高野耕一のエッセイ

2020/02/05
■ 東方に、黄金の国あり

東の空を染めて初日が昇る。一年の豊作を祈り、人々の息災と世界の平和を祈る歳神が、初日とともに光臨する。
日本古来の歳神は、日本の崇高な精神が生み出した固有の神だ。世界のどの国にも、固有の文化がある。古代中国の人々は、東方の海にユートピアがあると、強い憧れをもった。悠々たる大河の無限の水をことごとくそそいでも、いっこうにあふれ出ることのない、はるかなる東方の海。
「水は東に流れて溢れないが、そのわけを誰が知ろう」。詩人屈原も神秘の想いでそう詠んだ。西高東低、日本の冬の気圧配置と同様に、アジア大陸の地形は、西が高く東が低い。西には、世界の屋根といわれるパピール高原がある。その大高原を中心に、ヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、崑崙山脈が東西にはしり、アルタイ山脈、天山山脈が東北につらなっている。
地球の回転がもたらす偏西風は、疾風となってアジア大陸を駆け抜け、地球が不変の回転を続ける限り、永遠に東方の海へと向かう。一年の始まりを告げる太陽が、歳神の宿る光を世界に投げかけるのは、永遠に東方の海からだ。
伝説によれば、秦の始皇帝は、不老不死の妙薬を求めて、三千人の使者を東方に向かわせたという。孔子は、論語の一節でこう言った。「わたしの理想とする道徳は、この世に実現しそうもない。筏に乗って東の海に行きたい」。東方の海には、憧れのユートピアがある。夢と希望にあふれる日出る国、黄金の国、ジパング。それはもはや伝説となり、過去のイメージに過ぎないのかも知れない。
だが、太陽は当時と変ることなく東方の海に昇り、アジア大陸の東端に位置する日本は、当時のままに日出る国だ。伝説のイメージこそ、日本の精神的ルーツであり、日本文化の出発点だ。同時に、いまだ日本の精神の支柱として、多くの人々の心に残っている。それが、国の基だからだ。
現実主義に徹した孔子でさえ憧れた夢と希望にあふれる国、日本がいま、時代の潮流に翻弄され、なにか大切なものを見失っているかに見える。北極星を見失った船のように、めざす星を見失っている。
星を見失った船は、出発点の港をめざす。それが最良にして、唯一の方法だ。いまこそ出発点である日本のルーツ、精神の支柱を思い起こす時だ。
振り返れば、昨年は、日本も世界も多くの問題を積み残した。それぞれの国、それぞれの人が、固有の文化をもっている。固有の文化は、それぞれ異なる固有の価値をもつ。異なる固有の価値は、互いにぶつかり合う。当たり前のことだ。国と国、人と人の間には、溝があるからだ。
人間とは、人と人の「間」を意味する。世間とは、世の中の「間」を意味するという。「間」とは、違いであり、異なる価値のことだ。「間」があって当たり前、溝があって当たり前、ぶつかるのは当たり前だ。問題は、ぶつかったらどうするか、どう解決するかである。戦争もテロも、問題の解決にはならない。むしろ、さらなるぶつかり合いを生み、溝を深くし、最悪の事態をもたらす。
溝を埋めるのは、お互いに欲をぶつけ合うのではなく、それぞれが知恵をしぼり、勇気をもって、お互いを「思いやる」ことだ。問題の解決は、相手に対する「思いやり」だ。
明鏡止水。自分の欲を捨て、素直な心と目で見れば、相手の心が見えてくる。相手の欲や、目的が見えてくる。心の鏡に映る。それが、欲なのか、正義にもとづいた、みんなのための正しい目的なのか、明快に見えてくる。それが見えなければ、解決の糸口がつかめない。
明鏡止水の心で、誠心誠意相手と向き合う。理解できなくても、お互いを認め合う。そこから始める。もはや日本には、伝説の黄金もなければ、伝説の妙薬もない。だが、それにかわる知恵がある。勇気がある。「思いやり」がある。夢と希望の国、黄金の国は、健在だ。
初日の歳神に手を合わせ、一年の豊作と人々の息災と世界の平和を祈りながら、今年が始まった。
2020/02/05
■ 時代は、なにを友厚に求めたのか。

幼少期から、薩摩の徹底した教育を受けた。好奇心の強い少年だった。ある時、世界地図を見て驚いた。わがもの顔で世界を闊歩するイギリスは、日本と同じような小さな島国ではないか。
驚くと同時に不思議だった。イギリスは、なぜ、これほどの力を持っているのか。その力は、どこから沸いてくるのか。どうすれば、この力を手に入れることができるのか。少年の目はイギリスを見つめ、世界を見つめた。
きっかけは、父から世界地図を写す作業を命じられたときだ。薩摩藩主、島津斉彬から命じられた父が、その仕事を14歳の息子に頼んだ。息子は、殿に献上するものと自分用のものと、二枚の地図を創り上げた。それをもとに地球儀まで創り上げてしまった。地球儀を見ながら、次々に植民地を獲得して世界に拡大するイギリスの正体を知りたかった。
息子の名は、五代友厚。NHKの連続ドラマ「あさが来た」に登場する実業家である。人がなにかを成し遂げるには、なにが必要なのだろうか。
時は、幕末。友厚は、薩摩藩主、島津斉彬に仕えた武士。斉彬は、大きく大らからな心、時代を見抜く目、物事の判断力、すべてに優れた藩主だ。あの篤姫の養父となり、篤姫を将軍の妻とした手腕の持ち主だ。
下級武士だった西郷隆盛や大久保利通の才能を見抜き、要職に抜擢したのも斉彬だ。友厚の才能を見抜いた斉彬は、彼を長崎の幕府の海軍伝習所に留学させた。当事は、藩から外に出るなどとんでもない時代だった。龍馬も、江戸に行くのに脱藩しなければならないほどの時代だ。才能のあった友厚もえらいが、その後の友厚に活躍の場を開いた斉彬がえらかった。いい殿様との出会いが、彼を大人物に仕上げた。長崎では、勝海舟と出会った。榎本武揚と出会った。後に日本赤十字を創設した佐野常民と出会った。イギリス商人グラバーと出会った。人生は、人との出会いだ。いつ、だれと、どこで、どのように出会うか。それが人生を決める、といっても過言ではない。それが運だ。
強運の持ち主は、いい人材と出会い、自分の道を大きく開く。運の悪い者は、いい人材を見逃しているか、出会っていない。そういうことだ。それには、出会う相手が自分にどう影響を与えるかを見抜く力が必要だ。
薩摩に生まれ、斉彬と出会い、勝海舟と出会った。海舟との出会いが、坂本龍馬との出会いにつながった。開国・貿易・留学生の派遣による、日本の富国強兵を目指す。まず、薩摩に力をつける。目標がはっきりした。教育、才能、人との出会い、目標、なにかを成し遂げるには、これらが必要だ。そして、行動だ。イギリスに出かけて、時代の先端を学ぶ。
ベルギーを見、フランスに赴き、世界を学ぶ。時代を拓く力、世界に負けない力がなんであるかを知る。帰国し、グラバーの助けを借りて、薩摩藩の軍艦を購入するために奔走する。上海に渡り、四万両で大型汽船を購入する。この四万両を借りるために大阪に行き、あさと出会った。四万両は、あさの姉はつの嫁ぎ先から借りた。事実かどうかは不明だが、話ではそうだ。
航海技術に優れた友厚は、幕府の大型汽船千歳丸で長州の高杉晋作と同船する。薩長同盟で、坂本龍馬、高杉晋作、桂小五郎、井上馨らと会う。海舟の頼みもあって、坂本龍馬の海援隊のために汽船を調達する。竜馬の経済力の後ろ盾となって株の知識を駆使し、日本最初の株式会社亀山社中の創設に尽力した。
戊辰戦争では、西郷隆盛、大久保利通らとともに活躍し、徳川幕府を壊滅させた。明治新政府では、外国事務掛を勤め、その後、大阪の府判事を勤め、紡績業、鉱山業、製塩業など、大阪の経済復興に貢献した。大阪証券取引所を設立。三井商船の前身である大阪商船の開業に貢献し、南海鉄道の設立にも貢献した。
この間、日本初の英和辞書を刊行した。教育、才能、人との出会い、目標、行動。それを支える、強い信念。幕末という革命の時代の求めに、友厚は強い信念で応えた。いまという時代、幕末と酷似していないか。出て来い、平成の友厚。
2020/02/05
■ コロンボのやり方

コロンボは、フルネームを言わない。「わたし、ロスアンゼルス警察コロンボ刑事です」としか言わない。だから、フルネームを知る者はいない。
ところが、69話中に2回だけ、ポケットから出した警察手帳がアップで写され、フルネームが見えた。「フランク・コロンボ」。それが、フルネーム。これを知っているあなたは、かなりのコロンボ通だ。
彼は口癖で、「うちのかみさんが、うちのかみさんが」としきりに言う。だが、誰ひとりとしてコロンボのかみさんの姿を見た者はいない。あるパーティで、「うちのかみさん、見なかったですか」とかみさんをさがして、コロンボがウロウロするシーンがあって、「初めてかみさんの姿が拝めるぞ」とテレビ画面に顔を押しつけたが、結局登場しなかった。
背が低く、がに股、ロスアンゼルスだから寒くもないのにいつもよれよれのコート、クシャクシャの髪、おんぼろのプジョー。名前のない太目のイヌを重そうに抱えている。真っ直ぐに相手を見る澄んだ眼差しは、どんな小さなミスでも映し出す。少年の無邪気さと好奇心。横を向いたり、後ろを見たり、頭を掻きながらウロウロ歩いたり。その愛すべきキャラクターで、犯人の鉄の鎧を少しづつ剥がしながら、じわじわと追いつめる。
コロンボのドラマを始めるとき、スタッフはこう思ったそうだ。刑事ものは有名俳優を犯人に起用するから、視聴者にすぐわかってしまう。面白くない。よし、それなら初めから犯人がわかっていて、犯人の完全犯罪を、コロンボが違う視点で、小さなアリの穴から崩すようにポロポロ崩してゆく。これならどうだ。そう考えた。これはミステリー小説の倒叙物と呼ばれる形式で、古畑任三郎が同じ手法をとった。
コロンボのこのやり方は、広告づくりやコピーライティングに、役に立つ。広告づくりやコピーライティングは、犯人ではなく、初めに成功のイメージを目標として描く。売りたい商品に、人々がどこでどのように押し寄せるか。そのシーンを想像する。どんな人が、どんな笑顔で商品を手にするか。その幸せな表情を描く。その成功のイメージが描けなければ、コロンボのやり方はできない。目標となるイメージを描いたら、あとは、あらゆる方向のあらゆる手がかりをじわじわとさぐり、目標に一直線に向かう。
会話においても、真っ直ぐに相手を見て、透明な目と心で、どんな小さなものでも写しこんでいく。ときにはそっぽを向いたり、目を閉じたり、真剣に慎重に相手のことばを聴き、吟味し、わずかなヒントでも逃さない。どんな細かいことでも気になったことは、「そこがどうも気になるんです」などと、相手に確かめる。1ミリ、2ミリ、じわりじわりと目標に向かう。じっくりと丁寧に。この忍耐、このしつこさが広告づくりには実に役に立つ。
もちろん、われらは刑事じゃないし、犯人さがしではないから、相手に嫌がられてはいけないが、物づくりには、この忍耐、このしつこさが必要だ。
ある若い広告マンと話していた。「どうも相手の要望が明確に伝わってこない、相手の言うことがころころ変る」と嘆く。「待てよ。コロンボ会話を試してみたらどうだ」と提案する。根掘り葉掘り、相手が嫌がらない程度に質問をくり返し、確認し、相手の真意を導き出す。「コロンボのやり方、使えるぞ」。そう言い、「メモを忘れずに」と念を押す。「やってみます」。やがて、「前よりずっと深い会話ができた。相手の言いたいことが正確に理解できました」と頷いた。
シャーロック・ホームズは、大胆な仮説に基づき拡大鏡を持ち出して絨毯の目をさぐるような捜査をする。真似てみたいが、ホームズは天才、その推理力にはとても頭がついていかない。
その点コロンボは、事実の追及が基本だから、これは真似ができる。最近、「コミュニケーションがうまくいかない」という風潮だが、会話が軽く、浮ついて、真意が伝わらないのだ。みんなでコロンボになりましょう。ちょっとくどいけど。
2020/01/30
■ 桜と刀

日本人って、どんな人間ですか。コーヒー片手に隣のフランス人が聞いてくる。えっ、答えに窮する。渋谷ハチ公前、カフェ「スクランブル」、ガラス越しに外国人があふれる交差点を眺めている。
時代は、グローバル。東京オリンピックに向かって外国人は増える一方だ。日本人でありながら、日本人を知らない。これは心配だ。日本人とはこうだ、と答えられない自分が情けない。
そこで、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが著した『菊と刀』(日本文化の型)と題された論文を、書棚から引っ張り出す。古い論文だがこれほどわかりやすく、真剣に、これほど日本人の本質を著した論文は他にはない。
太平洋戦争で日本と戦うアメリカは、1944年、すでに勝利を確信したが、どうしても敵の正体がわからない。日本人って、どんな人間なのだ。これまで国をあげて戦ってきた敵で、これほど不可解な民族は世界に類を見ない。いくら調査分析しても首脳陣の意見はバラバラ、いっこうにまとまらず、戦略が立てられない。この戦争をどう終結させるか。日本本土に進撃することなしに、降伏させることができるだろうか。
皇居を爆撃すべきだろうか。日本人捕虜をどのように利用することができるだろうか。最後の一人まで戦うという日本人の決意を弱めることができるだろうか。まるで見当がつかない。
すでに壊滅寸前、兵力も食糧も体力も底をつき、戦闘能力のほとんどを失いながら、強靭な精神力だけで戦う日本軍。合理主義の塊のアメリカには、とにかく理解不可能だ。精神力が重要なことは百も承知だが、精神力だけで勝利するなどという話は聞いたことがない。バカバカしいにもほどがある。だが、その精神力を信じ、たった一機の戦闘機で航空母艦に体当たりする特攻作戦までやってのける日本軍。あきれ返った民族としかいいようがない。
そこで、ベネディクト女史に日本人分析を依頼した。その分析で気になるのは、まず、矛盾だらけの、あたかも二重人格の日本人の姿だ。女史は、日本人には、世界の他の国民にかつて用いられたことがないくらい奇怪至極に「しかしまた」の連発が見受けられることを知った。世界の他の民族に類のないほど礼儀正しい民族だといいながら、「しかしまた、彼らは不遜で尊大である」とつけくわえている。他の国々には見られないほど頑固だといいながら、「しかしまた、どんな新奇なことにも容易に順応する」という。極めて従順な民族であるといいながら、「しかしまた、上からの統制には容易に従わない」とつけくわえる。日本人は、忠実で寛容であるといいながら、「しかしまた、不忠実で意地悪である」という。真に勇気のある民族だといいながら、「しかしまた、臆病だ」とつけくわえる。
兵士は、軍隊のロボットのような訓練を受けながら、「しかしまた、命令に従わず反抗することさえある」という。美にたいして国民的崇拝をもち、菊の栽培に高度な秘術をもちながら、「しかしまた、刀への崇拝」をつけくわえる。これらすべての矛盾が縦糸と横糸として綾なり、どちらも日本人の真実として紡がれるのだ、と解明する。
菊を愛するが、同時に刀も愛す。穏やかだが、あわせて喧嘩好き。礼儀正しいが、また傲慢。順応性があるが、頑固。保守的だが、新しい様式を歓迎する。
戦時下、アメリカ軍が日本人を理解するとき、このような矛盾を見て見ぬふりはできない。日本をどのように降伏させ、どのように占領するか。重大な局面での日本人分析、見事に本質をついている。
あれから70年の歳月が過ぎた。この間に、アメリカの強力な洗脳作業で日本人はどう変っただろうか。従順になったか。気骨は残っているか。相変わらず、矛盾にあふれているのか。そして、アメリカはまだ日本を疑っているのか。日本は、世界の国々から信用される国なのか。本居宣長は、日本精神の根本にある潔さを「桜」に例えた。美と力をあわせもつ日本固有の花、美しく咲いて潔く散る「桜」の季節が近い。
2020/01/30
■ 義の狐か、欲得の狸か

歴史とは、「過去と現在と未来の対話」だ。同時に、大河のように途切れなく流れる歴史の奔流は、人間の命運を左右する自然風土以上に力をもつ、文化という名の人工風土で、人間に与える影響は極めて大きい。そこで、日本の三大決戦の一つである関が原の合戦が、その後の日本にどんな影響を及ぼしたかを考えてみた。
天下分け目といわれる全国規模の「関が原の大合戦」だが、基をただせば秀吉亡き後の主導権を争う狐と狸の欲得合戦だ。あわよくば天下をこの手に。狐も狸もそう思った。少なくとも、狸の腹はそうだ。狐は、奉行の一人に過ぎないが、秀吉の秘書官として強権をふるい、狸は、秀吉政権下の最高位の大老だ。どっちも「われこそが秀頼を支え、豊臣を守る」と、忠義の金看板を掲げるが、腹の中は別物だ。若く、数学的頭脳にすぐれる狐は、軍師島右近さえあきれ返る自信家だ。自分こそが正しいと思い込みすぎる。病的なほど正義感が強く、諸大名の動向をつぶさに評価し、小さなミスも見逃さず秀吉に報告した。
物事すべてを論理で処理し、情の入り込む余地がない。情という、論理を超える人間の強力なエネルギーを、狐はまるで理解しない。ただ一途に豊臣家に対する「義」を掲げ、諸大名をまとめにかかる。この時代、まだ「武士道」も確立されていないから、「義」とか「忠義」に関しても、個人の観念に委ねるしかない。
大名たちは、情のわからぬ狐が大嫌いだ。朝鮮出兵で手痛い評価を浴びた加藤清正と福島正則に至っては、「あの狐やろう、いますぐ叩き切ってやりたい」と、鬼の形相でいきり立つ。「正義の刃で人を傷つけすぎる」。右近は、そこが心配だった。狐には、「人望」がない。狸には「人望」がある。狸は、秀吉同様「人たらしの名人」だ。その上、「人間は、欲得と保身で動く」との割り切りがある。諸大名を、誉め、欲得を満たし、保身を確約する。
この狸、ゆったりと丸っこい体で貫禄も十分、信長秀吉治世にガマンを重ねてきたせいか、喜怒哀楽を顔に出さない。時に丸い目が冷酷非情な光を放ち、大名たちを身震いさせる。当初は狐同様、秀頼に対する「義」を金看板として大名たちの巻き込みを図った。狸の参謀で狸以上に狡猾な本多正信でさえ、「喰えない殿だ、だからこそ天下を取れる」と、ほとほと感服する。
武力戦というより政治戦の関が原は、現代の選挙戦同様、どっちが多くの味方をつけるかが勝負となる。狐とは旧知の仲で、「義」を重んじる点では誰にも負けない会津藩直江兼続は、いち早く西軍に加わることを誓約し、狐と策を練った。兼続が会津で兵を挙げ、狸が応戦したら背後から狐が攻撃し、狸を挟み撃ちにする。見事な戦略だが、実現しなかった。「そうか、毛利が動かないか」。狐がやっと口説いて西軍の大将に担ぎ出した毛利輝元が、大坂城に留まったまま動かない。不戦派と参戦派、真っ二つに割れた毛利には、まったく統一の気配がない。西軍の多くの大名がそうだった。不戦か、参戦か、狐か、狸か。戦場に陣を張ってもまだ迷っている。
最強軍団島津もそうだ。「参戦せず。ただし、攻撃してくる軍は撃破する」。山上に留まり傍観に終始した。狸の東軍七万に対し、狐の西軍十万。だが、西軍で実際に戦ったのは三分の一に過ぎない。欲得に目ざとい黒田長政(官兵衛の息子)が、陰で西軍の切り崩しに暗躍した。その上、小早川秀秋の裏切り、これが決定打となった。狐、石田三成。狸、徳川家康。「義」が破れ、「欲得と保身」が勝利した。時代が変わっても、人間は変わらない。残念だが現代でも、「義」よりも「欲得と保身」のほうが強い。
人間は、悲しい生き物だ。家康の勝利で世情は劇的に変化した。太平の世が実現した。260年にわたる徳川江戸文化は、後世に絶大な影響を及ぼしている。面白いことに、毛利(長州)と島津(薩摩)は後年、徳川に報復の牙を剥き、積年の関が原の恨みを晴らして歴史を変えた。幕末だ。歴史は、「過去と現在と未来の対話」だ。その大河は、途切れなく今日も明日も流れる。
2020/01/30
■ 河の物語・鳥編

もしあなたが幸運にも、風のような気ままな時間が半日でも取れたら、この河原で過すことをおすすめする。なにももたず手ぶらで、仕事や家庭の重荷を肩から下ろし、駅前のコンビニで缶ビール2・3本と軽いスナック菓子、あるいはサンドイッチを買い、ふらりと堤防を越えるといい。幸運なあなたは、暖かい陽射しを浴びて輝く広大な自然と、滔々と流れる大河と、そこに息づくさまざまな生命にめぐりあい、目を見張って息をのむはずだ。さあ、大きく深呼吸してゆっくり土手を下り、生い茂る雑草と小石混じりの砂利を踏み、岸辺の座りやすい石を見つけて腰を下ろすといい。
幸運なあなたがまず出会うのは、この一級河川を根城にする鳥たちだ。彼らの姿は、きっとあなたの心に清々しく映るはずだ。生きることに純粋で、真っ直ぐで愛らしく、見るものの心が洗われる。たぶんあなたは、ものの10分もしないうちに頬の力が抜け、小さな笑みを浮かべるにちがいない。
ざっと見て、この河には15種類以上の野鳥が暮らしている。からだの大きい順に、コブハクチョウ、白サギ、青サギ、トビ、チョウゲンボウ、カモメ、カラス、鵜、鴨、オオバン、カイツブリ、鳩、ヒバリ、カワセミ、セキレイ、スズメなどだ。中でも、コブハクチョウに出会えれば、これほどの幸運はない。雪のように白い姿は、まるで絵のように美しい。くちばしが赤いのは、成鳥のしるしだ。幼鳥のくちばしは灰色だ。からだは大きく重いが、泳ぐのに適した優雅な流線型、首はやわらかく、長く、泳ぎながら疑問符のような形に曲げたり伸ばしたりする。
河原幅は約400メートル、流れ幅は約150メートルから200メートル、対岸にいてもコブハクチョウの白い姿は目に入る。
大河の流れもものともせず、オオバンやカイツブリを従えて、悠々とこちら側に向かって泳ぎ寄る様子は女王様さながら、映画「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンを想わせる。短くて太い脚の推進力は相当なものだが、水中で脚を動かしているようにはまるで見えない。すいすいとなにくわぬ顔で移動しながら、ときどき長い首を水に入れ、水生植物を食べる姿も優美だ。
女王様は、この河に居ついている。季節が変わっても、他に移ることがない。皇居のお堀からきたという噂もあるが、どこからきたのかはだれも知らない。皇居からきたのなら、本当に王女様だ。
必見は、トビとカラスの必死の空中戦だ。トビは、アカトビ。体長約60センチ。上昇気流に乗って他の鳥たちの遙か上空を、地上を見下ろしながら悠々と輪を描く。からだ全体は褐色、頭部が青白く、翼や尾に薄茶色が混ざっている。カラスは、ハシボソガラス。体長は約50センチ。トビよりひと回り小さいが、空中戦では圧倒的にカラスに分がある。トビの後方にぴたりとついて離れない。トビが嫌がって振り切ろうと旋回するが、カラスの旋回性能がはるかに勝り、いつまでも振り切ることができない。たとえが古いが、米軍のB29爆撃機に襲いかかる日本のゼロ式戦闘機だ。この両者は生息範囲が重なり、餌も共通のものが多いから戦うのだ。後方からの攻撃を続け、ついにトビを自分の縄張りから撃退したカラスは電線で疲れた羽を休め、得意そうに「カア」と啼く。
この見ごたえのある空中戦を、ぜひごらんいただきたい。カワセミと出会えれば、大きな幸運だ。大河の本流ではなく、緑の密集した小さな流れ込みにいる。体長15センチと小さく、動きが早い。おまけに人間が嫌いと見えて、かんたんには寄せつけない。それならこんな都市部の河にくるなよ、といいたいところだが、なぜか数匹居ついている。からだに比べて頭が大きくてバランスはよくないが、瑠璃色の美しい姿は河岸写真家たちの憧れの的。枝の上から一気に水中に飛び込み、小魚をくわえて飛び上がる瞬間が、シャッターチャンス。たまに失敗して獲物を取り逃がしてしまうが、そんなときの照れくさそうな姿がたまらなくいじらしい、と女性写真家がいっていた。季節がよくなって、あなたに時間ができたら、ぜひ彼らに会ってほしい。
tagayasu@xpoint-plan.com
2020/01/23
■ 辞世の記

「まな板に ごろりと鯉の 昼寝かな」。
これは、アメリカ進駐軍司令官マッカーサー元帥が、「彼こそ日本のアルカポネだ」と賛辞を送った伝説の侠客、尾津組尾津喜之助親分の辞世の句だ。
喜之助親分は、新橋事件と呼ばれる死を覚悟しなければならない修羅場へ、子分を連れずに一人で出かけた。一振りの日本刀を肩に掛け、着流した着物を風に吹かせて、まるで散歩を楽しむようにふらりと出かけたと聞く。そのときに詠んだ句がこれだ。喜之助親分は数百人を相手にしたこの修羅場を、剛毅なサムライの気迫で乗り切った。その剛毅な武勇伝にも驚いたが、辞世としたこの句の「昼寝かな」の一語には仰天した。辞世のときに「昼寝かな」ということばを思い浮かべるその心は、どんな心なのだろう。どこから、そんな余裕が生まれるのだろう。あまりにも潔い一語だ。無辺の大きさというか、無量の豊かさというか、この期に及んで、にっこりと不敵な笑みさえ浮かべたのだろうか。この一語が、強い意志を感じさせる。究極の悟りさえ感じさせる。辞世に際し、走馬灯のように浮んで駆け巡る一生のあれこれを、一つも語ることなく「昼寝かな」の一言で片づけた。わたしなら、愚痴の10や20もこぼすところだ。羨ましいほどの大きさだ。男は、大きく生きて、大きく死にたいものだ。
そういえばたしかに、鯉の往生際には毅然とした誇りがある。「昼寝かな」のことばが表す堂々たる風格がある。鯉釣りを趣味としているから、わたしにはよくわかる。釣り竿にかかっても、大きな鯉ほど悠然と構えている。50センチ以下の鯉は針にかかると、上流に走る、下流に走る、岩に向かって走る、暴れる。だが、60センチを超え、70センチ80センチを超える大鯉になると、どすんと腹が座っている。どすんと腰を据え、ゆっくりと勝負に出る。その引きは、まさに川底のウインチである。ググー、ググーッと巨大な力で巻き上げ、釣り人を川底に引きづりこもうとする。鯉の気持ちからすると、初めは「おやおや、どうしたんだ」くらいのもんなのだ。そして次に「ほう、本気でやる気かい」とくるのだ。そこで、こちらも腰を据えねばならない。でなければ、川底に引きづりこまれないまでも、釣り糸を引きち切られる。釣り竿をへし折られる。15分、20分、リールのドラッグを絞めたり緩めたり、腰を下げたり、膝を折ったり、なだめてすかして、どうにか河岸近くに寄せてタモ網を差し出すと、そのとき一暴れするものの、終始堂々としている。徹頭徹尾、大物である。両手がすっかりしびれるほどの格闘の末、どうにか土手に引き上げると、大鯉は、「なんだこのやろう」とばかりにギョロリと目を剥き、一度二度尾鰭で土手を打つものの、ごろりと「昼寝かな」の態勢に入る。見事な辞世の姿だ。もはや風前の灯の命だというのに、たいしたものである。もちろん、鯉は川に還す。だが、鯉は、それを知っていて堂々としているのではない。
先日、大鯰が釣れた。鯉の仕掛けに70センチの大鯰がきた。当たりは激しいものではなく、一二度鈴が鳴り、ゆっくりと竿が曲がった。次に、突然強い引きがきて、カーボン製の釣り竿が満月のようにしなった。「でかいな」。「80はあるな」。周囲がざわめいた。大鯉と同様の引きだ。ドラッグを緩め、やり取りをしているうちに獲物が反転した。姿が見えた。グニャリとした身体、やわらかい動き。「鯰だ」。だれかが叫んだ。格闘の末引き上げたが、土手に腹ばいになった鯰は、ジーッと上目づかいにこちらを睨み、暴れない。厳しい顔つきだ。鯉ほどの潔さはないが、剛毅な表情。鯰は鯰なりに、見事な辞世だ。なんでも、だれでも、大物になれば辞世も見事になるのだ。
幕末の雄、ラストサムライ西郷隆盛は、「もうこのへんでよか」と、満足げに辞世を告げた。男は、大きな夢を抱き、大きく生き、大きな辞世を迎えた。
釈尊が教える。「日々臨終とわきまえ、力いっぱい生きろ」。今宵、辞世の句も残さず、桜を待たずして逝った友を偲んで、盃を傾ける。
2020/01/23
■ 人として

9×9の盤上のマスが、棋士にとって関が原の合戦場である。
この81マスに兵たる駒を縦横無尽に跳躍させ、必勝を胸に天下分け目の合戦を展開する。あの手この手と、星の数ほどある指し手を熟考し、最善の一手を導き出す。頭脳の限りを尽くし、全霊で汗をかき、無限の荒野に兵たちを飛翔させる。
一手一手に、雫の一滴のミスも許されない。雫の一滴は積もり積もってやがて大河となり、命取りとなる。駒の一つひとつが緊密に連携し合い、有機的、立体的に駆け巡り、すべての力が一つになって勝利の大海に向かう。一瞬の、風の揺らぎほどの隙も見せてはならない。最果ての歩兵のわずかな誤動が、敗北につながる。戦いは厳しい。とはいえ、最善の手が常に一つとは限らない。そうなのだ。これが困る。そして、これがおもしろい。うん、その手もある、が、この手もある。そんな場面がちょくちょくある。AかBか、いや、Cもある。その選択の瞬間に、棋士一人ひとりの性格が出る。個性が見える。人は、それを棋風と呼ぶ。
NHK杯テレビ将棋トーナメントは、毎週日曜日の午前の放映だ。戦う棋士には申し訳ないが、ソファにごろりと寝転んで、二日酔いの目で観ている。先日のこと、いつものようにまどろみ半分で画面を眺めていて、解説の阿久津主税八段のことばに、いい意味で度肝を抜かれ、飛び上がった。感激した。ある棋士の指し手の解説をしているときだ。それもある、これもある、手はいくつかある。そう解説した後、阿久津八段は言った。「あとは、人として、どれを選ぶかですね」。棋風だ。普通に言えば、「性格的にどれを選ぶかですね」とか「棋風としてどれを選ぶかですね」と言うところだ。それを阿久津八段は、「人として」ということばを使った。
おもしろい。ソファの上に座った。この場面でこのことばを使ったか。横にいた清水女流棋士も思わず、「人として?」と聞き直した。わたし同様に意表を突かれたのだろう。いい意味でも悪い意味でも、このことばは重いことばだ。「あいつは人として、申し分がない」と言えば、いい意味になる。「あいつは人として、最低だ」と言えば、悪い意味になる。重い。人格のすべてを賭けるような重さだ。将棋が軽いと言っているのではない。将棋の毅然たる文化価値には敬意を表する。だが、一手の指し手の選択に、「人として」などと、全人格を賭けるようなこのことばは通常聞くことはない。
このことばは、感覚、精神、品格など、理屈を越えたさまざまを含む。阿久津八段は、爽快な人物だ。ジャニーズのメンバーにも負けない端正な童顔は、少年のように健気で明るい。真っ直ぐに将棋に向かう真面目な姿勢が、好ましい。棋風は、明快で潔い。性格も潔いのだろう。(テレビでしか拝見していないので、多分に想像でしかない)。さて、「人として」ということばの重さをもう少し考えてみたい。「人」について。アメリカのある学者は、人を洞察するには「本性」と「衝動」を見ろ、と言い、作家の司馬遼太郎は、人はその「思想」と「感情」で理解できる、というようなことを言っていた。「本性」とは、生まれや育ち、それらの環境から育まれる本質的な性格だ。教育と教養、家柄や家風に培われる品格も本性のうちにある。「思想」は、「本性」から導き出される考え方、といったところだろうか。「衝動」とは、その人が、なにをしたいかである。「感情」は、その人のその時々の、心のあり様、心の起伏みたいなものだ。なるほど、学者や司馬さんが意図するほど理解できないまでも、これらを知ることで多少たりとも「人」が理解できたような気がする。
人は、そのもてるすべてを賭けて「人として生きる」ものだ。「人として」ということばは、そのように重い。いまの時代、このことばほど必要なものはない。阿久津八段は、駒を通してそれを教えてくれた。ところでそう言うおまえは、「人として、どうなのだ」と尋ねられると、途端に自信を失う。下を向く。

2020/01/23
■ マスコミュニケーションは、死んだか

インターネットの出現普及が世界を一変させたように、テレビの出現普及は、当時のわれらの世界を一変させた。
インターネットがそうであったように、テレビはまさに銀河の果てから突然襲来したエイリアンのように、われらの暮らしを侵食した。あれよあれよという間にわれらは、身も心も魂までもエイリアンに奪われてしまった。
作家の三島由紀夫は、テレビの普及が国を滅ぼす、というようなことを言った。だが、息つく暇もないテレビの勢いに、三島のことばに耳を貸す者はいなかった。日々テレビから放出される情報は、巨大な洪水となって大衆を押し流していった。
一方、高度成長期を迎えた日本は、経済力という甘味あふれるもう一人のエイリアンの嬉しい到来を迎えた。車が欲しい、と息子が言い、海外旅行に行きたい、と娘がせがみ、一軒家に住みたい、と妻が叫ぶ。いいよ、いいよ。そう返事ができた。だれもが中流階級の生活を手に入れることができた。
経済大国という甘いことばに浮かれてこの国は、夢中で突っ走った。大量生産、大量消費が、美徳とされた。大量消費の促進には、テレビはうってつけのメディアだった。凄まじい力を発揮した。それまで「マスコミュニケーション」といえば、新聞・雑誌・ラジオが主流だったが、テレビは、これらのメディアをあっという間に陵駕し、「マスコミュニケーション」の寵児となった。新聞・雑誌・ラジオには、チェック機関があり、チェック機能が働いたから、ある程度コントロールできた。コントロールができた分、信頼された。
ところがテレビは違う。チェック機能が不十分なまま、ブレーキの壊れた列車のように走り続けた。そのために種々問題も起きた。とはいえ、紛れもなくテレビは大衆の心を捕らえた。人々は、テレビから価値観をもらった。人気番組を見なければ、みんなの話題についていけない。
「大衆って、なんでしょうか」。わたしは、その頃大衆に人気のあった有名写真家に尋ねた。「大衆なんて人間はいやしない。大衆は、一人ひとりの人間の集合体にすぎない。おれの仕事は一人を感動させること。それが大きくなって大衆になるだけさ」。そんな返事が返ってきた。
その通りだ。大衆という人間はいない。一人ひとりの人間が集って存在しているだけだ。だが、マスコミュニケーションということばの「マス」は大衆のことだ。マスコミュニケーションは、大衆のコミュニケーションということで、大衆という価値を認めた上でこそ成立することばだ。昔から文学者たちは、「個にして普遍」というテーマをもって歩いている。つまり、個人の価値観がいかに大衆の価値観として受け入れられるか、ということだ。テレビもまた、このテーマをもつのだが、解決できないまま突っ走ってきた。
「そんな放送、テレビでやるな」と俗悪番組を束縛できるのか。その問題は「表現の自由」という大義のもとにうやむやにされてきた。個と普遍の壁に目を背けてきた。そこへ、インターネットという新しいエイリアンが出現した。マスコミュニケーションの頂点に君臨していたテレビが、一撃のもとに叩き落された。(いま、頑張ってはいるが)。マスの存在、大衆の存在を云々する間もなく、インターネットによってマスコミュニケーションはズタズタにされた。
インターネットは、マスとパーソナルの垣根、大衆と個人の垣根をいとも簡単に破壊し、一気に同じ土俵に上げてしまった。一人の意見は、それが正しいかどうかなどと問うこともなく、一瞬にして世界を駆け巡る。一人の意見が、一気に大衆の意見になってしまう。それこそがインターネットの魅力だとしても、巨額の予算と長時間をかけて築いてきた企業の信頼が、一人の意見でボロボロにされる。コントロールが是か非かを問う以前に、コントロールがまるで不能なのだ。困った。マス=パーソナルの時代。マスコミュニケーションは、この先どう生きていくのだろう。
2020/01/22
■ 哀愁の昭和、夢の江戸。

渋川伊香保インターチェンジを降りると、正午近かった。急ぎ旅ではない。昼食は、伊香保で取ることにする。名産の蕎麦とうどん、山菜の天ぷら、これが楽しみだ。街を抜け、榛名の山道に入る。息つく暇もない上り下りの繰り返し、Uターンに継ぐUターン、日光いろは坂も脱帽する九十九折をくねくね走る。行き交う車もない。窓を開ける。澄んだ山の冷気を頬に当てる。心地よい冷たさ。「あ、桜、桜、きれい」。助手席の妻が、ブナやナラの暗い樹林に、ひときわ明るく光を放って咲く薄ピンクの花を発見して、歓喜の叫びをあげる。
東京の桜はすでに終わっている。「群馬は東京よりも北にあるからよね。それにこの辺は標高も高いでしょ」。後で榛名湖の茶店で聞いた話だと、ここの桜は山桜で、「ソメイヨシノではないですよ」、という。ソメイヨシノの開花はもっと後になる、という。
霧がわき始めた。谷間を埋め、風に煽られてうごめく。山水画のように色を消した景色が、しっとりと静かに心に沁みこむ。雨はまだ降っていない。
伊香保は、標高1449メートルの榛名山の中腹にへばりついて広がる温泉街だ。一説によると1800年前の古湯だという。万葉集にも歌われ、江戸時代には湯治場として武家町人に広く愛された。街全体が大小入り組んだ坂道でできている。どこにも平地がない。「起伏に富んだ街はおもしろいっていうからね。札幌や長崎がそうだ」。妻に知ったふりをする。だが、起伏に富み過ぎるってのもなんだね。疲れる。ロープウェイの登り口の観光案内所の横の無料駐車場に車を置く。平日のためか観光客の姿がまるでない。「三宅裕司のふるさと探訪みたい。人がいないわ」。「おまえのために、街を貸し切りにしたんだ」。「バカ」。とにかく歩こう。温泉街を楽しもう。中心は365段の石段。400年前、長篠の合戦で敗戦した武田勝頼の命により、真田氏が造った。徳富蘆花の「不如帰」の舞台にもなった。しっとりとした風情が懐かしい。なぜか、怨念のようなものさえ感じる。与謝野晶子の歌碑がある。日本のリゾート温泉都市第一号の説明書きがある。「日本初の温泉都市か。温泉を中心に設計された街というわけか」。長い石段を見上げる。とても登る気になれない。首が痛くなる。かなりの高さだ。
「もし、オレが、足腰が悪くて伊香保に湯治にきたとする」。妻にいう。「この石段で足腰はさらにボロボロになる。伊香保で痛めた足腰を草津で治す。温泉の口治し。いや腰治し」。「わけわかんない」。恰幅のいい中国人夫婦が石段の前で動かない。「どうぞ」。ご主人にむかって、手真似で登るように薦める。「とんでもない」、ご主人あわてて手を大きく振り、布袋様のような愛想笑い。体格のいい奥さんが、「あんた、登ろうよ」と、中国語で誘う。重量挙げの選手のようにたくましい腕。両手に土産物の重い荷物を抱えて、諸葛孔明のような不敵な笑い。
「いやだ」。ご主人、怯え切った目で奥さんと石段を交互に見、顔を振って強く拒絶する。国籍に関係なく、どこの家もカミさんが天下なんだ。
路地裏を歩くと、そこここで古きよき昭和が手招き、江戸が微笑んでいる。崩れかけた木造の演芸場には、落語会の古い看板が斜めにぶら下がっている。破れた演歌歌手のポスターの下半身がひらひらと揺れ、国定忠治ご用達の酒処の提灯に空っ風が吹く。シャッターの開いている店が少ない。なかなか昼食にありつけない。「名物の蕎麦とうどんが食べたいよう。山菜の天ぷらが食べたいよう」。頭のなかはそのことでいっぱい。「そうだ、温泉饅頭を食べよう。伊香保じゃ温泉饅頭っていわない、湯の花饅頭っていう」。地図をたよりに迷路の路地裏を歩いていると、饅頭の名店に行き当たる。
品の良い老婦人が一人、帳場でほのぼのと居眠りしている。「まあ素敵、あの人、置物みたい」。妻がその姿に感動する。「置物だったら、買って帰るか?」。余計なことばかり言ってるうちに昼食にありつけず、榛名湖まで走ることになった。
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