高野耕一のエッセイ

2019年12月20日 金曜日 14時34分48秒
■銀座の風が、笑った


ギター、バーテン、喧嘩。その頃の青春の条件だ。
進学校なので3年になると受験のために部活を辞め、授業が終わるとみんなそそくさと塾や図書館に向かった。
だが、私の足は銀座に向かう。銀座八丁目資生堂裏、バー「A」。私はそこで、バーテン見習いのアルバイトを始めた。受験費用を稼ぐという名目だったが、青春の条件を体験したいというのが本当のところだ。バーテンの宮坂さんは、高校生から見ると、型にはまった学校の先生とは違って、自由で人間味にあふれ、素晴らしき大人に見えた。
ポマードできちっと固めた髪。糊のきいたハイカラーワイシャツ。きりっと締めた舶来のネクタイ。穏やかな笑みを絶やさない。映画スターが尻尾を巻いて逃げるほどの甘いマスク。シェーカーを振りながら見せる艶っぽい表情やグラスに酒を注ぐふるまいは、爽やかだ。宮坂さん目当ての女性客も多く、周辺の喫茶店やショップにも女性ファンがたくさんいた。
学生時代は山岳部で、先輩や同輩も常連客だった。気心知れた仲間同士の熱き友情は、見ていて気持ちのよいものだった。
ママは、和服の似合う小柄で上品な人だった。お客の話に耳を傾け、小首をかしげる風情は、いかにも一流の銀座のママといった趣で、息を飲むほど美しかった。カクテルのつくり方、お客との会話のコツ、言葉遣い、目と気の配り方を宮坂さんは厳しく教えてくれた。「受験には役立ちそうもないけれど、人として大切な勉強ね」。そう言って、ママが笑った。
4時に店を開け、掃除。終わるとウェイトレス三人分の夜食を作る。もやしを毎日炒めること。宮坂さんはそう言い、毎日味見をし、「30点だ」と即座に評価した。100点取れたら、どんな料理でもできる、と言う。だが、宮坂さんは最後まで100点をくれなかった。店の前に「コンパル」という美人喫茶があった。香港女優がゲストで来店し、大騒動になった店だ。裏口がバーの前にあって、ゴミ袋を抱えた美人たちとよく顔を合わせた。「宮坂さんに渡して」と、小さく折った手紙を押し付ける美人がいた。「お礼よ」と、500円札をポケットに入れてくれた。当時の日給が、500円だった。銀座から下落合までのタクシー代も、500円だった。有名銀行の新橋支店長が、「趣味の絵が売れたので、はいチップ」と配ったのも、500円だった。
有楽町駅前に日劇があって、ダンシングチームの踊子たちが、客とともにやってきた。淡い記憶だが、若き倍賞千恵子や三田佳子がいた。踊子を連れてくるお客の分厚い財布には、目玉が飛び出るほどの札が詰まっていた。気前のいい人で、「この娘たちは、必ず大女優になる」と、高いカクテルを次々に注文し、子どものように笑う。
輸入洋酒を扱う牧さんは、バリッとした外国製スーツに身を包んでいるが、どこか崩れた感じだ。「これ、飲めや」と、ヘネシーやジョニ黒を飲ませてくれた。「親父にも飲ませたい」と言うと、あるとき、「これ、もってけ」と、新聞紙にくるんだオールドパーをくれた。その頃まだあった八丁目の運河脇で、元ボクシング世界チャンピオンのSと立ち話をしただけで、「やつは本物のヤクザだ。つき合うんじゃない」と、本気で怒った。「いまこそ足を洗ったけど、昔はちょっとした顔だったんだ」。宮坂さんが、ボソリと牧さんのことを言った。牧さんの左手の小指はない。銀座と下落合では、同じバーでもまるで雰囲気が違った。土地柄だと思って、宮坂さんに尋ねると、「店は人がつくるもの。とくにお客さんが店をつくってくれる」と、教えてくれた。
4月初旬、週末、雨上がりの黄昏、銀座八丁目資生堂前。若い娘に寄り添って歩く白髪の紳士がいた。宮坂さんだとすぐにわかった。「ゆっくり恋のできる齢になった」。宮坂さんはそう言い、風のように笑った。



2019年12月19日 木曜日 16時33分20秒
■「諸行有情」の響きあり


「諸行無常。仏の言葉だ」。携帯電話の奥の声が言う。
狛江駅前のカフェテラス。山笑う季節。頬を過ぎる風が爛漫の春を告げるが、突然夏日が襲いかかる。まさしく今日はそんな日で、正午の陽ざしがシャツの袖をまくった腕を焦がす。
慈恵医大附属第三病院に入院の友を見舞った帰りだ。ゆっくりとコーヒーを味わう時間はある。さほど広くないテラスに6つの白いテーブルがあって、そのうち2つが陽ざしの中で眩しく輝き、2つが赤い日除けシートの日陰にうずくまっている。残りの2つのテーブルは、光と陰を半々に受け、陽ざしをあびて輝く部分に街路樹の影が揺れている。いま、そのテーブルにいる。
隣の日陰のテーブルには、若い美しい女性がいる。濃紺のスーツに身を包んだ毅然とした女性だ。脇の椅子に黒いバッグを置き、しきりに手帳になにかを書き込んでいる。営業の途中なのだろう。
最近、渋谷でもスーツ姿の若い女性をよく見かける。けなげで切ない気もするが、それは昭和の古い男の発想だろう。「そんな同情は真っ平よ。私は、のびのび働いてるわ」。そんな声が聞こえてきそうなハンサムウーマンだ。得意先と話しているのだろう、携帯での会話もてきぱきと歯切れがいい。女性は、男性の代わりに働くのではなく、女性の特質を存分に活かし、社会の中で独自の地位を築くべきだ。いまはまだ男性社会だから力を発揮しにくい面も多いだろうが、新しい時代はすぐにくる。
時代は、川の流れのように留まることなく流れている。顔を上げ、広がる青空を見る。絵に描いたような五月晴れだ。南の方角、多摩川上空から丹沢上空にかけて、筆で払ったような雲が流れる。「雲は天才である」、という石川啄木の言葉をフッと思い出した。啄木の本意をくみ取れないまでも、座右にしたい大好きな言葉だ。「雲のように生きたい」。そう願う。
あるとき、妻にそのことを言うと、「風が吹いたら、流されちゃうわよ」と、冷たく言い返された。「どうぞ、どんな風にも喜んで流されましょう」と、答える。「風に吹き飛ばされて、消えちゃうわよ」と、続けて言う。「いいさ、翌日また現われるよ」。そう答える。妻は、キッチンであきれ顔をする。雲は、あらゆる風に逆らうことをしない。だれの意見にも逆らうことなく、耳を傾ける。老若男女を問わず、善人悪人を問うこともなく、だれにでも、雨となって降り注ぐ。木にも花にも動物にも、すべての生命に寄り添い、恵みの水となって生命を育む。そんな人間になれるだろうか。
「雲は天才である」。啄木こそ天才だ。「諸行無情」。携帯電話の奥でそう言うのは、空手の師であり、人生の師でもあるJ先輩だ。癌を発症し、あっという間に15キロも体重を失った友人にかける言葉もなく、途方に暮れてJ先輩に救いを求めた。情けないが、白秋を過ぎ玄冬の歳になっても、弱音を吐きたいときがある。そんなときに頼るのは、J先輩だ。「切ないものです」。力なく呟く。「諸行無情。だからこそ、諸行に有情が必要だ」。剣豪武蔵が「五輪書」でいう「空」とはそういう意味だ、とも言う。「空」は「無」ではない。「空」には、無限の存在がある。たしかに生命は、神に与えられた時間に過ぎない。儚いかな、すべての生命は無常である。仏はそう言い、返す言葉で、「永遠の生命」を説く。
この両者の矛盾にこそ、「人間の英知がある」と説く。「諸行有情。諸行に情あり。人間に与えられた英知だ」。J先輩の言葉が、冷えた心に熱く沁みる。「風の声に耳を澄ましてみろ。諸行有情の響きありだ。まず、お前が友のためにどっしり構えることだ」。アイスコーヒーの氷に光が当たり、一瞬虹ができ、次の瞬間、消えた。雲が流れる。空は、永遠だろうか。明日また、友人を見舞おう。



2019年12月19日 木曜日 16時32分36秒
■ぼく、おれ、わたし、わし、じぶん


迷いの困惑か、繊細の美学か。ときどき、自分を「I」の一文字でかたずけてしまう英語が、うらやましいと思う。日本語では、自分を「ぼく」「おれ」「わたし」「わし」「じぶん」と、立場や状況に応じて、さまざまに使い分ける。それを生み出した日本人の繊細な感性には感心するが、いざ使う段になると、これが実にわずらしい。
作家や翻訳家は、その使い分けを楽しんでいるのか、苦しんでいるのか、金田一先生のご高説を拝聴したい。
「ぼく」と「おれ」「わたし」と「わし」と「じぶん」、どれを使うかによって、読み手に与える印象がまったく違う。言葉として最初に覚えたのは、「ぼく」だった。女の子なら、「わたし」とか「あたし」が普通だったが、東京育ちの男の子は、「ぼく」が普通だった。「おれ」は、ワイルドだし、使い方によっては乱暴だ。わが町下落合で、どこの家よりも早くテレビを買い、毎週水曜日に町のみんなにプロレスを見せてくれた、水野くんのような裕福な家の息子でも「ぼく」を使い、裕福ではない家の息子のぼくでも、同じように、「ぼく」と言っていた。「おれ」を使うこともあった。隣町の不良と対決したり、相手を威嚇したいときは、「おれ」を使った。強い男と見せるためには、「ぼく」より「おれ」のほうが似合った。
魚屋のゲン坊のように、いつも「おれ」だけを使う子もいた。イキのよさを売り物にする魚屋には、「ぼく」はたしかに甘すぎる。魚が腐る。「おれ」というワイルド感、スピード感、野性味のある言葉のほうが魚屋にはよく似合う。それは無礼でも、不親切でもなく、歯切れのいい言葉として聞こえた。
水野くんは「ぼく」で、ゲン坊は「おれ」が似合う。言ってみれば、ぼくのような中途半端なキャラクターの男が、「ぼく」だか「おれ」だか迷うのだ。
「わたし」というのは、女の子か大人が使ってふさわしい言葉だ。大人が使うと、相手との距離感がきちんと保て、礼儀正しく、響きも美しい。「ぼく」に対する言葉は「きみ」だし、「おれ」に対する言葉は「おまえ」だ。「わたし」に対する言葉は「あなた」だから、「わたし」という言葉には、相手に対する敬意が十分に含まれる。敬意を含む言葉は美しい。美しいが、いざ、ストーリーを書く場合、妙に大人びてしまう。心の距離感がありすぎて、感情移入がしにくい。もどかしい。心の距離感からみれば、「ぼく」「きみ」よりも、「おれ」「おまえ」のほうが近い。親密だ。
古い話だが、海軍予科練に、「きさまとおれとは、同期の桜」という歌がある。この「きさま」と「おれ」には、距離感がない。死ぬも生きるもいっしょだという覚悟があって、心の距離感なんかない。そんなとき、「きみとぼくとは同期の桜」とか「あなたとわたしは同期の桜」などと歌っても、とてもいっしょに死のうという気持ちにはなれない。親密さは、乱暴さにつながる。言葉は、相手との心の距離感や、状況に応じて選ぶのが正しい。
学生時代を運動部で過ごしてきたぼくにとっては、「じぶん」という言葉が非常に使いやすかった。その言葉には、謙虚さがあった。先輩に対しては、「ぼく」や「わたし」ではなく、「じぶん」という言葉が失礼ではなかった。ところが社会人になると、「じぶん」はちょっと不思議な存在になった。思えば、自衛隊とか警察官とかヤクザモンは、「じぶん」を使うのではないか。自分を「じぶん」というのは、謙虚さだとか、へりくだった響きがあるが、どうやら強力な組織に似合うのであって、一般社会には不自然だ。使うのを止めた。四つの季節の微妙な美を愛する日本人は、自分を表す言葉一つをとっても、複雑なほど美しい感性をもっている。少々面倒くさい人種だけど、まあ我慢しておこう。



2019年12月19日 木曜日 16時31分46秒
■殺し屋は、テラスにいる


東に向いた3階のテラスに、わが家でいちばん先に朝がくる。4時過ぎにはうっすらと明るくなり、バス通りの桜の木で鳥たちが鳴き始める。飛び方もぎこちない二羽の小雀が、屋根でピョンピョン跳ね回る。
徹夜仕事のふらつく頭で、アイスコーヒー片手にテラスの椅子に座る。冷気を含んだ朝風が気持ちいい。テーブルのゼラニュームが、真っ赤な花を三つ咲かせ、「美しいでしょ」と、得意顔。茂った緑の葉に逞しい生命力が宿る。美しさより、逞しい生命力に感心する。
横でミニトマトが実をつけている。ほどよく色づいた一つをつまんで口にふくむ。野生の香りがフッと舌先に走る。フルーツ化した最近のトマトが失くした野生の香りが、子どもの頃に遊んだ信州の野菜畑を想い起こさせる。ゆるやかな南風、ゆっくり明ける世界。いい朝だ。遥かに望む副都心のビル群も、やっと目覚めた。
ミニトマトの手前にメダカの甕がある。厚い土の甕は深さもたっぷりあって、6匹のメダカたちも満足気だ。水面には小さな蓮の葉がびっしり敷き詰められ、白い小さな花が三つ咲いている。注意して見ないと見逃してしまいそうな可憐な花だが、気品漂う。
蓮の葉の隙間をメダカたちは嬉々として泳ぎ回る。メダカもその隣のカメも、100%息子の管理下にあって、かわいいからと無暗に手出しはできない。そこで、息子に内緒で、秘かに彼らに名前をつけて楽しんでいる。メダカは6匹とも薄ピンク色で、大きさも泳ぎ方もほぼ同じだが、じっと見ているとそれぞれに個性がある。ピンクの体全体に黒い縞模様が浮いているヤツを、「ヨコシマ」と呼んでいる。だからといってヤツがねじ曲がった邪な心をもっているわけではない。気を悪くするだろうが、見たままを名前にしただけで、こちらに悪気はない。
色にも微妙な濃淡があって、いちばん色の薄いヤツを、「薄次郎」と命名した。背中の首辺りに、刀剣模様のあるヤツがいる。光の中で急反転すると、その刀剣模様がキラリと光る。水面で急反転し、一気に深みに突っ走るそやつを、「抜き打ち」と呼んでいる。物騒な名前だが、動きの切れ味のよさから、いい名だと自賛している。
太めのヤツがいる。他の連中より運動量が少ない、と読んだ。そこで、ダイエットのために一日一万歩歩け、という叱咤を込め、「万歩計」と名づけた。残りの2匹については面倒だから、「その他1号」「その他2号」と呼んでいる。
さて問題は、いつからわが家にいるのか、とんと思いつかないドロガメである。いつだったか、祭りで買ったミドリガメを同居させた。ミドリの成長は驚くほど早く、あっという間にドロガメを追い抜き、30センチ近い大きさになった。こいつら、実に仲が悪い。年じゅう喧嘩している。昼も夜も、水槽内を追いつ追われつガタガタバタバタ大騒ぎ。そして、いよいよ決着をつける日がきた。
明らかにミドリが優勢だ。体格といい、オレンジのタトゥーの入った太々しい顔つきといい、まさにガメラの風情。われらのドロガメにまるで勝ち目はない。ところがある朝、ミドリがだらりと全身をだらしなく伸ばし絶命していた。ドロガメはというと、水槽の岩の上で、のんびりと日光浴だ。ミドリの首にいくつも噛み傷があり、それが致命傷だった。ミドリが岩穴から首を伸ばすところを狙って、上からドロガメが噛みついたのだ。恐ろしいばかりの殺亀方法。その瞬間から、ドロガメを「ゴルゴ」と呼んでいる。
いま、「ゴルゴ」は、過去のすべてを水に流し、何食わぬ顔で水槽のガラスをゴンゴンと叩き、餌をねだる。まあいい、ミドリ殺亀事件はもう時効だ。よく見れば、とぼけて愛嬌のある顔の殺し屋を憎めない。辺りはすっかり明るく、街のざわめきが届き、通りをバスが走った。テラスは今日も、平和な、幸せな光に包まれる。



2019年12月19日 木曜日 16時30分56秒
■「体幹」と「心幹」を磨こう


そのとき、彼女は、鳥になった。体を丸め、凍りついた急斜面を崖から落下するように一気に滑り降り、そして、立ち上がるように全身を伸ばした瞬間、ふわりと中空へ飛翔した。山から強い横風が吹く。白い絵の具をまき散らしたように、雪煙が舞った。152センチの彼女の小鳥のような小さな体は、逆風をついて飛翔しながら、強い横風に煽られた。
ぐらり。揺れた。小鳥は、風に巻かれ、目標軌道を失ったかに見えた。彼女の体はたしかに揺れた。揺れたが、安定している。逆風や横風に煽られ揺れているが、安定した飛翔をつづけ、だれよりも遠くへ飛んだ。
「大事なのは体幹です。体幹を重点的に鍛えているんです」。いま、アスリートたちに注目されている言葉「体幹」。古くからあるこの言葉を今日に蘇らせ、その重要性を改めて世界に気づかせたのは、彼女だ。高梨沙耶。
人は、彼女を天才と賞賛する。飛翔した彼女の体は、たしかに強風に煽られて揺れた。だが、揺れたのではない。揺らいだのだ。「揺れる」と「揺らぐ」。この二つの言葉は、観客の目から見ると、同じに見える。だが、まったく違う。「揺れる」というのは、自分で「体の揺れ」をコントロールできない状態。「揺らぎ」は、自分で「体の揺れ」をコントロールできる状態。大きく違う。
剣豪宮本武蔵は、著書「五輪書」で、「揺らぎ=ゆらぎ」の重要性、「体幹」に触れている。「体幹」とは、読んで字のごとく、体の幹、体の芯のことで、体の大黒柱のこと。背骨だ。武蔵は、これがガチガチに固くてはダメだ、と言う。ガチガチに固いと、機に臨んで風のように柔軟に対応することができない。強い力を受けると、ポッキリ折れる。風に揺れる枝のように、柔らかく揺れる。それも、自分の意思で揺れなければならない。それを「ゆらぎ」と言う。
柔道や空手や剣道はもちろん、あらゆるスポーツは、動きの中で自然に「体幹」を磨いているが、高梨沙耶は、「体幹」を鍛える特別メニューをつくっている。この「体幹」、「ゆらぎ」は、企業や一つひとつの仕事、ビジネスにも応用できるものだ。機に臨んで、見事に「ゆらぐ」。2020年に向かって世界のアスリートたちが鍛えている「体幹」は、あらゆる世界で注目すべきものだ。
さらに、この「体幹」に対応して、「心幹」という言葉を創ってみた。心に幹をもち、芯をもち、大黒柱をもつ、という意味だ。そして、心にも「ゆらぎ」をもたせたい。どんなに強い逆風や横風にも、余裕をもって「ゆらぐ」心。自分でコントロールし、相手にコントロールされるのではない。
では、どのように「心幹」を磨くのか。磨かなければ、心は相手の力に流され、「ゆれる」のであって、自分の力となる、「ゆらぎ」にはならない。
書店にあふれる人間磨きの書やベストセラーの哲学書を紐解くのもいい方法だ。だが、日本には、「心幹」磨きに最適な書がある。日本古来の「神道」と「仏教」と「儒教」を凝縮し、根幹をあわせて著した、「武士道」である。
ご存知のように、「武士道」は、強い力として長い間日本を導いてきた。その強い力を、第二次大戦で帝国日本の軍部は、国民をまとめるために悪用した。その強い力を恐れた戦勝国アメリカは、「武士道」を排除した。アメリカは、見事に占領政策に成功し、日本の「心幹」を取り除いた。いま、時代の大きな転換期に際し、個人個人が、家庭が、企業が、国が、そして、それぞれの一つひとつの行為が、「ゆれる」のではなく、自身の意思によって「ゆらぐ」ために、「体幹」と「心幹」を磨くことが必要だ。ますます加速するネットと広がるグローバリズムの荒波に揉まれ、羅針盤を失った日本丸には、逞しい「体幹」と「心幹」が必要だ。



2019年12月19日 木曜日 15時15分28秒
■白鳥は 悲しからずや


「白鳥は 悲しからずや 海の青 空の青にも 染まずただよう」。
若山牧水のこの詩に出会ったのは、中学生の頃だろうか。白鳥の切なさ、悲しさ、牧水の孤独もろくに理解できないまま、妙に心にひっかかった。その後、白鳥の優雅さとはほど遠いが、海の青に、空の青に、ネオンの赤に、人間の黒に染まって、人生の海をただよってきた。
中学生の頃は、校則に逆らうこと、先生に反抗することが海の青に染まらないことだと、自分勝手の浅い理解のまま、白鳥の毅然さをイメージして強がったものだ。親に反抗することが、空の青に染まらないことだと、ジェームス・ディーンの理由なき反抗を気取っていた。独りよがりの黒い白鳥だった。
白秋を越えて玄冬の年齢に至り、いつもの川で一羽の白鳥と出会った。群れでいるわけでもなく、友がいるわけでもない。たった一羽で流れに漂っている。
牧水の白鳥を想い出した。牧水の白鳥も、あきらかに一羽だ。詩にそう書いてあるわけではないが、詩の表情から一羽で、孤独でなければならない。
「皇居から飛んできたんだ」と、訳知り顔でタケさんが言う。「いや、仲間といっしょに北に帰ることができないで、居残ってしまったんだ」と、アリさんが別の意見を披露する。そう言えば、体が少し小さいか。そうだな、いや、あんなもんだろう。でも、まだ子どもかもしれない、ほら、頭がグレーだろ。いい加減な連中の推量が飛び交う。たしかに頭頂にベレー帽のようにグレーの毛を乗せているが、全身は目が覚めるほど見事に白い。女王様のように、優雅で、美しい。周囲に、カルガモやカイツブリの群れが、女王様を守る騎士のように付き添う。
アリさんと今川さんが、「ほほう、ほほう」と、声をかけてパンを撒くと、対岸からゆっくりとこちらに向かう。川幅が200メートル以上もあるのに、こちらに気づいてゆっくりと流れを越えてくる。おつきの騎士たちが夢中で足を動かしているのに、白鳥は少しも足を動かしているようには見えない。尻尾にスクリュウーでもついているかのように、平然と、それでもかなりの速度で川を渡ってくる。毅然としたたたずまい、悠々とした動きの優雅さ、ただよう風格。そこには、孤独の悲しさなどない。流れは穏やかとはいえ、豊かな水量は相当の力で白鳥を下流に押し流そうとするが、白鳥はなにくわぬ顔で水面に美しい波紋を刻む。
ふと思う。この白鳥とて、さまざまな境遇の色に染まらないわけがない。ましてや、われら人間は、世間の清い色、濁った色、あらゆる色にごちゃごちゃに染められ、もみくしゃにされて生きている。青春時代は、新宿や渋谷の、親には絶対に言えないような、いかがわしい色に染まった。朱夏時代は、仕事仕事で、吐き気のするような人間関係の色に溺れた。青春時代や朱夏時代に、清濁合わせもった世間の色に染まらない生き方など、この大都会においてはとても無理な話だ。もし、そんな人がいるとしたら、映画「あじさいの歌」に出てくる、芦川いずみ演じる田園調布の箱入りお嬢さんしかいない。豊かな田園の中でのびのび育つ、映画「花と娘と白い道」の吉永小百合演じるヒロインしかいない。
人は、世の清濁の色に染まってなお、清く生きられるか。濁った人生となるか。広がる海の色、空の色に染まらないわけにはいかないのだ。そこで人生がどう染まってしまうのか。それは、自分次第だ。白鳥は、目の前で今川さんの投げたパンをゆっくりと食べている。他の鳥たちは、争うようにパンを取り合う。白鳥だけは、悠々と、優雅に、自分のペースだ。この品格は、どこからくるのだろう。牧水の詩から読み取れなかった、白鳥の毅然たる強さがそこにある。美しく、強く。白鳥は、ただ切ないだけではないのだ。



2019年12月19日 木曜日 15時8分3秒
■惜春、釜石にて


12月の昇段審査で「練習生6人に黒帯を獲らせたい」。釜石の道場の川端先輩から、その要望が空手道部監督次呂久に届いた。「ついては厳しい指導をお願いする。生きのいい学生、できれば全日本クラスの者の指導を仰ぎたい」。
次呂久はすぐに、全国大会選手の高田と林の二人に白羽の矢を立てた。「あの二人なら、元気者の釜石の連中も驚くだろう」。次呂久は、突き蹴りの基本がしっかりし、技の切れも鋭い二人を選んだ。
二人は、2週間の予定で釜石に向かった。よく晴れた秋の朝、二人は釜石に旅だった。二人とも釜石は初めての訪問だ。「おい金太郎、釜石は漁師町だ、うまいもんが食えるな」。高田が言う。林は、その風貌と勇猛な戦いぶりから、仲間たちに金太郎と呼ばれている。足柄山のあの金太郎だ。「稽古ができてうまいもんが食えれば、日本中どこへでも行く。たとえ熊がいようが」。金太郎が、いまにもマサカリを担ぎそうな赤い童顔をほころばせる。列車が釜石駅に滑りこんで驚いた。プラットホームに人々が集まり、ブラスバンドの音楽が響く。歓迎の幟が立ち、何本もの拳模様の旗が風になびく。派手な大漁旗が大きく振られる。かわいい女の子が花束を抱えている。「お祭りか?」 金太郎が、網棚からバッグを下ろしながら驚ろいた顔。「大漁祭りか、そいつはおもしれえ」。高田も窓越しにホームをのぞく。
「オス、お待ちしてました」。獅子頭のような金歯の並んだ大きな口を開け、いかにも人のよい、愚直な笑みを顔いっぱいに浮かべた中年の男が二人を迎える。「ほら、花束。音楽、止めるな」。花束女子とブラスバンドに怒鳴る。「世話役の三浦です」。深々と頭を下げる。道場の練習生はほとんどが社会人だ。土地柄、漁師と新日鉄釜石の社員が多く、酒屋、文房具屋、消防署員、教師、警察官がいる。獅子頭三浦は、工業高校で溶接を指導する教師だ。すぐ横で、同じく世話役を務めてくれる酒屋の軍治と、漁師の小久保がぺこぺこ頭を下げる。軍治も小久保も20代だ。社会人になると、「オス」という空手の挨拶は、ちょっと照れくさいが、得意にもなれて嬉しいものだ。
「祭りじゃねえな」。高田が言い、「出迎えだ」と、金太郎が笑う。車で10分ほど海岸道路を走り、消防署の3階の道場に着く。道場の入り口で次呂久が、「地味な迎えだったろう」と、腹を抱えて笑う。稽古は、午前6時から8時、昼の12時から午後1時、夕方5時から7時までの1日3回だ。黒帯に挑む6人を中心に熱の入った稽古が始まった。
旅館は道場から歩いて5分の海沿いにあった。小さな民宿で、次呂久、高田、林以外に客はいない。気を遣わずにすむ。食事は毎回海の幸がふんだんに出された。マグロ、タイ、スズキ、鯵、鯖、サザエ、アワビ、伊勢エビと、漁師の小久保が水揚げされたばかりの魚介類を料理してくれる。稽古以外の余暇は、実にのびのびと自由が楽しめた。いつでも岸壁で釣りが楽しめた。三浦が船で沖まで連れて行ってくれた。プカプカと昼寝をする、畳二畳ほどの大きなマンボウの背に乗る貴重な体験もした。
稽古では、軍治は十分に黒帯の実力があった。三浦は、人柄同様動きもゆったりしていて、かなりの修正が必要だった。小久保は漁師だけあって動きはいいが体が硬く、技の切れを鍛え直した。みんな、全身全霊で空手に向かって汗を流した。稽古が終わった後の食事が楽しみだった。空手の話から世界平和、人間論まで話が及んだ。数万トンという驚くほど大きな外国船が入港すると、街は爆発した。海岸のキャバレーは水夫であふれ、活気は天を突いた。それでも、稽古の手を抜くことはなかった。そして、幾星霜・・・。あの日、恐るべき大災害が釜石を襲った。三浦さん、軍ちゃん、小久保さんとはいまだ連絡が取れずにいる。



2019年12月19日 木曜日 14時59分11秒
■青春蜃気楼


台風22号の影響で、ハロウィンは、ずぶ濡れだ。週末、祭りの爆発を待ちきれないワンダーウーマンや魔女が、渋谷ハチ公前スクランブル交差点をうろうろさまよい始めた。
10月30日、渋谷にいる。ハロウィンは10月31日だから、前日だ。台風一過、空は見事に晴れた。交差点の目の前のカフェ。大きなガラス窓越し。メキシコ湾を疾走する青い大河、ガルフストリームのように流れる巨大な群衆を半ば感心し、半ばあきれ返って眺めている。
アメリカンコーヒーを一口。信号が、赤から青に変わる。スパイダーマンと骸骨男が肩をこづき合い、抱き合いながら、揺れ歩く。ここまで声は届かないが、顎がはずれたような大口だけが目に入る。ボルゾンだかブルゾンという人気タレントのメイク衣装を真似た女子たちが、TVカメラの取材に大げさにはしゃぐ。白く塗りたくった顔に、黒い幅広帽子を被った魔女軍団が、呪いの罵声を上げ、交差点の真ん中で輪を描く。
手に手に、手作りの大ガマを持っている。外国人観光団がカメラを向ける。赤や青を顔に塗りたくった傷だらけのゾンビが、V字サインを送る。ご丁寧に手錠をぶら下げた囚人もいて、横の婦人警察官が、手錠を握っている。
ハロウィンは、アイルランドのケルト人たちが始めた祭りだ。ケルトの人々にとっては、10月31日が1年の終わり、大晦日。先祖が帰ってくる。日本でいえば、お盆だ。先祖だけが帰るならいいが、悪霊や魔女連中も一緒にやってくる。
そこで、こやつらを追い払わなければならない。コスプレは、そのための悪霊撃退衣装だ。この祭りがおもしろいと、ヨーロッパに広まった。キリスト教や地元宗教とごっちゃになり、各自好き勝手な祭りに姿を変えた。アメリカと日本では、宗教とは無縁に、大衆文化として受け入れられた。特殊な例だ。
ガラス越しに見るコスプレイヤーたちは、若者が多い。10代20代がほとんどで、せいぜいが30代だ。同じスクランブル交差点をステージとする、「よさこい祭り」や「盆踊り」は、老若男女が寄り集うが、ハロウィンは、若者が主役だ。もはや玄冬の年齢を迎え、体力的に青春の輪に同化しがたいが、祭りにのめりこもうと遮二無二熱狂する若者を見ていると、なんともけなげに見え、応援したくなった。
だが、どこか、幕末の「ええじゃないか」に似た、やけっぱち狂乱気分だな。ちょっと切ない。抑圧された日ごろのうっぷんを、このときばかりにとはらしているようで、やるせない気分にもなる。
遠慮は無用だ、若者。行け、若者。踊れ、若者。歌え、狂え、若者。若気の狂気、若気の至りは、若いうちしかできないぞ。心のなかで叫ぶ。だが、と思う。迷惑行為だけはやめておけ。それだけは、よせ。「法」には逆らうな。「法」を敵に回すほど愚かなことはない。遊ぶのも、戦うのも、自由も、すべて「法」のなかでやることだ。JR山手線のガード下にうずくまる警備車両を横目で見ながら、そう思う。
まもなく、DJポリスもお出ましか。思えば、前の東京オリンピックの頃には、青春真っ只中の自分がここにいた。地元の大学空手道部にいて、ヤンチャ盛りだった。いまでは、「法」に逆らうな、などとえらそうなことを言っているが、何回警察にお世話になったことか。だが、1回もトクしたことはない。そりゃそうだ。哲人ソクラテスでさえ、「法」には逆らうな、と「法」に準じて自ら斃れた。
「自然」と「法」と「時代」に逆らって、トクした者はだれもいない。それさえ守っていれば、自由は限りなくでかい。なまじ小さな意地を張るから、世間が狭くなる。小さな誇りを捨て、大きな誇りを手に入れろ。踊るカボチャを見ながら、そう思う。「青春」など蜃気楼。あっという間に消える。そう、「人生」は蜃気楼だ。



2019年12月18日 水曜日 16時4分50秒
■いろは長屋に、春がきた


「おい大家、めでてえな」。いろは長屋の八と熊が、ガラッと障子を蹴破って飛び込む。
「おやおや、春がきた、バカがきた。八に熊、ずいぶんな挨拶だな。まあいい、上がんない。なに、もう上がってる。早いね。あらら、八、草履くらい脱ぎなよ。なに、草履脱いだら足が汚れる?この野郎。まあ、いいから座んない。ありゃ、もう座ってら。
ちょうど雑煮を食べながら、屠蘇を一杯やってるとこだ。雑煮、食うかい? ありゃ、もう箸もってやがる。早いね。屠蘇も一杯やんねえな。ありゃ、もう盃もってる。大谷のボールより早いねえ」。
大家さんも、わが子のような八と熊が、かわいくてたまらない。なにをやってもニコニコ笑ってる。「大家さん、待たしたな」。「だれも待っちゃいないやね」。「ええ、旧年中は」。「おお、八、ちゃんと挨拶できるんだな」。「かかあに教わってきた。旧年中は、世話したな」。「世話したのは、こっちだ」。「今年も世話しろ」。「いちいち乱暴な挨拶だな。ま、いい」。三人で雑煮を食べ、屠蘇を飲む。
「そうそう、奥の一茶さんにも挨拶しな。一茶さんは、八と熊が大好きだからな」。「おお、あの119だか575だか、いつもぶつぶつ言ってるやつな」。
「お、噂をすれば影だ。一茶さんが通る」。「めでたさも、中くらいなり、おらが春。うん、これだ」。「おい、一茶さん」。「ああ、大家さん、575」。「八、なんでやつは、話の終わりに575って言うんだ?」。「おまじないだろ」。「575」。「まだ言ってやがる」。じゃ、大家さん、おれたちこれから赤坂へ挨拶に行ってくら。熊が言い、立ち上がる。
「勝先生な。うん、行ってこい。喜ぶぞ」。元旦の午前の空は明るく晴れ、凧が光を浴びて、清風に舞っている。元気な子どもたちの声が飛び交い、羽根突きに興じる着物姿がなんともかわいい。「熊よ、今年はいい年になるぜ」。八が言い、熊が大きくうなづく。「お、平賀先生だ。先生、源内先生」。「エレキ」。
「先生、おめでとうございます」。「エレキ」。「今年はいい年になりますか?」。「エネルギー問題、原発問題をなんとかする。エレキ」。エレキエレキと叫びながら、源内は、子どもたちの頭を撫で、町へ消える。
「よう、正月早々バカの二人づれだな」。「ありゃ、バカにバカにされちゃった」。伊勢屋の息子長太郎が、道の真ん中で顔を崩して笑っている。「早々にお芝居かい?いいご身分だ」。「くっくっく、そうよ、差別は永遠になくならないのよ。それが、愚かな人間。正月歌舞伎だ、市川一門な、くっくっく」。「笑ってろ、バカ」。
八も熊も、長太郎がどこか憎めない。身分がいい者には、品がある。自分たちには手に入れることができない、氏育ちのからくる心地よい品がある。「先生、勝先生、いますか?」。
赤坂勝邸は、日枝神社の横にある。緩やかな上り坂にあり、今も邸跡があって、お洒落なバーがある。「その声は、八に熊か、上がんねえ」。奥から海舟の声がする。「あ、お客さまで」。「いいんだ、気のおけない友人だ。栄さん、これがいろは長屋の八と熊。おい、この人が、千葉道場の栄治郎さんだ」。「え、千葉の小天狗!?」。「お初にお目にかかります。千葉栄治郎です」。ていねいに頭を下げる。実るほど、頭を垂れる稲穂かな。八も熊も大あわてで座り直し頭を下げる。 
「カッカッカッ、もうヤットウの時代は終わりじゃき」。床の間あたりから声がした。ごろりと横になった男が、ぼさぼさ頭をぼりぼり搔き、両手を突き上げて欠伸をする。「龍さんも一杯どうだ?」。海舟が声をかける。「え、龍さんて、もしかして土佐の!?」。「おお、坂本龍馬よ。おれんとこに居候してる」。「ええっ!!」。八も熊も腰を抜かして動けない。
栄太郎が大口を開いて笑う。「革命じゃき、革命、日本を洗濯じゃき」。「八、革命ってなんだ?」。「知らん、食ったことねえ」。「徳川がなくなるんじゃ」。「なくなっちゃうの!?徳川が!?」。・・・聖ひかり、にらみ笑いの、髭奴・・・(耕雲)。謹んで新年のご挨拶を申し上げます。



2019年12月18日 水曜日 15時56分55秒
■ママに役立つ「こども孫子の兵法」


敵を知り、己を知れば、百戦して危うからず。「こども孫子の兵法」という本が売れている。テレビでもお馴染みの明治大学文学部教授、「声に出して読みたい日本語」を大ヒットさせた斎藤孝先生の監修だから、ベストセラーもうなずける。
基本となる「孫子」は、中国春秋戦国時代、呉の国の軍師「孫武」によって著された、その名の通り、兵法、戦いの専門書である。中国には有名な六書と呼ばれる兵法専門書があるが、内容といい、文章といい、「孫子」が最も優れている、と言ってよい。
「孫武」の調査に徹し、あらゆる角度から考えられ、生み出された具体的な策の一つひとつは、まさに完璧である。古くは、武田信玄、上杉謙信、信長、家康などの日本の戦国武将、幕末の英傑たち、日露戦争でロシアバルチック艦隊を撃破した東郷平八郎、第二次大戦で真珠湾奇襲を敢行した山本五十六など、それこそ「孫子」を小脇に彼らは戦った。自由主義経済のわが国のビジネスは、戦いである。そこでビジネス界でもほとんどのトップが、「孫子」を読み、日々のビジネスに活かしている。なぜなら、「孫子」は「心理学」の書としても非常に優れているからだ。ビジネスの武器である駆け引きには、これほど優れた教えはない。
「孫子の兵法」をおとなだけのものにするのはもったいない、という斎藤孝先生は、すばらしいところに目をつけた、と感心する。だが、と思う。「やはり、これでもまだむずかしいかな」と思う。
「こども」とは、何歳を想定しているのか。おそらく保育園幼稚園から小学生までだろう。やさしく、丁寧に、読みやすいように「ルビ」をつけてある。適度に楽しいイラストを添えて、できとしてはすばらしい。だが、やはり内容がむずかしい。高度である。そこで、「おっ!!」と気がついた。この本は、こどもが自分ひとりでは読めない。となると、ママかパパが読んであげることになる。そうか、ビジネスマンのパパは読んだことがあるかもしれないが、おそらくママは、戦いの専門書など見たことも読んだこともないだろう。戦いの専門書など見たことも読んだこともないママは、戦いのことをこどもに教えることができない。戦いのことを教わらないまま、こどもは戦いの中に放り出される。こどもは、学校で、塾で、公園で、好き嫌いにかかわらず戦いに巻き込まれる。要領のいい子はいいが、要領の悪い子は、勝てない。勉強ができるできない以上に、ライバルとの戦いに勝てないという問題を抱える。
「こども孫子の兵法」の最大の利点は、「ママもいっしょに学べる」というところにあった。いまさら、「そんなこと知らないわ」とも言いにくいママにとっては、「こどもに教えなくてはね」という堂々たる理由で、「自分が学べる」のだ。斎藤先生ならこの辺りも想定済みだろうが、見事に「売れるコツ」をつかんでいる。
でも、シリーズで出している、「こども武士道」、さらには、「こどもブッタのことば」のほうが、こどもたちにはわかりやすく、ためになると思う。国の方針である「人づくり政策」には、こちらのほうがうってつけだ。いずれにしても、これまでの教育カリキュラムの中にはない内容なので、こどもたちの新たなる才能の芽生えが期待できる。また、こどもたちの新たなる才能を育成していかなければ、拡大するグローバル時代に日本は遅れをとることになる。
「もし敵が鉄壁なら、適度に揺さぶりをかけて、内部から崩壊するように仕向ける」。これも「孫子」だが、どこかでこの策を見たことがありませんか。そう、尖閣列島にたいするあの国の策。日米同盟にたいするあの国の策。そう、揺さぶり作戦。彼らはしっかりと「孫子の兵法」の策通りに思考し、実行しているように思えてならないのは私だけだろうか。



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