BASEL SIHH  WATCH  JEWELRY  LINK
ごあいさつ | ご購読のご案内 | contact us | HOME


メッス大聖堂の神のランプに救われた日々

 

         
PHOTO 1   PHOTO 2   PHOTO 3   PHOTO 4   PHOTO 5   PHOTO 6

フランス・モーゼル川上流のメッス(Mets)街「サン・テチエンヌ大聖堂」
(Cathedrale St-Etienne)です。大聖堂内部の壁には「神のランプ」とたたえられるステンドグラスがあり、その総面積は6,500平方メートルにもなるそうです。クラッシックなデザインのステンドグラスが大部分ですが、そのなかにマルク・シャガールの「地上の楽園図」があります。いまでこそ日本でもヨーロッパのモダンなジュエリーのデザインが当たり前のように取り扱われるようになりましたが、私がアントワープへ移住した1980年から15年間ぐらいの間は、日本ではジュエリーとはいまの「演歌ジュエリー」でした。
いまでもバーゼルやヴィチェンツァのフェア会場で展示されているジュエリーは、基本的には変わっていませんが、あのころの会場の雰囲気は、もっと演歌ジュエリーに徹しきっていて、その会場を見て回ることは難行苦行でした。ですからモノスゴイ数のクラッシックなステンドグラスの中にあったこのシャガールに出あった時はホットしました。この地上の楽園図は私に「ジュエリーには未来があり、やがて演歌ジュエリーが進化して未来の市場に適応できる可能性はまだ残されている。スキーにでも熱中しながら健康維持に徹して時が来るのを待て」と語りかけてくれました。

これら4枚のステンドグラスは、ステンドグラスの歴史上の名作なのです
の写真を比べて見てください。後の2枚のステンドグラスもステンドグラスの歴史上の名作なのですが古くて固くて暗いですね。私はそれを嫌っているわけでもありません。世の中の文化がこればっかりじゃ困ると考えているだけなのです。これがヨーロッパ・スタイルの演歌文化なのです。私が問題提起したいのは、いまみたいに日本中が演歌ジュエリーばっかりじゃ、その演歌ジュエリーだって売れないでしょうと言いたいのです。この大聖堂だって、「神のランプ」とたたえられているランプの中にシャガールのモダンなランプがあるから大勢の訪問者が絶えないのでしょう。

私がこのランプのシャガールにこだわるのは、モダンとクラッシックな美術の文化の関係を説明するのにベストだからです。

いまでも私は、メッスへ来るたびに大聖堂の中へ入って「地上の楽園図」を見あげて「くつろいで」います。そして「オマエ、まだ元気か?」と語りかけられて「おかげさまで、まだ幸せに生きています。ダイアモンドやジュエリーの世界から逃げ出したくなっていた時に、アナタに出会えて生きる希望をさずけられ、生きていて良かったです」と答えています。もちろん、私がシャガールをモダンなんて言っていたら、いまの日本の若い方々には、嘲笑されたり批判されたりしているだろうことは承知しています。しかし、このぐらい古い時代のモダンでないと演歌文化の中で生きてる方々には受け入れられないのではないでしょうか?私がこのランプのシャガールにこだわるのは、この環境とこの適度な古さが、モダンな美術の文化とクラッシックな美術の文化の関係を説明するのにベストだと考えるからなのです。両方が存在するから私たちは、幸せに楽しく進化しながら生きてゆけるのではないでしょうか?やがて時間がたつに連れ、クラッシックは徐々に消えていくことになるのでしょうが、それぞれの時代環境の中で進化に応じて両方が適度に共存していることが、人間の社会には必要で、それが誰にとってもベストなんでしょう。

「神のランプ」の光源は、大聖堂の壁にふりそそぐ太陽の光です
6,500平方メートルの中の「ほんのわずかな空間」、それが大聖堂内部の壁全体を「神のランプ」とたたえられるまでに進化させたのです。実際には「神のランプ」の光源は、大聖堂の壁にふりそそぐ太陽の光です。その光源の光は、四季おりおり天候しだい、あるいは時間しだいで変わりつづけています。「神のランプ」が神のランプである真因は、永遠に変わりつづけ、進化しつづけている光源の「神さまの偉大なる力」なんです。

「地上の楽園図」を見上げる男
大聖堂の内部です。写真の左下の隅に男が立っていて、前方の高い壁を見上げていますね。
その彼が背中をのけぞらして見あげているのが、今回最初の写真「地上の楽園図」のステンドグラスなのです。彼もそれを見たくて、わざわざ遠方から来て、この日この大聖堂へ入ってきたのでしょう。

鳥居の円柱の間からのぞいた大聖堂の遠景
モーゼルの河岸に日本の大鳥居が立っていて、その鳥居の円柱の間からのぞいた大聖堂です。最近、鳥居のペンキを塗り替えたみたいです。このあたりのモーゼル川は、前の写真の川の「はるか」上流なんですが、なんだか下流に見えますね。緑の高原の間を蛇行して流れているドイツのモーゼル川には急流の清流の雰囲気があって、中型サイズの天然川マスが多そうな水質に感じられます。ところが上流のフランス・メッスのモーゼル川には、大型サイズのナマズや川カマスが多そうな「にごった」水質に感じられます。河岸や河畔の住人たちの文化が、流れや河岸の雰囲気を変えてしまうのですね。人間の文化とは恐ろしいモノですね。いつか、モーゼル川の源流・ボージュの山々も、日本製の地下足袋とワラジを履いて、毛針でイワナを釣りながら歩いてみたいものです。モノスゴク岩魚のおおい渓流だと聞いています。このあたりの住人たちは、もっと大型の天然マスなら好んで食べるのですが、岩魚の美味い食べ方を知らないですから、天然の岩魚は敬遠して釣らないそうです。6月のボージュ山々の林間は、モノスゴイ数のスズランの花々で埋めつくされます。そのボージュの尾根を越えたら、私のヨーロッパの故郷アルザスです。

http://www.shapefree.com/

| BACK |

宝石クリエイター 「 乾 碩巳 」 記 「ヨーロッパの新宝石のガイド」 http://www.shapefree.com