高野耕一のエッセイ

2020/02/05
■ トイレ進化考

河原で一日中鯉釣りをしていると、当然のごとく、途中で用を足したくなる。背後の土手を越えると立派なパブリックトイレがあって、どうせ暇なのだからトコトコ歩いて行けばいいのだが、どうもわれら男は、広い河原のそこここにある木蔭草陰で、ちょいと失礼と相なる。こんなことを書くと、登戸駅前派出所の警察官が飛んでくるかも知れない。「はい、3000円」、と罰金を取られるかも知れない。だが、さほど心配はしていない。
この新聞は、警察官が好んで読む性質のものではないし、河原に立ててある看板によると、河原の管轄は、国土交通省だ。わが国は縦割り行政だから、警察官も3000円のために敢えて越権行為はしないだろう、とわたしはタカをくくっている。
最初にトイレでびっくりしたのは、経堂の友人山川邸だ。改装なった山川邸に招待され、親しい仲間たちとひととき酒宴を楽しませてもらった。旦那の料理の腕が並みではなく、魚もうまいし、和え物、炒め物、揚げ物、なんでも実においしくいただき、またメンバーたちの軽妙な会話も存分に楽しませてもらった。途中、ちょっと失礼、とトイレを拝借した。最新のトイレに緊張して入る。いやはや、ドアを開けて中に入ったとたんに、びっくりした。美しいメロディに迎えられたと思うと、ヒョイッと容器の蓋が開いたのだ。いったいだれが潜んでいるというのだ。ズボンのジッパーを下ろそうにも、だれかが見ている気がして不安だ。ジッパーを上下させながら、四方の壁や天井をきょろきょろと見渡す。いない。だれもいない。おかしいではないか。きっとだれかいる。あるいは向こうのテーブルで、旦那がリモコンで蓋を開けたのか。これで、帰りに「ご苦労さま」とか「お疲れさま」なんていわれたら、きっと腰を抜かす。
いつの頃か、恋女房がトイレに得意のメモを貼りつけ「トイレを汚すな。一歩前へ」としっかりと書いてきた。そのうち「もっと前へ」と文字が大きくなった。面倒くさいので、座って用を足しているうちに、ふと気がついた。わたしが、女性化している。確実に女性化している。オネエ言葉が増えた。歩き方に、妙にシナを作る。そんな自分に仰天して、座って用を足すのを急いで止めた。男は、原っぱで、天に向かって、大きく、悠々と用を足してこそ、男なのだ。下落合では、そうして育ってきた。
思い出すと、用足しには実に格好の原っぱや麦畑が、たくさんあった。爽快だった。いま、都会ではあらゆる場所で用足しが禁止され、最近では犬さえ恨めしそうに電柱を見上げてガマンする時代となった。ある日、井の頭線渋谷駅前の喫茶店に入った。古い木造の郷愁誘うたたずまいである。コーヒーの香り漂う店内は、年季の入った調度品が備えられ、あちこちに置かれた装飾品も十分に時代をくぐってきた感があり、ほっと心安らぐ。ゆっくりとコーヒーを味わい、落ち着いて広告コピーを書く。帰り際にトイレを借りた。細長い店の突き当たりにあるトイレのドアを開け、思わず戻ろうかと思った。そこは、近未来の世界だった。床も壁もきらきらと眩いばかりに輝いている。きょろきょろ見渡し、容器に目を向ける。お、なんだヴィトンか、と目を見張るほど豪奢だ。
「いらっしゃいませ」。突然、女性の声が耳元で聞こえた。ため息にも似た甘いささやきだ。飛び上がった。首をぐるぐる回して、血走った目でもう一度、床、壁、天井を穴の開くほど見つめる。いない。だれもいない。いるわけがない。深呼吸して心を落ち着け、ジッパーを下げる。「どうぞ」。女性がいう。飛び跳ねる。用足し寸前で急停止。ジッパーは、下りたまま。容器をしみじみのぞく。いない。女性の姿はない。いるわけがない。人魚じゃあるまいし、こんな水の中で女性が泳いでいる道理がない。「お止めですか?お続けですか?」。もはや、出るものも出ない。あわててジッパーを上げる。「お帰りですか?」。目の前が真っ暗になる。気が遠のいていく。まあ、これは半分冗談だが、ITだけでなく、トイレの進化にもびっくりさせられる今日この頃である。
2020/02/05
■ キヨさんありがとう、さようなら

宮原キヨ。義母が百歳で天寿をまっとうした。彼岸に旅立つのは5月、穏やかな丘の上、それが理想とブッタはいった。
キヨさんは、やさしい陽射しの5月のその日、丘の上ではないが、一生を過ごした懐かしい荒川沖の町から旅立った。お別れ会の日、親戚一同が集まった。高野家を代表して下落合から来た弟の信治に親戚一同を紹介する。「キヨさんには5人の子どもがいる。ほら、あれが長女の妙子姉さんな、喪主だ。妙子姉さんには、3人の子どもがいる、あれが長女の真実ちゃん、隣が千秋、おい、基幸、長男の基幸な、これ、弟の信治だよ。基幸はよ、チッチャイときから車オタクでさ、ついにミシュランに勤めちゃった、タイヤのな。ちょっと見には、イ・ビョンホンに似てるだろ、韓国スターの、だけど、みんな、渥美清に似てるっていうんだ。
確かによく見るとそう見えるな。生き方は不器用だけど手先が器用で、テラスなんかも一人で造っちゃったんだ。隣が基幸のかみさんでかおちゃんな、どっか吹っ飛んだ感じがいいだろ、太鼓がんがん打つんだよ、がんがんだぞ、仲間たちと近所の迷惑返りみずによ、筑波の麓でがんがん騒音立てるから、最近筑波のガマも鳴かなくなっちゃったよ」。ここまで紹介して、信治はにこにこ笑っているが、もう覚えきれない。「博兄さんはさ、電源開発、いまのジェイパワーな、そこにいた、経理な、守男と同じだ。ダム工事の現場に泊り込んでさ、奥只見ダムな、何千人もの給料計算だ。手にツバつけながら夜通し札束数えてたらしい。横の人が奥さんのゆう子さんな、和歌山の新宮出身だ、宝塚スターみたいだろ、そう、越路吹雪に似てるよな。よりによってなんで不器用な博兄さんと結婚したのか、それが世間の七不思議の一つよ、まあ、人間、ときとしてトンチンカンなことをしでかすもんだからな。晃兄さんは、水戸の茨城県庁に勤めてた、親父と似てるだろ、豪放磊落というか、スキだらけというか、まあ、評価はまちまちだけど、大物だ。県庁の慰安旅行で酒に酔ってさ、課長のネクタイを寝巻きの帯がわりに結んでよ、翌朝ネクタイがないって部下たちは大騒ぎよ、それが原因で出世を棒に振った。豪傑だろ。洋子姉さんは、宮原家の優等生な。すべてに完璧。彼女の人生に失敗の文字はない。唯一で最大の失敗は、ほら、あそこにいるご主人な、明憲さんをご主人に選んだことだな。明憲さんは、この地上で生きながら、すでに天上人だ、あらゆることが人間の枠に納まらない、狭い家ん中で平気でアーチェリーよ、玄関から風呂場に向かって矢を放つ。客の目の前をビュって音立てて矢が飛んでくんだぜ、客はもう命がけよ、お茶なんか飲んでられないってさ。キヨさんの姉さんは谷田部で「ガマン」という食堂をやってた、うん、いったいなにを「ガマン」するのか、それがわからない。4人の子どもがいてさ、ほら、あそこの美人3姉妹な、とこちゃん、かこちゃん、ふうちゃんな、その下についでのようにヨシオっていう雲突く大男がいる。ジャンボ鶴田にそっくりだ。とこちゃんは、草木染の先生、文化服装学園で先生をしてた。かこちゃんは、ご主人は山口さんていってさ、早くに亡くなったが、おれ、二人が恋愛真っ最中のときから知ってんだ。土浦の町な、古い城下町だ、ご主人と人目もはばからず腕をからめて歩く姿なんか、通りの反対側からよく見かけたよ、まるで「青い山脈」の主人公、新子と六助、そんな二人だったよ。まあ、遠くから見たから映画の主人公に見えたんだな、近くで見ないでよかったよ。その隣が息子な、谷田部の消防士やってる。お父さんにそっくりになってきたな、いや、独身だ、美人の母さんに育てられたせいか、世の中の女たちがブスに見えるんだな。隣がふうちゃんのご主人の糸賀さんだ、気さくで、面倒見がいい、真っ直ぐ話をする、正義感が強いんだな。信治、どうだ、これが親戚だ。で、あっちの人がさ」。「あんちゃん、おれ、もう、だれがだれだかわからないよ」。残りは次の機会にする。キヨさん、ありがとう。こんなにいい親戚をありがとう。のり子を生んでくれてありがとう。そして、さようなら。

2020/02/05
■ 新宿ものがたり

こんにちは赤ちゃん、わたしがママよ。もう何10年前になるのだろう。新宿駅中央口、武蔵野館通りに梓みちよの歌声が流れると、女たちは薄い胸を突き出し、続いて石原裕次郎の歌声が街中に響くと、男たちはくわえタバコで肩で風を切り繁華街を闊歩した。
今はビックロになってしまった三越デパートの真裏に白十字という喫茶店があって、隣接して「チャーミングコーナー」という日本最初のスーパーマーケットがあった。その隣はビヤホールだ。いつも客が賑わい、景気のいい掛け声にあふれるそのスーパーマーケットの社長は、侠客として名高い関東尾津組の親分、尾津喜之助さんだ。
喜之助親分は、水戸の武家の出身だ。日本がアメリカとの戦争に敗れて新宿も焼け野原と化し、夜ともなると真っ暗闇になる駅前を見て、水戸の屋敷を売り払い、当時の金で300万円の私財を投じて街灯を設置したと聞く。
新宿中央口一帯に縄を張り、織田信長のごとく裸馬にまたがって駆け回り、縄張りを作ったとも聞く。
テント張りの大マーケットを作り、敗戦で暮らしをズタズタにされた人々のために生活物資を供給した。伝説の新宿尾津マーケットだ。
その延長にあったのか、喜之助親分はその後三越裏にスーパーマーケットを作り、人々の暮らしを助けた。父の知り合いの安次郎さんは、喜之助親分の義理の弟だ。小柄で温厚な人で、いつも「勉強しなよ」と学生のぼくに声をかけた。
寡黙な安次郎さんがかつて「人斬り安」と呼ばれ、任侠の世界で懼れられている尾津組の特攻隊長だったとは、とてもぼくには思えなかった。安次郎さんの紹介で、ぼくはスーパーマーケットのアルバイトを始めた。3階建てのスーパーマーケットは、1階に食品売り場、化粧品売り場、薬品売り場、石鹸や歯ブラシなどの日用生活品売り場があり、2階には呉服売り場とファッション売り場があった。3階は倉庫と事務所だった。屋上があって晴れた日にベンチで昼寝をすると気持ちがよかった。従業員は30人以上いた。だれが尾津組の元組員で、だれが堅気の人間か正確にはわからなかったけれど、地方出身の正直者でいかにも堅気だという人々もたくさんいた。みんな、学生のぼくに親切にしてくれた。
安次郎さんは、呉服売り場の主任だったが人前にあまり出ず、いつも人気の無い3階の事務所の隅にぽつんと座っていた。1階食品売り場で働くぼくが3階の倉庫から重い缶詰のダンボールを担いで走る姿を、にこにこと笑って見ていた。
ピー子姉さんは1階化粧品売り場の主任で、ゲイだ。ぼくは、生きて動いているゲイを見たのはその時が初めてだった。資生堂やカネボウやマックスファクターなどの美人美容部員たちを「やれ働け、それサボるな」と厳しく見張っていたが、ぼくには「おまえ、帰りに晩飯食わせてあげるわ」と、自分の金ではとても行く気にならない高い寿司屋や天ぷら屋に連れていってくれた。
広島出身で、高校時代に女の子にもてすぎ、女に飽きてゲイになったんだとピー子姉さんは胸を張った。確かにアメリカの有名コメディアン、ジェリー・ルイスに似た彫りの深い日本人離れをした風貌だった。秘密めいたビルのゲイバーで作家三島由紀夫さんに合わせてくれたのもピー子姉さんだ。あんまりいつも晩飯を奢ってもらっていると、相手がゲイだけにあれこれ噂になるので、時々理由をつけて断ると2、3日拗ねて口もきかなかった。顔を合わせても大袈裟にプイっと横を向くのだ。まるで女そのものだと思った。
ある時、「彼女ができた」とぼくがいうと、「不潔」と叫んでぼくのほっぺたに平手打ちを食らわせ、それから晩飯に誘ってくれなくなった。どっちが不潔なんだと腹の中で叫んだが、口には出さなかった。
2020/02/05
■ 東方に、黄金の国あり

東の空を染めて初日が昇る。一年の豊作を祈り、人々の息災と世界の平和を祈る歳神が、初日とともに光臨する。
日本古来の歳神は、日本の崇高な精神が生み出した固有の神だ。世界のどの国にも、固有の文化がある。古代中国の人々は、東方の海にユートピアがあると、強い憧れをもった。悠々たる大河の無限の水をことごとくそそいでも、いっこうにあふれ出ることのない、はるかなる東方の海。
「水は東に流れて溢れないが、そのわけを誰が知ろう」。詩人屈原も神秘の想いでそう詠んだ。西高東低、日本の冬の気圧配置と同様に、アジア大陸の地形は、西が高く東が低い。西には、世界の屋根といわれるパピール高原がある。その大高原を中心に、ヒマラヤ山脈、カラコルム山脈、崑崙山脈が東西にはしり、アルタイ山脈、天山山脈が東北につらなっている。
地球の回転がもたらす偏西風は、疾風となってアジア大陸を駆け抜け、地球が不変の回転を続ける限り、永遠に東方の海へと向かう。一年の始まりを告げる太陽が、歳神の宿る光を世界に投げかけるのは、永遠に東方の海からだ。
伝説によれば、秦の始皇帝は、不老不死の妙薬を求めて、三千人の使者を東方に向かわせたという。孔子は、論語の一節でこう言った。「わたしの理想とする道徳は、この世に実現しそうもない。筏に乗って東の海に行きたい」。東方の海には、憧れのユートピアがある。夢と希望にあふれる日出る国、黄金の国、ジパング。それはもはや伝説となり、過去のイメージに過ぎないのかも知れない。
だが、太陽は当時と変ることなく東方の海に昇り、アジア大陸の東端に位置する日本は、当時のままに日出る国だ。伝説のイメージこそ、日本の精神的ルーツであり、日本文化の出発点だ。同時に、いまだ日本の精神の支柱として、多くの人々の心に残っている。それが、国の基だからだ。
現実主義に徹した孔子でさえ憧れた夢と希望にあふれる国、日本がいま、時代の潮流に翻弄され、なにか大切なものを見失っているかに見える。北極星を見失った船のように、めざす星を見失っている。
星を見失った船は、出発点の港をめざす。それが最良にして、唯一の方法だ。いまこそ出発点である日本のルーツ、精神の支柱を思い起こす時だ。
振り返れば、昨年は、日本も世界も多くの問題を積み残した。それぞれの国、それぞれの人が、固有の文化をもっている。固有の文化は、それぞれ異なる固有の価値をもつ。異なる固有の価値は、互いにぶつかり合う。当たり前のことだ。国と国、人と人の間には、溝があるからだ。
人間とは、人と人の「間」を意味する。世間とは、世の中の「間」を意味するという。「間」とは、違いであり、異なる価値のことだ。「間」があって当たり前、溝があって当たり前、ぶつかるのは当たり前だ。問題は、ぶつかったらどうするか、どう解決するかである。戦争もテロも、問題の解決にはならない。むしろ、さらなるぶつかり合いを生み、溝を深くし、最悪の事態をもたらす。
溝を埋めるのは、お互いに欲をぶつけ合うのではなく、それぞれが知恵をしぼり、勇気をもって、お互いを「思いやる」ことだ。問題の解決は、相手に対する「思いやり」だ。
明鏡止水。自分の欲を捨て、素直な心と目で見れば、相手の心が見えてくる。相手の欲や、目的が見えてくる。心の鏡に映る。それが、欲なのか、正義にもとづいた、みんなのための正しい目的なのか、明快に見えてくる。それが見えなければ、解決の糸口がつかめない。
明鏡止水の心で、誠心誠意相手と向き合う。理解できなくても、お互いを認め合う。そこから始める。もはや日本には、伝説の黄金もなければ、伝説の妙薬もない。だが、それにかわる知恵がある。勇気がある。「思いやり」がある。夢と希望の国、黄金の国は、健在だ。
初日の歳神に手を合わせ、一年の豊作と人々の息災と世界の平和を祈りながら、今年が始まった。
2020/02/05
■ 時代は、なにを友厚に求めたのか。

幼少期から、薩摩の徹底した教育を受けた。好奇心の強い少年だった。ある時、世界地図を見て驚いた。わがもの顔で世界を闊歩するイギリスは、日本と同じような小さな島国ではないか。
驚くと同時に不思議だった。イギリスは、なぜ、これほどの力を持っているのか。その力は、どこから沸いてくるのか。どうすれば、この力を手に入れることができるのか。少年の目はイギリスを見つめ、世界を見つめた。
きっかけは、父から世界地図を写す作業を命じられたときだ。薩摩藩主、島津斉彬から命じられた父が、その仕事を14歳の息子に頼んだ。息子は、殿に献上するものと自分用のものと、二枚の地図を創り上げた。それをもとに地球儀まで創り上げてしまった。地球儀を見ながら、次々に植民地を獲得して世界に拡大するイギリスの正体を知りたかった。
息子の名は、五代友厚。NHKの連続ドラマ「あさが来た」に登場する実業家である。人がなにかを成し遂げるには、なにが必要なのだろうか。
時は、幕末。友厚は、薩摩藩主、島津斉彬に仕えた武士。斉彬は、大きく大らからな心、時代を見抜く目、物事の判断力、すべてに優れた藩主だ。あの篤姫の養父となり、篤姫を将軍の妻とした手腕の持ち主だ。
下級武士だった西郷隆盛や大久保利通の才能を見抜き、要職に抜擢したのも斉彬だ。友厚の才能を見抜いた斉彬は、彼を長崎の幕府の海軍伝習所に留学させた。当事は、藩から外に出るなどとんでもない時代だった。龍馬も、江戸に行くのに脱藩しなければならないほどの時代だ。才能のあった友厚もえらいが、その後の友厚に活躍の場を開いた斉彬がえらかった。いい殿様との出会いが、彼を大人物に仕上げた。長崎では、勝海舟と出会った。榎本武揚と出会った。後に日本赤十字を創設した佐野常民と出会った。イギリス商人グラバーと出会った。人生は、人との出会いだ。いつ、だれと、どこで、どのように出会うか。それが人生を決める、といっても過言ではない。それが運だ。
強運の持ち主は、いい人材と出会い、自分の道を大きく開く。運の悪い者は、いい人材を見逃しているか、出会っていない。そういうことだ。それには、出会う相手が自分にどう影響を与えるかを見抜く力が必要だ。
薩摩に生まれ、斉彬と出会い、勝海舟と出会った。海舟との出会いが、坂本龍馬との出会いにつながった。開国・貿易・留学生の派遣による、日本の富国強兵を目指す。まず、薩摩に力をつける。目標がはっきりした。教育、才能、人との出会い、目標、なにかを成し遂げるには、これらが必要だ。そして、行動だ。イギリスに出かけて、時代の先端を学ぶ。
ベルギーを見、フランスに赴き、世界を学ぶ。時代を拓く力、世界に負けない力がなんであるかを知る。帰国し、グラバーの助けを借りて、薩摩藩の軍艦を購入するために奔走する。上海に渡り、四万両で大型汽船を購入する。この四万両を借りるために大阪に行き、あさと出会った。四万両は、あさの姉はつの嫁ぎ先から借りた。事実かどうかは不明だが、話ではそうだ。
航海技術に優れた友厚は、幕府の大型汽船千歳丸で長州の高杉晋作と同船する。薩長同盟で、坂本龍馬、高杉晋作、桂小五郎、井上馨らと会う。海舟の頼みもあって、坂本龍馬の海援隊のために汽船を調達する。竜馬の経済力の後ろ盾となって株の知識を駆使し、日本最初の株式会社亀山社中の創設に尽力した。
戊辰戦争では、西郷隆盛、大久保利通らとともに活躍し、徳川幕府を壊滅させた。明治新政府では、外国事務掛を勤め、その後、大阪の府判事を勤め、紡績業、鉱山業、製塩業など、大阪の経済復興に貢献した。大阪証券取引所を設立。三井商船の前身である大阪商船の開業に貢献し、南海鉄道の設立にも貢献した。
この間、日本初の英和辞書を刊行した。教育、才能、人との出会い、目標、行動。それを支える、強い信念。幕末という革命の時代の求めに、友厚は強い信念で応えた。いまという時代、幕末と酷似していないか。出て来い、平成の友厚。
2020/02/05
■ コロンボのやり方

コロンボは、フルネームを言わない。「わたし、ロスアンゼルス警察コロンボ刑事です」としか言わない。だから、フルネームを知る者はいない。
ところが、69話中に2回だけ、ポケットから出した警察手帳がアップで写され、フルネームが見えた。「フランク・コロンボ」。それが、フルネーム。これを知っているあなたは、かなりのコロンボ通だ。
彼は口癖で、「うちのかみさんが、うちのかみさんが」としきりに言う。だが、誰ひとりとしてコロンボのかみさんの姿を見た者はいない。あるパーティで、「うちのかみさん、見なかったですか」とかみさんをさがして、コロンボがウロウロするシーンがあって、「初めてかみさんの姿が拝めるぞ」とテレビ画面に顔を押しつけたが、結局登場しなかった。
背が低く、がに股、ロスアンゼルスだから寒くもないのにいつもよれよれのコート、クシャクシャの髪、おんぼろのプジョー。名前のない太目のイヌを重そうに抱えている。真っ直ぐに相手を見る澄んだ眼差しは、どんな小さなミスでも映し出す。少年の無邪気さと好奇心。横を向いたり、後ろを見たり、頭を掻きながらウロウロ歩いたり。その愛すべきキャラクターで、犯人の鉄の鎧を少しづつ剥がしながら、じわじわと追いつめる。
コロンボのドラマを始めるとき、スタッフはこう思ったそうだ。刑事ものは有名俳優を犯人に起用するから、視聴者にすぐわかってしまう。面白くない。よし、それなら初めから犯人がわかっていて、犯人の完全犯罪を、コロンボが違う視点で、小さなアリの穴から崩すようにポロポロ崩してゆく。これならどうだ。そう考えた。これはミステリー小説の倒叙物と呼ばれる形式で、古畑任三郎が同じ手法をとった。
コロンボのこのやり方は、広告づくりやコピーライティングに、役に立つ。広告づくりやコピーライティングは、犯人ではなく、初めに成功のイメージを目標として描く。売りたい商品に、人々がどこでどのように押し寄せるか。そのシーンを想像する。どんな人が、どんな笑顔で商品を手にするか。その幸せな表情を描く。その成功のイメージが描けなければ、コロンボのやり方はできない。目標となるイメージを描いたら、あとは、あらゆる方向のあらゆる手がかりをじわじわとさぐり、目標に一直線に向かう。
会話においても、真っ直ぐに相手を見て、透明な目と心で、どんな小さなものでも写しこんでいく。ときにはそっぽを向いたり、目を閉じたり、真剣に慎重に相手のことばを聴き、吟味し、わずかなヒントでも逃さない。どんな細かいことでも気になったことは、「そこがどうも気になるんです」などと、相手に確かめる。1ミリ、2ミリ、じわりじわりと目標に向かう。じっくりと丁寧に。この忍耐、このしつこさが広告づくりには実に役に立つ。
もちろん、われらは刑事じゃないし、犯人さがしではないから、相手に嫌がられてはいけないが、物づくりには、この忍耐、このしつこさが必要だ。
ある若い広告マンと話していた。「どうも相手の要望が明確に伝わってこない、相手の言うことがころころ変る」と嘆く。「待てよ。コロンボ会話を試してみたらどうだ」と提案する。根掘り葉掘り、相手が嫌がらない程度に質問をくり返し、確認し、相手の真意を導き出す。「コロンボのやり方、使えるぞ」。そう言い、「メモを忘れずに」と念を押す。「やってみます」。やがて、「前よりずっと深い会話ができた。相手の言いたいことが正確に理解できました」と頷いた。
シャーロック・ホームズは、大胆な仮説に基づき拡大鏡を持ち出して絨毯の目をさぐるような捜査をする。真似てみたいが、ホームズは天才、その推理力にはとても頭がついていかない。
その点コロンボは、事実の追及が基本だから、これは真似ができる。最近、「コミュニケーションがうまくいかない」という風潮だが、会話が軽く、浮ついて、真意が伝わらないのだ。みんなでコロンボになりましょう。ちょっとくどいけど。
2020/01/30
■ 桜と刀

日本人って、どんな人間ですか。コーヒー片手に隣のフランス人が聞いてくる。えっ、答えに窮する。渋谷ハチ公前、カフェ「スクランブル」、ガラス越しに外国人があふれる交差点を眺めている。
時代は、グローバル。東京オリンピックに向かって外国人は増える一方だ。日本人でありながら、日本人を知らない。これは心配だ。日本人とはこうだ、と答えられない自分が情けない。
そこで、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトが著した『菊と刀』(日本文化の型)と題された論文を、書棚から引っ張り出す。古い論文だがこれほどわかりやすく、真剣に、これほど日本人の本質を著した論文は他にはない。
太平洋戦争で日本と戦うアメリカは、1944年、すでに勝利を確信したが、どうしても敵の正体がわからない。日本人って、どんな人間なのだ。これまで国をあげて戦ってきた敵で、これほど不可解な民族は世界に類を見ない。いくら調査分析しても首脳陣の意見はバラバラ、いっこうにまとまらず、戦略が立てられない。この戦争をどう終結させるか。日本本土に進撃することなしに、降伏させることができるだろうか。
皇居を爆撃すべきだろうか。日本人捕虜をどのように利用することができるだろうか。最後の一人まで戦うという日本人の決意を弱めることができるだろうか。まるで見当がつかない。
すでに壊滅寸前、兵力も食糧も体力も底をつき、戦闘能力のほとんどを失いながら、強靭な精神力だけで戦う日本軍。合理主義の塊のアメリカには、とにかく理解不可能だ。精神力が重要なことは百も承知だが、精神力だけで勝利するなどという話は聞いたことがない。バカバカしいにもほどがある。だが、その精神力を信じ、たった一機の戦闘機で航空母艦に体当たりする特攻作戦までやってのける日本軍。あきれ返った民族としかいいようがない。
そこで、ベネディクト女史に日本人分析を依頼した。その分析で気になるのは、まず、矛盾だらけの、あたかも二重人格の日本人の姿だ。女史は、日本人には、世界の他の国民にかつて用いられたことがないくらい奇怪至極に「しかしまた」の連発が見受けられることを知った。世界の他の民族に類のないほど礼儀正しい民族だといいながら、「しかしまた、彼らは不遜で尊大である」とつけくわえている。他の国々には見られないほど頑固だといいながら、「しかしまた、どんな新奇なことにも容易に順応する」という。極めて従順な民族であるといいながら、「しかしまた、上からの統制には容易に従わない」とつけくわえる。日本人は、忠実で寛容であるといいながら、「しかしまた、不忠実で意地悪である」という。真に勇気のある民族だといいながら、「しかしまた、臆病だ」とつけくわえる。
兵士は、軍隊のロボットのような訓練を受けながら、「しかしまた、命令に従わず反抗することさえある」という。美にたいして国民的崇拝をもち、菊の栽培に高度な秘術をもちながら、「しかしまた、刀への崇拝」をつけくわえる。これらすべての矛盾が縦糸と横糸として綾なり、どちらも日本人の真実として紡がれるのだ、と解明する。
菊を愛するが、同時に刀も愛す。穏やかだが、あわせて喧嘩好き。礼儀正しいが、また傲慢。順応性があるが、頑固。保守的だが、新しい様式を歓迎する。
戦時下、アメリカ軍が日本人を理解するとき、このような矛盾を見て見ぬふりはできない。日本をどのように降伏させ、どのように占領するか。重大な局面での日本人分析、見事に本質をついている。
あれから70年の歳月が過ぎた。この間に、アメリカの強力な洗脳作業で日本人はどう変っただろうか。従順になったか。気骨は残っているか。相変わらず、矛盾にあふれているのか。そして、アメリカはまだ日本を疑っているのか。日本は、世界の国々から信用される国なのか。本居宣長は、日本精神の根本にある潔さを「桜」に例えた。美と力をあわせもつ日本固有の花、美しく咲いて潔く散る「桜」の季節が近い。
2020/01/30
■ 義の狐か、欲得の狸か

歴史とは、「過去と現在と未来の対話」だ。同時に、大河のように途切れなく流れる歴史の奔流は、人間の命運を左右する自然風土以上に力をもつ、文化という名の人工風土で、人間に与える影響は極めて大きい。そこで、日本の三大決戦の一つである関が原の合戦が、その後の日本にどんな影響を及ぼしたかを考えてみた。
天下分け目といわれる全国規模の「関が原の大合戦」だが、基をただせば秀吉亡き後の主導権を争う狐と狸の欲得合戦だ。あわよくば天下をこの手に。狐も狸もそう思った。少なくとも、狸の腹はそうだ。狐は、奉行の一人に過ぎないが、秀吉の秘書官として強権をふるい、狸は、秀吉政権下の最高位の大老だ。どっちも「われこそが秀頼を支え、豊臣を守る」と、忠義の金看板を掲げるが、腹の中は別物だ。若く、数学的頭脳にすぐれる狐は、軍師島右近さえあきれ返る自信家だ。自分こそが正しいと思い込みすぎる。病的なほど正義感が強く、諸大名の動向をつぶさに評価し、小さなミスも見逃さず秀吉に報告した。
物事すべてを論理で処理し、情の入り込む余地がない。情という、論理を超える人間の強力なエネルギーを、狐はまるで理解しない。ただ一途に豊臣家に対する「義」を掲げ、諸大名をまとめにかかる。この時代、まだ「武士道」も確立されていないから、「義」とか「忠義」に関しても、個人の観念に委ねるしかない。
大名たちは、情のわからぬ狐が大嫌いだ。朝鮮出兵で手痛い評価を浴びた加藤清正と福島正則に至っては、「あの狐やろう、いますぐ叩き切ってやりたい」と、鬼の形相でいきり立つ。「正義の刃で人を傷つけすぎる」。右近は、そこが心配だった。狐には、「人望」がない。狸には「人望」がある。狸は、秀吉同様「人たらしの名人」だ。その上、「人間は、欲得と保身で動く」との割り切りがある。諸大名を、誉め、欲得を満たし、保身を確約する。
この狸、ゆったりと丸っこい体で貫禄も十分、信長秀吉治世にガマンを重ねてきたせいか、喜怒哀楽を顔に出さない。時に丸い目が冷酷非情な光を放ち、大名たちを身震いさせる。当初は狐同様、秀頼に対する「義」を金看板として大名たちの巻き込みを図った。狸の参謀で狸以上に狡猾な本多正信でさえ、「喰えない殿だ、だからこそ天下を取れる」と、ほとほと感服する。
武力戦というより政治戦の関が原は、現代の選挙戦同様、どっちが多くの味方をつけるかが勝負となる。狐とは旧知の仲で、「義」を重んじる点では誰にも負けない会津藩直江兼続は、いち早く西軍に加わることを誓約し、狐と策を練った。兼続が会津で兵を挙げ、狸が応戦したら背後から狐が攻撃し、狸を挟み撃ちにする。見事な戦略だが、実現しなかった。「そうか、毛利が動かないか」。狐がやっと口説いて西軍の大将に担ぎ出した毛利輝元が、大坂城に留まったまま動かない。不戦派と参戦派、真っ二つに割れた毛利には、まったく統一の気配がない。西軍の多くの大名がそうだった。不戦か、参戦か、狐か、狸か。戦場に陣を張ってもまだ迷っている。
最強軍団島津もそうだ。「参戦せず。ただし、攻撃してくる軍は撃破する」。山上に留まり傍観に終始した。狸の東軍七万に対し、狐の西軍十万。だが、西軍で実際に戦ったのは三分の一に過ぎない。欲得に目ざとい黒田長政(官兵衛の息子)が、陰で西軍の切り崩しに暗躍した。その上、小早川秀秋の裏切り、これが決定打となった。狐、石田三成。狸、徳川家康。「義」が破れ、「欲得と保身」が勝利した。時代が変わっても、人間は変わらない。残念だが現代でも、「義」よりも「欲得と保身」のほうが強い。
人間は、悲しい生き物だ。家康の勝利で世情は劇的に変化した。太平の世が実現した。260年にわたる徳川江戸文化は、後世に絶大な影響を及ぼしている。面白いことに、毛利(長州)と島津(薩摩)は後年、徳川に報復の牙を剥き、積年の関が原の恨みを晴らして歴史を変えた。幕末だ。歴史は、「過去と現在と未来の対話」だ。その大河は、途切れなく今日も明日も流れる。
2020/01/30
■ 河の物語・鳥編

もしあなたが幸運にも、風のような気ままな時間が半日でも取れたら、この河原で過すことをおすすめする。なにももたず手ぶらで、仕事や家庭の重荷を肩から下ろし、駅前のコンビニで缶ビール2・3本と軽いスナック菓子、あるいはサンドイッチを買い、ふらりと堤防を越えるといい。幸運なあなたは、暖かい陽射しを浴びて輝く広大な自然と、滔々と流れる大河と、そこに息づくさまざまな生命にめぐりあい、目を見張って息をのむはずだ。さあ、大きく深呼吸してゆっくり土手を下り、生い茂る雑草と小石混じりの砂利を踏み、岸辺の座りやすい石を見つけて腰を下ろすといい。
幸運なあなたがまず出会うのは、この一級河川を根城にする鳥たちだ。彼らの姿は、きっとあなたの心に清々しく映るはずだ。生きることに純粋で、真っ直ぐで愛らしく、見るものの心が洗われる。たぶんあなたは、ものの10分もしないうちに頬の力が抜け、小さな笑みを浮かべるにちがいない。
ざっと見て、この河には15種類以上の野鳥が暮らしている。からだの大きい順に、コブハクチョウ、白サギ、青サギ、トビ、チョウゲンボウ、カモメ、カラス、鵜、鴨、オオバン、カイツブリ、鳩、ヒバリ、カワセミ、セキレイ、スズメなどだ。中でも、コブハクチョウに出会えれば、これほどの幸運はない。雪のように白い姿は、まるで絵のように美しい。くちばしが赤いのは、成鳥のしるしだ。幼鳥のくちばしは灰色だ。からだは大きく重いが、泳ぐのに適した優雅な流線型、首はやわらかく、長く、泳ぎながら疑問符のような形に曲げたり伸ばしたりする。
河原幅は約400メートル、流れ幅は約150メートルから200メートル、対岸にいてもコブハクチョウの白い姿は目に入る。
大河の流れもものともせず、オオバンやカイツブリを従えて、悠々とこちら側に向かって泳ぎ寄る様子は女王様さながら、映画「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーンを想わせる。短くて太い脚の推進力は相当なものだが、水中で脚を動かしているようにはまるで見えない。すいすいとなにくわぬ顔で移動しながら、ときどき長い首を水に入れ、水生植物を食べる姿も優美だ。
女王様は、この河に居ついている。季節が変わっても、他に移ることがない。皇居のお堀からきたという噂もあるが、どこからきたのかはだれも知らない。皇居からきたのなら、本当に王女様だ。
必見は、トビとカラスの必死の空中戦だ。トビは、アカトビ。体長約60センチ。上昇気流に乗って他の鳥たちの遙か上空を、地上を見下ろしながら悠々と輪を描く。からだ全体は褐色、頭部が青白く、翼や尾に薄茶色が混ざっている。カラスは、ハシボソガラス。体長は約50センチ。トビよりひと回り小さいが、空中戦では圧倒的にカラスに分がある。トビの後方にぴたりとついて離れない。トビが嫌がって振り切ろうと旋回するが、カラスの旋回性能がはるかに勝り、いつまでも振り切ることができない。たとえが古いが、米軍のB29爆撃機に襲いかかる日本のゼロ式戦闘機だ。この両者は生息範囲が重なり、餌も共通のものが多いから戦うのだ。後方からの攻撃を続け、ついにトビを自分の縄張りから撃退したカラスは電線で疲れた羽を休め、得意そうに「カア」と啼く。
この見ごたえのある空中戦を、ぜひごらんいただきたい。カワセミと出会えれば、大きな幸運だ。大河の本流ではなく、緑の密集した小さな流れ込みにいる。体長15センチと小さく、動きが早い。おまけに人間が嫌いと見えて、かんたんには寄せつけない。それならこんな都市部の河にくるなよ、といいたいところだが、なぜか数匹居ついている。からだに比べて頭が大きくてバランスはよくないが、瑠璃色の美しい姿は河岸写真家たちの憧れの的。枝の上から一気に水中に飛び込み、小魚をくわえて飛び上がる瞬間が、シャッターチャンス。たまに失敗して獲物を取り逃がしてしまうが、そんなときの照れくさそうな姿がたまらなくいじらしい、と女性写真家がいっていた。季節がよくなって、あなたに時間ができたら、ぜひ彼らに会ってほしい。
tagayasu@xpoint-plan.com
2020/01/23
■ 辞世の記

「まな板に ごろりと鯉の 昼寝かな」。
これは、アメリカ進駐軍司令官マッカーサー元帥が、「彼こそ日本のアルカポネだ」と賛辞を送った伝説の侠客、尾津組尾津喜之助親分の辞世の句だ。
喜之助親分は、新橋事件と呼ばれる死を覚悟しなければならない修羅場へ、子分を連れずに一人で出かけた。一振りの日本刀を肩に掛け、着流した着物を風に吹かせて、まるで散歩を楽しむようにふらりと出かけたと聞く。そのときに詠んだ句がこれだ。喜之助親分は数百人を相手にしたこの修羅場を、剛毅なサムライの気迫で乗り切った。その剛毅な武勇伝にも驚いたが、辞世としたこの句の「昼寝かな」の一語には仰天した。辞世のときに「昼寝かな」ということばを思い浮かべるその心は、どんな心なのだろう。どこから、そんな余裕が生まれるのだろう。あまりにも潔い一語だ。無辺の大きさというか、無量の豊かさというか、この期に及んで、にっこりと不敵な笑みさえ浮かべたのだろうか。この一語が、強い意志を感じさせる。究極の悟りさえ感じさせる。辞世に際し、走馬灯のように浮んで駆け巡る一生のあれこれを、一つも語ることなく「昼寝かな」の一言で片づけた。わたしなら、愚痴の10や20もこぼすところだ。羨ましいほどの大きさだ。男は、大きく生きて、大きく死にたいものだ。
そういえばたしかに、鯉の往生際には毅然とした誇りがある。「昼寝かな」のことばが表す堂々たる風格がある。鯉釣りを趣味としているから、わたしにはよくわかる。釣り竿にかかっても、大きな鯉ほど悠然と構えている。50センチ以下の鯉は針にかかると、上流に走る、下流に走る、岩に向かって走る、暴れる。だが、60センチを超え、70センチ80センチを超える大鯉になると、どすんと腹が座っている。どすんと腰を据え、ゆっくりと勝負に出る。その引きは、まさに川底のウインチである。ググー、ググーッと巨大な力で巻き上げ、釣り人を川底に引きづりこもうとする。鯉の気持ちからすると、初めは「おやおや、どうしたんだ」くらいのもんなのだ。そして次に「ほう、本気でやる気かい」とくるのだ。そこで、こちらも腰を据えねばならない。でなければ、川底に引きづりこまれないまでも、釣り糸を引きち切られる。釣り竿をへし折られる。15分、20分、リールのドラッグを絞めたり緩めたり、腰を下げたり、膝を折ったり、なだめてすかして、どうにか河岸近くに寄せてタモ網を差し出すと、そのとき一暴れするものの、終始堂々としている。徹頭徹尾、大物である。両手がすっかりしびれるほどの格闘の末、どうにか土手に引き上げると、大鯉は、「なんだこのやろう」とばかりにギョロリと目を剥き、一度二度尾鰭で土手を打つものの、ごろりと「昼寝かな」の態勢に入る。見事な辞世の姿だ。もはや風前の灯の命だというのに、たいしたものである。もちろん、鯉は川に還す。だが、鯉は、それを知っていて堂々としているのではない。
先日、大鯰が釣れた。鯉の仕掛けに70センチの大鯰がきた。当たりは激しいものではなく、一二度鈴が鳴り、ゆっくりと竿が曲がった。次に、突然強い引きがきて、カーボン製の釣り竿が満月のようにしなった。「でかいな」。「80はあるな」。周囲がざわめいた。大鯉と同様の引きだ。ドラッグを緩め、やり取りをしているうちに獲物が反転した。姿が見えた。グニャリとした身体、やわらかい動き。「鯰だ」。だれかが叫んだ。格闘の末引き上げたが、土手に腹ばいになった鯰は、ジーッと上目づかいにこちらを睨み、暴れない。厳しい顔つきだ。鯉ほどの潔さはないが、剛毅な表情。鯰は鯰なりに、見事な辞世だ。なんでも、だれでも、大物になれば辞世も見事になるのだ。
幕末の雄、ラストサムライ西郷隆盛は、「もうこのへんでよか」と、満足げに辞世を告げた。男は、大きな夢を抱き、大きく生き、大きな辞世を迎えた。
釈尊が教える。「日々臨終とわきまえ、力いっぱい生きろ」。今宵、辞世の句も残さず、桜を待たずして逝った友を偲んで、盃を傾ける。
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