明治・大正・昭和『業界三世代史』


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本紙の藤井勇二初代代表が
大正15年5月に発刊した時計・宝飾・眼鏡の貴重な歴史本

この著は、本紙(時計美術宝飾新聞)初代の藤井勇二代表が大正15年5月に、時計、貴金属を主軸に蓄音機、眼鏡、徽章、喫煙具の専門紙を創刊、新聞が業界に生まれて40年になった昭和40年11月、明治から大正、昭和にかけての業界事情を『業界三世代史』と称し、私的感覚で綴って発刊した業界歴史本です。 西暦紀元前700年の時計の創始時代に始まり、明治初期の時計業界と組合発祥の由来、明治10年51名のメンバーで時計組合を創設したなど、いろいろな社会現象を背景に業界が育っていく過程が印されています。特に、昭和6年に勃発した満州事変から支那事変を経て、ついに第二次世界大戦という人類未曽有の悲惨な苦難時代に遭遇した等を克明にとらえています。続いて大正・昭和にかけてのどん底景気時代から戦時中の七、七禁令や奢侈品などへの十割課税を一挙一割に引き下げる運動など、様々な業界情報が記載されている唯一の時計・宝石・眼鏡業界の歴史本です。発刊から40年(昭和40年11月)という記念するべき年に、筆者が身をもって体験した諸般の記録や資料に基づき、三世代にわたっての業界歴史の収集に努めたもので、時計・宝石業界のあらましが分かる貴重な歴史本です。また、団体とか組合のような組織体がなかった時代、筆者が日本中を駆け巡り、提案者はじめ協力者の力を借りで、各地で組織を立ち上げ始めた貴重な時代の業界史です。著者は発刊当時65歳、96歳で永眠しました。若い人たちの参考になれば幸いです。

序文

《明治・大正・昭和》

世の中に生れ出てから満四十年という歳月を算えることになると、人世は不惑に達したと古くから言い伝えられている。不惑とは、「もの事に迷わず、且つ惑わされない域に到った」という意味である。従って不惑なる域に達したこと自体が、世の中の総ての事柄に自信を持つ事を指す意味でもある。
私が大正十五年五月に、時計、貴金属業界を主軸に、それに蓄音器、眼鏡、徽章、喫煙具の各界を加えた専門紙を発行してから今年で満四十年を経たことになる。創刊当初、大正から昭和の初期にかけての日本の経済界は極めて不景気そのものであったことを体験している。当時の私は、各方面からの支援者の多いのに気を良くして元気づいたものであった。
この間社会的現象としては、昭和六年に勃発した満刑事変かつ支那事変を経て、逐に第二次世界大戦という人類未曽有の悲惨な苦難時代にも遭遇した。それに続いて、大正、昭和にかけての経済界のド底不景気時代から、戦時中の七、七禁令や奢侈品等処理によるダイヤモンドの十割課税を一挙一割に引下げるなどの業界的運動に努力・奏功せしめた過去の事例を思うとき、感慨ひと入のものがある。

更に、また昭和の時代に入ってからも、舶来品オンリー時代の様相を呈していたその頃の日本時計界が躍進、世界の時計界に画然たる地歩を占めるようになった現況など、眼の辺りにするとき正に画期的時代を現出し得たものでる。これに対処したメーカー各位の絶まざる努力に深甚の敬意を表する次第である。
わが社がこの満四十周年という記念すべき年を迎えた機会に、明治、大正、昭和にかけての業界歴事三世代史を集録し、以って業界向後のための資料に供せんとする次第である。私がこの間に体験して来た諸般の資料や記憶に基づき、明治、大正、昭和時代にかけての業界歴史の収集に努めるが、これをして業界各位の参考に資することを得るなら本懐これに過ぎるものはない。
本書作成を進めるに当り、各種古代資料の提供やその他特別な協力を賜った関係各位に深甚の謝意を表明します。

著者・藤井勇二、昭和四十年十一月吉日。

目次

1:時計の創始時代、2:明治初期の時計業界と組合発祥の由来、明治元年頃の貿易商館、3:横浜居留地時代の素描、明治初期時代の時計商組合、6:交換市場の開設、若かりし頃の服部金太郎翁の活躍、8:服部時計店の創生時代、10:明治時代の「東京時計商繁盛記」、12:日本の時計業創生時代、14:精工舎の偉業、明治40年当時の業者分布状況、37:東京時計商工業組合経過のあらまし、39:大正時代の業界と関東大震災前後の状況、42:時の記念日の宣伝活動のはじめ、44:金のペコ側が出現した時代(大正年代)、48:前橋市における時計の廉売との闘争劇、50:本紙が創刊した時代の業界、52:昭和初期の銀座界隈の業者群、55:前代未聞の謀略事件、58:セイコー腕時計の発売当初の批判、59:時計卸団体の「東京五日会」の輪郭、62:時計バンドが作られた最初の頃、64:蓄音器業界と時計業界の連鎖時代、65:日畜のスト騒動と当時の内紛、68:明治時代の貴金属業界、69:昭和初期の貴金属業界と組合、70:平和博覧会と金性保証マーク、71:合月商会が活躍したころの業界、72:ダイヤモンド十割課税の撤廃運動、75:白金をメダルにして売った頃、76:御木本真珠と御木本幸吉翁の生い立ち、79:眼鏡の由来と眼鏡界、81:眼鏡界の現況、83:全眼商工連とその他の組織、85:三つ折りバンドのパテント騒動、88:東京皮革時計バンド工業組合、91:近常時代の東京材料界、97:服部時計店が安売り合戦時代の波に乗った頃、98:時計材料卸商組合の設立の頃、99:世界大戦前の時計メーカー群、104:昭和初期時代の交換会、105:昭和の初めに誕生した業界の各種団体、東京研交会の設立、110:全国時計業者大会と精工舎見学、120:業界飛び歩きメモ、124:山田時計店が開業した昭和5年頃、125:昭和7年頃の業界新聞社群、128:日本時計学技術研究会の発足、129:昭和10年当時の新聞陣営のご難、132:三木武夫君を社員として渡米させる、134:統制時代への変換と輸出組合の新設、140:9・18当時の時計の卸価格、141:時計メーカーの統合時代、143:価格クギづけ当時の国産時計の品質、145:価格統制による時計卸組合の結成、146:中支那経済視察団編成の状況、161:八絃一宇の限界を指したころの勇猛ぶり、163:日米親善国民大会を開いた情景、165:シチズン時計の起死回生状況、168:山田時計店社長が生い立ちを語る、172:市会議員選挙勇奮したころの情熱、173:金銀製品商連盟が生まれる、176:金銀製品の買い入れを開始する、185:全国時計組合連合会の設立(昭和15年)、192:七・七禁令と販売禁止命令、193:新聞業界も断首時代、196:大東亜戦争に突入した頃の業界、199:皇軍慰問に時計の修理班を派遣、201:民間が所有するダイヤモンドの買い上げの経過、205:軍需省指定工場への転業、206:B29の敵機が東京の上空に飛来、208:帝都爆撃された昭和20年の頃、211:本社の焼け跡の復旧認可指令が出る、213:敗戦の大韶遂に勃発、215:終戦後に宝石の交換市場開設、216:色石の値段が跳ね上がる、220:日立精機が時計の製造に乗り出した、222:ダイヤモンド価格の世界的な大変動、224:日本が軍国方針を強調した時代、226:闇の時計が出回った頃、229:南京虫(時計)が出回った頃、231:ブラックマーケットの烙印と恐怖、232:時計小売組合の発足、233:協同組合への注文、234:組合首脳陣の首切り劇の始まり、236:南京虫が月産50万個消費時代、238:警視庁管轄の犯罪捜査協力会の設立、239:全時連の団体結成の頃、242:東洋時計が破綻する悲劇、246:時計組合と時計会館建設当時の状況、248:東京時計小売組合の概要、250:古物商の相場表と取引状況、254:ヤミ取引の内幕と闇ルート、261:日本時計輸入協会の設立と大蔵省関税部の関係、263:養殖真珠業界と三輪豊照氏の功績、270:数百年に及ぶ貴金属地金商の由来、285:東南アジア各国の視察状況、299:ヨーロッパ業界の視察状況、326:FH本部での会談、339:東京時計組合史とその由来、341:出刃包丁も飛び出した当時の闘争事情、383~475:業界の現況勢力図。
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