高野耕一のエッセイ

2020/01/07
■ リオデジャネイロに乾杯

開会式直前になっても、会場のあっちこっちがまだ工事中。間に合うのか、大丈夫かとテレビや新聞が報道する。
「だいたいがブラジルって国はズボラよ、だらしないのよ」、「歌って踊って酒飲んでりゃそれでいいって国だ」、「あの国なら開会式を延期しようなんて、前代未聞のことを言いかねないね」、「下手すりゃ中止にしようなんて言うかもしれないぞ」、と鼻先で笑う者もいた。几帳面な日本人には、とても想像できないことだ。許せないことだ。だが、無事に間に合った。えらいぞ、ブラジル。(えらくない、当たり前のことだ)。
開会してからも、いろいろ問題があった。飛び込みのプールの水が、突然緑色に変色した。選手たちが、「目が痛い、変な匂いがする」、と騒ぎ出した。「放っておけば直るよ」、と関係者は対応しない。「適当に薬を撒いておけよ」、と実にのんびりしたもの。そのうち、あんまりウルサイので、しぶしぶ水を入れ替えた。選手たちが強盗や泥棒に遇った。拳銃をつきつけられた選手もいた。日本なら、国の恥、国家の一大事とばかりに血眼になるところだ。ところがあちらときたら、「あら、そのくらいで大騒ぎしなさんな」、という感じで太った警官が現れ、「盗まれるほうが悪い」、といわんばかりの鷹揚さ。(テレビのニュースで観ただけの感想ですが)。のんびりしたものだ。
選手村の部屋のシャワーのお湯が出ないなんて、かわいい話だ。だが、開会式をはじめ、テレビを観ているうちに、この国の人々がだんだん好きになった。太陽のように明るく、陽気だ。無邪気で、あたたかい。けして優等生には見えない。約束を守らなくてもケロリとしているようで、それはそれで「ま、いいか」、なんて許せそうだ。
年がら年中お祭り気分で、朝から酔ってなにか口ずさんでいる。ズサンでものぐさなところが、どうやら自分に似ているから、好きなのかも知れない。
それにしても、日本選手たちは、頑張った。できすぎだ。お見事と何度も何度も拍手を送った。金メダル12個、銀メダル8個、銅メダル21個。メダル合計41個は、過去最高だ。日本て、凄いと思った。アジアの東の果ての小さな島国が、リオデジャネイロの主役となった。日本人てえらいなあ、と喜びの吐息をもらした。(わたしが日本人だから、余計にひいき目に見ている)。だが、待てよ、と考えた。メダルを獲ったのは、わたしではない。選手たちだ。選手たちは、想像を絶する努力を重ねた。わたしは、なんにも努力していない。選手たちの家族や関係者も、ともに尋常ではない努力をした。メダルは、その凄まじい努力の成果であって、努力をしていないわたしには関係ない。日本という国も関係ない。もちろん、オリンピックは国をあげてのイベントだし、選手たちは国を背負っている。国はなにかと便宜を図ってきたから、まったく関係ないとは言わない。金メダルを獲れば、国旗が掲揚され、君が代が流れる。そこで短絡的に、「日本は凄い」、「日本人はえらい」、と思ってしまう。選手たちが凄いのであって、わたしが凄いわけではない。日本人全部が凄いわけではない。
そういえば、日本人がノーベル賞をもらったときも、「日本人はえらい」、と言われると、「自分がえらい」、と愚かな思い違いをしてしまう。日本には、そういう凄い人がいるのであって、みんなが凄いわけではない。世界の人々は、「日本は凄い」、「日本人は凄い」と思いすぎていないだろうか。「日本人は、全員大金持ちだ」なんて、まさか思っていないだろうな。誤解だ。いやいや、考えすぎるな。やめよう。ここは一つ、素直に選手たちを祝福しよう。
リオデジャネイロに乾杯。マリオになって地球を突き抜けた安倍総理、ごくろうさまでした。
2020/01/07
■ じぶんとみんな

リチャード・バック作「かもめのジョナサン」が話題になったとき、こんなジョークがあった。主人公の天才かもめには「ジョナサン」という名前がある。では、「ジョナサン」以外のかもめをなんと呼ぶか? わからない。
教えて。はい、主人公は、「かもめのジョナサン」、それ以外は、「かもめのみなさん」。「・・・・・・・・・・」。じぶんとみんな。この関係は、世界中のじぶんが置かれている絶対関係だ。個と普遍。個人の価値観と世間の価値観。その間には常に大きな壁が立ちふさがる。いつの時代にも、作家たちはこの壁に挑み続け、弾き飛ばされてきた。
文学者も、音楽家も、画家も、彫刻家も、陶芸家も、ものづくりに生きるすべての作家たちの希望と絶望の壁。作家たちの前に立ちふさがる個と普遍の巨大な壁は、登山家たちが永遠に挑み続けるアイガー北壁だ。
じぶんの価値観とみんなの価値観のちがい。なにも作家だけではないことに気づく。壁は、ひとり一人、世界の人々の目の前に立ちふさがる。なぜ、わたしの心をわかってくれない、なぜこの気持ちがわからない。もどかしい。歯がゆい。やがて作家たちは、しょせん人間は孤独なものよ、わかり合おう、理解し合おうなんて考えること自体が間違っているなどと、尻尾をまいて自分の世界に逃げ込んでいく。
ところで、個人、自分てなんなんだ。普遍、世間、みんなって誰なんだ。職業柄なのか、ことばの意味や価値をひらがなでは考えにくい。漢字にして、意味を理解し、はじめてその価値が見えてくる。自分にしても、じぶんというひらがなではどうもピンとこない。「自分」と漢字にして、はじめてなるほどと思う。自分、自らの分、つまり他人の分とはちがう分。分とは、分けたものとか、分けた割合という意味だ。となれば、自分と他分、自分と自分以外の分ではちがって当たり前だ。壁があって当たり前だ。なのになぜ、壁に悩む。壁を乗り越えようとする。わかってもらおうと必死になる。
「個にして普遍」ということばがある。個人の価値観が世間の価値観と同じ、という意味で、これが理想だとされる。つまり、自分の価値観を世界中がそうだそうだと、やんやの拍手を送ってくれる。ゴッホの価値観に、世界中が喝采する。モーツアルトの価値観に、世界中が涙する。あり得ることか。いや、あっていいものか。そうなりゃそうなったで、個人の消滅という危機が生ずる。
世界平和は、個にして普遍、個人の価値観と世界みんなの価値観が同じでなければ実現しないのか。世界中のみんながゴッホを愛さなければならないのか。そうではない。ゴッホを愛するものたちがいて、セザンヌを愛するものたちがいる。モーツアルトに涙するものたちがいて、シューベルトに感服するものたちがいる。それが自然であり、それが現実的だ。壁があってもいい。壁を壊す必要はない。ただ、壁を壁にしない理性、知性、豊かさがあればいい。
金子みすゞは、みんなちがってそれでいい、といった。そこには、ちがうからいい、ちがうからおもしろい、ちがうから愛し合い、助け合うのだという思いがつまっている。ちがいをお互いに深く理解し、補い合い、楽しむ。壁があっていいんだよ、壁を楽しみなさい、そういっている。
坂本龍馬は、デモクラシーを自由と訳したかった。自由。自らをもって由となす。由とは、基準とか法という意味だ。じぶんが法律なんていえる人間がどこにいる。龍馬は、とんでもない天才だから、龍馬がいう分にはいい。だが、他のだれがいえる。残念だが、ジョナサンや龍馬のような天才でもないのに、わたしは自由だ、特別だと思っているものばかりで地球はできている。みなさん、自分の分で生き、他人の分を大事にしましょうね。
2020/01/06
■ どっちだ

最初は、「右の拳と左の拳は、どっちがえらいんだ?」、という話だった。空手のことだ。後輩のKも私同様、理屈屋で話し好き、すぐ哲学まがいの話になる。私は右利きなので、左手を敵の前に突き出し、右手を腰において構える。左手は、攻撃にも防御にも自在に使うので、右手よりも多く使う。理想は、剣豪宮本武蔵のように両手を同じように使うことだ。
渋谷の飲み屋にいる。「じゃあ、手の平と手の甲では、どっちがえらいんだ?」。酒が入るとだんだんわけのわからないことを言い出すのもいつものことだ。
「手の平は、自分のほうが働き者だと思って、きっと甲を恨んでますね。たまには
替われ、と思っているでしょう」。「だろうな、左手だって、右手よもっと働け、と言いたいとこだ」。これが哲学的かどうかわからないが、まあ哲学と政治は、食べ残しの米粒のように、暮らしのどこにでもくっついてくるものだから、ごく普通の与太話をしているだけ。
「右足を痛めましたよ」。Kが足の脛をさすりながら言う。空手では、脛は一番怪我の多い箇所だ。「へへへ、そうか、この未熟者が。俺なんか、片方の足だけに負担をかけないように、週に一度左足と右足を入れ替える、土曜日の夜にな」。隣のテーブルにいた女性グループが、こちらの話を小耳にはさみ、白目で睨む。これが嬉しい。近くのA学院の女学生だ。女性に好意をもってもらおうなどという無謀な欲などすでにない私は、白目だろうと、赤目だろうと、ちらりと見てくれるだけで胸が躍る。もはや、「街の恋より、川の鯉」、という年齢だ。笑ってくればめっけもの。
「先輩、右目と左目を入れ替えたら、モノが逆に見えるでしょうか?」。Kも、白目も、赤目も、へったくれもない年齢。「そりゃそうだ。そのまま普通に見えたら、お互いの存在価値がない」。ついに、女性の一人が吹き出した。嬉しい。これこそ、最大の喜び。「そういえば、先輩は、右翼ですか、左翼ですか?」。急に真面目な質問。よく聞かれる。うちの学校の名前が右翼っぽいのと、空手なんかやってるせいだ。「心は、右翼かも知れんな。だが、左翼の理屈もわかる」。「では、どっちです?」。「そうさな、右翼でもあり、左翼でもあり、右翼でもなし、左翼でもなし」。
「どっちです?」。「まあ、強いて言えば、中翼、ナカヨクだな。真ん中、みんな仲良く」。隣のテーブルが爆笑する。これでこそ生きてるってものだ。ここで、「お嬢さん方、ご一緒にいかがですか?」と言えないところが、すでにおじさんだ。いい加減飲んでから、帰りにラーメンで締める。駅前のいつものラーメン屋。そこでもまだ哲学は続く。
「父と母、どっちがえらい?」「自分はマザコンですから、母です。ですが、普通なら、どっちも同じじゃないですか?」。「そうだな、同じと言っといたほうが、もめないな。じゃあ、こうやって割ったラーメンの割り箸な、これ、右と左は、どっちがえらい?」。哲学でしょ。もう自分でもなに言ってるのかわからない。カウンターのなかで、大将がスープの鍋をかきまわしながら、話を聞くともなしに聞いている。腹のなかで、「へへへ」なんて、バカにしてる。「右でしょ」。Kが言う。「どうしてよ?」。「右のほうが働いています」。「そうか。俺には同じように思えるぞ」。二人でまじまじと割り箸を眺める。「なあ、大将」。スープ鍋をかき回している大将に、私は声をかける。「割り箸のことなら、大将のほうが詳しい。プロだ」。「いえ、割り箸のプロじゃありません」。「でも、教えて。こうやって割った割り箸、右と左、どっちがえらい?」。困ったなと、頭に手を当てる大将。そして答える。「それって、ラーメンに聞いてもらえます?」。私より、はるかに哲学者であった。__
2020/01/06
■ 「漱石朝顔」

やっと咲いた。漱石の朝顔。期待した純白ではなく、明るく、鮮やかな紫色の花が、たった一輪。ある朝、玄関の階段下の自転車置き場のプランターで、朝風にそっと可憐な花が揺れている。感動した。思わず声をあげて、かがみ込んだ。
感動には、理由がある。そうなのだ。この朝顔は、夏目漱石ゆかりの朝顔なのだ。そういうことにしてある。だから、咲いたらみんなで感動しよう、わざとらしいくらいに感動しよう、「よろしくね」、妻にも息子にもそう頼んである。
ところがこの「漱石朝顔」、いつまでたっても咲かない。頑固だ。パラパラと種をふり撒いておけば、朝顔ってカンタンに咲くものだ、とたかをくくっていたが、2週間経っても3週間が過ぎてもほんの申し訳程度に、5センチほどの芽を出しただけ。脇に立てた棒にいつ蔓を絡めるかと、胸を躍らせて毎朝眺めていたが、いいところでポロンと根っこごと抜けてしまったり、力尽きてパッタリ倒れてしまったり、花が咲くどころかいっこうに成長する様子が見えない。
「日当たりが悪いんじゃない」。妻はまるで他人事、心配する気配もなく、あっけらかんと顎で笑う。「なに、漱石だぞ、夏目だぞ、太陽なんか必要ない」。わけのわからないことを言っている自分が情けない。この朝顔の種は、西早稲田の広告会社のテラスに咲く、美しい純白の花の種をもらってきたのだ。テラスは5階にあって、眼下に馬場下町が見える。直接見えるわけではないが、地理的にはまちがいなくそうである。馬場下町から早稲田大学大隈講堂まで、バスで一駅、歩いても5分ほどだ。地下鉄の駅もあって馬場下の交差点は、賑やかである。学生やサラリーマンが多い。
夏目坂は、交差点にある。ゆるやかに東に向かって上る坂道は、昭和女子医大から市ヶ谷方面に続いている。夏目坂と名付けられていることからわかるように、小説家夏目漱石が、幼い頃ここで育ったという。近くに漱石縁の公園があり、新しい漱石記念館の建設が予定されている。つまり、この純白の朝顔は、日々、幼い漱石に想いを馳せながら咲いていたのだ、と強引に結びつけ、勝手に「漱石朝顔」と命名した。
不遇な環境のなか、純粋過ぎるがゆえに屈折した心をもつ漱石。その純粋な心を映すような、切なくも美しい、純白の朝顔。そう想うと、世話のし甲斐もあるというものだ。それが頑固に花を咲かせない。やっと咲いたと思ったら、白ではなく紫色。感動はしたものの、腑に落ちない。嬉しいけれど、納得できない。白い花の種で、なぜ紫色の花が咲くのか。そこのところがわからない。「そんなことってあるのでしょうか?」。折から通りかかったご近所の水野さんに尋ねる。「どうでしょう?土によって色が変わるのかしらねえ」。水野さんは、わざわざ自転車を止めて答えてくれる。「それとも、日当たりによって色が変わることもあるのかしらねえ」。うむ、たしかに紫陽花は、土の具合や日の当たり方によって、色が変わると言う。だが、これは朝顔だ。かといって、花の知識などまるでない。いやはや、なんとも情けない。
夏目漱石の作品では、初期の「坊ちゃん」が、とっつきやすく、読みやすくて好きだ。「坊ちゃん」の真っすぐな性格は、きっと屈折した漱石の憧れだ。「三四郎」くらいまでは、まだ気張らずに読める。だが、「こころ」や「草枕」になると、なにやら説教されているようで、「だからどうした」と、反発心が先に立つ。心が屈折しているのは、漱石ではなく、わたしかも知れない。
まあ、紫色でも花が咲いたからよしとするか。諦め半分、朝顔を忘れて数日。突然、純白の花が咲いた。漱石、やっぱりあなたは、いい人だ。智に働けば、角が立つ。情に竿させば、流される。「草枕」を、もう一度読み直そうか。
2020/01/06
■ 午後の死

へミングウェイの「午後の死」は、スペインの闘牛をドキュメントとして著したが、物語としても興味深い。1世紀近く前の古い話だが、ファンとしては永久保存版として書棚に置き、時に触れページを開きたい貴重本だ。「午後の死」に感動した写真家がスペインに飛び、闘牛をカメラに捉えた。
さっそくファンのK学院大学自然科学教授のAに連絡し、研究室で焼酎片手に写真の鑑賞会を開いた。「どれもいいねえ」。テーブルに広げた写真に見入る教授の脇から、「すばらしいわ」と、助手のC女史が感動の声をあげる。ロメロ、アントニオ、ミゲル、ロドリゲス、往年の名闘牛士を想わせる若きマタドールたち。その、死と隣り合わせの、命を賭けた究極美が深いモノトーンで、A4サイズの印画紙に焼き付けられている。汗の迸るアップの表情の、死の恐怖を超えた者だけがもつ潔さが美しい。深紅のケープが風を呼び、それが死への誘いとは気づかず、黒い戦車と化した牛の聖き突進。興奮の極致に酔い、立ち上がり、腕を掲げ、振り回し、絶叫する観客。気を失って連れの男の腕に倒れこむ女。ハンカチを顔から離せない女。黒い戦車の写真からは、荒々しい息遣いが耳に届く。大地を揺るがす、重量感に満ちた脚音。「あ、これ、いいわ」。C女史が1枚の写真を取り上げ、教授に示す。「ほう、いいね」。教授が写真を受け取り、目の高さに掲げ、手を伸ばし、眼鏡をもち上げる。手を縮め、眼鏡をずらし、「うん、これはいい」と、何度も頷く。牡牛の黒い顔のアップ。その目は、カメラを正面に見ている。だが、なにも見てはいない。なにも映ってはいない。虚無の目。「途方にくれているわ」、C女史がいい、「そう、そのとおりだ、途方にくれている」と、教授。
闘牛は、産まれてすぐに闘いを始める、と教授が説明を続ける。仲間と角を突き合い、角の使い方を学ぶ。タイミングを体に覚えさせ、足の運びをモノにする。訓練士の厳しい練磨により、くる日もくる日も、ひとつの技を高度に仕上げていく。3歳になると闘いの体ができあがり、4歳には最高の殺し屋となる。「闘うために産まれ、闘いに生命のすべてを賭ける。最高の殺し屋だ。だが、死が約束されているのは、牛のほうだ」。
アリーナに入ると、爆発する熱気が牛を狂わせる。馬上のピカドールが、牛の背中の瘤に何本もの槍を突き立てる。マタドールがプーケを舞わせ、牛の狂気を鼓舞する。必死の殺し屋は、目の前に立ちふさがるすべてを殺しにかかる。鍛えに鍛え、磨きに磨いた殺しの技のすべてを敵にぶつける。「この瞬間、この牛は、仏になった」。教授のことばに耳を疑う。「仏ですって?」。写真家がいぶかし気に聞き、C女史が、ほら出たというように微笑む。教授には、普段から人を煙に巻いて楽しむ癖がある。「どんな生命にも、生存本能と闘争本能が双生児として付きまとう。
生きることは、闘うことだ。生死は、闘いの中にある。だが、仏は生死を超越した。釈尊は、闘いのない境地を極めた。この牛の表情は釈尊のものだ。生きることと死ぬことの境界で瞑想している。産まれて初めての精神状態に途方にくれている。この表情は仏だ。どうだ、神々しくはないか」。そういうと教授は、照れた笑みを浮かべ、あごの髭をつるりとなでる。
「ほんと、神々しいです」、C女史がいい、「誉めすぎです」と、今度は写真家が照れた。牛は、この写真を撮った数分後に殺された。写真家は、死んだ牛を撮らず、観客に手を振るマタドールの得意気な表情にカメラを向けた。「なんだ、殺し屋は、人間のほうじゃないか」。心を牛に残し、シャッターを切る写真家に複雑な思いが走る。スペインではいま、動物愛護の立場から闘牛の是非が問われている。
2020/01/06
■ 「龍馬のうしろ姿」

「おい、おまん、斬るのか斬らないのか、はっきりせいや」。道の真ん中で龍馬の背中が叫んだ。5メートルほどうしろで乾退助(後の板垣退助)は、刀に手をかけたまま動けない。岩のようにがちがちに固まった身体から、氷のように冷たい汗が吹き出す。呼吸ができない。斬るどころではない。このままでは、こちらが一刀のもとに斬り捨てられる。恐怖で全身が震える。見つめる龍馬の背中が、青白い炎をあげてめらめらと燃えあがる。
「な、なんだ、あの炎は?やつは、鬼か?」。長州も薩摩も徳川も、土佐藩でさえ、いまや龍馬を斬ろうと狙っている。しかし、だれも斬ることができない。酒に酔い、ゆらゆらと風に揺れる提灯のように歩く、隙だらけの龍馬。大根を切るように、だれにもカンタンに斬れる。だが、刀に手をかけると、凄まじい気迫が衝撃波となって襲ってくる。
背中の桔梗の紋が、牙となって迫る。「なんだ、斬らないのかい」。面倒くさそうに一言いうと、龍馬は、再びゆらゆらと歩き始める。龍馬、幕末という時代の節目に、天から舞い降り、一仕事終えるとさっさと天に帰ってしまった土佐の天才児、坂本竜馬。その人気は、いまでも絶大だ。
激しく流れる雲、ちらちらと揺れる月光、風雲急を告げる京都、家々は早くに雨戸を閉め、町は暗い。居酒屋のぼやけた明かりがぽつぽつ灯る通りをゆらゆらと歩く龍馬。上質の服装を身に着けているが、袴のひだの跡もとっくに消え、着崩れて、汚れ、よれよれである。だらりと垂れた袴のひもが、風に舞う。乾退助は、腰を抜かしたまま遠ざかるうしろ姿を呆然と見つめる。あの青く燃える炎、龍馬の凄まじい気迫は、なにから生じるのか。龍馬は、北辰一刀流千葉道場の師範代を務める剣の達人だ。
しかし、剣から身につけた気ではない。禅もやった。だが、「ただ座っているなんて、時間の無駄だ。その分歩いていればどこへでも行ける」。そういって、途中で止めてしまったが、禅の真髄をすでに体得していた。その上、この男には生まれつき、なにもかも受け入れ、瞬時にその本質を自分のものにしてしまう不思議な天分があった。禅と瞑想は似ている。どちらも悟りの境地に至るものだ。禅が、一つの決められた形を守り、目をうっすらと開けるのに対し、瞑想はもっと自由だ。形もない。目も閉じていい。寝てもいい。ある時座禅に魅せられた画家の横尾忠則氏は、苦しい座禅修行を積んだ後、「やっぱり瞑想のほうが楽だね」と、どこでも時間があれば自在に目を閉じると聞く。その横尾氏が、静岡の井上老師に禅について尋ねた。「人は、生まれながらに悟っている」、「人には、悩み苦しみといった煩悩など、もともとない」、「人間的見解をするから、真実がわからない」、「自分が、自分が、という自我意識がない世界が悟りである」、「座禅をするには、悟るという意識さえ捨てなければならない」、このような教えを受けた。
こうした禅の境地を、龍馬は生まれながらにもっている。土佐勤王党の生みの親、だれもが認める天才児、幼馴染の武知半平太でさえ、「龍馬の大きさには、とてもついていけない」と、あきれ顔で感心した。
長州の高杉晋作も、「新しい時代のために、あんたは死ぬな」と、愛用の銃をプレゼントした。薩摩の西郷隆盛も、徳川の勝海舟も、「あの男、憎めないんだよ」と、敵対する龍馬のために一肌も二肌も脱いだ。空のような清々しさ、海のような大きさ、少年のような真っすぐな心、だれでも許す寛容さ、茫洋としながら本質を見抜く感性、そんな、禅や瞑想による悟りさえ生まれながらに身につけていた坂本龍馬。
秋の早朝、さわやかなテラスで瞑想すると、瞼の裏にそのうしろ姿が浮かぶ。鮮やかな桔梗の紋が美しく迫り、やがて、遠ざかる。
2020/01/06
■ 江戸の春

旧暦の江戸では、一月は春だった。元日から春だった。「だって大家さん、大晦日な、ゴーンゴーンと除夜の鐘がなる、するってえと、東の空に初日がスーッと上る、パッと新年、新しい年、おめでとう、おめでとう、大家さんおめでとう、クマ公おめでとう、長屋のあっちこっち、新年のご挨拶だ。同時にパッと春、パッと新春よ。これだよ、こうこなくっちゃ、ゴーンゴーンのスーッパッパッ、こうこなくっちゃ江戸っ子は気分が落ち着かない。ゴーンゴーンのスーッパッパッ!!」。ハチ公、大家さんちの玄関先で馬みたいに鼻息が荒い。「なんだね、ハチや、正月早々目クジラ立てて。江戸は旧暦だが、平成は新暦、太陽暦だな、三月四月五月が春。一月はまだ冬だ。それが決まりだ。ゴーンゴーンのスーッパッパッ、というわけにはいかん、なあ、クマよ」。大家さんが皺だらけの顔に満面の笑みを浮かべて、クマ公に同意を求める。「てやんでえ、べらんめえ、こちとら江戸っ子でぃ、ハチと同じよ、ゴーンゴーンのスーッパッパッ、これっきゃない、元日が春だって相場が決まってらい」。
でっかい体を丸めて腕まくり、クマ公が口をとんがらせる。「乱暴だな」。「それにだ、大家さん、大家さんはとんでもない間違いをしてるな」。クマ公、大家さんに顔を近づける。「おや、なんだい」。「大家さん、ハチに、目クジラ立ててって言ったな、言ったな」。「ああ、言ったよ。目クジラ立ててって、たしかに言った」。「ほら、ほら、大間違いだ。見てみろ、大家さん、ハチの目を見てみろ。な、チッコイだろ、チッコくておまけに細いだろ、あるかないかわかんねえ目だろ、目ってえより穴だ、点だ、目クジラ立てるどころか、メダカだって立ちゃしねえ、目メダカも立たねえ、せいぜいボーフラが立つぐらいだ、目ボーフラな、目ボーフラなら立つ、どうだ」。
鐘一つうれぬ日はなし江戸の春(其角)。江戸の人々は、初日に手を合わせ、初富士を仰ぎ、年神さまに新年の幸せと健康を祈った。子どもたちは寒風に負けず、凧を手に駆け回り、独楽で遊んだ。お正月に限らず、江戸町人文化が見事な大輪を咲かせたのは、文化文政の時代だ。歌舞伎、芝居見物、大相撲は、庶民の楽しみだった。盛り場の見世物に、ラクダ、象、虎などの珍獣がいたというから仰天だ。ラクダにちょんまげ、おかしいでしょ。象の横でハチ公やクマ公がニタニタ笑っている絵なんか、想像するだけで吹き出す。
多色刷り木版印刷の錦絵が大人気となり、商売であっちこっち飛び回る商人たちによって全国に広まった。歌舞伎は、宗家市川家の初代市川團十郎が憧れのスーパースターだった。「勧進帳」「暫」「助六」などの市川家十八種のお家芸は、歌舞伎十八番と呼ばれて喝采を浴びた。もっとも歌舞伎や芝居見物は、長屋のハチ公クマ公には縁がなく、呉服屋の放蕩息子栄太郎のお遊びだ。
「お、バカ旦那、おめでとう。正月から芝居見物ですかい」。通りすがりの栄太郎にハチ公クマ公が声をかける。「おや、ハッツァンにクマさん、おめでとう。新年早々バカ面が二つ並ぶと平和だな」。仲がいいから、こんな挨拶ができる。気心が知れているから、言葉が乱暴になる。気風がいい。歯切れがいい。宵越しの銭はもたねえ、などとカラッケツなのにやせ我慢。粋で、私利私欲がない。人の頼みを安請け合いして、勝手に悩んでいる。「江戸っ子だい」などと腕をまくってみせるが、もともと地方出身のイナカモンばかり。
この時代、自分たちで文化を創った。そこがえらい。「くるものはなんでもこい。くる者はだれでもこい」。だから、江戸は大都市になった。「人も街も器よ、器の大きさよ」と、正月空を見上げて勝海舟が笑う。謹んで新春のお慶びを申し上げます。
2020/01/06
■ ツルゲーネフに、してやられる

寒い夜。ナイトキャップのウイスキーグラスを片手に布団に潜り込み、ふと手にしたツルゲーネフの文庫本。本のタイトルは、「散文詩」。彼が晩年、パリでメモとして書いた文章をまとめたもので、まあ1〜2ページも読めば、たちまち白河夜船、グーと高いびきとたかをくくっていた。パラリと開いたページには、「敵と友」というタイトルがつけられている。
概要はこうだ。1人の囚人が脱獄した。当然ながら追撃隊が追った。囚人は、必死で逃亡する。荒野を超え、森を抜け、無我夢中で逃げた。だが、追撃隊はぐんぐん迫ってくる。まずい。考えている暇はない。転んでは立ち上がり、立ち上がっては転び、もはやボロボロとなる。
山中に迷い込み、気がつくと断崖絶壁に出た。暗く深い死の谷が口を開けている。しまった。どうする。追撃隊のざわめきがそこまで迫っている。どうする。1本の朽ち果てた木の吊り橋が目についた。ほとんど崩れ落ち、自分が乗ればたちまち崩落してしまう。迫る追撃隊。どうする。ふと見ると、対岸に2人の男がいる。1人は敵で、1人は友だ。敵の男は、腕を組んだまま、「追われるのは当然、なるようにしかなるまいよ」と、薄ら笑いさえ浮かべている。くそ、あの野郎。「おおい、渡るな、橋が落ちるぞ、渡るな」。友が大声で叫ぶ。「だめだ、そこまで追っ手がきている。逃げたいんだ」。囚人は叫んで、橋を渡り始めた。「よし、気をつけろ」。友が手を伸ばし、朽ちたロープを支える。次の瞬間、橋は崩落し、囚人は暗い死の谷に吸い込まれて消えた。敵は、満足げに笑った。善良な友は、哀れな友を思って泣いた。だが、自分のせいだとは少しも思わない。これが概要。そこで考えてしまった。ツルゲーネフよ、ツルちゃんよ、いったいなにを言いたいのか。敵を認めるとしたら、「助かるかどうかわからない。落ちるときは落ちる。助かるときは助かる。すべて、自分でおやんなさい」となる。冷たいけれど、そうなる。一方、友となると「助ける」と言って善意の手を出した。待てよ。手を出さなければ、助かったかも知れない。それはわからない。本人だけにやらせておけば、橋は落ちなかったかも知れない。
わからない。もし、手を出さなければ。ツルちゃん、あなたは、いったいなにを暗示するのか。いやはやこいつは哲学だ。まんまとツルちゃんの術中にはまった。眠るどころではない。これに似た話は、世間にいくらでもある。
たとえば、倒産寸前の零細企業を想像する。追っ手が迫ってくる。手形が落とせない。どうする。なんとか借金を先延ばしにできないか。あるいは逃れる方策はないか。崖の向こうに行く方法はないか。崩れかけた吊り橋。これが超高利の違法金融か。崖の向こうに2人の男がいる。「借りるか借りないか。自分で決めるんだな」と、冷ややかに見つめる敵。
「借りるな。その金に手を出すな」と叫ぶ友。どちらも、救済の手を差し伸べてはくれない。「借りるな」と叫んだ友も、いざこちらが借りると決めたら、その行為を助長した。結果、傷口をさらに大きくした。ここには、「吊り橋を渡らない」という選択肢も残されていた。あるいは、「自分だけの責任で渡る」、という選択肢もあった。
囚人は、死を早めた。零細企業主は、傷口を大きくした。「自分で判断しろ」と突っぱねた敵が正しいのか。「なんとか助けたい」と手を貸し、傷口を大きくした友が正しいのか。崖の向こうの2人の男に、なんらかの援助を求めた自分が悪いのか。さてさて、哲学は難解だ。ツルちゃん、あなたの結論はなんなんだ、と問いかけると、「そんなものはわかりゃしないさ。わかっていれば、こんなストーリーは書かないよ」と、ニンマリ笑った。気がつけば、朝になっていた。__
2019/12/27
■男の中の男たち

「おしゃれェ」。新宿のピーコ姉さんは、この一言でなんでも片づけてしまう。渋谷ギャルの「かわいィ」という呪文と同じ力をもつ。
ピーコ姉さんは、ゲイだ。新宿ゲイ仲間の姉貴格。三越裏の日本初のスーパーマーケットの化粧品売り場の主任でもある。
「どっちが本業?」と、聞いた。「私?私は、ただの美しき人よ」、意味不明の返事をして「フン」とソッポを向き、艶っぽく睨んだ。背筋を冷たいものが流れる。
「おまえ、今日、天ぷら食べに行くよ」。ピーコ姉さんは、突然誘う。こっちは苦学生で、ロクなものを食っていない。喜んで「ごっつぁん」と、誘いに乗る。だからといって、私はゲイでもオカマでもない。なんでも、故郷広島に残してきた被爆した弟に、私が似ているという。罪滅ぼしのつもりなのか。天ぷら、トンカツ、寿司、ステーキ、あれこれご馳走してくれた。
いつも一流店だ。東京オリンピック以後「ゲイは稼げるのよ」と、意味深に笑う。スーパーの給料も入るので金回りはいい。
商店街には、梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」と舟木一夫の「高校三年生」が交互に流れている。合宿が終って年末のバイトをさがしている私に、父の友人の安次郎さんが「うちの店で働きなさい」と、誘ってくれた。それが新宿のスーパーだった。
天ぷらを食べながらピーコ姉さんは「男は、おしゃれに生きなきゃダメ」と、兄貴ぶった説教をたれる。天ぷらの手前、黙って素直に頷く。話によると、安次郎さんはその昔「人斬り安」と呼ばれ、任侠の世界で畏れられた存在だったという。新宿のその店が関東尾津組尾津喜之助氏の経営だったから、ああなるほどな、と納得する。
だが、小柄で無口、やさしく控えめな目をした安次郎さんからは、人斬りなどとても想像できない。
ある朝、安次郎さんが幼い娘の手を引いて公園を歩く姿を見かけた。娘を愛するただのお父さんの姿だ。「尾津組の特攻隊長よ。親分のためにはいつでも命を捨てる人。もう、組は解散して全員堅気になったから、今はやさしいお父さん。あの人こそずっと男のなかの男よ」。
石原裕次郎の日活ヤクザ映画にのめりこんでいた私は、不良っぽい生き方に憧れる気持ちもあって、安次郎さんの暗い裏側に潜む侠客魂にひどく魅かれた。大晦日の夜、喜之助さんが店にきた。今は堅気となったが、これまでに見たこともないとんでもない貫禄だ。巨大なオーラに飲みこまれる。
180センチを超える長身、渋茶色の着流し。店頭で、安次郎さんをはじめ昔の子分たちが、ズラリと頭を下げて道を開く。彫刻家が荒く削ったようながっしりした容貌、皺の奥の瞳は鋭く、海のように深い。かつて、アメリカ進駐軍の最高司令官マッカーサー元帥をして「日本のアル・カポネだ」と、唸らせた風格は健在だ。
段ボールを担いでバッタリ出会った私は、あわてて荷物を下ろし、頭を下げる。「空手の達人とは、この青年のことかい?」。喜之助さんが私を眺め、次に横にいる安次郎さんに目を移す。「ええ」。安次郎さんが頷く。「一度、空手を見せて下さいな」。喜之助さんは笑みを浮かべて私に言い、懐から大きな皮財布を出し、一万円札を一枚差し出した。驚くと同時に、私は戸惑った。当時、一ヵ月働いたバイト代が二万円ちょっとだ。どうしよう。安次郎さんをうかがうと、もらっておきなさい、と小さな笑みを送ってくる。
もっと驚いたことに、喜之助さんが去った後、改めて一万円札を握るとツルッと滑った。札は二枚重なっている。ピン札だから重なっていることに気づかなかったのだ。返さなくちゃ。喜之助さんは、二枚くれたんじゃない。一枚のつもりだ。急いで安次郎さんにもっていく。「ありがたくもらっておきなさい」と、笑った。年齢を重ね、後ろを振り向く私に、男の中の男たちが今も笑っている。
2019/12/23
三谷幸喜が消えた

「てえへんだ、てえへんだ、おい、大家いるかい?」。いろは長屋にバタバタ足音がする。「なんだいクマさん、朝っぱらから乱暴だね。まあ大変はわかったけど、家に上がるんなら、下駄くらい脱いだらどうなんだい」。日当たりのいい縁側で、猫のタマを膝に乗せて大家さんが言う。「てやんでえ、こんな汚ねえ家、いちいち下駄脱いでられるかってんだ。だいいち足が汚れちまわあ」。「人んちにきてえらい権幕だな。まあいいや。で、いったいなにが大変なんだね」。「それよ、忘れてた、もう帰ろうかと思った」。「相変わらずそそっかしい男だね」。「八の野郎のことだ」。「おお、八さんな、もう一人のそそっかしいほうな。で、どうしたね?」。「三谷幸喜が消えたってんで、もう大騒ぎよ」。「三谷幸喜って、あの三谷幸喜かい?」「あのってなんでえ、あのに決まってるじゃねえか。ほかにあんな頓珍漢がいるか?」「作家先生をつかまえて頓珍漢はひどいね。で、頓珍漢先生が消えたって、どういうことだな?」「いやね、八の野郎、バスの中に本忘れやがった」。「おや、それは大変だ。話してごらん」。「八のやつ、仕事で東急23系統バス使ってんだ、ほら、祖師ヶ谷大蔵から渋谷に行くバスな」。「うん、知ってる」。「そのバスに本忘れやがった。これが、図書館で借りた大事な大事な本だ。三谷幸喜な。やつ、三谷幸喜の頓珍漢ぶりが大好きなんだ。昨日からショックの余り、もう生きていられねえ、死んじまいてえって、布団かぶって泣いてやがる」。「そりゃ大変だ。で、遺失物係には届けたのかい?」。「あたぼうよ、八だって、ガキじゃねえ。それくらいできる。蝉じゃあるまいし、泣いてばかりはいられねえってんで、弦巻の遺失物係に電話した」。「えらい」。「まあ、それくらいはな。ガキじゃない。蝉じゃない。ところが、やつは、前にも図書館の本失くしてる。老子の本な。で、いまは自分の図書館の貸し出しカードがなくて、カミさんの借りてる。だから、カミさんに本失くしたなんて言えねえ。大家さんも知っての通り、八のカミさん、おのりちゃんな、ありゃ鬼だからな。かわいい顔してるが、ありゃ間違いなく筑波産まれの鬼だ。筑波山も忙しいや、四六のガマ産んだり、鬼産んだりな。ま、あの鬼、料理の腕はいいが、皿なんか飛んでくるし、飯食ってる最中にオカズの入ってる皿もってちゃって、流しで洗っちゃうんだぞ。八の野郎、箸を宙に浮かせたまま、もう涙目よ。気が向かなきゃ、返事もしねえ。八がテレビで韓国ドラマ見てても、平気でバチバチチャンネル変えるしな」。「鬼にしちゃ美人だ。明るいな」。「それが世間を欺く筑波の鬼のやり方よ。というわけで、本のことなんか、とても言えねえ。それにな、抜けているのは間違いなく八だ。その日に限って、上町でバス乗り換えた。上町まで等々力操車場行で行って、上町発渋谷行に乗り換えた。始発で座れるからな。だから、どっちのバスに忘れたかわからねえ。八のやつ布団の中で、三谷さんすまねえ、幸喜さんお許しくださいって、もう飯も喉を通らねえ」。「一応警察にも届けた方がいいな。世田谷全域に目を光らせてくれるだろう」。「そう、さっき届けた。桜丘の番所な、平次親分のとこな。さすが警察だ、ほら大家さん、見てみろ、表が明るいだろ、ありゃ警察の目が光ってるからだ」。次の朝、「いた、いたいたいた、大家さん、三谷幸喜がいたぞ」。貧乏長屋にバタバタ足音がして、クマさんが吹っ飛んできた。「大家さん、頓珍漢がいたぞ。本が見つかった」。横で八さんが頭を掻いている。「おお八よ、よかったな。世間にはいい人もいるな」。この話は事実です。世田谷警察で昨日無事本を受け取りました。めでたしめでたし。
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