高野耕一のエッセイ

2020/09/09
■ 贅沢にも、料亭の話です

この時期贅沢な話だが、懇意にしている料亭が6軒ある。いずれもすばらしい料亭で、それぞれにすてきな味を持っている。
小田急線の千歳船橋駅と経堂駅の近辺だ。千歳船橋駅から歩いて5分。環状8号線を越え廻沢に向かう道筋に料亭「タナベ」がある。ここは、うまい赤ワインをじっくりと楽しませてくれるのが特徴。新潟出身のご亭主は、荒削りの木彫りの熊のような風貌であるが、付き合ってみると大変気さくでよく笑い、包容力にあふれている。
女将は、小柄で品がよく、鼻が立派とご近所でも有名な色白の美人で、お茶のソムリエの資格を持つ。先日、妻と二人で散歩の途中お茶を御馳走になったが、お茶とはこんなにおいしいものかと感動した。いままで飲んでいたのはお茶じゃない。そうまで思ってしまった。ご主人が漁業関連の仕事に携わっていた関係上、新婚時代をマダカスカルで過ごした。熱い時代をとんでもなく熱いところで過ごしたのである。料理もワインも極上で、人柄のいいご夫婦。話が弾むのも当然である。経堂駅から東急世田谷線に向かって5分ほど歩くと、閑静な住宅街に料亭「やま川」がある。表から見ると普通の民家風だから、前を通っても見落としてしまう。ここの呼び物は、ご亭主の料理と、バイオリン奏者高嶋ちさと似の甲府美人の女将である。ご亭主は、旬の食材を自ら探し歩き、仕入、料理を自分でしなければ気に入らないという徹底ぶり。そんなの当たり前だろと、口を尖がらせる。どちらかといえば偏屈な男だ。気に入らない客は門前払いとなる。
先日、食材を求めてロシアと中国の国境まで出かけて行方不明になり、女将が警察に消息願いを出そうとしたが、それは単純に夫婦間のコミュニケーションがなかっただけだとわかった。コミュニケーションがないと言いながら、旅にはご夫婦でペアルックのセーターなどを着て、世間をあっと言わせたりする。世田谷通りの上町近く、自転車屋の前を入ったところに料亭「フジイ」がある。ご亭主は、根っからの遊び人で、若い頃から粋筋のお姐さん方とは必要以上に懇意にしてきた。ここの呼び物は、ご亭主の焼酎に対するこだわりとご亭主女将二人の明るさである。とにかくご主人は、だれか友人がいれば意味もなく明るくなれる性格で、また女将の明るさときたら、なにものにも負けない天然のすごみがある。一年中、リオのカーニバルのようなけた外れの明るさで、ビスが一本足りないのではないかと心配になり「ビス・ユニバース」と呼んだら、うれしそうに笑い返してきた。お見事。
世田谷通り、関東中央病院近くの桜並木沿いにあるのが料亭「みやもり」だ。ご亭主は、アジアにも別宅を持ち、日本の家とのかけもちだが、女将の器量で、表面だけは実にうまく繕っている。世界を駆け回るご亭主は、とくにワインに精通しながら、蘊蓄を語らず、ごたくを並べず、飲んだらころりと寝る乳飲み子のような男で、笑顔がとくによく、どんな嘘でもその笑顔を見て女将は許してしまう。酒、料理ともにうまく、ひときわ明るいこの料亭は、ひとえに女将でもっている。ご亭主にそう言ったら、当然ですと胸を張った。このご亭主、弱みがあるなと、世間は睨んでいる。残る料亭「ホリ」と「たか乃」と「竹多」、最近世話になっているピアノバー「おお邑」の紹介は次回となる。いやいや、いずれもなかなかの味ですな。わが友人ミナミ総理がうなる。
2020/09/09
■ 脳が喜ぶ広告がいい

茂木健一郎さんの脳の話は、わかりやすくて面白い。書店に行くと、私の思いすごしかもしれないが、どうも脳に関する書物が目につく。脳の中でも、記憶の製造工場と言われる海馬についての研究がここのところ進んで、いろいろなことがわかってきたと言う。だから、面白いのだと言う。
海馬について東京大学大学院の池谷祐二さんの話、これがまた面白い。海馬の役割は、記憶をつかさどる係り。集められる情報を整理して、この情報は必要だから記憶として残しておこうとか、この情報はいらないから記憶なんかに残さないで捨てようとか、情報の要・不要を仕分けして、ふるいにかける役割だと言う。
現在は情報過多時代で、私たちは山のような情報に囲まれ、下手すれば土砂崩れで埋まりそうだが、そうならないために情報の山を片っ端から整理、統合しているのが海馬だ。残す情報。捨てる情報。そこで、私の興味は、海馬と広告の関係を究明して、お客さまの脳が喜ぶ広告ができないか、ということである。
脳が喜ぶ広告。海馬に心地よく残る広告である。私たちが創る広告は、お客さまの海馬が、記憶に残すほうを選ぶか、それとも、ぽいと捨てられるほうか。これは非常に重大な問題だ。では、海馬の情報選択基準はなにか。まず、これを知らなければ、記憶に残る広告を創ることはできない。海馬の選択基準。なにか。それは、刺激だ。刺激。これが大きなヒントになる。海馬は、刺激に反応する。海馬は、脳の中でも唯一神経細胞が増える部位で、刺激によって神経細胞が増えるのだと言う。
さて、ここでもう一つ、海馬の隣にいて、海馬と密接に関係する扁桃体にも参加してもらおう。扁桃体の役割は、好き嫌い、心地よい心地悪い、面白い面白くない、怖い怖くない、そういった情操部分を判断する役割だ。
地デジ対応液晶カラーテレビ、20万円を5万円に。こんなチラシが効果的なのは、海馬に痛烈な刺激を与えるからだ。20万円が5万円。あり得ない。海馬がびっくりする。トク。ソン。これは刺激です。でも、広告はそれだけではない。あえて、そう言いたい。競合が20万円を3万円としてきたら、一発逆転だ。むずかしい。だが、お客さまは、あなたの店が好きなのだ。あなたの店で買いたい。だから、あなたの店が3万円に下げれば、喜んでみんながやってくる。そうしたい。できれば、4万円でもきてほしい。そのとき扁桃体が力を発揮する。扁桃体が心地よいと感じ、海馬に、あなたの店は心地よい店という記憶を残す。海馬に残る記憶は、印象の記憶だそうで、心地よい店ということが残る。
なにが心地よかったかの記憶が消えても、心地よさが残る。どうですか。これは、すばらしいブランド広告ですね。この、海馬と扁桃体の働きを、ぜひ広告に活かしたい。少なくても心地よいという印象を残し、気持ち悪いとか、いやらしいとか、そんな記憶だけは残したくない。まだまだ続く海馬の研究。脳を広告に活かすという発想で、新しい時代に効果を発揮する、新しい広告を追究して行きたい。
2020/09/09
■ 価値創造

ものを創る。その意味は、価値を創ることだ。それが社会の成長時期に合わせ「物」だったり「心」だったりするのだが「もの=価値」であることに少しのブレはない。
普通に考えると、社会の成長期には「物」が必要となり「物=価値」となり、社会が成熟期に入ると心が必要となり「心=価値」となるように思う。
大切なのは「物+心=価値」という図式を基本とし、成長の度合いで「物」と「心」の比重が変わるということだ。軸足をどちらにするか見極めることが大変重要だ。
長い間広告業界にいてありとあらゆる価値創造に参加させていただいてきたが、今回の経済不況ほど製造業を窮地に追い込んだ時期はない。その時期その時期に合わせてすべての製造業の方々は、工夫に工夫を重ねて乗り越えてきた。それは、その時代に「必要な価値」を見出して、その時代に「必要な価値」を創ってきたからだ。
広告の仕事とは、製造業だけでなくすべての企業が製造する「ものやサービス」の社会的価値を鮮明に描き出し、生活者のみなさんに伝える役割を果たすのだが、そこには常に、ものの「本質的価値」とともに、その時代だからこそ煌く「時代的価値」が存在していた。その価値を理解し、その価値を心地よい範囲で増幅して、多くのみなさんに伝えるお手伝いを、わたしたちはしてきた。
本質的価値は、普遍的であるが、時代的価値は、極めて流動的だ。その特質を研究し、使い分け、広告は努力をしてきた。だが、いま、時代が必要とする価値「時代的価値」が不鮮明となった。時代的価値の頂点に「マネー」が君臨し、そのほかの価値を津波のように押し流してしまったからだ。「マネー」は金融の頂点にあっても、経済の頂点にあってはならない。
なぜなら「マネー」はいかなる企業でも製造が不可能だからだ。いまの不況の兆候はあった。「ものの価値」をマネーに換えなくては価値が読めない生活習慣。つまり、本質的価値に対する不勉強。教育の歪み。「マネーそのものを商品化」した時代(マネーを経済の頂点にした)。すべてが「マネー」に走って「本質的価値」を置き去りにした時代。
これらのことが悔やまれると同時に、これは広告コミュニケーションの場でもぜがひにでも修正をかけなければならない。
自動車を造り、電化製品を作る製造業も、旅行を創るサービス業も、あらゆる企業が「本質的価値」を再度追究することから始めなければならない。原点還りである。マネーに負けてしまった「本質的価値」の再構築を図らなければならない。「時代的価値」は、政治や流行や風潮や生活や気分によって変化する。ここはひとつ「本質的価値」の追及と再構築こそが急務だ。
「時代的価値」のひとつに「環境」がある。オバマ政権は、環境対策は経済対策の一部だと位置づけた。だが、「環境」は「時代的価値」というより「本質的価値」であろう。日本の企業も環境に本腰を入れるチャンスだ。企業が「環境」で利益を上げなければ、それはよくならないのだ。人間の本質的価値を見直す。くらしの本質的価値を再構築する。地球の本質的価値を追求する。ものの本質的価値を創る。人々や時代が振り向く「価値」を必ず創る。わたしたち広告業にも、いまはその道しかない。
2020/09/09
■ 双子の双語

言葉は世につれであり、時代の風に揺れ動くものだ。いつの時代にも若者は若者特有の言葉を使って楽しむものだが、ケータイが必需品となり、メールが生活に浸透してから言葉は大いに変わったように思う。
会話のテンポが早くなり、言葉をはしょるのも目立つ。その中でも、言葉を正確に把握せず、テンポにまかせて使ってしまい、本来の意味からはずれていくケースに時たま出くわす。
言葉には使い方、発音、意味などが非常によく似たものがあって、ゆっくり使っても混同してしまうものがあるのにスピード優先の会話をするものだから、ますます混同してしまう。
双子のように似ている言葉を、わたしは双語と呼んでいる。たとえば「希望と欲望」である。このふたつは似ている。混同しやすい。意味も似ているから、油断すると同じように解釈してしまうが、実は大変な違いがある。一般的に言って、希望は美しく正しいと見られ、そういうイメージがある一方、欲望はいまいち不純なイメージが漂う。辞書的にいうと、希望とは、未来に望みをかけること、こうなればよい、なってほしいと願うこと。
欲望とは、ほしがる心、不足を感じてこれを満たそうと望む心、となる。大変よく似た意味を持つ。受験の子どもを持つ親が、子どもをいい学校に入れていずれは社会の役に立つ人間に育てたいと願うのは、希望の部類に入る。だが、いい学校に行かせていずれ大金を稼ぐ人間にしたいというと、なにやら希望ではなく欲望のように聞こえてくる。同じ現象であっても、意識の持ちよう、言葉の使いようで、まるで違ってくる。
希望には上品なイメージがあり、欲望には下品なイメージがともなう。希望に胸を張って旅立つ、というところを、欲望に胸を張って旅立つとしたのでは、なにやら実もふたもない。双子の双語に惑わされず、言葉の意味やイメージさえも把握して、正しく使うことがコミュニケーションを大切にすることになる。
また、価値観の混同もよくあることで、最近では「いい悪い」と「好き嫌い」の混同が目立つ。われわれ広告業界でも、宣伝物を新入社員に評価させることがある。若者がターゲットであるから、若い意見がほしいという理由からで、それはそれで一理あるが「わたし、このデザイン嫌い」とか「こっちの広告が好き」とか、平気でそういう評価をする。「好き嫌い」はあくまでも個人的評価であり、社会的評価とは別物である。「いい悪い」は社会的評価であり、一つの価値観のもと、社会とどう関係するのかを理論的に説明するものだが、「好き嫌い」は理屈も不要だ。
好き嫌いの評価が役に立たないというのではなく、そこに大きな落とし穴があることを知っておきたいと思う。双語ではないが「いい悪い」と「好き嫌い」もその価値観において非常に似ている。最近、コミュニケーションが不足しているとか、どうも理解の仕方がぶれているとか、コミュニケーションのやり方が下手だとか、世間ではいろいろ取りざたされているが、まず言葉や文字を大切にし、ゆっくりとていねいに伝えることを心掛けたらどうかと思う。これは、自分にもいい聞かせていることだ。
2020/09/07
■ 新宿物語

東京オリンピックが終わり、街は益々活気づいていた。年末の雑踏の中、新宿駅東口商店街のスピーカーが、梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」を流し、坂本九の哀愁の歌声が「見上げてごらん夜の星を」を歌っている。
安次郎さんと会ったのは、その頃だ。私は学生で、冬休みのアルバイト先をさがしていた。職人の父に仕事を頼みにくる安次郎さんは、新宿のスーパーに勤めていた。小柄で物腰も柔らかく、いつも穏やかな笑みを絶やさない。その安次郎さんが昔、「人斬り安」と怖れられた侠客だったとはまるで想像もできなかった。安次郎さんの紹介で、双葉通りにあるスーパーでアルバイトをすることになった。三越デパートの裏だ。オーナーは飯島連合会二代目会長、伝説の関東尾津組組長尾津喜之助さんだ。
「光は新宿から」のスローガンを掲げ、私財を投じて戦後の復興に命をかけた香具師の大親分である。東口にテント張りの尾津マーケットを作り、家も希望も失った人々に食料品や衣料品など生活に必要な物資を供給した。その延長で、日本初のスーパーマーケットを作ったのだ。その頃すでに尾津組は解散し、尾津商事となっていた。安次郎さんは喜之助さんの義兄で、尾津組全盛の頃は命知らずの斬り込み隊長だった。
暮れもおしつまったある日、喜之助さんがふらりと売り場に現れた。四角くがっしりとした彫りの深い顔。目も鼻も口も大きく、荒削りの木彫のようだ。6尺の長身を着流しに包み、若い衆を二人連れている。安次郎さんが寄り添っている。大きな山のようにゆっくりと動く。ゆらゆらとオーラが漂う。
「君は、国士かね」。喜之助さんが立ち止まり、私に聞いた。国士という言葉が心に鋭く響く。私が、国学で知られる大学に通い、空手部であることを、安次郎さんから聞いていたのだ。「その力を、国のために使うことだ」。深い目で私を見てそういい、サイフから手の切れるような一万円札を取り出し、差し出す。当時一ヶ月働いて2万円のバイト代にすぎない私は、びっくりして思わず安次郎さんを見た。安次郎さんが笑いながら、もらいなさいとうなずく。「空手、強いのかね。段位は?」。「強いです。二段です」。そういうと、喜之助さんは、安次郎さんを振り仰いで笑った。「若いっていいなあ安さん、この若い衆を越谷に招待しよう。空手を見たい」。それが、伝説の男との出会いだった。
次に尾津喜之助さんと会ったのは、越谷の別邸で開かれた桜の花見会だった。化粧品売り場の主任ピー子姉さんの紹介で、作家三島由紀夫さんと会った。ピー子姉さんは、新宿で有名なゲイだ。元組員なのか、途中入社の堅気なのかは不明だ。「おまえ、酒奢るわ」。そういってよく食事に誘ってくれた。売り場主任で稼ぎ、ゲイでも稼いでいたので羽振りがいい。東京オリンピックでは外人相手に稼ぎまくったわ、と威張っていた。「おまえ、先生に会わせてあげる」。あるとき、ピー子姉さんはそういい、伊勢丹裏にあるゲイバーに連れていってくれた。ウェイターは全員ゲイで、大学体育会のOBだ。巨体で頭は丸坊主、白シャツに赤いベストの制服を着ている。「君は、国士かね」。会うなり、先生はそういった。喜之助さんと同じ台詞に驚いた。「国士です」、と胸を張れない自分が申し訳なかった。
「武士道をどう思う?」。ソファに深々と座り、高級ウイスキーをすすめる。ピー子姉さんも、先生の隣に座る体育会ゲイも、にこにこ笑って私の答えを待っている。どうやらこの会話は想定内のようだ。「いい本です。新渡戸稲造の理論体系がすばらしいと思います。でも、ピンときません」。その答えに三人が、オヤッという表情をする。「どうして?」。三島先生が聞く。「理論が整理されすぎて、情熱が足りません」。先生は、大口を開いて笑った。また、東京にオリンピックがやってくる。半世紀前の東京オリンピックの年に出会い、若い人生に多大な影響を与えた恩人たちを、私はいま、懐かしく想い出している。
2020/09/07
■ イトちゃんのたこ焼き

子どもは天才だ。それを大人たちがいつの間にか壊してしまう。
「イトちゃん」という少女がいる。たこ焼きの天才だ。その才能は、ある日突然開花した。背筋をすっくと伸ばして鉄板の前に立つ。その凛とした姿勢に、息をのむ。イトちゃんは自信にあふれ、緊張しながら得意げな顔だ。うどん粉を見つめる目配り、具の入れ方、焼け具合をうかがう表情、ひっくり返すタイミングと手さばき、それら一連の動作や真剣な顔つきは、幼いが、手馴れた料理人のものだ。
イトちゃんは、シリコンバレーで育った。父親のヨッチは、息子のゴータと小学校からの同級生で、その昔、半ズボンの膝小僧の擦り傷に赤チンを塗り、いつも大空を眺めているような、わたしから見れば理想的な子どもだった。天衣無縫のそのイメージが好ましかった。それがいつのまにか立派な大人になり、シリコンバレーの住人を数年勤め、最近帰国した。いまはもう、膝小僧に擦り傷はない。だからイトちゃんは、英語はぺらぺら。ゴータにいわせれば、「日本語より英語のほうがうまい」となる。
ついでに、「父さんはスピードラーニングをやってもムダだ」、などと余計なことまで言って、わたしを愕然とさせる。「イトちゃん、もう食べていい」。「まだ、もう少し」。大人たちは、イトちゃんのオッケーが出るのを、皿を手に待っている。その状況も、イトちゃんは結構気に入っている。みんなが、わたしのたこ焼きを待っている。ちょっと得意げな表情が、またかわいい。で、大人たちはチョッカイを出したくなり、手にしたフォークでつつく。「ダメ!」。イトちゃんが厳しくいう。大人たちは、手を引っ込める。イトちゃんにはムギちゃんという妹がいて、まるでゼンマイで動いているように、一つひとつの仕草が玩具のようだ。
ムギちゃんは、「紬」という名で、それでムギちゃんと呼んでいる。お姉ちゃんが「イト」で、妹が「ツムギ」とは、実におしゃれなネーミングだ。お姉さんの得意そうな様子を見ながら、「わたしにも参加させて。でも、むずかしそう」とばかりに、ごにょごにょ口をはさむ。パパのヨッチはそれを見て、まるでクッションでも撫で回すようにムギちゃんを転がす。その扱いは愛情豊かで、ムギちゃんもキャッキャと笑う。3人目を身ごもっているママが、ゆったりと笑って見ている。
「もういいよ」。イトちゃんの許可が出る。手を伸ばす。ソースをつけて頬張る。うまい。熱い。外側のカリカリ感と内側のシンナリ感のバランスが絶妙だ。たこの味も沁みている。「うまいよ、イトちゃん」。大人たちの言葉に、イトちゃんは「当然よ」と胸を張る。子どもは天才だ。イトちゃんに料理の才能が垣間見られた。人はだれでも、自分だけの人生のステージをもって生まれてくる。だれでも、自分のステージの主役だ。最も原始的で、最も大切な、自分が主役で生きる自分だけのステージ。そこにこそ天賦の才はいきいきと息づく。だが、やがて、大人たちのさまざまな事情により、そのステージは奪われてしまう。大会社の社長の息子は、親が作った社長というステージで踊るしかない。老舗の若旦那に生まれた子どもは、のれんを守るというステージで生きるしかない。子どもがもつ最高で唯一のステージは、大人が用意したステージに見事にすり替えられ、天賦の才は霧の彼方に消滅する。けして金持ちではなく、貧しい家に生まれたわたしは、親の放任のおかげで自分のステージの上で踊ってきた。幸せだ。たいした出世もせず、貧しく暮らしているが、自分のステージを生きられたことは、親に感謝すべきだ。生まれたときから、とにかく生き残るだけ、というアフリカの子どもたちに比べ、日本の子どもたちは、幸せだ。あなたには、子どものステージを大切に見つめ、育てる大人であってほしい。ヨッチとあのママなら、イトちゃんもムギちゃんもきっと幸せなステージを生きる。イトちゃん、ずっと天才でいてね。
2020/06/06
■ 心の中にある、たくさんの小さな心

解剖学の養老博士の説を聞くまで、わたしは知らなかった。心は1つだと思っていた。1つの心がすべてを決めていると思っていた。ところが違った。
「小さな心がたくさん集って、1つの心を作っている」と、博士は言う。すべての人の心がそうできている。では「心はどこにある」のか。これは、ダビンチにも大いなる疑問だった。
人体を解剖し、さがした。心臓というくらいだから、心は心臓にあるのかと思ったら、これが見当たらない。脳にあるのかと思って解剖しても、ない。ダビンチも、ついにお手上げだ。
博士は、「心は脳にある」と仮定する。「脳が、考える、感じる」、その結果として「心になる」。人は、見るもの、匂い、味、言葉、手の感触、すべてを一度脳で受けて分解する。五感のすべてを脳で受けて「分解し、再構築」する。「分解→再構築」という作業を脳が、瞬時に行う。これが心になる。分解しているという自覚なんかない。
だが、「理解できる」、ということは、脳が分解したからだ。分解できたから、理解できる。分解できないことは、「わからない」、ということだ。
さて、分解して再構築する間になにが起こるのか。たくさんの小さな心の、その1つ1つが、他の1つと連結する。連結した瞬間に、機能が変化する。そして、また別の1つと連結する。また、機能変化。無数の小さな心のそれぞれが、「他の小さな心と連結するたびに、機能変化」する。
たとえば、好きな人と会うと、心がわくわくする。でも、デートの金が少ないと、ガックリくる。そこで、万馬券でも取れば、大喜び。わくわくが甦る。つまり、心は決断を下すまでに、驚くほどの紆余曲折をくり返す。生まれつき明るい心をもっている人は、何事も明るく捉えることができるし、暗い心をもっている人は、常に結論は暗い。
人は、それぞれが実にさまざまな小さな心をもっている。そんな小さな心が無数に集って、あっちこっち連結しながら、変化、変化の果てに「やっと1つの心」にたどり着く。それを、瞬時にやってのける。
たとえば、わが家の妻の心に、夫を信じないという小さな心があったとする。すると、その小さな心は、なにかにつけて夫のわたしを拒否する。そうなると、どんなにうれしい話をしても、素直に聞こうなんて思わない。最初、「あら、いいわね」と思っても、次に信じない心と連結した瞬間に機能変化し、「ふざけんじゃないわ」、となる。ついつい言葉も乱暴になる。つっけんどんになる。天気がよくないとか、宝くじが当たったとか、テニスがうまく行かなかったとか、子どもが口答えしたとか、それはもうたくさんの小さな心があって、それらが連結しあって機能を変化させながら、挙句1つの心になる。
微妙だ。複雑だ。1つの心が決断を下すまで、小さな心の連結変化、連結変化のくり返し。面白い学説でしょ。上司が気に入らないとか、得意先の担当がうるさいとか思ったら、仕事はうまく行かない。だとすれば、「気に入らないという小さな心を封鎖」すればいい。そう簡単には行きません。だったら、その仕事からはずれればいい。とにかく、小さな心にある、仕事に不利に働く感情など、全部封鎖することだ。
逆に、仕事に有利な小さな心もある。だが、良かれ悪しかれ、感情という小さな心が、仕事の最終決断を曇らせてしまうことは感心できない。仕事は、感情を抜きにして、真っ直ぐに成功に向かうことが一番なのだ。心をコントロールするということは、「小さな心をコントロールする」ということになる。
わたしは今日も、自分を不愉快にさせる小さな心を封鎖し、放棄するよう訓練する。他人を、嫌なヤツだと思うことをいっさいしない。会話にしても、嫌な言葉、不愉快な言葉は、極力避ける。いつも、幸せな決断を導き、幸せな人生を送りたいと願うからだ。さてさて、うまく行くかどうか。
2020/03/24
■  海に舟を

海に舟を。海舟。日本海軍の土台を築いたのは、この男だ。海舟、勝麟太郎。この男をもっと大事にしておけば、日本はここまで遅れることはなかった。あるいは、海舟が早すぎた。100年早過ぎた天才だった。濁りのない純粋な目で物事の根本を見つめ、根本に基づいた基準で正しい判断を下す。大海のような偏りのない精神を持っていた。
父、小吉ゆずりの卓越した勝負カンを持ち、叔父であり直真影流男谷精一郎と島田虎之助から剣を学んだ。島田虎之助から、剣だけでなく洋式兵学の必要を教わった。筑前藩永井青崖から蘭学を学んだ。海舟が身につけた正義の心、人の道は、世界に十分に通用するものとなった。いや、世界に必要なものだった。
時は、革命の時代。押し寄せる外国の脅威。イギリス、フランス、アメリカ、オランダの軍艦に包囲され、徳川幕府はオタオタと腰をぬかし、自国の利益確保に翻弄する薩摩と長州、そんな二進も三進もいかない日本で、海舟の胸の内には最善の策が描かれていた。
そう、海舟の目は、徳川とか薩長とかそんな狭い井戸の中を覗いていたのではない。日本という国家を見つめ、その将来を見据え、海の向こうに広がる世界に目を向けていた。正義を見つめ、世界の潮流を見据えていた。インドや中国のように、西欧の列強の軍門に下って植民地になることは、絶対に避けたい。
日本は、独立国家として堂々と生きる。海舟の目標はしっかりしている。「そのために、いまおれたちはなにをすべきか」。それだけを考えていた。枝葉末節にこだわっている場合ではない。まず、日本国を一つにする。日本国を一つの心でまとめる。意思を一つにして、国家のために力を結集する。「徳川とか、薩長とか、土佐がどう佐賀がどうと言ってる場合じゃねえんだよ、そんなこたあどうでもいい」。小吉ゆずりのべらんめえ調で言う。「もっとでっかい目で世界を見て、正義に則って行動することがいま一番大事じゃねえのかい」。
残念なのは、海舟のその大きさ、その正しさを理解する者がいなかった。とくに、幕府にはいない。15代将軍徳川家喜は、海舟が嫌いだ。家喜は、頭はよかったが、いわゆる学校秀才というやつで、勉強はできるのだが、社会を知らない。人間を知らない。人の心を理解できない。自己中心で、人の上に立つ器ではない。とても海舟のでかい精神なんか理解できない。幕臣たちもまたそうだった。武士の地位を金で買った海舟を小ばかにしていた。そんな海舟から素晴らしいアイディアが出されても、理解できないだけでなく、嫉妬の塊となった。
徳川の家臣でありながら、「世界の中の日本」を叫び、同調する西郷隆盛や坂本龍馬といった、幕府の敵たちと仲良くするなど言語道断、「あいつは薩長のスパイだ」、などと言い出す者もいた。実に愚かだった。そのくせどうにもならない時は、「海舟にやらせよう」と、都合のいい道具として海舟を使った。
勝海舟は、曽祖父が検校で財産を築き、その財産で男谷と勝の両家と養子縁組をして武士となった。金に困った武家が持参金目当てに家名を売る。当時は、それができた。士農工商は、もともと身分制度ではなく役職制度だから、そんなことができるのだ。薩摩の島津斉彬に才能を買われた海舟は、西郷隆盛と会うとすぐに意気投合した。天を敬い、人を愛す。敬天愛人の西郷もまた大きな男だった。坂本龍馬と会う。「船だよ、船、海軍だよ、海は壁じゃねえ、海は道だ」。土佐の若者は一瞬にして、海舟の大きさと自由さに引きつけられた。神戸海軍操練所でも塾頭となった。攘夷も、開国も、公武合体も、勤王攘夷も、海舟から見れば、本質から離れている。「本当に大事なことは、日本の国を保全し、日本国民を安全に守りぬくことだろうが」。その後の海舟の活躍は、知られるところだ。天のような男。溢れる才気。それ故に、上司からは疎まれ、仲間から嫉妬された海舟。もし、身近に足を引っ張る愚か者がいなかったら、もっと日本は大らかに進化しただろう。そう思うと悔しい。いま、世界の中で孤立し始めた日本。あなたの身近に若き海舟はいる。足を引っ張る先輩や仲間がいないことを祈る。
(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
2020/03/24
■  恐怖の優先席

東急23系統のバスは、渋谷西口駅前と世田谷祖師谷大蔵の間を走る。このバスは、運賃前払いで、前から乗車して運転手の横の料金支払機に、運賃を払うか、パスモとかスイカを使うか、運転手に定期券を見せて乗る。
問題の優先席は、乗車してすぐ右側にある。3人座れる。高齢者、怪我をしている人、子ども連れのお母さん、妊婦さんなどを優先的に座らせる席だ。最近、シルバーシートと言わなくなった。シルバーシートと言っても、わからない人がいるのかな。対面の左側には、車椅子やベビーカー対応の席がある。わたしもいよいよ優先席年齢にたどりついたようである。わたしの顔を見て、ぱっと席を譲ってくれる人もいる。もちろん、わたしが譲る場合もある。
ある時、高齢の女性が乗ってきたので、ぱっと立ちあがり、「どうぞ」と席を譲る。その女性、じろりとわたしを一瞥して、「なによ、わたしを年寄り扱いするの」という顔をする。「あんたのほうが年寄りじゃないの」という冷たい目でわたしを見、「いいです、結構です」と、断る。「どうぞどうぞ」。わたしも立ち上がった手前、ぜひ、席を譲りたい。他の乗客がみんなで見ているようで、いまさら「そうですか、ラッキー」などと座り直しは意地でもできない。「いえ、いいですよ」。「いえ、どうぞ、どうぞ。お荷物もあるようですから」。「いいですったら」。頑固な年寄りだ。人の厚意を素直に受けろ。こちらも頑固な年寄りになる。「どうぞ、どうぞ、絶対にどうぞ、どうしても座って」。「いいと言ってるでしょうに、うるさいなあ、死んでも座るもんか」。女性の目が血走ってくる。みっともない。恥ずかしい。思わず、「わたし、次、降りますから、どうぞ」。そう言ってしまった。まだ降りない。降りてはいけない。気が小さい。渋谷までだいぶあるのに。停留所にして7つか8つもある。でも、バスを降りてしまう。席を譲ろうと思っただけなのに、なんで用もない停留所にぽつんと降りなきゃならないんだ。呆然とひとりバス停に佇む。気が小さいなあ。いい人は、損をする。余計なことをした、と反省する。わたしは、優先席が嫌いだ。また、逆もある。明らかにわたしより高齢の方が、わたしに席を譲ろうとする。ふらふらと倒れそうに立ち上がる。「えっ、なんだなんだ、この人よりわたしが高齢に見えるのか」。見ると、もう死にそうな老婆だ。わたし、そんなに爺か。さっきの話の逆だ。感謝よりも怒りがこみあげる。「いえ、結構です。」
断る。老婆はむっとして、「なによ、譲ってあげたのに。ねえねえみなさん、わたし、こんなに親切なのにこの爺、えらく頑固でしょ」と言うように、バスの客を味方につける。「いえ、わたし、若いときにスポーツやってたので、案外身体は頑丈で」。などと口の中でわけのわからないことをごにょごにょ言う。「はっきりしないのねえ、座れったら座りなさいよ」。女性は怖い。いつの間にかわたしが悪者になっている。「わたし、次、降りるので」。また、わたしは用もない停留所で降りてしまう。気が小さい。ぽつんと停留所にいて、なんでこうなるんだと頭を抱える。
わたしは、優先席が怖い。ある時、優先席を譲り合う二人の女性がいた。「どうぞどうぞ」。「いえ、あなたこそどうぞどうぞ」。「いえいえ、あなたこそどうぞ、わたしより年寄りなんだから」。「あら、あなたのほうが、お年よりよ。きっとそうよ。おいくつ?わたしは68歳、あなたは?」。「あら、わたしも68歳よ。じゃあ、あなた、何月生まれ?わたしは6月、あなたは、何月?きっとわたしより、年上よ」。「あら、わたしも6月よ、じゃあ何日生まれ?」。「お座りください。お座りください。バスが発車できません」。運転手が頭にきて、少し強めでアナウンスする。「あなた、何日生まれ?わたしは12日よ。何日?」。「あら、12日?まあ、同じ、偶然ねえ」。「あら、そうなの、偶然ねえ」。もはや、なにがどうなっているのかわからない。わたしは、優先席が怖いまま今日もバスに乗る。優先席からいちばん遠い後ろに乗る。
(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
2020/03/24
走れ、「そよ風、散々会」

銀座8丁目、昭和通りから通りを二本入る。ホッピーと墨文字で書かれた赤提灯が、風に揺れる。夕方、6時過ぎ。赤提灯に、灯が入った。風は、海から吹いてくる。東京湾の潮の香を乗せたそよ風だ。そう、店の名を「そよ風」という。
拓殖大学空手道部OBの兄弟が経営する古い居酒屋だ。ブランドショップが増え、資生堂ビルも改装され、新しさが目につく銀座だが、ちょいと路地を入ると懐かしい店がある。銀座は、なんでもこいの柔軟な街だが、いいものはきっちり残すぞと意地を張る街だ。「そよ風」も、そんな意地を張り通す店の一つ。新しくはない。古い。きれいではない。汚い。だが、人情が売り物の心懐かしい店だ。
とんとんとんと石段を上って、酒の空箱が転がる雑然とした入り口を入ると、店主が迎える。一見無愛想な店主だが、見た目よりはずっと暖かい人柄で、安心できる。武道家特有の無骨さで、これでよく客商売をしているなと思うが、それはそれで、だからいいという客も多い。人間て、わからないものだ。この店を紹介してくれたのは、広告会社に勤める下さんだ。下さんの友人で、俳優千波丈太郎さんの行きつけの店だ。千波さんは拓殖大学空手道部出身だから、「そよ風」は部活仲間の店ということになる。
店に入って左側、カウンターの手前のテーブル席で、下さんとわたしと弟の守男の三人は、酒を酌み交わす。店は、今日も常連客でいっぱいだ。「よし、馬券、買おう」。ある日、わたしは下さんと守男にそう告げた。わたしは、生まれてこの方バクチをやったことがない。パチンコさえやったことがない。なんでものめり込んでしまう自分の弱い性格を知っている。だから、バクチはやらない。だが、下さんと弟の会話が面白い。この会話に参加しよう。そこで、馬券を買うことに決めた。会話を楽しむだけ。馬の勉強は一切しない。予想も下さんと弟まかせ。馬券を買って、わくわくすればそれでいい。当たらなくてもいい。馬券は、わくわく代。そういう条件で、馬券チームが結成された。3人だから、「散々会」。さんざんな目に遭うぞ、と皮肉って「散々会」。そう命名したのは、下さんだ。店名の「そよ風」を加えて「そよ風、散々会」とチーム名が決定。下さんに、一人頭3000円を預ける。合計9000円。これを資金に毎週わくわくしよう。
下さんを初代会長に、弟を副会長に、週末競馬を楽しむのだ。ある日、会長がリストを見せる。会長推薦の馬に印がついている。その横に、印のない馬「ヘミングウェイ」がいた。「ヘミングウェイ」といえば、ノーベル文学賞作家の「アーネスト・へミングウェイ」のことではないか。自ら戦場に赴き、20代にパリにいて、フィッツジェラルドやガートルートスタイン、若き日のピカソ等と、サロンでワインを飲みながら芸術論人間論を交わし、「日はまた上る」を書き、「武器よさらば」を書き、スペインの闘牛を書き、やがてキーウエストに移り、キューバに移り、メキシコ湾でマグロを追い、「老人と海」を書いたアメリカの作家。その名を冠した馬が走る。それだけでわくわくするではないか。
「ねえ、会長、へミングウェイ、買お」。わたしがいうのを、「そうか、それもあるな」と、下さんが情報を収集する。「いい馬だ。このレースで2着、このレースで3着、このレースで2着、ここんとこ出てないが、面白い」。買った。買いました。さあ、走った。わたしは、週末には、河にいる。鯉を釣っている。釣れないときは、昼寝をしているか、酒を片手に本を読んでいる。
結果が出ると、下さんから電話かメールが入る。「まいった、期待外れだ、13着」。電話の向こうで会長が唇を噛む。いいのです。それでいい。わくわくしたんだから。「でもね、会長、へミングウェイを見捨てないで。1年間追いかけて」。わたしはそう懇願する。
「そよ風」が店を閉めた。ビルの建て替えを機に、看板だけ残して閉店した。千波丈太郎さんの体調もイマイチで、心配だ。だが、「そよ風、散々会」は永久に不滅だ。先日、世界的アートディレクターの松本隆治氏を顧問に迎えた。さあ、この週末もわくわくしよう。走れ、へミングウェイ。走れ、「そよ風、散々会」。
(たかの耕一:takano@adventures.co.jp)
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