謹賀新年。年頭にあたり宮本武蔵の五輪書をひも解き、そこに説かれる合理精神を現代のビジネスに応用することで新しい年の飛躍の糧としたいと存じます。若干十三才で新当流武芸者有馬喜兵衛と戦ったのをかわきりに、二十九才に巌流佐々木小次郎を倒すまで、六十数度の死闘を経験し一度も負けなかった武蔵ですが、意外なことに実戦は十代と二十代に限られ、その後の戦闘の記録はありません。徳川の治世を迎え剣の時代が終わりを告げたこともありますが、武蔵は三十才を過ぎてから、それまで経験した実戦の原理を究めるための厳しい求道に時間を費やしました。地、水、火、風、空の五巻よりなる五輪書は、武蔵六十才の秋、寛永二十年に書かれました。
 
それ兵法と云事、武家の法なり。将たるものは、とりわき此法をおこなひ、卒たるものも此道を知るべき事也。今世の中に兵法の道たしかにわきまへたると云武士なし。
先道を顕して有ば、仏法として人をたすくる道、又儒道として文の道を糺し、医者といひて諸病を治する道、域は歌道者とて和歌の道をおしへ、域は数奇者、弓法者、其外諸芸諸能までも思ひ思ひに稽古し、心にすくもの也。兵法の道にはすく人まれ也。
先武士は文武二道といひて、ニッの道を嗜事是道也。縦此道ぶきようなりとも、武士たるものはおのれおのれが分際程は、兵の法をばつとむべき事なり。
大形武士の思ふ心をはるかに、武士は只死ねると云道を嗜事と覚ゆるほどの儀也。死する道においては、武士計にかぎらず、出家にても、女にても、百姓以下に至る迄、義理をしり恥をおもひ、死する所を思ひきる事は、其差別なきもの也。武士の兵法をおこなふ道は、何事においても人にすぐる所を本とし、域は一身の切合にかち、域は数人の戦に勝、主君の為、我身の為、名をあげ身をたてんと思ふ。是兵法の徳をもつてなり。
又世の中に、兵法の道をならひても、実の時の役にはたつまじきとおもふ心あるべし。

「概要」地の巻は、五巻よりなる五輪書の初めの巻で、武蔵の二天一流を説くにあたり基本的な考え方を著しています。それは、単なる精神論に留まらない合理的な実戦論であること。勝利や成功のための道について述べています。

「応用解釈」武土には兵法という法則があります。同じようにビジネスマンにはビジネスの法則があり、ビジネスマンはその法則をわきまえ実行することにより、勝利を掴むことができるとの解釈ができます。ビジネスの道は、哲学です。仏教の道、儒教の道、医学の道、歌人の歌の道、いろいろな人がそれぞれの道を学び、励み、成功するのです。例えその道に才能がなくても、絶えず勉強し、いつでも役立つように訓練することを強く説いていますが、勉強や訓練をしない人はいても、才能のない人などいないのです。ビジネスの道、その本質をよく理解して励めばそれが才能であると思います。大地にまっすぐな線を引くように、まっすぐに前を見つめ、堂々と歩く年にしましょう。



兵法二天一流の心、水を本として、利方の法をおこなふによつて水の巻として、一流の太刀筋、此書に書顕すもの也。此道いづれもこまやかに心の儘にはかきわけがたし。縦ことばはつづかざるといふとも、利はおのづからきこゆべし。此書にかきつけたる所、ことごと、一字一字にて思案すべし。大形におもひて、道のちがふ事多かるべし。
兵法の利において、一人と一人との勝負のやうに書付たる所ありとも、万人と万人との合戦の利に心得、大きに見たつる所肝要也。
此道にかぎつて、少なり共、道を見ちがへ、道のまよひありては、悪道へ落るもの也。
此書付ばかりを見て、兵法の道には及事にあらず。此書にかき付たるを我身にとって、書付を見るとおもはず、ならふとおもはず、にせ物にせずして、則我心より見出したる利にして、常に其身になつて、能々工夫すべし。

「概要」水の巻は、精神と肉体の両面の鍛練の重要性と鍛練の具体的な方法論を説いています。兵法の道では、戦闘時においても平常時と変わらぬ心がいかに重要かを教えています。水には形がなく、どんな器にも合わせることができ、留まることもない。心をその水にたとえ、どんな時でも正しい判断ができるよう訓練することを教えます。

「応用解釈」
ビジネスにおいても、一瞬の間に適格な判断を必要とする場合がしばしばあります。間違った判断をしないためにも、いかなる時でも平常心でいられるよう訓練をしておきましょう。無用な緊張をせず、かといって弛みすぎず、片寄らず、留まらないこと。身体が静かな時でも、心は静止せず、身体がせわしなく動いている時でも、心は平静を保つ。武蔵は、適格な判断力の基礎として、社会的なひろくふかい知識と豊かな教養の必要性を説いています。心を水のように柔軟に、という意味をこめてこの巻を水の巻としました。






題字:佐川能智

※原文は、読みにくい箇所は現代かなづかいとしています。

一、場の次第と云事
場のくらいを見わくる所、場において日をおふと云事有。日うしろになしてかまゆる也。若所により日をうしろにする事ならざる時は、右のわきへ日をなすやうにすべし。座敷にてもあかりをうしろ、右脇となす事同前也。夜るにても敵のみゆる所にては、火をうしろにおい、あかりを右脇する事同前と心得てかまゆべきもの也。
敵をみおろすといひて、少も高き所にかまゆるやうに心得べし。座敷にては上座を高き所とおもふべし。
扠戦になりて、敵を追廻す事、我左の方へ追まはす心、難所を敵のうしろにさせ、いづれにても難所へ追掛る事所肝要也。難所にて、敵に場を見せずといひて、敵に顔をふらせず、油断なくせりつむる心也。座敷にても敷居鴨居戸障子禄など、亦は脇にかまいの有所、いづれも場の徳を用て、場のかちを得ると云心専にして、能々吟味し鍛練有べきもの也。

「概要」火の巻は、勝負や合戦を火に見立て、火の巻といい、実戦のかけひきを説いています。まず、戦闘の位置取りについて具体的に著しています。敵と向かい合う時、原則として太陽を背にする。座敷きでも、明かりを背にすること。敵よりも高い位置で構えること。また、敵にはそのような好条件を与えるななどを教えています。


「応用解釈」ビジネスにおいての現実的な場所取りということは、例えば交渉時に役職やカ関係により誰がどこに座るかは成否につながる重要な問題です。商談の席、会議場での席、酒宴の席、また結婚式の席順で悩んだ経験はどなたにもおありと思います。これは、今年の要注意事項と考えましょう。さらに、ビジネスでは現実的な場所ではなく、むしろ立場と考えるほうが応用しやすいでしょう。商談相手を敵と見なすことはご容赦願いますが、交渉時は常に有利な状態を保つことがいかに大事かを知りましょう。それは行動だけでなく論理の上でも、こちらが油断することなく相手の油断に切り込めれば、事は有利に運ぶものです。常日頃から心掛けておきましょう。
 
兵法、他流の道を知事、他の兵法の流々を書付、風の巻として、此巻に顕す所也。
他流の道をしらずしては、我一流の道たしかにわきまへがたし。他の兵法を尋見るに、大きなる太刀をとって、つよき事を専にして其わざをなすながれあり。域は小太刀といひて、短き太刀を以て道を勤るながれもあり。域は太刀かず多くたくみ、太刀の溝をもつておもてといひ、奥として道をつたゆる流もあり。
是皆実の道にあらざる事、此巻の奥に、たしかに書顕し、善悪理非をしらさる也。我一流の道理各別の義也。他の流々、芸にわたつて身すぎの為にして、色をかざり、花をさかせ、うり物にこしらへたるによつて、実の道にあらざる事歟。亦世の中の兵法、剣術ばかりにちいさく見たてて、太刀を振習、身をきかせて、手のかかる所を以て、かつ事をわきまへたるものか。いづれもたしかなる道にあらず。他流の不足成所、一々此書に書顕す也。能々吟味して二刀一流の利をわきまゆべきもの也。

「概要」風の巻は、他流を批判することで武蔵の二天一流の考えを一層明確にしています。他流の批判とは、実質をもたず形骸化された流派への批判です。徳川幕府の安泰安寧の世を迎え、確かに各流が実戦から遠のいていたのでした。実戦型で兵法の真の道を求めるニ天一流からすれば、華やかな技巧で飾りたて兵法の道からはずれた流派は言語道断というわけです。

「応用解釈」武蔵の二天一流には、結果オーライはありません。偶然の勝利はなく、勝利は常に必然です。ビジネスは生き物ですから現実問題として偶然の勝利はあるでしょう。しかし、偶然の勝利を狙っていくのはもちろん邪道です。必然の勝利のために、わたしたちは実質を重んじ、実力を身につけることに奮励努力しましょう。他への批判がただの批判で終わらないために。他を批判するには批判する自分に真のカが必要です。ひとのふり見て、わがふり直す。ビジネスで勝利を掴むには、他社の失敗から学んで自社のカにしてしまうガッツもまた必要です。

 

二刀一流の兵法の道、空の巻として書顕す事。空と云心は、物毎のな所、しれざる事を空と見たつる也。
勿論空はなきなり。ある所をしりてなき所をしる。是則空也。
世の中において、あしく見れば、物をわきまへざる所を空と見る所、実の空にはあらず。皆まよふ心なり。此兵法の道においても、武士として道をおこなふに、士の法をしらざる所、空にはあらずして、色々まよひありて、せんかたなき所を空と云なれども、是実の空にはあらざる也。
武士は兵法の道をたしかに覚へ、其外武芸を能つとめ、武士のおこなふ道、少もくらからず、心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、心意二つの心をみがき、観見ニッの眼をとぎ、少もくもりなく、まよひの雲の晴たる所こそ、実の空としるべき也。
実の道をしらざる間は、仏法によらず、世法によらず、おのれはたしかなる道とおもひ、よき事とおもヘども、心の直通よりして、世の大かねにあわせて見る時は、其身の心のひいき、其目其目のひずみによって、実の道にはそむく物也。其心をしつて、直なる所を本とし、実の心を道として、兵法を広くおこなひ、ただしく明らかに、大きなる所をおもひとつて、空を道とし、道を空と見る所也。

「概要」空の巻は、徹底した合理と実利の追求から武蔵が到達した、心の空という境地を説き著しています。空とは、物事がない状態をいいます。ある状態を熟知することで、ない状態を知る。その、ない状態の部分が空なのです。兵法の道においても、武士でありながら武士の道をわきまえぬ者が多いが、それは単なる迷いであって空ではない。武士として兵法の道を会得し、武芸を身につけ、教養を積み、智恵と気力をみがき、判断力と注意力を養い、迷いをぬぐい去った状態を空といいます。

「応用解釈」空の巻は、五輪書の統括であり、ビジネスにおいても勝利の哲学の究極となります。ビジネスの基本から応用、そのノウハウを徹底して追求して辿り着く境地です。考えられること、目の前にあること、つまりあるという状態のすべてを熟知したあげくに知る境地、心の状態こそが到達すべきところなのです。人間としての最大限の修練を積んでこそ、人智を越えた空の境地に至るように、ビジネスマンとして最大の努力を尽くしてこそ、想像を越える成功を実現するものであると心に刻み、精進を重ねましょう。空という心には悪はなく、善のみが存在するといいますが、それは、空に至れば失敗はなく、あるのは成功のみといえるのです。新しい年が磐石の成功の年となりますよう、ご祈念申し上げます。