高野耕一のエッセイ

2020/10/05
■ 他人に花もたせてこそ男

せっせと種を植え、水をまき、苗木を育て、苦労して花を咲かせたら、笑ってその美しい花を他人に捧げる。それが男というものである。そんな聖人君子のような生き方にあこがれているが、いやはやむずかしい。最大のむずかしさは、実は陰で苦労することではない。花が咲いたら捧げようと思っている相手が、横から、その種の選び方はいかがなものかとか、ちょっと水をまきすぎではないかとか、その肥料よりこっちの肥料のほうがいいとか、ぎゃあぎゃあうるさいのである。そのうるささに笑って従えるかどうか。これがむずかしい。
じょうだんじゃない。おまえさんになんか花はやらない。そういう感情が自然に湧きあがる。わたしは、男になれない。主君のために命を捧げる葉隠武士のごとく完全な陰の中で、他人のための花を育てることができない。
わが国学院大学空手道部のOB会はいま、現役部員数の激減問題に直面している。OBの参加人数も増えることがない。地方のOBと若いOBの参加が少ないのである。そんな中で空手道部は創部60周年を迎える。現役のために9代次呂久英樹先輩を監督に迎えた。OB会の発展のために12代小柴先輩を会長に据えた。次呂久監督のもと、2年生の大角くんと遠藤くんが急速の進化を遂げている。1年生も日々逞しく成長している。
次呂久監督は、国大空手部に次呂久あり、と詠われたほどの剛の者でありながら、いま、自分を陰に置いている。現役に花をもたせるために、水をまき、肥料をまいている。黙々と空手の基本を現役の体に叩き込んでいる。大会での優勝を視野においてはいるが、監督の視線はその先の彼らの人生の勝利に向けられている。
空手は、スポーツでありながら武道である。道である。中には愚かな先輩たちもいて、試合に勝たなければ意味がないという。違う。試合に勝つだけでは意味がないのである。その違いがわからぬまま、横からごちゃごちゃいうOBがいて、それを指摘すると彼らはOB会に参加しなくなる。彼らは自分のために参加しているのであって、他人に花をもたせようと思っているのではないのだ。若いOBは参加しても発言の機会がない。古老長老の発言を聞いているだけだ。これではつまらない。
会長も改革の糸口がつかめない。注意すれば古老長老はOB会にこなくなる。地方のOBの不参加理由は二つ考えられる。空手部なんか忘れたいのだという者もいる。また東京を中心とするOB会には遠くて参加できない。15000円の年会費を払っても、東京の連中が渋谷で飲んでしまうに違いない。主にこの二つの理由だ。
一つ目は、どうしようもない。青春時代の4年間を過ごした空手道部を大事にしてほしいというしかない。そして助けてほしいと素直に願う。
二つ目は、いま、会計は明快である。OBたちはむしろ自費の持ち出しでやっている。道場に顔を出せば、帰りに現役たちにラーメンを食わせる。自費である。みなさんの会費をこそこそ使うなんてケチなOBはもはやいない。現役に花をもたせる。若いOBに花をもたせる。地方のOBたちに花をもたせる。
日下部くん、斉藤一久くん、斉藤あきひこくん、海上くん、上原くん、河野くん、田中くん、その他にもいる。陰に生きる男たち。人に花もたせる本当の男たち。空手道部創部60周年。創部者、初代小倉基先輩に深く感謝し、すべての関係者の絆を強めたい。
2020/09/14
■ 犬も歩けば

犬の目を見ていると、鏡で自分の目を見るのはもちろん、人間の目を見たくなくなる。
一点の濁りもなく、微塵の疑いもなく、まっすぐに見つめる宝石のような犬の目の純粋な輝きにこころが洗われるのだが、その後、人間の疑いに満ち満ちた目に合うとなんともやり切れなくなる。犬の目の奥には、切ないほど主人に寄せる信頼の光がある。こちらのこころを一生懸命に理解しようと努め、最後は自分が人間ではないので、理解できなくてごめんなさい、という切なさにいきつくのだ。こんなに相手を理解しようと努力する人間はもはやいないから、よけいに犬と話していたいと思うのだ。
わが家の初代愛犬は、三河柴のテツだった。日本犬である。息子のゴウタが小学生のころ、妻と二人で新宿のペットショップで買ってきた。ゴウタが臨海学校に行っている間に買って、驚かしてやろうと思った。ペットショップのガラスケースには、ころころ転げ回るかわいい子犬がたくさんいて、どの子犬も夢中で駈け寄ってくる。秋田犬の子、柴犬の子、どの子犬も丸い顔につぶらな瞳が愛くるしかった。
うわ、かわいい。妻はもうどの犬がいいのかわからなくなっていた。わたしにしても同様だ。そのうちふと妻が一匹の子犬に目をつけた。あれ、かわいい。ほら、あれ。その子犬は、こっちに駈け寄ることもなく、部屋の奥できょとんと座っていた。子犬なのに堂々としているわ。妻は言う。風格さえあるわ。小熊か狸のようにも見える丸顔。丸い黒目。全体が薄いグレー。ぬいぐるみのようだ。堂々という言葉と風格という言葉が、たいそう気に入った。あれだな。私が言い、店主が横で、お目が高いともみ手をする。三河柴です。猟犬です。堂々です。風格です。店主の言葉にうれしくなっていると、あと3万円いただければすぐ血統書を作りますが、と店主が続けて言う。え、わたしと妻は絶句して顔を見合わせる。血統書って、店の奥で簡単に作っちゃうものなの。すぐできますよ。妻がわたしのシャツの裾をちょんちょんと引っ張り、小さく首を振り、店主と目が合って愛想笑いをする。血統書はいりません、わたしにだってないんだから。わたしはわけのわからない返事をする。段ボールに入れて子犬を連れて帰り、その夜臨海学校から帰ったゴウタと対面した。
わ、ぼくの犬。ゴウタは子犬に抱きつく。子犬もゴウタをぺろぺろなめる。子犬はテツと命名された。テツに異変があったのは次の日だ。突然ぐったりした。どうしたんだ。わからない。ぼくのテツ、死んじゃうの? ゴウタはすでに泣き顔だ。やっと見つけた環八の向こう側の実相寺の近くのペット病院に行く。テツ、大丈夫? 妻もうるうるし始める。この犬は生まれつき腸が弱いようですね。医者が言う。生まれつき? なんだ、それ。あれ、それでペットショップでも走り回っていなかったのか。座りこんでいたのか。堂々じゃないじゃないか。だれだ、風格なんて言ったのは。あの犬屋のおやじ、お目が高いだと。テツはすぐ元気になったが、妻はしばらく機嫌が悪かった。なんで3万円の犬に10万円も医者代払うのよ。わたしに文句を言っても仕方ないだろ。テツは16年生きた。水が大嫌いな猟犬だった。子どもと女性が好きだった。犬を見るとけんかを吹っ掛けた。自分を犬と思っていなかった。ゴウタとは兄弟のように育った。いま、深大寺に眠っている。二代目のトイプードルのチュウを連れて、深大寺のテツに会いに行く。テツがゴウタの兄弟なら、チュウはゴウタの分身のようである。テツと同じく、チュウもまた純粋な瞳で相手をじっと見つめ、相手のこころを理解しようと努力する。その瞳の奥に切なさがきらりと光る。人間でなくてごめんなさい、と犬の瞳が言う。
2020/09/14
■ キムタクと対決

JR線吉祥寺駅、井の頭公園側の商店街、ある金曜日。狭い通りに人がひしめき合い、おまけに通行人を押しのけるようにひっきりなしにバスが通る。
通りに面した店も、小さな雑居ビルにも、飲食店が目につく。大型のチェーン店の居酒屋、昔からある小さな居酒屋、回転寿司屋、回転しない寿司屋、ラーメン屋、コーヒーショップ、牛丼屋、蕎麦屋、それらの飲食店の間にパチンコ屋とゲームセンターがある。
祭りのように赤い提灯がずらりと並んでいる。並んだ提灯に明かりが灯った。通りはまだ暑く、わたしは汗をかいている。井の頭公園からの風も、ここまでは届かない。わたしは、古い雑居ビルの急な階段を上がった2階の居酒屋にいる。天然素材を使った和風の店で、店内も天然木を多く使ったつくりで広い。友人と待ち合わせをしているが、時間はまだたっぷりあった。広いカウンターの隅に座る。飲み放題888円にこころ引かれたが、結局普通の生ビールを頼んだ。とりあえずビールを飲んで、2杯目に熱燗を飲みたかったからだ。500円の刺身盛り合わせとお新香を頼む。
なあ、キムタクよ。わたしは、目の前で爽やかに笑う青年にいう。長い髪。陽に焼けた肌。今日もキムタクは爽やかに笑う。勝負しようぜ。わたしがいい、いいよ、とキムタクが答える。二人でいつもの勝負をする。今日もおれの勝ちだけど。わたしはいう。最初は、柔道だ。最初から、そうくるか。それは、文句なしの負けだ。キムタクがあきれて、ビールを飲む。おれ、格闘技はあんまりねえ。よし、1対9で、わたしの勝ち。じゃあ、サーフィン。なんだよキムタク、お前だって最初から強力にくるじゃないか。うん、おれも勝ちに行く。9対1で、キムタク。わたしはボディボードしかやったことがない。じゃあ、英会話。英会話ねえ。4対6で、わたしだ。いや、6対4でおれだ。よし、じゃあ実戦だ。ハウドゥユウドゥ。アイアムファイン。よし、引きわけだ。5対5。ダンス。ダンスか、やばいね。そりゃ、キムタク、そっちはプロだからな。10対0。ベーゴマ。ベーゴマ? 聞いたことあるけど、やったことないもんな。よし、1対9でわたし。ボーリング。ボーリングか。キムタク、お前のベストスコアは? 255点。まいったねえ、わたしの最高点は、ジャスト200。6対4でキムタク。駈けっこ。駈けっこかよ、この前テレビ番組で坂を駈け上るやつをやっていたなあ。あれ、頑張ったもんな。わたしの負けだ。7対3だ。キムタク有利。よし、どっちが女の子にもてるか、とわたし。高野さん、それは勝負にならないよ。そうじゃないよ。ファンの数じゃない。女の子が本気で惚れるかどうかだ。そういいながら、やっぱり止めよう、これはやっぱりわたしが不利だ。ね、そうでしょ。キムタクはお新香をつまむ。預金。おい、キムタクよ、勝負にならないよ。高野さんだって、バブルで稼いだ口でしょ。芸能人といっしょにするなよ。ましてやキムタクと預金の勝負してどうするのよ。で、キムタクよ、お前さんは、いくら貯めているんだ。20億円か、30億円か。そんなにあるわけないでしょ。3億円か、5億円か。いけねえ、やめよう。話がつまらない。高野さんも意地っぱりだなあ。当たり前さ。30年前のわたしなら、文句なしにわたしが勝つ。キムタクが腹を抱えて笑ったとき、わたしの携帯電話が鳴った。高野さん、遅れてごめん、いま、駅に着いた。あと5分で行く。待ち合わせをしている広告代理店の部長からだ。はい、待ってます。じゃあ、また。キムタクが軽く頭を下げて出て行く。先日、わたしはツマブキくんとも勝負した。妄想は時間潰しに最高である。日々、好日。
2020/09/14
■ ハイエナに思いやりはない

ハイエナは、肉に食らいつく。ハイエナの目の前にいるのは、鹿ではなく肉だ。
ある経営者の方と話していて腰をぬかした。金です。すべては金です。なにがなんでも金です。彼は、堂々とそう言う。本当にそう思うのですか、と聞き返した。逆に、あなたが甘いというようなことを言われた。わからないわけではないが、それを会社のトップとして公言するのは、非常に具合が悪い。人間はハイエナになれと言っているのだ。肉に食らいつくハイエナのように、金に食らいつく人間になれと言う。知恵もなく、文化もなく、品位もなく、社会は消滅しますよ、と言ってもどうも納得していないようだ。
彼の会社には、まだ人間的な社員はいるし、周りには彼をオトナとして見る子どもたちもいる。社会がある。そこに向かってハイエナになれとは、恐ろしいことを言うなあと思わず首を振った。会社が経済的に苦しいのはどこもいっしょである。だが、ここが人間として生きるか、ハイエナに落ちるかの分岐点である。
思えば、世の中はどんどんハイエナ化している。世界情勢のハイエナ化。日本の国のハイエナ化。ハイエナと人間の違いを整理しよう。わたしの私見だから、異論はあると思うが、まあ聞いていただきたい。ハイエナは、空腹を満たすという目的に向かって、そのまま行動に出る。肉に食らいつく。人間は、肉を食べるにも、ハイエナのようにただ食らいつくのではない。焼いたり、皿を用意したり、ナイフを使ったり、フォークを使ったり、タレを開発したり、横にワインを置いたりと、知恵を使う。工夫する。そこに文化が生まれる。人間は、@目的⇒A知恵、工夫、思想⇒B行動、の流れを持つ。Aは、人間が築いてきた文化だ。ハイエナにAはない。@から突然Bとなる。極論すれば、@から突然Bにいくのは、強盗をしても金を手に入れる、という理論だ。現にハイエナは、他の動物の肉を横から奪う。人間のもっとも人間らしいところ、人間としての存在理由は、このA文化にある。貧すれば貪する。これは文化を否定する言葉だ。人間が人間として生き抜いていく結論など、だれにも出せるものではないが、ハイエナのように本能にまかせて生きるだけではだめだ。かといって、文化ばかりを叫んでも生命力の弱い動物になり下がる。人間は動物であることに間違いはないが、ハイエナのように本能をむき出しにすれば、世界は戦争に包まれ、地球さえ滅ぼしてしまう。
人間は神を創造し、自ら弱さを認めたところから動物と違った。ハイエナに神はいない。さらに、科学もない。人間は神と科学のバランスで進化する。本能だけのハイエナに進化はなく、むしろ退化と滅亡へと進む。
思えば、視聴率さえあがればなんでもするテレビ番組が、子どもたちや社会をハイエナ化したことも事実だ。文化の中で大切な、思想がなかった。恋ひとつにしても、@から突然Bである。Aなど面倒くさいのである。実際、文化とはある意味面倒くさいものである。テレビ社会が亡国につながると看破したのは、ノーベル賞作家の三島由紀夫だ。文化の究極となる思想とは、相手に対する「思いやり」である。実は、世界を救い、街を救い、家庭を救い、自分を救うのは、もはや「思いやり」しかないとわたしは思っている。国々も、政党も、企業も、なにもかもが自分の都合だけを主張して生き始めている。ハイエナが目の前の鹿を肉としか見ないように、お客さまを金としか見ない企業が増えないことを願うだけだ。オトナたちのハイエナ化が、子どもたちや国の将来をハイエナ化していることに気づくべきだ。
2020/09/14
■ 傘をたたんで母は

「梅雨傘をたたんで母は旅立ちぬ(耕雲)」。
6月11日。朝まで降っていた雨が午前11時にはあがって、神が手を差し伸べるように、雲間からやさしい陽光がこぼれ始めた。新橋駅でバスを降り、汐留の高層ビル群を見上げると、ビルとビルの間にからりと晴れ上がった青空が見える。海からの風が、まだ乾き切っていないアスファルトの大通りを吹き抜ける。母は、晴れを呼ぶ女性だった。
母ちゃんが何かしようとすると、いつも雨が止むんだよ、不思議だね。ともに暮らす三男の弟・信治が驚いていう。ぼくらは、男ばかりの五人兄弟。次男の敬二は、26年前、38歳で他界した。ぼくらは全員、母のことを母ちゃんと呼んでいる。第一京浜国道の隣のドトールコーヒーの通りに面したテラス席が空いている。200円のアメリカンコーヒーを注文し、テラス席に座る。行き交う車の列に夏を思わせる陽光が照りつけ、道行く人々は上着を脱いで手にもち、ハンカチで汗を拭く。打ち合わせまで15分ある。空が青すぎる。母と信治のことを思い出す。
今年1月、88歳を迎えた母は、数年前から認知症が始まっていて、ベッドに寝た切りとなった。左腕の肘の横に肉腫が見つかったのは、昨年だった。新大久保の社会保険庁中央病院で手当てを受けた。放射線治療である。ザクロのように腫れあがった肉腫がはじけたら、危ないです。細菌に感染したら、その日のうちに命を落とすこともあります。主治医の先生が、全力を尽くします。とりあえず10回ほど放射線で叩きましょう。そういった。下落合の実家から、新大久保まで通院する。その日から、母と信治の新たな戦いが始まった。会いに行くと、車椅子の母は、気丈に笑った。長男のぼくを思い出さないこともあった。信治が、耕一、長男、と母の耳元で叫び、ぼくが母の手を握るとうれしそうに笑った。母の手が細く小さかった。1クールが終わるころ、病状が落ち着いた。四男の里志も五男の守男も小さく安堵した。信治が家で世話をするのが大変だった。介護ホームにもお世話になった。
夏、看病する信治が癌に犯された。2度にわたる手術で、肝臓を取り去った。自分が入院しながら、信治は母の心配ばかりしていた。彼は、会社を辞めた。母は、2度目の放射線治療に挑んだ。ザクロは確実に大きくなっていた。今年、母は熱を出した。左肺に影があった。緊急入院となった。白い影は、たちまち左肺を潰した。26年前、敬二を看取り、7年前、父を看取った信治は、近づいた梅雨の雨よりも多くの涙を流した。結婚もせず、母とともに暮らしていた信治の悲しみは、ぼくの数十倍、数百倍のものだ。高校・大学と合宿生活が多く、早くから下落合を出てしまったぼくは、長男とはいえ信治に顔向けができない。
コーヒーを飲み終わり、打ち合わせをする。雨が降って、止み、晴れたことが気になった。昨日、転院を予定していたが、病状が悪化して無理だった。医師のすすめもあって、信治が個室を手配した。辛そうだったら、モルヒネを打ってください。ぼくらは、医師にそうお願いしていた。モルヒネを打つと、長くても一週間しか命はもちません。医師がそういったが、ぼくら兄弟は、母の一生を辛いもので終わらせたくないと思い、お願いした。
もう、本人に決断する意志も力もなかった。打ち合わせが終わると、病院から電話があり、すぐにきてくれという。守男とぼくは新橋からタクシーを飛ばした。妻ののり子が見舞にきていたが、そのまま母のそばにいた。弟たちの家族が集まり、息子の豪太が4時に病院についた。4時25分。母は88年の生涯を閉じた。父を愛し、敬二を愛した母は、静かに彼らの待つ場所に行った。「弟の 涙に負けて 雨あがり(耕雲)」。な、あんちゃん、晴れただろう。信治がいった。
2020/09/09
■ 空手道部に入りませんか?

日本列島をソメイヨシノが咲き抜け、八重桜が花びらを落とし、2009年の春が行こうとしている。だがさびしいかな、創部60周年を迎えるわが國学院大学空手道部は、まだ深い冬の中にいる。やっと雪解けの兆しが見えてきたのは、9代次呂久英樹先輩を監督に迎えた昨年のことだ。
新監督の次呂久先輩は、13代のわたしが空手道部に入部した40数年前に監督となり、その後わが空手道部を全国制覇へと導き、名門の道を築いた武道家である。初代小倉基先輩が応援団と同時にわが空手道部を起こして60年、部員数の激減により、選手5人の団体チームさえ組めない厳しい状況が続いている。わたしの現役の頃には100人近い部員がいた。部員激減の詳しい原因はわたしにはわからない。空手そのものが時代の潮流からはずれ、人気のないものとなったのかと思ったが、あながちそうともいい切れない。
サポーターばかりだとはいえ格闘技がブームとなり、大学空手道においても明治大学や帝京大学には多くの部員がいると聞く。われら空手道部OB会「紫魂会」は、この状況を憂慮し、新会長に12代小柴先輩を迎え、まず次呂久先輩を口説き落として監督に迎えたというわけだ。小柴会長のマニフェストは二つ、現役部員の増強とOB会員の参加数の増加だ。昨年の春、3年生の女性主将と2年生が3人いた。だが、その部員たちも去った。残念なことだ。とくに3人の2年生は、純粋な心をもち、空手が好きな連中だった。いまいればどんなに強くなっただろうと無念に思うが、もはや死んだ子の歳を数えても仕方があるまい。
昨年、大角くんと遠藤くんが入部し、次呂久監督のもとでこの1年間稽古に励んだ。大角くんと遠藤くんは、先日の駒沢大会で一般の部で3位に入賞したコーチの丸茂くんの厳しい稽古にも耐え、日を増すごとに強くなっている。同時に、たった二人で國學院大學空手道部を守っている。広い道場でたった二人の稽古を続ける彼らを見るたびに、強くなれと祈らざるを得ない。そして4月、待望の新入部員が入った。小島くん、松浦くん、古橋くんの3人の若者だ。たった3人、されど3人である。実にいい顔をし、いい瞳をしている。高校を卒業して一度社会人を経験して大学に入り直した小島くんは、空手という一途の道を歩む熱血の男と見た。不敵な眼差しで、社会に挑む気配をみなぎらせる松浦くんの、頼もしい風貌は心強い。付属の國學院高校の水泳部だった古橋くんは、ジャニーズ系のまさにイケメンだが、芯の強さを感じさせる好青年だ。この3人、わたしに新撰組を彷彿とさせる。小島くんは、悠然たる近藤勇。松浦くんは、燃える土方歳三。古橋くんは、剣の天才沖田総司。さらに、阿南高校で空手を経験している長野県飯田市出身の2年生の長沼くんの入部がうれしい限りだ。新入生が入ってきて、大角くんと遠藤くんの成長ぶりが際立って見える。
高校から空手をやっていた素地が磨かれ、技に切れが見え始めた大角くんに落ち着きが出た。入学時、姿勢の悪さを矯正された遠藤くんは、背筋がしゃきっと伸び、技に速度が加わり、試合場でも堂々と見え始めた。まだ國學院大學空手道部の春は遠いが、爽快な風が吹き始めた。もっと部員を集めたい。空手で磨いた生涯の宝塔を心身に打ち立てん若者よ、ぜひ、空手道部に入部を。11月の60周年記念パーティには全国のОBの参加を呼び掛けたい。冬は、必ず春となる。
2020/09/09
■ 人は、脳で動く

ここ最近、脳に関心をもっている。息子が茂木健一郎さんの講演に行ったりしているので、私も脳に興味を覚えてしまった。書店に行っても脳の書籍が多いので、ちょっとしたブームかなと思い、読みやすそうな本を図書館で借り、バスでも風呂でもトイレでも、片時も離さず読んでいる。
脳には1000億個の神経細胞があり、1秒に1個死滅してゆく。でも、ご安心を。1000億個のほとんどが使われていない予備であり、その予備の神経細胞が死んでゆくだけだから、当人の日常生活にはまったく影響がないのである。その死滅し続ける神経細胞の中で、唯一それが増える箇所がある。それが記憶を司る海馬と呼ばれる部位だ。
海馬とは、タツノオトシゴのことで、形が似ているのでそう呼ばれている。トドのことも海馬というが、これは脳の海馬とは似ていない。神経細胞が増える、となれば増やしてみたいし、記憶を司る、となればおのずと大事にしたくなるのが人情である。海馬は「記憶装置」だ、という学者もいれば、記憶の「仕分け装置」だ、という学者もいて、両方の働きをすることは間違いがないようだ。
では、記憶の「仕分け装置」とは、どんな働きなのか。入力された情報が、必要か不要か。それを仕分けし、必要な情報だけを記憶し、不要の情報は記憶をせずに捨て去るのだ。その分別作業を海馬がするのである。となれば、わたしのように広告に携わるものは、ぜがひでもお得意先の広告は記憶に残したい、と考える。海馬の仕分けのときに、捨てられずに、記憶に残す。こう思うのが当たり前で、広告づくりのときにそれを計算に入れて創りたい。そう願う。
では、どうすれば海馬に気に入られて記憶に残るのか。そのヒントは、刺激である。海馬に刺激を与えれば、神経細胞は増える。海馬の神経細胞が多いほうが頭がいいことは、実験結果でわかっている。マウスの実験だが。海馬には可塑性という性質があり、可塑性は弾性とは逆で、刺激によって凹むと、その凹みが戻らない。弾性は、ゴムマリのように凹んでも元に戻る性質であるが、可塑性はその逆だ。神経細胞が増えることも大事だが、記憶にはこの凹みが重要なのだ。よく頭のよさと脳の皺の数を関連づけるが、これはどうやら違うようだ。脳の皺ならイルカが圧倒的に多い。大きさと関連づけるなら、鯨の脳は非常に大きい。
男性の脳は1400グラム、女性の脳は1200グラム。頭のよさは、皺の数も大きさも決め手にはならない。さて、海馬のすぐ脇にある扁桃体、これにも注目したい。好き嫌い。恐いやさしい。いい感じ悪い感じ。つまり、こういった情緒を司り、その情報を海馬に伝える。この役目は重要だ。海馬の記憶は、「印象の記憶」だといわれている。「情緒の記憶」だ。しばらくぶりに会った人で、交わした言葉など記憶にはないが「あ、こいつ、いいやつだった」とか覚えている。その反対もある。これが「印象の記憶」。ブランド広告そのものである。扁桃体の働きである。ボケ突っ込みコミュニケーションやクイズ番組は、脳が喜ぶ基本だ。刺激を欲しがっている海馬を刺激するからだ。最近、酒を飲んでいても脳の話ばかりしているので、友人たちの脳が私を敬遠し始めている。
2020/09/09
■ 贅沢にも、料亭の話です

この時期贅沢な話だが、懇意にしている料亭が6軒ある。いずれもすばらしい料亭で、それぞれにすてきな味を持っている。
小田急線の千歳船橋駅と経堂駅の近辺だ。千歳船橋駅から歩いて5分。環状8号線を越え廻沢に向かう道筋に料亭「タナベ」がある。ここは、うまい赤ワインをじっくりと楽しませてくれるのが特徴。新潟出身のご亭主は、荒削りの木彫りの熊のような風貌であるが、付き合ってみると大変気さくでよく笑い、包容力にあふれている。
女将は、小柄で品がよく、鼻が立派とご近所でも有名な色白の美人で、お茶のソムリエの資格を持つ。先日、妻と二人で散歩の途中お茶を御馳走になったが、お茶とはこんなにおいしいものかと感動した。いままで飲んでいたのはお茶じゃない。そうまで思ってしまった。ご主人が漁業関連の仕事に携わっていた関係上、新婚時代をマダカスカルで過ごした。熱い時代をとんでもなく熱いところで過ごしたのである。料理もワインも極上で、人柄のいいご夫婦。話が弾むのも当然である。経堂駅から東急世田谷線に向かって5分ほど歩くと、閑静な住宅街に料亭「やま川」がある。表から見ると普通の民家風だから、前を通っても見落としてしまう。ここの呼び物は、ご亭主の料理と、バイオリン奏者高嶋ちさと似の甲府美人の女将である。ご亭主は、旬の食材を自ら探し歩き、仕入、料理を自分でしなければ気に入らないという徹底ぶり。そんなの当たり前だろと、口を尖がらせる。どちらかといえば偏屈な男だ。気に入らない客は門前払いとなる。
先日、食材を求めてロシアと中国の国境まで出かけて行方不明になり、女将が警察に消息願いを出そうとしたが、それは単純に夫婦間のコミュニケーションがなかっただけだとわかった。コミュニケーションがないと言いながら、旅にはご夫婦でペアルックのセーターなどを着て、世間をあっと言わせたりする。世田谷通りの上町近く、自転車屋の前を入ったところに料亭「フジイ」がある。ご亭主は、根っからの遊び人で、若い頃から粋筋のお姐さん方とは必要以上に懇意にしてきた。ここの呼び物は、ご亭主の焼酎に対するこだわりとご亭主女将二人の明るさである。とにかくご主人は、だれか友人がいれば意味もなく明るくなれる性格で、また女将の明るさときたら、なにものにも負けない天然のすごみがある。一年中、リオのカーニバルのようなけた外れの明るさで、ビスが一本足りないのではないかと心配になり「ビス・ユニバース」と呼んだら、うれしそうに笑い返してきた。お見事。
世田谷通り、関東中央病院近くの桜並木沿いにあるのが料亭「みやもり」だ。ご亭主は、アジアにも別宅を持ち、日本の家とのかけもちだが、女将の器量で、表面だけは実にうまく繕っている。世界を駆け回るご亭主は、とくにワインに精通しながら、蘊蓄を語らず、ごたくを並べず、飲んだらころりと寝る乳飲み子のような男で、笑顔がとくによく、どんな嘘でもその笑顔を見て女将は許してしまう。酒、料理ともにうまく、ひときわ明るいこの料亭は、ひとえに女将でもっている。ご亭主にそう言ったら、当然ですと胸を張った。このご亭主、弱みがあるなと、世間は睨んでいる。残る料亭「ホリ」と「たか乃」と「竹多」、最近世話になっているピアノバー「おお邑」の紹介は次回となる。いやいや、いずれもなかなかの味ですな。わが友人ミナミ総理がうなる。
2020/09/09
■ 脳が喜ぶ広告がいい

茂木健一郎さんの脳の話は、わかりやすくて面白い。書店に行くと、私の思いすごしかもしれないが、どうも脳に関する書物が目につく。脳の中でも、記憶の製造工場と言われる海馬についての研究がここのところ進んで、いろいろなことがわかってきたと言う。だから、面白いのだと言う。
海馬について東京大学大学院の池谷祐二さんの話、これがまた面白い。海馬の役割は、記憶をつかさどる係り。集められる情報を整理して、この情報は必要だから記憶として残しておこうとか、この情報はいらないから記憶なんかに残さないで捨てようとか、情報の要・不要を仕分けして、ふるいにかける役割だと言う。
現在は情報過多時代で、私たちは山のような情報に囲まれ、下手すれば土砂崩れで埋まりそうだが、そうならないために情報の山を片っ端から整理、統合しているのが海馬だ。残す情報。捨てる情報。そこで、私の興味は、海馬と広告の関係を究明して、お客さまの脳が喜ぶ広告ができないか、ということである。
脳が喜ぶ広告。海馬に心地よく残る広告である。私たちが創る広告は、お客さまの海馬が、記憶に残すほうを選ぶか、それとも、ぽいと捨てられるほうか。これは非常に重大な問題だ。では、海馬の情報選択基準はなにか。まず、これを知らなければ、記憶に残る広告を創ることはできない。海馬の選択基準。なにか。それは、刺激だ。刺激。これが大きなヒントになる。海馬は、刺激に反応する。海馬は、脳の中でも唯一神経細胞が増える部位で、刺激によって神経細胞が増えるのだと言う。
さて、ここでもう一つ、海馬の隣にいて、海馬と密接に関係する扁桃体にも参加してもらおう。扁桃体の役割は、好き嫌い、心地よい心地悪い、面白い面白くない、怖い怖くない、そういった情操部分を判断する役割だ。
地デジ対応液晶カラーテレビ、20万円を5万円に。こんなチラシが効果的なのは、海馬に痛烈な刺激を与えるからだ。20万円が5万円。あり得ない。海馬がびっくりする。トク。ソン。これは刺激です。でも、広告はそれだけではない。あえて、そう言いたい。競合が20万円を3万円としてきたら、一発逆転だ。むずかしい。だが、お客さまは、あなたの店が好きなのだ。あなたの店で買いたい。だから、あなたの店が3万円に下げれば、喜んでみんながやってくる。そうしたい。できれば、4万円でもきてほしい。そのとき扁桃体が力を発揮する。扁桃体が心地よいと感じ、海馬に、あなたの店は心地よい店という記憶を残す。海馬に残る記憶は、印象の記憶だそうで、心地よい店ということが残る。
なにが心地よかったかの記憶が消えても、心地よさが残る。どうですか。これは、すばらしいブランド広告ですね。この、海馬と扁桃体の働きを、ぜひ広告に活かしたい。少なくても心地よいという印象を残し、気持ち悪いとか、いやらしいとか、そんな記憶だけは残したくない。まだまだ続く海馬の研究。脳を広告に活かすという発想で、新しい時代に効果を発揮する、新しい広告を追究して行きたい。
2020/09/09
■ 価値創造

ものを創る。その意味は、価値を創ることだ。それが社会の成長時期に合わせ「物」だったり「心」だったりするのだが「もの=価値」であることに少しのブレはない。
普通に考えると、社会の成長期には「物」が必要となり「物=価値」となり、社会が成熟期に入ると心が必要となり「心=価値」となるように思う。
大切なのは「物+心=価値」という図式を基本とし、成長の度合いで「物」と「心」の比重が変わるということだ。軸足をどちらにするか見極めることが大変重要だ。
長い間広告業界にいてありとあらゆる価値創造に参加させていただいてきたが、今回の経済不況ほど製造業を窮地に追い込んだ時期はない。その時期その時期に合わせてすべての製造業の方々は、工夫に工夫を重ねて乗り越えてきた。それは、その時代に「必要な価値」を見出して、その時代に「必要な価値」を創ってきたからだ。
広告の仕事とは、製造業だけでなくすべての企業が製造する「ものやサービス」の社会的価値を鮮明に描き出し、生活者のみなさんに伝える役割を果たすのだが、そこには常に、ものの「本質的価値」とともに、その時代だからこそ煌く「時代的価値」が存在していた。その価値を理解し、その価値を心地よい範囲で増幅して、多くのみなさんに伝えるお手伝いを、わたしたちはしてきた。
本質的価値は、普遍的であるが、時代的価値は、極めて流動的だ。その特質を研究し、使い分け、広告は努力をしてきた。だが、いま、時代が必要とする価値「時代的価値」が不鮮明となった。時代的価値の頂点に「マネー」が君臨し、そのほかの価値を津波のように押し流してしまったからだ。「マネー」は金融の頂点にあっても、経済の頂点にあってはならない。
なぜなら「マネー」はいかなる企業でも製造が不可能だからだ。いまの不況の兆候はあった。「ものの価値」をマネーに換えなくては価値が読めない生活習慣。つまり、本質的価値に対する不勉強。教育の歪み。「マネーそのものを商品化」した時代(マネーを経済の頂点にした)。すべてが「マネー」に走って「本質的価値」を置き去りにした時代。
これらのことが悔やまれると同時に、これは広告コミュニケーションの場でもぜがひにでも修正をかけなければならない。
自動車を造り、電化製品を作る製造業も、旅行を創るサービス業も、あらゆる企業が「本質的価値」を再度追究することから始めなければならない。原点還りである。マネーに負けてしまった「本質的価値」の再構築を図らなければならない。「時代的価値」は、政治や流行や風潮や生活や気分によって変化する。ここはひとつ「本質的価値」の追及と再構築こそが急務だ。
「時代的価値」のひとつに「環境」がある。オバマ政権は、環境対策は経済対策の一部だと位置づけた。だが、「環境」は「時代的価値」というより「本質的価値」であろう。日本の企業も環境に本腰を入れるチャンスだ。企業が「環境」で利益を上げなければ、それはよくならないのだ。人間の本質的価値を見直す。くらしの本質的価値を再構築する。地球の本質的価値を追求する。ものの本質的価値を創る。人々や時代が振り向く「価値」を必ず創る。わたしたち広告業にも、いまはその道しかない。
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