路傍のカナリア
2024/08/30
路傍のカナリア116
戦争雑感 なぜ満州だったのか
毎年8月になると太平洋戦争について多くのことが語られます。この戦争にいたる道すじは満州事変から始まります。ここで起きたことの様々な力学がおおきな歯車となってその後の日本を決定づけました。満州事変について今改めておさらいをして基礎的な知識を再確認しておくことは、戦争というものに考える上で決して無駄ではないと思われます。
1931年9月中国柳条湖付近の南満州鉄道が爆破破壊されたことをきっかけに日本陸軍が侵攻し満州一帯を軍事的に制圧した事件を満州事変と呼びます。鉄道の爆破は陸軍の出先機関である関東軍による謀略でしたから侵攻は当初から計画的なものです。ここで問題なのは「日本軍が」ではなく「日本陸軍が」ということです。陸軍はその後中国中央へと戦線を拡大するとともに米英と対立し国内の政治をも主導していきます。
それでは「なぜ満州制圧なのでしょうか」軍人特有の領土的野心もあるでしょうが、戦争観の変容が大きな意味を持っていました。1914年7月に始まった第一次世界大戦は18年11月まで丸4年を費やした大戦争でした。この戦争では「膨大な人員と物資を投入し巨額の戦費を消尽したのみならず、戦死者900万人、負傷者2000万人に達する未曽有の規模の犠牲と破壊」をもたらしました。またこの戦争は「戦車、航空機など機械化兵器の本格的な登場によって、、、、、国の総力を挙げて戦争遂行をおこなう国家総力戦」でもありました。この事実が世界の戦争観を変えました。当時現地に派遣されていた陸軍将校永田鉄山は、日本も総力戦への備えに万全に処さねばならないと考えます。しかし現実には日本は資源小国でしたからアジアのどこかにそれを求めるほかありません。石炭、鉄鉱石など軍需工業に必要な資源が満州には眠っていたことが、侵攻の狙いになりました。永田の構想が全て理解されたわけではないでしょうが満州が日本国防の生命線であるという認識は陸軍において共有されたのです。永田鉄山は1930年代半ば執務中に斬殺されますが、その考えは永田の薫陶を受けた部下たち(武藤章、東条英機)によって引き継がれ陸軍中枢を蔽っていきます。
けれども永田と対極の考えもありました。中国の経済発展を日本が援助し貿易を活発化することを通して立国を目指す方向でした。彼らから見れば日本国防の生命線は国際協調ということになります。浜口雄幸、犬養毅を含め国際協調を重視するグループでしたがテロを含む政治暴力の前に圧殺されていきます。ただ永田構想も国際協調派も日本が資源小国であるという認識では一致していました。そして戦後経済大国として世界第2位まで上り詰めた現在の日本もまた相変わらず資源小国のままです。現在でも石油、石炭の自給率はほぼ0%、工業原料自給率も10%前後です。自前で戦争ができる国ではありません。確かにナショナリズムは高揚感を掻き立てますが、国際協調しか日本には選択肢がありません。
天才とも言われた永田鉄山の構想は多岐にわたっていますから、単純に戦争推進者と決めつけるわけにはいきませんし彼が生きていたら日米戦争は避けられたという話もあります。がともかくも戦争観の変容と満州事変の関連は当時の日本国防の分岐点であったことは確かです。 貧骨
(参)昭和陸軍全史1 川田稔 講談社現代新書 引用文もこの著書からです
2024/07/11
路傍のカナリア No115
アメリカ雑感
大海原を渡って未開の土地へ行く移民船にはどんな人たちが乗り込むのだろうか。いやどんな人たちは乗り込まないのだろうか。移民船といえども安全とは程遠く難破も沈没も大いにありうる時代の話である。
その土地で食べていける人達 富裕層、中間層、貧しいながらも生活ができる農民、職人層、学者弁護士などの知識人、この人たちは乗り込まない。いちかばちか命がけの逃避行である。乗り込むのは食べることさえままならない極貧層、政治的宗教的に迫害されている人達、お尋ね者や前科者と彼らに連なる無法者、一攫千金を狙うバクチ好き、率直に言えば上等とはとても言えない食い詰め集団ということになろう。
ヨーロッパからやってきた彼らは望外の成功を得た。するとその成功譚が伝わって次々に大陸各地から似たような集団が押し寄せた。歴史書には美談風に描写されているとはいえアメリカはこういう人達が創った国である。ここにアメリカという国の起点がある。
彼らには先住民の生活など眼中にはない。飢えた狼のように強引に土地を奪い抵抗すれば虐殺した。白人移民の掠奪と進撃が太平洋岸まで到達してようやく国としての纏まりが出来上がったのである。暴力が正義である移民の国、これがアメリカという国の原初のメンタリテイーである。アメリカを貶めているわけではない。どの国も起点とは似たようなものではあろう。
たとえばヨーロッパにしたところでゲルマン民族の大移動は教科書にも載っているが、その時先住の民族とどのような確執があったか時代が古いので具体的でないだけの話である。
セオドア ルーズベルト(35代アメリカ大統領 1901-1909)は棍棒外交という言葉を使ったが、アメリカ的正義を強引に世界に推し進めていく精神は現在でも明白であるし、国内に於いても相変わらずの銃社会である。アメリカは国が若い。それゆえに起点のメンタリテイーが洗練されることなくむきだしになっている。一方でアメリカは相変わらず移民を受け入れている。年間にして約80万人弱(合法のみ)というのだからそこにもこの国の精神が生きているというべきだろう。そしてこの移民こそがアメリカの活力であり強さの元になっていることは間違いない。思考が一方向に偏らず多様な方向性が混ざり合うからである。
この地球上にアメリカのようなどの地域からも移民を受け入れる人工の国家が存在することは「救われるような、ほっとするような気分」と何かのコラムで読んだがその感覚は理解できる。故郷を追われた人間が東京を目指す心理に似ている。日本のどこへ逃れてもその土地ではよそ者扱いなのに東京だけは誰もがよそ者の集まりだからである。アメリカ国籍を取得すれば違和感なく明日にでもアメリカ国民に成れるのだ。この開放性はこの国ならでは特質である。
パックスアメリカーナは戦後80年程度しか経っていない。我々はこの厄介な巨人としばらくは付き合わざるを得ないだろうがパックスチャイナ、パックスイスラムよりははるかに過ごしやすいだろう。アメリカが自己流の正義を振りかざす尊大さには辟易するが、移民に国を開いている姿勢はとても貴重なものだと私には思える。
貧骨
2024/05/15
路傍のカナリア No, 113
男の嘘と女の嘘 雑感
風呂に入ろうとすると家人が「湯を入れる前に風呂を洗え」と必ず小言を言ってくる。毎度のことで煩わしいから「いや あなたが居ないときにちゃんと湯船の掃除はしてますよ」と返してその場を収めた。それから小言は減ったが、もちろん嘘である。風呂がいささか汚れていようが気にならない性分だから風呂を洗うなどという面倒なことはお断りである。この私の嘘で彼女の清潔感と私の無精は両立し家庭の平和は保たれたわけだ。メデタシ、メデタシ。
男は嘘をつく。浮気にしても風俗に遊ぶにしてもあれやこれや嘘をついて女のもとに通うのである。ギャンブルの借金にしても、借金なんてしてないよと言いながらカード借金が積み上がるのである。頭の回る奴はバレたときにどうするか その言い訳まで用意して嘘を重ねる。嘘と嘘の整合性をちゃんと計算している。隙を見せない嘘をつくのである。
男が嘘をつく心理的ハードルは低い。生活の中の小さな嘘なら罪悪感というものがあまりない。と同時に嘘をついていることは自覚している。女性はどうだろうか。私の感覚だが社会の秩序の中にちんまりと納まり道徳に対してきわめて保守的に対していると思う。嘘をつくことへの生理的嫌悪感というものはかなり強いのではあるまいか。ただ女性が嘘をつくということの中には男性にはない一面も持ち合わせているように思える。
2年位前だったか栃木県草津町で女性町議が町長から性被害を受けたという事件が報道され一時は抗議のデモが役場の周辺に押し寄せ、上野千鶴子を含め一部識者も町議の話を鵜呑みにして町長を非難し騒然とした事態になった。町長は一貫して事件を否定し、裁判においても町議の虚偽が認定された。「ドアも解放している執務室で日中そのような事態が起こるはずがない」という常識が通ったのである。それでは女性町議はなぜ明らかな嘘をついたのであろうか。政治的意図を持った謀略という推理もあるだろうがその事件が2015年という過去の出来事の掘り起こしという点から見ても彼女が一種の自己暗示にかかったのではないか。そうかもしれないという記憶の思い込みが性被害告白の世間的風潮とクロスしてそうであったに違いないという事実捏造に至ったように思われる。彼女にすれば嘘をついているという自覚はない。そうであるという確信が話に信憑性と迫真性を持たせるからこそそのエネルギーが周囲もまた巻き込めるのである。心理の底に町長への微妙な思慕があったかもしれない。最近お笑い芸人が過去の性被害を告発されてテレビから消えたが、事例としては重なるのである。加害と被害の黒白を早急 区分けしない方が無難だろう。
似たような経験は私にもある。職場のスタッフにしても家内にしても理詰めで追い詰めていくとどこかで自己都合の物語をつくり出すのである。嘘をついているというよりも女性特有の自己防衛本能ではないかと感じられる。男が力によってわが身を護るように女性は自己暗示につながるほど言葉を操ることで自分自身を護るのではあるまいか。
それにしても生活の中の小さな嘘は男女にかかわらず大きな悲劇には広がらない。国家が創る嘘、企業が創る嘘、知識人官僚が創る嘘、メディアが創る嘘は罪深い。情報を一手に握って都合よく加工して大衆をだますのである。 我々はそのことに怒りを持って自覚しておかねばならないと思う。
貧骨 cosmoloop.22k@nifty.com
2024/04/09
路傍のカナリア No 112
丸山ワクチン雑感
丸山ワクチンによって多くのガン患者が命を救われたことは紛れもない事実である。治療効果は現在も続いているが厚生省の正式認可は下りず50年以上も宙ぶらりんのままである。メディアも取り上げることがほとんどなくなりその存在すら知らない人が多いのではなかろうか。なぜ認可が下りないのか、専門的な見地ばかりではなく人間臭い部分も多分にあると推測されているが、丸山ワクチン開発者の丸山千里が皮膚結核の専門医であったことも影響しているであろう。ガン研究者の面目丸つぶれの話でもあるからだ。
それにしても結核専門医とガンの治療はどこで結びついたのであろうか。ガン治療に繋がる経緯を丸山氏自身が語っているが興味深い。氏が皮膚結核のために開発したワクチンは当の結核にたいしては大きな成果を上げたが、ハンセン病にも有効かもしれないということで氏は国立多摩全生園に通うようになる。「ライ菌と結核菌とは微生物学上、同じ抗酸性の桿菌で、同族とされている。…結核のワクチンをつくったら、かならずハンセン病にも使ってみるというのが当時の医学者の慣習であつた」と氏は語っている。
このハンセン病治療院に通う中で氏は大きな発見をする。10年以上も通いながらしかも1300人もいるハンセン氏病患者と付き合いながら氏は一人の癌患者に出会わなかった。しかも清瀬にある国立結核療養所にもがん患者はほとんどいなかった。ここから丸山氏は「結核菌やライ菌の抗体を多くもつ患者にはガンがとりつかないとすれば、結核菌、ライ菌の抗体がガンをも追放する力を持つということになる」と推論する。ここを出発点に氏はガン治療のための丸山ワクチンを開発したのである。この丸山ワクチンには副作用がない。このことは氏が強調しているところである。現在使用されている抗がん剤が、強い副作用のため患者に大きな負担をかけていることを考えれば丸山ワクチンを物は試しで使ってみたところで何の問題もないと素人なりに思うが頑として厚生省は認可しない。というわけで丸山ワクチンを投与するには、協力してくれる医者から探すという面倒なことになっている。
経験からして明らかに効果があるのに認めないという姿勢は、明治の脚気論争と重なる。日清日露戦争において戦場で亡くなるよりも脚気で亡くなる兵隊が多いことに苦慮した軍部に対して当時海軍軍医であった高木兼寛が兵隊の食事を白米からパン、麦飯に代えたところ大きな成果が得られた。にもかかわらず、東大医学部を頂点とする当時の医学主流派は一顧にせず陸軍は多くの死者を出し続けたのである。そこには高木が学んだイギリス医学と東大が信奉するドイツ医学との確執があったけれども患者にとってはどうでもいいことである。
医者としてのプライド、世間的名誉、学閥学派 、師弟関係主従関係 その俗物的夾雑物が命という神聖なものを扱う医師達を呪縛し、患者の命が二の次にされているのを間に当たりにするのは嫌なものである。
「丸山ワクチンを考える会」も認可の見込みが見えないということと会員の高齢化で活動を停止していると聞いた。残念ではあるがそれでも日本医科大学には丸山ワクチンのための相談窓口がある。それが救いではある。貧骨
参考「それからの丸山ワクチン」丸山千里、「今こそ丸山ワクチンを」井口民樹/丸山茂雄
2024/03/12
路傍のカナリア 111
人生雑感
◎
学生時代から付き合いのあった二人を最近亡くした。同期の友人と一年上の先輩。共に生涯独身のままであったが、そのことは彼らの人生になにがしかの影を落としている。令和の現在ではシングルであることは特段のことではないだろうが昭和の時代では「みんなと一緒」の風潮がはるかに強かったから生き辛かったと思う。世間を渡る通行手形を持っていないようなものである。陰で噂の種になりあるいはいかにも興味津々で婉曲に聞かれたりとプライドが傷つくのはきつい。正面から来る生き方への批判なら受け止めようもあるが好奇の視線というのはとらえどころがないけれども心を萎えさせる力を持っている。萎えるというのは強い力に心が折れてしまう挫折感ではなく腰が抜けるような無力感をともなう。だからと言ってどうすることもできるわけではなく、みずから気持ちを奮い立たせて無関心を装う以外になすすべがない。亡くなった友人が職場でのからかいに「いや自分は結婚している」と嘘をついたとぼやいていたが、そういうところに追い込まれるのである。先輩の死を親しい人に伝えた時も「あの人独身だったよね」と言葉が返ってきたとき、人というのは何でもないようでもそういう風に見るものなのだろうといささか憂鬱になった。悪気はないのだろうがどこかに好奇の口調が含まれている。人生の困難というのは、貧しさも大病も仕事の不遇もあるけれども好奇の渦の中を生きることにもある。悩みの深さは本人にしか分からないだろうが彼らの人生は「よく耐えた人生だった」と思う。逆に言えば、冴えがあるわけではない、何が欠けるでもない、人並みだけが取り柄の凡々たる生を歩み切るというところに幸福なるものは、ある意味存するということなのであろう。
◎家族は勿論のことだが付き合いのあった親しい人が亡くなるのは寂しい限りである。高齢を生きれば別れの場面は多くなるが、それでも残された者は辛い。突然の別れならなおのことである。人がいなくなったことの空虚感ははかり知れない深さがある。気持ちを強く持っていないとその深さの中にどこまでも墜ちて行ってしまう。さりとてこれと言って処方はない。「去る者は日日に疎し」の格言のごとく時間の中で悲しみが癒えていくことに身を任せるほかにない。けれども空虚の中に立ち尽くしたままでは、生も死も混沌の中に右往左往するばかりである。弔うという儀式を終えれば否応なく残されたものは生と死を分かたねばならぬ。
仏前に手を合わせるにせよ、命日に墓参するにせよ、それはどこかで我々が死者の魂を信じているからに他ならない。だからこそ死者の魂を鎮め現世への執着や無念から、また生者たちへの思いから解き放つためには、残された者が一日一日を精一杯生きる以外にはない。生きることに集中することこそ生と死に境界を引き、死者に深い眠りをもたらし死者を死者足らしめることになろう。供養とはこのことだとわたしには思える。
貧骨
2024/02/13
「珠洲に未来を」 宝立小中学校八年 山岸愛梨さんの書が素晴らしい
路傍のカナリア No 110
商売雑感
◎ 渦中にいると見えていないことがそこから抜け出して改めて冷静な立場で観察してみると自分を翻弄していた渦がどのような性質のものでいかに対処すべきであったかが見えてくる。このような経験は誰もが一度ならずくぐっているのではなかろうか.
私もジュエリーという商材を扱ってその小売り販売に悪戦苦闘してきたけれども、商売から離れてみるとこの商材のむずかしさが最近良く理解できるようになった。何よりもジュエリーは奢侈品であるという現実がある。食料品、衣料品のごとき生活必需品ではないから客が自然と購買するというわけにはいかない。簡単には商品は捌けていかない。有名ブランド店や知名度のあるチェーン店なら,それでもフリーの客を取り込めるかもしれないが、一般の小規模店ではなかなか難しい。どうしてもなじみ客を相手に商売をするが、そのなじみ客の数が広がっていかなければ商品が消費されて無くなってしまうものでないわけだから、売り込むにしても限界がある。
客待ちをして良品廉価の方針で商品を店頭に並べればやっていける商売ではない。季節ごとにセールを企画して新鮮味を出すにしても無理をすれば客離れが起きてしまう。地域社会では付き合い買いがあるだろうが、そういった形に頼るようではじり貧は目に見えている。客の高齢化もじり貧に輪をかける。そればかりかジュエリーは商品在庫に金がかかる上に回転率が低い。粗利率は確かに高いが資金を長く寝かせる実に効率の悪い商売である。
それではこの現実を踏まえてこれから持続可能なジュエリー店とはいかなる像であうか。マニアともいえるほどにジュエリーの魅力に取りつかれ、かつ商売熱心であるか、月々の売り上げなど気にしなくてもいいほどに資金が潤沢で気持ちにも余裕があることが経営者の資格になるであろう。日々資金繰りに追われ、売り上げ増と経費削減に熱心な店はいわば限界集落のようなもので力は下がる一方なのである。「何とかなる」「何とかしよう」熱意は理解できるがジュエリー店はもうそういう心構えの時代ではない。金持の道楽仕事と思われるほどの境目でギリギリ成り立つ商売なのである。そのうえで「客を探す」努力を惜しまない店だけが生き残る。人脈の太いパイプこそが、この時代の必須の武器なのである。商工会議所、ライオンズクラブ、商店街の会合、ゴルフコンペ、カラオケ大会、こまめに顔を出して自分を売り込むことこそ人脈の栄養になる。客待ちしていては商品が古くなるばかりか、兼業の電池交換で食いつなぐようになってしまう。
私にはそのあたりが見えていなかった。成功体験は悪魔の誘いでどうしてもバブルの時代の感覚と為せば成る昭和の感覚から抜け出せなかった。
生き残っているお店には「小規模店に未来を」の気構えで頑張ってもらいたい。そして大手とは一味違うジュエリーの持つ魅力とエネルギーを世の中に伝えてもらいたいと思う。 貧骨
2024/01/18
路傍のカナリア 109
能登半島地震により被災された皆様に お見舞い申し上げます
雑感
◎
テレビは我々に何を届けているのだろうか。幼児から青年までの柔らかい心に何を刻み込んでいるのだろうか。
地震によって横倒しになったビル、柱から壁まで破壊されて屋根だけが地面に残った家屋、ひび割れデコボコにうねり寸断された道路、あたり一面がれきが積み上がり折り重なる電柱、津波の被害に落胆する人びとの表情、空港で炎に包まれて真っ赤に燃える旅客機、追突されて火の玉になって滑走する小型機。どれもこれも非日常の惨事の映像が繰り返し繰り返しテレビから流れてくる。我々は確かにそれを見ているが、見せられてもいる。幼児ならば尚更に否応なく見せられている。
その受動的な形で心の中に刻み込まれた映像は、いつかどこかでフララッシュバックのように現れてこないだろうか。平穏な秩序だった光景の中にぐにゃりと歪んだ惨事の映像が無意識に重なることはないだろうか。精神の病というものはこんなところに芽があるの かもしれない。私事になるが深夜異音がして窓を開けたら真っ赤な空間が目に飛び込んできた。若い頃の話だが今でも鮮やかに思い出す。近隣の火事だったがそれ以来疲労が重なるとうなされるように火事の夢を見るようになった。映像がもつ力というかエネルギーを 思案すれば、柔らかな心にはたぶん見せてはいけないものがあるのだろう。心が自立して映像というものとの間合いを取れるようになるまで保護者の細心の配慮が必要ではないか。そんなことを被災地の報道を見ながら考えている。
◎
振り込め詐欺、高齢者住宅宝石店への窃盗強盗殺人、投資勧誘詐欺、マルチ商法、悪
質ホスト。この犯罪的行為の加害者もそして投資にのめり込む被害者にも働いているのは「手っ取り早く儲ける」という心理であると言って、この心理は不法な世界にだけ広がっているわけではない。
今年から始まった新NISAにしたところで非課税枠の株式投資金額が従来よりも4 倍に拡大された制度であるから合法というだけで、その利用心理としては繋がっている。ようやく日本でも本格的に「貯蓄から投資への流れが本格化してきた」という論評を読むと間違いではないが、いささか楽天に過ぎる感がある。
合法も非合法も一つの塊になって日本の社会の中に根を張っていきそうな 「楽して儲ける心理」がこれからどんなふうに変容していくのか、是非は別にしても見ておかねばならないと思う。
ごくごく平凡に暮らしなにがしかの 余剰を貯金として積み上げていくという地道な生活の姿勢が愚かしく映るようでは社会の中に不穏な波乱を含むように思える。とはいえこの私の危惧は 昭和のアナログ老婆心と揶揄されるかもしれないが。
貧骨 cosmoloop.22k@nifty.com
2023/10/13
路傍のカナリア 106
雑感 コロナに感染してしまった
8月のお盆のころである。所用で東京に行き帰宅夕食後、寝床に入ってからどうも具合が悪くなった。頭痛がしてなかなか眠れない。暑さのせいかもしれないとエアコンをつけてみたが、眠ったかなと思うとすぐに目が覚めてしまう。朝までそんな風にであったので試しに体温を測ってみると37℃前後。体がだるく食欲もあまりなく夏風邪でも引いたかあるいは熱中症かと思い、寝てれば何とかなるだろうとグダグダしていた。微熱と頭痛とだるさの三重苦(大げさだが)は変わらずで日頃の「医者なんて」の強気は弱気に変わり、しぶしぶだが家人の説得で医者に診てもらった。「コロナ」に感染していた。鼻の奥に綿棒を突っ込まれてぐりぐりとされると15分もかからずにはっきりと陽性ですと告げられた。もしもコロナの扱いが5類扱いになっていなかったら、この程度の症状でも身体隔離をはじめかなり面倒なことになっていたはずである。
ゾコーバという薬を処方されて三日目あたりで体が楽になった。その三日程度の間の辛さは倦怠感である。熱や頭痛は一日目で解消されたが、だるさは残った。コロナ後遺症で倦怠感を訴える記事をよく読むが、体がだるいというのはなかなか他者には伝わりにくい。熱なら数字で出るし頭痛も自分なりにはっきりわかるが、だるさというのは自分自身でも把握が難しい。ひょっとしたら精神的な怠惰とも食欲減退による肉体弱化かもしれないとも思える。上司から「気合いが入っていない」など無責任に叱咤されている人もいるだろうがコロナ後遺症で倦怠感に苦しむ人は本当に大変だろうと思う。さて体調が戻ってそれでは出歩いていいものなのか、ひょっとして体内に残っているコロナをばらまいているのではないかと心配になって医者に問い合わせると、構わないそうである。良くなればそれでよし、要は風邪と同じ扱いが5類ということらしい。
ところでこのコロナウィルス一体どこから来たのだろうか。当初は中国の実験室から飛び出した説が騒がれたが、その後うやむやになったままである。出自が分からないというのは怖い話なのである。コロンブスのアメリカ発見以来、南北アメリカの原住民はほとんど絶滅してしまったが、それはヨーロッパ人の侵略とそれに伴う虐殺というよりも、かれらが持ち込んだウィルス、原住民には免疫のないウィルスによるものという説がある。今回のコロナ禍も当初は多くの死者を出したのも免疫との関係である。現在は世界中ほとんどの地域に感染が広がり免疫の獲得で騒動は沈静化しているが、免疫のないウィルスが自国民に持ち込まれるとあっという間に死者が積み上がるという事実は忘れてはならない。
いま日本では外国人観光客がオーバーツーリズムと言われるほどに押し寄せている。観光庁の統計では2009年679万であった訪日観光客は2019年には3188万人に増加している。日本の人口の四分の一に当たる。これだけの数の外国人が一年間にやってくる。それも毎年だ。経済的効果は大きいし観光立国は国策だろうが、奈良時代から考えても日本にとっては初めての事態である。インバウンド景気は結構なことだが、その裏側でひょっとしたら潜伏期間の長い未知の疫病が持ち込まれていないとも限らない。私は観光地の賑わいをテレビで見ながらいささか身構えている。 貧骨
2023/08/12
路傍のカナリア No204
「父は祖国を信じて逝けり」(岸上大作歌集より)
戦争のその先にあったもの
今年も8月15日に全国戦没者追悼式が行われる。
8月は戦争とその犠牲について思い起こされる月でもある。太平洋戦争において将兵230万民間人80万が亡くなったと推計されている。この310万という死者の数は当時の人口の約5%にあたる。日清戦争では戦死者約1万3千人、日露戦争では約8万人である。比較すればいかに多くの若者が戦場で命を落としたか、その数には慄然とする。なぜあのような無謀な戦争を始めてしまったのかという悔いが湧き上がってくるのは自然の感情である。戦争は避けられたはずだしそうあるべきだったという識者も多い。私などは、せめて国際的に中立的立場で臨みのらりくらりと情勢をやり過ごし勝者の側を見極めて参戦すれば、戦後の日本には北は樺太、東は満州国、南は南太平洋までを版図とする大帝国の道が開けていたはずなのにと、短慮ながらいら立ちを覚えることがある。
短慮と述べたのは、無謀とも思える日米戦争を避け無傷で戦後を迎えたときに、そこに現れたはずの国は現在のような曲がりなりにも平和と民主主義と国民主権を根底に据えた国ではなく戦前のままの大日本帝国そのものであるという現実があるからである。明治憲法は存続し天皇絶対性は確固として国民生活の隅々にまで浸透し、軍部はますます傲慢にますます権力を牛耳り議会制民主主義は圧迫されたままに違いない。地主制の下小作人は解放されず財閥は解体もせず、婦人参政権の普及も怪しいものである。軍人と官僚エリートが情報を独占し内務機関である特高警察、憲兵が左翼活動に目を光らせ国民を支配する体制、このあり得たもう一つの戦後を我々は受け入れるだろうか。
それではあの戦争に負けて「良かった良かった」と言うべきだろうか。我々が生きている戦後体制を是とする立場から考えればそういう理屈にはなる。けれども将兵たちは負けるために戦ったわけではあるまい。彼らの奮闘に歴史の未来から「負けてよかった」と言うのはあまりにも酷である。「学徒兵の苦悶訴う手記あれど父は祖国を信じて逝けり」(意思表示より)。歌人岸上大作が歌った無名戦士の祖国を信じて死んでいった思いは戦後の繁栄と交差するのか 戦没者の犠牲の上に戦後の繁栄があるというがそれは戦後を生きた者たちの都合のいい歴史解釈のように思えてならない。
かの戦争に勝利すればあるいは戦争を避ければ明治憲法の体制下を生きることになり、負けて310万の戦没者を生みアメリカの占領下で民主主義的改革を強いられ平和と繁栄を得るというのは引き裂かれるような矛盾である。どこかで我々は間違えたのだ。来た道をもう一度辿ってみるほかはない。維新の第一歩のところで明治憲法の中に尊王の思想を組み込んだことなのか、それとも尊王の思想と政治の距離感の問題なのか あるいはまったく別の視点があるかもしれない。
ただ言えることはあの戦争から我々はまだまだ引き出さねばならない思想的課題があると云うことだ。その姿勢こそが祖国を信じ殉じた230万将兵への「鎮魂」と「慰霊」に応える道だと思える。 貧骨
2023/07/12
路傍のカナリア 203
健康は医者を見抜くところから始まる
どうも食欲がない、胃が重い、食後胃がもたれる痛む、吐き気を催す、困った、胃の不調の時はK医師に駆け込む。老医師と呼ぶほどの年齢だがかかりつけの内科医だ。
「先生、お願いします」と事情を話す。聞き終えた先生は、やおら私の胃の上部あたりを指でグイと押す。痛い、飛び上がるほど痛い。次に片膝をぎゅっと鷲掴みにする。うっと声が出る。これも痛い。「痛いだろう」とK医師が声を掛けてくる。それではと膝のある個所を軽く揉むように押す。「よしよし」とつぶやいて再度胃の上部と膝を押すがもう痛みはない。「これで良し」と笑って、あとは胃薬を処方されて診療治療は10分程度で終わる。これですべて。何度もこの手法でK医師には助けられた。いまでも名医だと思う。若い頃の話だが、この体験があって私は人間の体というものの不思議について、そして体自体の自己回復力について考え始めた。誇張はない、手品のようなからくりもない。もちろん心理的な詐術もない。あるとすれば「全体と部分」をどう理解するかというところに帰着する。
もしも人体というものが、臓器を含め様々な部分の組み合わせで成り立っていると考えるならば、胃が悪ければ、投薬や手術によって胃を直せばいいことになる。けれどもそうではなくて全体は分解すれば部分の集合体なのだが、組みあがっているものは全体としての統一体であり全体には全体としての問題があると考えると、ただ不調な部分にのみ目を奪われては修正できないことが起こる。たとえば機械時計を教科書通りに分解掃除をして組み上げても精度誤差が職人によって差異が生じるのは全体のバランス感覚という視点で見るかどうかにかかわっている。私の場合も、K医師から見れば疲労やストレスによって体全体の円滑な血流が阻害され、その結果胃痛を生じたと判断したのだろう。ツボを刺激してカチカチに固まっている体をほぐしたことで、体内が元に戻り、血流はスムーズになりその時点で既に治っているのだが念のために薬を処方したということだ。
人間の体についてもう一つ考えておかねばならないことは、それが歴史的存在だということである。このことも大変大事な視点である。私の体は父親と母親から受け継いだものである。
と同時に父親も母親もまたその親から受け継いでいる。遡ればどこまでもいけるが、そういう歴史が積み重なって私の体に流れ込んでいる。先祖に結核やがんの病歴を抱えているかもしれないし逆に何一つ病歴がない健康体そのものの体かもしれない。それらがまじりあって自分の体になっている。加えて自分自身の生まれて来てからの自分の歴史がある。
それらの総合体が今の自分の体である。その様に考えると、自分の体は自分で管理するのが一番で、少しでも違和感があれば、それはどこから来るのかどうしたらよいのかまずは体と対話してみることだ。初見の医師がどのように処方しようともそれも参考意見にして自己判断するのが適当だろう。健康とは医者を見抜くところから始まる。
医学書がどんなに詳しく人体を解明しようとも、そういう知識で一人一人の体の全体と歴史が分かるはずがない。その謙虚さを忘れた医者の処方は所詮「畳の上の水練」である。漁師の泳ぎに勝るはずがない。貧骨 cosmoloop.22k@nifty.com