高野耕一のエッセイ

2020/01/23
■ 人として

9×9の盤上のマスが、棋士にとって関が原の合戦場である。
この81マスに兵たる駒を縦横無尽に跳躍させ、必勝を胸に天下分け目の合戦を展開する。あの手この手と、星の数ほどある指し手を熟考し、最善の一手を導き出す。頭脳の限りを尽くし、全霊で汗をかき、無限の荒野に兵たちを飛翔させる。
一手一手に、雫の一滴のミスも許されない。雫の一滴は積もり積もってやがて大河となり、命取りとなる。駒の一つひとつが緊密に連携し合い、有機的、立体的に駆け巡り、すべての力が一つになって勝利の大海に向かう。一瞬の、風の揺らぎほどの隙も見せてはならない。最果ての歩兵のわずかな誤動が、敗北につながる。戦いは厳しい。とはいえ、最善の手が常に一つとは限らない。そうなのだ。これが困る。そして、これがおもしろい。うん、その手もある、が、この手もある。そんな場面がちょくちょくある。AかBか、いや、Cもある。その選択の瞬間に、棋士一人ひとりの性格が出る。個性が見える。人は、それを棋風と呼ぶ。
NHK杯テレビ将棋トーナメントは、毎週日曜日の午前の放映だ。戦う棋士には申し訳ないが、ソファにごろりと寝転んで、二日酔いの目で観ている。先日のこと、いつものようにまどろみ半分で画面を眺めていて、解説の阿久津主税八段のことばに、いい意味で度肝を抜かれ、飛び上がった。感激した。ある棋士の指し手の解説をしているときだ。それもある、これもある、手はいくつかある。そう解説した後、阿久津八段は言った。「あとは、人として、どれを選ぶかですね」。棋風だ。普通に言えば、「性格的にどれを選ぶかですね」とか「棋風としてどれを選ぶかですね」と言うところだ。それを阿久津八段は、「人として」ということばを使った。
おもしろい。ソファの上に座った。この場面でこのことばを使ったか。横にいた清水女流棋士も思わず、「人として?」と聞き直した。わたし同様に意表を突かれたのだろう。いい意味でも悪い意味でも、このことばは重いことばだ。「あいつは人として、申し分がない」と言えば、いい意味になる。「あいつは人として、最低だ」と言えば、悪い意味になる。重い。人格のすべてを賭けるような重さだ。将棋が軽いと言っているのではない。将棋の毅然たる文化価値には敬意を表する。だが、一手の指し手の選択に、「人として」などと、全人格を賭けるようなこのことばは通常聞くことはない。
このことばは、感覚、精神、品格など、理屈を越えたさまざまを含む。阿久津八段は、爽快な人物だ。ジャニーズのメンバーにも負けない端正な童顔は、少年のように健気で明るい。真っ直ぐに将棋に向かう真面目な姿勢が、好ましい。棋風は、明快で潔い。性格も潔いのだろう。(テレビでしか拝見していないので、多分に想像でしかない)。さて、「人として」ということばの重さをもう少し考えてみたい。「人」について。アメリカのある学者は、人を洞察するには「本性」と「衝動」を見ろ、と言い、作家の司馬遼太郎は、人はその「思想」と「感情」で理解できる、というようなことを言っていた。「本性」とは、生まれや育ち、それらの環境から育まれる本質的な性格だ。教育と教養、家柄や家風に培われる品格も本性のうちにある。「思想」は、「本性」から導き出される考え方、といったところだろうか。「衝動」とは、その人が、なにをしたいかである。「感情」は、その人のその時々の、心のあり様、心の起伏みたいなものだ。なるほど、学者や司馬さんが意図するほど理解できないまでも、これらを知ることで多少たりとも「人」が理解できたような気がする。
人は、そのもてるすべてを賭けて「人として生きる」ものだ。「人として」ということばは、そのように重い。いまの時代、このことばほど必要なものはない。阿久津八段は、駒を通してそれを教えてくれた。ところでそう言うおまえは、「人として、どうなのだ」と尋ねられると、途端に自信を失う。下を向く。

2020/01/23
■ マスコミュニケーションは、死んだか

インターネットの出現普及が世界を一変させたように、テレビの出現普及は、当時のわれらの世界を一変させた。
インターネットがそうであったように、テレビはまさに銀河の果てから突然襲来したエイリアンのように、われらの暮らしを侵食した。あれよあれよという間にわれらは、身も心も魂までもエイリアンに奪われてしまった。
作家の三島由紀夫は、テレビの普及が国を滅ぼす、というようなことを言った。だが、息つく暇もないテレビの勢いに、三島のことばに耳を貸す者はいなかった。日々テレビから放出される情報は、巨大な洪水となって大衆を押し流していった。
一方、高度成長期を迎えた日本は、経済力という甘味あふれるもう一人のエイリアンの嬉しい到来を迎えた。車が欲しい、と息子が言い、海外旅行に行きたい、と娘がせがみ、一軒家に住みたい、と妻が叫ぶ。いいよ、いいよ。そう返事ができた。だれもが中流階級の生活を手に入れることができた。
経済大国という甘いことばに浮かれてこの国は、夢中で突っ走った。大量生産、大量消費が、美徳とされた。大量消費の促進には、テレビはうってつけのメディアだった。凄まじい力を発揮した。それまで「マスコミュニケーション」といえば、新聞・雑誌・ラジオが主流だったが、テレビは、これらのメディアをあっという間に陵駕し、「マスコミュニケーション」の寵児となった。新聞・雑誌・ラジオには、チェック機関があり、チェック機能が働いたから、ある程度コントロールできた。コントロールができた分、信頼された。
ところがテレビは違う。チェック機能が不十分なまま、ブレーキの壊れた列車のように走り続けた。そのために種々問題も起きた。とはいえ、紛れもなくテレビは大衆の心を捕らえた。人々は、テレビから価値観をもらった。人気番組を見なければ、みんなの話題についていけない。
「大衆って、なんでしょうか」。わたしは、その頃大衆に人気のあった有名写真家に尋ねた。「大衆なんて人間はいやしない。大衆は、一人ひとりの人間の集合体にすぎない。おれの仕事は一人を感動させること。それが大きくなって大衆になるだけさ」。そんな返事が返ってきた。
その通りだ。大衆という人間はいない。一人ひとりの人間が集って存在しているだけだ。だが、マスコミュニケーションということばの「マス」は大衆のことだ。マスコミュニケーションは、大衆のコミュニケーションということで、大衆という価値を認めた上でこそ成立することばだ。昔から文学者たちは、「個にして普遍」というテーマをもって歩いている。つまり、個人の価値観がいかに大衆の価値観として受け入れられるか、ということだ。テレビもまた、このテーマをもつのだが、解決できないまま突っ走ってきた。
「そんな放送、テレビでやるな」と俗悪番組を束縛できるのか。その問題は「表現の自由」という大義のもとにうやむやにされてきた。個と普遍の壁に目を背けてきた。そこへ、インターネットという新しいエイリアンが出現した。マスコミュニケーションの頂点に君臨していたテレビが、一撃のもとに叩き落された。(いま、頑張ってはいるが)。マスの存在、大衆の存在を云々する間もなく、インターネットによってマスコミュニケーションはズタズタにされた。
インターネットは、マスとパーソナルの垣根、大衆と個人の垣根をいとも簡単に破壊し、一気に同じ土俵に上げてしまった。一人の意見は、それが正しいかどうかなどと問うこともなく、一瞬にして世界を駆け巡る。一人の意見が、一気に大衆の意見になってしまう。それこそがインターネットの魅力だとしても、巨額の予算と長時間をかけて築いてきた企業の信頼が、一人の意見でボロボロにされる。コントロールが是か非かを問う以前に、コントロールがまるで不能なのだ。困った。マス=パーソナルの時代。マスコミュニケーションは、この先どう生きていくのだろう。
2020/01/22
■ 哀愁の昭和、夢の江戸。

渋川伊香保インターチェンジを降りると、正午近かった。急ぎ旅ではない。昼食は、伊香保で取ることにする。名産の蕎麦とうどん、山菜の天ぷら、これが楽しみだ。街を抜け、榛名の山道に入る。息つく暇もない上り下りの繰り返し、Uターンに継ぐUターン、日光いろは坂も脱帽する九十九折をくねくね走る。行き交う車もない。窓を開ける。澄んだ山の冷気を頬に当てる。心地よい冷たさ。「あ、桜、桜、きれい」。助手席の妻が、ブナやナラの暗い樹林に、ひときわ明るく光を放って咲く薄ピンクの花を発見して、歓喜の叫びをあげる。
東京の桜はすでに終わっている。「群馬は東京よりも北にあるからよね。それにこの辺は標高も高いでしょ」。後で榛名湖の茶店で聞いた話だと、ここの桜は山桜で、「ソメイヨシノではないですよ」、という。ソメイヨシノの開花はもっと後になる、という。
霧がわき始めた。谷間を埋め、風に煽られてうごめく。山水画のように色を消した景色が、しっとりと静かに心に沁みこむ。雨はまだ降っていない。
伊香保は、標高1449メートルの榛名山の中腹にへばりついて広がる温泉街だ。一説によると1800年前の古湯だという。万葉集にも歌われ、江戸時代には湯治場として武家町人に広く愛された。街全体が大小入り組んだ坂道でできている。どこにも平地がない。「起伏に富んだ街はおもしろいっていうからね。札幌や長崎がそうだ」。妻に知ったふりをする。だが、起伏に富み過ぎるってのもなんだね。疲れる。ロープウェイの登り口の観光案内所の横の無料駐車場に車を置く。平日のためか観光客の姿がまるでない。「三宅裕司のふるさと探訪みたい。人がいないわ」。「おまえのために、街を貸し切りにしたんだ」。「バカ」。とにかく歩こう。温泉街を楽しもう。中心は365段の石段。400年前、長篠の合戦で敗戦した武田勝頼の命により、真田氏が造った。徳富蘆花の「不如帰」の舞台にもなった。しっとりとした風情が懐かしい。なぜか、怨念のようなものさえ感じる。与謝野晶子の歌碑がある。日本のリゾート温泉都市第一号の説明書きがある。「日本初の温泉都市か。温泉を中心に設計された街というわけか」。長い石段を見上げる。とても登る気になれない。首が痛くなる。かなりの高さだ。
「もし、オレが、足腰が悪くて伊香保に湯治にきたとする」。妻にいう。「この石段で足腰はさらにボロボロになる。伊香保で痛めた足腰を草津で治す。温泉の口治し。いや腰治し」。「わけわかんない」。恰幅のいい中国人夫婦が石段の前で動かない。「どうぞ」。ご主人にむかって、手真似で登るように薦める。「とんでもない」、ご主人あわてて手を大きく振り、布袋様のような愛想笑い。体格のいい奥さんが、「あんた、登ろうよ」と、中国語で誘う。重量挙げの選手のようにたくましい腕。両手に土産物の重い荷物を抱えて、諸葛孔明のような不敵な笑い。
「いやだ」。ご主人、怯え切った目で奥さんと石段を交互に見、顔を振って強く拒絶する。国籍に関係なく、どこの家もカミさんが天下なんだ。
路地裏を歩くと、そこここで古きよき昭和が手招き、江戸が微笑んでいる。崩れかけた木造の演芸場には、落語会の古い看板が斜めにぶら下がっている。破れた演歌歌手のポスターの下半身がひらひらと揺れ、国定忠治ご用達の酒処の提灯に空っ風が吹く。シャッターの開いている店が少ない。なかなか昼食にありつけない。「名物の蕎麦とうどんが食べたいよう。山菜の天ぷらが食べたいよう」。頭のなかはそのことでいっぱい。「そうだ、温泉饅頭を食べよう。伊香保じゃ温泉饅頭っていわない、湯の花饅頭っていう」。地図をたよりに迷路の路地裏を歩いていると、饅頭の名店に行き当たる。
品の良い老婦人が一人、帳場でほのぼのと居眠りしている。「まあ素敵、あの人、置物みたい」。妻がその姿に感動する。「置物だったら、買って帰るか?」。余計なことばかり言ってるうちに昼食にありつけず、榛名湖まで走ることになった。
2020/01/22
■ 李白のごとく

「両人対酌山花開・・・一杯一杯又一杯・・・」
李白、李太白の作である。「両人」とは、山水の美しさを理解する人、自然を愛する人、という意味だ。「対酌」は、ともに盃をかわす、ということ。自然を理解し、愛する友と盃をかわせば「山々の花が一斉に咲き誇る」という詩である。
普通に解釈すれば、花が咲いたから友と盃をかわす、ということになるが、それでは当たり前すぎてつまらない。そこで、友と盃をかわしたら花々が一斉に開く、と勝手に解釈している。そのほうが酒仙の李白にふさわしい。そして、次の行がすばらしい。大胆というか、潔いというか、とんでもなくおもしろい。
「一杯一杯又一杯・・・」ときた。こうきたか、これぞ快楽主義李白の極致と唸る。これ、詩と呼べるか、と呟き、これこそ詩だ、と開き直る。とはいうものの、実のところすばらしいのかどうかわからない。唸りながら考えこむ。
「國破山河存・・・城春草木深・・・」。これは杜甫の「春望」という、あまりにも有名な詩だ。中学校の教科書にあった。李白と杜甫は、七世紀の中国、時代は唐、楊貴妃との恋で知られる玄宗皇帝の治世に生きた天才詩人。大陸の壮大な風と土が生み出した才能か、中国の厚い歴史が育んだ非凡か、日本人にはとても表現できない大きな詩だ。ともに物事をまっすぐに見つめる、少年の純粋な眼差しをもつ。表現に、線の太さがある。毅然とした潔さがある。広大無辺の情景表現、そこにのせる鮮やかな心象表現、いきいきとした命の強靭さがあり、裏に脆さを秘める。それが二人の共通点だが、性格は、太陽と月のように正反対だ。李白は快楽主義。生き方も詩もほとばしる情熱をそのままぶつける。情熱そのものをまっすぐに見つめる。関心は、情熱そのものにある。一方、杜甫は、誠実に人間にむかう。人間を見つめ、人間に対する誠実さに情熱を傾ける。杜甫の詩には、常に人間の切なさ、人生の侘しさが漂う。李白の快楽が、杜甫にはない。官吏を自ら辞し、俗っぽさを排し、自然のなかに生きた李白。
自分で道を選んだ李白に対し、杜甫は、就職したくてもそのチャンスがなかった。無職のまま、家族とともに広大な中国各地を風に吹かれ、雨に打たれて漂泊した。その境遇がちがいとなった。李白の漢字には、明るく前向きなものが多く、杜甫は、重く沈む漢字をよく使う。それにしても漢詩の授業も受けず、漢字ばかりのお堅い漢詩をおもしろいと思ったこともなかったのに、なぜ、ここにきて急に李白に心惹かれるようになったのだろう。
漢字はもともと嫌いではない。形が美しい。表意文字のただならぬ深みに、威厳さえ感じる。なにより、2000余年前に生まれて現在も元気に活躍している文字など、世界に類を見ない。
奇跡だ。漢字は、奇跡の力をもつ。そうだとしても、漢詩は好きになれなかった。返り点という理不尽な記号があって、後の文字を先に読んだり、先の文字を後で読むなんて几帳面なわたしには許せない。反則だ。バス停にきちんと並んでいるのに、突然横から割り込んでくるようで、どうにも許せない。そう思っていた。だが最近では、表現の深さがひしひしと心に迫り、割り込みオッケイとなった。作家開高健さんは、会話のなかにもちょこちょこと漢詩が飛び跳ねる。話に深みが出て、なんともかっこいいのである。もちろん、会話に返り点はない。漢詩コンプレックスのわたしは、シュンとなって聞き入るだけだ。「先生、いまのことばの意味はなんでしょうか」と尋ねると、そうこなくちゃ、とばかりに話の翼が広がる。李白は詠う。「今日風日好・・・千金買一酔・・・取楽不求余・・・」、きょうはよい天気だ、風も美しく、陽射しも美しい・・・千金を投じても一たびの酔いを買おう・・・志すところは快楽だけだ、他に求めるものはない・・・。自然を愛し、酒を愛し、友と語る。そんな李白のような生き方をしたい。そう呟き、渋谷のネオンの草原を酔い歩きながら多年がすぎた。

2020/01/22
■ 真田を攻める

勝鬨を上げるように鋭い剣先を突き上げる巨岩が、天を切り裂く。見上 げる壁となって行く手を阻む。山全体が一つの岩か、と目をこすりたく なるほどの巨大な岩。数々の奇岩があちこちで大地を割って立ち上がる。
天が迫る。雲が走る。難攻不落の真田の拠点岩櫃城は、神の手に よって創造された標高802メートルの岩櫃山にある。頂上から200 メートルの崖下に本丸があり、二の丸、中城が複雑な地形を活かした地 点に築かれている。
密集する森を縦横に空堀が走る。山全体が城、天蓋 の要塞である。北東側に柳沢城、南側に郷原城の2城を従えている。 「すごいな。おれが家康だったら、こんなとんでもない城を攻めようなんて絶対に思わないよ」。平沢登山口にある駐車場から険峻な頂を見上 げて、横の息子に言う。徳川軍1万2万の大所帯の攻撃を想像してみ る。ダメだ。岩櫃城にたどり着く前に、この複雑な山岳迷路でジタバタだ。戦意なんか霧のようにあっと言う間に喪失する。軍団はバラバラ、 兵はボロボロ、いざ戦いとなればあの巨岩が立ちはだかる。「おれが家康なら、絶対にそんなリスクの高い戦いはしない。いらないよ、こんな城」。頂上を見上げるだけで足がすくむ。日ごろテニスで足腰を鍛えている妻は、急な上り坂もものともせず、一人でズンズンと登っていく。
小松姫のように逞しい女だ。愛犬に引っ張られて息子も駆け上がる。「いやだいやだ、おれは家康の足軽になりたくない」。ぶつくさ言いな がら100メートルほど坂を登ると、木の香も新しいログハウス風の観光案内所があった。室内では椅子に腰かけた観光客が、案内ビデオを見ている。そうだ、このビデオを見れば頂上まで攻めこまなくても、岩櫃城攻略、真田攻略の手がかりはつかめる。案内係の男性と女性が説明をしてくれる。「地元の方ですか?」。そう尋ねると、「ええ、平沢の者です。先祖代々ここに住んでいます」と答える。
指さすほうを見ると、起伏の激しい地形に潜むように点々と農家の姿が見え、丘陵のあちこちに小さな畑が見える。この時期、畑には作物はなく、モザイクのように 散りばめられた茶色い耕地には、色鮮やかな花々が風に揺れるだけだ。
木立の間に悠々と鯉のぼりが泳ぐ。鯉のぼりが、先祖からの永い時間を物語る。穏やかな日本の原風景がここにある。「じゃあ、真田の家臣ですか?」。興味にまかせて質問をぶつける。「いえ、農家です。納屋には古い武具がありますが」。「では、忍者だったのかもしりません ね」。そう言うと、とんでもないと手を左右に振って笑った。「このあ たりでは農業も大変でしょう。水田がないですものね」。そう女性に言 うと、「いえいえ、美味しいお米ができますよ。あの奥のほうに水田があります」。得意そうに答える。
どんな些少な地でも米は作る、生きるための基本食が米なのだ、米は大事なのだ、とその強い語調から感じた。案内所の前に分岐点があって、沢通りから岩櫃山の山頂に登る坂道があり、一方は出浦渕に向かう真田道となっている。真田道は出浦渕を抜けて郷原に出る忍者道のようだ。
目の前の天狗平は真田忍者の修行場 だという。「行こう行こう、このくらいなら登れる。上には岩櫃神社もあるんだって」。ぜひ忍者の修行場を見たいと思った。天狗平はなだらかな傾斜地で畑が広がっている。畑の尽きるところから台地は急激に下り、眼下でジオラマのようなかわいい集落が陽ざしに輝いている。茶色の畑には作物がなく、道端に花々が咲いている。忍者が修行したという気配も施設もないただの平地だ。高い杉の木がなかったら見過ごしてし まいそうな岩櫃神社が台地の奥にある。「なあ、三人と犬で100円 じゃ少ないかな。神様にケチと思われるかな」。財布をのぞいて妻に言 う。「それはケチよ。真田なんだから六文銭でしょ」。妻が気がつく。だが、100円玉六個はない。10円玉六個を奉納する。「なんだ、 もっとケチじゃないか」。愛犬が冷ややかな目をむけた。さあ、午後は 沼田城を攻めようか。
2020/01/14
■ 鶴太郎の絵は、うまいですか?

目の前で湯畑が、もうもうと湯煙をあげる。周辺の老舗旅館も店も神社も路地も、あらゆるものが硫黄の匂いのなかにある。
草津温泉。老舗旅館「大東館」に宿泊する。NHK大河ドラマで人気の「真田丸」をめぐる旅の二日目は、草津温泉から始まった。
朝6時に目を覚ます。不思議なことだが、旅に出るといつも朝早く目が覚める。昨夜までの雨が上がった。カーテン越しの窓の外がすでに明るい。妻、息子、愛犬を起こさぬようにそっと床を出て、手ぬぐいをぶら下げ、一階の大浴場に向かう。温泉にきたらなんといっても大浴場である。好きな時に湯に浸かり、好きな時に寝て、好きな時に酒を口にする。これが温泉旅の醍醐味である。
昨夜は到着時と食後、就寝前の三度温泉に入った。大浴場は天井が高く、大きな湯舟が二つ並んでいる。どちらも家の湯よりも熱い。42、43度くらいあるのだろう。口をへの字に結んで我慢して入る。じわっと体が溶けていく。湯は底のタイルが見えるほど透明で、「お湯のなかにも花が咲く」、と歌われるあの湯花が見えない。
とろりと滑らかな湯に浸り、心身をほどきつつ、鼻歌を歌う。徐々に目覚めて行く気分のよさは何ものにもかえがたい。
湯舟の縁に寄りかかり、手足をのばして肩まで浸って目を閉じると小鳥の声が聞こえてくる。窓ガラス越しに外に目を凝らしてみるが、小鳥の姿はない。昨日観光バスで訪れた団体客の二人が欠伸をしながら入ってくる。かれらも真田丸ツアーの客で、上田城を見物してから草津に回ってきたことが会話からわかった。
街道沿いに並ぶ六文銭の幟の由来について話すかれらの強い地方訛りのことばが、旅情を深めてくれ、頬がゆるむ。朝食を食べ、チェックアウトまで草津の街を散歩することにする。入口のカウンターの女性に尋ねる。「見どころはどのあたり?」。「そうですね、やはり湯畑をご覧になって、湯もみをご覧になるのがいいでしょう」。希望者は湯もみ体験もできるという。
「街の見どころとしてはどのあたり?」。「老舗旅館 の建物が人気ですね。とくに外国のお客さまには喜ばれています」。湯畑を挟んで反対側に城のような立派な建物が見える。草津温泉を拓いた山本家経営の山本館だ。「中国の人やアジアの人も多いですね」。「え え、もともと西欧の方々が多かったのですが、最近ではアジアの方々が団体でいらっしゃいます」。「外国の人たちはどんなところを見て歩くのですか?」。「この裏手の日新館を中心とする江戸の雰囲気を残す町並みが皆さんに人気です。お店としては、湯畑の向こう側の通りですね。民芸品を扱っている土産物なんかが人気です。なかでも下駄の専門店とか手ぬぐいの専門店が人気です」。
白根山を中心とする山岳地帯にある草津には有名なスキー場もある。スキー場に向かう途中に西の河原があって、河原のあちこちから湯けむりが上がっている地獄のような風景も人気が高く、ぜひ見て行くといいと教えてくれる。
「歩いてすぐですよ」。西の河原の手前に「片岡鶴太郎美術館」があって、地元の人たちにも人気があるという。「ああ、魚とか野菜の絵ですね」。鶴太郎は草津を愛し、ちょくちょく訪れていたのだという。「それで美術館があるのですね」。「ええ、でもわたし、あの絵がうまいのかどうかよくわからなくて」。「えっ?」。「絵を習っている娘が聞くのです、あの絵はうまいのかって。何回も見に行っているのですが、どう答えていいのかわかりません」。眼鏡をかけた理知的な容貌の女性が、恥ずかしそうに言う。武者小路実篤の絵がうまいかどうか、旅館の中居さんに尋ねられたという三好達治の話が頭に浮かんだ。あるんだ本当に、こんな話が。「あとで美術館に寄ってみます」。そう答える。土産物店を冷やかし、鶴太郎美術館に向かいながら、ふと思う。「これ、もしかしたら巧妙な勧誘じゃないか」。草津温泉街にさわやかな朝風が吹き抜けた。
2020/01/14
■ 戦争に、勝者はない

あらゆる戦いは、攻撃と防御の組み合わせだ。戦争も、夫婦喧嘩も、犬の喧嘩もそうだ。アメリカンフットボールは、オフェンスとディフェンスの選手が明確に分かれているし、サッカーもフォワードとディフェンダーに分かれている。わが空手道も、「突き」と「蹴り」の攻撃、「受け」と呼ばれる防御、その3つの基本技から、無限の技が生まれる。
戦争は、人類最大の悲劇だ。それなのに、愚者たちは戦争を止めない。戦いは、生命の生存本能にへばりつく闘争本能の象徴だから、ちょっとやそっとでは消滅させることができない。悲しき本能だ。
それに、多くの人間にはもう一つ切り離せない本能、自我の欲望がある。なんでも欲しがる。心のなかで餓鬼が暴れる。なにも人間だけではない。生命そのものが根本的に自己中心で、「自分さえ良ければいい」、という性向をもっている。
虎もライオンも、草木も、赤痢菌も、生命は自分が生き抜くことを最優先する。それでも、バランスを保ちながら生きてきた。見事な自然バランス。その見事な自然バランスを人間だけが破壊する。地球のすべてを自分のものにしたがる。自然も、宇宙でさえもわがものにしたがる。挙句、人と人が殺し合う。国と国が殺し合う。人間以外に戦争をするものはいない。
創世期、力の集中を恐れた神は力を3つに分散した。魚に海を与え、鳥に空を与え、ライオンに陸地を与えた。一仕事終えてほっとしていると、人間があたふた現れた。「遅刻だぞ」。神は、弱った。与えるものがない。「おまえには英知を与えよう」、と仕方なく苦肉の策。「英知はむずかしい。使い方で宝にもなるが毒にもなる」。人間は、こうして英知を身につけた。その英知を、人間は毒として使う。海も欲しがる。空も欲しがる。陸地も、宇宙も欲しがる。英知を武器に、欲望の道をひた走る。
「戦争はなくならないな」。教授が言う。大学の歴史学研究室。わたしたちは安い焼酎を飲み、雑談を楽しむ。酒がぽろりと本音を言わせる。「歴史から見ても、人間はなんだかんだ戦争を繰り返すよ」。「ところで教授、日本は、戦争に強いのですか?」。突然、質問をする。軍事予算はともかく、歴史的に戦争の強い国と弱い国があるような気がする。「弱いな、日本は。海に守られた島国だ。戦争の経験が少ない。戦いに向いていない民族だ」。教授は言う。
大雑把に見て、蒙古襲来があって、秀吉が朝鮮に出兵し、幕末にはイギリス、オランダ、フランス、アメリカ、ロシアが圧力をかけてきた。日清日露の戦争があって、その後、満州に攻め込んだ。そして、太平洋戦争だ。「この一連の戦いを見てみても、日本は戦争が下手だね。オフェンスもディフェンスもなってないよ」。蒙古襲来は、神風に守られた。日本のディフェンス力は不明のまま終わった。秀吉は、欲望のままに朝鮮出兵したから、オフェンス力は疑問のまま。日清日露の戦いは、運よく相手が降伏したから、オフェンス力は不明。日米戦争では、勝利の設計図も方程式もなく、精神力だけでオフェンス力はゼロ。そんな戦争を強いられた善良な国民だけが、悲惨な目に遇った。「西欧諸国のように絶えず戦争の危機に瀕してきた国々と比べれば、日本は、オフェンスもディフェンスもなっていない国だ。いまでも他国に守ってもらっている。戦争なんかもってのほかだね」。
アジアの東の端にあり、海に守られて平和に暮らしてきた島国。オフェンスもディフェンスも中途半端で、他国に守ってもらっている善良な国。日本は、とことん平和を守り切るしかないのだ。
その日、大統領が広島に降り立った。「明るく、雲一つない晴れ渡った朝、死が空から降り、世界が変わってしまった」。そう語りかけ、戦争の悲惨さを訴え、「核なき世界」を発信した。「あなたといっしょに頑張る」。そう言って涙する被災者の肩を抱いた。神が与えてくれた人間だけがもつ英知。人はどう使うのか。戦争には、だれ一人として勝者はいない。
2020/01/07
■ 川に国境はない

インド人のRは、道具に無頓着だ。一式2000円ほどの子ども用の道具を片手にふらりと川にくる。いかにも暇つぶしといった風。
駒場の東大に通う。痩せて背が高く、深い瞳が理知的だ。歳の頃は、30代。「夏休みだね。インドに帰るの?」。Rは少し日本語がわかる。「私に夏休みはない。なぜなら、私は学生ではなく、プロフェッサーだから」。得意そうに微笑む。爽やかだ。
南インドに親から受け継いだ広大な畑を所有している。社長だ。管理を弟にまかせ、自分は東大にコンピュータの教師としてきている。「じゃあ、金持ちだな」。そういうと、ニッコリ笑って、「大金持ち」と、答えた。「でも、大金持ちは北部だろ。マハラジャとか」。
「私の畑には2000人の社員が働いている。だから私は、大金持ち」。「おい、友だちになろう」。奥さんと二人の子どもはインドにいる。「いいよ、友だちだ」。
メール交換をする。Rは、鯉を釣ったためしがない。金はあるが、釣りはダメだ。
中国人のCは、結婚したばかりの奥さんといっしょにくる。「仕事、IT関係ね」と、得意顔。他にも中国人が数人くる。新大久保の料理人たちだ。その連中とはCは口をきかない。どうなってるんだ、おまえら同じ国だろ。料理人たちは数人できて、所狭しとロッドを何本も並べる。それじゃラインが絡むぞ、と注意してもへらへら顔。しょっちゅうラインが絡んでいる。
釣った魚は食べる。キャッチ&リリースなんて発想はない。キャッチ&イートだ。「下品だ」。連中をCは白い目で見る。中国人同士なのに、わからん。わからないからおもしろいのか。われらの川に国境はないが、現実世界では、国境がビリビリと不協和音を立てている。
2020/01/07
■ 太陽の季節

積乱雲とともに、夏は突然やってきた。
小田急線片瀬江ノ島駅を降りると、灼熱の陽光が殴りかかる。潮の香をたっぷり含んだ海風がなかったら、その場でアジの干物になるところだ。
「バイトを紹介する」。合宿所でぶらぶらしていた私にそう言ったのは根本先輩だ。「場所は江の島、住み込み3食付き、日給1000円。ボーナスも出る」。
先輩の声は神の声、絶対服従だ。だが、この話は悪くない。どのみち上高地の山小屋のバイトで一夏を過ごそうと思っていた矢先だ。山もいいが、海もいい。
「東浜海岸に洗心亭という海の家がある。臼田という女性を尋ねればいい。話はついてる」。着の身着のまま、学生服に下駄をひっかけて小田急線に飛び乗った。7月1日の朝だ。境川にかかる赤い橋を渡る。手をのばせば届きそうな所に江の島が見える。緑の島の上空を、鳶たちが気ままに弧を描く。
国道134号線を越え、江の島弁天橋のたもとに立つ。潮騒が音を立てて岸壁を揺らす。東京オリンピックのために建設されたヨットハーバーの白い堤防が眼前に広がる。腰越から江の島まで湾曲を描きながら広がる東浜海岸には、50軒の海の家が並ぶ。赤、青、黄色、カラフルな水着。浜はすでに祭りの賑わいだ。
一人の若者が海の家から転がるように飛び出してきた。臼田ユキヒロだった。先輩紹介の海の家の責任者の息子だ。腰越生まれの腰越育ち、根っからの浜っ子だ。漁師の倅や旅館の息子といった彼の仲間たちも、みんな気のいい連中で、そろいもそろって気性の荒い浜の野郎どもだ。
客の帰った夕方、焚火を焚いて浜のゴミを燃やす。ユキヒロはそこで浜の野郎どもを紹介した。ハンサムなユージは、あだ名を戦闘機と言う。自分のモーターボートに絶対に女を乗せない。「女乗せない戦闘機ね」。ユキヒロが言って笑う。
ボートを持っている連中は、決まって女を誘う。「ねえ、彼女、海が呼んでるよ、ボートで沖に出ない?」。ユージが誘うのは男だけだ。「おかしいでしょ?」。当のユージは否定することなく、意味ありげに笑うだけ。
船八と呼ばれるのは、ひょろりと背の高い若者。無口で寂しげな顔立ち。漁師の父親を時化の海で失ってから、決して笑わない。海に出ない。
昼は釣り餌屋、夜は屋台の飲み屋をやっている。そんな船八をだれも臆病とは思わない。宝来亭のダッコさんは、みんなより年長だ。真っ黒い連中のなかでもずば抜けて黒い。物静かで、にこにこと若い連中の話を聞く。地元の人間ではない。どこかの町でなにかの事件を犯し、この浜に隠れて住む逃亡者だという噂だが、真実を知る者はいない。背中に刃物の傷とタトゥーがあるという。そのために、決してダボシャツを脱ぐことはない。
タミオは鵠沼の祖父に育てられた漁師だ。親の話はしない。だれも聞こうとはしない。童顔で甘い声、ユキヒロと仲がよかった。キックボクシングを習い、蹴りには自信があると子犬のように笑った。「夏は他所からヤクザが入ってくる。オレたち地元のもんが力を合わせて浜を守るんです」。ユキヒロがそう言い、みんながうなづく。
「それに座間の米軍の不良外人が酔って暴れたり、無銭飲食をするんです」。戦闘機が唇を噛む。「根本さんが助けてくれたっけ」。船八が言い、「あの人、空手二段でしょ、強かったもんね」と、タミオが感心する。「おたく、何段?」。じっと話を聞いていたダッコさんが私の顔を覗く。そこまで聞けば、おおよその見当がつく。バイト料が高いのも、住み込みで待遇のいいのもうなづける。「二段です」。「根本さんと同じだ。じゃあ強いね」。タミオがうれしそうに言う。「いや、先輩のほうが強い」。なんだか心配になってきた。だが、いまさら引き下がることもできない。西の海を赤く染め、シルエットとなった富士山の向こうに夕陽が沈む。「海が呼んでるぜ、騒ぐは潮風、どこか知らないけれど遠く行きたいぜ」。スピーカーから、裕ちゃんの歌が流れてくる。ええい、どうにでもなりやがれ。今年も太陽の季節が始まった。
2020/01/07
■ イヌ、カメ、メダカ

桃太郎は、イヌ、サル、キジをひきつれて、鬼退治をした。わが家の桃太郎は、イヌ、カメ、メダカをひきつれている。だが、鬼退治はしない。昔話はよくできていて、実に教育的だ。イヌには勇気と行動力が、サルには知恵が、キジには情報収集の目がある。彼らは単なるペットではない。鬼と戦うための強力な味方だ。さらに、イヌ、サル、キジは、桃太郎本人の才能なのだ、という意図も含む。桃太郎には、イヌの勇気と行動力、サルの知恵、キジのモノゴトを見極める正しい目がある、だから、鬼と戦っても勝てる、と教える。
それは、わが子に、桃太郎のように強い子に育ってね、と願う母の気持ちを表している。ところが、わが家の桃太郎が飼っているのは、イヌ、カメ、メダカ。イヌは同じだが、サルとキジではなく、カメとメダカだ。強力な味方というより、完全なペットだ。
本家のイヌは、日本犬。秋田犬か柴犬か、鬼と戦う強いイヌだ。わが家のイヌは、トイプードル。鬼と戦うどころではない。むしろ大変な寂しがり屋恋しがり屋で、他のイヌはもとより、どんな人とでも、鳩でも虫でも、なんとでも仲良く遊びたいほうだ。とても勇気と行動力を学べない。だが、一点の曇りもない、純な瞳で、真っすぐに見つめられると、こちらの濁った心が清らかに洗われる。
世の中、濁った目ばかりじゃないんだ、とホッとする。疑心暗鬼が消え失せる。これは、貴重だ。それに、勇気と行動力がまったくないわけではない。本家のイヌとまではいかないが、ある。
たとえば旅に出る。サービスエリアで休む。そこにドッグランがあれば、彼は、微妙な勇気と行動力を見せる。恋しがり屋だから、他のイヌを見ると嬉しくてたまらない。遠くに集まっている友だちをめがけて一目散に走る。走る姿が、美しい。力強くかいた前足を、思い切り抱え込んで後ろに伸ばす。渾身の力で蹴った後ろ足を、素早く投げ出し次の蹴りにつなぐ。4つの足が、きれいに交差する。顔は、まっすぐ前に向けている。眩しい風に目を細め、少し口を開けて小さな舌を出す。長い耳が風になびく。アメリカの画家ノーマン・ロックウェルが描く、美しくもかわいいイヌの理想の走り。それが、トイプードルの走りだ。息もつかずに友だちの輪に突入した途端に、でっかいゴールデン・レドリバーに、ワンとひと声吠えられる。まさに青天の霹靂、分厚い壁にぶち当たり、はじき返され、慌てふためいてたちまちこっちに全力帰還。どんなに慌てふためいていても、ノーマン・ロックウェルの走りは崩さない。たどり着くと、照れくさそうに見上げる。その程度の勇気と行動力で、まるで参考にはならない。
ましてやカメだ。サルの知恵などない。3階のテラスの水槽で、陽光を浴びてのんびりと甲羅干しをしている姿から、なにを学べばいいのだ。ウサギと競走して勝利した、あのしたたかに生きる姿が、参考になるか。
そういえば、このカメはいつからわが家にいるのだ。長い。まだ元気だから千年は経っていない。そうか、カメから学ぶのは、したたかさと陽だまりをのんびり楽しむ楽天か。
そして、メダカだ。最近、仲間になった。カメの横にいる。小さな蓮科の葉のまわりをくるくる泳ぐ姿が、元気でかわいい。全身全霊で生きる小さな命は、感動的だ。7匹しかいないので、メダカの学校とはいかず、メダカの学級だが、それぞれがあっち向きこっち向き、水面、中層、下層を自由気ままに泳ぐ。ときどき全員が同じ方向を向いて整列すると、思わず胸が熱くなる。
東の空が白む頃、水面近くを元気に泳ぐ姿を見ると、頬が緩む。夜明けの感動だ。わが家の桃太郎のイヌ、カメ、メダカは、素直に、真っすぐに、元気で、全力で生きることを教える。ところで、鬼って、だれだ__
< 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 >

- W&J WEBSITE -