路傍のカナリア

2016/01/15
路傍のカナリア14

続 夏目漱石「門」雑感
人の世の必然と普遍

駆け落ちをして東京の片隅に宗助と御米は隠れ住むように暮らしています。この夫婦には子どもがいません。御米は三度身ごもりましたが、その都度なにがしかの不運に見まわれます。
初めての子は流産。二度目の子は「至極順当に行ったが、どうした訳か、これという原因もないのに、」月足らずで生まれてしまい育たず、三度目の「胎児は出る間際まで健康であったのである。」けれども臍帯が首に巻き付いてそれも二重に巻き付いていたので「小児はぐっと気管を絞められて窒息してしまったのである。」
なぜ漱石はこの夫婦にこのような悲劇をもたらすように書いたのでしょうか。たとえば三度目の正直という諺もあるように、三度目の妊娠でようやく子を授かったという展開も作者の裁量で可能であるはずです。しかしまるで念を押すがごとく小児の首にへその緒が二重にも巻き付く、まれな事故が起きた筋立てにしています。いまでいう不倫はけっして許されるべきものではない。この夫婦に人並みの幸せな人生はあってはならない、そういう漱石の倫理観が根底にあるかもしれません。
御米の前夫安井は、その後半途で退学し、郷里へ帰り、病を患い、満州へと流れていきます。それは安井本人にとつて狂わされた人生に違いありません。その安井の不幸と釣り合うだけの不幸を漱石は御米と宗助に課したと理解することはできます。
御米は悩みます。思い余って辻占いに頼ります。「易者の前に座って、自分が将来子を生むべき、また子を育てるべき運命を天から与えられるだろうか」を確かめるために。漱石は一切の希望を打ち砕くように書きます。「易者は、 貴方には子供は出来ません、と落ち着き払って宣告した。御米は 何故でしょうと聞き返した。彼はすぐ、貴方は人に対して済まない事をした覚えがある。その罪が祟っているから、子供は決して育たないと言い切った。御米はこの一言に心臓を射抜かれる思があった。」

小説「門」のポイントになっている部分ですが、でもと私(貧骨)は思うんです。占い師はそこまで言いますかね。たぶん言いません。だからこの易者は作者そのものといっていいでしょう。 そのうえで 漱石先生ちょつと書き過ぎじゃありませんかね。宗助と御米の行状をその「罪と罰」という視点に絞り込めば、こういう成り行きになるかもしれませんが、人がこの世を生きるという普遍の立場にたつと、あまりにも窮屈です。
自分を振り返っても他人の生を遠くから眺めても、良くて九勝六敗、悪くても六勝九敗ぐらいに大体は納まってます。夫婦に子が出来ないと宣せられても、ひょんなことからできてしまうかもしれない。あるいは最後まで子に恵まれなくなったって、その不運に見あう幸運がまわってくるのがこの世の常だと思いますが。あの満州を彷徨している安井にしても、案外違う人生に生きがいを感じているかもしれない。絶対的な困難や不運にぶつかったとき、そこをくぐっていくのは、全体を俯瞰して一切を相対化するしかありません。
宗助は御米にもう占いなんかに行くんじゃないよといいます。それではいつまでも易者の宣託にとらわれてしまう。そうじゃないよ宗助さん。じゃ別の占いに行ってみたらどうだ、違う話が聞けるだろうっていわなきゃ。それでいくらか救われる。
いまでも「門」は好きな作品です。それゆえに何度も考えを巡らしてきましたが、すこしづつこの作品との距離をとれるようになりました。人が生きるということを全体でとらえられるようになったからかもしれません。としたらそれはたぶん年のせいでしょうね。           Cosmoloop.22k@nifty.com                       貧骨
2015/10/14
路傍のカナリア 13

夏目漱石「門」雑感
愛という狂気のなかの女と男

今朝日新聞に漱石の「門」が再連載されています。友人の伴侶である御米と宗助は駆け落ちをして、東京の片隅でひっそりと暮らしています。その二人の日常の小さな波乱と収束を描いた作品ですが、わたしはとても気に入っています。まだ独り身だったころ、もしもこの夫婦のように仲睦まじく暮らせたらどんなにかよかろうかと憧れたものですが、いまあらためて読み直してみると考えさせられる箇所もいくつかみえてきました。
明治末の当時の倫理観からみれば許されざることで御米と宗助の二人は「親を棄てた。親類を棄てた。友達を棄てた。……..もしくはそれらから棄てられた。」そうして「夫婦は世の中の日の目を見ないものが、寒さに堪えかねて、抱き合って暖を取るような具合に、御互同志を頼りとして暮らしていた。苦しい時には、御米は何時でも、宗助に、でも仕方ないわといった。宗助は御米に、まあ我慢するさといった。二人の間には諦めとか、忍耐とかいうものがたえず動いていたが、未来とか希望というものの影は殆んど射さないように見えた」。その封じ込められたような生活の中でも御米はとても魅力的に映ります。
生活苦というものはいつの時代でも家庭を揺さぶるものですが、御米はそのことで宗助といさかうことはありません。三間しかない借家住まいで一間を下女の清が使い、そこへある事情から宗助の弟の小六が引っ越してきて一間を使うことになり、夫婦が一間で暮らすというずいぶんと気詰まりな日々へと変わっていく場面がありますが、御米は愚痴をこぼすわけでもなく夫を叱咤するわけでもなくすべてを淡々と受け入れていきます。この御米の静かさは「門」という作品を通じて変わることはありません。いまの境遇に耐え、
いずれは日の目を見ようという上昇志向の意思ではなく、諦念の深い闇の中に身を沈めてそれでよしとする諦め切った者のすがすがしさが感じられます。御米を支えているのはただ宗助への愛であることが自然と読む側に伝わってきます。人を愛するということの「純粋さ」というのはこんなふうな形になるのかもしれません。それゆえにといいますか、御米は読者からみるととても愛おしい女性です。
一方の宗助はどうでしょうか。彼が学生時代であった頃のはつらつとしたものはありません。神経が病んでいるかのように何事にも消極的です。弟小六の学費の工面に窮しているにもかかわらず、亡父の遺産をめぐる叔母との交渉も延ばし延ばしにしてしまいます。御米とは別の精神の位置で彼も人生を諦めているように思えます。でもなぜでしょうか。愛する女性を得て心身共に充実し世間の反目などものともせず、仕事に打ち込むというようになりません。「社会から棄てられた」にせよ、無職ではなく役所勤めをしているわけですら、世の中とつながっていることは一つの現実的な希望でもあるはずです。その不可解なところに作者漱石の作意を読み取るべきかもしれません。御米と一緒になった瞬間に、彼は「愛」だけでは生きていけない男の孤独に気付いたのでしょうか。「彼は門の下に立ち竦んで、日の暮れるのを待つべき不幸な人であった」と漱石は書いていますが、その解釈がいまひとつわかりません。そういえば現代版「門」ともいうべき渡辺淳一の「失楽園」でも主人公は心中をしてしまいます。でもそうせざるを得ない必然はなかったように記憶しています。
月並みな言い回しですが、愛という狂気の世界では、女性は業の火によって焼かれながらも生きていくことができるが、男は気力も精力も奪われてただのたうちまわるだけなのかもしれません。
貧骨
Cosmoloop.22k@nifty.com
2015/09/24
路傍のカナリア12

五輪エンブレム問題 こりゃ公開リンチだよ      
良識派っていうのは脆弱なんですね

すごい光景ですね よってたかってとことん追い込んでいく 白昼堂々。何一つ決定的な証拠はないのに、まして本人が「模倣も盗作もしてません」って否定しているにもかかわらず。こんなことが民主主義の国家である日本で起きちゃうんですね。
当初は「模倣したかな」だったのに「模倣したかもしれない」「模倣したんじゃないか」「模倣しているんだろう」「模倣したに違いない」とエスカレートしてついにはあの仕事もこの仕事もパックたのだろうということで、パクリの常習犯に仕立てられちゃう。
「さらには作ったこともないデザインにまで、世に紹介されてしまう 自身の会社のメールアドレスがネット上で話題にされ、様々なオンラインアカウントに無断で登録され、毎日、誹謗中傷のメールが送られ」るって異様だよね。さっさと白状しちまいな 白状しないなら家族の写真もばらまいちゃうよって、で実際写真がネットにさらされたんだから、こりゃ公開リンチだよ。ねえ人権の尊重はありゃ建前の念仏かい。
日本という密室で一人の人間をみんなで取り調べているんですね。冤罪っていうのは、自白に頼りすぎたり、捜査員の思い込みからする過度の取り調べから生まれるっていうこの国捜査の反省はどこに行ったの.疑わしきは罰せずというのはごくごく常識だったしそういう認識でメディアも報道していたはずじゃなかったのかな。
ネットの社会の発言は匿名性ということもあつて暴走気味になるのはやむをえないけれども、そこから一歩引いて事態を冷静に伝えるのがメディアの在り様だろうに。
ネットの似てる似てる発言をマスメディアがどんどん垂れ流していく、と今度はさらにネットで非難中傷が拡大していってついに本人いわく「人間として耐えられない限界状況」にまで追い詰めるんですね。ひどい話です。いじめ問題には顔を出す評論家など盗作ときめつけるように「国家の恥」とまでののしるんですね。あんたどの面下げていじめを論ずるんだよ。きちんと証拠出してみろと思います。
普段良識派の顔をしてTVで発言している人たちって、こういう時こそ本領発揮でこの報道姿勢はおかしいっていうべきなのにそうじゃないんです。熱狂に乗っかっていくんです。がっかりします。この事態から想像するに戦前の軍国主義が過熱していくプロセスも同じじゃないですかね。進歩的な発言をする人達が政治権力によってねじ伏せられるんじゃなくって、自らの内部から時流に飲み込まれてどんどん大衆を煽っていく。良識派の知的脆弱性がよくわかる話です。だからこの騒動っていうのは今安保法制に反対している人たちもこの狂気がいつ別の形で自分たちに向けられるかもしれないと考えれば、他人事ではなくきちんと批判的な発言をしなくちゃいけないはずなんです。そうならないのは時代全体についての思想的目配りが足らないからでしょうね。
なぜこんなことが起きてしまうのか。「村八分」に象徴されるこの国の根底にある共同体的呪縛が今の世の中の閉塞感によって増幅されたものだと見ることができるかもしれませんがそれはまた別の機会にします。
貧骨
Cosmoloop.22k@nifty.com
2015/09/24
路傍のカナリア11

精神を病んだ者たちの居場所
政治が見据えておくべき日本の明日

最近気になった二つの事件に触れてみます。
7月はじめに奈良で女児がトイレから誘拐された事件がありました。女児は無事保護されて解決しておりますが、犯人は26歳の若者で職を転々としていて当時は無職でした。
この容疑者の人物像の一端をネットから引用してみます。
3年前まで介護職員として働いていた。職場の責任者は「注意されても頑張りますと言って仕事に一生懸命取り組んでいた」と振り返る。だが、「利用者がトイレに行く時間を忘れるなどミスを繰り返していた」とも語る。彼はなかなか仕事が覚えられず、注意されることもたびたびあった。次第に無断欠勤や遅刻を繰り返すようになり、わずか3カ月で退社した。
「一生懸命やっているのに、仕事や人付き合いがうまくできず、周囲に受け入れてもらえない」責任者は、この若者からこう聞かされたという。
もうひとつは朝日新聞デジタル版に載った「裁判員物語」の事件です。
裁判員に選ばれた主婦の目をとおして事件の感想、裁判員であることへの考えがつづられています。事件は40代の男性が万引きした包丁で、見知らぬ女性を背中から刺した という無差別殺人未遂事件です。被告は自らの犯行をマスコミにも予告していたそうです。
「裁判官物語」の筆者は被告の生育歴が気になったと語っています。男性は窃盗を繰り返し、少年院を出たり入ったりした過去があった。虐待を受けて育っており、両親はいま行方不明。情状証人はだれもいなかった。精神科にかかって薬ももらっていた。
社会への適応能力の低い人や劣悪な環境で育った人と犯罪を直ちに結ぶのはもちろん因果の飛躍です。ただ本人の努力だけでは乗り越えられない精神の壁を前にしたとき、この世のどこに彼らの居場所があるかと想像してみるとき、せいぜい街中を当てもなくさまようか、自宅に引きこもるかくらいしか私には思い当りません。二十歳を過ぎれば自己責任ですが、それまでに受けた精神の崩壊を見るとき、そう言い切っていいか疑問が生じます。犯罪を犯してしまった後の刑罰的償いが彼らの何を変えるのか、暗澹たる気持ちになります。ここに政治が果たすべき役割があるはずです。
輸出産業だけでなく、内需型の企業もいま激しい競争にさらされています。この国全体が競争の渦の中でもがいています。チームスタッフを組めば、足手まといの者は排除され続けます。疎外され、疎外され、役立たずの烙印だけが深く刻印されます。嫌な言い方かもしれませんが、身体障害の人は、他者からその障害が見える分、丁寧に扱われるでしょうけれど、精神に障害を負ったものは、怠け者と非難されやすいのが現実です。
厚労省が発表した最近の国民意識基礎調査において世帯の62.4%が「生活が苦しい」とこたえています。この数字からも子供受難につながる家族のゆらぎの予兆を読み取れます。
第一次安倍政権は敗者の再チャレンジを政策として掲げました。けれども敗者とは勝者になれる可能性を持った者たちへの救済です。でも政治がこれから見据えるものは、敗者にすらなれない弱者の居場所をどう構築するかだと思えます。それは社会の安定と安寧に欠かせない要石だともいえます。かれらは確実に底辺で増え続けているのですから。
貧骨
Cosmoloop.22k@nity.com
2015/07/16
路傍のカナリア10

戦争体験が護憲と結びつく日本の現実

この国の安全保障はどうあったらいいのかという議論が盛んになると、必ずと言っていいほど「左」の方から先の戦争の体験談が引き合いに出されますね。満州の奥地から命からがらの逃避行の話、南の島で兵士の多くが餓死した話、立てこもっていた塹壕を火炎放射器で焼き尽くされた話、空襲で家族が一瞬のうちに死んでしまった話、他にも似たような話はいくらでもあるのだけど、筋書きはだからもう戦争はしてはいけないし、その体験も時間とともに風化させてはいけない、「憲法9条を守れ」というところへと導かれます。
ちょっと変ですよね。第2次世界大戦はそれこそ地球上の「関ヶ原の戦い」みたいなもので、ほとんどの国の国民が戦争を体験しています。中国も、朝鮮も、ソ連も、ドイツも、イギリスも、アメリカも、イタリアも、みんな程度の差こそあれ、悲惨な体験はしているわけです。
まあ私はへそ曲がりだから非日常の戦争の時空間にはそれなりに愉快な解放感溢れる世界もあったのじゃないかと想像してます。けど、ま、平和主義の世の中ではタブーな話なのでしょう
それはともかくとして、「戦争はこりごりだ」という思いは世界共通だと思います。でもだからといって日本のように「憲法9条」を作れという声をどの国からも聞いたことがありません。むしろ逆で自国の防衛力の強化に戦後もせっせせっせと励んでいたのが世界の現実です。丸腰でいいという「非武装中立」論が一定の支持を受けていたのは多分日本だけでしょう。なぜ戦争体験は、「憲法9条」と結びついちゃうのでしょうか。
明治維新以降、この国は日清、日露の戦争、ちょこっと参戦した第一次大戦、そして日中戦争、太平洋戦争と次から次へと戦ってきたけれども、戦場は主に外地なんですね。中国大陸であったり、海上であったり、南の島々だったりしてます。仮に負け戦だとしても、兵隊さんは苦労しますが、一般庶民の生活が巻き添えを食らうということはなかったのです。日本兵が侵攻した土地の人はそこで戦闘が行われるわけですから、勝ち負けにかかわらず、大変だったろうと思います。でもそれが普通なんでしょう。国境線が地続きの大概の国は、「戦争はこりごり」だから武器をもって防御を固めることこそ、場合によっては相手国に攻め込むくらいの威圧感のある武力こそ自国防衛の要だとかんがえるのは自然な事でしょう。
一方この日本の国では、本土が他国によって侵略され、支配され、略奪され、民族存亡の危機に直面する、そういう辛酸をなめて、でも国民が立ち上がってついに他国の兵隊を追い落とし、独立を勝ち取ったという経験が、有史以来ないんです。その痛みが無いぶん、9条の絶対視というか、自衛隊違憲という世論が、戦後70年を経ても有力なのでしょうね。
メディアが世論をあおるというか、リードするという「右」からの批判もありますが、むしろそういう論に反応してしまう国民の感性が根深くあると考えた方が妥当でしょう。
平和を守ろうとすることは、絶対正義のような感じがありますが、その方法論は多岐にわたります。自らの主張の根拠に向かって思考を巡らせていかないと、「右」と「左」の決着は力づくということになりますが、それではおやおや、いつか来た道ではないでしょうか。
貧骨
ご意見はcosmoloop.22k@nifty.com
2015/06/16
路傍のカナリア9

「老人虐待」の怖さ
倫理の次元の奥にひそむもの

「虐待」というのは嫌な感じのする言葉でね、殴る蹴るなら暴行だけど、虐待となるとガムテープで顔面をぐるぐるまきにしちゃうとか、タバコの火を体のアチコチに押し付けるとか、相手を人間扱いしないようなイメージがありますよね。
ニュースで老人虐待とか子供への虐待が事件としてとりあげられますけど、家庭といういわば密室のような空間で、弱い立場の者がひどい目にあわされるのはとっても理不尽です。逃げ場が無いわけだから。つい同情しますが、一方で虐待する加害の側を、「ひどい奴だ」「人間じゃない」って非難すれば事が足るかというとそう単純でもないでしょうね。
老人への虐待っていうのは大概、本人が程度の差はあるにせよ惚けている場合で、たとえば帰宅したら部屋中汚物だらけとか、夕食を食べさせたら、まだ食べてねえ早く作れと騒いだり、夜中になると奇声を発して徘徊し始めるとか、介護する側が心身とも疲れ果てちゃって、結果耐えがたき一線を超えるんだけど、それは世間向けには「介護疲れ」で説明されちゃうんです。でもその奥になにがあるかっていうことを掘り下げておくことが大事だと思いますね。いささかの私的な経験をもとに話すのですが、たぶん人間の精神というのは、狂気の人間と暮らしていると正常なほうも狂い始めるんでしょうね。それはとても恐ろしい現実です。
それだけじゃなくて自分が狂い始めていることに気付かないってことです。だからなんでもない普通の人が虐待をし始めてしまうんです。相手が痴呆の場合ばかりじゃなくて、なんらかの精神障害を持っている人と暮らしている場合も同様です。正常なほうが、イライラしたり相手に罵声を浴びせたり、暴力をふるうようになっていくんです。とりわけ精神障害の当人に自覚がなく正常な自分もそういう認識がないと、ただただ相手を説き伏せようとして振り回されることになって、最後には刃物沙汰という悲劇が起きてしまいます。なぜそこまでいっちゃうかというと、障害者のほうは病的であるがゆえに自己修正もしないし、ひるむってことがないから結局正常なほうがだんだん追い詰められていきます。これは本当に怖いことです。
対処療法をいえば、正常な人間がすくなくとも二人いて、なおきちんと相互のコミュニケーションが取れている状態で、痴呆の老人なり精神の障害者に対し一定の距離を保って接すればいいんでしょう。そうすれば正常な精神は、正常なありようを維持できるんです。どうしても一対一で暮らさなければならないなら、電話でもなんでもかならず正常な他者と常に対話をすることです。そうすれば自分の精神の狂いが修正されますからね。
このあたりが「子供への虐待」と違うところです。子供への虐待には過剰なしつけとか扱い方がよくわからないということはあるでしょうが、加害の側の精神が少しづつ狂っていくということは無いだろうと思えますね。
事案の深刻さはどちらも変わらないんだけど、それでも老人虐待には人間の精神のあり方というか、精神の共鳴現象といった難しい問題が横たわっていると常々かんがえています。
ひょっとしたらきちんとした理解の上で一定の距離間を保ちながら、まっとうに接していくと逆に障害者の精神のほうが立ち直っていくこともありうるかもしれません。   貧骨
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2015/04/14
路傍のカナリア8

新入社員のみなさんへ贈るおせっかいな一文

社会人に「成る」とは、アマチュアがプロに生まれ変わること。

プロ野球が開幕した。ペナントの覇権をどのチームがにぎるのかという話題ばかりか新人選手がどれくらい活躍するかというのもファンの楽しみである。それは彼らの投球や打撃や守備走塁の技量が、プロの世界で通用するか否かという興味になるのだが、選手本人もはたしてプロとしてやっていけるかどうか自信と不安がないまぜになって開幕を迎えているに違いない。けれどもその心理は中学野球から高校野球へ、高校野球から大学野球、社会人野球へと、ワンランク上の世界に踏み込んだときの気持ちと別段変わるわけではない。プロになることがこれまでのステップアップの繰り返しであり、ただ技量の更なる向上が求められていると選手が漫然と考えていると、プロ野球選手としての心構えとしては褒められたものではない。野球を好きでやる世界から職業として打ち込む世界へ入り込むということは、根本的意識変換がまずは要求されていることでもある。アマチュアならまずはチームが勝つことが第一であって、それですべてメデタシの世界であるが、プロであればチームの勝ち負け以前に自分がゲームに出場できなければ、一文も稼げない。
仮に通用する技量を持ち合わせていても、そのレベルを一年間コンスタントに維持し続けなければならない。そのためにどうすべきか、あるいはチーム内のライバルに、これから入団するであろう将来のライバルにどう戦いどう勝っていくか。その問題意識にクリアーでないと競争相手に一歩も二歩も遅れをとってしまう。あの江川卓氏が、野球グランドのことを「わが職場では、」と形容したが、そういう感覚が違和感なく受け取られる精神の位置がプロの在り様だといえる。
もちろん野球選手にかぎらない。テニスでもゴルフでも同様だし、囲碁や将棋でも同じことである。初歩アマからトップアマへの道とプロへの道、そこに求められる意識改革は、特殊技能の世界だけでなく、ごく普通の新社会人にも当てはまることである。
新しく仕事を覚えることは当然として、挨拶、身だしなみ、言葉遣い、時間管理、健康管理、職場の人間関係の距離の取り方、集中力の持続、組織人としての自己抑制などは、つねに心掛けておかなければならない精神の在り様である。
「社会人」とは意識して「成る」ものである。オセロの白がくるりと反転して黒になるように。「社会人」を演じるといっても間違いではないだろう。

新入社員のみなさん、世間はひろい。 「天網恢恢疎にして漏らさず」というが、見るべき人は見ているものだ。社会人のプロとして誠実にいい仕事を心掛けてください。いずれ自分の血肉になる。

人を使う経営者の立場に立って、はじめて見えてきたことを(なんと長かったことか)自戒をこめて触れてみたが、いささかでも皆さんの役に立てば幸いである。
貧骨
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2015/03/11
路傍のカナリア7

平穏無事の哲学
三日の余分が風邪をおさめる。

パートさんが風邪をひいてしまったので仕事を休みたいと言ってきた。それから一週間位して「もう大丈夫だから明日から出勤する」と当の本人から電話がかかってきた。が電話口の声は張りがないし、ごほごほ咳き込んでいる。「無理をしないように」ということで、ひきつづき休んでもらったのだが、四、五日してまた連絡があって「体調がもどった」という。たしかに話し方もしっかりしているので、それから三日後から出勤ということになった。
どの職場にもあるごくごく当たり前の一件であるが、考えておくべき事柄も含んでいる。
「風邪がなおった」という判断は誰がするのだろう。体の調子などは本人しかわからないのだから当の本人がするのが当然のことだが、そう簡単でもない。職場に迷惑をかけているから一日でも早く復帰したいと焦りがあると、少々無理してでも治ったことにして出勤するが結果としてぐずぐずと風邪が長引くことがある。症状をおさえるために強い薬を使えば、今度はその副作用に苦しまないともいえない。
では医者の判断は正確だろうか。平熱になったとか、のどの腫れがおさまったとか、呼吸器の状態が正常であるとか、身体の客観的な判断はするだろうが、全体しての体調のもどりというのは、たとえば食欲がない、なんとなく体がだるいという類のことは、部分部分の診断を超えたものである。医者の話にはそれなりの制約がある。
そこに本人でも医者でもない第三者の全体をみている目というのが案外馬鹿にならないのである。子供をみる学校の先生の目、部下をみる上司の目、後輩をみる先輩の目に似ていて、普段から一定の距離感で接していて細部にまで観察するわけではないが、相手の変調がわかる程度には見ている位置というのがある。距離感がある分だけ全体がみえるというか、全体しか見えないともいえる。この位置からみる「風邪がなおった」という判断の物差しは、電話口の声の調子しかないのであるが、それでも普段に戻っているかどうかは本人の主観的判断よりはるかに正確である。そのうえで少し余分の休日を足せば、復帰後の体調の再悪化は避けられる。もともと風邪をひくことの元凶は疲労による免疫力の低下からくるから休養していれば自然と治るけれども、それが人によって長引いてしまうのはそれ以前に身体に無理がかかっているからに違いない。「これ以上はダメ」と身体がNOを突きつけたのだからその身体の声を十分尊重して芯から疲労を取り除いてやらなければならない。そうやって身体と仲直りをすれば自ずと人は生き生きしてくるのである。この全体の調子の見極めということになると第三者の全体観に勝るものはない。
パートさんが自己判断してからさらに三日の余分を使ったのも、この線に沿ったものである。とはいえ、その位置にいる人間が、すこしでも早く復帰してもらわなければ困ると自己利益に傾いてしまうと、当座のつじつま合わせだけが優先してしまう。小さな計算の積み重ねで日々は回っていくけれど、誰かが大きな計算をしておかないと目に見えないリスクは広がっていく。
日常の些事と思える事案にも一筋の思考の線を入れておくこと。それが平穏無事を保つ力技である。 
貧骨
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2015/02/13
路傍のカナリア6

仏風刺画事件 テロった男達の一分の理

言論の暴力と力ずくの暴力と

そういえば日本でも似たような事件があった。1961年2月深沢七郎の小説「風流夢譚」の皇室に関する記述をめぐって、出版元中央公論社の嶋中社長宅が右翼の少年に襲われたのである。お手伝いの女性が亡くなっている。
当時、言論の自由、表現の自由が声高に唱えられたかどうか分からないけれども、言論で飯を食っている新聞社や出版社が、襲撃犯に同情する論陣を張ったとは思えない。今回の仏の風刺画事件にしたところで、伝えているのは同業のメディアなのだから、「そうだ、表現の自由は制限されてしかるべきだ」とは言わない。
デンマークの新聞だったか問題の風刺画を転載することをあきらめた時に「我々は暴力に屈した」とコメントしたが、言論と暴力を対立概念として捉えていることには違和感がある。
ネットの時代に入ってから情報は一瞬のうちにグローバルに拡散する。ムハンマドの風刺画をみて読者がクスクスと、あるいは腹を抱えて笑ったとしたら、覆水盆に返らずのたとえ通り絶対に取り消すことは出来ない。いやあれはちょっとやりすぎだから取り消しますとは物理的に不可能な話である。
深沢七郎は事件のあった「風流夢譚」を絶版にして全集にも載せていない。小説や論説ならその後取り消しや訂正、回収という手立てもあるかもしれないが、絵や写真は見せた時が勝負の表現である。文章表現以上にリカバリーができない。表現された立場側からみるとそこに公の言論、表現の暴力性はないだろうか。
言論人や新聞社が襲われたりすると「言論の自由、表現の自由」は何物にも代えがたい理念のごとく語られるが、それを盾に何を書いてもいいかというと間違える。「公序良俗」に反することはもちろんのことだが、そればかりではない。今回の事案と性格は異なるがメディア被害者という人たちも多くいる。あることないこと必要以上にセンセーショナルに報じられてバッシングされた人達である。ただ書く側のほうが圧倒的に有利だから、明らかに針小棒大の報道でも結局泣き寝入りか、長い裁判を闘わねばならない。
今の時代メディアは一つの権力になっている。それゆえにこそ書かれた側の屈辱や持っていきどころのない怒りへの配慮がないとつまるところ、力ずくの暴力を誘発するであろう。それは逆の事を考えれば簡単にわかることだ。「シャルリーエブド」襲撃事件で3人の警察官が殉職している。この警察官の葬送は、国をあげての儀式のように扱われている映像が流れたが、では仮にこの殉職した警察官をからかった風刺画が出回ったらフランスの社会はそれを許容しただろうか
「泥棒にも三分の理」というが、だからといって泥棒をしていいわけではないように、新聞社を襲って殺傷事件を起こしていいわけがない。が何事につけ「言論、表現の自由」という囲いの中に逃げ込めばいいと考えていると、これからもつけを払うことになるのではないかと懸念している。なにしろ襲った者たちは確信犯なのだから。
貧骨
ご意見、ご要望はcosmoloop.22k@nifty.com
2015/01/10
路傍のカナリア5
家族のマネジメント
子供がラーメンを作るとき

子供がラーメンを作っている。インスタントだから丼にお湯を注いで汁を作り、別口で茹でた麺をポンと入れて、その上に少々のねぎと好物のチヤーシユーをたっぷり乗せて出来上がり。胡椒をパットかけて「うまそー」とおなかを鳴らしながら食卓に運ぼうとしたその時、横目で見ていたママさんがいささか甲高い声で「なによそれ、野菜が全然入っていないじゃない、栄養のバランスが悪いでしょ」と一言お小言。でもだいたい一言では終わらない。
「この前の期末テストの直前に風邪をひいて成績ひどかったじゃない」「きちんとした食事をしないから人より痩せているし、みっともないたらありゃしない。医食同源て習わなかった」「ねえ、分かっているの」と念を押すように続いていく。ラーメンは冷めていく。楽しい気分も消えていく。娘さんなら女同士言い返しもしようが、男の子になると言いたいことは山ほどあっても口をもごもごさせて結局は「うるせぇ、ばばあ 死ね」と捨て台詞とかのラーメンを残して自分の部屋に引きこもる。
シシュエーシンは様々だが、そういうことが積み重なって子供は心を閉ざしていき、家族のコミュニケーシンは失われるか、密度の薄いものになっていく。
でももしママさんが子供のラーメンをみて「おいしそうね、私にも一杯作ってよ」「わたしのは野菜をたっぷり入れてね、体の調子を考えているから」と子供の小さなプライドをくすぐりながら、いくらかの皮肉もこめて言ったらどうだろうか。
子供の心は柔らかくかつ鋭い。大人の嘘は看破する。心にも無いことをうわべで言っても無駄である。「作って、作って」とせがんでいた息子が、いつのまにか勝手に冷蔵庫をかき回して自分なりのラーメンを作っている。めちゃくちゃラーメンかもしれないけれど、そんなことはささいなこと。「成長してるんだ」そう思える子供に対する全面的な肯定感があってはじめて、「おいしそうね」の一言が自然にでてくる。誰だってもちろん大人だってまっとうに褒められればエネルギーが湧いてくる。そうやって家族の空気が丸く柔らかになる。
日常の些事のなかに家族の分岐点がある。その分岐点をひとつひとつ間違えずに歩んでいくのはなかなか困難なことに違いない。が、「家族」とはなにか、子供の成長とはなにか、母親とはなにか、そういう重たい問いを常に自問しつづけることこそ、平穏無事に過ごす家庭マネジメントの基本なのだと思う。
「家庭内暴力」の果ての親子の傷害事件をしばしば見聞きするにつけ、当事者それぞれの心の地獄にやりきれない気持ちなるのは私だけではあるまい。この国のすべての子供たちにとって今年が良い年であることを心より祈らずにはいられない。
貧骨
ご意見、ご要望はcosmoloop.22k@nifty.comまで

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