高野耕一のエッセイ

2020/01/06
■ 江戸の春

旧暦の江戸では、一月は春だった。元日から春だった。「だって大家さん、大晦日な、ゴーンゴーンと除夜の鐘がなる、するってえと、東の空に初日がスーッと上る、パッと新年、新しい年、おめでとう、おめでとう、大家さんおめでとう、クマ公おめでとう、長屋のあっちこっち、新年のご挨拶だ。同時にパッと春、パッと新春よ。これだよ、こうこなくっちゃ、ゴーンゴーンのスーッパッパッ、こうこなくっちゃ江戸っ子は気分が落ち着かない。ゴーンゴーンのスーッパッパッ!!」。ハチ公、大家さんちの玄関先で馬みたいに鼻息が荒い。「なんだね、ハチや、正月早々目クジラ立てて。江戸は旧暦だが、平成は新暦、太陽暦だな、三月四月五月が春。一月はまだ冬だ。それが決まりだ。ゴーンゴーンのスーッパッパッ、というわけにはいかん、なあ、クマよ」。大家さんが皺だらけの顔に満面の笑みを浮かべて、クマ公に同意を求める。「てやんでえ、べらんめえ、こちとら江戸っ子でぃ、ハチと同じよ、ゴーンゴーンのスーッパッパッ、これっきゃない、元日が春だって相場が決まってらい」。
でっかい体を丸めて腕まくり、クマ公が口をとんがらせる。「乱暴だな」。「それにだ、大家さん、大家さんはとんでもない間違いをしてるな」。クマ公、大家さんに顔を近づける。「おや、なんだい」。「大家さん、ハチに、目クジラ立ててって言ったな、言ったな」。「ああ、言ったよ。目クジラ立ててって、たしかに言った」。「ほら、ほら、大間違いだ。見てみろ、大家さん、ハチの目を見てみろ。な、チッコイだろ、チッコくておまけに細いだろ、あるかないかわかんねえ目だろ、目ってえより穴だ、点だ、目クジラ立てるどころか、メダカだって立ちゃしねえ、目メダカも立たねえ、せいぜいボーフラが立つぐらいだ、目ボーフラな、目ボーフラなら立つ、どうだ」。
鐘一つうれぬ日はなし江戸の春(其角)。江戸の人々は、初日に手を合わせ、初富士を仰ぎ、年神さまに新年の幸せと健康を祈った。子どもたちは寒風に負けず、凧を手に駆け回り、独楽で遊んだ。お正月に限らず、江戸町人文化が見事な大輪を咲かせたのは、文化文政の時代だ。歌舞伎、芝居見物、大相撲は、庶民の楽しみだった。盛り場の見世物に、ラクダ、象、虎などの珍獣がいたというから仰天だ。ラクダにちょんまげ、おかしいでしょ。象の横でハチ公やクマ公がニタニタ笑っている絵なんか、想像するだけで吹き出す。
多色刷り木版印刷の錦絵が大人気となり、商売であっちこっち飛び回る商人たちによって全国に広まった。歌舞伎は、宗家市川家の初代市川團十郎が憧れのスーパースターだった。「勧進帳」「暫」「助六」などの市川家十八種のお家芸は、歌舞伎十八番と呼ばれて喝采を浴びた。もっとも歌舞伎や芝居見物は、長屋のハチ公クマ公には縁がなく、呉服屋の放蕩息子栄太郎のお遊びだ。
「お、バカ旦那、おめでとう。正月から芝居見物ですかい」。通りすがりの栄太郎にハチ公クマ公が声をかける。「おや、ハッツァンにクマさん、おめでとう。新年早々バカ面が二つ並ぶと平和だな」。仲がいいから、こんな挨拶ができる。気心が知れているから、言葉が乱暴になる。気風がいい。歯切れがいい。宵越しの銭はもたねえ、などとカラッケツなのにやせ我慢。粋で、私利私欲がない。人の頼みを安請け合いして、勝手に悩んでいる。「江戸っ子だい」などと腕をまくってみせるが、もともと地方出身のイナカモンばかり。
この時代、自分たちで文化を創った。そこがえらい。「くるものはなんでもこい。くる者はだれでもこい」。だから、江戸は大都市になった。「人も街も器よ、器の大きさよ」と、正月空を見上げて勝海舟が笑う。謹んで新春のお慶びを申し上げます。
2020/01/06
■ ツルゲーネフに、してやられる

寒い夜。ナイトキャップのウイスキーグラスを片手に布団に潜り込み、ふと手にしたツルゲーネフの文庫本。本のタイトルは、「散文詩」。彼が晩年、パリでメモとして書いた文章をまとめたもので、まあ1〜2ページも読めば、たちまち白河夜船、グーと高いびきとたかをくくっていた。パラリと開いたページには、「敵と友」というタイトルがつけられている。
概要はこうだ。1人の囚人が脱獄した。当然ながら追撃隊が追った。囚人は、必死で逃亡する。荒野を超え、森を抜け、無我夢中で逃げた。だが、追撃隊はぐんぐん迫ってくる。まずい。考えている暇はない。転んでは立ち上がり、立ち上がっては転び、もはやボロボロとなる。
山中に迷い込み、気がつくと断崖絶壁に出た。暗く深い死の谷が口を開けている。しまった。どうする。追撃隊のざわめきがそこまで迫っている。どうする。1本の朽ち果てた木の吊り橋が目についた。ほとんど崩れ落ち、自分が乗ればたちまち崩落してしまう。迫る追撃隊。どうする。ふと見ると、対岸に2人の男がいる。1人は敵で、1人は友だ。敵の男は、腕を組んだまま、「追われるのは当然、なるようにしかなるまいよ」と、薄ら笑いさえ浮かべている。くそ、あの野郎。「おおい、渡るな、橋が落ちるぞ、渡るな」。友が大声で叫ぶ。「だめだ、そこまで追っ手がきている。逃げたいんだ」。囚人は叫んで、橋を渡り始めた。「よし、気をつけろ」。友が手を伸ばし、朽ちたロープを支える。次の瞬間、橋は崩落し、囚人は暗い死の谷に吸い込まれて消えた。敵は、満足げに笑った。善良な友は、哀れな友を思って泣いた。だが、自分のせいだとは少しも思わない。これが概要。そこで考えてしまった。ツルゲーネフよ、ツルちゃんよ、いったいなにを言いたいのか。敵を認めるとしたら、「助かるかどうかわからない。落ちるときは落ちる。助かるときは助かる。すべて、自分でおやんなさい」となる。冷たいけれど、そうなる。一方、友となると「助ける」と言って善意の手を出した。待てよ。手を出さなければ、助かったかも知れない。それはわからない。本人だけにやらせておけば、橋は落ちなかったかも知れない。
わからない。もし、手を出さなければ。ツルちゃん、あなたは、いったいなにを暗示するのか。いやはやこいつは哲学だ。まんまとツルちゃんの術中にはまった。眠るどころではない。これに似た話は、世間にいくらでもある。
たとえば、倒産寸前の零細企業を想像する。追っ手が迫ってくる。手形が落とせない。どうする。なんとか借金を先延ばしにできないか。あるいは逃れる方策はないか。崖の向こうに行く方法はないか。崩れかけた吊り橋。これが超高利の違法金融か。崖の向こうに2人の男がいる。「借りるか借りないか。自分で決めるんだな」と、冷ややかに見つめる敵。
「借りるな。その金に手を出すな」と叫ぶ友。どちらも、救済の手を差し伸べてはくれない。「借りるな」と叫んだ友も、いざこちらが借りると決めたら、その行為を助長した。結果、傷口をさらに大きくした。ここには、「吊り橋を渡らない」という選択肢も残されていた。あるいは、「自分だけの責任で渡る」、という選択肢もあった。
囚人は、死を早めた。零細企業主は、傷口を大きくした。「自分で判断しろ」と突っぱねた敵が正しいのか。「なんとか助けたい」と手を貸し、傷口を大きくした友が正しいのか。崖の向こうの2人の男に、なんらかの援助を求めた自分が悪いのか。さてさて、哲学は難解だ。ツルちゃん、あなたの結論はなんなんだ、と問いかけると、「そんなものはわかりゃしないさ。わかっていれば、こんなストーリーは書かないよ」と、ニンマリ笑った。気がつけば、朝になっていた。__
2019/12/27
■男の中の男たち

「おしゃれェ」。新宿のピーコ姉さんは、この一言でなんでも片づけてしまう。渋谷ギャルの「かわいィ」という呪文と同じ力をもつ。
ピーコ姉さんは、ゲイだ。新宿ゲイ仲間の姉貴格。三越裏の日本初のスーパーマーケットの化粧品売り場の主任でもある。
「どっちが本業?」と、聞いた。「私?私は、ただの美しき人よ」、意味不明の返事をして「フン」とソッポを向き、艶っぽく睨んだ。背筋を冷たいものが流れる。
「おまえ、今日、天ぷら食べに行くよ」。ピーコ姉さんは、突然誘う。こっちは苦学生で、ロクなものを食っていない。喜んで「ごっつぁん」と、誘いに乗る。だからといって、私はゲイでもオカマでもない。なんでも、故郷広島に残してきた被爆した弟に、私が似ているという。罪滅ぼしのつもりなのか。天ぷら、トンカツ、寿司、ステーキ、あれこれご馳走してくれた。
いつも一流店だ。東京オリンピック以後「ゲイは稼げるのよ」と、意味深に笑う。スーパーの給料も入るので金回りはいい。
商店街には、梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」と舟木一夫の「高校三年生」が交互に流れている。合宿が終って年末のバイトをさがしている私に、父の友人の安次郎さんが「うちの店で働きなさい」と、誘ってくれた。それが新宿のスーパーだった。
天ぷらを食べながらピーコ姉さんは「男は、おしゃれに生きなきゃダメ」と、兄貴ぶった説教をたれる。天ぷらの手前、黙って素直に頷く。話によると、安次郎さんはその昔「人斬り安」と呼ばれ、任侠の世界で畏れられた存在だったという。新宿のその店が関東尾津組尾津喜之助氏の経営だったから、ああなるほどな、と納得する。
だが、小柄で無口、やさしく控えめな目をした安次郎さんからは、人斬りなどとても想像できない。
ある朝、安次郎さんが幼い娘の手を引いて公園を歩く姿を見かけた。娘を愛するただのお父さんの姿だ。「尾津組の特攻隊長よ。親分のためにはいつでも命を捨てる人。もう、組は解散して全員堅気になったから、今はやさしいお父さん。あの人こそずっと男のなかの男よ」。
石原裕次郎の日活ヤクザ映画にのめりこんでいた私は、不良っぽい生き方に憧れる気持ちもあって、安次郎さんの暗い裏側に潜む侠客魂にひどく魅かれた。大晦日の夜、喜之助さんが店にきた。今は堅気となったが、これまでに見たこともないとんでもない貫禄だ。巨大なオーラに飲みこまれる。
180センチを超える長身、渋茶色の着流し。店頭で、安次郎さんをはじめ昔の子分たちが、ズラリと頭を下げて道を開く。彫刻家が荒く削ったようながっしりした容貌、皺の奥の瞳は鋭く、海のように深い。かつて、アメリカ進駐軍の最高司令官マッカーサー元帥をして「日本のアル・カポネだ」と、唸らせた風格は健在だ。
段ボールを担いでバッタリ出会った私は、あわてて荷物を下ろし、頭を下げる。「空手の達人とは、この青年のことかい?」。喜之助さんが私を眺め、次に横にいる安次郎さんに目を移す。「ええ」。安次郎さんが頷く。「一度、空手を見せて下さいな」。喜之助さんは笑みを浮かべて私に言い、懐から大きな皮財布を出し、一万円札を一枚差し出した。驚くと同時に、私は戸惑った。当時、一ヵ月働いたバイト代が二万円ちょっとだ。どうしよう。安次郎さんをうかがうと、もらっておきなさい、と小さな笑みを送ってくる。
もっと驚いたことに、喜之助さんが去った後、改めて一万円札を握るとツルッと滑った。札は二枚重なっている。ピン札だから重なっていることに気づかなかったのだ。返さなくちゃ。喜之助さんは、二枚くれたんじゃない。一枚のつもりだ。急いで安次郎さんにもっていく。「ありがたくもらっておきなさい」と、笑った。年齢を重ね、後ろを振り向く私に、男の中の男たちが今も笑っている。
2019/12/23
三谷幸喜が消えた

「てえへんだ、てえへんだ、おい、大家いるかい?」。いろは長屋にバタバタ足音がする。「なんだいクマさん、朝っぱらから乱暴だね。まあ大変はわかったけど、家に上がるんなら、下駄くらい脱いだらどうなんだい」。日当たりのいい縁側で、猫のタマを膝に乗せて大家さんが言う。「てやんでえ、こんな汚ねえ家、いちいち下駄脱いでられるかってんだ。だいいち足が汚れちまわあ」。「人んちにきてえらい権幕だな。まあいいや。で、いったいなにが大変なんだね」。「それよ、忘れてた、もう帰ろうかと思った」。「相変わらずそそっかしい男だね」。「八の野郎のことだ」。「おお、八さんな、もう一人のそそっかしいほうな。で、どうしたね?」。「三谷幸喜が消えたってんで、もう大騒ぎよ」。「三谷幸喜って、あの三谷幸喜かい?」「あのってなんでえ、あのに決まってるじゃねえか。ほかにあんな頓珍漢がいるか?」「作家先生をつかまえて頓珍漢はひどいね。で、頓珍漢先生が消えたって、どういうことだな?」「いやね、八の野郎、バスの中に本忘れやがった」。「おや、それは大変だ。話してごらん」。「八のやつ、仕事で東急23系統バス使ってんだ、ほら、祖師ヶ谷大蔵から渋谷に行くバスな」。「うん、知ってる」。「そのバスに本忘れやがった。これが、図書館で借りた大事な大事な本だ。三谷幸喜な。やつ、三谷幸喜の頓珍漢ぶりが大好きなんだ。昨日からショックの余り、もう生きていられねえ、死んじまいてえって、布団かぶって泣いてやがる」。「そりゃ大変だ。で、遺失物係には届けたのかい?」。「あたぼうよ、八だって、ガキじゃねえ。それくらいできる。蝉じゃあるまいし、泣いてばかりはいられねえってんで、弦巻の遺失物係に電話した」。「えらい」。「まあ、それくらいはな。ガキじゃない。蝉じゃない。ところが、やつは、前にも図書館の本失くしてる。老子の本な。で、いまは自分の図書館の貸し出しカードがなくて、カミさんの借りてる。だから、カミさんに本失くしたなんて言えねえ。大家さんも知っての通り、八のカミさん、おのりちゃんな、ありゃ鬼だからな。かわいい顔してるが、ありゃ間違いなく筑波産まれの鬼だ。筑波山も忙しいや、四六のガマ産んだり、鬼産んだりな。ま、あの鬼、料理の腕はいいが、皿なんか飛んでくるし、飯食ってる最中にオカズの入ってる皿もってちゃって、流しで洗っちゃうんだぞ。八の野郎、箸を宙に浮かせたまま、もう涙目よ。気が向かなきゃ、返事もしねえ。八がテレビで韓国ドラマ見てても、平気でバチバチチャンネル変えるしな」。「鬼にしちゃ美人だ。明るいな」。「それが世間を欺く筑波の鬼のやり方よ。というわけで、本のことなんか、とても言えねえ。それにな、抜けているのは間違いなく八だ。その日に限って、上町でバス乗り換えた。上町まで等々力操車場行で行って、上町発渋谷行に乗り換えた。始発で座れるからな。だから、どっちのバスに忘れたかわからねえ。八のやつ布団の中で、三谷さんすまねえ、幸喜さんお許しくださいって、もう飯も喉を通らねえ」。「一応警察にも届けた方がいいな。世田谷全域に目を光らせてくれるだろう」。「そう、さっき届けた。桜丘の番所な、平次親分のとこな。さすが警察だ、ほら大家さん、見てみろ、表が明るいだろ、ありゃ警察の目が光ってるからだ」。次の朝、「いた、いたいたいた、大家さん、三谷幸喜がいたぞ」。貧乏長屋にバタバタ足音がして、クマさんが吹っ飛んできた。「大家さん、頓珍漢がいたぞ。本が見つかった」。横で八さんが頭を掻いている。「おお八よ、よかったな。世間にはいい人もいるな」。この話は事実です。世田谷警察で昨日無事本を受け取りました。めでたしめでたし。
2019/12/23
平成の黒船か?

「先生、先生、大変だあ」。赤坂氷川下海舟邸は坂の途中にあって、玄関は道路から少し上がった所にある。こだわりのない海舟らしい質素な門構えだ。その日、一人の男が息せき切って、玄関前の石段を転がりながら飛び込んできた。
「なんでえ、朝っぱらからけたたましいな。大変は、熊公の専売特許だぜ」。海舟は、庭に面した縁側で書を認めている。「おい、遠慮はいらねえ、こっちへ回んな」。海舟は座り直し、庭の木々に目を移す。
梅が終わり、桜花がピンク色に膨らみ始めている。本居宣長の言うように、美しさと強さを併せもつ桜花は、武士の象徴だ。「日本人も弱くなったものよ」。海舟の口から、フッと溜息が漏れる。「腰抜けばかりになってしまった」。「あ、いたいた、先生、お帰り」。ぬっと長い顔を見せたのは、廻船問屋伊勢屋の倅だ。
「おう、長次郎かい。昨日長崎から帰った」。海舟は言い、「お民、茶をくれ」と、奥の部屋の女房に声をかける。そして振り返り、「で、なにが大変なんだい?吉原通いがばれて勘当でも食らったかい?」と、笑う。「いえ、今度はちがう、今度はむずかしい。いろは長屋の知恵じゃ無理だ。軍艦奉行の先生でなきゃ」。「大家さんが聞いたら怒るぜ」。「黒船よ黒船、平成の黒船だ」。「なんでえそりゃ?」。「アメリカの新大統領、ほら、歌留多とかいう野郎、犬も歩けばボーとしてる、猫にコンバンワ・・・」。「ははは、そりゃトランプじゃねえか」。「アメリカじゃそうだが、日本じゃ歌留多だ。野郎、TPPをぶち壊した挙句、二国間自由貿易なんてぬかしやがる。どうちがうかわかんねえけど」。「そりゃむずかしいな、そうか、おめえんとこ貿易商だな」。「親父なんかわけもわからないまま頭抱えて寝込んでら。ここは一つ孝行息子としてなんとかしたい」。
「ががが、そりゃ大変だ」。座敷の奥から不気味な声が響く。長次郎が首を伸ばしてのぞきこむと、床の間の脇でこちらに背を向けて、一人の侍がごろりと寝転んでいる。「わ、汚ねえな、でっけえな、先生、あのマグロみたいの、ありゃなんだ?あらら、マグロが尻掻いてやがる」。「ははは、俺の弟子でな、土佐の坂本ってんだ。長崎からいっしょにきたのよ」。「へえ、土佐の坂本ねえ。え?先生、もしかしたら、リョ、龍馬?坂本龍馬?」「ほう、知ってるかい。龍馬、おまえさんも有名になったもんだ」。
「ががが、おい、そこの女形」。マグロが寝転んだまま大声で叫ぶ。「歌留多じゃがの、うっちゃっとけ。やつの狙いは単純じゃき。孫子の兵法、相手をガサガサ揺さぶって、自分のペースに引き込む、主導権をつかむ。それだけじゃき」。「先生、そうなの?孫子の兵法?うっちゃっとけばいいの?」「そうだな、龍馬の先読みは、俺より正確だ」。ボリボリ頭を掻き、龍馬が起き上がる。
「まず、歌留多の顔を立てる。大老安倍守は小器用じゃき、無難に収めるだろうさ。歌留多野郎、友だちがいねえ上に敵ばっかり作る。武道の奥義は、敵を作らねえこと、敵を味方にすることじゃき。味方を敵にするなんざ最も愚かなことじゃき。安倍守が友だちになる。いいことじゃき」。「でも、歌留多は傍若無人な男です」。
「ががが、野郎もバカじゃねえ。利口でもねえが、そんなことは百も承知じゃき。損得に敏感だ。下手は打たねえよ。まあ、オタオタしないで手の内拝見じゃい」。「先生」。「その通り、親父にもそう言ってやれ。そうそう長次郎、俺んとこに龍馬がいることは内緒だぜ。幕臣の俺が土佐者を居候なんて笑い話じゃ済まん」。海舟が指を立てる。
「龍馬、ごろごろしてるのも飽きるな、釣りにでも行くかい?」。「いいですねえ先生、でも、江戸湾にクジラはおらんな」。世の中騒々しいほど、優れた人材が必要だ。
2019年12月20日 金曜日 15時20分56秒
■おもしろ言葉に、ご用心


「へったくれ、へったくれ、どっかにないか、へったくれやーい」。「おや、団五郎、なにをブツブツ言ってるんだい」。「あ、源内先生、ちょうどよかった。ね、先生、教えて」。
普段の暮らしの中で何気なく使ってる言葉に、なにやらおもしろいけれど、意味不明な不思議な言葉がたくさんある。団五郎は、その一つが気になって仕方がない。
「なんだい?」。旅役者団五郎の汗にまみれて白粉が乱れ、崩れかけた土蔵のような不気味な顔を、源内は覗きこんだ。「いえね、先生。ここんとこ客の入りが悪くて、こうしてビラまいてるんですが、みんな忙しくて、芝居もへったくれもあるかって言う。思わず、へったくれくらいあるわさ、と言った。そしたら、なに、へったくれがあるって、あるなら見せてみろ、こう言いやがる。先生、へったくれって、どこに行けばあるんだ?」。
「はははは、それで、へったくれ、へったくれってブツブツ言ってたのかい」。「そう、土用丑の日ウナギの日って、日本最初の広告コピーを作った先生なら、へったくれくらい知ってるな。へったくれって、食い物か?うまいか?」。なるほど言われてみれば、へったくれの語源は、不明だ。源内は思った。「そうよな、へったくれの語源はよくわかってないな。食い物ではない。まあ、取るに足りないものとか、どうでもいいようなこと、の意味だな」。「へえ、そうか、意味はわかった。語源がわからない言葉もあるんだなあ」。
「一説には、大阪弁で、ヘチマのまくれたの、それをへったくれと言うそうだ」。「なるほど、そりゃ取るに足りない。先生、考えてみると、そんな言葉ってけっこうあるね。たとえば、生憎の雨なんていう、生憎な、それとか、埒が明かないってのもよくわからない」。生憎の雨の「あいにく」。これは、古代語の「ああ憎らしい」という言葉が転訛したものだ。「ああ憎らしい」が「あや憎し」になり、それが「あいにく」となった。「ああ憎らしい雨」が「あや憎し雨」になり、「あいにくの雨」となった。「聞きゃあ、なるほどと思うけど、いい加減だね」。「普段使い言葉は、言いやすいように変化していくものさ」。「渋谷ギャルのハショリ言葉をバカにできないね」。「そりゃそうさ、いつの時代でも、だれでも言葉をハショッてきた。人と水は、低い方に流れるものさ。だから、用心してかからなくちゃいかんな」。
埒が明かない。これは、春日神社の祭礼の前の晩、まだ入っちゃいけないと、埒という馬を囲う柵を作った。翌朝、その埒が明くと、みんな入ることができた。埒が明かないというのは、始まらない。埒が明くというのは、始まるという意味だ。
「埒って馬の柵のことか。なるほど、聞きゃあわかる」。イナセってのが、ボラの子どもの背中「鯔背」ってのもおもしろいだろ?「え、あの粋で、かっこいいイナセが、ボラの子どもの背中?先生、そりゃどうしてよ?」。魚河岸の若い衆のかっこいい髪型が、ふと見るとボラの子どもの背中「鯔背」に似ていた。そこでこの髪型を「いなせいちょう」と呼んでいたが、そのうち、若い衆の粋や、かっこよい様子をイナセと言うようになった。
「先生、おもしろいな。言葉って、ずいぶん古くからあるし、意味があるし、時代とともに変化していくってのがいいね。言葉は、生き物だね」。「団五郎、いいところに気がついた。言葉は生き物だ。だから、ひとの心に響くんだよ。おれたちは、生きてる言葉を生きたまま話さなきゃいかんのさ。言葉を死なしちゃダメだ。とくにあんたは役者だしな」。
そろそろ話しに「けり」をつけよう。「けり」は、俳句の作法、完了の助動詞からきた。「赤とんぼ 筑波に雲も なかりけり」(子規)の「けり」。本日は、このへんで終わりに「けり」。



2019年12月20日 金曜日 14時36分14秒
■「拳と花」


朝靄をついて剣を振る。男は着流しである。春とはいえ、早朝の鎌倉は、まだ肌寒い。男の額にうっすらと汗が浮かぶ。抜きうちで一文字になぎった剣を、上段に流す。上段から唐竹割りに振りおろす。一陣の風に似た動きに、朝靄がゆらりと揺らぐ。剣を静かに鞘に納める。目前の虚空の敵に心を残し、ゆっくりと息を吐く肩に、一片の赤い花びらがハラリと落ちた。剣が触れたか。腹を切る剣が、花を散らしたか。目を閉じ、剣の道を漂う男。作家立原正秋は、こんな男ではなかったろうか。立原の代表作「剣と花」から、そう想像する。朝鮮人の母をもち、死の直前まで朝鮮名を日本名に変えなかった。中世日本に美と精神の本質を求め、だれよりも日本人の誇りを大切にした作家。「あれは、真の武士道ではない」と、三島由紀夫の自刃に唯一苦言を呈したのも立原だ。
今回のタイトルは、立原の「剣と花」から借りた。友人Mは、頭のよい男である。類まれな頑固頭で、筋の通らぬことには、けして首を縦に振らない。有名大学で学び大手企業に務め、やっとさまざまなものから解放された。理解力、分析力に優れ、脳回転がよい。人生に謹厳であり、なにより人間が上質である。
そのMが言う。「空手ってやつは、中途半端でいかん」。われらは、経堂駅前のパブで飲んでいる。「ほう、そうきたか」。友人の顔を、私は見る。私が空手二段で、いまも学生たちに指導していることを承知の上で、彼は言うのだ。「どこが中途半端だ?」。「あの寸止めがいかん」。そう言う。
空手は、試合において、拳を相手に打ち込む「フルコンタクト」と、当たる寸前で拳を止める「寸止め」がある。ルールである。「寸止めがいかん」。「なぜ?」。「空手の本質を失っている」。そうきたか。彼は、青春時代にサッカーを経験したスポーツマンだ。だが、武道については、「通りすがりの旅人」である。勉強家の男だから造詣は深いが、「旅人」に過ぎない。
こちらはといえば、青春を武道に賭けてきた。武道を体で知り、肌で感じ、魂に刻んできた。「柔道は、まだ本質を残しているが、空手は本質を失っている」。Mの言葉には、二つの疑問が含まれる。一つは「空手の本質」、一つは「寸止め」だ。「空手の本質」問題に答えることが、「寸止め」問題の解答ともなる。「柔道と空手を並べるが、その本質がちがう」。Mに言う。柔道は、「格闘」を本質とし、空手は、「殺戮」を本質とする。空手は、殺人の技だ。空手の基本技は、敵を殺すための「突き」「蹴り」の二つ。単純だ。同じ武道でくくってしまうが、柔道とは本質がちがう。「だから、困ったのは、スポーツ化するときだ。殺戮を本質とする空手をスポーツ化する。矛盾が起きる。矛盾だらけだ。スポーツに殺戮はない」。あの柔道でさえ、スポーツ化に手こずり、大きな犠牲を払った。空手は、もっと大きな犠牲を払わなければならない。「本質からどんどん離れていく、ということかも知れない」。
だから、空手界には二つの理念が並立する。あくまでも武道としての空手を重視する武道派。スポーツとして広くひろめようとするスポーツ派。武道とスポーツがその本質を異とするように、現在の空手界には二つの異なる奔流が渦巻く。そこには、道場を運営する経済問題やさまざまな壁が立ちはだかる。
「寸止めのほうがむずかしい」。私は言う。「当てるほうが楽だ」。武道派とスポーツ派。フルコンタクトと寸止め。「双方に言い分があり、どっちも正しい。選択は自由だ。だが、学生には、道場の稽古では武道空手を教え、試合ではスポーツ空手をやらせている」。
Mが理解できたかどうか不明だ。「剣と花」の両方に美学を求める日本人。殺人拳は、活人拳でもある。散る花に、永遠の美を観る。日本人は、矛盾の奥に本質をさぐることができる。



2019年12月20日 金曜日 14時34分48秒
■銀座の風が、笑った


ギター、バーテン、喧嘩。その頃の青春の条件だ。
進学校なので3年になると受験のために部活を辞め、授業が終わるとみんなそそくさと塾や図書館に向かった。
だが、私の足は銀座に向かう。銀座八丁目資生堂裏、バー「A」。私はそこで、バーテン見習いのアルバイトを始めた。受験費用を稼ぐという名目だったが、青春の条件を体験したいというのが本当のところだ。バーテンの宮坂さんは、高校生から見ると、型にはまった学校の先生とは違って、自由で人間味にあふれ、素晴らしき大人に見えた。
ポマードできちっと固めた髪。糊のきいたハイカラーワイシャツ。きりっと締めた舶来のネクタイ。穏やかな笑みを絶やさない。映画スターが尻尾を巻いて逃げるほどの甘いマスク。シェーカーを振りながら見せる艶っぽい表情やグラスに酒を注ぐふるまいは、爽やかだ。宮坂さん目当ての女性客も多く、周辺の喫茶店やショップにも女性ファンがたくさんいた。
学生時代は山岳部で、先輩や同輩も常連客だった。気心知れた仲間同士の熱き友情は、見ていて気持ちのよいものだった。
ママは、和服の似合う小柄で上品な人だった。お客の話に耳を傾け、小首をかしげる風情は、いかにも一流の銀座のママといった趣で、息を飲むほど美しかった。カクテルのつくり方、お客との会話のコツ、言葉遣い、目と気の配り方を宮坂さんは厳しく教えてくれた。「受験には役立ちそうもないけれど、人として大切な勉強ね」。そう言って、ママが笑った。
4時に店を開け、掃除。終わるとウェイトレス三人分の夜食を作る。もやしを毎日炒めること。宮坂さんはそう言い、毎日味見をし、「30点だ」と即座に評価した。100点取れたら、どんな料理でもできる、と言う。だが、宮坂さんは最後まで100点をくれなかった。店の前に「コンパル」という美人喫茶があった。香港女優がゲストで来店し、大騒動になった店だ。裏口がバーの前にあって、ゴミ袋を抱えた美人たちとよく顔を合わせた。「宮坂さんに渡して」と、小さく折った手紙を押し付ける美人がいた。「お礼よ」と、500円札をポケットに入れてくれた。当時の日給が、500円だった。銀座から下落合までのタクシー代も、500円だった。有名銀行の新橋支店長が、「趣味の絵が売れたので、はいチップ」と配ったのも、500円だった。
有楽町駅前に日劇があって、ダンシングチームの踊子たちが、客とともにやってきた。淡い記憶だが、若き倍賞千恵子や三田佳子がいた。踊子を連れてくるお客の分厚い財布には、目玉が飛び出るほどの札が詰まっていた。気前のいい人で、「この娘たちは、必ず大女優になる」と、高いカクテルを次々に注文し、子どものように笑う。
輸入洋酒を扱う牧さんは、バリッとした外国製スーツに身を包んでいるが、どこか崩れた感じだ。「これ、飲めや」と、ヘネシーやジョニ黒を飲ませてくれた。「親父にも飲ませたい」と言うと、あるとき、「これ、もってけ」と、新聞紙にくるんだオールドパーをくれた。その頃まだあった八丁目の運河脇で、元ボクシング世界チャンピオンのSと立ち話をしただけで、「やつは本物のヤクザだ。つき合うんじゃない」と、本気で怒った。「いまこそ足を洗ったけど、昔はちょっとした顔だったんだ」。宮坂さんが、ボソリと牧さんのことを言った。牧さんの左手の小指はない。銀座と下落合では、同じバーでもまるで雰囲気が違った。土地柄だと思って、宮坂さんに尋ねると、「店は人がつくるもの。とくにお客さんが店をつくってくれる」と、教えてくれた。
4月初旬、週末、雨上がりの黄昏、銀座八丁目資生堂前。若い娘に寄り添って歩く白髪の紳士がいた。宮坂さんだとすぐにわかった。「ゆっくり恋のできる齢になった」。宮坂さんはそう言い、風のように笑った。



2019年12月19日 木曜日 16時33分20秒
■「諸行有情」の響きあり


「諸行無常。仏の言葉だ」。携帯電話の奥の声が言う。
狛江駅前のカフェテラス。山笑う季節。頬を過ぎる風が爛漫の春を告げるが、突然夏日が襲いかかる。まさしく今日はそんな日で、正午の陽ざしがシャツの袖をまくった腕を焦がす。
慈恵医大附属第三病院に入院の友を見舞った帰りだ。ゆっくりとコーヒーを味わう時間はある。さほど広くないテラスに6つの白いテーブルがあって、そのうち2つが陽ざしの中で眩しく輝き、2つが赤い日除けシートの日陰にうずくまっている。残りの2つのテーブルは、光と陰を半々に受け、陽ざしをあびて輝く部分に街路樹の影が揺れている。いま、そのテーブルにいる。
隣の日陰のテーブルには、若い美しい女性がいる。濃紺のスーツに身を包んだ毅然とした女性だ。脇の椅子に黒いバッグを置き、しきりに手帳になにかを書き込んでいる。営業の途中なのだろう。
最近、渋谷でもスーツ姿の若い女性をよく見かける。けなげで切ない気もするが、それは昭和の古い男の発想だろう。「そんな同情は真っ平よ。私は、のびのび働いてるわ」。そんな声が聞こえてきそうなハンサムウーマンだ。得意先と話しているのだろう、携帯での会話もてきぱきと歯切れがいい。女性は、男性の代わりに働くのではなく、女性の特質を存分に活かし、社会の中で独自の地位を築くべきだ。いまはまだ男性社会だから力を発揮しにくい面も多いだろうが、新しい時代はすぐにくる。
時代は、川の流れのように留まることなく流れている。顔を上げ、広がる青空を見る。絵に描いたような五月晴れだ。南の方角、多摩川上空から丹沢上空にかけて、筆で払ったような雲が流れる。「雲は天才である」、という石川啄木の言葉をフッと思い出した。啄木の本意をくみ取れないまでも、座右にしたい大好きな言葉だ。「雲のように生きたい」。そう願う。
あるとき、妻にそのことを言うと、「風が吹いたら、流されちゃうわよ」と、冷たく言い返された。「どうぞ、どんな風にも喜んで流されましょう」と、答える。「風に吹き飛ばされて、消えちゃうわよ」と、続けて言う。「いいさ、翌日また現われるよ」。そう答える。妻は、キッチンであきれ顔をする。雲は、あらゆる風に逆らうことをしない。だれの意見にも逆らうことなく、耳を傾ける。老若男女を問わず、善人悪人を問うこともなく、だれにでも、雨となって降り注ぐ。木にも花にも動物にも、すべての生命に寄り添い、恵みの水となって生命を育む。そんな人間になれるだろうか。
「雲は天才である」。啄木こそ天才だ。「諸行無情」。携帯電話の奥でそう言うのは、空手の師であり、人生の師でもあるJ先輩だ。癌を発症し、あっという間に15キロも体重を失った友人にかける言葉もなく、途方に暮れてJ先輩に救いを求めた。情けないが、白秋を過ぎ玄冬の歳になっても、弱音を吐きたいときがある。そんなときに頼るのは、J先輩だ。「切ないものです」。力なく呟く。「諸行無情。だからこそ、諸行に有情が必要だ」。剣豪武蔵が「五輪書」でいう「空」とはそういう意味だ、とも言う。「空」は「無」ではない。「空」には、無限の存在がある。たしかに生命は、神に与えられた時間に過ぎない。儚いかな、すべての生命は無常である。仏はそう言い、返す言葉で、「永遠の生命」を説く。
この両者の矛盾にこそ、「人間の英知がある」と説く。「諸行有情。諸行に情あり。人間に与えられた英知だ」。J先輩の言葉が、冷えた心に熱く沁みる。「風の声に耳を澄ましてみろ。諸行有情の響きありだ。まず、お前が友のためにどっしり構えることだ」。アイスコーヒーの氷に光が当たり、一瞬虹ができ、次の瞬間、消えた。雲が流れる。空は、永遠だろうか。明日また、友人を見舞おう。



2019年12月19日 木曜日 16時32分36秒
■ぼく、おれ、わたし、わし、じぶん


迷いの困惑か、繊細の美学か。ときどき、自分を「I」の一文字でかたずけてしまう英語が、うらやましいと思う。日本語では、自分を「ぼく」「おれ」「わたし」「わし」「じぶん」と、立場や状況に応じて、さまざまに使い分ける。それを生み出した日本人の繊細な感性には感心するが、いざ使う段になると、これが実にわずらしい。
作家や翻訳家は、その使い分けを楽しんでいるのか、苦しんでいるのか、金田一先生のご高説を拝聴したい。
「ぼく」と「おれ」「わたし」と「わし」と「じぶん」、どれを使うかによって、読み手に与える印象がまったく違う。言葉として最初に覚えたのは、「ぼく」だった。女の子なら、「わたし」とか「あたし」が普通だったが、東京育ちの男の子は、「ぼく」が普通だった。「おれ」は、ワイルドだし、使い方によっては乱暴だ。わが町下落合で、どこの家よりも早くテレビを買い、毎週水曜日に町のみんなにプロレスを見せてくれた、水野くんのような裕福な家の息子でも「ぼく」を使い、裕福ではない家の息子のぼくでも、同じように、「ぼく」と言っていた。「おれ」を使うこともあった。隣町の不良と対決したり、相手を威嚇したいときは、「おれ」を使った。強い男と見せるためには、「ぼく」より「おれ」のほうが似合った。
魚屋のゲン坊のように、いつも「おれ」だけを使う子もいた。イキのよさを売り物にする魚屋には、「ぼく」はたしかに甘すぎる。魚が腐る。「おれ」というワイルド感、スピード感、野性味のある言葉のほうが魚屋にはよく似合う。それは無礼でも、不親切でもなく、歯切れのいい言葉として聞こえた。
水野くんは「ぼく」で、ゲン坊は「おれ」が似合う。言ってみれば、ぼくのような中途半端なキャラクターの男が、「ぼく」だか「おれ」だか迷うのだ。
「わたし」というのは、女の子か大人が使ってふさわしい言葉だ。大人が使うと、相手との距離感がきちんと保て、礼儀正しく、響きも美しい。「ぼく」に対する言葉は「きみ」だし、「おれ」に対する言葉は「おまえ」だ。「わたし」に対する言葉は「あなた」だから、「わたし」という言葉には、相手に対する敬意が十分に含まれる。敬意を含む言葉は美しい。美しいが、いざ、ストーリーを書く場合、妙に大人びてしまう。心の距離感がありすぎて、感情移入がしにくい。もどかしい。心の距離感からみれば、「ぼく」「きみ」よりも、「おれ」「おまえ」のほうが近い。親密だ。
古い話だが、海軍予科練に、「きさまとおれとは、同期の桜」という歌がある。この「きさま」と「おれ」には、距離感がない。死ぬも生きるもいっしょだという覚悟があって、心の距離感なんかない。そんなとき、「きみとぼくとは同期の桜」とか「あなたとわたしは同期の桜」などと歌っても、とてもいっしょに死のうという気持ちにはなれない。親密さは、乱暴さにつながる。言葉は、相手との心の距離感や、状況に応じて選ぶのが正しい。
学生時代を運動部で過ごしてきたぼくにとっては、「じぶん」という言葉が非常に使いやすかった。その言葉には、謙虚さがあった。先輩に対しては、「ぼく」や「わたし」ではなく、「じぶん」という言葉が失礼ではなかった。ところが社会人になると、「じぶん」はちょっと不思議な存在になった。思えば、自衛隊とか警察官とかヤクザモンは、「じぶん」を使うのではないか。自分を「じぶん」というのは、謙虚さだとか、へりくだった響きがあるが、どうやら強力な組織に似合うのであって、一般社会には不自然だ。使うのを止めた。四つの季節の微妙な美を愛する日本人は、自分を表す言葉一つをとっても、複雑なほど美しい感性をもっている。少々面倒くさい人種だけど、まあ我慢しておこう。



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