高野耕一のエッセイ

2020/09/14
■ ハイエナに思いやりはない

ハイエナは、肉に食らいつく。ハイエナの目の前にいるのは、鹿ではなく肉だ。
ある経営者の方と話していて腰をぬかした。金です。すべては金です。なにがなんでも金です。彼は、堂々とそう言う。本当にそう思うのですか、と聞き返した。逆に、あなたが甘いというようなことを言われた。わからないわけではないが、それを会社のトップとして公言するのは、非常に具合が悪い。人間はハイエナになれと言っているのだ。肉に食らいつくハイエナのように、金に食らいつく人間になれと言う。知恵もなく、文化もなく、品位もなく、社会は消滅しますよ、と言ってもどうも納得していないようだ。
彼の会社には、まだ人間的な社員はいるし、周りには彼をオトナとして見る子どもたちもいる。社会がある。そこに向かってハイエナになれとは、恐ろしいことを言うなあと思わず首を振った。会社が経済的に苦しいのはどこもいっしょである。だが、ここが人間として生きるか、ハイエナに落ちるかの分岐点である。
思えば、世の中はどんどんハイエナ化している。世界情勢のハイエナ化。日本の国のハイエナ化。ハイエナと人間の違いを整理しよう。わたしの私見だから、異論はあると思うが、まあ聞いていただきたい。ハイエナは、空腹を満たすという目的に向かって、そのまま行動に出る。肉に食らいつく。人間は、肉を食べるにも、ハイエナのようにただ食らいつくのではない。焼いたり、皿を用意したり、ナイフを使ったり、フォークを使ったり、タレを開発したり、横にワインを置いたりと、知恵を使う。工夫する。そこに文化が生まれる。人間は、@目的⇒A知恵、工夫、思想⇒B行動、の流れを持つ。Aは、人間が築いてきた文化だ。ハイエナにAはない。@から突然Bとなる。極論すれば、@から突然Bにいくのは、強盗をしても金を手に入れる、という理論だ。現にハイエナは、他の動物の肉を横から奪う。人間のもっとも人間らしいところ、人間としての存在理由は、このA文化にある。貧すれば貪する。これは文化を否定する言葉だ。人間が人間として生き抜いていく結論など、だれにも出せるものではないが、ハイエナのように本能にまかせて生きるだけではだめだ。かといって、文化ばかりを叫んでも生命力の弱い動物になり下がる。人間は動物であることに間違いはないが、ハイエナのように本能をむき出しにすれば、世界は戦争に包まれ、地球さえ滅ぼしてしまう。
人間は神を創造し、自ら弱さを認めたところから動物と違った。ハイエナに神はいない。さらに、科学もない。人間は神と科学のバランスで進化する。本能だけのハイエナに進化はなく、むしろ退化と滅亡へと進む。
思えば、視聴率さえあがればなんでもするテレビ番組が、子どもたちや社会をハイエナ化したことも事実だ。文化の中で大切な、思想がなかった。恋ひとつにしても、@から突然Bである。Aなど面倒くさいのである。実際、文化とはある意味面倒くさいものである。テレビ社会が亡国につながると看破したのは、ノーベル賞作家の三島由紀夫だ。文化の究極となる思想とは、相手に対する「思いやり」である。実は、世界を救い、街を救い、家庭を救い、自分を救うのは、もはや「思いやり」しかないとわたしは思っている。国々も、政党も、企業も、なにもかもが自分の都合だけを主張して生き始めている。ハイエナが目の前の鹿を肉としか見ないように、お客さまを金としか見ない企業が増えないことを願うだけだ。オトナたちのハイエナ化が、子どもたちや国の将来をハイエナ化していることに気づくべきだ。
2020/09/14
■ 傘をたたんで母は

「梅雨傘をたたんで母は旅立ちぬ(耕雲)」。
6月11日。朝まで降っていた雨が午前11時にはあがって、神が手を差し伸べるように、雲間からやさしい陽光がこぼれ始めた。新橋駅でバスを降り、汐留の高層ビル群を見上げると、ビルとビルの間にからりと晴れ上がった青空が見える。海からの風が、まだ乾き切っていないアスファルトの大通りを吹き抜ける。母は、晴れを呼ぶ女性だった。
母ちゃんが何かしようとすると、いつも雨が止むんだよ、不思議だね。ともに暮らす三男の弟・信治が驚いていう。ぼくらは、男ばかりの五人兄弟。次男の敬二は、26年前、38歳で他界した。ぼくらは全員、母のことを母ちゃんと呼んでいる。第一京浜国道の隣のドトールコーヒーの通りに面したテラス席が空いている。200円のアメリカンコーヒーを注文し、テラス席に座る。行き交う車の列に夏を思わせる陽光が照りつけ、道行く人々は上着を脱いで手にもち、ハンカチで汗を拭く。打ち合わせまで15分ある。空が青すぎる。母と信治のことを思い出す。
今年1月、88歳を迎えた母は、数年前から認知症が始まっていて、ベッドに寝た切りとなった。左腕の肘の横に肉腫が見つかったのは、昨年だった。新大久保の社会保険庁中央病院で手当てを受けた。放射線治療である。ザクロのように腫れあがった肉腫がはじけたら、危ないです。細菌に感染したら、その日のうちに命を落とすこともあります。主治医の先生が、全力を尽くします。とりあえず10回ほど放射線で叩きましょう。そういった。下落合の実家から、新大久保まで通院する。その日から、母と信治の新たな戦いが始まった。会いに行くと、車椅子の母は、気丈に笑った。長男のぼくを思い出さないこともあった。信治が、耕一、長男、と母の耳元で叫び、ぼくが母の手を握るとうれしそうに笑った。母の手が細く小さかった。1クールが終わるころ、病状が落ち着いた。四男の里志も五男の守男も小さく安堵した。信治が家で世話をするのが大変だった。介護ホームにもお世話になった。
夏、看病する信治が癌に犯された。2度にわたる手術で、肝臓を取り去った。自分が入院しながら、信治は母の心配ばかりしていた。彼は、会社を辞めた。母は、2度目の放射線治療に挑んだ。ザクロは確実に大きくなっていた。今年、母は熱を出した。左肺に影があった。緊急入院となった。白い影は、たちまち左肺を潰した。26年前、敬二を看取り、7年前、父を看取った信治は、近づいた梅雨の雨よりも多くの涙を流した。結婚もせず、母とともに暮らしていた信治の悲しみは、ぼくの数十倍、数百倍のものだ。高校・大学と合宿生活が多く、早くから下落合を出てしまったぼくは、長男とはいえ信治に顔向けができない。
コーヒーを飲み終わり、打ち合わせをする。雨が降って、止み、晴れたことが気になった。昨日、転院を予定していたが、病状が悪化して無理だった。医師のすすめもあって、信治が個室を手配した。辛そうだったら、モルヒネを打ってください。ぼくらは、医師にそうお願いしていた。モルヒネを打つと、長くても一週間しか命はもちません。医師がそういったが、ぼくら兄弟は、母の一生を辛いもので終わらせたくないと思い、お願いした。
もう、本人に決断する意志も力もなかった。打ち合わせが終わると、病院から電話があり、すぐにきてくれという。守男とぼくは新橋からタクシーを飛ばした。妻ののり子が見舞にきていたが、そのまま母のそばにいた。弟たちの家族が集まり、息子の豪太が4時に病院についた。4時25分。母は88年の生涯を閉じた。父を愛し、敬二を愛した母は、静かに彼らの待つ場所に行った。「弟の 涙に負けて 雨あがり(耕雲)」。な、あんちゃん、晴れただろう。信治がいった。
2020/09/09
■ 空手道部に入りませんか?

日本列島をソメイヨシノが咲き抜け、八重桜が花びらを落とし、2009年の春が行こうとしている。だがさびしいかな、創部60周年を迎えるわが國学院大学空手道部は、まだ深い冬の中にいる。やっと雪解けの兆しが見えてきたのは、9代次呂久英樹先輩を監督に迎えた昨年のことだ。
新監督の次呂久先輩は、13代のわたしが空手道部に入部した40数年前に監督となり、その後わが空手道部を全国制覇へと導き、名門の道を築いた武道家である。初代小倉基先輩が応援団と同時にわが空手道部を起こして60年、部員数の激減により、選手5人の団体チームさえ組めない厳しい状況が続いている。わたしの現役の頃には100人近い部員がいた。部員激減の詳しい原因はわたしにはわからない。空手そのものが時代の潮流からはずれ、人気のないものとなったのかと思ったが、あながちそうともいい切れない。
サポーターばかりだとはいえ格闘技がブームとなり、大学空手道においても明治大学や帝京大学には多くの部員がいると聞く。われら空手道部OB会「紫魂会」は、この状況を憂慮し、新会長に12代小柴先輩を迎え、まず次呂久先輩を口説き落として監督に迎えたというわけだ。小柴会長のマニフェストは二つ、現役部員の増強とOB会員の参加数の増加だ。昨年の春、3年生の女性主将と2年生が3人いた。だが、その部員たちも去った。残念なことだ。とくに3人の2年生は、純粋な心をもち、空手が好きな連中だった。いまいればどんなに強くなっただろうと無念に思うが、もはや死んだ子の歳を数えても仕方があるまい。
昨年、大角くんと遠藤くんが入部し、次呂久監督のもとでこの1年間稽古に励んだ。大角くんと遠藤くんは、先日の駒沢大会で一般の部で3位に入賞したコーチの丸茂くんの厳しい稽古にも耐え、日を増すごとに強くなっている。同時に、たった二人で國學院大學空手道部を守っている。広い道場でたった二人の稽古を続ける彼らを見るたびに、強くなれと祈らざるを得ない。そして4月、待望の新入部員が入った。小島くん、松浦くん、古橋くんの3人の若者だ。たった3人、されど3人である。実にいい顔をし、いい瞳をしている。高校を卒業して一度社会人を経験して大学に入り直した小島くんは、空手という一途の道を歩む熱血の男と見た。不敵な眼差しで、社会に挑む気配をみなぎらせる松浦くんの、頼もしい風貌は心強い。付属の國學院高校の水泳部だった古橋くんは、ジャニーズ系のまさにイケメンだが、芯の強さを感じさせる好青年だ。この3人、わたしに新撰組を彷彿とさせる。小島くんは、悠然たる近藤勇。松浦くんは、燃える土方歳三。古橋くんは、剣の天才沖田総司。さらに、阿南高校で空手を経験している長野県飯田市出身の2年生の長沼くんの入部がうれしい限りだ。新入生が入ってきて、大角くんと遠藤くんの成長ぶりが際立って見える。
高校から空手をやっていた素地が磨かれ、技に切れが見え始めた大角くんに落ち着きが出た。入学時、姿勢の悪さを矯正された遠藤くんは、背筋がしゃきっと伸び、技に速度が加わり、試合場でも堂々と見え始めた。まだ國學院大學空手道部の春は遠いが、爽快な風が吹き始めた。もっと部員を集めたい。空手で磨いた生涯の宝塔を心身に打ち立てん若者よ、ぜひ、空手道部に入部を。11月の60周年記念パーティには全国のОBの参加を呼び掛けたい。冬は、必ず春となる。
2020/09/09
■ 人は、脳で動く

ここ最近、脳に関心をもっている。息子が茂木健一郎さんの講演に行ったりしているので、私も脳に興味を覚えてしまった。書店に行っても脳の書籍が多いので、ちょっとしたブームかなと思い、読みやすそうな本を図書館で借り、バスでも風呂でもトイレでも、片時も離さず読んでいる。
脳には1000億個の神経細胞があり、1秒に1個死滅してゆく。でも、ご安心を。1000億個のほとんどが使われていない予備であり、その予備の神経細胞が死んでゆくだけだから、当人の日常生活にはまったく影響がないのである。その死滅し続ける神経細胞の中で、唯一それが増える箇所がある。それが記憶を司る海馬と呼ばれる部位だ。
海馬とは、タツノオトシゴのことで、形が似ているのでそう呼ばれている。トドのことも海馬というが、これは脳の海馬とは似ていない。神経細胞が増える、となれば増やしてみたいし、記憶を司る、となればおのずと大事にしたくなるのが人情である。海馬は「記憶装置」だ、という学者もいれば、記憶の「仕分け装置」だ、という学者もいて、両方の働きをすることは間違いがないようだ。
では、記憶の「仕分け装置」とは、どんな働きなのか。入力された情報が、必要か不要か。それを仕分けし、必要な情報だけを記憶し、不要の情報は記憶をせずに捨て去るのだ。その分別作業を海馬がするのである。となれば、わたしのように広告に携わるものは、ぜがひでもお得意先の広告は記憶に残したい、と考える。海馬の仕分けのときに、捨てられずに、記憶に残す。こう思うのが当たり前で、広告づくりのときにそれを計算に入れて創りたい。そう願う。
では、どうすれば海馬に気に入られて記憶に残るのか。そのヒントは、刺激である。海馬に刺激を与えれば、神経細胞は増える。海馬の神経細胞が多いほうが頭がいいことは、実験結果でわかっている。マウスの実験だが。海馬には可塑性という性質があり、可塑性は弾性とは逆で、刺激によって凹むと、その凹みが戻らない。弾性は、ゴムマリのように凹んでも元に戻る性質であるが、可塑性はその逆だ。神経細胞が増えることも大事だが、記憶にはこの凹みが重要なのだ。よく頭のよさと脳の皺の数を関連づけるが、これはどうやら違うようだ。脳の皺ならイルカが圧倒的に多い。大きさと関連づけるなら、鯨の脳は非常に大きい。
男性の脳は1400グラム、女性の脳は1200グラム。頭のよさは、皺の数も大きさも決め手にはならない。さて、海馬のすぐ脇にある扁桃体、これにも注目したい。好き嫌い。恐いやさしい。いい感じ悪い感じ。つまり、こういった情緒を司り、その情報を海馬に伝える。この役目は重要だ。海馬の記憶は、「印象の記憶」だといわれている。「情緒の記憶」だ。しばらくぶりに会った人で、交わした言葉など記憶にはないが「あ、こいつ、いいやつだった」とか覚えている。その反対もある。これが「印象の記憶」。ブランド広告そのものである。扁桃体の働きである。ボケ突っ込みコミュニケーションやクイズ番組は、脳が喜ぶ基本だ。刺激を欲しがっている海馬を刺激するからだ。最近、酒を飲んでいても脳の話ばかりしているので、友人たちの脳が私を敬遠し始めている。
2020/09/09
■ 贅沢にも、料亭の話です

この時期贅沢な話だが、懇意にしている料亭が6軒ある。いずれもすばらしい料亭で、それぞれにすてきな味を持っている。
小田急線の千歳船橋駅と経堂駅の近辺だ。千歳船橋駅から歩いて5分。環状8号線を越え廻沢に向かう道筋に料亭「タナベ」がある。ここは、うまい赤ワインをじっくりと楽しませてくれるのが特徴。新潟出身のご亭主は、荒削りの木彫りの熊のような風貌であるが、付き合ってみると大変気さくでよく笑い、包容力にあふれている。
女将は、小柄で品がよく、鼻が立派とご近所でも有名な色白の美人で、お茶のソムリエの資格を持つ。先日、妻と二人で散歩の途中お茶を御馳走になったが、お茶とはこんなにおいしいものかと感動した。いままで飲んでいたのはお茶じゃない。そうまで思ってしまった。ご主人が漁業関連の仕事に携わっていた関係上、新婚時代をマダカスカルで過ごした。熱い時代をとんでもなく熱いところで過ごしたのである。料理もワインも極上で、人柄のいいご夫婦。話が弾むのも当然である。経堂駅から東急世田谷線に向かって5分ほど歩くと、閑静な住宅街に料亭「やま川」がある。表から見ると普通の民家風だから、前を通っても見落としてしまう。ここの呼び物は、ご亭主の料理と、バイオリン奏者高嶋ちさと似の甲府美人の女将である。ご亭主は、旬の食材を自ら探し歩き、仕入、料理を自分でしなければ気に入らないという徹底ぶり。そんなの当たり前だろと、口を尖がらせる。どちらかといえば偏屈な男だ。気に入らない客は門前払いとなる。
先日、食材を求めてロシアと中国の国境まで出かけて行方不明になり、女将が警察に消息願いを出そうとしたが、それは単純に夫婦間のコミュニケーションがなかっただけだとわかった。コミュニケーションがないと言いながら、旅にはご夫婦でペアルックのセーターなどを着て、世間をあっと言わせたりする。世田谷通りの上町近く、自転車屋の前を入ったところに料亭「フジイ」がある。ご亭主は、根っからの遊び人で、若い頃から粋筋のお姐さん方とは必要以上に懇意にしてきた。ここの呼び物は、ご亭主の焼酎に対するこだわりとご亭主女将二人の明るさである。とにかくご主人は、だれか友人がいれば意味もなく明るくなれる性格で、また女将の明るさときたら、なにものにも負けない天然のすごみがある。一年中、リオのカーニバルのようなけた外れの明るさで、ビスが一本足りないのではないかと心配になり「ビス・ユニバース」と呼んだら、うれしそうに笑い返してきた。お見事。
世田谷通り、関東中央病院近くの桜並木沿いにあるのが料亭「みやもり」だ。ご亭主は、アジアにも別宅を持ち、日本の家とのかけもちだが、女将の器量で、表面だけは実にうまく繕っている。世界を駆け回るご亭主は、とくにワインに精通しながら、蘊蓄を語らず、ごたくを並べず、飲んだらころりと寝る乳飲み子のような男で、笑顔がとくによく、どんな嘘でもその笑顔を見て女将は許してしまう。酒、料理ともにうまく、ひときわ明るいこの料亭は、ひとえに女将でもっている。ご亭主にそう言ったら、当然ですと胸を張った。このご亭主、弱みがあるなと、世間は睨んでいる。残る料亭「ホリ」と「たか乃」と「竹多」、最近世話になっているピアノバー「おお邑」の紹介は次回となる。いやいや、いずれもなかなかの味ですな。わが友人ミナミ総理がうなる。
2020/09/09
■ 脳が喜ぶ広告がいい

茂木健一郎さんの脳の話は、わかりやすくて面白い。書店に行くと、私の思いすごしかもしれないが、どうも脳に関する書物が目につく。脳の中でも、記憶の製造工場と言われる海馬についての研究がここのところ進んで、いろいろなことがわかってきたと言う。だから、面白いのだと言う。
海馬について東京大学大学院の池谷祐二さんの話、これがまた面白い。海馬の役割は、記憶をつかさどる係り。集められる情報を整理して、この情報は必要だから記憶として残しておこうとか、この情報はいらないから記憶なんかに残さないで捨てようとか、情報の要・不要を仕分けして、ふるいにかける役割だと言う。
現在は情報過多時代で、私たちは山のような情報に囲まれ、下手すれば土砂崩れで埋まりそうだが、そうならないために情報の山を片っ端から整理、統合しているのが海馬だ。残す情報。捨てる情報。そこで、私の興味は、海馬と広告の関係を究明して、お客さまの脳が喜ぶ広告ができないか、ということである。
脳が喜ぶ広告。海馬に心地よく残る広告である。私たちが創る広告は、お客さまの海馬が、記憶に残すほうを選ぶか、それとも、ぽいと捨てられるほうか。これは非常に重大な問題だ。では、海馬の情報選択基準はなにか。まず、これを知らなければ、記憶に残る広告を創ることはできない。海馬の選択基準。なにか。それは、刺激だ。刺激。これが大きなヒントになる。海馬は、刺激に反応する。海馬は、脳の中でも唯一神経細胞が増える部位で、刺激によって神経細胞が増えるのだと言う。
さて、ここでもう一つ、海馬の隣にいて、海馬と密接に関係する扁桃体にも参加してもらおう。扁桃体の役割は、好き嫌い、心地よい心地悪い、面白い面白くない、怖い怖くない、そういった情操部分を判断する役割だ。
地デジ対応液晶カラーテレビ、20万円を5万円に。こんなチラシが効果的なのは、海馬に痛烈な刺激を与えるからだ。20万円が5万円。あり得ない。海馬がびっくりする。トク。ソン。これは刺激です。でも、広告はそれだけではない。あえて、そう言いたい。競合が20万円を3万円としてきたら、一発逆転だ。むずかしい。だが、お客さまは、あなたの店が好きなのだ。あなたの店で買いたい。だから、あなたの店が3万円に下げれば、喜んでみんながやってくる。そうしたい。できれば、4万円でもきてほしい。そのとき扁桃体が力を発揮する。扁桃体が心地よいと感じ、海馬に、あなたの店は心地よい店という記憶を残す。海馬に残る記憶は、印象の記憶だそうで、心地よい店ということが残る。
なにが心地よかったかの記憶が消えても、心地よさが残る。どうですか。これは、すばらしいブランド広告ですね。この、海馬と扁桃体の働きを、ぜひ広告に活かしたい。少なくても心地よいという印象を残し、気持ち悪いとか、いやらしいとか、そんな記憶だけは残したくない。まだまだ続く海馬の研究。脳を広告に活かすという発想で、新しい時代に効果を発揮する、新しい広告を追究して行きたい。
2020/09/09
■ 価値創造

ものを創る。その意味は、価値を創ることだ。それが社会の成長時期に合わせ「物」だったり「心」だったりするのだが「もの=価値」であることに少しのブレはない。
普通に考えると、社会の成長期には「物」が必要となり「物=価値」となり、社会が成熟期に入ると心が必要となり「心=価値」となるように思う。
大切なのは「物+心=価値」という図式を基本とし、成長の度合いで「物」と「心」の比重が変わるということだ。軸足をどちらにするか見極めることが大変重要だ。
長い間広告業界にいてありとあらゆる価値創造に参加させていただいてきたが、今回の経済不況ほど製造業を窮地に追い込んだ時期はない。その時期その時期に合わせてすべての製造業の方々は、工夫に工夫を重ねて乗り越えてきた。それは、その時代に「必要な価値」を見出して、その時代に「必要な価値」を創ってきたからだ。
広告の仕事とは、製造業だけでなくすべての企業が製造する「ものやサービス」の社会的価値を鮮明に描き出し、生活者のみなさんに伝える役割を果たすのだが、そこには常に、ものの「本質的価値」とともに、その時代だからこそ煌く「時代的価値」が存在していた。その価値を理解し、その価値を心地よい範囲で増幅して、多くのみなさんに伝えるお手伝いを、わたしたちはしてきた。
本質的価値は、普遍的であるが、時代的価値は、極めて流動的だ。その特質を研究し、使い分け、広告は努力をしてきた。だが、いま、時代が必要とする価値「時代的価値」が不鮮明となった。時代的価値の頂点に「マネー」が君臨し、そのほかの価値を津波のように押し流してしまったからだ。「マネー」は金融の頂点にあっても、経済の頂点にあってはならない。
なぜなら「マネー」はいかなる企業でも製造が不可能だからだ。いまの不況の兆候はあった。「ものの価値」をマネーに換えなくては価値が読めない生活習慣。つまり、本質的価値に対する不勉強。教育の歪み。「マネーそのものを商品化」した時代(マネーを経済の頂点にした)。すべてが「マネー」に走って「本質的価値」を置き去りにした時代。
これらのことが悔やまれると同時に、これは広告コミュニケーションの場でもぜがひにでも修正をかけなければならない。
自動車を造り、電化製品を作る製造業も、旅行を創るサービス業も、あらゆる企業が「本質的価値」を再度追究することから始めなければならない。原点還りである。マネーに負けてしまった「本質的価値」の再構築を図らなければならない。「時代的価値」は、政治や流行や風潮や生活や気分によって変化する。ここはひとつ「本質的価値」の追及と再構築こそが急務だ。
「時代的価値」のひとつに「環境」がある。オバマ政権は、環境対策は経済対策の一部だと位置づけた。だが、「環境」は「時代的価値」というより「本質的価値」であろう。日本の企業も環境に本腰を入れるチャンスだ。企業が「環境」で利益を上げなければ、それはよくならないのだ。人間の本質的価値を見直す。くらしの本質的価値を再構築する。地球の本質的価値を追求する。ものの本質的価値を創る。人々や時代が振り向く「価値」を必ず創る。わたしたち広告業にも、いまはその道しかない。
2020/09/09
■ 双子の双語

言葉は世につれであり、時代の風に揺れ動くものだ。いつの時代にも若者は若者特有の言葉を使って楽しむものだが、ケータイが必需品となり、メールが生活に浸透してから言葉は大いに変わったように思う。
会話のテンポが早くなり、言葉をはしょるのも目立つ。その中でも、言葉を正確に把握せず、テンポにまかせて使ってしまい、本来の意味からはずれていくケースに時たま出くわす。
言葉には使い方、発音、意味などが非常によく似たものがあって、ゆっくり使っても混同してしまうものがあるのにスピード優先の会話をするものだから、ますます混同してしまう。
双子のように似ている言葉を、わたしは双語と呼んでいる。たとえば「希望と欲望」である。このふたつは似ている。混同しやすい。意味も似ているから、油断すると同じように解釈してしまうが、実は大変な違いがある。一般的に言って、希望は美しく正しいと見られ、そういうイメージがある一方、欲望はいまいち不純なイメージが漂う。辞書的にいうと、希望とは、未来に望みをかけること、こうなればよい、なってほしいと願うこと。
欲望とは、ほしがる心、不足を感じてこれを満たそうと望む心、となる。大変よく似た意味を持つ。受験の子どもを持つ親が、子どもをいい学校に入れていずれは社会の役に立つ人間に育てたいと願うのは、希望の部類に入る。だが、いい学校に行かせていずれ大金を稼ぐ人間にしたいというと、なにやら希望ではなく欲望のように聞こえてくる。同じ現象であっても、意識の持ちよう、言葉の使いようで、まるで違ってくる。
希望には上品なイメージがあり、欲望には下品なイメージがともなう。希望に胸を張って旅立つ、というところを、欲望に胸を張って旅立つとしたのでは、なにやら実もふたもない。双子の双語に惑わされず、言葉の意味やイメージさえも把握して、正しく使うことがコミュニケーションを大切にすることになる。
また、価値観の混同もよくあることで、最近では「いい悪い」と「好き嫌い」の混同が目立つ。われわれ広告業界でも、宣伝物を新入社員に評価させることがある。若者がターゲットであるから、若い意見がほしいという理由からで、それはそれで一理あるが「わたし、このデザイン嫌い」とか「こっちの広告が好き」とか、平気でそういう評価をする。「好き嫌い」はあくまでも個人的評価であり、社会的評価とは別物である。「いい悪い」は社会的評価であり、一つの価値観のもと、社会とどう関係するのかを理論的に説明するものだが、「好き嫌い」は理屈も不要だ。
好き嫌いの評価が役に立たないというのではなく、そこに大きな落とし穴があることを知っておきたいと思う。双語ではないが「いい悪い」と「好き嫌い」もその価値観において非常に似ている。最近、コミュニケーションが不足しているとか、どうも理解の仕方がぶれているとか、コミュニケーションのやり方が下手だとか、世間ではいろいろ取りざたされているが、まず言葉や文字を大切にし、ゆっくりとていねいに伝えることを心掛けたらどうかと思う。これは、自分にもいい聞かせていることだ。
2020/09/07
■ 新宿物語

東京オリンピックが終わり、街は益々活気づいていた。年末の雑踏の中、新宿駅東口商店街のスピーカーが、梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」を流し、坂本九の哀愁の歌声が「見上げてごらん夜の星を」を歌っている。
安次郎さんと会ったのは、その頃だ。私は学生で、冬休みのアルバイト先をさがしていた。職人の父に仕事を頼みにくる安次郎さんは、新宿のスーパーに勤めていた。小柄で物腰も柔らかく、いつも穏やかな笑みを絶やさない。その安次郎さんが昔、「人斬り安」と怖れられた侠客だったとはまるで想像もできなかった。安次郎さんの紹介で、双葉通りにあるスーパーでアルバイトをすることになった。三越デパートの裏だ。オーナーは飯島連合会二代目会長、伝説の関東尾津組組長尾津喜之助さんだ。
「光は新宿から」のスローガンを掲げ、私財を投じて戦後の復興に命をかけた香具師の大親分である。東口にテント張りの尾津マーケットを作り、家も希望も失った人々に食料品や衣料品など生活に必要な物資を供給した。その延長で、日本初のスーパーマーケットを作ったのだ。その頃すでに尾津組は解散し、尾津商事となっていた。安次郎さんは喜之助さんの義兄で、尾津組全盛の頃は命知らずの斬り込み隊長だった。
暮れもおしつまったある日、喜之助さんがふらりと売り場に現れた。四角くがっしりとした彫りの深い顔。目も鼻も口も大きく、荒削りの木彫のようだ。6尺の長身を着流しに包み、若い衆を二人連れている。安次郎さんが寄り添っている。大きな山のようにゆっくりと動く。ゆらゆらとオーラが漂う。
「君は、国士かね」。喜之助さんが立ち止まり、私に聞いた。国士という言葉が心に鋭く響く。私が、国学で知られる大学に通い、空手部であることを、安次郎さんから聞いていたのだ。「その力を、国のために使うことだ」。深い目で私を見てそういい、サイフから手の切れるような一万円札を取り出し、差し出す。当時一ヶ月働いて2万円のバイト代にすぎない私は、びっくりして思わず安次郎さんを見た。安次郎さんが笑いながら、もらいなさいとうなずく。「空手、強いのかね。段位は?」。「強いです。二段です」。そういうと、喜之助さんは、安次郎さんを振り仰いで笑った。「若いっていいなあ安さん、この若い衆を越谷に招待しよう。空手を見たい」。それが、伝説の男との出会いだった。
次に尾津喜之助さんと会ったのは、越谷の別邸で開かれた桜の花見会だった。化粧品売り場の主任ピー子姉さんの紹介で、作家三島由紀夫さんと会った。ピー子姉さんは、新宿で有名なゲイだ。元組員なのか、途中入社の堅気なのかは不明だ。「おまえ、酒奢るわ」。そういってよく食事に誘ってくれた。売り場主任で稼ぎ、ゲイでも稼いでいたので羽振りがいい。東京オリンピックでは外人相手に稼ぎまくったわ、と威張っていた。「おまえ、先生に会わせてあげる」。あるとき、ピー子姉さんはそういい、伊勢丹裏にあるゲイバーに連れていってくれた。ウェイターは全員ゲイで、大学体育会のOBだ。巨体で頭は丸坊主、白シャツに赤いベストの制服を着ている。「君は、国士かね」。会うなり、先生はそういった。喜之助さんと同じ台詞に驚いた。「国士です」、と胸を張れない自分が申し訳なかった。
「武士道をどう思う?」。ソファに深々と座り、高級ウイスキーをすすめる。ピー子姉さんも、先生の隣に座る体育会ゲイも、にこにこ笑って私の答えを待っている。どうやらこの会話は想定内のようだ。「いい本です。新渡戸稲造の理論体系がすばらしいと思います。でも、ピンときません」。その答えに三人が、オヤッという表情をする。「どうして?」。三島先生が聞く。「理論が整理されすぎて、情熱が足りません」。先生は、大口を開いて笑った。また、東京にオリンピックがやってくる。半世紀前の東京オリンピックの年に出会い、若い人生に多大な影響を与えた恩人たちを、私はいま、懐かしく想い出している。
2020/09/07
■ イトちゃんのたこ焼き

子どもは天才だ。それを大人たちがいつの間にか壊してしまう。
「イトちゃん」という少女がいる。たこ焼きの天才だ。その才能は、ある日突然開花した。背筋をすっくと伸ばして鉄板の前に立つ。その凛とした姿勢に、息をのむ。イトちゃんは自信にあふれ、緊張しながら得意げな顔だ。うどん粉を見つめる目配り、具の入れ方、焼け具合をうかがう表情、ひっくり返すタイミングと手さばき、それら一連の動作や真剣な顔つきは、幼いが、手馴れた料理人のものだ。
イトちゃんは、シリコンバレーで育った。父親のヨッチは、息子のゴータと小学校からの同級生で、その昔、半ズボンの膝小僧の擦り傷に赤チンを塗り、いつも大空を眺めているような、わたしから見れば理想的な子どもだった。天衣無縫のそのイメージが好ましかった。それがいつのまにか立派な大人になり、シリコンバレーの住人を数年勤め、最近帰国した。いまはもう、膝小僧に擦り傷はない。だからイトちゃんは、英語はぺらぺら。ゴータにいわせれば、「日本語より英語のほうがうまい」となる。
ついでに、「父さんはスピードラーニングをやってもムダだ」、などと余計なことまで言って、わたしを愕然とさせる。「イトちゃん、もう食べていい」。「まだ、もう少し」。大人たちは、イトちゃんのオッケーが出るのを、皿を手に待っている。その状況も、イトちゃんは結構気に入っている。みんなが、わたしのたこ焼きを待っている。ちょっと得意げな表情が、またかわいい。で、大人たちはチョッカイを出したくなり、手にしたフォークでつつく。「ダメ!」。イトちゃんが厳しくいう。大人たちは、手を引っ込める。イトちゃんにはムギちゃんという妹がいて、まるでゼンマイで動いているように、一つひとつの仕草が玩具のようだ。
ムギちゃんは、「紬」という名で、それでムギちゃんと呼んでいる。お姉ちゃんが「イト」で、妹が「ツムギ」とは、実におしゃれなネーミングだ。お姉さんの得意そうな様子を見ながら、「わたしにも参加させて。でも、むずかしそう」とばかりに、ごにょごにょ口をはさむ。パパのヨッチはそれを見て、まるでクッションでも撫で回すようにムギちゃんを転がす。その扱いは愛情豊かで、ムギちゃんもキャッキャと笑う。3人目を身ごもっているママが、ゆったりと笑って見ている。
「もういいよ」。イトちゃんの許可が出る。手を伸ばす。ソースをつけて頬張る。うまい。熱い。外側のカリカリ感と内側のシンナリ感のバランスが絶妙だ。たこの味も沁みている。「うまいよ、イトちゃん」。大人たちの言葉に、イトちゃんは「当然よ」と胸を張る。子どもは天才だ。イトちゃんに料理の才能が垣間見られた。人はだれでも、自分だけの人生のステージをもって生まれてくる。だれでも、自分のステージの主役だ。最も原始的で、最も大切な、自分が主役で生きる自分だけのステージ。そこにこそ天賦の才はいきいきと息づく。だが、やがて、大人たちのさまざまな事情により、そのステージは奪われてしまう。大会社の社長の息子は、親が作った社長というステージで踊るしかない。老舗の若旦那に生まれた子どもは、のれんを守るというステージで生きるしかない。子どもがもつ最高で唯一のステージは、大人が用意したステージに見事にすり替えられ、天賦の才は霧の彼方に消滅する。けして金持ちではなく、貧しい家に生まれたわたしは、親の放任のおかげで自分のステージの上で踊ってきた。幸せだ。たいした出世もせず、貧しく暮らしているが、自分のステージを生きられたことは、親に感謝すべきだ。生まれたときから、とにかく生き残るだけ、というアフリカの子どもたちに比べ、日本の子どもたちは、幸せだ。あなたには、子どものステージを大切に見つめ、育てる大人であってほしい。ヨッチとあのママなら、イトちゃんもムギちゃんもきっと幸せなステージを生きる。イトちゃん、ずっと天才でいてね。
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