一語一会 第4回 サムライ・ニッポン

サムライ映画が2本、アカデミー賞にノミネートされている。「ラスト・サムライ」と「たそがれ清兵衛」である。渡辺謙さんは、先程のゴールデングローブ賞にもノミネートされた。残念ながら受賞できなかったが、彼の存在感は「往年のユル・ブリンナー」のようだ、と大賛辞を受けた。アカデミー賞の発表は3月1日、大いに期待される。でも、何で今サムライなんだ、と考えてみた。世界から見ればニッポンの「サムライ」なんかに期待しているわけではないんだ。とふと思う。ニッポンの「金」に期待しているんだ。極端にいえば、アメリカの期待が「ニッポンの金」なのだ。だけど、毎回「金出せ、金出せ」じゃ、どうも体裁が悪いし、そこで「よう小泉くん、ここはひとつサムライでやらないか。もちろん、金も出せよ。当たりまえだろ。だけど、サムライってカッコいいイメージでさ。金のこと、みんなの話題から穏そ」と、ブッシュがいったかどうかわからないけど、そう考えるとゴールデングローブ賞もアカデミー賞も、実にタイミングがよく、効果的ではないか。そう考えて、いや実に恥かしい、と我ながら嘆く。映画ファンでもあるし、渡辺謙さんは本当に素晴らしい役者だ。そう思う。それに、ゴールデングローブ賞やアカデミー賞を政治の小道具みたいないい方をして、関係者にぶん殴られそうだ。ぶん殴られる前に謝ります。ごめんなさい。こう考え直そう。世界は「ニッポンのサムライ」に期待しているんだ、と。義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義を重んじ、だから集団で弱い者いじめをしたりしない。正義のために命さえ惜しまぬ。つまり、武士道である。魂である。そんな時代遅れなこというなよ、おじさん。そういう若い声が聞こえる。でも、世の中、イメージである。イメージは実態の増幅の場合が多い。嘘は論外だが、イメージはイメージとしてその存在価値を認めなければならない。「ニッポンのサムライ」あるいは「サムライのニッポン」というイメージなら、そう悪くはない。イチローなんかあのストイックな生き様は「サムライ」だ。新庄は違うなあ。いったい、世界はニッポンをどう見てるんだろう。「アメリカを主君として忠義を尽くすサムライ」と見えるんだろうか。それとも「イメージなんかないさ」なのか「やっぱりお金でしょ」なのか。どっちにしてもつらいなあ。ここらでひとつ、ニッポンのイメージを作ろうじゃないですか。政治屋さんにまかせるんじゃなくて、みんなで作ろう。政治屋はイメージを作らず、ダメージを作るからね。

高野 耕一
takano@adventures.co.jp