漢字の中に「女へん」が200文字ほどあるのに、「男へん」が1つもない。何か不思議な気分でもあるし、当然の理である、と納得してしまう瞬間もある。そこで「女も男もアイコでしょ」と、それ以上の他意も、それ以外の思惑もなく、第1弾を発表させて頂いたが、まあ、あっちからこっちからそっちから、ああでもないこうでもないそうでもない、よくやった、なに考えてんのよ、メールの拳と拍手がきた。イラストを描いてくれた佐川能智くんは、居酒屋で3人の女友達にからまれ、あやうくブン殴られそうになった。私は私で、おまえは國学院出だろうに、なぜ大切な漢字をブッ壊すんだ、と先輩にどやされビールを浴びるほどお飲み頂き謝り倒した。でもコリずにやります。男にゴメン。女性にスマン。できれば笑って酒に流してほしい。
 
         
 

女の一生は愛情の歴史である。他の国の先達がこうおっしゃった。いいなあ。美しいなあ。そう思うと同時に、じゃあ男の一生はなんだ、と考え、ふと筆が止まる。筆が止まる理由は2つある。1つはカミさんのことを考えたからだ。確かに子供を愛している。花を愛し、飼い犬を愛し、金魚を愛し、趣味を愛している。なによりも自分を愛している、なるほど愛情の歴史だ。だが、私のことはどうだ。私に対する愛情はどうなっているのだ。うむ、もはや彼女の歴史の外に放り出されているのか。ま、いいか。せめてよその旦那を愛したりしなければ、それでいいか。いや待て。時どき不審な電話がある。
私が出るとプツンと切れる。ルンルンなんて言いながら、きょう遅くなるよ、と出かけるなあ。もう考えるのを止める。2つめは、やはり男の一生のことである。愛情の歴史、といきたい。おすぎやピー子やカバちゃんなら平気で言える言葉だが、どうも私には荷が重い。新宿2丁目で修行するか。どうも仕事仕事の一生じゃつまらない。どうせなら、信長や秀吉のように、男の一生は夢を追い続ける歴史である、とこういきたい。坂本竜馬のごとく。ピカソのごとく。モジリアニのごとく。いっそ開き直って政治家さんのように、男の一生は金を追い続ける歴史である、とでも言ってみるか。くだらんなあ。さて、話は「たかの式性形文字」に戻る。今回は前回さんざんな目に遭ったからか相当卑屈になった。もはや女性恐怖症の感さえあり、われながら情ない。かと言って新戸部稲造にならって武士道精神を発揮しようものなら、世界中の女性から白い目で見られる恐れがある。あくまでもこの創作文字にも意味にも「笑ってもらえればよろし」「文字に興味を抱いて頂けたらなおよろし」「できればアナタ流の解釈をしてくればまたよろし」であり、他意はまったくないことを神に誓う次第である。本当よ。富士の白雪のごとく、忍野八海の水のごとく、純粋無垢に、楽しんで頂ければ幸いです。

   takano@adventures.co.jp 高野耕一
              イラスト:佐川能智