が多数入場している。どの様に身分審査をしているのか不明だが、この不況下で出展者に便宜を図って売上げの上乗せを援助しているのだろう。出展している卸商にとっては、プラスの話だが、小売店の側からするとおかしな話で不満がたまる。
 こんな時「小売り協会」があったならば主催者に対して実態がどうなのか、小売店の利益を守る立場から問いただすことが出来る。甲府の展示会も最終日にはエンドユーザーを対象にするのだが卸価格で売ってしまっているのか、一応の小売価格で売っているのか「小売り協会」なら監視の人員を派遣して不当な販売をした業者を公表することも出来る。
 今回のダイヤ鑑定問題も、全宝協が鑑別の団体を自主退会しても余波は簡単意は収まらない。小売店が受ける様々なコストは泣き寝入りするしかないのか、そういうことの交渉ごとも「小売り協会」なら出来るのではないだろうか。
 インターネットによるジュエリーの販売に関心を持って入るが、どうやればいいのか、基本だけでも信頼できる人に教えてもらいたいと考えている小売店に対し、「小売り協会」がサポートするという展開もある。
 「日本ジュエリー協会」は、約900社の小売店の会員数は約230社で、残りはメーカーと卸問屋なのだから、小売りの利益を優先した活動は無理がある。メーカー、卸と小売りは必ずしも利益が一致しない。仕入れ展示会に見られるように相反することが多い。「小売り協会」の設立は、次代の要請になりつつあると思う。(コスモ ループ代表 林田信久)
■みんなでともそう生き残りの灯 ■2010年8月9日 月曜日 4時22分8秒

目の前の消費者の変化に着いていくことこそ小売業の基本である

 小売業界の主な業態では「定休日」がなくなってしまった。コンビニ、総合スパーはもとより百貨店、大手専門店も休めなくなった。東京駅の大丸、銀座三越、文具の専門店銀座伊東屋、それぞれに聞いてみると休みは正月元旦のみであるという答えが返ってきた。
 まさに生き残りをかけた生存競争の中では、消費者の利便性を最優先にしなければならないことの証左だろう。「眠らぬ街」ならぬ「休まぬ街」が現在のスタンダードだ。何時行ってもお店が開いている。そのことが消費者に安心感を与えているのだろうが、営業する側からすると、しんどい時代に違いない。
 そんな中特異な老舗がある。東京・銀座4丁目に店を構える服部セイコーの「和光」である。日曜、祝日が定休日だという。「和光」を尋ねて聞いたことだが、私の感覚では理解を超えることなので聞き違いではないかと思い、後日改めて電話で確認したがその通りであった。(2010年5月20日現在)東京・銀座の商圏は、日本国内ばかりか世界に広がり、日曜・祭日の賑わいはいかばかりか想像に難くない。何故「和光」は、日本、世界のお客さんに背を向けて販売機会をみすみす逃してしまうのだろうか。小売業としては失格である。
 先日「和光」が債務超過に陥っており、経営幹部が解任されたことが報道されたが、決して人ごとではない。「和光」の事例から私たちが学ばねばならないのは、変化を好まず目の前のお客さんに物を売るという当たり前の努力を怠り、まさに唯我独尊、老舗の看板だけで商売をしようとすれば行き着く先は皆同じであるということ。ひとつの時代の変化が激しい今、幹部の判断一つで企業は、急速にその生命力を失っていくことがあり得るということである。
 目の前の消費者をよく観察し、その変化に着いていくという事は、幹部も従業員も自らの成功体験を捨て、未知の世界へ進むという意識の変化を伴うもので、並大抵の努力ではないのであるが、それこそが今の小売業の基本である。(コスモ ループ代表:林田信久)
■みんなでともそう生き残りの灯 ■2010年8月9日 月曜日 4時18分47秒

小売の現場から生の情報を吸い上げて物づくりに生かす

 生き残りをかけて必死なのは小売店ばかりでなく卸商も一緒。いや卸商のほうが次々と新製品を作らざるを得ない分だけ深刻だろう。当店に来る卸商も“売れない売れない”の嘆き節だが、小売店から見ると、ちょっと待ってと言いたい面もある。
 ある小売店から聞いた話だが、今年の3月ごろ消費者からK18のサファイヤのペンダント(小売価格5万円程度)を探してくれるよう頼まれたのだが、取引先のどこも持ち合わせていなかったので、東京の御徒町で探してみた。持っていそうな店をしらみつぶしにあたって見たが、一昔前のまさに売れ残りそのもののようなペンダントが一点見つかっただけ。WG系のサファイヤなら簡単に手に入るが、お客さんが持っているのはゴールドチェーンなのだから如何ともしがたい。
 そこでこの小売店の店主は、取引先以外の甲府の卸商なら見つかるかもしれないと考え、4月の甲府ジュエリーフェアに出かけて行ったのだが、結果は見事にはずれ。甲府の主だった卸商の集まりでさえゴールドサファイヤ・ペンダントは作られることも無く、在庫としても無かったという次第。WG仕様のものをK18に変えて新規作りをしてくれる卸商が見つかったので何とかお客さんに納めたものの、掛け合ってから2ヶ月「やっとの思いでした」とボヤいていた。ありふれたように見える商品も探すには以外に苦労する経験は、オパールでしている。
 ここ数年卸商の品揃えが似たり寄ったりで面白みに欠けていると感じている小売店は多いのではあるまいか。不良在庫を持たないように売れ筋を追いかける安全運転の心理は良く分かるが、それではとどのつまり価格競争になってしまうだろうし、小売店の側だって望んでいるわけではない。宝飾品低迷の遠因は、こんなところにもありそうだ。小売の現場から生の情報を吸い上げて物づくりに生かすという基本を徹底しないと多様にして奥の深い消費者の要求とますます離れていくだろう。(コスモ ループ代表:林田信久)
■みんなでともそう生き残りの灯 ■2010年8月9日 月曜日 4時15分1秒

消費者は明日もまた新しい刺激を求めている

 価格訴求というのは、案外効果があるものだ。そこで価格訴求型の仕掛けについて考えてみよう。「00円均一」、「00円OFF」などが代表例だが、その際赤札一本値にするのか、それとも元値黒札と割引価格の赤札の二重プライスにするのか、正札自体もその仕掛ける商品を変えてみるのかをハッキリしなくてはならない。更に安くする名目はどうするのか、POPはどうゆうものを使用するのか、商品の演出はどうしたら効果的か、リボンを使った仕掛けを強調するならどの色のリボンがいいか、ディスプレーも普段使いのものと変えてみるかなど考えなければならないことがいくつもある。ただ「均一セール」といってもどういうくくりで商品を展開するか、リングだけなのか、それともネックレスも混ぜたほうがいいのかいろんな展開があるはずだ。

価格訴求だけに頼ってはいけない

 ただ肝心なことは、そうやって作った仕掛けが消費者に受け入れられるかどうかである。反応が芳しくなければ速やかに修正して改めて反応を見なくてはならない。仕掛けの位置を変えてみる、商品の内容を変えてみる、演出を変えてみる、“このことの繰り返しこそがお客さんの物を買う心に近づいていく最大の近道だ”と前号で書いたが、仕掛け作りも真剣に取り組まなければ見向きもされない。
 プライスに「お買い得品」と判子ひとつ押しても仕掛けには違いないが、雑な感じが伝わってしまえば、かえって逆効果で他の商品まで売れなくなってしまう。
 売り手の側は、今日のままの売り場で明日も売りたいと思うが、お客さんは明日もまた新しい刺激を求めているのである。(コスモ ループ代表:林田信久)
■みんなでともそう生き残りの灯 ■2010年8月9日 月曜日 4時12分9秒

「売り場を変えよう」A

 「基本の徹底」というのは、まどろっこしいものである。それよりも手っ取り早く売上げを上げる方策はないのか、誰だって考える。
 チラシを打つのも催事を開催するのも、たしかに有効な処方箋ではあるが限界もある。経費の増加、粗利額/率の低下、新鮮味を欠く企画、無理を承知の集客、予期したほどの成果はなく、振り出しに戻って「手っ取り早い」方策を考える。堂々巡りの袋小路のシナリオだが、ありえるシナリオである。
まずは売り場が基本。魅力ある売り場作りにエネルギーを注いでみてはどうだろう。

緊張感のある売り場に

 売り場にお客さんの購買意欲をくすぐる仕掛けを作ってみよう。「お買い得品」、「〇〇円均一」、「値下げ処分」など価格訴求型、就職祝いに、ホワイトディに、20歳の記念などのギフト提案型、更に「今月のお奨め」「当店一押しジュエリー」「今人気上昇中」など自店メッセージ型を組み合わせて店の所々に配置するとメリハリの利いた売り場に変わっていく。
 修理品を取りにきたお客さん、何気なく立ち寄ったお客さんなど、そういう人に無理なく気を引いて立ち止まらせ、ケースの中を覗き込ませる。それはお客さんの心を売り場に深く引き込むことを意図している。
 売り場でジュエリーを売るというスタンスで望めば基本的な作業だが、格別難しいことでもなく、コストもかからない。ただこの不況の中真剣に取り組まないと見向きもされない。
 〇〇円均一も効果が無いようならすぐに内容を変えてみる、あるいは位置を変えてみる、そういうきめ細かい対応で「今」のお客さんにとっての魅力的な売り場作りが作られていく。
 ただ肝心なことは、今日魅力的な売り場も、明日にはそうでなくなっているかもしれないという危機意識を常に持っていなくてはならない。するといつも売り場に神経が行き届き、緊張感のある売り場になっていく。
 考え抜かれた売り場は、小さい会社の大きな武器である。地域一番店の売り場を目指してみてはどうだろう。必ずや集客につながるはずである。
(コスモ ループ代表:林田信久)
■みんなでともそう生き残りの灯 ■2010年8月9日 月曜日 3時55分3秒

小売商の原点に立ち返って「基本の徹底」という視点から

 宝飾業界は長く重苦しい不況の中、相変わらず視界不良である。廃業・転業を考えている経営者も少なくないと思う。コンサルタント、評論家、勝ち組といわれる人が語る現状打破の提言も、なかなか踏み切れるものではあるまい。それよりもまず小売商の原点に立ち返って「基本の徹底」という視点からの提言があってもいいのではあるまいか。そういう問題意識のもと自店で試みた中から、いくらかでも成果があったことをベースにして提言してまとめてみた。小売業界の活性化にお役に立てば幸いである。

《売り場を変えてみよう》その1

パールのコーナーとダイヤのコーナーを交換してみる。死角になっているコーナーの商品を全面に出してみるのも手である。プチネックレスのコーナーはそのままにして、その中の商品の位置を変えてみる。ピアスを通路側のケースに移動してみる。あるいはケースの上に均一のPOPをつけて展示してみる。何でもいい、ともかく売り場を毎日変えてみる。そこから新しい発見があるかもしれない。照明が違うから、ジュエリーの別の面が強調される。「そういえばこの商品、この色が気に入って仕入れたんだよなー、ここへ置くと生きてくるなー」なんてことがあるだろう。前面に出したら18Kのくすみがハッキリしてくることもある。洗浄して輝きが戻れば、商品の鮮度が保て、少しずつ売り場が綺麗になっていくだろう。更にピアスのキャッチの緩みが分かることもある。
通りすがりのお客さんに「おや、お店が変わったね」と思ってもらえば、足を止めるだろう。少しはお客さんが増えるのではなかろうか。

売り場を考えよう

宝飾品が売れないのは“不況”のせいであるが、それが総べてではない。売り場の展開、接客、顧客管理、販売促進、それぞれの項目で基本がおろそかになっていないか、あるいはお客さんの変化に対応できていないかを考えてみる価値はある。
 長期の売上げ低迷のなかで、無気力になりがちだし、不況がすべてと考えがちだが、冷静に自店の問題点を洗い出し基本に戻る姿勢こそ、大いなる出発点になりはしまいか。
 店自体の色調を季節に併せて変えてみよう。クリスマスでは赤、新年から桜が満開になる頃までは薄いピンク、次に黄色か緑にして6月が近ずく頃にはブルーに、秋口にはブラウン、そして11月の初めには、またクリスマスカラーに変化させていく。正に基本的なことだが、お客さんが違和感なく、買い物が出来るムードと共に、常に売り場に新鮮さを保つ心理的効果を狙っている。
 使用する素材は、生地屋、文具屋、画材屋さんなどで自店にあったものを探せば良い。
 私の経験では、20坪の店で1,000円程度、半日ぐらいの作業である。和紙や折り紙などを組み合わせると季節感のある綺麗な売り場に変身する。これらのことがすぐに売上げに寄与することは多くないと思うが、売り場作りの原点に立ち返ることで展示してある商品の魅力も引き出され、結果として売り上げ増につながる回路を構築できるのではないか。
 店はそこにあるだけで、何らかのメッセージを発している。ある意味で恐いことである。店全体の印象が変わり続けていけば、その「熱意」は必ず伝わるものである。「面白そうな店だね。ちょっとのぞいてみようか」と思われればシメたものである。
(コスモ ループ代表・林田信久)
■一女子物申すvol.6 ■2009年8月4日 火曜日 5時46分44秒

「普段は巣ごもり、出る時は出る」

数年前からどうもアウトドア派が増殖中のようです。アウトドアと言うとなんとなくストイックでファッションとは無縁と思われそうですが、最近の若者の間ではそんなイメージは薄れているよう。今迄とは違う視点で新しいムーブメントとなりつつあります。都心で夜遊びよりも、もっとリラクシングな事をしたい。この不況も手伝って、バブル臭のするものに対し「そういう時代じゃない」という意識の現れでしょうか。最近の若者向け雑誌もアウトドア指南の特集を組んだり、パワースポットや海に山に脱出する20〜30代女性達も誌面に登場しています。普段は「巣ごもり」傾向でも、気分転換にはインドアからアウトドアへ。そんなダブルスタンダードなライフスタイルがにわかに人気なのです。

昨今のアロマテラピーや岩盤浴等のヒーリング&デトックスブームは健康美容に直結、インドアでした。それに飽き足らなくなると、今度は外に外にと積極的に自分を癒す場所を求めて行くように。最近ではパワースポット、ヒーリングスポットというのが話題になっています。国内の「ここに行くとパワーが貰える、癒される」という場所が数多く紹介され、代表格は富士山や屋久島、伊勢神宮、出雲大社といったところでしょうか。

事実ここ数年の富士登山ブームは広がりを見せているらしく、環境庁によると2008年の登山者数は前年比7万人増で30万人を超すという過去最多記録、今年は更に増加するという噂。また各地の「神社仏閣巡り」というとこれまで中高年の持ち株という感じでしたが、最近は若い女性にも静かなブームが来ているのです。若い女性向け一般誌にも旅案内として神社仏閣が多数掲載されているのを良く目にします。私の友人も伊勢神宮に日帰りでお祓いに行って来たそうですし、別の友人も仏像彫刻教室に通い出したら「クラスには若い女性ばかり」だとか。

また、数年前から女性の間でランニングがブームとなっているのはもうご存知だと思います。ランニングスカート等お洒落で機能的なウエアも発売されたり、携帯電話やデジタル音楽プレイヤーでランニング記録機能が付いているものも登場、連動して話題に。有名モデルが美容の為に取り入れたりしている事をキッカケに、これまでスポーツに無縁だった女性も関心を持つようになったのでは。ヨガやエクササイズといったインドアだけでなく、実際に外に出て積極的に身体を動かす方面にシフトする女性も増えているのです。私の周囲のアラサー女子でもランニングやゴルフの他にカヌー、トレッキング、ダイビング、乗馬といった事に挑戦したという話をちらほら聞いています。

それと同時に、近年の「フェス」ブームも若者を中心にアウトドア嗜好を促進。野外フェス、夏フェスとは主に夏期の間各地の広大なキャンプ場・スキー場・スタジアム等で開かれる野外コンサートフェスティバルの事で、ジャンルを超えて何組ものアーティストが午前中から深夜まで多数出演します。通常数日間に渡って開催される為、会場が山奥の場合、来場者は必然的にキャンプをする事に。元を辿ればウッドストックのような感じ、と言えばピンと来る方も。海外ではケイト=モス等有名セレブがお忍びでフェスに来場している姿がパパラッチされ、彼女達のフェスファッションが話題に。最近では、女性ファッション誌でアウトドアブランドをお洒落に取り入れたフェスファッションの記事やスナップが掲載される事が当たり前になりました。音楽やファッションに敏感だったエッジィな層だけでなく単にミーハーな層までもが、フェスをきっかけにアウトドア方面に興味を持つようになったという仕組みです。

かく言う私も、30代に入ってから意識に変化が。それまでアウトドアの「ア」の字も無かった私が、最近は青い海や四季折々の山の自然と一体化する感覚を楽しんでいます。数年前久米島で素潜りをした事をキッカケに目覚め、まさか今更自分がとは思いつつ、スノーボードも本気で始めました。去年はフジロック等のフェスに参加しましたし、ここ最近夏の間は毎月キャンプをしたりするのが恒例に。前だったらクーペなんか良いなぁと思っていましたが、選んだ車も4WDワゴンでした。

20代の頃は時代的にも世代的にもちょっとギラギラしたものが格好良く感じていたし、お洒落エリアに繰出すのが楽しいと感じていました。確かに最先端の流行やモードも好きですし、勿論今でも伊勢丹やルミネを徘徊する自分がいたりします。しかし都会に溢れる「人工物」では決して得られない、それを超越した刺激と精神的満足感が「自然」の中にあるという事にも気付いてしまったのです。今迄とは違う方向からのイスピレーションを受け、もしかしたら私のクリエイティビティも変化して行くのかもしれません。いずれにせよ「街の外」という非日常で自分をリストアし、また新しい自分に出会って行く。私だけでなく、今多くの人達が求めているのはそういう方向性なのだろうと思います。
(ジュエリーデザイナー・松崎真苗:tn-mz@axel.ocn.ne.jp)
■一女子物申す ■2009年2月9日 月曜日 6時17分48秒

「ジュエリーと食品偽装問題」

1月は恒例の国際宝飾展がありました。1年が経つのは早いものだと思いながら今年も足を運んでみました。そこで今回ちょっとした偶然から、業界の皆様で考えて頂きたい「信頼」にかかわる出来事に遭遇したのです。
とある完成品ばかりを扱う国内業者のブースをブラブラと眺めていた時の事です。雑多に並べられたペンダントヘッドの中に、なんとも見覚えのあるデザインが紛れているではありませんか。ユニークなドーム型のフォルムにカボッションのルビーが印象的。デザイナーの母と共にその場に居たのですが「これって、もしかして…」 と指差して母に伝えると「嘘、これ、私のデザインだわ!」と小声で返して来たのです。
最初はデザインを真似されたのかと思ったのですが、手に取って見るとそれはまさしく我がアトリエで制作され、販売された作品そのものだとすぐに分かりました。しかし、裏側を全体的に削ってオリジナル刻印が消されているではありませんか。母と私は顔を見合わせて黙り込むと、同ブース内のリングコーナー等も隅々迄見る事 にしました。すると、母が声を押し殺しつつ「これも!」と手に取ったのがイエローゴールドとサファイアのリング。確かにそれも以前当アトリエで制作販売したモデルでしたが、やはりオリジナル刻印は削除済み。
「matsuzaki」の作品は自社アトリエで制作するのでモデルごとの生産数もあまり多くなく、それぞれに思い入れが深いのです。デザイン制作表や販売記録も残っているので早速調べてみました。ペンダントは平成12年、リングの方は詳細が不明でしたが恐らく平成10年前後に、どちらも展示会でお客様にご購入頂いたものでし た。後に諸事情で質屋さんやジュエリー買取り店で手放されたのでしょう。

以前我がアトリエでもデザインをコピーされたりする事が何度かありその都度対処して来たのですが、今回はちょっと事情が複雑です。これはコピーではなく「本物のmatsuzaki製品の中古」であり、そのオリジナル刻印を消してなんとなく「ノンブランドの新品」のように販売されているのです。よく見るとその業者の在庫はほとんど が一点もの。扱う製品のコンセプトに一貫性はまるでなく、ちぐはぐな寄せ集め状態なのです。もしやほとんどの商品が中古なのかも?と疑問視しても「アナタって疑り深いねぇ」とは責められない気がしました。それを「中古新品仕上済み」とも記さずに販売しているので、買手側は何も知らずに新品のつもりで購入してしまいますよね。
それって、本当はマズいんじゃないでしょうか?質屋さんなど、他の二次流通業者がそうであるように、中古なら中古ときちんと明記して新品とは区別すべきなのでは。確かに、それを買って行く人には本当の事はバレないと思います。でも「バレないからそれで良い」「誰も分かりゃしない」本当にそれで良いのでしょうか?ここ最近 多くの食品偽装問題が騒がれましたが、置き換えてみれば同じ事なんじゃないかと思うのです。賞味期限切れでも、まだまだ平気だからと言って新しいシールに張り替えて出荷する。一度他人に振舞われた刺身が箸をつけてない状態だからと言って使い回す。我々はそれに対して怒りと不信感を覚えたはず。ならば他人のふり見て我が ふり直せでは?食品偽装と違ってジュエリーは消費者の健康に関わる事では無いかもしれません。でも「売れれば何でも良い」「儲かりゃそれで良い」という彼等のイージーな考え方に同調すれば、いつか同じ様に足元を救われるのではないかと思います。
違法性の有無はここで語りはしませんが、まずはモラルの在り方や体質の問題ではないかと。確かに宝飾品の多くは磨いてしまえば物理的に新品同様になってしまいます。しかしそれに甘んじてこういう手法を取る者がいる限り、我々ジュエリー業界に対する消費者からの信頼は得られないのではないでしょうか?信頼は積み重ねて 行くものです。でも、ほんのちょっとした事で「信頼」はいとも簡単に崩れてしまうものです。
それにしても、あれだけの広い会場の中でこんな事に遭遇するとはもの凄い偶然です。色んな意味で驚きを隠せないまま、いかんともしがたい思いで会場を後にするデザイナー母娘でした。これもお天道様からのメッセージかなぁ、なんて思いつつ今回の記事にさせて頂きました。
(ジュエリーデザイナー・松崎真苗:tn-mz@axel.ocn.ne.jp)
■一女子物申すvol.4 ■2008年8月11日 月曜日 11時51分47秒

「ニューヨークもNo Middle」By 松崎マナ

夏の観光シーズン、かんかん照りのニューヨークはマンハッタンを旅して来ました。旅と言っても留学時代のようにお気楽モード。ブラブラと街を散策しつつお気に入りのスポットやレストランを巡るという感じでした。ただ今回はセール時期に重なり、気温と供にお買い物熱も上昇でしたが…。
主立った観光イベントは「ワールド シリーズのパレードでイチローをパパラッチ」「恒例ニューヨーク交響楽団のセントラルパーク野外コンサートを聞いて花火を堪能」「炎天下のブライアントパークでブロードウェイミュージカル・ハイライトコンサートを聞く(半ば熱射病との闘い!)」「木曜日の夜にニューミュージアムに行き現代アートの不思議な空間に浸る 」という呑気な日程。パレードは勿論ですが、コンサートもミュージアムもどれも無料でしたので、こういう類いの文化活動が気軽に楽しめる環境って良いものだと改めて思いました。
今回はまともな旅行記でもと考えましたが、やはり得意の「買い物目線」で物申したいと思います。

馴染みの土地も気付くと微妙に様変わりをしていました。今回改めて目についたのは、低価格のファッションチェーンやアウトレット店が勢力を増してきた事です。SOHOに出来たユニクロも健闘しているようですが、東京の原宿に上陸目前のH&Mの台頭は特に目立ちました。H&MはGAPやユニクロよりもファッション性、トレ ンド性に富んだ幅広い品揃えで、以前から人種や年齢に関係なくニューヨーカーに大人気でした。店舗数は私が住んでいた頃(4年前)の倍くらいになったのではないでしょうか。街を歩いていると「あれ!ここにも出来てる」という事がしばしば。日本未上陸ながらファンの多いカジュアル衣料のアバクロンビー&フィッチも5番 街の一等地にクラブノリのファンクな店を進出、観光客が入り口に行列をなす勢い。また、ニューヨークには街中にアウトレットが点在しているのですが、ユニオンスクエアの新しいビルには圧巻の品揃えを誇る靴とアパレルのアウトレットが出店しており大人気。安価でファッション性の高い商品が街中どこでも気軽に手に入ると いうのは、消費者にとっては本当に嬉しいばかり。でも、そのしわ寄せがそれ以外のお店に及んでいる感じがしました。

私が昔住んでいた近所に、お気に入りの靴屋さんがありました。そこはプラダスポーツやミュウミュウ、シガーソンモリソン等のデザイナーものが豊富にありました。価格帯も300ドル台が中心だったのですが、今回覗いてみるとそういった商品は姿を消してどれも100ドル以下の安価な靴ばかりになっていたのです。それだけ 「そこそこの値段帯」が売れなくなったのでしょう。観光シーズンとセール期間が重なって街中が盛況な雰囲気なのですが、よく見ると混雑しているのは低価格帯のチェーン店やセール中の店ばかり。高級店でも大胆に60%OFFになるのがアメリカ流なので、セールセクションだけは熱気が満ちています。でも通常の売り場はなんだか 閑散、或はひやかし視線の観光客がちらほら。またニューヨーク州税法が変わって、今現在110ドル以下の衣料品や靴は約8.4%の消費税が免税になっている事も低価格帯商品の売り上げに拍車をかけているのかもしれません。全体的に中途半端な価格帯の物や店は敬遠されている感じが一層濃厚な気がしました。

一緒に旅をした友達も大のニューヨーク好きで、渡航回数は十数回。住んでいた私よりも色々詳しかったりする彼女が、5番街のデパートを物色していた時こう呟きました。「今回は来た時期も良かったのかもしれないけど、なんだか今までのセールよりも(残り物が)豊富な気がする。」確かに言われてみると、そう!セールの棚 にも人気なはずのブランドやスタイルが豊富で、サイズも意外に揃っているではありませんか。私達にとっては嬉しい限りではありましたが、やはり「そこそこの値段帯」となると以前のようには売れない不景気な時代なんだなぁと実感しました。去年香港のジュエリーショーでF.I.T.時代のアメリカ人のクラスメイトに会った時、 彼も「アメリカも日本と同じでNo Middle(中間が無い)」と言っていました。いつの世もお金持ちはお金持ちで居るのだけど、中流階級が崩壊して買い渋り、低価格帯に流れて行く。まさにNo Middleな空気を肌で感じた滞在でした。
(ジュエリーデザイナー・松崎真苗:tn-mz@axel.ocn.ne.jp)
■一女子物申すvol.3 ■2008年6月2日 月曜日 6時1分14秒

「フリフリカワイイは自己解放?」By 松崎マナ

最近の若い女の子のファッションはなんだかカワイイ系が目立ちます。数年前からフェミニンなディテールやアイテムは多かったのですが、今年の春から夏にかけてカワイイが加速。通り越して甘ったるくて「幼稚」にも思えるような方向性が目立つような気がします。

例えば、本来スポーティーなはずのパーカーやショートパンツにもやたらとフリフリやリボン、レースが付いていたり。キュートな小花柄、ハートや星形のプリント、懐かしの「スマイル君」も大人気。このように80年代にもてはやされた「ポップでフリフリな感じ」がリバイバルで今の気分なのでしょうか。同時に、女の子の大好きな「スイーツ」をモチーフにしたパステルカラーのアイテムも花盛り。Q-pot.というアクセサリーブランドが人気で、マカロンやチョコの実物大食品サンプルにラインストーンやリボンを付けたものがそのまんまペンダントやリングになっているものがヒット商品に。また、キティちゃん等のサンリオキャラクターも様々なコラボレーションをして安定した人気を得ています。こういった幼い可愛らしさを押し出したデザインが成人女性の心を掴む現象は興味深いものです。これも私達が辿って来た時代背景の影響ではないかと考えてみました。

誰でも幼い頃に夢中になったアニメやアイドルには影響されるもの。私達アラサー(30歳前後)世代は、聖子ちゃんが一世を風靡した80年代を記憶。アイドル達は皆制服の様にミニスカートでフリフリの大げさな衣装を纏ったものです。それと同時に「ミンキー・モモ」「クリィミー・マミ」といった「魔法少女系」のアニメも鮮烈な思い出に。少女が魔法でアイドル等の憧れの職業に変身して活躍、みんなに愛されるというお話です。当時の女の子はファッションやメディアを通して「愛されブリッ子」願望を肯定されていたのです。そう、女の子はキャピキャピ・フリフリして愛されるべき存在だと。

しかしアラサー世代がティーンになった頃には、フリフリした可愛さに陰りが。サンリオ等のいわゆる「ファンシーグッズ」はだんだんとタブーに。アメカジと呼ばれるスポーティールックがガーリーで甘ったるいものを一掃し始めます。90年代半ばになるとファッションもデザイン的にもシルエット的にも大人っぽくシンプル化を辿ります。アニエス・ベーのフレンチシック、また、雅子様ブームのせいもあってコンサバ系ファッションが主流に。プラダやジルサンダーのミニマルなデザインも台頭。そうやってファンシー系の装飾過剰なフリフリカワイイは受難の時代を迎えました。

一方、今現在の二十歳を中心とする若い女の子達はまさに「セーラームーン」世代。「美少女戦士もの」という新しいジャンルを築いた大ヒットアニメです。それまでの「魔法少女系」との大きな違いは、主人公の少女が魔法で戦士に変身して悪と闘い世界を守るという壮大な設定です。それに熱中した彼女達は「女の子だって闘うんだ!そういうのがカッコイイんだ!」という摺り込みを受けたはずです。そして彼女達世代のアイドルと言えば安室ちゃんやSPEED。決して昔のアイドルのようにフリフリなんて着ない、クールで媚びない個性的なダンサー系のアイドル達からファッションのヒントを得ていたはずです。女子高生ブームも去り、彼女達の世代には以前のようなスポットライトは当たりませんでした。相対的に自立して媚びない女性が増殖し始めた時代、彼女達は女の子だったら誰もが自然に抱く「愛されブリッ子」願望と相容れないサッパリとした空気の中で少女期を過ごして来た事でしょう。

そういったフリフリカワイイを知らず、むしろ否定された時代の中育った彼女達。本能的に持つ「フリフリしたお姫様」願望が抑圧され、くすぶっていたのかもしれません。そしていざ大人になってみると不景気で見通しの暗い社会となっていました。そんな時代に敢えて「セーラームーン」みたいに頑張って闘うよりも、やっぱり女の子なんだから可愛くして誰かに愛され保護されて居る方が賢いと悟ったのでしょうか。ここ数年若い女性誌でやたらと「モテ系」「愛され系」という言葉が飛び交っていたのもそのせいで、大きくなってからやっと素直に「私達もお姫様になりたい!」と自らを解き放てたのかもしれません。

今の若い女の子の憧れの職業の上位に「キャバクラ嬢」が入っているそうです。それもきっと、フリフリしたドレスを着てお姫様みたいにきらびやかで、男性からアイドルのようにちやほやされたいという願望の現れなのでは。今は何でも「二極化」という言葉が使われますが、女子も不景気だからこそ生き残りをかけて「独りでも強く生きて行ける自立派」と「カワイイで男性に媚びて依存派」に分かれている気がします。そう考えると女子はいつの世も空気を読んでさっさと時代に適応していくものなのだなぁと思います。(ジュエリーデザイナー・松崎真苗:tn-mz@axel.ocn.ne.jp)
■秋からは「カワイイ」から「大人の女性」へ ■2007年9月11日 火曜日 17時1分12秒

クーラーも効かなかったあの茹だるような暑い夏も懐かしく、この肌寒さがちょっと心寂しい気分です。しかしながら、我々女性には心踊るファッションの秋!街のブティックには秋冬物が出揃い、今がニューアイテムの豊作期と言えるのです。年々女性の間ではブーツ解禁日が早まっているようですが、今年は9月1日だった、いや8月の第4週だったと言い切る人も多かったようです。

さて、ここのところ席巻していた「フェミニン」な装いがこの秋からは今迄通りでは通用しない様子。春から夏にかけてはフリフリ、ヒラヒラで花柄や水玉。バルーンスカートやコクーンワンピ(風船や繭のような膨らみのある形)等のぽってりとしたスタイルが主流で、どちらかというと少女趣味一辺倒なトレンドだったのです。しかし、今期は成熟した大人の女性のスタイルに注目が集まっているようです。色っぽいけど「ハンサム」という言葉が相応しいような、凛とした強さと美しさをたたえた女性。
フリフリで媚びた甘さにちょっと飽きて来た今、ボティコンシャスなシルエットに敢えて「マスキュリン」なスパイスを加える事で女を一層薫り立たせる。そんな方向性が注目されています。

メンズライクなジャケットやベスト、ハードな黒いレザーライダース、スポーティーなシャイニー素材のダウン、更にはワーカー調のこなれたフィールドコート等をフェミニンなワンピースとわざと組み合わせてみる。ウエストは太いコルセットベルトでギュっとマークし砂時計のようなシルエット。スカートもカーヴィ−な女性らしさを強調するハイウエストなタイトが定番化。また、シャネルジャケットに代表されるノーカラーのツイードセットアップや、白いシャツ&黒いボトムの何気ない組み合わせを「きちんと」着こなすキリリとした大人の「王道スタイル」も新鮮です。夏迄はマタニティーウエアそっくりなエンパイアシルエット(胸の下から切り返しのある形)のチュニックやコクーンワンピのユルユルファッションで体型は誤魔化せましたが、もうそうはいかないよう。話題のエクササイズ「ビリーズブートキャンプ」も秋冬ファッションのせいでまだまだ売れるかもしれません。

去年から引き続いているブームとしては、足首を美しく見せるブ−ティー(踝丈ブーツ)&大胆なオーバーニーブーツ(膝上丈ブーツ)。メンズテイストな乗馬ブーツも引き続き人気です。ざっくりとしたバルキーニット。そして女性らしいラインの変型トレンチ。セクシーなレオパードやリュクスなクロコダイル。艶やかなエナメル素材。フューチャリスティックなシャイニー素材や小物も秋冬シーズンに明るさを加えます。
また最近のシャネル復活劇も過熱しながら継続中。タンスの奥底からシャネルバッグを取り出して来た女性も多かったのでは。また、ヴィクトリア=ベッカムやニコール=リッチー等のお洒落セレブがエルメスのバーキンを日常使いしている姿がくり返しパパラッチ。同時に「王道スタイル」ブームも手伝ってか、にわかにバーキンも再注目株。バブル末期を経てから近年まで「定番過ぎる」「なんだか仰々しい」と思っていたアイテムは、今こそ通用するのです。

目新しいブームは、秋冬なのにヴィヴィッドな色合いでしょうか。パープルやレッド、グリーン、イエロー、フクシア等ぱっと目を引くフルーツカラーも多数見かけます。また、意外な裏ブームとして「ノルディックスタイル」。ステラ=マッカートニーのコレクションで見られた暖かみのあるノルディック風セーターは実際にリアルクローズでもマーケットに浸透しているよう。また、バレンシアガのコレクションで発表されたのは衝撃的な「ワールドミックススタイル」。プレッピー風のジャケットにジョッパーズという男性的な組み合わせを基調に、様々な国の民族調テイストを取り入れたアイテムをわざと付け足すというかなり高度なハズし技です。夏から存在するヒッピースタイルの進化版とも、はたまたグランジテイストのワールドワイドな亜種の再来とも。

アクセサリーやジュエリーにおいては、シルバーもゴールドも混在という感じ。大振りの半貴石やプラスチックを使ったジャンクなデザインも注目されていますが、やっぱり定番は小振りなモチーフ物で本物素材を重ね着け。ただし本物素材と言っても若者向けには14Kや10Kも多く、価格も数万円に押さえたものが主流です。その一方で「代々受け継がれました」的なダイヤや貴石、パールの「きちんと」したジュエリーの良さも再評価されています。やっぱり良いものは良い、クラシック趣味なトレンドと同時にジュエリーの真の価値や質というものも見直されているのかもしれません。

そんな訳で、この秋からは本物嗜好の大人の女性が街を闊歩する事になりそうです。シンプルで定番が故、アイテムの品質の良さこそが問われる「王道スタイル」。チープな素材や造りのアイテムでは太刀打ち出来ず痛々しいトレンドです。プリプラ(プリティープライス=可愛いお値段)アイテムを大人買い(まとめ買い)も良いけど、そろそろ本当に良いものを清水買い(清水の舞台から飛び下りるつもりで大枚叩いて買う事)しても良いのかな、そんな若い女性の声もちらほら。消費者の目も段々と肥えて来るのではないでしょうか。(ジュエリーデザイナー・松崎真苗:tn-mz@axel.ocn.ne.jp)
■松崎マナ:初夏のファションレポート「欧米か」な棲み別け(前) ■2007年6月5日 火曜日 16時9分11秒

〜デパート、カスタマー双方が双方を選ぶ時代〜

昨今、様々な若者向けファッション誌掲載品を眺めていると「そう言えば随分とモノの値段って安くなったなぁ」と思うのです。例えば私が大学生の頃(12年前)と現在を比較すると、掲載商品の平均単価が絶対的に下がっているのが分かります。あの頃はバブルの最期、誰もがエルメスのバーキンに憧れた時代。学生向けの雑誌ですらエルメス特集が良くみかけられたものですし、値段の安い服なんて!という風潮が確かにあったのです。しかし現在は「安リッチ(安い値段だけどリッチに見える)」「プリプラ(可愛いお値段)」という見出しが目につきます。そう言えば、私もあの頃はコートを買うとなるとドメスティックブランドでも7万円以上は当たり前、ボトムスも2万円が妥当だと思っていたのです。今はというと、デザイン重視で可愛いのがあれば3万円以下のコートでも全然平気だし、ユニクロのデザイナーズコラボでフィリップ=リムやG.V.G.V.の服を3900円で購入して喜んでいるのだから自らを振返っても「時代は変わったなぁ」と思うのです。本来年齢が上がるごとに購入する洋服の価格帯が上がるべきなのに、逆行しているのは私だけでしょうか?ユニクロ、ZARA、GAP、TOPSHOPの登場によりバブル以降の若者の価値観は大きく変わったと思うのです。「安くて何が悪いんだ」と。更には近々H&Mも日本に上陸するそうで、プリプラファッション戦争は加熱する一方と思われます。

「アラサー(30歳前後の団塊ジュニア世代)」は相変わらずどっち着かず

一方、最近はバブル経験者40代女性をターゲットにしたリッチな雰囲気漂う雑誌も創刊ラッシュでした。「マリソル」「グレース」「プレシャス」等大人のラグジュアリー感を押し出した雑誌が多く見られ、掲載されているモノも20代向けとはかなりの格差。読者の年齢は限らずも「シュプールリュクス」「ロフィシェルジャポン」等高級志向のモード誌も増えているのは事実です。バブルの匂いだけ知って育った私達世代、いわゆる「アラサー(30歳前後の団塊ジュニア世代)」は相変わらずどっち着かずで高級ブランドも安い服でも何でもアリなミーハーな勢いです。この雑誌における世代間の格差は当たり前なのですが、こういった現象がデパートという現場で明らかに起こっているのです。今回、私の地元である新宿では伊勢丹を筆頭に高島屋、三越アルコット、丸井、ルミネがこぞって様変わりを遂げました。

デパートも売り場を再編、高級路線に

伊勢丹や高島屋は高級路線に絞っています。伊勢丹は1階のブランドごとの壁を外してNYの某高級デパートを模している感じ。一方高島屋はスーパーブランドをエントランスにブティック形式に区切って並べ、空間の広さを活かして更に高級感を出しています。私の大好きな靴売場を例にとってみましょう。伊勢丹では例のごとくブランドごとの壁を取り払いつつどの商品も平等に仲良く並んでいるのですが、平均単価が恐ろしく上がっているようです。何も考えずに手に取ったら8万円のパンプスだったりする事がザラです。高島屋は逆に従来の「だだっ広く並べてみました」方式を止め、見やすいように仕切りをつけてカスタマーの集中力を煽っている感じ。しかしここでも平均単価がやや上がっているのを感じました。昔ならば双方13000円台のパンプスも多量にあったのですが、今はぐっと少なくなりました。同じく双方のストッキング売場でもいわゆる量販店で売っていそうな一般商品は姿を消し、海外製品やブランドものばかりが目につき中には「ちょっと非現実的かも」というお値段まで。1000円以下のパンストが買いたかったらここではないという事なのだと思います。しかしながら、特に反響が大きいのはリニューアルした伊勢丹地下食料品売場のよう。「お高い」セレクションが目立ち、「庶民には手が出ないわ〜」という声もちらほらと聞きます。(ジュエリーデザイナー・松崎真苗:tn-mz@axel.ocn.ne.jp)
■松崎マナ:初夏のファションレポート「欧米か」な棲み別け(後) ■2007年6月5日 火曜日 16時8分9秒
ジュエリーに関しては、回転の早いアクセサリー売場に

ジュエリーに関しては、特に高島屋は宝飾品や高級時計の売場よりも単価が安くて回転の早いアクセサリー売場に力を注いでいる傾向があります。伊勢丹は海外高級ジュエリーブランドのカジュアルなコーナーを1階にも併設、売場全体の格を上げつつもブティックには入りづらい若者が気軽に立ち寄れるようにしています。また、双方アクセサリー売場にリペアやリフォームショップを併設するなど、「ありそうでなかった」サービスを新たに加えている事は評価すべきでしょう。ファッションに関しては、高島屋はかなりモードを意識したラインナップに思いきり転向し、上層階に行けば行く程ディープな商品構成であると感じました。伊勢丹4階もオリジナルセレクト「リ・スタイル」も場所を広げてファッションマニアにも十分に応えられる品揃えを保っています。しかし、全体のコンセプトとしてはどちらも「ごくごく普通の現代の二十歳代のコ」が安心してお買い物をするには個性的な上に痛々しい値段が目立ち、そういうカスタマーはここには「見に来るだけ」で終わるのではないかという感想を持ちます。勿論若者向けにお値段を押さえた売場もあるのですが、以前と比較して年々縮小されまとめられてしまっている印象が拭えません。
総評として、今回のリニューアルでデパート側が「ウチはこうですから、それ以外は他店様へどうぞ。」と言わんばかりに客を選んでるな…というのがカスタマーにも伝わってしまっている気がするのです。伊勢丹と高島屋の二店鋪を見て歩き、なんだかちょっと「非現実世界」に浸った感じになるカスタマーも増えた事だと思います。デパートはいわゆる団塊ジュニア〜新富裕層の40代以上に的を絞り、堅実な金銭感覚で育ったバブル以降の若者はあまり重要視されていないような気がするのです。

若い世代はルミネや丸井に定着していく傾向が

一方、デパートの帰りに足を運んで「ホッ」とするのが遅く迄営業しているルミネや丸井だったりするのです。かつてルミネと言えば「どうせ駅ビルでしょ?」というイメージがあり、店鋪もノンブランドばかりで安っぽい感じがしていたのは確かです。しかし伊勢丹や高島屋には無い「低価格ながらトレンドを牽引する人気ブランド」の誘致に力を注ぎ、見事に無くてはならない存在に変身しました。私もここのところルミネ率がグンと上がり、プリプラのお洋服を大人買いするのが楽しいのです。最近では良くミセスの姿も見かけたりします。新しくなった丸井は落ち着いた雰囲気に。以前の「いらっしゃいませぇ〜っ」という店員さんの黄色い声も無く、大人が行っても気恥ずかしく無い感が漂っています。置いてある商品の値札を見てなんだか「現実的」で「安心」する…。総合的な利便性も含めると、若い世代はルミネや丸井に定着していく傾向が以前にも増して行くのではないでしょうか。

階級社会というか「棲み別け」がいよいよ日本でも幕開けか?

団塊ジュニアを境に、デパートもカスタマーも双方が双方を選び「棲み別け」を明確にする時代なのだとひしひしと感じます。かつて日本のデパート・百貨店は誰でも足を運んで良くて、老若男女あらゆる人が欲しいと思うものが均等に揃っている便利な場所でした。それは、このごく平和な資本主義の中に隠された社会主義的要素の分かりやすい具現だったと思うのです。そういう意味でも流行りのコントじゃないですが、この現象は「欧米か」なのかなぁと感じます。欧米はデパートやホテル、店鋪には明確な「ランク」があり、出入りする人も「そういうクラスの方々」しか本来許されないのです。そういった階級社会というか「棲み別け」がいよいよ日本でも幕開けなのかと。でも、どの業界でも二極化に傾倒し過ぎて「若いカスタマーを育てる」という将来への見通しを忘れてはいないだろうかと心配になります。何にせよ価格帯を落とし過ぎても、上げ過ぎても、いずれしっぺ返しが来ると思うのです。「カスタマーを育てる」事をしないと、彼等は「勝手に育ってしまう」。そうなると後々マーケティング本位の仕掛けが中々手難しくなるのではないか、私はそう思います。(ジュエリーデザイナー・松崎真苗:tn-mz@axel.ocn.ne.jp)
■松崎マナ:2007新春ファションレポート第二弾(上) ■2007年3月12日 月曜日 15時7分28秒

この春、最新トレンドは「ペッカペカ」小物です

暖冬の影響からか、今年の春のファッションの出だしは何だか勢いが良いような感触です。最新トレンドのキーワードの一つが「フューチャリスティック(未来的)」である事はもう周知の事実になっています。しかし、コレクションや広告写真で見られたような非現実的なデザインや素材はあくまでもコンセプチュアルなショーピース。
シーズン前から騒がれている割に、いざフタを開けてみるとリアルクローズ(市販の服)では具体像が見えて来ない不思議なトレンドです。確かに「フューチャリスティック」と言われても漠然としたイメージしか湧いて来ないのが実情では・・。

スイートでクラシカルなイメージが支持を得ています

そうなると、このトレンドは手に取って見て分かりやすい形ではなく、曖昧なムードやエッセンスとして成り立って行くのではないでしょうか。例えば素材。「ラメやグリッター」「シャリ感のある光沢」「透け感」「メタリックな輝き」「パンチングやメッシュ」といったものはチラホラ見かけますし、シルエットもコクーン(繭のようなぽってりした形状)やバルーン(風船のように膨らんだ形状)が引き続き目新しさを保っていますので、それらを上手に取り入れれば良いのでは・・。
直球勝負でコスプレばりに「フューチャリスティック」というよりも「そんな雰囲気を楽しめれば」という軽いノリが本音だと見受けます。むしろ今でもやっぱり気になるのが「フェミニン」なデザイン性。シーズンが変わっても「フリルやリボン」「パフスリーブ」「ミニ丈」「柔らかなシフォン」「花柄や水玉」等のスイートでクラシカルなイメージは幅広い年代に根強い支持を得ています。

小物を併せるだけで「フューチャリスティック」なムード

しかしながら、アパレルよりも新しいトレンドに傾倒して元気が良いのがバッグや靴などの小物類。昨年末ルイ・ヴィトンが「ミロワール」という、文字通り「鏡」のような光沢のメタリックシルバー&ゴールドにモノグラムが型押しされたビニール素材バッグを発表したのを皮切りに、今シーズンは「ペッカペカ現象」が起きているのです。まさに「アルミ缶」や「金の延棒」を彷佛とさせ、「ピカピカ」という言葉では収まり切らない衝撃的なド・インパクト。故に私は敢えて「ペッカペカ」と表現しています。それに追随してエトロ、グッチ、トッズ、フェンディ等様々なメゾンでも独自のデザイン性を活かしながら、共通のペッカペカ素材でバッグや靴を続々発表しています。まるで本物のメタルで出来ているかのような眩い光沢、特にシルバーが大本命。また、プラダやミュウミュウでは落ち着いたメタリックカラー、エナメル素材のシャーリングバッグ(クシャクシャした形)が看板商品になっており、フェンディやシャネルではクリアなビニール素材を押し出したバッグが発表され話題のようです。そのシャネルも定番のチェーンバッグ「マトラッセ」にメタリックやパンチングレザーを起用、リバイバル人気に拍車をかけています。服は定番でもこういった小物を併せるだけで「フューチャリスティック」なムードは満喫できそうです。

ボリューミーなインパクトアクセに人気が集まりそう

総じて、この春のトレンドは全体的にエッジィでかっちりした強い印象よりも、ふんわりしていて曖昧、優しい雰囲気の中にメタリック系小物でスパイスを効かせる方向性が正解なのかなと思います。ふんわり、というイメージからアクセサリーもちょっと子供っぽいものが大人の女性の間でも注目されています。その代表はケネスジェイレーンのイチゴやどんぐりモチーフのペンダント。海外セレブが愛用した事から大ブレイク中です。
NYで学生時代、彼のオフィスに見学に行った事があります。アクセサリー界の大御所である事は知っていたのですが、お爺ちゃん世代の彼がここまで世界的にファッショニスタからのラブコールを浴びるとは意外でした。「大人可愛くありたい」欲求を満たす為か、そういったジョークの効いた可愛らしいコロッとしたデザインが人気なのです。実際80年代風バングルも注目株で、増々カラフルでキャッチー、ボリューミーなインパクトアクセに人気が集まりそうです。

本物素材のジュエリーは一点ならぬ「一粒豪華主義」

一方、本物素材のジュエリーは一点ならぬ「一粒豪華主義」という感じ。肌に馴染み、華奢で小粒なものをさりげなく身に着けるのが今の気分のよう。一粒ダイヤのプチネックもすたれたかと思いきや、モデル達がボティジュエリー(日常的に24時間着けっぱなし)として愛用している事からリバイバルを予感しています。また、アクセサリーの影響からコロッとした大きめでカラフルな半貴石を用いたキャンディリングも裏ヒットの可能性が。
地金はやはりシルバー系統の色味がメインに移行して行くのは確実視して良いでしょう。モチーフとしては、クロス、クラウン、イニシャル、フェザーが定番化した今、更に個性的で面白みのある新たな救世主の登場が求められているのが現状。こうなると「さりげなくおとなしめ」か「奇抜で挑戦的」両極端のどちらかが成功の鍵のように感じます。上流下流の二極化社会等と良く言いますが、ジュエリーのデザインにおいてもこんな風に二極化が進んで行くのではないでしょうか。(ジュエリーデザイナー・松崎真苗:tn-mz@axel.ocn.ne.jp)
■松崎マナ:2007新春ファションレポート第一弾 ■2007年2月1日 木曜日 13時55分41秒
「団塊マダムとアラサー娘のセット消費事情」

ここ数年、メディアで注目を浴びているのが「母娘消費」です。つまり、団塊世代のマダム達とその娘さんがお友達感覚でセットになって買い物や旅行に出かける事が非常に増えているのです。そういった理由から、また実際に自分達と照らし合わせても、二大消費マーケットである「団塊マダムとアラサー娘」の行動パターンを無視してはならないのではと思います。

“バブル”も“就職難”も分かっているのが『アラサー』世代

このセット消費、まさに私自身と母が面白い程当てはまるなぁと実感するのです。自分達の事ですから、良く分かります。私は団塊ジュニアであり、今注目を浴びている『アラサー世代』(アラウンドサーティ=30歳前後)です。私達の世代は人数が多いだけでなく、積極的な消費行動で注目されているようです。どっぷりバブルでもないけれどあの時代の空気は思春期になんとなく知っており、かと言ってチープでキッチュなコギャル世代にハマった訳でもなかった。ちょっと中途半端だけど「バブルという夢」も「就職難という現実」も両方分かっているのが『アラサー』なのではないでしょうか。
ひと昔で三十路ならば「そろそろオバサンだからファッションも落ち着かないと」と思ったのでしょうが、今の私達は「まだまだ守りに入りたくない!」というのが本音。しかも、他人事では無いのですが私達の独身率や初婚年齢がグンと上がって、お洒落や旅行、エステ等にかけられる精神的、物理的余力を持っているのです。今の30歳は、実際のところ25歳くらいの感覚。今でも109、ZARA、GAP等で安くて可愛い流行のアイテムを見つけたりする。一方でちゃんとしたブランドの良さも分かっているから、デパートや高級ブティックでバッグや靴、コート等「一点豪華主義」な高額商品も平気で購入。自分磨きでアロマセラピーを楽しんだり、趣味のスクールにはお金を惜しまなかったり。そんな「出すとこ出して、締めるとこ締める」バランス感覚の良さに注目しつつ、トレンドへの好奇心を刺激する『アラサー』向けの雑誌(グラマラスやジゼル、グリッター等)も創刊されて定着しました。

「一卵生母娘」スタイルでお友達感覚なのが『アラサー』の良さ

一方私の母の世代はまさに団塊であり、あらゆる意味で「上得意さん」になり得る大注目株です。60歳を迎えたらそれこそ「赤いちゃんちゃんこ」ですから、昔で言えば「もうお婆ちゃん」だったかもしれません。ところが今の母の世代は想像以上に若いのです。『アラサー』のように、20代が買い物をするエリアに平気で出没する元気さもあります。そんな団塊マダムとアラサー娘が「一卵生母娘」スタイルでお友達感覚なのが今の風潮なのです。マダムは、頭の堅い面倒くさがりなダンナ様と出かけるよりも、同性で色々な気持ちやお洒落心をシェアできる娘さんと一緒にいた方が楽しいのでしょう。ブティックやパーティーに出かけるのも、旅行やエステに行くのも、母娘の方が気兼ねが無いのです。さて、この注目の2大消費マーケットがセットになってやって来るのですから、これ程有り難い事は無いのでは。
団塊マダムの感覚が若くなっているのは娘さんと共に行動するからです。二人が一緒にデパートに行けば、普段行かない若者向けの売り場にも付合う事になります。すると「お母さんもコレ似合いそう」等と娘さんが説得力のあるお勧めをしたり、「こんなモノがまた流行っているのね。お母さんが若かった頃もね…」なんて新しいトレンドの発見もあるでしょう。若者向け商品ですから、当然お値段も可愛いもの。マダムは味をしめて「大人買い(まとめ買い)」「色チ買い(色違いで同じ物を購入)」をする事も。
また、娘さんもマダムと一緒ならばちょっと甘えて普段よりも背伸びしたお店に行ってみたり、更にそこでお財布の口が緩くなる可能性も。確かに30そこそこの私達が高級ブティックやレストランに自分達だけで行くよりも、マダムと一緒の方がお店側からの扱いが良いというのも事実です。それで思わず気が大きくなってしまう、などという事もあるのです。

『アラサー』世代にターゲットを合わせた企画も

一方マダムも「どうせ貴女に譲るのだから」とか「貴女と兼用できるわよね」等とつぶやきながら、高額のお買い物に踏み切る自分自身やダンナ様への「言い訳」もバッチリなのです。「私だけの為に買うのは勿体無いけれど、二人で使えるのなら思い切れる」そんな台詞を良く母の口から聞くのですが、実際「娘の私が自腹で買うには高いが、感覚的には若々しい品物」を母が購入し、私も借りたりする事が本当に多いのです。
このように、母娘がセットになる事で更なる消費行動をもたらすのは自分達で実証済みです。特にジュエリーはアパレルと違って残る品ですから、余計に彼女達のセット行動を無視してはこの先成り立ちません。昔は「そのうち娘に譲る」という感じでマダムのみで来店し自分の好きなものを選んでいたかもしれません。しかし最近では母娘セットで来店して娘さんの意向も取り入れながら「今から一緒に兼用できるもの」を選ぶのではないでしょうか。実際にお財布を出すのはマダム側でも、商品選別の決定権が娘さんに譲られている事も多いのです。商品構成だけでなく、お店の伝統や信頼を損なわずに店内のインテリアやパッケージをスタイリッシュにする事も欠かせません。展示会なども絶対セットで来場してもらう事が大事だと思います。展示会と言うと、これまでのターゲットは主にマダム層だけだったと思います。渋いディナーショーやトークショー等マダム好みな内容。そういった従来の形式以外にもリフレッシュした、20〜30代の娘さんが一緒に来ても楽しめるような若々しい雰囲気作りや商品、企画をして行く事も欠かせません。このままで娘さん世代に「なんかダサい、オバちゃんぽい」と思われてしまったら、次に繋がっていくのがなかなか難しいでしょう。セットで来場してもらうように工夫する事で、私達のような娘さん世代にもこの展示会という日本独特のシステムが定着して行くのではないでしょうか。ただでさえ若い時から海外ブランドに馴染み、ハイセンスで流行に敏感な娘さん世代です。日本の宝飾業界も彼女達の感覚を無視して団塊マダムばかりに気を取られていると、この先益々「将来の潜在顧客」を海外ブランドに奪われてしまいます。「ちょいワルオヤジ」の消費行動も注目されていますが、最も消費の実権を握っているのは団塊マダムとその娘さん『アラサー』である事を忘れてはならないのではないでしょうか。(ジュエリーデザイナー・松崎真苗:tn-mz@axel.ocn.ne.jp)
■松崎マナの【ファションレポ-ト第3弾】 ■2006年10月13日 金曜日 10時42分43秒
ネットオークションで消費者のリアルな価値観を知る  

 昨今ネットオ-クションが話題になっています。実は、私自身も7年くらい前からネットオ-クションを活用しており、不要なモノや探しモノの売り買いに役立てています。また、用も無しにただペ-ジを見ているだけでも色々な出品物があって愉しいものです。
そして、最近になって売り買い目的というよりもトレンド浸透力や消費者のリアルな価値観を知るツ-ルとして、この上なく便利なシステムであると思えるようになってきました。
 この7年の間に沢山の取り引きがありましたが、その経験から出品する際にどんなモノを出せば高く売れるのか、また、どんなタイトルをつけると落札者(消費者)の目を惹く事が出できるのか等、自分なりの法則ができてきました。オ-クションでは自分の出品しているモノがどれだけ多くの人に検索されて見られたか、また、ウオッチリストに入れてもらえたか等を即座に見る事が可能なのです。
すなわち、自分の商品にどれだけの「反響」があるのか見事に分かってしまうのです。また、他人の出品している商品でもどれだけ多くの入札があったか、どれだけ高い価格で落札されたか等から、それらがいかに人気があるか無いか分かってしまうのです。
また、人気商品というのはそれ相応の数が出回っているはずです。それも検索してしまえば一目瞭然で、商品の出品数で今何がウケてるのかが良く分かります。

注目を浴びるのは、やはり「雑誌掲載商品」

 ファッションの分野で言うとやはり注目を浴びるのは「雑誌掲載商品」でしょうか。「何々の何月号に掲載され、モデルの誰だれが着用」というタイトルはいいアピ-ル力があるようでした。それだけでなく、出品するものが有名ブランドや有名メ-カ-である事は検索に引っ掛かる率をぐんと上げてくれるのは当然です。そういった雑誌掲載商品を出品するのなら、雑誌の掲載直後は検索率がかなり上がるそうです。また大まかな流れで言うならば、シーズン始めよりも中盤になると「そろそろこういったアイテムが欲しい、安く見つけられないだろうか」と、多くの消費者がネットに流れて来るので全体的にシーズンアイテムが品薄になり、高値を引き出す事が出来るようです。
 例えば去年の秋の事です。モンクレールのダウンジャケットを現地で購入した私は、日本で幾らくらいするものなのか、興味本位でネットオークションで調べるました。10月頃では1年落ちの新品が半額以下で出品されており、あまりの安さにショックを受けたものです。しかし、12月〜1月のハイシーズンになる頃には需要が高まり、元の定価に近い高値で幾つも落札されていたようでした。これによって、いつ頃実際に消費者がシーズンアイテムを購入しようとするのかを掴む事が出来ます。

オークション上での価値と本当の人気度を確かめる

ネットオークションの基本原則は消費者側が購買価格(落札価格)を決めるシステムです。(中には『即買い』と言って、予め買価で出品されているものもありますが)つまり「本当は幾らだったら買うのか」という消費者の「本能」が見えて来ます。そのあたりは出品者と落札者との微妙な駆け引きも存在し、オークションの一番の醍醐味なのかもしれません。また、別の消費者の「本能」がリアルな価値観を左右する場合もあるのです。ある友人が「雑誌で見て物凄く欲しいデニムがあったけど、オークションで安値が付いていたのを見たら急に欲しく無くなった」と言っていました。逆に「デパートで見たブランド靴がオークションでは品薄だからと高値が付いてた。それを見たら買った方が得な気がして思わず購入した」という人もいます。「他人がその商品をどう評価しているのか」が生で見えるのがネットオークションです。実際私も雑誌で見て良いなと思うアイテムを店頭で購入しようとする前に、一応オークション上での価値=本当の人気度を確かめてしまう事もありました。

メディアが発するトレンドの真偽を確かめる

例えばあるバッグが雑誌に掲載されて「物凄い人気!」のように書き上げられていたとします。しかし、実際ネットオークションでは高値で落札されない、または定価を切る値段なのに再出品をくり返しているのであれば、それは本当の意味で消費者に受け入れられていないと判断をされても仕方がありません。確かにオークションというのは、タイミング等もあるので一概に決めつける事は出来ないのですが、一般消費者がいかにシビアであるか手に取るように分かってしまいます。どれだけ雑誌が「人気!品薄!入荷待ち!」と謳っても、実際ネットには出回っている事も多いですし、それでも価格がネックで売れないケースも多数見ています。メディアの発するトレンドの真偽は、リアルな消費者とぶつかり合う事で露呈してしまうのです。

トレンドの輪廻が加速しているのを実感してます

それでも雑誌掲載後1ヶ月程はかなりの影響力があるようで、品薄なモノはプレミア価格(実際の定価よりも高い値段)で取り引きされる場合もあるようです。しかし、7年間オークションの動向を見て来て思うのは、その「高値で取り引きされるモノのカリスマ性」というのが前程長続きしていないという事です。消費者が目移りする間隔がどんどん早くなり、次から次へと発信される新しいものに興味を惹かれているようです。ついこの前までは雑誌を賑わせていた最新アイテムが、2〜3ヶ月するともう値崩れを起こし始めていたりするのです。これは私がオークションを始めた頃にはありえなかった事です。トレンドの輪廻が加速しているのを実感する出来事です。

需要と供給のバランスから「分相応」の落札価格に

また、昔のように出品物に対して高値がつきにくい時代になって来ました。ネットオークションだけでなく、ネットショッピング・マーケットそのものが拡大し「消費者が検索し、購入できるモノの数」が絶対的に増えているのです。それゆえ消費者の持つ選択肢も増え、需要と供給のバランスから「分相応」の落札価格がつくようになったのでしょう。7年前ならばちょっと古いデザインやアイテムでもブランドの名前が付いているだけで予想以上の高値で落札される事が多かったのです。今はあまりそのような事を期待せずに、不要品がそこそこの値段で売れればなぁという気持ちでいる方が賢明かもしれません。
 ネットオークションでも多くのジュエリーが出品されています。それを見ていると、一体幾らまでなら現物を見ずに購入しようと思うのか。その商品のクオリティーならば幾らまで出そうとするのか。消費者のリアルな動向、彼等の「本能」が見えてくると思います。まだネットオークションを体験されていない方は、ぜひともご覧になる事をお勧めします。ただしミイラ取りがミイラになるようにのめり込んで寝不足になったり、挙げ句に余計なモノまで落札なさらぬようどうか御注意を…!(ジュエリーデザイナー・松崎マナ)
■松崎真苗のファッションリポート  『トレンド発信源の移り変りとトレンド戦国時代』 ■2006年8月10日 木曜日 12時34分37秒

ファッション・トレンドは、海外セレブが発祥

昨今は「セレブブーム」。ファッションのトレンドを見るに、その起源は全て今をときめく海外セレブです。ヒルトン家の令嬢パリスやニコール・リッチー(ライオネル・リッチーの娘)といった二世タレント、シエナ・ミラーやリンジー・ローハンといった女優、そしてファッションアイコンと呼ばれるケイト・モス(スーパーモデル)。彼女達のプライベートスナップは毎月必ず多くの雑誌に取り上げられ、持ち物、服装や愛用品、ライフスタイルまでこと細やかに紹介されるのです。そういった海外セレブ特集の掲載商品は問い合わせが殺到、すぐに売り切れてしまうとか。現在のヨガブームも、彼女達のようなセレブが発祥です。(つづく)

■遠い憧れの存在に近づきたい ■2006年8月10日 木曜日 12時34分3秒
この現象は、90年代前半の「スーパーモデルブーム」とどこか同じ様相を漂わせています。当時はシンディ、ナオミ、ヘレナ、クリスティといった超大御所スーパーモデルのスナップが毎月誌面を賑わせ、「何処どこのバッグを愛用」「何処どこのコスメを愛用」等細かい情報に女性達は非常に敏感でした。今では懐かしい記憶ですが、NYのデパート『ヘンリ・ベンデル』のストライプ柄のオリジナルバッグやスタジオ用のマイナーコスメだった『マック』が大ブレイクしたのも、全部彼女達のおかげでした。『コントレックス』というダイエット用ミネラルウォーターが出回り出したのも、彼女達が愛飲していたからでした。遠い憧れの存在だけれど同じものを愛用する事でちょっとでも近付きたいという思いは、いつの世でも女性にはつきものです。(つづく)
■短命に終わった「エディターブーム」 ■2006年8月10日 木曜日 12時33分24秒
その後90年代後半からはそういった「遠い憧れの存在」というのが段々と消えていく時代でした。むしろ「読者モデル」「カリスマ店員」など、等身大で身近だけどちょっとお洒落な「普通の女の子達」に注目が集まりました。有名読者モデルが雑誌に連載を持つなど彼女達の動向は常に読者を惹き付け、トレンドを牽引していたようです。その次には「エディターブーム」。海外有名ファッション誌の編集者やスタイリスト達のファッションが注目を浴びました。しかしまた時代は巡り、等身大な彼女達よりも「遠い憧れの存在」である海外セレブが今現在のファッションを司る時代が到来したのです。(つづく)
■トレンドも短命で飽きられるサイクルが早い ■2006年8月10日 木曜日 12時32分49秒
しかし前回の「スーパーモデルブーム」との違いは、消費者はより多くの選択肢をマーケットから読み取っており、全員が全員右に習えで一つのトレンドを追い掛ける訳ではないという事ではないでしょうか。12年前と比べると海外との距離もより密接になり、沢山の種類の「モノ」が流入し、消費者は目が肥えてきているのだと思います。様々なファッションスタイルが確立されており、流行に翻弄されるというよりも「それはそれ、これはこれ」と自分に見合ったものを賢く取り入れる。また、ピックアップされるトレンドも「何処どこの何なに」といった風にピンポイントである事は似通っているがその傾向がより一層強く、トレンドも短命で飽きられるサイクルが早い。そういった事を感じ取れます。(つづく)
■ブランドの品番や型番がより重要になっている ■2006年8月10日 木曜日 12時32分11秒
「スーパーモデルブーム」当時は、その裏でカリスマブランドも存在していました。「シャネラー」という造語まで生み出したシャネルブームに始まり、プラダ、グッチ、そしてヴィトン。以前はそういったブランドのモノならとにかく何でも良い!という風潮がありました。しかし今はそういったブランド自体にカリスマ性があるのではなく、上に挙げたように「ピンポイント」で「モノ」そのものにカリスマ性があるようです。クロエの『パディントンバッグ』、アレキサンダーマックイーンの『スカル柄スカーフ』、ダイアンVファステンバーグの『ラップドレス』、クリスチャンルブタンの『ウェッジソールパンプス』等、「御指名買い」と呼ばれる消費傾向はブランド名そのものでなく、その品番や型番がより重要なのです。消費者はよりフラットな価値観で「そのブランドが好きか」よりも「そのモノが好きか」どうかで動く。つまり、ブランド名という表面だけに踊らされるのではく、きちんとモノそのものを見る力が養われつつあるのではないでしょうか。こういった事からブランド側は常に革新的で消費者の心を掴むような商品の開発を迫られ、あぐらをかいていられる時代ではなくなって来たようです。(つづく)
■まさにトレンド戦国時代、トレンドから目が離せない ■2006年8月10日 木曜日 12時31分35秒
さて、同じ事がジュエリーの世界でも言えるのではないでしょうか。有名ブランドのだからという理由だけで売れる時代は終わりました。裏を返せば、何処の何が売れるか作っている本人達でも分らない。モノそのものに魅力とカリスマ性があれば、ヒットのチャンスは平等に恵まれているという事ではないでしょうか。まさにトレンド戦国時代。トレンドが広く浅く濫立し、素早く回転するようになって来た中でどの勢力に追随するか。また、自ら新しい勢力を立ち上げるのか。これから季節の変わり目にかけてセレブの動向も含め、トレンドから目が離せないようです。(おわり)
■『メジャーかマイナーか』@ ■2006年5月17日 水曜日 13時55分13秒
【時代と共に成長する消費者の二択】 昨今面白いと感じるのは、族に言う「ジュエラー」だけでなくグッチやディオール、ヴィトン等の一流ブランドがこぞってジュエリーを発表している事です。しかし、最近更に衝撃的だったのがアルマーニ、ヴィヴィアン=ウエストウッド、そしてコム=デ=ギャルソンといった純粋な「服飾ブランド」までがアクセサリーでなくジュエリーを発表している事です。
アルマーニと言えば、カーザアルマーニという総合ショップを銀座に建築中です。彼はインテリア、チョコレート、フラワーショップ等も手掛けていますが、去年くらいから今迄の雑貨ではない本物の素材を使った大胆なジュエリーを発表していました。また、ヴィヴィアンはパンクやゴスロリの象徴的な大御所デザイナーですが、彼女独自の王冠モチーフやスカルを本物のダイヤやゴールドをふんだんに使ったシリーズで発表しています。ギャルソンはこの春始めて本物の素材を使用したジュエリーを発表。パールの色合いで魅せるシンプルなネックレスです。(ジュエリーデザイナー・松崎真苗)
■『メジャーかマイナーか』A ■2006年5月17日 水曜日 13時54分31秒
【新たな富裕層は「分かりやすいリッチ感」】また、先日久々にクロムハーツの広告を見ました。それも、アメリカンエクスプレスの会報誌です。クロムと言えばシルバーのはずが、その広告では全て22K素材でダイヤ、ルビーやサファイア等の色石をあしらったものばかりを掲載していました。15年くらい前から流行しだし、今でも不動の人気を誇るクロム。単なるシルバーブランドからジュエリーの世界へアピールを広げたい意図が感じられます。そもそも、この現象は80年代にアルマーニやギャルソン、ヴィヴィアン等に馴染み、愛好していた購買層が本格的にジュエリーを買えるようになって来たからではないでしょうか。
また、クロムもあれから15年経って第一世代も30〜40歳代に突入しました。そういった彼等の「いつまでもシルバーでは…」という、入門編の若者とは差別化を図りたい心理を上手くついているのではないかと思います。
ここで問題になるのが、潜在的なジュエリー購買層が我々ジュエリー業界から離れ、そういったファッションブランドの宝飾品をアクセサリーの延長で購入する傾向がこの先増々強まって行くのではないかという事です。これまでの団塊の世代とは全く違ったアプローチ無しに、次世代を我々ジュエリー業界の主力購買層に引き入れる事はかなり難しいのではないかと強く思います。ITバブルと言われる30歳代を中心とした新たな富裕層は「分かりやすいリッチ感」を好みますし、早くからブランドに慣れ親しんで来た分、ブランドへの忠誠心も堅いのかもしれません。そういった新有力購買層をいかにこちらに誘うか、それが課題です。
しかし一方で、ブランドというブランドがありふれ、出尽くした感もどことなく漂っているのは確かです。あまりにも分かりやすいブランドという冠をかぶっている事が、かえって気恥ずかしくも思える風潮が確かに存在している事は否めません。今更、大学生でも使っているようなものを本物志向の人達が好むとは思えないのです。分かりやすさの対極にある「玄人好み」「カスタマイズ」「知る人ぞ知る」「オリジナル」「マニアック」そういった本物志向が別口で太い道筋になって行くというのが、この先の少子化や格差社会という現象を考慮しても、濃厚なのではないでしょうか。(ジュエリーデザイナー・松崎真苗)
■『メジャーかマイナーか』B ■2006年5月17日 水曜日 13時53分46秒
【ブランド飽和の今、“エディターズバッグ”と呼ばれる新しい流行現象】ファッションの世界で分かりやすい例を挙げると、実際10年程前と比較してみると三角マークの付いたナイロンのプラダやロゴ全面のグッチのような、「分かりやすいブランド品」はあまり売れていないように感じます。私の周囲でも最近使っている友人があまりいないのです。唯一、一人勝ちと言われるのがヴィトンです。それは彼等が毎シーズン良い意味で期待を裏切るような新作を発表し続けている一方、ヴィトンならば「変わらない価値」があると老若男女幅広い層の消費者に認められているからだと思います。
プラダは一世を風靡したため、逆に自分の首を絞めるハメになったようです。今は流行に左右されない独自の世界を築き上げる手法に転じ、以前のモデルを復刻させたりしています。エキセントリックな個性派の地位を保つ意味で、他のブランドが決してしないであろう大胆なデザインだったり、職人的細工に走ったりして、「ナイロンバッグ」イメージからの脱却を図っているようです。
また、グッチは伝説的デザイナーのトム=フォードから新しく若手女性デザイナーに世代交代しました。従来のシンプルでスタイリッシュなラインを裏切らない見事な引き継ぎでしたが、この先グッチのロゴに見飽きた消費者をどうつなぎ止めて行くのかが見どころで
はないかと思います。
ネームブランド飽和の今、「エディターズバッグ」と呼ばれる新しい流行現象があります。海外の有名ファッション雑誌のエディター達がこぞって持っているバッグが注目されているのです。彼女達のようなファッションピープルは他人と持ち物がかぶる事を嫌うので、当然そういったネームブランドよりも「知る人ぞ知る」モノに注目が行くのです。
今はクロエやマルベリー、ルエラ、そして大ヒットのバレンシアガ等の方が「ツウ好み」で人気、しかも絶対販売数が少ない為に常に品薄です。そしてその品薄である事実が更に消費者に火をつけてしまうのです。値段もヴィトンの人気モデルよりも高いものが多いのですが、その「実はこう見えて高いのよ!」という絶妙な価格設定も「選ばれた者にしか手に出来ない」ステータス感を煽っているのです。どちらかというとマイナーなモノが、マイナーであるが故、「希少性」を武器に転じてメジャーになってしまう面白い現象です。街でもバレンシアガやクロエの偽物を持っている人が非常に多いのも事実です。
「リーズナブルである事」それが生き残るのに一番です。(ジュエリーデザイナー・松崎真苗)
■『メジャーかマイナーか』C ■2006年5月17日 水曜日 13時52分54秒
【ブランド品は「理にかなっていない」値段】極めてメジャーかマイナーか。そうなるとこの先中途半端なモノは本当に淘汰されて行ってしまう気がします。中途半端でも、値段が安ければ価格競争という意味で勝ち組でいられるかもしれません。しかし、価格競争で言ったら、中国やタイ、動き出したインドにはどうしてもかなわないでしょう。そこで私が思うのは、「リーズナブルである事」それが生き残るのに一番大事なのではないかという事です。リーズナブルとうと、日本語では「お値打ち」とか「お手頃」という感じで使われていますが、ここでの真意は「理にかなっている」という事なのです。つまり、カスタマーが「この造りの良さ、こだわり、デザイン、品質ならばこの値段を出したとしても理にかなってるな」と思い、納得して購入してくれるようなモノを造ると言う事です。
そもそも、ブランド品は「理にかなっていない」値段ですし、要はそのブランドの名前にお金を出しているだけの話です。そういったブランドネームが無い我々ジュエリーデザイナーはどうすべきか。中途半端なモノであれば「コレだったら、カルティエ買った方が良いよね〜」と流されてしまいます。目が肥えて来たカスタマーに対し、だんだんと誤魔化しがきかなくなって行きます。「とにかく売れりゃあ良い」という姿勢や、単に人気ブランドの売れ筋モデルの跡を追うだけの「二番煎じ」では、カスタマーはブランドに取られてしまいます。真摯な態度でいれば、目が肥えているからこそ逆にこちらの存在に気付いてくれる人も多いのでは無いでしょうか。私はそう信じて止みません。
ファッションは勿論の事、デザインやアートの世界でも広く興味を持たれ、文化的に一目を置かれる存在となったJAPAN。私達だからこその「JAPAN発」技術力と感性を、今一度本気で見直してみる時期なのかもしれないと思っています。(ジュエリーデザイナー・松崎真苗)
■『メジャーかマイナーか』D ■2006年5月17日 水曜日 13時52分7秒
【首回り事情に異変】ここ数年で、微妙にネックレスやペンダントの長さに変化が見られていました。徐々にですが、ピッタリめよりもちょっとルーズな長めのタイプに人気が移行しているようでした。雑誌NIKITAで「乳間(ニュウカン)ネックレス」なる60〜70センチ程のタイプが取沙汰されたのも象徴的でした。ところが、今シーズンの様々なファッション誌やブティックでは明らかにロングが流行しているのが分ります。それまでの乳間どころか、100センチレベルの長いチェーンやパール、シェル、ビーズなどを用いた大振りなものまで目立ちます。この夏はレトロ風の上品で女性らしいワンピースやふんわりしたスカートの流行もあって、胸元の演出には個性的で大胆、かつフェミニンなものが好まれるのだと思います。
特に現在は先シーズンからトレンド再燃「金ボタン」の影響もあってか、断然ゴールドカラーが人気のようです。どこか80年代〜90年代初頭を思わせるような華やかで「きちんと感」のあるファッションがこれからの気分で、それまでのジャージ、パーカーにクラッシュ(穴空き)デニムといった西海岸的なルーズなファッションは影を潜めそうです。これから秋にかけて本格的にスキニーデニム(スリムジーンズの事)やレギンス(スパッツ、カルソンの事)の流行が定番化してくると、同じようなトレンドがあった80年代や90年代半ばを意識して、上半身には自然とボリュームの出るアクセサリーが好まれる続けるであろうと思われます。
渋谷や原宿で10歳代の女の子がジャラジャラとジャンクなアクセサリーを重ね付けしている姿がモードに影響を与え、今やそれを逆輸入という状態です。今度はこのトレンドが幅広い層で定着しはじめると、大人の女性までも上質素材でボリュームのある「本物ジュエリー」を身につけるようになるのではないでしょうか。例えば品のあるプレーンなYGのロングチェーンを入門編として、ジュエリーでもそういったトレンドを追求するようになるのではと思います。
実際今年になってから、カルティエやブルガリ等の有名ジュエラーでも人気モチーフを所々にあしらって、お腹まで届くようなゴージャス且つシンプルなロングチェーンネックレスを投入してきています。これまではロングネックレスというとマダム世代向け一辺倒というイメージでしたが、これからは20〜30歳代の女性でも気軽に出来るシンプルでフレッシュなデザインを意識した方が良さそうです。(ジュエリーデザイナー・松崎真苗)
■『メジャーかマイナーか』A ■2006年5月17日 水曜日 13時50分3秒
【新たな富裕層は「分かりやすいリッチ感」】また、先日久々にクロムハーツの広告を見ました。それも、アメリカンエクスプレスの会報誌です。クロムと言えばシルバーのはずが、その広告では全て22K素材でダイヤ、ルビーやサファイア等の色石をあしらったものばかりを掲載していました。15年くらい前から流行しだし、今でも不動の人気を誇るクロム。単なるシルバーブランドからジュエリーの世界へアピールを広げたい意図が感じられます。そもそも、この現象は80年代にアルマーニやギャルソン、ヴィヴィアン等に馴染み、愛好していた購買層が本格的にジュエリーを買えるようになって来たからではないでしょうか。
また、クロムもあれから15年経って第一世代も30〜40歳代に突入しました。そういった彼等の「いつまでもシルバーでは…」という、入門編の若者とは差別化を図りたい心理を上手くついているのではないかと思います。
ここで問題になるのが、潜在的なジュエリー購買層が我々ジュエリー業界から離れ、そういったファッションブランドの宝飾品をアクセサリーの延長で購入する傾向がこの先増々強まって行くのではないかという事です。これまでの団塊の世代とは全く違ったアプローチ無しに、次世代を我々ジュエリー業界の主力購買層に引き入れる事はかなり難しいのではないかと強く思います。ITバブルと言われる30歳代を中心とした新たな富裕層は「分かりやすいリッチ感」を好みますし、早くからブランドに慣れ親しんで来た分、ブランドへの忠誠心も堅いのかもしれません。そういった新有力購買層をいかにこちらに誘うか、それが課題です。
しかし一方で、ブランドというブランドがありふれ、出尽くした感もどことなく漂っているのは確かです。あまりにも分かりやすいブランドという冠をかぶっている事が、かえって気恥ずかしくも思える風潮が確かに存在している事は否めません。今更、大学生でも使っているようなものを本物志向の人達が好むとは思えないのです。分かりやすさの対極にある「玄人好み」「カスタマイズ」「知る人ぞ知る」「オリジナル」「マニアック」そういった本物志向が別口で太い道筋になって行くというのが、この先の少子化や格差社会という現象を考慮しても、濃厚なのではないでしょうか。(ジュエリーデザイナー・松崎真苗)
■『メジャーかマイナーか』 ■2006年5月17日 水曜日 7時6分58秒
【時代と共に成長する消費者の二択】 昨今面白いと感じるのは、族に言う「ジュエラー」だけでなくグッチやディオール、ヴィトン等の一流ブランドがこぞってジュエリーを発表している事です。しかし、最近更に衝撃的だったのがアルマーニ、ヴィヴィアン=ウエストウッド、そしてコム=デ=ギャルソンといった純粋な「服飾ブランド」までがアクセサリーでなくジュエリーを発表している事です。
アルマーニと言えば、カーザアルマーニという総合ショップを銀座に建築中です。彼はインテリア、チョコレート、フラワーショップ等も手掛けていますが、去年くらいから今迄の雑貨ではない本物の素材を使った大胆なジュエリーを発表していました。また、ヴィヴィアンはパンクやゴスロリの象徴的な大御所デザイナーですが、彼女独自の王冠モチーフやスカルを本物のダイヤやゴールドをふんだんに使ったシリーズで発表しています。ギャルソンはこの春始めて本物の素材を使用したジュエリーを発表。パールの色合いで魅せるシンプルなネックレスです。(ジュエリーデザイナー・松崎真苗)

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