高野耕一のエッセイ

2020/01/14
■ 戦争に、勝者はない

あらゆる戦いは、攻撃と防御の組み合わせだ。戦争も、夫婦喧嘩も、犬の喧嘩もそうだ。アメリカンフットボールは、オフェンスとディフェンスの選手が明確に分かれているし、サッカーもフォワードとディフェンダーに分かれている。わが空手道も、「突き」と「蹴り」の攻撃、「受け」と呼ばれる防御、その3つの基本技から、無限の技が生まれる。
戦争は、人類最大の悲劇だ。それなのに、愚者たちは戦争を止めない。戦いは、生命の生存本能にへばりつく闘争本能の象徴だから、ちょっとやそっとでは消滅させることができない。悲しき本能だ。
それに、多くの人間にはもう一つ切り離せない本能、自我の欲望がある。なんでも欲しがる。心のなかで餓鬼が暴れる。なにも人間だけではない。生命そのものが根本的に自己中心で、「自分さえ良ければいい」、という性向をもっている。
虎もライオンも、草木も、赤痢菌も、生命は自分が生き抜くことを最優先する。それでも、バランスを保ちながら生きてきた。見事な自然バランス。その見事な自然バランスを人間だけが破壊する。地球のすべてを自分のものにしたがる。自然も、宇宙でさえもわがものにしたがる。挙句、人と人が殺し合う。国と国が殺し合う。人間以外に戦争をするものはいない。
創世期、力の集中を恐れた神は力を3つに分散した。魚に海を与え、鳥に空を与え、ライオンに陸地を与えた。一仕事終えてほっとしていると、人間があたふた現れた。「遅刻だぞ」。神は、弱った。与えるものがない。「おまえには英知を与えよう」、と仕方なく苦肉の策。「英知はむずかしい。使い方で宝にもなるが毒にもなる」。人間は、こうして英知を身につけた。その英知を、人間は毒として使う。海も欲しがる。空も欲しがる。陸地も、宇宙も欲しがる。英知を武器に、欲望の道をひた走る。
「戦争はなくならないな」。教授が言う。大学の歴史学研究室。わたしたちは安い焼酎を飲み、雑談を楽しむ。酒がぽろりと本音を言わせる。「歴史から見ても、人間はなんだかんだ戦争を繰り返すよ」。「ところで教授、日本は、戦争に強いのですか?」。突然、質問をする。軍事予算はともかく、歴史的に戦争の強い国と弱い国があるような気がする。「弱いな、日本は。海に守られた島国だ。戦争の経験が少ない。戦いに向いていない民族だ」。教授は言う。
大雑把に見て、蒙古襲来があって、秀吉が朝鮮に出兵し、幕末にはイギリス、オランダ、フランス、アメリカ、ロシアが圧力をかけてきた。日清日露の戦争があって、その後、満州に攻め込んだ。そして、太平洋戦争だ。「この一連の戦いを見てみても、日本は戦争が下手だね。オフェンスもディフェンスもなってないよ」。蒙古襲来は、神風に守られた。日本のディフェンス力は不明のまま終わった。秀吉は、欲望のままに朝鮮出兵したから、オフェンス力は疑問のまま。日清日露の戦いは、運よく相手が降伏したから、オフェンス力は不明。日米戦争では、勝利の設計図も方程式もなく、精神力だけでオフェンス力はゼロ。そんな戦争を強いられた善良な国民だけが、悲惨な目に遇った。「西欧諸国のように絶えず戦争の危機に瀕してきた国々と比べれば、日本は、オフェンスもディフェンスもなっていない国だ。いまでも他国に守ってもらっている。戦争なんかもってのほかだね」。
アジアの東の端にあり、海に守られて平和に暮らしてきた島国。オフェンスもディフェンスも中途半端で、他国に守ってもらっている善良な国。日本は、とことん平和を守り切るしかないのだ。
その日、大統領が広島に降り立った。「明るく、雲一つない晴れ渡った朝、死が空から降り、世界が変わってしまった」。そう語りかけ、戦争の悲惨さを訴え、「核なき世界」を発信した。「あなたといっしょに頑張る」。そう言って涙する被災者の肩を抱いた。神が与えてくれた人間だけがもつ英知。人はどう使うのか。戦争には、だれ一人として勝者はいない。
2020/01/07
■ 川に国境はない

インド人のRは、道具に無頓着だ。一式2000円ほどの子ども用の道具を片手にふらりと川にくる。いかにも暇つぶしといった風。
駒場の東大に通う。痩せて背が高く、深い瞳が理知的だ。歳の頃は、30代。「夏休みだね。インドに帰るの?」。Rは少し日本語がわかる。「私に夏休みはない。なぜなら、私は学生ではなく、プロフェッサーだから」。得意そうに微笑む。爽やかだ。
南インドに親から受け継いだ広大な畑を所有している。社長だ。管理を弟にまかせ、自分は東大にコンピュータの教師としてきている。「じゃあ、金持ちだな」。そういうと、ニッコリ笑って、「大金持ち」と、答えた。「でも、大金持ちは北部だろ。マハラジャとか」。
「私の畑には2000人の社員が働いている。だから私は、大金持ち」。「おい、友だちになろう」。奥さんと二人の子どもはインドにいる。「いいよ、友だちだ」。
メール交換をする。Rは、鯉を釣ったためしがない。金はあるが、釣りはダメだ。
中国人のCは、結婚したばかりの奥さんといっしょにくる。「仕事、IT関係ね」と、得意顔。他にも中国人が数人くる。新大久保の料理人たちだ。その連中とはCは口をきかない。どうなってるんだ、おまえら同じ国だろ。料理人たちは数人できて、所狭しとロッドを何本も並べる。それじゃラインが絡むぞ、と注意してもへらへら顔。しょっちゅうラインが絡んでいる。
釣った魚は食べる。キャッチ&リリースなんて発想はない。キャッチ&イートだ。「下品だ」。連中をCは白い目で見る。中国人同士なのに、わからん。わからないからおもしろいのか。われらの川に国境はないが、現実世界では、国境がビリビリと不協和音を立てている。
2020/01/07
■ 太陽の季節

積乱雲とともに、夏は突然やってきた。
小田急線片瀬江ノ島駅を降りると、灼熱の陽光が殴りかかる。潮の香をたっぷり含んだ海風がなかったら、その場でアジの干物になるところだ。
「バイトを紹介する」。合宿所でぶらぶらしていた私にそう言ったのは根本先輩だ。「場所は江の島、住み込み3食付き、日給1000円。ボーナスも出る」。
先輩の声は神の声、絶対服従だ。だが、この話は悪くない。どのみち上高地の山小屋のバイトで一夏を過ごそうと思っていた矢先だ。山もいいが、海もいい。
「東浜海岸に洗心亭という海の家がある。臼田という女性を尋ねればいい。話はついてる」。着の身着のまま、学生服に下駄をひっかけて小田急線に飛び乗った。7月1日の朝だ。境川にかかる赤い橋を渡る。手をのばせば届きそうな所に江の島が見える。緑の島の上空を、鳶たちが気ままに弧を描く。
国道134号線を越え、江の島弁天橋のたもとに立つ。潮騒が音を立てて岸壁を揺らす。東京オリンピックのために建設されたヨットハーバーの白い堤防が眼前に広がる。腰越から江の島まで湾曲を描きながら広がる東浜海岸には、50軒の海の家が並ぶ。赤、青、黄色、カラフルな水着。浜はすでに祭りの賑わいだ。
一人の若者が海の家から転がるように飛び出してきた。臼田ユキヒロだった。先輩紹介の海の家の責任者の息子だ。腰越生まれの腰越育ち、根っからの浜っ子だ。漁師の倅や旅館の息子といった彼の仲間たちも、みんな気のいい連中で、そろいもそろって気性の荒い浜の野郎どもだ。
客の帰った夕方、焚火を焚いて浜のゴミを燃やす。ユキヒロはそこで浜の野郎どもを紹介した。ハンサムなユージは、あだ名を戦闘機と言う。自分のモーターボートに絶対に女を乗せない。「女乗せない戦闘機ね」。ユキヒロが言って笑う。
ボートを持っている連中は、決まって女を誘う。「ねえ、彼女、海が呼んでるよ、ボートで沖に出ない?」。ユージが誘うのは男だけだ。「おかしいでしょ?」。当のユージは否定することなく、意味ありげに笑うだけ。
船八と呼ばれるのは、ひょろりと背の高い若者。無口で寂しげな顔立ち。漁師の父親を時化の海で失ってから、決して笑わない。海に出ない。
昼は釣り餌屋、夜は屋台の飲み屋をやっている。そんな船八をだれも臆病とは思わない。宝来亭のダッコさんは、みんなより年長だ。真っ黒い連中のなかでもずば抜けて黒い。物静かで、にこにこと若い連中の話を聞く。地元の人間ではない。どこかの町でなにかの事件を犯し、この浜に隠れて住む逃亡者だという噂だが、真実を知る者はいない。背中に刃物の傷とタトゥーがあるという。そのために、決してダボシャツを脱ぐことはない。
タミオは鵠沼の祖父に育てられた漁師だ。親の話はしない。だれも聞こうとはしない。童顔で甘い声、ユキヒロと仲がよかった。キックボクシングを習い、蹴りには自信があると子犬のように笑った。「夏は他所からヤクザが入ってくる。オレたち地元のもんが力を合わせて浜を守るんです」。ユキヒロがそう言い、みんながうなづく。
「それに座間の米軍の不良外人が酔って暴れたり、無銭飲食をするんです」。戦闘機が唇を噛む。「根本さんが助けてくれたっけ」。船八が言い、「あの人、空手二段でしょ、強かったもんね」と、タミオが感心する。「おたく、何段?」。じっと話を聞いていたダッコさんが私の顔を覗く。そこまで聞けば、おおよその見当がつく。バイト料が高いのも、住み込みで待遇のいいのもうなづける。「二段です」。「根本さんと同じだ。じゃあ強いね」。タミオがうれしそうに言う。「いや、先輩のほうが強い」。なんだか心配になってきた。だが、いまさら引き下がることもできない。西の海を赤く染め、シルエットとなった富士山の向こうに夕陽が沈む。「海が呼んでるぜ、騒ぐは潮風、どこか知らないけれど遠く行きたいぜ」。スピーカーから、裕ちゃんの歌が流れてくる。ええい、どうにでもなりやがれ。今年も太陽の季節が始まった。
2020/01/07
■ イヌ、カメ、メダカ

桃太郎は、イヌ、サル、キジをひきつれて、鬼退治をした。わが家の桃太郎は、イヌ、カメ、メダカをひきつれている。だが、鬼退治はしない。昔話はよくできていて、実に教育的だ。イヌには勇気と行動力が、サルには知恵が、キジには情報収集の目がある。彼らは単なるペットではない。鬼と戦うための強力な味方だ。さらに、イヌ、サル、キジは、桃太郎本人の才能なのだ、という意図も含む。桃太郎には、イヌの勇気と行動力、サルの知恵、キジのモノゴトを見極める正しい目がある、だから、鬼と戦っても勝てる、と教える。
それは、わが子に、桃太郎のように強い子に育ってね、と願う母の気持ちを表している。ところが、わが家の桃太郎が飼っているのは、イヌ、カメ、メダカ。イヌは同じだが、サルとキジではなく、カメとメダカだ。強力な味方というより、完全なペットだ。
本家のイヌは、日本犬。秋田犬か柴犬か、鬼と戦う強いイヌだ。わが家のイヌは、トイプードル。鬼と戦うどころではない。むしろ大変な寂しがり屋恋しがり屋で、他のイヌはもとより、どんな人とでも、鳩でも虫でも、なんとでも仲良く遊びたいほうだ。とても勇気と行動力を学べない。だが、一点の曇りもない、純な瞳で、真っすぐに見つめられると、こちらの濁った心が清らかに洗われる。
世の中、濁った目ばかりじゃないんだ、とホッとする。疑心暗鬼が消え失せる。これは、貴重だ。それに、勇気と行動力がまったくないわけではない。本家のイヌとまではいかないが、ある。
たとえば旅に出る。サービスエリアで休む。そこにドッグランがあれば、彼は、微妙な勇気と行動力を見せる。恋しがり屋だから、他のイヌを見ると嬉しくてたまらない。遠くに集まっている友だちをめがけて一目散に走る。走る姿が、美しい。力強くかいた前足を、思い切り抱え込んで後ろに伸ばす。渾身の力で蹴った後ろ足を、素早く投げ出し次の蹴りにつなぐ。4つの足が、きれいに交差する。顔は、まっすぐ前に向けている。眩しい風に目を細め、少し口を開けて小さな舌を出す。長い耳が風になびく。アメリカの画家ノーマン・ロックウェルが描く、美しくもかわいいイヌの理想の走り。それが、トイプードルの走りだ。息もつかずに友だちの輪に突入した途端に、でっかいゴールデン・レドリバーに、ワンとひと声吠えられる。まさに青天の霹靂、分厚い壁にぶち当たり、はじき返され、慌てふためいてたちまちこっちに全力帰還。どんなに慌てふためいていても、ノーマン・ロックウェルの走りは崩さない。たどり着くと、照れくさそうに見上げる。その程度の勇気と行動力で、まるで参考にはならない。
ましてやカメだ。サルの知恵などない。3階のテラスの水槽で、陽光を浴びてのんびりと甲羅干しをしている姿から、なにを学べばいいのだ。ウサギと競走して勝利した、あのしたたかに生きる姿が、参考になるか。
そういえば、このカメはいつからわが家にいるのだ。長い。まだ元気だから千年は経っていない。そうか、カメから学ぶのは、したたかさと陽だまりをのんびり楽しむ楽天か。
そして、メダカだ。最近、仲間になった。カメの横にいる。小さな蓮科の葉のまわりをくるくる泳ぐ姿が、元気でかわいい。全身全霊で生きる小さな命は、感動的だ。7匹しかいないので、メダカの学校とはいかず、メダカの学級だが、それぞれがあっち向きこっち向き、水面、中層、下層を自由気ままに泳ぐ。ときどき全員が同じ方向を向いて整列すると、思わず胸が熱くなる。
東の空が白む頃、水面近くを元気に泳ぐ姿を見ると、頬が緩む。夜明けの感動だ。わが家の桃太郎のイヌ、カメ、メダカは、素直に、真っすぐに、元気で、全力で生きることを教える。ところで、鬼って、だれだ__
2020/01/07
■ リオデジャネイロに乾杯

開会式直前になっても、会場のあっちこっちがまだ工事中。間に合うのか、大丈夫かとテレビや新聞が報道する。
「だいたいがブラジルって国はズボラよ、だらしないのよ」、「歌って踊って酒飲んでりゃそれでいいって国だ」、「あの国なら開会式を延期しようなんて、前代未聞のことを言いかねないね」、「下手すりゃ中止にしようなんて言うかもしれないぞ」、と鼻先で笑う者もいた。几帳面な日本人には、とても想像できないことだ。許せないことだ。だが、無事に間に合った。えらいぞ、ブラジル。(えらくない、当たり前のことだ)。
開会してからも、いろいろ問題があった。飛び込みのプールの水が、突然緑色に変色した。選手たちが、「目が痛い、変な匂いがする」、と騒ぎ出した。「放っておけば直るよ」、と関係者は対応しない。「適当に薬を撒いておけよ」、と実にのんびりしたもの。そのうち、あんまりウルサイので、しぶしぶ水を入れ替えた。選手たちが強盗や泥棒に遇った。拳銃をつきつけられた選手もいた。日本なら、国の恥、国家の一大事とばかりに血眼になるところだ。ところがあちらときたら、「あら、そのくらいで大騒ぎしなさんな」、という感じで太った警官が現れ、「盗まれるほうが悪い」、といわんばかりの鷹揚さ。(テレビのニュースで観ただけの感想ですが)。のんびりしたものだ。
選手村の部屋のシャワーのお湯が出ないなんて、かわいい話だ。だが、開会式をはじめ、テレビを観ているうちに、この国の人々がだんだん好きになった。太陽のように明るく、陽気だ。無邪気で、あたたかい。けして優等生には見えない。約束を守らなくてもケロリとしているようで、それはそれで「ま、いいか」、なんて許せそうだ。
年がら年中お祭り気分で、朝から酔ってなにか口ずさんでいる。ズサンでものぐさなところが、どうやら自分に似ているから、好きなのかも知れない。
それにしても、日本選手たちは、頑張った。できすぎだ。お見事と何度も何度も拍手を送った。金メダル12個、銀メダル8個、銅メダル21個。メダル合計41個は、過去最高だ。日本て、凄いと思った。アジアの東の果ての小さな島国が、リオデジャネイロの主役となった。日本人てえらいなあ、と喜びの吐息をもらした。(わたしが日本人だから、余計にひいき目に見ている)。だが、待てよ、と考えた。メダルを獲ったのは、わたしではない。選手たちだ。選手たちは、想像を絶する努力を重ねた。わたしは、なんにも努力していない。選手たちの家族や関係者も、ともに尋常ではない努力をした。メダルは、その凄まじい努力の成果であって、努力をしていないわたしには関係ない。日本という国も関係ない。もちろん、オリンピックは国をあげてのイベントだし、選手たちは国を背負っている。国はなにかと便宜を図ってきたから、まったく関係ないとは言わない。金メダルを獲れば、国旗が掲揚され、君が代が流れる。そこで短絡的に、「日本は凄い」、「日本人はえらい」、と思ってしまう。選手たちが凄いのであって、わたしが凄いわけではない。日本人全部が凄いわけではない。
そういえば、日本人がノーベル賞をもらったときも、「日本人はえらい」、と言われると、「自分がえらい」、と愚かな思い違いをしてしまう。日本には、そういう凄い人がいるのであって、みんなが凄いわけではない。世界の人々は、「日本は凄い」、「日本人は凄い」と思いすぎていないだろうか。「日本人は、全員大金持ちだ」なんて、まさか思っていないだろうな。誤解だ。いやいや、考えすぎるな。やめよう。ここは一つ、素直に選手たちを祝福しよう。
リオデジャネイロに乾杯。マリオになって地球を突き抜けた安倍総理、ごくろうさまでした。
2020/01/07
■ じぶんとみんな

リチャード・バック作「かもめのジョナサン」が話題になったとき、こんなジョークがあった。主人公の天才かもめには「ジョナサン」という名前がある。では、「ジョナサン」以外のかもめをなんと呼ぶか? わからない。
教えて。はい、主人公は、「かもめのジョナサン」、それ以外は、「かもめのみなさん」。「・・・・・・・・・・」。じぶんとみんな。この関係は、世界中のじぶんが置かれている絶対関係だ。個と普遍。個人の価値観と世間の価値観。その間には常に大きな壁が立ちふさがる。いつの時代にも、作家たちはこの壁に挑み続け、弾き飛ばされてきた。
文学者も、音楽家も、画家も、彫刻家も、陶芸家も、ものづくりに生きるすべての作家たちの希望と絶望の壁。作家たちの前に立ちふさがる個と普遍の巨大な壁は、登山家たちが永遠に挑み続けるアイガー北壁だ。
じぶんの価値観とみんなの価値観のちがい。なにも作家だけではないことに気づく。壁は、ひとり一人、世界の人々の目の前に立ちふさがる。なぜ、わたしの心をわかってくれない、なぜこの気持ちがわからない。もどかしい。歯がゆい。やがて作家たちは、しょせん人間は孤独なものよ、わかり合おう、理解し合おうなんて考えること自体が間違っているなどと、尻尾をまいて自分の世界に逃げ込んでいく。
ところで、個人、自分てなんなんだ。普遍、世間、みんなって誰なんだ。職業柄なのか、ことばの意味や価値をひらがなでは考えにくい。漢字にして、意味を理解し、はじめてその価値が見えてくる。自分にしても、じぶんというひらがなではどうもピンとこない。「自分」と漢字にして、はじめてなるほどと思う。自分、自らの分、つまり他人の分とはちがう分。分とは、分けたものとか、分けた割合という意味だ。となれば、自分と他分、自分と自分以外の分ではちがって当たり前だ。壁があって当たり前だ。なのになぜ、壁に悩む。壁を乗り越えようとする。わかってもらおうと必死になる。
「個にして普遍」ということばがある。個人の価値観が世間の価値観と同じ、という意味で、これが理想だとされる。つまり、自分の価値観を世界中がそうだそうだと、やんやの拍手を送ってくれる。ゴッホの価値観に、世界中が喝采する。モーツアルトの価値観に、世界中が涙する。あり得ることか。いや、あっていいものか。そうなりゃそうなったで、個人の消滅という危機が生ずる。
世界平和は、個にして普遍、個人の価値観と世界みんなの価値観が同じでなければ実現しないのか。世界中のみんながゴッホを愛さなければならないのか。そうではない。ゴッホを愛するものたちがいて、セザンヌを愛するものたちがいる。モーツアルトに涙するものたちがいて、シューベルトに感服するものたちがいる。それが自然であり、それが現実的だ。壁があってもいい。壁を壊す必要はない。ただ、壁を壁にしない理性、知性、豊かさがあればいい。
金子みすゞは、みんなちがってそれでいい、といった。そこには、ちがうからいい、ちがうからおもしろい、ちがうから愛し合い、助け合うのだという思いがつまっている。ちがいをお互いに深く理解し、補い合い、楽しむ。壁があっていいんだよ、壁を楽しみなさい、そういっている。
坂本龍馬は、デモクラシーを自由と訳したかった。自由。自らをもって由となす。由とは、基準とか法という意味だ。じぶんが法律なんていえる人間がどこにいる。龍馬は、とんでもない天才だから、龍馬がいう分にはいい。だが、他のだれがいえる。残念だが、ジョナサンや龍馬のような天才でもないのに、わたしは自由だ、特別だと思っているものばかりで地球はできている。みなさん、自分の分で生き、他人の分を大事にしましょうね。
2020/01/06
■ どっちだ

最初は、「右の拳と左の拳は、どっちがえらいんだ?」、という話だった。空手のことだ。後輩のKも私同様、理屈屋で話し好き、すぐ哲学まがいの話になる。私は右利きなので、左手を敵の前に突き出し、右手を腰において構える。左手は、攻撃にも防御にも自在に使うので、右手よりも多く使う。理想は、剣豪宮本武蔵のように両手を同じように使うことだ。
渋谷の飲み屋にいる。「じゃあ、手の平と手の甲では、どっちがえらいんだ?」。酒が入るとだんだんわけのわからないことを言い出すのもいつものことだ。
「手の平は、自分のほうが働き者だと思って、きっと甲を恨んでますね。たまには
替われ、と思っているでしょう」。「だろうな、左手だって、右手よもっと働け、と言いたいとこだ」。これが哲学的かどうかわからないが、まあ哲学と政治は、食べ残しの米粒のように、暮らしのどこにでもくっついてくるものだから、ごく普通の与太話をしているだけ。
「右足を痛めましたよ」。Kが足の脛をさすりながら言う。空手では、脛は一番怪我の多い箇所だ。「へへへ、そうか、この未熟者が。俺なんか、片方の足だけに負担をかけないように、週に一度左足と右足を入れ替える、土曜日の夜にな」。隣のテーブルにいた女性グループが、こちらの話を小耳にはさみ、白目で睨む。これが嬉しい。近くのA学院の女学生だ。女性に好意をもってもらおうなどという無謀な欲などすでにない私は、白目だろうと、赤目だろうと、ちらりと見てくれるだけで胸が躍る。もはや、「街の恋より、川の鯉」、という年齢だ。笑ってくればめっけもの。
「先輩、右目と左目を入れ替えたら、モノが逆に見えるでしょうか?」。Kも、白目も、赤目も、へったくれもない年齢。「そりゃそうだ。そのまま普通に見えたら、お互いの存在価値がない」。ついに、女性の一人が吹き出した。嬉しい。これこそ、最大の喜び。「そういえば、先輩は、右翼ですか、左翼ですか?」。急に真面目な質問。よく聞かれる。うちの学校の名前が右翼っぽいのと、空手なんかやってるせいだ。「心は、右翼かも知れんな。だが、左翼の理屈もわかる」。「では、どっちです?」。「そうさな、右翼でもあり、左翼でもあり、右翼でもなし、左翼でもなし」。
「どっちです?」。「まあ、強いて言えば、中翼、ナカヨクだな。真ん中、みんな仲良く」。隣のテーブルが爆笑する。これでこそ生きてるってものだ。ここで、「お嬢さん方、ご一緒にいかがですか?」と言えないところが、すでにおじさんだ。いい加減飲んでから、帰りにラーメンで締める。駅前のいつものラーメン屋。そこでもまだ哲学は続く。
「父と母、どっちがえらい?」「自分はマザコンですから、母です。ですが、普通なら、どっちも同じじゃないですか?」。「そうだな、同じと言っといたほうが、もめないな。じゃあ、こうやって割ったラーメンの割り箸な、これ、右と左は、どっちがえらい?」。哲学でしょ。もう自分でもなに言ってるのかわからない。カウンターのなかで、大将がスープの鍋をかきまわしながら、話を聞くともなしに聞いている。腹のなかで、「へへへ」なんて、バカにしてる。「右でしょ」。Kが言う。「どうしてよ?」。「右のほうが働いています」。「そうか。俺には同じように思えるぞ」。二人でまじまじと割り箸を眺める。「なあ、大将」。スープ鍋をかき回している大将に、私は声をかける。「割り箸のことなら、大将のほうが詳しい。プロだ」。「いえ、割り箸のプロじゃありません」。「でも、教えて。こうやって割った割り箸、右と左、どっちがえらい?」。困ったなと、頭に手を当てる大将。そして答える。「それって、ラーメンに聞いてもらえます?」。私より、はるかに哲学者であった。__
2020/01/06
■ 「漱石朝顔」

やっと咲いた。漱石の朝顔。期待した純白ではなく、明るく、鮮やかな紫色の花が、たった一輪。ある朝、玄関の階段下の自転車置き場のプランターで、朝風にそっと可憐な花が揺れている。感動した。思わず声をあげて、かがみ込んだ。
感動には、理由がある。そうなのだ。この朝顔は、夏目漱石ゆかりの朝顔なのだ。そういうことにしてある。だから、咲いたらみんなで感動しよう、わざとらしいくらいに感動しよう、「よろしくね」、妻にも息子にもそう頼んである。
ところがこの「漱石朝顔」、いつまでたっても咲かない。頑固だ。パラパラと種をふり撒いておけば、朝顔ってカンタンに咲くものだ、とたかをくくっていたが、2週間経っても3週間が過ぎてもほんの申し訳程度に、5センチほどの芽を出しただけ。脇に立てた棒にいつ蔓を絡めるかと、胸を躍らせて毎朝眺めていたが、いいところでポロンと根っこごと抜けてしまったり、力尽きてパッタリ倒れてしまったり、花が咲くどころかいっこうに成長する様子が見えない。
「日当たりが悪いんじゃない」。妻はまるで他人事、心配する気配もなく、あっけらかんと顎で笑う。「なに、漱石だぞ、夏目だぞ、太陽なんか必要ない」。わけのわからないことを言っている自分が情けない。この朝顔の種は、西早稲田の広告会社のテラスに咲く、美しい純白の花の種をもらってきたのだ。テラスは5階にあって、眼下に馬場下町が見える。直接見えるわけではないが、地理的にはまちがいなくそうである。馬場下町から早稲田大学大隈講堂まで、バスで一駅、歩いても5分ほどだ。地下鉄の駅もあって馬場下の交差点は、賑やかである。学生やサラリーマンが多い。
夏目坂は、交差点にある。ゆるやかに東に向かって上る坂道は、昭和女子医大から市ヶ谷方面に続いている。夏目坂と名付けられていることからわかるように、小説家夏目漱石が、幼い頃ここで育ったという。近くに漱石縁の公園があり、新しい漱石記念館の建設が予定されている。つまり、この純白の朝顔は、日々、幼い漱石に想いを馳せながら咲いていたのだ、と強引に結びつけ、勝手に「漱石朝顔」と命名した。
不遇な環境のなか、純粋過ぎるがゆえに屈折した心をもつ漱石。その純粋な心を映すような、切なくも美しい、純白の朝顔。そう想うと、世話のし甲斐もあるというものだ。それが頑固に花を咲かせない。やっと咲いたと思ったら、白ではなく紫色。感動はしたものの、腑に落ちない。嬉しいけれど、納得できない。白い花の種で、なぜ紫色の花が咲くのか。そこのところがわからない。「そんなことってあるのでしょうか?」。折から通りかかったご近所の水野さんに尋ねる。「どうでしょう?土によって色が変わるのかしらねえ」。水野さんは、わざわざ自転車を止めて答えてくれる。「それとも、日当たりによって色が変わることもあるのかしらねえ」。うむ、たしかに紫陽花は、土の具合や日の当たり方によって、色が変わると言う。だが、これは朝顔だ。かといって、花の知識などまるでない。いやはや、なんとも情けない。
夏目漱石の作品では、初期の「坊ちゃん」が、とっつきやすく、読みやすくて好きだ。「坊ちゃん」の真っすぐな性格は、きっと屈折した漱石の憧れだ。「三四郎」くらいまでは、まだ気張らずに読める。だが、「こころ」や「草枕」になると、なにやら説教されているようで、「だからどうした」と、反発心が先に立つ。心が屈折しているのは、漱石ではなく、わたしかも知れない。
まあ、紫色でも花が咲いたからよしとするか。諦め半分、朝顔を忘れて数日。突然、純白の花が咲いた。漱石、やっぱりあなたは、いい人だ。智に働けば、角が立つ。情に竿させば、流される。「草枕」を、もう一度読み直そうか。
2020/01/06
■ 午後の死

へミングウェイの「午後の死」は、スペインの闘牛をドキュメントとして著したが、物語としても興味深い。1世紀近く前の古い話だが、ファンとしては永久保存版として書棚に置き、時に触れページを開きたい貴重本だ。「午後の死」に感動した写真家がスペインに飛び、闘牛をカメラに捉えた。
さっそくファンのK学院大学自然科学教授のAに連絡し、研究室で焼酎片手に写真の鑑賞会を開いた。「どれもいいねえ」。テーブルに広げた写真に見入る教授の脇から、「すばらしいわ」と、助手のC女史が感動の声をあげる。ロメロ、アントニオ、ミゲル、ロドリゲス、往年の名闘牛士を想わせる若きマタドールたち。その、死と隣り合わせの、命を賭けた究極美が深いモノトーンで、A4サイズの印画紙に焼き付けられている。汗の迸るアップの表情の、死の恐怖を超えた者だけがもつ潔さが美しい。深紅のケープが風を呼び、それが死への誘いとは気づかず、黒い戦車と化した牛の聖き突進。興奮の極致に酔い、立ち上がり、腕を掲げ、振り回し、絶叫する観客。気を失って連れの男の腕に倒れこむ女。ハンカチを顔から離せない女。黒い戦車の写真からは、荒々しい息遣いが耳に届く。大地を揺るがす、重量感に満ちた脚音。「あ、これ、いいわ」。C女史が1枚の写真を取り上げ、教授に示す。「ほう、いいね」。教授が写真を受け取り、目の高さに掲げ、手を伸ばし、眼鏡をもち上げる。手を縮め、眼鏡をずらし、「うん、これはいい」と、何度も頷く。牡牛の黒い顔のアップ。その目は、カメラを正面に見ている。だが、なにも見てはいない。なにも映ってはいない。虚無の目。「途方にくれているわ」、C女史がいい、「そう、そのとおりだ、途方にくれている」と、教授。
闘牛は、産まれてすぐに闘いを始める、と教授が説明を続ける。仲間と角を突き合い、角の使い方を学ぶ。タイミングを体に覚えさせ、足の運びをモノにする。訓練士の厳しい練磨により、くる日もくる日も、ひとつの技を高度に仕上げていく。3歳になると闘いの体ができあがり、4歳には最高の殺し屋となる。「闘うために産まれ、闘いに生命のすべてを賭ける。最高の殺し屋だ。だが、死が約束されているのは、牛のほうだ」。
アリーナに入ると、爆発する熱気が牛を狂わせる。馬上のピカドールが、牛の背中の瘤に何本もの槍を突き立てる。マタドールがプーケを舞わせ、牛の狂気を鼓舞する。必死の殺し屋は、目の前に立ちふさがるすべてを殺しにかかる。鍛えに鍛え、磨きに磨いた殺しの技のすべてを敵にぶつける。「この瞬間、この牛は、仏になった」。教授のことばに耳を疑う。「仏ですって?」。写真家がいぶかし気に聞き、C女史が、ほら出たというように微笑む。教授には、普段から人を煙に巻いて楽しむ癖がある。「どんな生命にも、生存本能と闘争本能が双生児として付きまとう。
生きることは、闘うことだ。生死は、闘いの中にある。だが、仏は生死を超越した。釈尊は、闘いのない境地を極めた。この牛の表情は釈尊のものだ。生きることと死ぬことの境界で瞑想している。産まれて初めての精神状態に途方にくれている。この表情は仏だ。どうだ、神々しくはないか」。そういうと教授は、照れた笑みを浮かべ、あごの髭をつるりとなでる。
「ほんと、神々しいです」、C女史がいい、「誉めすぎです」と、今度は写真家が照れた。牛は、この写真を撮った数分後に殺された。写真家は、死んだ牛を撮らず、観客に手を振るマタドールの得意気な表情にカメラを向けた。「なんだ、殺し屋は、人間のほうじゃないか」。心を牛に残し、シャッターを切る写真家に複雑な思いが走る。スペインではいま、動物愛護の立場から闘牛の是非が問われている。
2020/01/06
■ 「龍馬のうしろ姿」

「おい、おまん、斬るのか斬らないのか、はっきりせいや」。道の真ん中で龍馬の背中が叫んだ。5メートルほどうしろで乾退助(後の板垣退助)は、刀に手をかけたまま動けない。岩のようにがちがちに固まった身体から、氷のように冷たい汗が吹き出す。呼吸ができない。斬るどころではない。このままでは、こちらが一刀のもとに斬り捨てられる。恐怖で全身が震える。見つめる龍馬の背中が、青白い炎をあげてめらめらと燃えあがる。
「な、なんだ、あの炎は?やつは、鬼か?」。長州も薩摩も徳川も、土佐藩でさえ、いまや龍馬を斬ろうと狙っている。しかし、だれも斬ることができない。酒に酔い、ゆらゆらと風に揺れる提灯のように歩く、隙だらけの龍馬。大根を切るように、だれにもカンタンに斬れる。だが、刀に手をかけると、凄まじい気迫が衝撃波となって襲ってくる。
背中の桔梗の紋が、牙となって迫る。「なんだ、斬らないのかい」。面倒くさそうに一言いうと、龍馬は、再びゆらゆらと歩き始める。龍馬、幕末という時代の節目に、天から舞い降り、一仕事終えるとさっさと天に帰ってしまった土佐の天才児、坂本竜馬。その人気は、いまでも絶大だ。
激しく流れる雲、ちらちらと揺れる月光、風雲急を告げる京都、家々は早くに雨戸を閉め、町は暗い。居酒屋のぼやけた明かりがぽつぽつ灯る通りをゆらゆらと歩く龍馬。上質の服装を身に着けているが、袴のひだの跡もとっくに消え、着崩れて、汚れ、よれよれである。だらりと垂れた袴のひもが、風に舞う。乾退助は、腰を抜かしたまま遠ざかるうしろ姿を呆然と見つめる。あの青く燃える炎、龍馬の凄まじい気迫は、なにから生じるのか。龍馬は、北辰一刀流千葉道場の師範代を務める剣の達人だ。
しかし、剣から身につけた気ではない。禅もやった。だが、「ただ座っているなんて、時間の無駄だ。その分歩いていればどこへでも行ける」。そういって、途中で止めてしまったが、禅の真髄をすでに体得していた。その上、この男には生まれつき、なにもかも受け入れ、瞬時にその本質を自分のものにしてしまう不思議な天分があった。禅と瞑想は似ている。どちらも悟りの境地に至るものだ。禅が、一つの決められた形を守り、目をうっすらと開けるのに対し、瞑想はもっと自由だ。形もない。目も閉じていい。寝てもいい。ある時座禅に魅せられた画家の横尾忠則氏は、苦しい座禅修行を積んだ後、「やっぱり瞑想のほうが楽だね」と、どこでも時間があれば自在に目を閉じると聞く。その横尾氏が、静岡の井上老師に禅について尋ねた。「人は、生まれながらに悟っている」、「人には、悩み苦しみといった煩悩など、もともとない」、「人間的見解をするから、真実がわからない」、「自分が、自分が、という自我意識がない世界が悟りである」、「座禅をするには、悟るという意識さえ捨てなければならない」、このような教えを受けた。
こうした禅の境地を、龍馬は生まれながらにもっている。土佐勤王党の生みの親、だれもが認める天才児、幼馴染の武知半平太でさえ、「龍馬の大きさには、とてもついていけない」と、あきれ顔で感心した。
長州の高杉晋作も、「新しい時代のために、あんたは死ぬな」と、愛用の銃をプレゼントした。薩摩の西郷隆盛も、徳川の勝海舟も、「あの男、憎めないんだよ」と、敵対する龍馬のために一肌も二肌も脱いだ。空のような清々しさ、海のような大きさ、少年のような真っすぐな心、だれでも許す寛容さ、茫洋としながら本質を見抜く感性、そんな、禅や瞑想による悟りさえ生まれながらに身につけていた坂本龍馬。
秋の早朝、さわやかなテラスで瞑想すると、瞼の裏にそのうしろ姿が浮かぶ。鮮やかな桔梗の紋が美しく迫り、やがて、遠ざかる。
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