高野耕一のエッセイ

2020/02/10
■ 村さんは、自由が欲しかった

渋谷駅西口、いつものバス停でバスを待っていると10メートル向こうの喫煙エリア脇で手をふる者がいる。村さんだ。
村さんはホームレスだ。年齢は50歳代半ば。ホームレスになって半年、「まだ新人です」と、ふっと笑う。静岡で小学校の教員をしていたが、昨年の暮れ突然辞めた。自分から辞職したのか、なにかの理由で辞めざるを得なかったのか、それはわからない。
学校を辞めると同時に、家と奥さんと二人の娘を捨ててホームレスになった。若き日、一流の国立大学で教職課程を取った。日本の教育を担うという壮大な夢を抱いて教員になった。小学校をいくつか巡り、情熱をこめて教鞭を取った。やがて、教頭にまでなった。だが、挫折した。
雨が降りそうだ。街には霧が立ちこめ、見上げる超高層ホテルの最上階は、白い闇に溶けて見えない。風はない。街路樹の葉もすっかり寝込んでいる。時計を見ると10時を回っている。最終バスは、11時5分。まだ間がある。村さんは、手にしたワンカップを二度三度とふり、「一杯やりません?」と、顔をくしゃくしゃに崩して笑いかけてくる。奥まった目がさびしげだ。そう、村さんはいつも目がさびしげだ。無精ひげを生やし、青いニット帽を被っている。汚れたベージュ色のジャケットを身につけ、黒いズボンを履いている。「自由になりたかった。それだけです」。ホームレスになった理由は言わないけれど、以前、そうつぶやいた。「わかる気もする。でも、村さんの言う自由ってなんだ?」。
そのとき、わたしは尋ねた。自由の解釈は、むずかしい。わたしも明快な解釈を知らない。「いつも生徒のことで頭がいっぱいだった。パンクしそうだった。いじめはいつまでもなくならないし、母親たちは勝手なことばかり言ってくる。そうなんですよ、子どもより、母親のほうが勉強不足なんですよ。そのくせ自分が正しくて学校教育が悪いと思い込んでるから、始末に悪い。教育の根本は家庭ですよ、そんなの当たり前です。それを先生のせいにする。たまりません。家に帰っても、そんなこんだが頭から離れない。気が休まることがない。翌日の授業の予習をしなければならないし、テストや宿題の採点もしなくちゃならない。寝る暇さえなかった。勉強もしたかった。本も読みたかった。そのうち、家が窮屈でやりきれなくなりました。妻の言うこともいちいちしゃくに障る。嫌ですね、先生なんて、割に合いません。なるもんじゃないです。とにかく自由がほしかった」。
そこで、一息入れると村さんは言葉を継いだ。「でも、わたしのいう自由は、ほんとの自由じゃない。単なる逃げです。解放です。仕事や家庭の束縛からの解放。カントが言うように、自由になりたいと願望したときから、自由に束縛される。それは結局、ほんとの自由ではないという。その説からすれば、ホームレスになっても、わたしは自由ではないのです」。
村さんは、さびしげな目を空に向ける。「わかるよ、おれも家が窮屈だと思う。いっそのこと家を出たいと思うときがある。でも、村さんの言うように、ホームレスになったって自由じゃないと思う。自由とは、そんなものじゃない。もっと心の深いところにあるもの、哲学的なもの、宗教的なものだと思う」。
わたしたちは、歩道橋の脇に座ってワンカップを飲んでいる。寒くはない。家路を急ぐ人影もまばらだ。坂本龍馬は、デモクラシーという言葉を民主主義と訳さずに「自由」と訳した。「自由」とは、「自らを由となす、自分が法であり、自分が正しい」ということだ。驚くほどしたたかな言葉ではないか。くるべき新しい時代を、明治という年号ではなく、「自由」という年号にしたいと思ったという。そうなれば、明治時代は自由時代となっていたわけだ。「自由。自らを由となす。自分が法。自分が正しい」。そう考えると、簡単に「自由」という言葉は使えない。自分が法だと言えるほど、わたしは勉強を積んでいない。自由とは大変だ。それはそうと、妻がいっしょにいるときは、わたしに声をかけるなよ、村さん。
(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
2020/02/10
■ 鎌倉に憧れて

雨が降るとスバナ通りをぶらぶらと下り、江の島駅から江ノ電に乗って鎌倉に出る。その頃、毎年夏の二ヶ月間を、江の島東浜海水浴場の海の家でアルバイトをしていた。海の家は、雨が降ると休みである。一日ぽっかりと時間が空く。勉強は嫌いだが本が好きだったから、文庫本を数冊もって鎌倉に行く。藤沢に出て映画を観ることもある。江ノ電に乗ったまま鎌倉藤沢間を、本を読みながら一日中行ったり来たりしたこともある。江ノ電が図書館だった。
鎌倉駅を降りると、小雨に煙る小町通りをぶらつく。行きつけの喫茶店が、小町通りを入ってすぐの角を左に曲がった所にあった。大きな観葉植物が、入り口の半分を隠している。人目を避けるような白い小さな喫茶店だ。カランとベルを鳴らして扉を開けると、コーヒーの芳しい香りがプーンと鼻をついて迎えてくれる。いつも一番奥の窓際の席に座り、淹れたてのコーヒーを飲む。厚切りトーストとハムエッグとサラダのモーニングセットを食べる。窓を叩く静かな雨音を聞きながら、本を読む。くたびれてぼろぼろになったヘミングウェイの「老人と海」を取り出し、ページをめくる。文章のあちこちにボールペンの赤い線がひいてある。感動した箇所だったり、重要と思った部分なのだが、後になって見ると、なんで赤い線をひいたのかわからない文章もある。ページの上下と横の空きスパースに、感想文がびっしりと書き込んである。何百回も読んでいる本なのだ。
スペインの闘牛を書いた「午後の死」や、アフリカの草原に象を追う「アフリカ物語」もナップザックに入っている。時々聞こえてくるザザーッという音は、海岸に寄せる波の音だろうか、国道を走る車の音だろうか。「雨が降ると、あなたがくるのが楽しみですよ」と、オーナーの譲二さんが、コーヒーのお代わりをもってきてくれる。「お客さんもいつもの半分だから、楽ですし」。そう言って笑う。銀色の髪、糊のきいた真っ白いワイシャツ、赤い蝶ネクタイ、深い海の色をした目がやさしい。60歳を過ぎているだろうか。日本人ではない。
譲二さんの時間は、都会と違って、鎌倉の時の流れと合わせたように、ゆっくりと流れるから嬉しい。故郷に帰ったように、ほっとする。譲二さんもヘミングウェイがご贔屓だ。「若いパリ時代がいいです。いかにも新聞記者らしい硬質な文章が、ガートルートスタイン女史に磨かれて、少しマイルドになった頃ですね」。そう言って「移動祝祭日」を貸してくれた。ヘミングウェイの骨太のストーリー、ハードボイルドな文体は、強いウイスキーのように酔わせてくれる。それも、オンザロックでも水割りでもない、バーボンウイスキーのストレートである。ウイスキーに飽きると、立原正秋の本を取り出す。
鎌倉といえば立原正秋である。彼の本は、極上の日本酒だ。「薪能」「花と剣」「花のいのち」。しっとりと丁寧に醸し出す文章のコクの深さ。そのくせ、口あたりは爽快だ。潔い喉ごし。小気味よい切れ味。立原の文章は、小雨のそぼ降る鎌倉によく似合う。しなやかさが心に沁みる。頼朝以来の時の厚さに負けない強靭さが、行間に秘められている。それは、立原が真のサムライだからだ。朝、原稿用紙に向かいながら一升の酒を飲み干し、夕刻、ふらりと着流し姿で砂浜に立ち、海風に吹かれて目を細める。そんな立原が、目に浮かぶ。鎌倉文士といえば川端康成よ、という女性がいた。出版社に勤める女性だから、作家を見る目はたしかだと思うが、当たり前過ぎて面白くない。それよりも、「鎌倉なんかに越さないで、伊豆にいれば死なないですんだのに」と言った、伊豆の旅館の女将のことばが強く印象に残っている。川端が、執筆のために滞在した旅館で、すぐ横を流れる谷川は、前日までの雨のせいか激しく流れていた。あれから何年の時が過ぎたろうか。いま、都会の片隅で、ヘミングウェイの本よりもぼろぼろになったわが身を顧みながら、わたしの耳は、鎌倉のそぼ降る雨音をさがしている。あの小さな喫茶店は、まだあるだろうか。譲二さんは、いまも、コーヒーを淹れているだろうか。
(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
2020/02/10
■ たかが釣り竿じゃねえか

『なまけるな 雀は踊る 蝶は舞う』(一茶)。
春だ。春のせいか歳のせいか、妄想会話が増えている。とくに川にいると妄想はいっそう激しくなる。
今川さんの旨いゆで卵を頬張りながら、ピクリとも動かない釣り竿にはっぱをかける。有村さんは、カルガモにパンの耳を撒いている。
「おい、釣り竿、なまけてないで、ちゃんと働けよ」。釣り竿がおずおずと答える。「あのう旦那、もしかして釣れない責任をあたしだけに押しつけていませんか?」口をとがらせる。
「あれ、なんだおまえ、なにか、自分に責任がないとでも言いたいのか、えっ!?」。目の前には悠々たる緑の水流が広がる。午後の陽ざしを浴びた水面が、ガラスの粉を振りまいたようにキラキラと眩しく輝く。
「えっ!?どうなんだおまえ、なにか?自分に責任がないと言いたいのか?責任転嫁か?責任転嫁無敵とくるか?」。釣り竿を怒鳴りつける。
「あのう、いまのシャレ、笑うべきでしょうか?」。「なあ、そういうのって聞いてから笑うのか?笑いってのは、面白いから自然にでるのが普通だろ。なにか、これは面白いから笑えとか、これはつまんないから笑うなとか、いちいちオレが言わなきゃならねえのか?」。「失礼しました、口が過ぎました」。「そうだろ、釣り竿の分際で生意気なんだよ、タックルベリーへ売り飛ばそうか?それともいっそのことへし折るか?」。
「ほら、すぐそうやって脅かすんだから、旦那も人が悪い」。「うるせえ、人が悪いのは生まれつきだ。だいたいが、おまえが満月のようにしならなくちゃ釣りにならねえんだ。鯉がかかる。鈴が鳴る。釣り竿が満月のようにしなる。リールが逆転してジージー唸りを上げる。そして、おもむろに椅子から立ち上がったオレが、にんまり笑って80センチの鯉と戦う。これが釣りだ。な、だから、ちゃんと働け」。
「はい、でも、鈴のやつだって働いてません。手を抜いてます」。「あら、なによ?わたし?わたしがなにをしたっていうのよ?」。「なにもしない、なにもしないから問題なんだ」。
「あらら、頭くるわね。わたしより、餌に問題があるんじゃないの?餌に?」。「ほらほら、釣り竿、鈴を巻き込むなよ。女を巻き込むと話が面倒くさくなるだろうが」。
「あら、それって差別でしょ。旦那、いまはもう男も女もない時代だって普段から言ってるじゃありませんか」。「そりゃ建前ってもんだろ。本気になってどうすんだ。まあいい、鈴は黙ってろ。問題は、竿だ。釣り竿だ」。
「参ったな。おい、柳、ゆらゆら揺れてないで、なんとか言えよ」。「気に入らぬ 風もあろうが 柳かな」。「お、お、柳のやつ、なんて言ったんだ。なんだかえらそうなこと言わなかったか」。「気に入らぬ 風もあろうが 柳かな」。「旦那、聞いた?えらいね柳は。悟りですかねえ、見習いたいなあ」。
「なにが悟りだ。やつは、釣れても釣れなくても騒ぐな、そう言ってるんだろ?ただの嫌味じゃねえか」。「当たり」。「バカ、なにが当たりだ。おい柳、川村の親父に言って伐り倒してやろうか」。「無茶苦茶ですね」。「無茶苦茶でもなんでも釣れればいいんだ。ああやっぱ、安い竿はダメかなあ。リール付きで2800円、やっぱ安すぎか。会長の竿は、8万円だってな。違うよなあ」。
「それ、言わないでください」。「なにがだ?言ったっていいだろ、本当のことなんだから。リール外したら1000円だ。上州屋も安竿を売りやがるな」。「店のせいにしてどうすんですか?」。「松ちゃんと同じ竿だよな、松ちゃんの竿はよく働く。さっき、二匹釣ったってよ。同じ値段だけど、根性が違うなあ」。「持ち主の根性が違うんですかね」。
「へし折る!!」。「えっ!?」。『鯉釣りや 竿より餌より 魚ごころ』(耕雲)。まもなく桜だ。
(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
2020/02/10
■ デマにご注意

情報が届いていなければ、どんな事件も事故も、出来事も、それは存在しないのである。「知らない=無」である。認識のないものは、存在しないのである。そんな当たり前のことを改めて知ったのは、以前に沖縄の友人が、ぼそりと言った一言だ。
うちの島には新聞が2日遅れてくるのです。東京になにかあってもニュースで知るのは2日後で、それまでなにも知らないのです。知らないということは、ないということです。そう言った。
いまでも離島には1日遅れの新聞があるらしい。都はるみは、“三日遅れの便りを乗せて、船はゆくゆく波浮港”と歌った。
たとえば、名優緒方拳さんが先日亡くなった。残念。わたしたちはそう叫ぶが、情報が届かない所では、今も緒方拳さんは、生きている。情報が2日遅れる所では、その遅れる二日間は、緒方さんは生きているのだ。
たとえば、アメリカの9.11の大ニュースにしても、その情報が耳に入るまでは、わたしたちには、その不幸はないものと同じだ。
わたしたちには、存在しないのである。一日なり、二日なりの後、テレビや新聞で知って初めて存在として認識できるのであって、その間の数日は、アメリカ貿易センタービルは、そこに存在していて、崩れてはいないのだ。いまはテレビもラジオもライブでどこへでも情報を流すので、そんなことはないのかもしれないが、理屈はそうである。友人が、映画館で映画を観ている最中に、突然画面が黒くなり、次に赤くなり、警報がなった。ただいま二階で火事が発生しました。係員の誘導に従って・・・。となった。みんな無事に避難し、幸い大事には至らなかった。
みんなが戻る。そして、火事はこのビルではなかった、とか、このビルなのだがボヤだった、とか、初めから誤報だったとか、まことしやかな言葉が飛び交い、そこで軽いパニック状態になったという。
デマ、風聞はこんなときに起きやすい。それらは、こんなときに思わぬ力を発揮し、パニックをいっそうのパニックに誘う。これが怖い。「こうじゃあないのかなあ」という個人の想像が、いつの間にか、「こうなのだ」と断定的になったり、「ああらしいぞ」、という想像が、ああだと断定的になる。人の言葉に反対意見を述べて、それが正しい、いや違う、と確たる情報源もないままに想像が妄想を生み、ああだこうだという間に話は大きく、さらに歪んでいく。デマ、風聞は大きく歪む傾向にある。
人々は、不安になるとデマを言う。不安だからデマを言う。不安がデマによって、さらに不安を増す。戦争中にはさまざまなデマが飛び交ったと聞く。現在、情報の伝達能力は極めて進化し、もはや離島でも瞬時に到達するようになったが、今度は情報の信憑性が疑われている。ネット社会では信憑性こそが重要である。社会不安の深まる現在、デマには十分注意をしたい。情報の信憑性を確認してから行動したいものだ。
(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
2020/02/10
■ 人の味は、店の味

渋谷、國學院大学空手道部の忘年会の二次会に、13代同期の花松忠義君が、「近くに和食のうまい店がある。おまえのカードで飲みに行こう」と誘う。よし、日頃世話になっているからこの際気持ちよく奢りましょう、と夜の渋谷西口をふらふら歩く。監督の次呂久英樹先輩、ОB会長の小柴先輩、後輩の塩沢君も一緒だ。その店はどこだ。年寄りの体に夜風は毒だ。次呂久監督が言い、歩道橋を下りたところです、と花松君が答える。東横線のガード脇、国道246号線沿いの地下1階にその店「三漁洞」はあった。
なるほど、ぶり大根を口に入れた瞬間に、これはなかなかの店だぞ、と全員が頷く。割烹着姿の女将さんが、ゆったりとにこやかに応対してくれる。うまいのは当たり前だ。この店は、クレイジー・キャッツの石橋エータローさんの店だ。花松君が得意気に言う。というとあの女将「みっちゃん」は、もしかするとエータローさんの奥さんか。
クレイジー・キャッツといえば、当時知らない者はいなかった。テレビが津波のように日本中を飲み込んだ時代に、彼らは日本中の茶の間を笑いの渦で飲み込んだ。ミュージシャンとして一流の腕を持ちながら、陽気なサムライたちは笑顔と夢と希望をみんなに振りまいた。暗い時代に歯向かう力を、精いっぱいの明るさで戦って見せた。
しゃぼん玉ホリデイ。青島幸男が笑いの才能を爆発させたこのテレビ番組は、彼らがいたから怪物のようなヒット番組になったし、またこの番組が彼らをさらなる天才の域にのし上げた。
ジャガイモ顔のハナ肇をリーダーに、日本一のお調子者植木等が暴れまくったクレイジー・キャッツ。映画「釣りバカ日誌」の課長谷啓が、人を食ったキャラクターで通を唸らせた。その中で石橋エータローは異才を放った。ホワイトアスパラのようなひょろりとした体の上にとぼけたメガネの顔を乗せ、どこか人の良いキャラクターで、ただ何もせず、みんなの中をあっちに行きこっちに行き、うろうろちょろちょろするだけに見えた。強烈な個性ぞろいの中の中和剤のような存在かと思えた。
だが、違っていた。このホワイトアスパラ氏は、天然ボケ(失礼だが)という“天が与えし才能の持ち主”だった。みんなが工夫し、考え、全力で演じる横で、ひょうひょうと天賦の才でボケてみせた。突っ込み10年ボケ天然、といわれるほどボケ役はむずかしいものだが、石橋エータローさんには、それがあった。それは、シャイだったからではなかろうか。気まじめで、物事を理論的に解釈する。だから、エータローさんがテレビで料理番組をやったが、真面目にやるほどおかしかった。尺八の鬼才であり、西園寺公一先生に言わせれば、釣りの鬼才でもあった父福田蘭童氏の血を受け、料理番組までやった人だから、料理がうまいに決まっている。その人の店だから、うまいに決まっている。石橋さんの不思議な人間味を思い出す。そして、この店には文化の香りが漂っている。味にうるさい次呂久監督が帰りに、この店はいい、高野のカードでまたこよう、と言った。「人の味は、店の味」である。
(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
2020/02/10
■ バスの尻

愛が深いほど憎しみも深くなる、ということは確かにある。今回はそういう話。渋谷発23系統東急バスにおける女性の尻がいかに凶器であるかについてのお話。
先日、23系統の最終バスに乗った。このバスは、渋谷駅西口から三軒茶屋を通り祖師谷大蔵まで行く。全員が座ることはできなかったが、大混雑というほどでもなかった。わたしは最後部の左側の座席に座った。わたしの降りる桜丘住宅まで24駅も乗るので、時間はうんざりするほどある。最近買ったバスの中でも使える超小型パソコンを開き、ちょっと格好をつけてみせる。すぐに文章にのめり込み、夢中になる。三軒茶屋あたりから混んできたが、気づかなかった。後部座席は無理して詰めれば5人座れるが、肩幅の広い男が4人座っているから少々きつい。わたしはパソコン画面に集中していた。
すると、突然、崖崩れのようにわたしの右手を押し潰すものがあった。落雷かと思った。思わずパソコンのスイッチを切ってしまった。ああ、原稿が消えてしまった。この崖崩れ女。落雷野郎。わたしはカッとする。わたしの右側の少しの空きに強引に尻が割り込んできたのだ。瞬間、相手の顔を睨みつけようとして我慢して止める。
わたしは空手2段だから、カッとして手をあげようものなら警察が直ちに介入する。だから、カッとしても相手の顔を見ないようにする。そのほうが気が楽だ。わたしの原稿を消してしまった凶器は女性の尻だった。女性の尻がパソコンの文章を消し去り、おまけにわたしのコートの端を踏んでいる。なお頭にくる。ますます顔を見ないように我慢する。おそらくツンとしたわたしは美人よ、という顔で、こんなに混んでいるバスの中でパソコンをやってるほうが悪いのよ、と睨みかえすような女性に違いない。まいった。確かにわたしは、混んできたのに気づかなかった自分に少しは反省の気持ちはある。
だが、よろしいですか、ともいわず、すいませんが、ともいわず、当然あんたが悪いのだからパソコンの文章が消えようがどうしようがわたしの尻の落雷には関係ないわ、と必殺の凶器はでんと構えたままだろう。和道流2段の廻し蹴りを食らわせてやろうか。だが、我慢する。家に帰り、かみさんに泣きながらバスの凶器の尻の話をするが、かみさんは腹を抱えて笑うだけ。おまけに、わたしだってそのくらいやるわよ、という顔。
翌日会社に行き、アートディレクターの佐川くんに“バスの尻の凶器”の話をする。
それに似た話がありましたよ。佐川くんがいう。JRでしたか、失礼な女性がいて、前に座っていた男が電車を降りる際に、女の顔面に蹴りを入れたという話です。そうだよな、そうだろ。わたしだって空手さえやっていなければ、バスの女の崖崩れの尻に蹴りを入れていたぞ。でも、女性の勇気にはつくづく感心する。尻の凶器には脱帽する。わたしがあとほんの1ミリくらい腹を立て、切れてしまったらどうするのだろうか。農大一高前で尻が降りたとき、わたしも続いて降りて行って、その尻に必殺の廻し蹴りを入れたらどうするのだろう。愛すべき尻がこれほどの凶器になるとは。バスが悪いのか、パソコンが悪いのか。それとも世間が悪いのか。どうやらわたしが悪いようだ。年の終りの反省である。
(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
2020/02/07
■ ヘミングウェイの嘘

ヘミングウェイは、戦争など実際にはまったく経験しなかった。イギリスの作家でありミュージシャンのハンフリー・カーペンターが「失われた世代、パリの日々」の中でそう言う。そもそも人に話を聞いてもらうためには、嘘をつかざるをえない。ヘミングウェイ自身もそう言っている。
嘘であってもかまわないような軽いもので、他人の行動や見聞を自分の経験にすり替え、典拠は怪しいがだれでも知っているような出来事を事実として述べること。それを彼は否定しない。1917年、アメリカが第一次世界大戦に参戦したとき、ヘミングウェイは18歳だった。彼はカナダに行ったというが、カナダにも行かなければ入隊志願もしなかった。視力障害で軍務には不適だと判断されていたからだ。
カーペンターによれば、イタリア軍のために弁当を配った経験はある、という。それが事実かどうか、わたしは問わない。ヘミングウェイにおける、嘘と真実とは。それは興味深いことだし、わたしの生き方においても、嘘と真実との明快な解析はぜひ望むところである。
まず、ヘミングウェイは小説家である。小説が嘘か本当か、と問えば、間違いなく嘘である。小説は創作である。誰がために鐘がなる、の主人公はヘミングウェイであってヘミングウェイではない。
彼が例え弁当配りであってもイタリア戦線に参加したとしよう。怪我をして病院に入り、年上の美人の看護士と恋をした。これは本当のようだ。だが、主人公のようにドラマチックに活動したかとなると、これはまったく問う意味のないこととなる。事実と真実の違い。これを笑って容認する覚悟がなければ、小説は読者の心のうちで圧倒的に価値を失う。小説に真実を求める、という会話は成立するが、小説に事実を求める、という会話はどこに意味があるのかわからない。(この場合は、事実とリアルとの違いの解析となる)。
新郎新婦が神前で、永遠の愛を誓う。だが、事実は永遠かどうか実はわからない。むろん、永遠と思うから永遠を誓うのであるが、離婚に至る夫婦もいるから、誓いつつなにか怪しさが残る。永遠と思いたい気持ちが強いのは理解できるが、怪しさは残る。
新郎にしても、新婦にしても、まず誓っておかなくては始まらない、という気持ちは確かだ。これを嘘と決めつけるわけにはいかない。事実ではないが、真実であり、嘘ではないと断言する。営業マンが営業目標を立てる。達成できない場合、それを嘘として叱りとばすことはできない。努力不足を責めるだろうが、嘘とは断定しないだろう。
嘘に対する恐怖心のあまり、営業マンが目標を下げてしまうことが必ずしも正しいとは思わない。嘘と事実と真実の微妙な関係を認識しない者に、創造、創作、希望、夢、目標はどう位置づけられるのだろう。映画、芝居、小説、絵画はどう解釈されるのだろう。
わたしは真実を曲げようとは思わないが、事実を曲げることはあると思う。迷惑をかけないという条件で、興味を抱いてもらうためにヘミングウェイ程度の嘘をつくだろう。
(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
2020/02/07
■ ドイツチームに乾杯

ペーター・ベッツがドイツのナショナルチームを率いてやってきた。11月11日のことだ。空手道世界選手権大会に出場するためだ。大会は11月13日武道館で行われた。壮行会は渋谷の国学院大学若木タワー18階、有栖川宮記念会館で行われた。試合直前とあって選手は参加できなかったが、会長夫妻、監督、コーチ陣が参加した。
こちらはというと、空手道部初代主将であり、わが空手道部と応援団の創設者でもある小倉基名誉会長を筆頭に、空手道部ОB会小柴会長、次呂久英樹監督、ドイツチームの日本での調整に道場を提供し、滞在の細々したことのすべて面倒を見ていた埼玉の小林君と同期の石井君、坪井君、そしてОB会有志の面々。事務局長の斉藤君は、図々しくも文学部教授の橘先生に通訳をお願いした。
橘先生はいつものように、空手部のためだ、と快く引き受けてくれた。学校関係からも御来賓をいただいた。応援団の諸君がドイツチームにエールを送るために駈けつけてくれた。わたしはベッツとはまったく面識がなかった。彼は、わたしより10歳ほど後輩だった。
小林君が主将時代に特別練習生として空手部にいたという。
小林、石井、坪井3君たちが、愛情のこもった拳でベッツを鍛えたのだ。その後、ベッツはドイツに帰り、空手道の普及に貢献したのだ。いやいや、ベッツは決して誉められた練習生ではなかったですがね、ここだけの話。小林君がにこにこ笑いながら耳元でいう。結構やんちゃなこともしましてね。実は逃げ出してドイツに帰ったようなもんです。そう言いながら、小林君のものいいには愛情がこもっている。
ある年、ヨーロッパを旅した途中に寄ったんですよ、ドイツに。ベッツの道場を覗くといましたよ、えらそうな顔をしたベッツがね。黒帯しめて。わたしの顔を見て、ぎゃっといって逃げ出しましてね。日本からわたしが、ベッツを殺しに来た、と本気で思ったのだそうです。当時の空手道部では話としてありうることだった。わたしと小林君は声をあげて笑った。小倉名誉会長は、急遽ドイツ語の挨拶だけを覚えて親しみをこめて歓迎の意を伝えた。小柴会長も考え抜いた几帳面な挨拶をして、次呂久監督が乾杯で座を盛り上げた。
雅楽部の演奏は、ドイツチームに大いに受けた。このアイディアは、斉藤明彦君の提案であった。ベッツは細身の体だったが、他のコーチ陣には大男がいた。わたしたちはある大男をタワーと呼び、日本語と英語のチャンポンの会話をしたが、ほとんど通じないためにワインをジャブジャブとグラスに注いだ。ベッツにОB会から感謝状を贈った。ベッツはОB会員ではないからそれには反対だ、という者もいたが、ドイツに帰ってわが空手道部の教えを広めていることを考えれば、これは感謝に値するとして実行された。
後輩の日下部君が、こういううれしいニュースは大歓迎ですね、と帰りのエレベーターでいった。13日。ドイツ女子チームが優勝した。その夜、渋谷のいつもの居酒屋で次呂久監督と塩沢君とわたしは乾杯した。
(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
2020/02/07
■ 園歌

雨上がりの濡れた木々の間を澄んだ歌声が流れていく。濃い緑の葉が歌声でかすかに震える。鳥たちは自分が歌うのを忘れ、風見鶏のように細い枝の上でじっと歌声に耳を傾ける。
赤や黄色の絵の具を点々と垂らしたように色づき始めた森は、秋の装いだ。土曜日の昼下がり。井の頭公園。まだ厚い雲の残る空の下で時間はゆっくりと流れる。
歌声は、江戸幕府のご用水に使われたという公園の湧水よりさらに澄み切っている。池に浮かぶボートの若い二人は、オールを動かすことも忘れ、ただ黙って見つめあうだけだ。観客はおよそ400人。年配の人が多い。前列には青いシートが敷かれ、3列ないしは4列に重なった人たちがじっと歌声に耳を傾ける。その人たちの外側を大勢の人たちが取り囲み、大きな輪を作っている。その外側を歩く人々も足を止めて耳を傾ける。
歌姫は人の輪の真ん中にいる。ビールケースを逆さに置いたステージの上に立ち、ギターを抱え、マイクなしで歌っている。マイクを使うとご近所に迷惑がかかる、という配慮でマイクを使わないのだと言う。だが、歌声はどこまでも力を失うことなく、公園の人々の心の中に沁み込んでいく。
わたしはその歌声を昭和の大スター美空ひばりと重ねている。幼い日に父と母に連れられて行った映画館。スクリーンの中でひばりが歌う「悲しき口笛」は、いまもわたしの心の中に響いている。一生、わたしの心から消えることはないだろう。
ひばりの歌は、暗い時代に光を灯した。井の頭公園の歌姫の名は、「あさみちゆき」と言う。月に1度公園でギター1本とビールケース1個でライブを重ね、すでに100回を越えている。
歌と歌の間に、周りの人たちと楽しい会話をする。今日はNHKの取材班も入り、カメラが衛星のように歌姫の周りをぐるぐる回っている。ちゆきの会の面々が黄色いハッピを着て整理に当たっている。彼女はすでにテレビにもよく出演していると聞く。友人でちゆきの会の会員である佐藤光二郎に言わせれば、ちゆきを知らないわたしがどうやらもぐりらしい。作詞家の故阿久悠が彼女のためにいくつも詞を書いた。宇崎竜童が新曲を創り、CDを出したばかりだ。山口百恵を思い出す。百恵ちゃんは、菩薩と称された。その歌声が人々に勇気を与え、その微笑みが人々を救うからだ。
天に舞い、宙から降臨するやさしい歌声と人々と交わす暖かい眼差しには、理屈を超え、心の底から湧き上がる喜びがあった。
歌を媒介にして歌手はファンを救い、また歌手はファンの純粋な笑顔によって救われていたのであった。そして彼女は、カリスマとなった。歌は、喜び集うための媒体であった。歌は、日々の生きる勇気を生み出す栄養であった。天は、「ひばり、百恵」という人間を通して、人々に歌を届けたのであった。あさみちゆきは天に代わって歌を歌う歌手なのか。公園に響く歌声。演歌。援歌。怨歌。呼び方はいろいろあるが、天に響く園歌こそが彼女の歌にふさわしい呼び方かも知れない。大スターになっても彼女は、公園を去ることはないだろう。秋の日、ふらりとスケッチブックに絵を描いたような、いい1日だった。
(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
2020/02/07
■ すくった金魚が救われない

子どもの頃、お祭りは天国だった。お御輿は天国に行く乗り物だった。担ぐととてもいいことをした気分だった。昼間から仮設舞台の上で酒を飲んでいる大人たちを見ると安心した。大人たちがどんな気持ちで酒を飲んでいたかはわからなかったが、みんなが笑っているのを見ると、子どもたちはそれだけで世の中は大丈夫だと安心した。
同級生の女の子の浴衣姿が眩しかった。赤いヨーヨーを持ってクスクス笑う白いうなじと細い足首に胸が熱くなった。
屋台の店がずらりと並ぶのが好きだった。べっこ飴屋、お面屋、風車屋、薄いピンクの煎餅にソースをつけてくれる店、プアーと音を出す風船屋、吹き矢や模型飛行機やメンコを置いている駄菓子屋、わけのわからないお菓子を舐めると当たりが出てくる店、糸の先に針をつけてくるくるルーレットみたいに回すと高価そうなブリキの車が当たると言うけれど当たったのを見たこともない変な店、ラムネも置いてある水飴屋。中でも子どもたちの人気の店の一つが金魚すくい屋だった。値段の安い赤い和金が夢中で泳ぎ回っていた。高いリュウ金が大きな尻尾を振っていた。それより高い黒い出目金がえらそうに泳いでいた。どの金魚も一生懸命泳いでいた。和金は数が多く、すくい易かった。赤と白の斑模様の金魚もたくさんいた。金魚をすくう丸い針金製の金魚ポイは、薄い紙のものしかなかった。紙は習字の半紙のように薄くすぐ破れた。モナカなんかなかった。だから、モナカの金魚ポイが登場したときは、邪道だ、世も末だ、と思った。
一回10円だった。和金がすくい易いのは、尻尾が小さいからだ。リュウ金や出目金は和金より動きは遅かったけど尻尾が大きく、尻尾の動きに力があった。だから和金は、動きは早いけれど狙われた。
すくうコツは、金魚の尻尾を紙の上に乗せないことだ。水につけた金魚ポイを真上に真っすぐに上げないことだ。水と紙の面を直角に上げないこと。水の抵抗を受けない角度で滑らかにあげる。その動作の途中で金魚を軽やかにポイの上に乗せる。金魚の下をすっとポイを通過させる要領。これがコツだ。
ある日、天ぷらを食べながら妻が言った。最近はすくった金魚を家に持って帰らないんだって。え、なんでよ。家で金魚を飼いたくないみたいよ。そりゃおかしい。なに考えているんだ。自分がすくった金魚は家に持ち帰り、餌を与えて面倒をみる。週末に子どもといっしょに金魚鉢を買いに行くなんて、なんとも素敵な親子ではないか。
酸素を出すブクブクも買う。子どもは金魚に名前をつけて毎日話しかける。おはよう。ただいま。元気? 金魚は答えたりしないが、そこに愛情がわいてくる。金魚は答えないが、愛情は伝わっている。死んだら涙を浮かべながら庭の隅に埋めてあげる。命の大切さを知り、命あるものはやがて死ぬことを覚える。金魚すくいは、すくって、家で飼って、餌をあげて、話しかけて、死んだら泣く。そこまでの一連の行動があってこそ、金魚すくいなのだ。それが、金魚の中でもおそらくいちばん安い金魚すくいの金魚の精一杯の人生なのだ。それをただ追いかけ回して、すくって、笑って、オシマイ? それでは金魚は救われない。すくった金魚が救われない。子どもは貴重な教育の手段をまた一つ失った。
(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
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