高野耕一のエッセイ

2021/01/08
■ きもの、ひもの、けもの

文章にはフィクションとノンフィクションがあります。フィクションは創作です。ノンフィクションは創作なし、事実のみを表現します。そこが大きな違いです。
そこでエッセイはどうだ、となるとこれが都合よくその中間あたりをふわふわ漂っているのです。たくさんのエッセイストがいて、たくさんのエッセイがありますから一概には言えませんがほぼそんな感じでしょう。さてわたしはというと、広告コピーライターですからどちらかというとフィクションとノンフィクションを行ったり来たりです。
広告は事実もイメージも大事にします。夢を調味料に使います。誇大広告は絶対にいけませんが、多少大げさになることもあります。こっちを見てください。この広告を見てください。注目をしてくださいという思いがありますから、デフォルメします。
五木ヒロシのモノマネをするコロッケほどではありませんが、お仲人さんが嫁さんを誉めるくらいでしょうか。さらに、わたし個人がエンターテイメント好きですから、楽しくしようというサービス精神が文章に現れます。でも、嘘はありません。
そこで、今回の伊豆の旅の話です。嘘のようです。でも嘘はありません。あるきもの会社のPR誌の仕事で伊豆に行きました。スタッフは4人。アートディレクター兼デザイナーの佐川くん、コピーライターの伯田くん、写真家の中山さん、そしてディレクション担当のわたしです。
きものをテーマにし、女性をテーマとする1泊2日の取材旅行です。伊豆には厚木から小田原に出て海岸線を走り、湯河原から熱海を抜け、網代に行きました。網代の港町を走ると、開け放った車窓からアジのひものを焼くうまそうな匂いが飛びこんできます。土産店の店頭でアジを焼いています。通りに面して丁寧に天日干しの網に並べられたアジたちが太陽に向かって体を開いています。「ひもの」と大きく書かれた看板が町中に立ち並んでいます。
「きものの取材でひものを食おう」。そんなダジャレを言いながら、海に面した食堂に寄りました。網代は昔、徳川幕府に魚を献上する漁師たちの町です。それは誇りです。ですから、熱海市にありながら温泉の開発が遅れました。
修善寺を訪れました。北条政子の生誕地、韮山に行きました。踊り子を訪ねて湯ヶ島から河津七滝を歩きました。伊豆の山山はアルプスのような険しさはありませんが、鬱蒼とした森は深く、森の奥に森があり、山の向こうに山が連なります。大きな渓谷、小さな渓谷、中くらいの渓谷が次々に現れます。風が吹くと霧が揺れ、実に神秘的です。その日は熱川に泊まりました。海の幸を堪能し、温泉に浸り、取材の疲れを忘れました。
さて、次の朝です。朝食を取り、コーヒーを飲み、車を走らせて海岸線を北上しました。間もなく、国道沿いに「ひもの」の看板が並び始めました。「ひもの」「ひもの」「ひもの」また「ひもの」です。そのうち助手席の佐川くんが、悲鳴をあげました。「けもの、です。ひもの、ひもの、の看板に混じって、けものっていう看板がありました」。「嘘でしょ。なにかの間違いでしょ。きものの取材できて、ひものの看板、次にけものの看板は出来過ぎでしょ。だいいち「けもの」ってなんなの。なに食わせるのよ。ライオンかトラでも食わせるのか?」ハンドルを握る伯田くんが車をバックさせます。みんなで車窓から首を突き出し、看板を丁寧に見て走ります。と、ありました。「けもの」という看板が道端に立っています。「嘘だろ」。嘘ではないのです。動物公園の入口。「けもの」の看板が確かにありました。人騒がせですが、笑いました。4人で笑いました。このユーモア。辺りに「ひもの」の看板がなければ、動物公園だって「けもの」なんていう看板は立てなかったでしょう。嘘はいけません。でも、だれかを愉快にさせたり、夢や希望のかけらでもエッセイで書けたら、それは皆さんお許しくださるものと願っています。事実はエッセイよりも奇なり。
2021/01/07
■ 山と川のある町@

調布インターから中央道に入り、八王子ジャンクションから圏央道に入る。
あきる野インターで降り、滝山街道を少し走り、油平を左折して五日市街道を走ると、あっという間に武蔵五日市駅前に出た。朝10時に世田谷を出て11時過ぎには、山と川のある美しい町についた。手を伸ばせば届きそうな辺りの里山たちはすでに紅葉も終わり、葉を落とした木々が澄んだ空気の中でそっと息をひそめている。スギやマツやシイの常緑樹林は、陽ざしを浴びて光る淡い緑色から、陰となる緑色へ、さらに暗い陰の限りなく黒に近い濃緑色へと、見事な階調を見せる。
その緑色の階調に、葉を落とした落葉樹たちの肌の赤味がかった色が織りなす山々の繊細な色合いは、屏風に描かれた一幅の墨絵を想わせる。都会のコンクリートに疲れたわたしの目に、山々がそっとやさしく、謙虚な気遣いをしてくれているのだ。昨日までの雨が嘘のように空は高く広く晴れ渡り、雲ひとつない。
すっかり丸みを帯びた陽ざしが、とてもやさしい。深い秋に包まれた山々にも、ひたすら美しく流れる秋川の清流にも、重ねた時間の中で穏やかな情緒を積み上げる町並みにも、その豊かな自然や町並みを楽しむハイカーたちにも、そして都会からささやかな逃亡を企てるわたしにも、久しぶりに晴れ上がった秋の日の午前の陽ざしは、母のぬくもりのように、まぶしくあたたかく、ありがたい。町並みを眺めながら、地元在住の草木染めの工芸家金子利代さんご夫妻と待ち合わせている「ギャラリーネオエポック」に向かう。金子さんは、妻の従姉にあたる。いまでも新宿の大学で若い人たちに草木染めを教えながら、地元五日市の文化を守り育てている。文化を育てるということは、人の心を育てるということだ。とてもひとりでできるものではない。頑張る仲間たちがいる。多くの仲間たちと町の責任者のみなさんの協力がなければ、文化は守れない。人の心を育てることはできない。人が町をつくり、町が人をつくる。そして、人が人をつくる。都会に住むわたしたちは、文化も人の心も置き去りにして暮らしている。それではいけないと思っていても、だれもかれもが心を置き去りにして生きている。この山、この川、この空、この風、そこに生きる命、住む人々のあたたかさ。そういったものより経済を優先させる社会に押し流されてしまっている。大いに反省する。ギャラリーネオエポックは、五日市の町を少し走り、黒茶屋の大きな看板のある子生神社の信号を左折し、秋川にかかる沢戸橋を渡り、秋川の支流の盆堀川にかかる新久保川原橋を渡って盆堀林道を入った里山の中にある。林道の向いにある地中海料理「メリダ」と民宿「モモンガ」のオーナーでもある泉先生とお会いするのは1年ぶりだ。古武道の直系者であり、フランス国家に認められた美術鑑定士の泉先生は、世界の味に精通する料理名人でもある。先生手づくりのギャラリーには、多くの民芸家の作品と並んで、先生のコレクションが展示されている。ギリシャの紀元前後の美術品があり、アフリカの古い歴史の品々、絵画、装飾品がところ狭しと並ぶ。壁にかかっている絵を眺め、ふと脇のカードの金額に目をやる。0の数を数える。イチ、ジュウ、ヒャク、セン、マン、ジュウマン、ヒャクマン、センマン、イチオク、先生、大変です、この絵、5億円です。そうですよ。間違いではない。モモンガの飛び交う山の中に、何の造作もなく5億円の絵を飾り、人々にどうぞと気軽に見せるなんて、とても常人にできる芸当ではない。持って逃げる人がいませんか? そう聞くと先生は大きく笑った。間もなく金子さんご夫婦が車で到着し、「メリダ」で昼食をとることにする。窓から山々を望め、眼下の清流の瀬音を聞きながら、泉先生ご自慢のオニオンスープを味わい、ギリシャの山羊の乳からつくった塩味と酸味のきいた絶妙の味のチーズ入りサラダを食べ、これまた大皿のアンダルシア風のパエリァに舌づつみを打つ。十分満腹となる。外の、身の引き締まる澄んだ空気に比べ、暖炉の燃える部屋は、微笑ましいほどあたたかい。穏やかでやさしい時間に包まれ、泉先生の奥さまのコーヒーを飲む。金子さんのご主人がコーヒーカップを持ち、ゆっくりと笑っている。山と川のある町で、金子さんの仲間たちに会い、文化と自然を楽しみたいと思う。わたしの小さな旅は、新年へと続きます。

2021/01/07
■ タマゾン川?

息子が小学生の頃、多摩川はわが家の貴重な遊び場であり、教育の場だった。
お金のないぼくら家族は、息子を自然の中に放つことが遊びであると同時になによりもいい学校となった。お金が少しでもあると読売ランドに連れて行った。オオベソオームガイを見て、息子は目を見張った。多摩川ではよく鯉を釣った。近所の子どもたちもいっしょに行った。
妻が自動車免許を取ると、オンボロのクラウンに近所の子どもたちを6・7人詰め込んで出かけた。世田谷通りを走り、交番があると小さな子どもたちはもっと小さくなって座席の陰に隠れた。和泉多摩川の堤防上の大きな水溜まりが子どもたちの釣り場だった。近くの路上に一日中駐車して置いても駐車違反にはならなかった。ありがとう警察。日本もルーズで豊かだった。実に幸せな、平和な日々だった。妻が、駅近くでパンを買い、コロッケを買ってはさみ、コロッケパンをつくってみんなに配った。濃いソースがパンに染み込み、パンとソースがからんだ味はみんなを感動させた。こんなにおいしい食べ物は世界中どこをさがしてもない、とみんな思った。多摩川の水は汚かったが、子どもたちの目はきれいで、きらきら輝いていた。いま、多摩川の水はきれいになり、子どもたちはオトナになった。鯉釣りにも行かなくなった。
先日、銀座の天狗という居酒屋で仲間とビールを飲んだ。「多摩川はもう多摩川ではありません。タマゾン川です。」とマサヤンが熱を込めていう。マサヤンは、街の生物学者である。結婚もしないで、モモンガと暮らし、ウサギと同棲している。「なんだい、そのタマゾン川ってのは?」わたしは聞いた。「多摩川にはものすごい種類の外来種の魚がいます。200種くらいいるといわれています。そのほとんどが南米原産です。アマゾン川原産です。それでタマゾン川。」
「ほう、うまいうまい。」「喜んでいる場合じゃありません。アリゲーターガーという種は、人も襲うといわれています。」ありゃりゃ。南米原産のグッピー、ピラニア、レッドテールキャット、北米原産のガーパイク、アフリカ原産のシクリッド。並べたてたらきりがない。「グローバルだね。」横にいる弟が言った。「真剣に考えてくださいよ。」「ごめん。」マサヤンのいうには、水はきれいになったけど、工場排水などで水温が上がり、外来種にも棲みやすい環境になったのだそうだ。「でも、外来種は勝手に海を泳いできたわけじゃありません。ペットとして輸入されたのです。ペットとして飼って、大きくなって飼いにくくなると川に捨てる。これが繁殖しました。飼い主にも責任があります。でも、もっと責任があるのは売る側です。これは大きくなる、飼いにくくなる、とちゃんといわなくてはいけません。売る側の責任が大きいのです。」マサヤンは熱い怒気をビールで冷やす。時の流れが、多摩川という水の流れを変えている。それは、時の流れが変えたのではない。すべて人間の仕業なのだ。これはなにも多摩川だけの問題ではなく、国も、自然も、人間が変えているのだ。それなのに人間は、なにか違うもののせいにしていないか。自分の責任を回避していないか。なにかのせいにしたり、責任を回避したりして、表面を繕ってもひどいしっぺ返しを食うのは人間だ。人間がきちんとすべての命がともに生きる設計をしなければならない。もう、責任回避は通用しない。子どもたちともう一度多摩川に鯉を釣りに行きたいと思う。子どもたちはオトナになってしまったけれど、あのきらきら輝く目はきっと取り戻せる。そうしなければならない。マサヤン、ありがとう。ちょっと目が覚めたよ。
2020/11/23
■ きもの、ひもの、けもの

文章にはフィクションとノンフィクションがあります。フィクションは創作です。ノンフィクションは創作なし、事実のみを表現します。そこが大きな違いです。
そこでエッセイはどうだ、となるとこれが都合よくその中間あたりをふわふわ漂っているのです。たくさんのエッセイストがいて、たくさんのエッセイがありますから一概には言えませんがほぼそんな感じでしょう。
さてわたしはというと、広告コピーライターですからどちらかというとフィクションとノンフィクションを行ったり来たりです。広告は事実もイメージも大事にします。夢を調味料に使います。誇大広告は絶対にいけませんが、多少大げさになることもあります。こっちを見てください。この広告を見てください。注目をしてくださいという思いがありますから、デフォルメします。
五木ヒロシのモノマネをするコロッケほどではありませんが、お仲人さんが嫁さんを誉めるくらいでしょうか。さらに、わたし個人がエンターテイメント好きですから、楽しくしようというサービス精神が文章に現れます。でも、嘘はありません。
そこで、今回の伊豆の旅の話です。嘘のようです。でも嘘はありません。あるきもの会社のPR誌の仕事で伊豆に行きました。スタッフは4人。アートディレクター兼デザイナーの佐川くん、コピーライターの伯田くん、写真家の中山さん、そしてディレクション担当のわたしです。きものをテーマにし、女性をテーマとする1泊2日の取材旅行です。
伊豆には厚木から小田原に出て海岸線を走り、湯河原から熱海を抜け、網代に行きました。網代の港町を走ると、開け放った車窓からアジのひものを焼くうまそうな匂いが飛びこんできます。土産店の店頭でアジを焼いています。通りに面して丁寧に天日干しの網に並べられたアジたちが太陽に向かって体を開いています。「ひもの」と大きく書かれた看板が町中に立ち並んでいます。
「きものの取材でひものを食おう」。そんなダジャレを言いながら、海に面した食堂に寄りました。網代は昔、徳川幕府に魚を献上する漁師たちの町です。それは誇りです。ですから、熱海市にありながら温泉の開発が遅れました。修善寺を訪れました。北条政子の生誕地、韮山に行きました。踊り子を訪ねて湯ヶ島から河津七滝を歩きました。伊豆の山山はアルプスのような険しさはありませんが、鬱蒼とした森は深く、森の奥に森があり、山の向こうに山が連なります。大きな渓谷、小さな渓谷、中くらいの渓谷が次々に現れます。風が吹くと霧が揺れ、実に神秘的です。その日は熱川に泊まりました。海の幸を堪能し、温泉に浸り、取材の疲れを忘れました。
さて、次の朝です。朝食を取り、コーヒーを飲み、車を走らせて海岸線を北上しました。間もなく、国道沿いに「ひもの」の看板が並び始めました。「ひもの」「ひもの」「ひもの」また「ひもの」です。そのうち助手席の佐川くんが、悲鳴をあげました。「けもの、です。ひもの、ひもの、の看板に混じって、けものっていう看板がありました」。「嘘でしょ。なにかの間違いでしょ。きものの取材できて、ひものの看板、次にけものの看板は出来過ぎでしょ。だいいちけものってなんなの。なに食わせるのよ。ライオンかトラでも食わせるのか?」ハンドルを握る伯田くんが車をバックさせます。みんなで車窓から首を突き出し、看板を丁寧に見て走ります。と、ありました。「けもの」という看板が道端に立っています。「嘘だろ」。嘘ではないのです。動物公園の入口。「けもの」の看板が確かにありました。人騒がせですが、笑いました。4人で笑いました。このユーモア。辺りに「ひもの」の看板がなければ、動物公園だって「けもの」なんていう看板は立てなかったでしょう。嘘はいけません。でも、だれかを愉快にさせたり、夢や希望のかけらでもエッセイで書けたら、それは皆さんお許しくださるものと願っています。事実はエッセイよりも奇なり。
takanoblood1794@yahoo.co.jp
2020/11/23
■ 南半球の奇蹟

ありがとう、ありがとう、サムライジャパンの勝利はあなたのおかげです。デンマーク戦勝利の朝、知人友人のだれかれかまわずお礼のメールを送る。かつて、モハメッド・アリが奇蹟を起こした南半球で、岡田ジャパンが奇蹟を起こした。
アリの場合は確かに奇蹟だったが、わがサッカーチームは奇蹟ではない。4つの練習試合でまるで歯車が合わずぼろぼろになり、進退問題まで噂された岡田監督は、選手について一言も愚痴をこぼさず、選手を信じ、常に前向きの発言に徹した。
選手のだれひとりとして監督を批判する者はいない。監督を信じ、仲間を信じ、自分の仕事に全力を尽くす覚悟が表情や少ない言葉に表れていた。覚悟はあるが、悲壮感はまるでない。落ち着いている。いつもの浮ついた虚勢がない。岡田監督の顔が引き締まった。選手たちの顔が引き締まった。サムライたちが本当にサムライの顔となった。勝利への執念さえ消し去った清々しい顔で、彼らは南アフリカに向かう機乗の人となった。 
カメルーンは強いチームだ。フィジカル面では圧倒的に日本に勝っている。早い。とにかく早い。一歩一歩の歩幅が大きいのに足の回転速度も日本以上である。攻撃力ではるかに日本を超える。だが、直線ではなく曲線なら日本のほうが早い。チームプレイの精密さなら日本が上だ。そして守備力では日本が勝る。攻撃は少々荒くてもいいが、守備の荒さは致命傷につながる。勝敗は1点差になる。負けても1点差。勝っても1点差。1対0。2対1。どちらが勝っても3点は取れないだろう。1点リードの後半、カメルーンの怒涛の攻めを凌いだジャパンには確実に力があった。
2回戦、オランダ戦での戦いは敗れたとはいえ、ジャパンの地力が見えた。総合力で格上のオランダに、あわよくば勝てる試合展開だった。デンマーク戦の勝利は奇蹟ではなかった。だが、わたしの予想では、1対0、2対1での勝利だった。ところが3対1で快勝。試合前、デンマークの監督が語っていた通り、ジャパンの世界トップクラスのチームワークの勝利である。フィジカル面で劣る日本の勝機は、チームワークである。政治においても経済においても同じである。チームワークこそが日本の成功の最大のキーワードであることをサムライジャパンが教えてくれているというのに、選挙戦が始まったこの地では、ちびちびした足の引っ張り合いしか見られない。
大河ドラマの中で勝海舟が叫ぶ。世界を相手にしなければならないのに、なんで小さな日本の中で争わなければならないのだ、と。会社においてもチームワークのできている会社が強い。報告、連絡、相談がしっかりとでき、同じ目標に向かって心をひとつにしている会社が強い。サムライジャパンが証明してみせた日本のチームワークの見事さ。これが日本の明日を創る。さて、心配がある。3対1でなく、1対0か2対1で勝ちたかった。決勝トーナメント、パラグァイ戦、心に隙が出なければいいが。勝者は勝ち過ぎてもまたダメなのである。油断は蟻の穴から忍び込む。こう、えらそうに語ったが、わたしはにわかサッカーファンなのである。ありがとうとメールを送ったみなさんに、実は眠くて試合はライブでは見ていなかったと白状して、いま白眼で見られている。すみません。ただのお祭り男でございます。
takanoblood1794@yahoo.co.jp
2020/11/22
■ 渋谷梁山泊

中国山東省の西、人里離れた梁山の麓。宋代の盗賊宋江らが天険の砦を結んだ。その名は「梁山泊」。後に「水滸伝」は言う。梁山泊に集いし豪傑・野心家たちが国を動かした、と。
盗賊である。盗賊でありながら、彼らは人々の心をとらえた。なぜか。まず梁山泊は、くる者を拒まず去る者を追わない。自由である。資格はない。資格はないが、ただ一つ条件がある。人に役立つものをなんでもいいから一つ持ってくること。
だれよりも早く走る足でもいい。だれよりも遠くを見る目でもいい。知恵でもいい。人に役立つものを一つ。
その昔、四谷のオフィスで初めて梁山泊を開き、やがて100人近い仲間が集まった。アーチストがいた。フリーターがいた。広告代理店の営業マンがいて、役者がいた。商社マンがいて、中国福建省からきたヤクルトおばちゃんがいた。設計士がいた。四谷駅前で雑誌を売るホームレスがいて、音楽家がいた。コピーライターがいた。しばらく息を潜めていた梁山泊は、渋谷の番長こと小池氏の寛容により再開された。
小池氏は180センチを超える長身で、神奈川の高校時代ではゴールキーパーながら相手ゴールに一発で蹴り込んだ実績をもち、新日本プロレスにスカウトされたという貴重な経験をもつ。販促プランナーであり社長である。
とある金曜日、7時。会費1000円。昔と同様だ。ビールとつまみ代になる。人々は集まった。第一部は、自己紹介と10分のスピーチ。テーマは「時代」。このテーマはわたしと番長で決めさせていただいた。二部は8時から。フリートークとなる。わたしは6時半に渋谷西口のモヤイ像で待ち合わせた映像ディレクターの長江氏と会場である小池氏のオフィス「クロスポイント」に向かう。カレンダー展で経済産業大臣賞を獲得したアートディレクターの松本隆治氏がいち早くきてくれる。
松本氏はかつての梁山泊の生みの親の一人だ。神田の広告代理店の社長加藤氏がビールを山ほど抱えてやってきた。初めてのことで遅刻をする者もいた。長江氏と松本氏が話し込み、加藤氏が加わる。全員がそろわないうちに時間がきて、一人ひとりが順番に「時代」をテーマに話す。「時代」についてならなんでもいい。全員が一人の話に耳を傾ける。そういう機会はなかなかないものだ。
占い師が人気のあるのは話をじっくりと聞いてくれるところにあるのだという友人がいるが、うなづける。話の内容と話ぶりでその人が理解できる。気の合いそうな者、そうでもなさそうな者、興味深い人。その後のフリートークにつながる。
販促プロデューサーであり会社社長の原田氏がアジアの話をする。デジタルサイネージのプロ井上氏が関西弁について話す。クロスポイントのプロデューサーでわたしがシェフと呼んでいる料理の達人伊藤氏が故郷の話をする。経理の専門家であり会社役員でわたしの弟の高野守男が話し、唯一の女性ユカ嬢が話す。加賀マリ子のデビュー当時の映画「月曜日のユカ」と同名のユカ嬢だが、加賀マリ子に負けない美形でありイベントプロデューサーとしても非常に敏腕だ。話を聞き、驚いたりほろりとさせられたり、だれもが相槌を打ったり、首を振って否定したり、まあ人間は面白いと改めて感動する。
いろいろな「時代」いろいろな「人間」いろいろな「人生」が語られる。じっくり自分のことを話す機会がない。じっくり人の話を聞く機会がない。梁山泊のよさはそこにある。相手を理解しようとする。興味が生まれる。人が自分を理解してくれる。弟が言った。国を動かすかどうかは別として面白い。梁山泊は自由だ。年齢、性別、職業に関係なくだれでも参加できる。豪傑や野心家でなくても大丈夫。唯一のルールは、決して仲間を裏切らないことだ。その後、仕事につなげるのもいいし、飲み仲間になるのもいい。異業種交流というより異人種交流とわたしは思っている。長江氏の、人とのふれあいの不思議がいまの自分につながるという話に大いにうなづき、いつも歯切れのいい加藤氏が機械系の営業をしていた過去を聞き、驚き、原田氏の話に明日の日本を伺う。人づきあいのうまい井上氏は近江商人の末裔だと胸を張る。続くフリートークも燃え、朝の4時まで5人が残った。梁山泊は盗賊の集団ではない。
takanoblood1794@yahoo.co.jp
2020/11/22
■ 霞が関赤信号すきやき物語

市谷から新橋行き最終バスに乗り、霞が関バス停で降りる。降りたのはわたしひとり。もともとそのバスに乗っていた客は二人だけ。残された客もさびしいだろう。9時半を過ぎている。左を見ても右を見ても人影はない。前のビルから漏れる灯りが歩道に斑模様をつくっている。斑模様が揺れているのは、街路樹の銀杏の緑が夜風にそよぐからだ。
銀杏の豊かな緑が頭をなでる。重いバッグをよいしょと肩に担ぎあげ、ワンカップ酒を片手に歩きだす。穏やかな下り坂。足を上げるだけで前に進むからこれは楽だ。逆なら大変。たばこを吸いたい。ダメダメ。銀杏が顔に触れても避ける必要はない。放っておく。渋谷行きのバスに乗るために霞が関3丁目まで歩く。6・7分くらいか。桜田通りの交差点を右に曲がる。経済産業省の灯りがこうこうと灯っている。今日は機嫌がいいから「ご苦労さん。お国のためによろしくね」などと独りごとをいいながら見上げる。機嫌の悪いときは「働け公務員」などと叫んで逃げる。通りに人影はない。
と、後から駈けてきた若い娘が追い抜いて行き、赤信号を平気で走り抜ける。そりゃまずいでしょ。だれも見ていないからって、それはまずい。この辺りならその娘が公務員かお役所勤めだとだれでも思う。そうでなくてもそう見られる。デートに遅れないために走る。それはわかるが、やっぱりまずい。見てなきゃいいという発想がまずい。たとえば永田町の立法府が霞が関の行政府に「すきやき法案を通したから食材を買ってきてくれ」と指示する。行政府は、鍋、肉、野菜、醤油、砂糖など買いにスーパーに走る。そこで問題だ。安売りしてたから予算が余る。余ると報告すると、次のすきやき法案実施のときに予算が減る。多分減る。でも、次のときスーパーが安売りしているかどうかわからない。足らなくなる。困った。このお釣り、どうしよう? より多く予算を取ることが「えらい」と褒められる世界にいる。余った金を手に握りながら、困る。だれも見ていない。国民は見ていない。さて? どうする。公務員が国民のやり玉に上がるのは、国民の税金を使うからで、これが自分の金や、自分たちが稼いだ金ならどう使おうが文句をいう筋合いはない。国民も一度納めた税金だからもう自分のものではないけど、なんか腹が立つ。さらに、なにかに乗じて私腹を肥やすなんて、これは言語道断。天下りのはしごをして巨額の退職金を自分のものにするなんて、わたしができないだけに余計に腹が立つ。すきやきのお釣りをごまかすな。まあそんなことはしないだろうが、だれも見ていないからって赤信号を無視しちゃやっぱりダメだ。公務員は、国民のお手本にならなくちゃ。
でも、なんで「すきやき」なんか思い出したのだろう。そうだ、腹が減ってるからだ。霞が関のビルは、ここのところ夜遅くまで灯りが消えない。えらいなあ。使命感に燃えて一所懸命にお国のために働く公務員の若者を何人か知っている。頭もいいし、人柄もいい。そういう人たちのためにも、一部のやからに私腹を肥やしたり、赤信号を無視したりしないでほしいと願う。雨が降ってきた。腹減った。さあ、帰ってかみさんのあったかい手料理に舌づつみを打とう。「すきやき」なんて口が裂けてもかみさんにいえない昨今である。もっとも、口が裂けたらなんにも食えない。
takanoblood1794@yahoo.co.jp
2020/11/22
■ 人が集まる

渋谷駅西口バス停広場わきの歩道橋を渡り246号線を越えると、タコ足広場に出る。見方によると8本の道が交差しているように見える広場。それでタコ足とわたしは呼んでいるが、だれも賛成しないところを見るとこの呼び方少々無理があるのかも知れない。
番長という愛称をもつその男の事務所は、タコ足の1本を松濤方向に上って行く。うまそうな焼鳥屋があり、テラス席を出す洋風パブがあり、山口瞳の小説に出てくるような居酒屋がある坂をとことこ上って行く。コンビニの前を通り、テニスショップの前を抜ける。坂は石畳の通りで、一方通行だ。この坂、車道と歩道のバランスが悪く歩きにくい。歩道は狭くはないが、広くもない。中途半端だ。ガードレールに毅然としたところがない。変に歪んだり曲がったりしている。わたしのようにだらしのないガードレールなのである。所々で電柱が出っ張って頭にくるが、電柱に当たるわけにはいかないので黙って睨みつけるだけだ。体力が確実に衰えているわたしは、テニスショップの辺りで疲れ果てて一度立ち止まる。前からきた人とすれ違うとき、相手の体を避けなければならない。つまり歩道の幅が2人前ではなく、1.5人前なのだ。中途半端でしょ。だから車道に出て相手を避けなければならない。どうにか坂を登り切るとセルリアンタワーの裏手に出る。ホッとした所にあるローソンの角を曲がると、番長の事務所はもう近い。
桜が咲きました。金曜日、花見にきてください。番長から電話があった。二つ返事で出かける。西口モヤイ像前で友人のアートディレクターのMさん、プロデューサーのHさん、デザイナーのHくんと待ち合わせる。事務所のドアを開けると適度に広いスペースの正面に会議用のテーブルがある。ガラススペースの多い窓が解放的で気分がいい。ほぼ正四角形で使いやすそうな部屋である。
テーブルに座る男が挨拶をする。だれだろう。わからないまま軽く頭を下げる。わたしは結構愛想のいい方である。かみさんに言わせれば面倒くさいことが嫌いなだけでしょとなるが、そうかもしれない。丸太を荒く削ったようなごつい顔。長い髭。白髪まじりのグレーの髪。黒ぶちのメガネ。メガネの奥の目が笑っている。
知り合いだ。久しぶりです。男が言う。わからないでしょ。そう言う。愛想のいいわたしは曖昧な表情で過去の記憶のスクリーンをフル回転させる。Aです。赤坂時代にはお世話になりました。おお、Aさんか。広告のプロデューサーだ。
人と会うのは楽しい。20人の予定が50人になって、番長の事務所はラッシュアワーの渋谷駅状態となる。4階の窓から下を伺う位置に桜が咲くが、覗く者もいない。桜がつまらないのではない。桜の花以上に人と人の話に花が咲いているのである。座る者。立って話す者。壁に寄り掛かって酒を酌み交わす者。酒びんを持って人と人の間で揉みくちゃにされている者。あっちで挨拶、こっちで握手。みんな笑っている。
番長は広告代理店の社長で、広告の企画や販売の企画を得意とするプランナーだ。集まっているのはほとんどがその業界の面々である。広告業界は経済と比例するもので、いま、すこぶるよろしくない。だが、みんな笑っている。
番長は183センチのでっかい体ながら、「蚤の心臓なんです」と当人が言うように、まあとんでもなくやさしく気持のいい男である。人を集める徳を持っている。でっかい体の上に、アニメ日本むかし話に出てくる村人のような、単純で無垢な顔が乗っかっている。神奈川県の高校でサッカーをやっていてゴールキーパーだったが、ゴールキックがそのまま相手のゴールに入ってしまったという武勇伝がある。デザイン事務所の社長のОくんがわたしに言った。人が集まるのはいいですね。元気が出ます。わたしは答える。預金の数より人の数だね。かみさんが、「預金も大事よ」と叫ぶ声が聞こえた。活力にあふれた渋谷の夜だった。
takanoblood1794@yahoo.co.jp

2020/11/08
■ 「100」か「0」か

日本人は潔い。世界の人々にそういうイメージを与えていると誤解しているのは、わたしだけだろうか。
確かに武士道などぱらぱらとめくってみると、潔いように見える。だが、この自分たちでさえわかっていないいい加減なイメージが実は相当禍し、損をしているのではないかと最近つくづく思う。
潔いというより、極端なのである。潔いという言葉には、まだ心地よさがあるが、極端という言葉には、素直にうなずけない響きがある。「潔い」と「極端」は兄弟のように似て見えるが、実は敵同士のようにまるで違うのだ。あ、極端な言い方か。
かみさんにしてもそうだ。いつも料理を誉めておいしく食べているが、今日の味噌汁ちょっと味が薄いなあとか、あるいは今日は少し濃いかな、とか一言でも言おうものなら、「わかった、もう一生料理なんか作らない」、と恐ろしいことを平気で言う。なんですぐ一生になっちゃうわけ。これは、潔いのではない。極端なのだ。だからわたしは、かみさんの料理を絶対に批判しないことと固く決心している。
仕事にしても、ただ一回のミスを、あいつは年中ミスばっかりしている、などと極端に決めつける上司がいる。そのくせ一度部長を誉めると、あいつは将来性があるとか、わけのわからない極端を平気で言う。潔いのではない。極端なのだ。
民主党の支持率にしてもそうだ。ちょっといいことを言ったりやったりすると、ぐぐーんと上がり、小沢問題ではどどーんと下がった。極端だ。大勢の国民が、わーとあっちに極端に走り、わーとこっちに極端に走る。それまで、余裕があっていいねえ、などと言われて喜んでいた総理も、沖縄問題ではただの優柔不断と言われ、支持率はがた落ちとなった。日本人は極端だ。だいたい、「100」か「0」か。「白」か「黒」か。「いい」か「悪い」か、などという議論は単純すぎて、裁判所では必要だろうが、一般社会とは、そうそう単純にはいかない。
学校の試験だって、100点か0点かではなく、ほとんどがその間の63点から28点くらいの間を学生たちはうようよしている。だいたいが100点満点の人間なんかいない。どこかに弱みをもっている。神じゃないのだから。そのかわり0点の人間もいない。白か黒かという単純なものではなく、その間のグレイの中でうろうろ暮らしているのが人間だ。いいと悪いの間のよくわからないあたりをちょろちょろ生きているのが人間だ。
ところが、最近の会議にしても、打ち合わせにしても、この中途半端な、あるいはとても人間的な部分をすぐに吹っ飛ばしてしまう。急ぎ過ぎるのか、面倒くさいのか。丁寧さがすこぶる欠けている。アイディアを吟味しない。もう一歩突っ込んで考えない。いま、物が売れない時代だが、もう一歩突っ込んでアイディアを吟味し、丁寧に考えを練れば、まだまだ売れるのだ。100か0ではなく、63とか47とか、そういうファジーなことをしっかり見つめることによって、もっともっと共感してもらえるアイディアが生まれるのだ。潔いなどと格好をつけて、丁寧にやることから逃げている人間が多すぎる。人間づきあいにも丁寧さが足りない。会話ひとつにしても、丁寧さに欠ける。これは、わたし自身大いに反省するところだ。以心伝心などすでにないと考え、丁寧に話をすることだ。情報社会なのに情報を丁寧に伝えないから、仕事がうまく進まない。スローライフという言葉はすでに時代の後のほうにいるが、この言葉の中には丁寧に生きるというすばらしいメッセージがあった。100か0かなどと面倒くさがりの愚かで極端な問題解決より、人間らしい中途半端な最善の解決をさがしたい。丁寧に、もう一歩突っ込んで考えたい。
2020/11/08
■ 雑音ケータイ

相手のケータイから雑音が聞こえる。声はきちんと聞こえるから問題はないが、電車の駅からかけているようだ。プラットホームのマイクの声が聞こえる。3番線に電車が入るというアナウンスがBGMのように耳に入る。用件は伝わるから、十分に電話の役割は果たす。
あるとき、またその彼の電話に雑音が入る。波の音だ。海猫の声も聞こえる。海ですか?と聞く。そうです、今日は仕事で鎌倉に来ています。あら大変。お疲れ様。いえいえ、貧乏暇なしです。ところでオフィスですね?と相手が聞く。昼飯いっしょに食いませんか?と聞く。え、だって鎌倉でしょ? 大丈夫です。すぐ行きます。そう言って相手は電話を切る。すぐと言っても鎌倉からならどんなに早くても1時間以上かかる。どうするというのだ? 
するとオフィスのドアがトントンとノックされ、ドアが開いて彼が覗く。あれ、鎌倉じゃないの? いえ、ビルの前から電話したんです。でも波の音が聞こえたけど。海猫の鳴き声まで。そうですよ。ふたりで表通りのラーメン屋でランチを食べる。で、さっきの電話だけど。わたしは聞く。どうして波の音が聞こえたのかなあ。そう、この前はプラットホームにセットしたんだ、と彼が言う。渋谷駅のね。ああそうだ。駅から電話をもらったことを思い出す。セット?セットってなによ? わたしはいぶかって聞く。これ、雑音ケータイなんだ。彼が笑ってポケットからケータイ電話を取り出す。普通の形のシルバーのケータイで、特別な点はなにもない。普通のケータイじゃないか? 
そう、見た目はね。ここのキーを押して通話するんだ。彼が並んだキーボタンのひとつを指さす。いいかい。彼が言い、電話をかける。わたしのケータイが鳴り、出ると彼の電話から潮騒が聞こえる。ではこっちね。彼がかけ直してくる。プラットホームの音が聞こえる。こっちはどうかな。がちゃがちゃと音がする。雑踏が聞こえる。声が聞こえた。チューハイ2つ。そう聞こえた。居酒屋ですよ。彼が笑う。またかけ直す。鳥のさえずりが聞こえる。風の音も聞こえる。森です。ほう。もう驚くしかない。これは空港です。ジェット音が聞こえる。これ、映画館ね。これ、マージャン屋。これ、事務所の音。事務所の音まであるの? ええ、70種類入っています。かみさんへのアリバイづくりに使うのか? まあね。もっと面白いのもあるんですよ。これ、なんだと思います。女性の声だ。そうです。じゃあこれは?これも女性だ。そう、じゃあこれは?これも女性だ。
最初が日本人の女性。次が中国人。その次がロシア人の女性です。すごいね。すごいでしょ。男性の声も5人入っているんです。へえ。クラシックも10曲入っています。面白いですよ。でも、もうこのセット止めようと思っているんです。どうして?面白いじゃないか。変な声が入るんです。変な声?そうメニューにない声。なに、それ?そうなんです。そういう人が増えているんです。そういう人って?このセットの登録者にメニューにない声が入るんです。なに、それ? 霊です。霊の声が入るんです。霊?霊って、霊の霊か? そうです。不思議でしょ? 不思議って言うより気持ち悪いね。そう、それで解約しようかと思っています。でも、なんで霊の声が入るんだろう?そうですよね。理屈も理由もわかりません。でも、止めようと思います。その日、彼は解約した。やれやれと思う。
次の日、わたしがケータイで電話をすると相手から、あれ女の人の声がしますねと言われ、ぞっとした。さて、ケータイはどこまで進化するのでしょう。 
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