高野耕一のエッセイ

2021/01/23
■ 明日を創る20人の仲間

教授がいないね、ぼくが言い、遅れてくるそうです、最前列のウーパールーパーくんが答える。よし、教授がくる前にパッパッと勉強して、きたらお疲れさまって解散しちゃうか。左の席のフランシスコ・ザビエルさんが、にっこりと笑う。
渋谷。道玄坂。20人の仲間が、明日の価値を創るために集まっている。イベントプロデューサー育成講座。それが教室の名前だ。ジェット企画という、空を飛びそうな名前の会社のイベントプロデューサーの美人の友人に頼まれて、ぼくは彼らと出会った。
目の前に20のすてきな頭脳がある。彼らと、イベントのこと、広告のことを勉強する。先生はぼくだけではない。大村先生は、教材を基にプロジェクターを駆使して、理路整然と授業をなさる。羽深先生は、豊富な知識と経験で、きちんと生徒の心に訴える。
さて、ぼくはというと、みんなと遊んでいる。ぼくには教材はない。教室だってなくてもいいけれど、いまは寒いから風避けにはあったほうがいい。頭脳はどこでも鍛えられる。それに、他の先生の授業と同じことをしてもつまらないから、ぼくは、「アイディアの創り方」というよくわからないテーマを掲げた。アイディアってなんだ?とか、アイディアを生む頭脳はどうなっているんだ?とか、わけのわからないことをみんなと勉強している。わからないから勉強するんだ、と余計わからないことを言っているから、むしろ生徒のほうが優秀だ。先週は、ハーバード大学のサンデル教授のまねをして、正義(ジャスティス)について、大騒ぎをした。みんな目がぎらぎらして、やる気十分だ。教祖は、サンデル教授の番組を結構見ているらしく、もしかしたらジャスティスについてはぼくよりいい授業をしたのではないかと思う。教祖というのは、ぼくが呼んでいるだけだが、道玄坂ですれちがっても、思わず手を合せたくなる風貌は、あれはただものではない。若き、麗しき女性も数人いて、明るく熱心に勉強している。女性の繊細さって、イベントプロデュースには欠かせないものがある、と雰囲気でわかる。
ぼくは、やがてどこかで彼らといっしょに実際にイベントプロデュースをやってみたいと、ふと思った。3月に「渋谷がメディア」という授業があるから、そのときは、真剣にすてきなイベントをみんなで考えようと思っている。若者の街、渋谷を夢の発信地にしてやろうと思う。子どもにも楽しいイベント。いや、高齢者だって好きになる渋谷にしてやる。彼らといっしょならできそうな気がする。夢のある企画はできる。なぜなら、企画をする彼らに夢があるからだ。ビジネスは、ビジネスを超越したところに成功がある。人の才能は、夢によって大きく花開くものだ。こんなことを言うから、わけのわからない授業になるのかなあ。そうだ、このエッセイをご覧の社長さん、宣伝担当の方、20のすばらしき頭脳を寄せ集め、渋谷をメディアにして楽しいイベントプランを創りますよ。もちろん、ギャラは不要です。だって、お勉強ですもの。詳しくは、ジェット企画の篠塚プロデューサーまでご連絡を。でも、彼女、プロだからギャラなしはダメかなあ。
2021/01/23
■ トイレ作家

作家の野坂昭如さんは、銀座に5軒の緊急用の酒場をもち、昼間から開けておいてもらったという。わたしはというと、いま、銀座に5カ所、緊急用のトイレをもっている。そういう年齢である。
さて、そのトイレに入るときである。5分以上長居をさせていただく際、どうも手持無沙汰で間が持てない。ケータイ電話で話したり、メールをチェックしたり、メールを打ったりしているが、これはどうみても相手に申し訳ない。相手にはこちらが見えないし、結構ゆっくり丁寧に話ができるのだが、やはり申し訳ない。デスクに向かって真剣に仕事をしている相手にたいし、いくら見えないとはいえ、尻を出しているのはやはり失礼だ。
ある友人にそのことを話したら、面白い、今度相手が昼飯のときやってみる、と言っていた。トイレでのケータイは一切やめた。メールもメールチェックもやめたら、なんとも間抜けな時間となった。みんなはなにを考えるのだろうかと、ア行からワ行まで順番に友人の顔を赤くして力む姿を思い出してみたが、それほど面白くないのでやめた。
ふと思いつくと、わが家では、トイレで読む本、風呂で読む本、リビングで読む本、夜中に読む本、休日にテラスで読む本、公園で読む本、就寝前に読む本と、場所と時間によって本が仕分けされている。となると、そうだ、トイレで読む本を持って歩けば悩みは一気に解決する。銀座のトイレで読む本を決めれば、ケータイを使わなくてもすむ。それで間が持つ。うまい考えにわれながらニンマリする。
さて、そこで銀座のトイレにふさわしい本はどれだ。ストーリー重視ではなく、文体の問題かもしれない。では、作家はだれだ。何人かの作家をテストさせていただいた。決まりました。片岡義男さんとつかこうへいさん。もともとバスの中で読んでいた片岡義男さんの、あの爽やかな文体は実に便通に効果があることが判明した。
つかさんのテンポのよさも効果がある。山本周五郎さん、池波正太郎さんは、どうも中途半端だ。夏目漱石、ヘミングウェイ、スタインベック、アーサーミラーは、出かかったものが引っ込みそうで、これはいけない。大失敗だった。ミステリーも好きで、アガサ・クリスティはまだいいが、コナン・ドイルと松本清張はダメだ。東野圭吾はまあいいが、やはり片岡義男には勝てない。ちなみに、そういうトイレ作家を持つということは他の人にもあるのだろうか、と興味がわいたが簡単に聞ける話題ではない。
なあ、あなたどう? と一番身近な妻に聞いてみたいが、潔癖を絵に描いて額にいれたような妻のこと、口元に不敵な笑みを浮かべ、黙って離婚届けを差し出すだろう。無敵のトイレ作家片岡義男さんを渋谷のトイレで試してみたが、ここでも驚くべき効果を発揮した。最近では、書店で片岡さんの本を見かけただけで、便意をもよおすようになった。先週、片岡さんの本を2冊失くした。でも、さすがに銀座のトイレに探しにいく気にはならない。風呂での最適本はヘミングウェイだったが、風呂で寝る癖があり、100回以上読んでいる「老人と海」は気がつかないうちに本の下半分が湯につかり、たっぷり湯を吸い込み、上半分の倍の厚さになったため、風呂用の新しい本を探さなければならない。やはり風呂には、「月刊アクアラング」とか「週刊潜水ジャーナル」とかの雑誌がいいのかなとも思っている。
適材適所ならぬ、適本適所、適作家適所である。年の締めくくりにトイレの話になってしまった。申し訳ありません。でも、こんな場所にはこの作家がいい、とお気づきのものがおありでしたぜひお教えください。とりあえず、お正月に雑煮を食べながら読む本は、なにがいいでしょうか? どの作家がいいでしょうか?

2021/01/23
■ ロマネコンティは、裏切らない

伝説の闘牛士オルテガは、大観衆を裏切り続けた。牛をお決まりの流れに乗せて殺すのは長い経験を積んだ彼には、お手のものだった。それでも牛は生き生きと挑戦的に見えたし、オルテガの一挙手一投足は、実に勇気あるものに見えた。華麗なる偽りの演技に人々は感動し、絶賛した。オルテガはすでにわずかな勇気さえ失い、決められた流れの中で、命をかけている風に見せただけだった。牛も角の先を数センチ切られ、鑢で磨かれ、深爪のように痛んだ。
一方、若い闘牛士チコは誠実で、まっすぐに牛に立ち向かう勇気をもっていた。無駄のない動きは若い豹のように美しく、牛の命に自分の命を真正面からぶつけた。だが、オルテガの巧妙な包装紙に包まれた嘘を人々は見抜けず、チコはその人気を越えることはなかった。
嘘。大きな嘘と小さな嘘。裏切り。大きな裏切りと微細な裏切り。それらをかき集め、大河となって流れる街。社会。世界。小さな嘘の積み重ねこそ実は罪なのだ。流れの中に確実に存在しながらそれらの嘘に隠され、目に映ることのない真実。あるいは、おしゃれなリバーシブルコートのように、嘘と真実は表裏でくっついていて、実は同じものなのか。
あれは何年前になるだろう。その人と目白の元貴族の持ち物である庭園にいた。年老いたその人は、芝生に続くギリシャ風の彫刻を施した石段にゆったりともたれ、秋の日差しのように穏やかに、屈託のない微笑みを浮かべていた。写真家が太く長いレンズのカメラを構え、彼の自然の表情を狙う。彼が無理なく自然に振舞えるように、わたしは彼の話し相手となって談笑し、うなずき、笑う。その人は、わたしを数年来の友を見るように温かく見、話しかける。ワインは好きかね。好きです。しかし、先生のように通ではありません。味がわかりません。人がこれはある年のいいワインだと言えば、確かにうまいと感じます。麹町でロマネコンティを飲ませてもらった時は、思わず泣きそうになりました。先生は声を上げて笑う。でも、頭で味わっていたのです。舌ではなく、頭に刻み込まれたロマネコンティのイメージがワインの味を輝かせたのでしょうね。情けないです。ロマネコンティか。確かにうまいがね。それだけのことだよ。家の建前の時にね、大工たちと酒盛りしてロマネコンティを飲んだけど、彼らは焼酎ばかり飲んでたな。
先生、本ものってなんでしょうか? そうなあ、本ものなあ。それは、本ものを見分ける力のある人物がこれは本ものだと思うもの、そういうものかな。先生が本ものと思うものが本ものですね。さて、どうだろうか。真実もまた、見分ける力ですね。そうだな。一度わたしの青山の事務所にこないか。ワインを飲もう。わたしもワインを1本用意しておくから、きみも1本買ってきなさい。本ものさがし、真実の話をしよう。ただしだ、千円以下のワインにしてくれよ。
人の、嘘も、裏切りも、見ればわかる。まず、欲が見える。自分だけが良ければいいという欲が見える。真実を見抜くのはむずかしいが、まず、嘘と裏切りだけは見抜かなければならない。それをするためには、自分が本ものにならなければならない。そう、あの人は教えてくれた。目の前の嘘を真実と認めてしまう闘牛場の大観衆と、華麗に嘘をつく人間が多い。本もののワインを見つける前に、わたしは本ものの人と出会い、本ものと真実を教わった。それを教えてくれた人の名は、石津健介。むかし、ヴァンという会社を創った人だ。
2021/01/12
■ 理想の夫婦

國學院大學空手道部ОB会の副会長を務めさせているせいで友人が多い。その中でも同じ副会長のKくんと理事のHはとくにウマの合う二人である。
そのKくんが千歳烏山に引っ越してきた。それを機に10数年前に離婚した奥さんと再び同居することとなった。めでたいことである。
そこでHとわたしは、引越祝いと称して新居に押しかけることにした。台風の影響で九州地方が豪雨に襲われた翌々日の土曜日のことだ。
東京でも降り続いていた雨が上がり、朝から気持ちよく晴れた空には虹がかかった。夕方5時にKくんのうちに行く約束だったので、わたしはHと千歳船橋駅に4時に待ち合わせをし、バスで向かった。千歳烏山の旧甲州街道沿いのマンションの4階と5階、メゾネットタイプのおしゃれな新居だ。駅から5分の便利な場所にある。同じ釜の飯を食う、とよくいうが、こういう友人は心が許せて実に貴重で、普通なら失礼になる会話も平気でかわす仲である。
「とも」という文字は二つあって、「朋」は同じ師匠に学ぶ仲間で、「友」は師匠がちがっても同じ志をもつ仲間のことをいう。わたしたちは、同じ師匠をもつ「朋」である。通常は友の文字で両方を表現しているので、わたしも敢えて変えることはしないが、KもHも「朋」なのである。
料理は、奥さんのY子さんと、Kの次男が腕をふるい、うまいものを揃えてくれた。Kの次男は和食の料理人である。Y子さんは、穏やかな笑みを浮かべて立ったり座ったりをまめに繰り返し、リビングとキッチンを行ったり来たりしてくれる。大阪宝塚に実家のあるふくよかな顔立ちの、品の良いお嬢さんタイプである。
「なんで離婚したの?なんでまたいっしょに暮らす気になったの?」とHが遠慮なしに聞く。KとY子さんはそれでもにこにこと話してくれる。「自分のわがままです」。Kがいう。「わたしは三男なのでわがままなんです。いまは、あっちの端の部屋がわたしで、彼女はこっちの端です。この間合いがいいですね」。
そういえば、山村美紗と西村京太郎は同じマンションで部屋は別々、中間にリビングとなる部屋を持っていたという。「それが理想的だね。心にも間合いが必要だ」。わたしは思う。遅れてきたわたしの妻も参加し、夫婦論になる。Hの妻が乳がんを患ったのは5年前になるという。切らずに治したいという彼女の希望をHは、かなえるために大阪は関空近くの病院に治療に行く。「ホテルに泊まったり、金はかかるが、これまで苦労かけたしね」明るいHが、一瞬顔を曇らせる。「また発病しているので、今度は全摘かもしれない」。
Hは若き日、ファッションメーカーのVAN(ヴァン)に勤め石津健介氏にセンスを学び、その後奥さんと二人で青山、代官山とおしゃれなアメリカンバーを開いた。子どもはいない。だから、ずっと奥さんといっしょに暮らしてきた。「彼女はいっしょに働くのをほんとはいやがったんだ」。
Hは長男で、弟と妹を持つ。美容院を経営する母に育てられ、やさしい少年のような顔をしているが気持ちも同様にやさしい男だ。「ところで先輩のところはどうです?」Kが尋ねる。「いや、おれもわがままだから」。わたしは答える。
男ばかりの5人兄弟の長男で、威張って生きてきた。なんでも一番になりたがった。妻は5人兄弟の末っ子で、大事にされて生きてきた。お互いにないものばかりだから、それを尊重し合えばすばらしいが、否定し合ったら大変な目にあう。人に指図されるのが大嫌いなわたしであり、なんでもわがままを通してもらった妻。同じ目的を持って力を合わせればいいのだが、相手を思い通りにしたいと思ったらこれは最悪となる。
結婚して40年、理想とはほど遠い夫婦である。「ゆっくりと、ていねいに生きればいいよね」。わたしのわけのわからない言葉にY子さんがにこりと頷いてくれた。うまい料理、うまい酒の土曜日だった。



2021/01/12
■ 映画が主役だった時代

銀座のネオンがガラス窓の向こうで瞬き、男6人と女1人が窓際のテーブルでグラスを傾ける。黒澤映画の「7人の侍」のようでもあり、ただの「酔いどれ天使」のようでもある。俳優の千波丈太郎さんをまん中に焼酎「海童」のボトルをドンと置き、水で割って飲む。その横でマネージャーでありプロデューサーでもある、元タカラジェンヌの奥さまが美しく笑う。シモさんが千波ママと呼ぶ奥さまは、金色の髪をオールバックにして短くまとめ、黒い上下の衣装で精悍な宝塚男役のイメージ。
千波さんの右隣、窓際に「坂の下のシモ」ことシモさん。千波ママの横に、天才画家ジミー大西をちょいと老けさせた風貌の、昭和の映画をこよなく愛する「キド佐藤」。テーブルをぐるりと回って、その隣がわたし。そして、その隣に「ちらし小川」。ちらし小川氏は千波ママと同じ名前で、そうかそうかで話が盛り上がるかと思ったら、「キド佐藤」がすぐ横からぶち壊した。その隣、窓際、シモさんの前に「パラダイス藤田」が、この集まりじゃあおれだけが若いという顔をしている。が、実は回りが若くないだけの話。
威張ってみても迫力はない。話は終始、昭和映画の話。千波さんが赤城圭一郎を殴り飛ばした日活映画「不敵に笑う男」「幌馬車は行く」をわたしは高校時代に見ている。新東宝、大映、東映、と昭和映画の海を自由気ままに酒の舟に乗って漂う。いかの一夜干しをくわえながら勝新太郎をつつき、マグロをつつきながら市川雷蔵を肴にする。池内淳子のデビュー作はさあ、などと昨日のように話す。
千波さんは、拓大出身で、空手、剣道、合気道を合わせると10数段とそこらの階段が思わずうつむくほどの格闘家。戦う俳優である。端整な風貌、鋭い眼光、その存在感で敵役ややくざ役が多い。いま、髪を後にきれいに流した総髪、白いシャツ、明るいグレーのジャケット、背をすっきりと伸ばしゆっくりほほ笑みながらグラスを上下させる。
反面、キド佐藤は、思わず「回転くちびる」とか「壊れたラジオ」と呼称したくなるほどよくしゃべる。止まらない。いつ呼吸するのだろう。いかの足をくわえたまましゃべっている。だれかスイッチを切ってくれ。「ちらし小川」がその役。プロデューサーの千波ママの、映画も宝塚もチケットが売れてナンボの世界よ、というのを聞き、その通りと身を乗り出すキド佐藤。わたしキド番やります。それでキド佐藤と命名。映画や芝居にはちらしが効果的、ちらしが命と叫ぶ小川氏。それでちらし小川。
新宿にいる映画監督が、5000万円あれば一流の俳優とスタッフで一流の映画を創ってみせるという。いまの時代、ネットで一人100円を50万人から集めればいい。キド佐藤がいう。もう千波さんがいるから、役者は一人決定。50万人全員助監督にするといえば集まりもいい。それじゃエンドロールだけで2時間かかりますね、とパラダイス藤田。いっそのこと100万人集めれば1億円。5000万円浮くじゃない。その浮いた5000万円をどう使うかという話にしないか。
驚いたことにパラダイス藤田の父は、実際に北海道で映写技師をしていたそうだ。カラカラとフィルムが回る音、まだ耳に残っています。火事は出さなかったろうな、坂の下のシモさんが茶化し、千波さんが海童をゆっくりと口に運んだ。映画が主役だった時代っていいですね、パラダイス藤田がしみじみといった。この勢い。人間、酒飲んで仕事したほうがいいのじゃないですかね。この7人に限っていえば、まちがいない。さて、酒の舟が沈没する前にエンドロールを流して桟橋に引き返そう。
2021/01/12
■ 不惑、喜惑、悦惑

友人のシモさんは、北海道出身。通りすがりの女性が振り返るほどではないが、かなりのイケ面。太い眉と目の覚めるような銀色のふさふさの髪が特徴だ。わたしは、初対面のときこの銀色の髪が目につき、以来「北のオオカミ」と呼んでいる。
若い連中の面倒見がいい。真っすぐな性格で、嘘がつけない。嘘をついても下手。すぐばれる。不器用なのです。こういう性格は、サラリーマンには向かないと余計なことを思う。サラリーマンは、どんなご婦人を前にしても「お美しい」の一言を心から言えるようでなくてはならない。それが基本だ。そう思っている。「3つの真実に勝る1つの嘘」。これが理解できなくては、サラリーマン商売はむずかしい。日本人はこれができないから、外交下手なのだ。いっそ腕のいいサラリーマンに外国との折衝をやらせたら面白い。
話がそれました。シモさんのような性格は、サラリーマンより駅前の焼鳥屋のおやじのほうがお似合いなのだ。居酒屋兆治のようにまっすぐ不器用に生きるほうが幸せだとひそかに思っている。ところがそうはいかない。
国のためにお役に立ちたいという男っぽい彼の野望が、焼鳥屋のおやじには邪魔なのだ。「坂の上の雲」はいいね。飲むたびにお国の話になってしまうご時世。さんまをつつき、焼酎を飲みながらシモさんは言う。さんまが高いさんまが高いとニュースが言うが、どこに行ってもそれほどではない。酒処で500円以下だと喜んで頼んでしまう。
龍馬のような男はいないのかね。薩長連合の契約書、あれ、本物が残っているらしい。そうなると確かに凄いことをしたようだよ。国を動かした連中は若かったねえ。最近の若いのも頭のいい連中が増えてきている。だから、世代交代をちゃんとしないといかんなと、自分たちを責めたりもする。
話は日本の経済、外交、北海道のこと、芝居のこと、はては哲学まで、飲むほどに酔うほどに両手をひろげても間に合わないくらいに広がる。40歳を不惑と論語は言うけど、シモさんが言う。60歳になっても、いまだ迷ってばかりだ。いかんなあ。そこで息をはき、焼酎をぐびり。なに、お互いさまさ。わたしが答える。
孔子の論語を上梓したばかりのわたしも、人にはえらそうに論語の講釈をするものの迷いの日々である。シモさん、こう考えよう。迷いや惑いを楽しむ。人間は一生迷い惑いがつきまとうものだと決めて、これを楽しむ。つまり、60歳を「喜惑」、70歳以上を「悦惑」と命名しようや。やけっぱちの発想である。だが、これといって特定の宗教ももたず、神道の学校を出たとはいえ専攻が経済学部という、日本蕎麦屋でラーメンを食べるようなトンチンカンなわたしだから、少々のやけっぱちもいた仕方ない。そうしよう。シモさんも意を決して開き直った。おれ「喜惑」で行く。迷い惑いを喜ぼうじゃないか
窓の外は銀座の夜景。一時よりはぎんぎらネオンがぐんと減った。さびしい限りだ。その晩、「坂の上の雲」が大好きな友人シモさんに、わたしは「坂の下のシモ」と新しいあだ名をつけた。新橋から渋谷行きの最終バスに間に合うために、「坂の下のシモ」氏と10時過ぎに駅前で別れる。風が吹く。暑い夏が行こうとしている。
2021/01/09
■ 68歳にして過ちを知る

長野県下伊那郡座光寺村北市場。そこがわたしの源風景の場所である。戦中に生まれたわたしは、父の徴兵とともに母の実家に疎開をした。それが信州である。3歳から4歳までいた計算になる。
遠く南アルプスが見える。3000メートルを超える赤石岳を大将にして、南アルプスの頂きたちは南北に長く連なる。このアルプスは、また奥行きも深い。1000メートルに満たない里山が手前に並び、その奥に1000メートル以上の山々が並ぶ。そしてその奥に2000メートル級の山々がずらりと並び、さあそれで終わりかというとそうではない。その奥に3000メートル級の山々が並ぶのである。そこはもう視界の果てである。
わたしは農家の裏庭の柿の木の枝に座って山々を眺めた。東京浅草で生まれたと聞くが、その風景はまるで気憶になく、記憶をバス停でバスを並んで待つ客に例えるなら、いちばん前に並んでいるのが南アルプスの山々の記憶なのである。
田舎もんだ。でも、田園もんと書いたほうがちょっとうれしい気もする。東京の田舎っぺである。わずか3・4歳だから、山の大きさが頭で理解できず、それが地の果てだとも思った。山の向こうで地球がすとんと切れていると言われれば、そう信じただろう。
山々の手前に銀色に輝く太めの糸が見える。蛇行している。天竜川だ。山と川。それが教えてくれたものは大きい。まず、人間の力の及ばない、人知ではどうにもならない世界があることを教わった。朝日が昇るころ、山々の稜線が輝く。頂きたちが目を覚ます。ぎざぎざに連なる頂きは、龍のようである。まさにこれから天に昇る龍のように輝く山々は、みずからが光を放つようにも見え、神のようだった。
わたしに神の存在を教え、畏敬の念を植え付けたのも山々だ。祖母と母は、そこには鬼が住む、と言った。幼いわたしが遊びに行かないようにそう言ったのだが、とてもひとりで行ける距離ではなかった。座光寺から眺めると、南アルプスまではなだらかに下る台地で、南北に飯田線と国道が並んで走るのだが、ただただ広い台地に見えるだけだった。
桃やリンゴの畑や桑畑があって、小さな森と人家が点々とあるのだが、わたしには緑の広い台地しか思い出せない。最近になって弟から座光寺の地図をもらってなつかしく眺めていると、ふと違和感を感じた。わたしは、山々の向こうは遠く大阪や九州につづいていると思っていたが、地図で方向を確かめると、どうやら逆である。天竜川の位置を見ても、わたしは逆を見ていたことに気づいた。
山々の向こうは東京だった。わたしは毎日東京の空を眺めていたのだ。東京から中央本線で北上し、辰野で飯田線に乗り換えて南下する。その折り返しの感覚がなかったのだ。68年間そう思いつづけていたから、大いなる過ちを抱きつづけていたのだ。
南アルプスを迂回せず、甲府あたりからずぼっとアルプスを抜けて汽車が走ってくれたら、こんな妙な気分にはならなかったはずだ。なによりも、田園はもっともっと近かったはずだ。あの頃汽車で12時間かかったが、いまは高速バスで4時間である。記憶は遠くなるが、距離はぐんと近くなった。
2021/01/09
■ ハーバード大学留学記

ロシアのプーチンによく似た教授の話が面白い。普通ならこむずかしいギリシャ哲学の話を、実にわかりやすく楽しく話してくれる。
階段式の広い教室にあふれんばかりの学生がいる。教授は一段高い教壇の上で、クマのようにあっちへウロウロ、こっちへウロウロしながら手振り身振りよろしく熱弁を振るう。学生たちは黒人も白人もわたしのような東洋人もいて、国籍は種々雑多である。講義は英語だ。笑いがたえない。真剣に聞き入り、ノートを取り、よく笑う。だが、雑談はいっさいない。寝ている者など一人もいない。日本でもこれほど熱心な授業風景はそう見られない。
さて、授業の内容はアリストテレスである。「正義」という言葉が出てくる。アメリカらしい言葉といえばアメリカらしいが、なに日本武士道においても「正義」は重要な徳目であるから、この精神は日本のものでもある。アリストテレスの「正義」とアメリカの「正義」と日本の「正義」はどう違うのか? 同じものか? 興味が募る。
アリストレスは、ソクラテス(BC470生まれ)、プラトン(BC427生まれ)の流れを組むギリシャの哲学者で、それまでのギリシャ哲学とは一線を画した。講義を聴き、翌日夢中で竹田青嗣先生の「プラトン入門」を読み漁ったにわか哲学生だから所詮が未熟者、少々の間違いはご容赦を。これまでのギリシャ哲学が「本質」「原因」の追究であったのに対し、「目標」「意志」に考えが及び、「イディア説」をプラトンは唱えた。イディアとは「アイディア」のことで、目標とか意思とか「自分はどうするか」ということだ。
プーチン教授の話が「クマのプーさん」に及び、学生たちの目が輝き、頬に笑みが浮かんだ。その話はこうだ。プーさんが森を歩いている。するとどこからかブーンブーンという音が聞こえる。さて、この音の原因はなんだ? プーさんはきょろきょろとあたりを見回す。木の上で蜂が飛ぶ。おお、蜂だったのか。音の原因は蜂か。簡単に言えば、ここまでがこれまでの哲学。「本質」と「原因」の追究だ。だが、プーさんは次に木に登り、蜂密を食べた。つまりプーさんは「目標」「意思」を持ち行動を起こしたのだ。事物の「本質=真理」「原因」を問いただす思考方法を示すに留まらず、「思慮深さ」とは?「勇気」とは?「正義」とは?「徳」とはなにか?にまで迫るのがソクラテス、プラトン、アリストテレスだった。ソクラテスは、それまでの哲学者たちをソフィストと呼び詭弁者だとして糾弾した。ソフィストたちは「白いモノを黒にしてしまう」危険な存在だった。(いまもそんな詭弁者が多くて困りますが)。詭弁とはモンテーニュが言うように「ハムは飲みたくさせる→飲めば渇きが癒される→故にハムは渇きを癒す」的インチキ思考である。もしあなたの子どもがそんなことを言いだしたら相手にするなとモンテーニュは言う。しかし、こんなようないい加減なことをいう連中が増え、こんなような理論をいかにも正しそうに語る会議も多くなった。プーチン教授が「正義」を持ち出した気持ちがわかる。えらそうに言うがわたしの「正義」論も未熟だ。だが、「正義」が必要であるというプーチン教授に大賛成である。
さて、大事な報告をしなければならない。わたしのハーバード大学留学はわが家の居間である。寝転んでいる。プーチン教授の英語はすべて字幕で読んだ。深夜テレビである。申し訳ない。もっともっと哲学を学びます。いやはや哲学はむずかしい。そりゃそうだ。思想の学問だから、概念で人生とは?人の心とは?などと永遠に解明できない宇宙のような問題を探るのだ。ならば「山は休まない、川は眠らない、命とはそんなものよ」と開高先生のように笑ってウイスキーグラスを傾けるほうがずっといいとも思う。



2021/01/08
■ 長嶋が10人いる

渋谷。JR山手線の土手の下に「のんべえ横丁」はある。そこは、屋台を寄せ集めたような木造長屋風の酒処が押しくら饅頭のていをなしている一角で、下品なわが後輩の日下部くんは「ションベン横丁」と呼んでいる。昭和の人間には妙に居心地のいい路地である。店々は寄りかかり支え合っているから、かろうじて立っているものの一軒だけでは立ってはいられない。くしゃみひとつで吹き飛んでしまう。ほとんどの店には小さなL字型のカウンターがあって、その中でママがひとりですべてを切り盛りしている。
客は5人が入れば満席である。当然のことながら店にトイレはない。そんなスペースはもったいないのである。路地の真ん中あたりと宮益公園に共同のトイレがあって、身分の差貧富の差に関係なく、全員がそこを利用する。女性はママからカギを借りていそいそとお出かけになるのである。
そんな横丁の中ほどに「淡路」はある。年季の入った暖簾を手で分けて覗くと、萩出身の昔のお嬢さまが割烹着姿でカウンターの向こうにいる。田舎の勝手口のような、まるで愛想のない横引きの戸を開けて入ると、初めてママは笑う。これじゃ一元の客は入りにくいでしょう、と聞くと、うちは客を選ぶからね、と胸を張る。
小京都萩出身のお嬢さまは誇り高いのだ。主義主張がはっきりしている。まっすぐな性格で無愛想、好き嫌いが明確なのである。美しく言えば正直、早く言えばわがままなのだ。類は友を呼ぶ。客たちもまた正直で心地よいわがまま連中が集まっている。まあ、わかりやすく言えば偏屈なんですね。変り者です。
人間は不思議な魅力をもっていて、偏屈者や変り者ほど実は内側に触れてみると豊かな個性がちらほら垣間見えて楽しい。クサヤやホヤって嫌いな人はそっぽを向くけど、好きな人にはたまらないほど魅力があるじゃないですか。まさに、あれです。だから常連たち同士も結構楽しく、あれこれ会話をしたりする。初めて会う人も気軽に会話に参加する。偏屈ぶりや変り具合が似ているのだろうか。もちろん、じっとりと自分の世界に沈みこむ人もいて、それはそれで大事にしてくれる。
あるとき、隣の席に戦艦大和の生き残り乗組員の方が二人いて、実体験の戦況をまるで目の前のことのように話してくれ、いつも以上に酒が進んだ。
Hさんは早くからの常連客の一人で、その変わり者ぶりも格別だ。ウイスキーをボトルキープし、自分でちびちびと水で割りながら悠々と飲むのは彼だけであろう。この長屋造り屋台風の店でウイスキーなどという発想はだれもしない。つまみがお新香や豆腐ですよ、おかしいでしょ。
世間はお盆休みで店の客はわたしとHさんだけである。お盆だけど故郷に帰らないの?という会話から故郷はどこ?という話に及び、わたしは父が戦争に行き母の実家である信州飯田に疎開していました、というと、Hさんは、故郷がないのです、母は葛飾に嫁いだのですが、母の妹が実家を継ぎ青山で銭湯をやっているのです、という。哲学者か学者のように言葉を丁寧に話す。青山で銭湯?いやはやそれは贅たくでいいですね。あまり行かないですけどね。
やがて話は海を越え中国へと広がる。数の論理は理屈を超えた強大な力がある。Hさんとわたしは中国のポテンシャルに驚嘆している。野球だっていくらでも強くなりますよ、だって日本の10倍の人口でしょ、長嶋が10人いますから。Hさんはそう言って笑う。
中国には長嶋が10人いる。万里の長城の脇で並んでバットを振る10人の長嶋。なるほど中国はすごい。発想も面白いが、言い方ひとつで説得力がぐんと増すことを勉強させてもらった。頭上をJR山手線が通過した。お盆の渋谷、平和な夜である。


2021/01/08
■ 星を求めて

アメリカの偉大な広告マン、レオ・バーネットさんの有名な言葉がある。「星を求めて手をのばせ」というものである。続く言葉がいい。「もし、星がつかめなくても決して泥をつかむことにはならない」というものだ。実にすてきな言葉だ。
わたしは広告屋だからよくアイディア会議をやる。そして、ときどき言われるのは「それは理想論で、現実的ではない」と。
その場合に二つのことを考える。まず予算である。予算的に合わないという意味で理想論と言われる場合は、すぐアイディアを修正する。論議がムダだからだ。だが、予算以外では「理想論」を簡単に捨てない。それより「理想がなぜ悪い。そんなわびしい現実論は広告のプロとしてみっともないではないか」と開き直る。
わたしの理想論は、そもそも「正義」という絶対価値から生まれている。「正義」「義」とは、武士道の重要な価値で、「人が幸せになる道」のことである。それは単なる理論であって現実ではない、という人には「正義」はない。あると信ずる人間には、あるのである。少なくとも、あると信ずる人間のほうが、ないという人間よりはるかに「正義の近く」で生きているのである。それでいいではないか。「正義」はある。そして「理想論」である。わたしのアイディアは、理想論の場合が多い。それは、広告をする商品なりお店なり会社なりが「理想的」というのではない。「あなたの理想的な生き方に役に立ちます」という意味での「理想論」である。「理想的な商品」という広告もときどき見られるが、最近の消費者は賢くなっていて、それが「ただの自慢話じゃないか」とすぐ見破る。
表現はシンプルに、わかりやすく、伝わりやすくしなければならないが、アイディアは深く、きちんと考えられたものでなければ、すぐに見透かされる。「広告とは理想論だ」と乱暴に言いたいが、考えの浅い人間は誤解する。
さて、「現実論」を振りかざす広告は「人の心を打たない」。つまり「つまらない」のである。人間の脳は「ご都合主義」であり「自分主義」である。だから、アイディアを練る人間も商品も「自分主義」になり、広告が自慢話になる。それをカバーするのは教養である。消費者に対する深い「思いやり」である。消費者のほうも「自分主義」だから、その商品は自分にどう役立つの?どう楽しいの?と考える。ところが、「自分主義」はあくまで個々のもので10人が10人とも同じ価値観ということはあり得ない。
そこでアイディアに深みを持たせなければならない。消費者が「あ、わたしのことを考えていてくれる」と感じさせなくてはならない。浅いアイディアは「面倒くさいから自慢話にしておこう」とコミュニケーションを自分から放棄している。アイディアの力の差はそこにある。
レオ・バーネットの言葉「星を求めて」というのは「理想論」に近い言い方だ。「上質」とか「高度」と解釈してもいい。そうすれば「泥をつかむことにならない」つまり中途半端な失敗はしませんよ、ということだ。広告のアイディアは、そうでなくてはならない。
コンピュータの発達が広告づくりを容易にした。同時にアイディアまで安易にしてしまった。それは商品や会社をみずからダメにしてしまう。人の心は複雑で賢い。消費者は狼のように慎重で賢いのである。まず、消費者に感謝する心をもち、尊敬し、幸せを願う気持ちになって広告アイディアを練らなければならない。最近広告に力がなくなったと聞くが「とんでもないですよ」と答える日々である。
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