高野耕一のエッセイ

2019/12/23
平成の黒船か?

「先生、先生、大変だあ」。赤坂氷川下海舟邸は坂の途中にあって、玄関は道路から少し上がった所にある。こだわりのない海舟らしい質素な門構えだ。その日、一人の男が息せき切って、玄関前の石段を転がりながら飛び込んできた。
「なんでえ、朝っぱらからけたたましいな。大変は、熊公の専売特許だぜ」。海舟は、庭に面した縁側で書を認めている。「おい、遠慮はいらねえ、こっちへ回んな」。海舟は座り直し、庭の木々に目を移す。
梅が終わり、桜花がピンク色に膨らみ始めている。本居宣長の言うように、美しさと強さを併せもつ桜花は、武士の象徴だ。「日本人も弱くなったものよ」。海舟の口から、フッと溜息が漏れる。「腰抜けばかりになってしまった」。「あ、いたいた、先生、お帰り」。ぬっと長い顔を見せたのは、廻船問屋伊勢屋の倅だ。
「おう、長次郎かい。昨日長崎から帰った」。海舟は言い、「お民、茶をくれ」と、奥の部屋の女房に声をかける。そして振り返り、「で、なにが大変なんだい?吉原通いがばれて勘当でも食らったかい?」と、笑う。「いえ、今度はちがう、今度はむずかしい。いろは長屋の知恵じゃ無理だ。軍艦奉行の先生でなきゃ」。「大家さんが聞いたら怒るぜ」。「黒船よ黒船、平成の黒船だ」。「なんでえそりゃ?」。「アメリカの新大統領、ほら、歌留多とかいう野郎、犬も歩けばボーとしてる、猫にコンバンワ・・・」。「ははは、そりゃトランプじゃねえか」。「アメリカじゃそうだが、日本じゃ歌留多だ。野郎、TPPをぶち壊した挙句、二国間自由貿易なんてぬかしやがる。どうちがうかわかんねえけど」。「そりゃむずかしいな、そうか、おめえんとこ貿易商だな」。「親父なんかわけもわからないまま頭抱えて寝込んでら。ここは一つ孝行息子としてなんとかしたい」。
「ががが、そりゃ大変だ」。座敷の奥から不気味な声が響く。長次郎が首を伸ばしてのぞきこむと、床の間の脇でこちらに背を向けて、一人の侍がごろりと寝転んでいる。「わ、汚ねえな、でっけえな、先生、あのマグロみたいの、ありゃなんだ?あらら、マグロが尻掻いてやがる」。「ははは、俺の弟子でな、土佐の坂本ってんだ。長崎からいっしょにきたのよ」。「へえ、土佐の坂本ねえ。え?先生、もしかしたら、リョ、龍馬?坂本龍馬?」「ほう、知ってるかい。龍馬、おまえさんも有名になったもんだ」。
「ががが、おい、そこの女形」。マグロが寝転んだまま大声で叫ぶ。「歌留多じゃがの、うっちゃっとけ。やつの狙いは単純じゃき。孫子の兵法、相手をガサガサ揺さぶって、自分のペースに引き込む、主導権をつかむ。それだけじゃき」。「先生、そうなの?孫子の兵法?うっちゃっとけばいいの?」「そうだな、龍馬の先読みは、俺より正確だ」。ボリボリ頭を掻き、龍馬が起き上がる。
「まず、歌留多の顔を立てる。大老安倍守は小器用じゃき、無難に収めるだろうさ。歌留多野郎、友だちがいねえ上に敵ばっかり作る。武道の奥義は、敵を作らねえこと、敵を味方にすることじゃき。味方を敵にするなんざ最も愚かなことじゃき。安倍守が友だちになる。いいことじゃき」。「でも、歌留多は傍若無人な男です」。
「ががが、野郎もバカじゃねえ。利口でもねえが、そんなことは百も承知じゃき。損得に敏感だ。下手は打たねえよ。まあ、オタオタしないで手の内拝見じゃい」。「先生」。「その通り、親父にもそう言ってやれ。そうそう長次郎、俺んとこに龍馬がいることは内緒だぜ。幕臣の俺が土佐者を居候なんて笑い話じゃ済まん」。海舟が指を立てる。
「龍馬、ごろごろしてるのも飽きるな、釣りにでも行くかい?」。「いいですねえ先生、でも、江戸湾にクジラはおらんな」。世の中騒々しいほど、優れた人材が必要だ。
2019年12月20日 金曜日 15時20分56秒
■おもしろ言葉に、ご用心


「へったくれ、へったくれ、どっかにないか、へったくれやーい」。「おや、団五郎、なにをブツブツ言ってるんだい」。「あ、源内先生、ちょうどよかった。ね、先生、教えて」。
普段の暮らしの中で何気なく使ってる言葉に、なにやらおもしろいけれど、意味不明な不思議な言葉がたくさんある。団五郎は、その一つが気になって仕方がない。
「なんだい?」。旅役者団五郎の汗にまみれて白粉が乱れ、崩れかけた土蔵のような不気味な顔を、源内は覗きこんだ。「いえね、先生。ここんとこ客の入りが悪くて、こうしてビラまいてるんですが、みんな忙しくて、芝居もへったくれもあるかって言う。思わず、へったくれくらいあるわさ、と言った。そしたら、なに、へったくれがあるって、あるなら見せてみろ、こう言いやがる。先生、へったくれって、どこに行けばあるんだ?」。
「はははは、それで、へったくれ、へったくれってブツブツ言ってたのかい」。「そう、土用丑の日ウナギの日って、日本最初の広告コピーを作った先生なら、へったくれくらい知ってるな。へったくれって、食い物か?うまいか?」。なるほど言われてみれば、へったくれの語源は、不明だ。源内は思った。「そうよな、へったくれの語源はよくわかってないな。食い物ではない。まあ、取るに足りないものとか、どうでもいいようなこと、の意味だな」。「へえ、そうか、意味はわかった。語源がわからない言葉もあるんだなあ」。
「一説には、大阪弁で、ヘチマのまくれたの、それをへったくれと言うそうだ」。「なるほど、そりゃ取るに足りない。先生、考えてみると、そんな言葉ってけっこうあるね。たとえば、生憎の雨なんていう、生憎な、それとか、埒が明かないってのもよくわからない」。生憎の雨の「あいにく」。これは、古代語の「ああ憎らしい」という言葉が転訛したものだ。「ああ憎らしい」が「あや憎し」になり、それが「あいにく」となった。「ああ憎らしい雨」が「あや憎し雨」になり、「あいにくの雨」となった。「聞きゃあ、なるほどと思うけど、いい加減だね」。「普段使い言葉は、言いやすいように変化していくものさ」。「渋谷ギャルのハショリ言葉をバカにできないね」。「そりゃそうさ、いつの時代でも、だれでも言葉をハショッてきた。人と水は、低い方に流れるものさ。だから、用心してかからなくちゃいかんな」。
埒が明かない。これは、春日神社の祭礼の前の晩、まだ入っちゃいけないと、埒という馬を囲う柵を作った。翌朝、その埒が明くと、みんな入ることができた。埒が明かないというのは、始まらない。埒が明くというのは、始まるという意味だ。
「埒って馬の柵のことか。なるほど、聞きゃあわかる」。イナセってのが、ボラの子どもの背中「鯔背」ってのもおもしろいだろ?「え、あの粋で、かっこいいイナセが、ボラの子どもの背中?先生、そりゃどうしてよ?」。魚河岸の若い衆のかっこいい髪型が、ふと見るとボラの子どもの背中「鯔背」に似ていた。そこでこの髪型を「いなせいちょう」と呼んでいたが、そのうち、若い衆の粋や、かっこよい様子をイナセと言うようになった。
「先生、おもしろいな。言葉って、ずいぶん古くからあるし、意味があるし、時代とともに変化していくってのがいいね。言葉は、生き物だね」。「団五郎、いいところに気がついた。言葉は生き物だ。だから、ひとの心に響くんだよ。おれたちは、生きてる言葉を生きたまま話さなきゃいかんのさ。言葉を死なしちゃダメだ。とくにあんたは役者だしな」。
そろそろ話しに「けり」をつけよう。「けり」は、俳句の作法、完了の助動詞からきた。「赤とんぼ 筑波に雲も なかりけり」(子規)の「けり」。本日は、このへんで終わりに「けり」。



2019年12月20日 金曜日 14時36分14秒
■「拳と花」


朝靄をついて剣を振る。男は着流しである。春とはいえ、早朝の鎌倉は、まだ肌寒い。男の額にうっすらと汗が浮かぶ。抜きうちで一文字になぎった剣を、上段に流す。上段から唐竹割りに振りおろす。一陣の風に似た動きに、朝靄がゆらりと揺らぐ。剣を静かに鞘に納める。目前の虚空の敵に心を残し、ゆっくりと息を吐く肩に、一片の赤い花びらがハラリと落ちた。剣が触れたか。腹を切る剣が、花を散らしたか。目を閉じ、剣の道を漂う男。作家立原正秋は、こんな男ではなかったろうか。立原の代表作「剣と花」から、そう想像する。朝鮮人の母をもち、死の直前まで朝鮮名を日本名に変えなかった。中世日本に美と精神の本質を求め、だれよりも日本人の誇りを大切にした作家。「あれは、真の武士道ではない」と、三島由紀夫の自刃に唯一苦言を呈したのも立原だ。
今回のタイトルは、立原の「剣と花」から借りた。友人Mは、頭のよい男である。類まれな頑固頭で、筋の通らぬことには、けして首を縦に振らない。有名大学で学び大手企業に務め、やっとさまざまなものから解放された。理解力、分析力に優れ、脳回転がよい。人生に謹厳であり、なにより人間が上質である。
そのMが言う。「空手ってやつは、中途半端でいかん」。われらは、経堂駅前のパブで飲んでいる。「ほう、そうきたか」。友人の顔を、私は見る。私が空手二段で、いまも学生たちに指導していることを承知の上で、彼は言うのだ。「どこが中途半端だ?」。「あの寸止めがいかん」。そう言う。
空手は、試合において、拳を相手に打ち込む「フルコンタクト」と、当たる寸前で拳を止める「寸止め」がある。ルールである。「寸止めがいかん」。「なぜ?」。「空手の本質を失っている」。そうきたか。彼は、青春時代にサッカーを経験したスポーツマンだ。だが、武道については、「通りすがりの旅人」である。勉強家の男だから造詣は深いが、「旅人」に過ぎない。
こちらはといえば、青春を武道に賭けてきた。武道を体で知り、肌で感じ、魂に刻んできた。「柔道は、まだ本質を残しているが、空手は本質を失っている」。Mの言葉には、二つの疑問が含まれる。一つは「空手の本質」、一つは「寸止め」だ。「空手の本質」問題に答えることが、「寸止め」問題の解答ともなる。「柔道と空手を並べるが、その本質がちがう」。Mに言う。柔道は、「格闘」を本質とし、空手は、「殺戮」を本質とする。空手は、殺人の技だ。空手の基本技は、敵を殺すための「突き」「蹴り」の二つ。単純だ。同じ武道でくくってしまうが、柔道とは本質がちがう。「だから、困ったのは、スポーツ化するときだ。殺戮を本質とする空手をスポーツ化する。矛盾が起きる。矛盾だらけだ。スポーツに殺戮はない」。あの柔道でさえ、スポーツ化に手こずり、大きな犠牲を払った。空手は、もっと大きな犠牲を払わなければならない。「本質からどんどん離れていく、ということかも知れない」。
だから、空手界には二つの理念が並立する。あくまでも武道としての空手を重視する武道派。スポーツとして広くひろめようとするスポーツ派。武道とスポーツがその本質を異とするように、現在の空手界には二つの異なる奔流が渦巻く。そこには、道場を運営する経済問題やさまざまな壁が立ちはだかる。
「寸止めのほうがむずかしい」。私は言う。「当てるほうが楽だ」。武道派とスポーツ派。フルコンタクトと寸止め。「双方に言い分があり、どっちも正しい。選択は自由だ。だが、学生には、道場の稽古では武道空手を教え、試合ではスポーツ空手をやらせている」。
Mが理解できたかどうか不明だ。「剣と花」の両方に美学を求める日本人。殺人拳は、活人拳でもある。散る花に、永遠の美を観る。日本人は、矛盾の奥に本質をさぐることができる。



2019年12月20日 金曜日 14時34分48秒
■銀座の風が、笑った


ギター、バーテン、喧嘩。その頃の青春の条件だ。
進学校なので3年になると受験のために部活を辞め、授業が終わるとみんなそそくさと塾や図書館に向かった。
だが、私の足は銀座に向かう。銀座八丁目資生堂裏、バー「A」。私はそこで、バーテン見習いのアルバイトを始めた。受験費用を稼ぐという名目だったが、青春の条件を体験したいというのが本当のところだ。バーテンの宮坂さんは、高校生から見ると、型にはまった学校の先生とは違って、自由で人間味にあふれ、素晴らしき大人に見えた。
ポマードできちっと固めた髪。糊のきいたハイカラーワイシャツ。きりっと締めた舶来のネクタイ。穏やかな笑みを絶やさない。映画スターが尻尾を巻いて逃げるほどの甘いマスク。シェーカーを振りながら見せる艶っぽい表情やグラスに酒を注ぐふるまいは、爽やかだ。宮坂さん目当ての女性客も多く、周辺の喫茶店やショップにも女性ファンがたくさんいた。
学生時代は山岳部で、先輩や同輩も常連客だった。気心知れた仲間同士の熱き友情は、見ていて気持ちのよいものだった。
ママは、和服の似合う小柄で上品な人だった。お客の話に耳を傾け、小首をかしげる風情は、いかにも一流の銀座のママといった趣で、息を飲むほど美しかった。カクテルのつくり方、お客との会話のコツ、言葉遣い、目と気の配り方を宮坂さんは厳しく教えてくれた。「受験には役立ちそうもないけれど、人として大切な勉強ね」。そう言って、ママが笑った。
4時に店を開け、掃除。終わるとウェイトレス三人分の夜食を作る。もやしを毎日炒めること。宮坂さんはそう言い、毎日味見をし、「30点だ」と即座に評価した。100点取れたら、どんな料理でもできる、と言う。だが、宮坂さんは最後まで100点をくれなかった。店の前に「コンパル」という美人喫茶があった。香港女優がゲストで来店し、大騒動になった店だ。裏口がバーの前にあって、ゴミ袋を抱えた美人たちとよく顔を合わせた。「宮坂さんに渡して」と、小さく折った手紙を押し付ける美人がいた。「お礼よ」と、500円札をポケットに入れてくれた。当時の日給が、500円だった。銀座から下落合までのタクシー代も、500円だった。有名銀行の新橋支店長が、「趣味の絵が売れたので、はいチップ」と配ったのも、500円だった。
有楽町駅前に日劇があって、ダンシングチームの踊子たちが、客とともにやってきた。淡い記憶だが、若き倍賞千恵子や三田佳子がいた。踊子を連れてくるお客の分厚い財布には、目玉が飛び出るほどの札が詰まっていた。気前のいい人で、「この娘たちは、必ず大女優になる」と、高いカクテルを次々に注文し、子どものように笑う。
輸入洋酒を扱う牧さんは、バリッとした外国製スーツに身を包んでいるが、どこか崩れた感じだ。「これ、飲めや」と、ヘネシーやジョニ黒を飲ませてくれた。「親父にも飲ませたい」と言うと、あるとき、「これ、もってけ」と、新聞紙にくるんだオールドパーをくれた。その頃まだあった八丁目の運河脇で、元ボクシング世界チャンピオンのSと立ち話をしただけで、「やつは本物のヤクザだ。つき合うんじゃない」と、本気で怒った。「いまこそ足を洗ったけど、昔はちょっとした顔だったんだ」。宮坂さんが、ボソリと牧さんのことを言った。牧さんの左手の小指はない。銀座と下落合では、同じバーでもまるで雰囲気が違った。土地柄だと思って、宮坂さんに尋ねると、「店は人がつくるもの。とくにお客さんが店をつくってくれる」と、教えてくれた。
4月初旬、週末、雨上がりの黄昏、銀座八丁目資生堂前。若い娘に寄り添って歩く白髪の紳士がいた。宮坂さんだとすぐにわかった。「ゆっくり恋のできる齢になった」。宮坂さんはそう言い、風のように笑った。



2019年12月19日 木曜日 16時33分20秒
■「諸行有情」の響きあり


「諸行無常。仏の言葉だ」。携帯電話の奥の声が言う。
狛江駅前のカフェテラス。山笑う季節。頬を過ぎる風が爛漫の春を告げるが、突然夏日が襲いかかる。まさしく今日はそんな日で、正午の陽ざしがシャツの袖をまくった腕を焦がす。
慈恵医大附属第三病院に入院の友を見舞った帰りだ。ゆっくりとコーヒーを味わう時間はある。さほど広くないテラスに6つの白いテーブルがあって、そのうち2つが陽ざしの中で眩しく輝き、2つが赤い日除けシートの日陰にうずくまっている。残りの2つのテーブルは、光と陰を半々に受け、陽ざしをあびて輝く部分に街路樹の影が揺れている。いま、そのテーブルにいる。
隣の日陰のテーブルには、若い美しい女性がいる。濃紺のスーツに身を包んだ毅然とした女性だ。脇の椅子に黒いバッグを置き、しきりに手帳になにかを書き込んでいる。営業の途中なのだろう。
最近、渋谷でもスーツ姿の若い女性をよく見かける。けなげで切ない気もするが、それは昭和の古い男の発想だろう。「そんな同情は真っ平よ。私は、のびのび働いてるわ」。そんな声が聞こえてきそうなハンサムウーマンだ。得意先と話しているのだろう、携帯での会話もてきぱきと歯切れがいい。女性は、男性の代わりに働くのではなく、女性の特質を存分に活かし、社会の中で独自の地位を築くべきだ。いまはまだ男性社会だから力を発揮しにくい面も多いだろうが、新しい時代はすぐにくる。
時代は、川の流れのように留まることなく流れている。顔を上げ、広がる青空を見る。絵に描いたような五月晴れだ。南の方角、多摩川上空から丹沢上空にかけて、筆で払ったような雲が流れる。「雲は天才である」、という石川啄木の言葉をフッと思い出した。啄木の本意をくみ取れないまでも、座右にしたい大好きな言葉だ。「雲のように生きたい」。そう願う。
あるとき、妻にそのことを言うと、「風が吹いたら、流されちゃうわよ」と、冷たく言い返された。「どうぞ、どんな風にも喜んで流されましょう」と、答える。「風に吹き飛ばされて、消えちゃうわよ」と、続けて言う。「いいさ、翌日また現われるよ」。そう答える。妻は、キッチンであきれ顔をする。雲は、あらゆる風に逆らうことをしない。だれの意見にも逆らうことなく、耳を傾ける。老若男女を問わず、善人悪人を問うこともなく、だれにでも、雨となって降り注ぐ。木にも花にも動物にも、すべての生命に寄り添い、恵みの水となって生命を育む。そんな人間になれるだろうか。
「雲は天才である」。啄木こそ天才だ。「諸行無情」。携帯電話の奥でそう言うのは、空手の師であり、人生の師でもあるJ先輩だ。癌を発症し、あっという間に15キロも体重を失った友人にかける言葉もなく、途方に暮れてJ先輩に救いを求めた。情けないが、白秋を過ぎ玄冬の歳になっても、弱音を吐きたいときがある。そんなときに頼るのは、J先輩だ。「切ないものです」。力なく呟く。「諸行無情。だからこそ、諸行に有情が必要だ」。剣豪武蔵が「五輪書」でいう「空」とはそういう意味だ、とも言う。「空」は「無」ではない。「空」には、無限の存在がある。たしかに生命は、神に与えられた時間に過ぎない。儚いかな、すべての生命は無常である。仏はそう言い、返す言葉で、「永遠の生命」を説く。
この両者の矛盾にこそ、「人間の英知がある」と説く。「諸行有情。諸行に情あり。人間に与えられた英知だ」。J先輩の言葉が、冷えた心に熱く沁みる。「風の声に耳を澄ましてみろ。諸行有情の響きありだ。まず、お前が友のためにどっしり構えることだ」。アイスコーヒーの氷に光が当たり、一瞬虹ができ、次の瞬間、消えた。雲が流れる。空は、永遠だろうか。明日また、友人を見舞おう。



2019年12月19日 木曜日 16時32分36秒
■ぼく、おれ、わたし、わし、じぶん


迷いの困惑か、繊細の美学か。ときどき、自分を「I」の一文字でかたずけてしまう英語が、うらやましいと思う。日本語では、自分を「ぼく」「おれ」「わたし」「わし」「じぶん」と、立場や状況に応じて、さまざまに使い分ける。それを生み出した日本人の繊細な感性には感心するが、いざ使う段になると、これが実にわずらしい。
作家や翻訳家は、その使い分けを楽しんでいるのか、苦しんでいるのか、金田一先生のご高説を拝聴したい。
「ぼく」と「おれ」「わたし」と「わし」と「じぶん」、どれを使うかによって、読み手に与える印象がまったく違う。言葉として最初に覚えたのは、「ぼく」だった。女の子なら、「わたし」とか「あたし」が普通だったが、東京育ちの男の子は、「ぼく」が普通だった。「おれ」は、ワイルドだし、使い方によっては乱暴だ。わが町下落合で、どこの家よりも早くテレビを買い、毎週水曜日に町のみんなにプロレスを見せてくれた、水野くんのような裕福な家の息子でも「ぼく」を使い、裕福ではない家の息子のぼくでも、同じように、「ぼく」と言っていた。「おれ」を使うこともあった。隣町の不良と対決したり、相手を威嚇したいときは、「おれ」を使った。強い男と見せるためには、「ぼく」より「おれ」のほうが似合った。
魚屋のゲン坊のように、いつも「おれ」だけを使う子もいた。イキのよさを売り物にする魚屋には、「ぼく」はたしかに甘すぎる。魚が腐る。「おれ」というワイルド感、スピード感、野性味のある言葉のほうが魚屋にはよく似合う。それは無礼でも、不親切でもなく、歯切れのいい言葉として聞こえた。
水野くんは「ぼく」で、ゲン坊は「おれ」が似合う。言ってみれば、ぼくのような中途半端なキャラクターの男が、「ぼく」だか「おれ」だか迷うのだ。
「わたし」というのは、女の子か大人が使ってふさわしい言葉だ。大人が使うと、相手との距離感がきちんと保て、礼儀正しく、響きも美しい。「ぼく」に対する言葉は「きみ」だし、「おれ」に対する言葉は「おまえ」だ。「わたし」に対する言葉は「あなた」だから、「わたし」という言葉には、相手に対する敬意が十分に含まれる。敬意を含む言葉は美しい。美しいが、いざ、ストーリーを書く場合、妙に大人びてしまう。心の距離感がありすぎて、感情移入がしにくい。もどかしい。心の距離感からみれば、「ぼく」「きみ」よりも、「おれ」「おまえ」のほうが近い。親密だ。
古い話だが、海軍予科練に、「きさまとおれとは、同期の桜」という歌がある。この「きさま」と「おれ」には、距離感がない。死ぬも生きるもいっしょだという覚悟があって、心の距離感なんかない。そんなとき、「きみとぼくとは同期の桜」とか「あなたとわたしは同期の桜」などと歌っても、とてもいっしょに死のうという気持ちにはなれない。親密さは、乱暴さにつながる。言葉は、相手との心の距離感や、状況に応じて選ぶのが正しい。
学生時代を運動部で過ごしてきたぼくにとっては、「じぶん」という言葉が非常に使いやすかった。その言葉には、謙虚さがあった。先輩に対しては、「ぼく」や「わたし」ではなく、「じぶん」という言葉が失礼ではなかった。ところが社会人になると、「じぶん」はちょっと不思議な存在になった。思えば、自衛隊とか警察官とかヤクザモンは、「じぶん」を使うのではないか。自分を「じぶん」というのは、謙虚さだとか、へりくだった響きがあるが、どうやら強力な組織に似合うのであって、一般社会には不自然だ。使うのを止めた。四つの季節の微妙な美を愛する日本人は、自分を表す言葉一つをとっても、複雑なほど美しい感性をもっている。少々面倒くさい人種だけど、まあ我慢しておこう。



2019年12月19日 木曜日 16時31分46秒
■殺し屋は、テラスにいる


東に向いた3階のテラスに、わが家でいちばん先に朝がくる。4時過ぎにはうっすらと明るくなり、バス通りの桜の木で鳥たちが鳴き始める。飛び方もぎこちない二羽の小雀が、屋根でピョンピョン跳ね回る。
徹夜仕事のふらつく頭で、アイスコーヒー片手にテラスの椅子に座る。冷気を含んだ朝風が気持ちいい。テーブルのゼラニュームが、真っ赤な花を三つ咲かせ、「美しいでしょ」と、得意顔。茂った緑の葉に逞しい生命力が宿る。美しさより、逞しい生命力に感心する。
横でミニトマトが実をつけている。ほどよく色づいた一つをつまんで口にふくむ。野生の香りがフッと舌先に走る。フルーツ化した最近のトマトが失くした野生の香りが、子どもの頃に遊んだ信州の野菜畑を想い起こさせる。ゆるやかな南風、ゆっくり明ける世界。いい朝だ。遥かに望む副都心のビル群も、やっと目覚めた。
ミニトマトの手前にメダカの甕がある。厚い土の甕は深さもたっぷりあって、6匹のメダカたちも満足気だ。水面には小さな蓮の葉がびっしり敷き詰められ、白い小さな花が三つ咲いている。注意して見ないと見逃してしまいそうな可憐な花だが、気品漂う。
蓮の葉の隙間をメダカたちは嬉々として泳ぎ回る。メダカもその隣のカメも、100%息子の管理下にあって、かわいいからと無暗に手出しはできない。そこで、息子に内緒で、秘かに彼らに名前をつけて楽しんでいる。メダカは6匹とも薄ピンク色で、大きさも泳ぎ方もほぼ同じだが、じっと見ているとそれぞれに個性がある。ピンクの体全体に黒い縞模様が浮いているヤツを、「ヨコシマ」と呼んでいる。だからといってヤツがねじ曲がった邪な心をもっているわけではない。気を悪くするだろうが、見たままを名前にしただけで、こちらに悪気はない。
色にも微妙な濃淡があって、いちばん色の薄いヤツを、「薄次郎」と命名した。背中の首辺りに、刀剣模様のあるヤツがいる。光の中で急反転すると、その刀剣模様がキラリと光る。水面で急反転し、一気に深みに突っ走るそやつを、「抜き打ち」と呼んでいる。物騒な名前だが、動きの切れ味のよさから、いい名だと自賛している。
太めのヤツがいる。他の連中より運動量が少ない、と読んだ。そこで、ダイエットのために一日一万歩歩け、という叱咤を込め、「万歩計」と名づけた。残りの2匹については面倒だから、「その他1号」「その他2号」と呼んでいる。
さて問題は、いつからわが家にいるのか、とんと思いつかないドロガメである。いつだったか、祭りで買ったミドリガメを同居させた。ミドリの成長は驚くほど早く、あっという間にドロガメを追い抜き、30センチ近い大きさになった。こいつら、実に仲が悪い。年じゅう喧嘩している。昼も夜も、水槽内を追いつ追われつガタガタバタバタ大騒ぎ。そして、いよいよ決着をつける日がきた。
明らかにミドリが優勢だ。体格といい、オレンジのタトゥーの入った太々しい顔つきといい、まさにガメラの風情。われらのドロガメにまるで勝ち目はない。ところがある朝、ミドリがだらりと全身をだらしなく伸ばし絶命していた。ドロガメはというと、水槽の岩の上で、のんびりと日光浴だ。ミドリの首にいくつも噛み傷があり、それが致命傷だった。ミドリが岩穴から首を伸ばすところを狙って、上からドロガメが噛みついたのだ。恐ろしいばかりの殺亀方法。その瞬間から、ドロガメを「ゴルゴ」と呼んでいる。
いま、「ゴルゴ」は、過去のすべてを水に流し、何食わぬ顔で水槽のガラスをゴンゴンと叩き、餌をねだる。まあいい、ミドリ殺亀事件はもう時効だ。よく見れば、とぼけて愛嬌のある顔の殺し屋を憎めない。辺りはすっかり明るく、街のざわめきが届き、通りをバスが走った。テラスは今日も、平和な、幸せな光に包まれる。



2019年12月19日 木曜日 16時30分56秒
■「体幹」と「心幹」を磨こう


そのとき、彼女は、鳥になった。体を丸め、凍りついた急斜面を崖から落下するように一気に滑り降り、そして、立ち上がるように全身を伸ばした瞬間、ふわりと中空へ飛翔した。山から強い横風が吹く。白い絵の具をまき散らしたように、雪煙が舞った。152センチの彼女の小鳥のような小さな体は、逆風をついて飛翔しながら、強い横風に煽られた。
ぐらり。揺れた。小鳥は、風に巻かれ、目標軌道を失ったかに見えた。彼女の体はたしかに揺れた。揺れたが、安定している。逆風や横風に煽られ揺れているが、安定した飛翔をつづけ、だれよりも遠くへ飛んだ。
「大事なのは体幹です。体幹を重点的に鍛えているんです」。いま、アスリートたちに注目されている言葉「体幹」。古くからあるこの言葉を今日に蘇らせ、その重要性を改めて世界に気づかせたのは、彼女だ。高梨沙耶。
人は、彼女を天才と賞賛する。飛翔した彼女の体は、たしかに強風に煽られて揺れた。だが、揺れたのではない。揺らいだのだ。「揺れる」と「揺らぐ」。この二つの言葉は、観客の目から見ると、同じに見える。だが、まったく違う。「揺れる」というのは、自分で「体の揺れ」をコントロールできない状態。「揺らぎ」は、自分で「体の揺れ」をコントロールできる状態。大きく違う。
剣豪宮本武蔵は、著書「五輪書」で、「揺らぎ=ゆらぎ」の重要性、「体幹」に触れている。「体幹」とは、読んで字のごとく、体の幹、体の芯のことで、体の大黒柱のこと。背骨だ。武蔵は、これがガチガチに固くてはダメだ、と言う。ガチガチに固いと、機に臨んで風のように柔軟に対応することができない。強い力を受けると、ポッキリ折れる。風に揺れる枝のように、柔らかく揺れる。それも、自分の意思で揺れなければならない。それを「ゆらぎ」と言う。
柔道や空手や剣道はもちろん、あらゆるスポーツは、動きの中で自然に「体幹」を磨いているが、高梨沙耶は、「体幹」を鍛える特別メニューをつくっている。この「体幹」、「ゆらぎ」は、企業や一つひとつの仕事、ビジネスにも応用できるものだ。機に臨んで、見事に「ゆらぐ」。2020年に向かって世界のアスリートたちが鍛えている「体幹」は、あらゆる世界で注目すべきものだ。
さらに、この「体幹」に対応して、「心幹」という言葉を創ってみた。心に幹をもち、芯をもち、大黒柱をもつ、という意味だ。そして、心にも「ゆらぎ」をもたせたい。どんなに強い逆風や横風にも、余裕をもって「ゆらぐ」心。自分でコントロールし、相手にコントロールされるのではない。
では、どのように「心幹」を磨くのか。磨かなければ、心は相手の力に流され、「ゆれる」のであって、自分の力となる、「ゆらぎ」にはならない。
書店にあふれる人間磨きの書やベストセラーの哲学書を紐解くのもいい方法だ。だが、日本には、「心幹」磨きに最適な書がある。日本古来の「神道」と「仏教」と「儒教」を凝縮し、根幹をあわせて著した、「武士道」である。
ご存知のように、「武士道」は、強い力として長い間日本を導いてきた。その強い力を、第二次大戦で帝国日本の軍部は、国民をまとめるために悪用した。その強い力を恐れた戦勝国アメリカは、「武士道」を排除した。アメリカは、見事に占領政策に成功し、日本の「心幹」を取り除いた。いま、時代の大きな転換期に際し、個人個人が、家庭が、企業が、国が、そして、それぞれの一つひとつの行為が、「ゆれる」のではなく、自身の意思によって「ゆらぐ」ために、「体幹」と「心幹」を磨くことが必要だ。ますます加速するネットと広がるグローバリズムの荒波に揉まれ、羅針盤を失った日本丸には、逞しい「体幹」と「心幹」が必要だ。



2019年12月19日 木曜日 15時15分28秒
■白鳥は 悲しからずや


「白鳥は 悲しからずや 海の青 空の青にも 染まずただよう」。
若山牧水のこの詩に出会ったのは、中学生の頃だろうか。白鳥の切なさ、悲しさ、牧水の孤独もろくに理解できないまま、妙に心にひっかかった。その後、白鳥の優雅さとはほど遠いが、海の青に、空の青に、ネオンの赤に、人間の黒に染まって、人生の海をただよってきた。
中学生の頃は、校則に逆らうこと、先生に反抗することが海の青に染まらないことだと、自分勝手の浅い理解のまま、白鳥の毅然さをイメージして強がったものだ。親に反抗することが、空の青に染まらないことだと、ジェームス・ディーンの理由なき反抗を気取っていた。独りよがりの黒い白鳥だった。
白秋を越えて玄冬の年齢に至り、いつもの川で一羽の白鳥と出会った。群れでいるわけでもなく、友がいるわけでもない。たった一羽で流れに漂っている。
牧水の白鳥を想い出した。牧水の白鳥も、あきらかに一羽だ。詩にそう書いてあるわけではないが、詩の表情から一羽で、孤独でなければならない。
「皇居から飛んできたんだ」と、訳知り顔でタケさんが言う。「いや、仲間といっしょに北に帰ることができないで、居残ってしまったんだ」と、アリさんが別の意見を披露する。そう言えば、体が少し小さいか。そうだな、いや、あんなもんだろう。でも、まだ子どもかもしれない、ほら、頭がグレーだろ。いい加減な連中の推量が飛び交う。たしかに頭頂にベレー帽のようにグレーの毛を乗せているが、全身は目が覚めるほど見事に白い。女王様のように、優雅で、美しい。周囲に、カルガモやカイツブリの群れが、女王様を守る騎士のように付き添う。
アリさんと今川さんが、「ほほう、ほほう」と、声をかけてパンを撒くと、対岸からゆっくりとこちらに向かう。川幅が200メートル以上もあるのに、こちらに気づいてゆっくりと流れを越えてくる。おつきの騎士たちが夢中で足を動かしているのに、白鳥は少しも足を動かしているようには見えない。尻尾にスクリュウーでもついているかのように、平然と、それでもかなりの速度で川を渡ってくる。毅然としたたたずまい、悠々とした動きの優雅さ、ただよう風格。そこには、孤独の悲しさなどない。流れは穏やかとはいえ、豊かな水量は相当の力で白鳥を下流に押し流そうとするが、白鳥はなにくわぬ顔で水面に美しい波紋を刻む。
ふと思う。この白鳥とて、さまざまな境遇の色に染まらないわけがない。ましてや、われら人間は、世間の清い色、濁った色、あらゆる色にごちゃごちゃに染められ、もみくしゃにされて生きている。青春時代は、新宿や渋谷の、親には絶対に言えないような、いかがわしい色に染まった。朱夏時代は、仕事仕事で、吐き気のするような人間関係の色に溺れた。青春時代や朱夏時代に、清濁合わせもった世間の色に染まらない生き方など、この大都会においてはとても無理な話だ。もし、そんな人がいるとしたら、映画「あじさいの歌」に出てくる、芦川いずみ演じる田園調布の箱入りお嬢さんしかいない。豊かな田園の中でのびのび育つ、映画「花と娘と白い道」の吉永小百合演じるヒロインしかいない。
人は、世の清濁の色に染まってなお、清く生きられるか。濁った人生となるか。広がる海の色、空の色に染まらないわけにはいかないのだ。そこで人生がどう染まってしまうのか。それは、自分次第だ。白鳥は、目の前で今川さんの投げたパンをゆっくりと食べている。他の鳥たちは、争うようにパンを取り合う。白鳥だけは、悠々と、優雅に、自分のペースだ。この品格は、どこからくるのだろう。牧水の詩から読み取れなかった、白鳥の毅然たる強さがそこにある。美しく、強く。白鳥は、ただ切ないだけではないのだ。



2019年12月19日 木曜日 15時8分3秒
■惜春、釜石にて


12月の昇段審査で「練習生6人に黒帯を獲らせたい」。釜石の道場の川端先輩から、その要望が空手道部監督次呂久に届いた。「ついては厳しい指導をお願いする。生きのいい学生、できれば全日本クラスの者の指導を仰ぎたい」。
次呂久はすぐに、全国大会選手の高田と林の二人に白羽の矢を立てた。「あの二人なら、元気者の釜石の連中も驚くだろう」。次呂久は、突き蹴りの基本がしっかりし、技の切れも鋭い二人を選んだ。
二人は、2週間の予定で釜石に向かった。よく晴れた秋の朝、二人は釜石に旅だった。二人とも釜石は初めての訪問だ。「おい金太郎、釜石は漁師町だ、うまいもんが食えるな」。高田が言う。林は、その風貌と勇猛な戦いぶりから、仲間たちに金太郎と呼ばれている。足柄山のあの金太郎だ。「稽古ができてうまいもんが食えれば、日本中どこへでも行く。たとえ熊がいようが」。金太郎が、いまにもマサカリを担ぎそうな赤い童顔をほころばせる。列車が釜石駅に滑りこんで驚いた。プラットホームに人々が集まり、ブラスバンドの音楽が響く。歓迎の幟が立ち、何本もの拳模様の旗が風になびく。派手な大漁旗が大きく振られる。かわいい女の子が花束を抱えている。「お祭りか?」 金太郎が、網棚からバッグを下ろしながら驚ろいた顔。「大漁祭りか、そいつはおもしれえ」。高田も窓越しにホームをのぞく。
「オス、お待ちしてました」。獅子頭のような金歯の並んだ大きな口を開け、いかにも人のよい、愚直な笑みを顔いっぱいに浮かべた中年の男が二人を迎える。「ほら、花束。音楽、止めるな」。花束女子とブラスバンドに怒鳴る。「世話役の三浦です」。深々と頭を下げる。道場の練習生はほとんどが社会人だ。土地柄、漁師と新日鉄釜石の社員が多く、酒屋、文房具屋、消防署員、教師、警察官がいる。獅子頭三浦は、工業高校で溶接を指導する教師だ。すぐ横で、同じく世話役を務めてくれる酒屋の軍治と、漁師の小久保がぺこぺこ頭を下げる。軍治も小久保も20代だ。社会人になると、「オス」という空手の挨拶は、ちょっと照れくさいが、得意にもなれて嬉しいものだ。
「祭りじゃねえな」。高田が言い、「出迎えだ」と、金太郎が笑う。車で10分ほど海岸道路を走り、消防署の3階の道場に着く。道場の入り口で次呂久が、「地味な迎えだったろう」と、腹を抱えて笑う。稽古は、午前6時から8時、昼の12時から午後1時、夕方5時から7時までの1日3回だ。黒帯に挑む6人を中心に熱の入った稽古が始まった。
旅館は道場から歩いて5分の海沿いにあった。小さな民宿で、次呂久、高田、林以外に客はいない。気を遣わずにすむ。食事は毎回海の幸がふんだんに出された。マグロ、タイ、スズキ、鯵、鯖、サザエ、アワビ、伊勢エビと、漁師の小久保が水揚げされたばかりの魚介類を料理してくれる。稽古以外の余暇は、実にのびのびと自由が楽しめた。いつでも岸壁で釣りが楽しめた。三浦が船で沖まで連れて行ってくれた。プカプカと昼寝をする、畳二畳ほどの大きなマンボウの背に乗る貴重な体験もした。
稽古では、軍治は十分に黒帯の実力があった。三浦は、人柄同様動きもゆったりしていて、かなりの修正が必要だった。小久保は漁師だけあって動きはいいが体が硬く、技の切れを鍛え直した。みんな、全身全霊で空手に向かって汗を流した。稽古が終わった後の食事が楽しみだった。空手の話から世界平和、人間論まで話が及んだ。数万トンという驚くほど大きな外国船が入港すると、街は爆発した。海岸のキャバレーは水夫であふれ、活気は天を突いた。それでも、稽古の手を抜くことはなかった。そして、幾星霜・・・。あの日、恐るべき大災害が釜石を襲った。三浦さん、軍ちゃん、小久保さんとはいまだ連絡が取れずにいる。



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