高野耕一のエッセイ

2020/11/01
■ こちら、あなたの宣伝部

当社のコピーライターが、ふと言いました。最近、あちこちの会社の宣伝部が激減しました。もともと宣伝部がない会社ももちろんあります。でも宣伝広告は大事なコミュニケーションとして必要です。その出来不出来で商品の売り上げ、会社への人々の好意度が圧倒的に違います。ひとつのポスター、一冊のパンフレット、ちらし一枚、ホームページ、言葉ひとつの選び方で効果がまったく違ってきます。その通り。でも、いまはコストの問題でなかなかプロを使う状況でないことも確かだね。本当はこういうときこそ宣伝広告が重要なんだけどね。マックがあれば広告ができちゃうという会社もあるしね。われわれだって以前ほどテレビコマーシャルだの新聞広告だの、大型メディアの仕事は激減しました。そうなるとこれまで多くの会社さんとのお付き合いで学んできた広告の核心や方法論、コピーやデザインの力をみなさんの宣伝部として使ってもらいたいですね。それはいい考えだね。「あなたの会社の宣伝部」というわけですね。「そう、宣伝広告アイディアのデリバリー」みたいなね。「ピザではなく宣伝広告アイディアの配達」ですね。テレビの「アド街ック天国の街の宣伝部」の会社版ですか。そうだね。実際にあらゆる会社が「いいアイディアが欲しい」と願っているのは事実だろうからね。むずかしい問題はなんだろうか。
まず、秘密事項を厳守できるか、でしょうか。それと、いくらわれらがプロだって叫んでも、本当の力はその会社の仕事をしてみないと実力はわからない、ということもあるね。あと、仕事をしていて思うことは、宣伝広告は絶対の信頼関係のもとに成り立つということもありますね。相性もあるからね。信頼は構築していけばいいし、相性は会ってわかりますからね。厳しいことをいうと、相手の会社を理解し、商品を理解するにもきちんとしたプロの頭脳がなくてはね。力を求めているところに、必要な力を届ける。これは宣伝広告も同じことだと思う。これからの日本は、必要なところに必要な才能を、ということも大きなテーマになると思う。人々の幸せを願うという一点がある以上、宣伝広告にまず失敗はない。コストの問題は話し合えばいい。
ただ、価格破壊だけでは会社はつらすぎる。価格破壊で商品は売れるが、けして建設的ではない。成長性がない。それでは社会がもたない。あなたの会社、腕のいい宣伝部が必要でしょう。腕のいい若いコピーライターの話だが、面白い発想をするし、いやはやしっかりしたものだと、改めて感心した。実際にやってみたいものだ。坂本龍馬のごとく、若い力ととんでもない発想が時代を動かす、という時代なのかも知れない。広告という言葉ではなく、違う言葉が必要かも知れませんね。この男、またまた大胆なことをいった。今回のエッセイは、広告業界の実情と当社の宣伝広告になりました。
2020/11/01
■ 本立ちて、道生ず

謹んで新年の御慶びを申し上げます。
ある年、長野県下伊那郡座光寺村北市場でお正月を迎えました。今は飯田市になっています。母の実家です。父が戦争に行き、母とわたしが疎開したのです。そこは木曽山脈と赤石山脈にはさまれた伊那谷で、暴れ天竜と呼ばれる天竜川が遠くの木曽山脈の山裾で蛇のようにきらきら輝きながらうねっていました。
元旦の青く高い空に凧が泳ぎ、冷たい風に頬をりんごにように赤くした子どもたちが下駄で走り回るのを、空を覆い尽くす雄々しい山山が笑って見ていました。洟を垂らし、つぎはぎの半ズボンでした。わたしは3歳か4歳でした。まだ凧を揚げることもできず、走ってもみんなについて行けずくやしい思いをしました。
東京から逃げてきた疎開坊主と呼ばれ、村のみんなとわずか3、4歳ながら戦っていました。わたしが東京・浅草生まれで東京育ちと言いながら、すこぶる田舎もんなのは、その光景がわたしの原風景だからです。いじめられましたが田舎が大好きです。闘争本能も学びました。人間の根本は、田舎にあると信じています。自然は人間の師匠です。
ある年、親戚家族といっしょに茨城県大洗で年越しをしました。大きな鳥居をくぐって那珂港方向に少し行ったところにある、目の下に波が打ち寄せる旅館でした。母の胸に抱かれるようにやさしく、静かな廊下に墨絵が飾られていて、とても趣がある旅館でした。大洗は絵に描いたような漁師町で、わたしにはその無骨なほどに素朴な佇まいのひとつひとつに誠実さが感じられ、強い方言の中に人々のあたたかさがあって、心底ほっとしたものです。
店の前でアンコウを吊るして、包丁を握る料理人の真剣な眼差しに頭が下がりました。風が吹くと、平然となびく松の一枝一枝が何かを教えてくれました。急がない力強さ、地に着いた豊かさ、根に着いた人間らしさをいまも懐かしく思い出します。
海から上がる初日を拝もうと義兄と二人、大鳥居をくぐってまだ明けきらぬ海に釣りに行きました。あいにく雲が厚く初日はまったく見えず、さらに台風のような風で、釣り餌が宙に舞っていた光景と凍えそうな風の冷たさに、思い出しても体が震えます。
自然は理屈ぬきに偉大です。田舎が好きです。人間の根本は、田舎にあります。新年にあたり、何を今年の目標にしようかと思いましたが、中国有子の言葉「君子は本を務む。本立ちて道生ず。」をこそしっかり実行しようと思い立ちました。わたしは君子ではないけれど、根本を努力しよう、根本をしっかり決めてこそ道が開ける。これを肝に銘じ、根本を学ぼうと決意しました。
人間の根本て何だろう。幸せとは何か。それを一から学ぼうと思いました。長野県下伊那郡座光寺村北市場を走り回った田舎もんの自分に帰ろうと思いました。親戚家族とともに触れた大洗の素朴の誠実を見習おうと思いました。下落合で過ごした無垢な日々を思い出し、懐かしい川を忘れずに生きる一年にしようと心に決めました。人間の根本のヒントはそこにあると思います。
「五輪書」を書き、「武士道」を書き、去年「葉隠」を出しました。今年は「論語」を出すために勉強中です。歳を取ってからの勉強は大変です。あの頃、もっと勉強しておけばよかったと、新年早々反省しています。勉強の根本に、素直な心がもてるかどうかが心配です。雲のように生きる。風のように生きる。自然体は嘘をつかない。これは、4年間学んだ空手道から得た心です。はたしてできるか。でも、町内の稲荷森神社にそう誓ってしまいました。頑張ります。本年もどうぞよろしくご指導くださいますよう改めてお願い申し上げます。
2020/11/01
■ 会話は、心の距離

会話には、車のように会話ギアがある。話す者にはそれほど意識はないとしても、敏感な聞き手はこの会話ギアにピンとくる。話し手に意識がなく、聞き手が感じる。これがこわい。人間には45センチのバリアというものがあって、他人が45センチ以内に入ってくると自動的に防衛本能が働き始め、身構える。動物の生き抜くための本能だ。
この防衛本能は当然心にもある。空手では間合いという距離感の取り方ひとつが命取りとなり、針一本の距離感の狂いさえ許されない。心の間合いという距離感を調整するのが、会話ギアである。
日本人は、この会話ギアの使い方が極めて下手だ。心の間合いの調整機能が会話ギアだから、このギアの使い方が下手ということは、心の距離の取り方が下手で、心の通わせ方が下手ということだ。
日本の歴史は、「暗黙の了解」とか、「阿吽の呼吸」とか、「言わなくてもわかるだろう」式会話に頼ってきた。それを美学とした。これは身分に上下がある時代の発想で、上から下への価値観だ。「沈黙は金」などという諺は愚かな若殿にしゃべらせると心の浅さがわかるからしゃべらせなかっただけのこと。これが会話を成長させない愚かな美学だった。
会話には、まず言葉の選定があり、語る順列がある。声のトーンがあり、速度があり、大きさがある。リズムがある。呼吸がある。この会話を作るのは、心だ。その人の育ち方、教養、品格だ。会話は日常的なものだから、だれも特に練習はしない。第一、会話を難しく考えたくはない。うるさく言うなら話たくない。その思いも成長しない理由だ。練習や勉強をしなければ下手なのは当然だ。
企業やグループのトップに立つ者が会話下手だと、これは致命的だ。心が通じない。部下たちが意気消沈する。仕事ができるだけの人間なら、人の上に立たないほうがいい。感情的になる者は上に立たないほうがいい。心が会話に出て、嫌な言葉を選定し、会話のリズムも荒くなる。平常心の保てない者は、上に立ってはいけない。さらに、勉強を怠る者はトップに立ってはいけない。部下にバカにされる。勉強をしないトップは、部下にバカにされないように会話に本心を出さない。えらそうな語調で話す。わざと乱す。会議でも意図的に論点を狂わせたりする。だから、余計に見透かされる。
若者は敏感だ。バカも利口も、人間の浅さもすぐわかる。会話の上手なお母さんは、子育てがうまい。さらに子どものことを心底思いやるお母さんは、すてきないい子を育て、日本に役立つ人材を育成する。世界とのつきあいが広く深くなった。
会話の下手な日本人のままではいけない。世界は、日本を理解してくれない。心に信念を抱き、会話ギアを楽しみつつ、心を通わせたい。
海を目の前にして空手部の後輩が、「でっかい海ですねえ」と感歎の言葉を発したとき、親友のマツが言った。よし「この海、きみに上げる」持って帰っていい。後輩が答えた。「先輩、今日、大きなバッグ持ってきてません」マツが言った。「じゃあ、半分だけ持って帰れ」。こういう会話が好きだ。ジョークの中に先輩の愛情と後輩の信頼が見える。会話は心そのものだ。ジョークももっとうまくなって欲しい。
昨夜、渋谷で仕事をしていて一段落した7時、目の前の若者が腕時計を見て言った。「高野さん、酒場に遅刻します」、うれしい言葉の選定だ。酒場に遅刻ときた。若者との心の間合いが一気に縮まり、グラスを交した。言葉を大事にし、会話を磨きたいと思う。相手のことを知るために、心の開く会話ができれば人生がもっと豊かになるだろう。
2020/11/01
■ 鯉せよ乙女

目を上げて対岸を見て、いやはや驚いた。渋谷公園通りを闊歩するようなモデルギャルが、釣り竿を振っている。20万円のルイビトンのバッグを選ぶときのような真剣な眼差しで浮きを見つめている。
市ヶ谷駅前の釣り堀、午後3時。モデルギャルは2人。2人とも長いまつげで浮きを見つめる。目を横に移すと、いかにも釣り師といういでたちのおじさんたちの間で、ディズニーランドが似合いそうな若いカップルが竿を振り回している。さらに横を見ると、ストリートダンサーのような派手な服装の若者が3人、なにやら大声でしゃべったり笑ったりしている。
耳を澄ますと、彼らの言葉は日本語ではない。韓国か中国かミャンマーか。顔だけではまるでわからない。そんなに騒ぐと鯉が怯えて、餌を食わないだろうが。そんな目でわたしは見るが、彼らは一向に動じない。わたしのにらみは世界共通ではなかった。
最近では、家庭でもにらみがきかないから、この機会にもうにらむのを止めようと決める。そのように、市ヶ谷の釣り堀が、時代を反映し始めた。国際的になった。わたしは、学校を卒業すると行きがかり上コピーライターになり、コピーに悩んだり、本を書いたりで、頭がいいわけでもないのに「考える」仕事についてしまった。
コピーやアイディアに行き詰ると心がざわざわして、机を離れて考える場所をさがす。行きつけのドトールのテラス席でボーと空に質問したり、雲としゃべったり、コンビニで缶ビールを買って公園のベンチで黄色く色づいた銀杏に語りかけたり、街を見たり、人を見たり、もがく、あせる。
いちばんアイディアが出るのは、最近では渋谷・東急プラザの地下2階にある「家族亭」である。友と無駄話をする居酒屋もアイディアの宝庫であるが、日本はなかなか考える場所がない。マンガ喫茶は肌に合わない。図書館も好きだが、まわりのみんながおりこうさんに見えてしまうことがある。
開高健さんのように、ウイスキーをもって街のいちばん大きい木の下に行き、木と語りながら飲むというのも好きだ。考える場所として市ヶ谷の釣り堀はいい。四谷に事務所があるときからときどきくる。月に1回くらいか。考える釣り堀だから、真剣に鯉を釣ろうとは思わない。だから、鯉のほうでもわたしをバカにして、釣れてくれない。それどころか目の前でバシャッとジャンプをして、“ザマアミロ”という目でわたしをあざ笑う。隣のいかにも釣り師おじさんが、ひょいひょい大鯉を釣り上げる。
目の前のモデルギャルに鯉がきた。大きく竿がしなる。きゃあきゃあ言いながら、満月のようにしなる竿をそれでも器用に操って、タモ網を左手で取る。暴れていた鯉も水面に顔を出し、空気をしこたま吸い込んで観念する。まわりの目がモデルギャルと鯉に注がれる。うまくやれよというやさしい目が集中する。カップルの娘の方が、ほんのちょっぴり嫉妬の色を目に見せる。鯉はタモ網に触れ、最後のひと暴れをすると、無事に網に入った。隣のおじさんが小さく拍手をし、わたしも左手の缶ビールを掲げる。思考は停止しているが、なにやら幸せな気分になる。国籍不明のアジアの若者たちも、口ぐちになにか叫びながら、モデルギャルの鯉を見ている。うまそうだな、とでも言っているのだろうか。
1時間が過ぎた。終わりの時間だ。あら、また釣れなかったのね。受付の女性に言われ、「餌を付けるのを忘れていたんです」と妙な返事をする。なにもかも古い市ヶ谷の釣り堀に世代を越え、国境を越えて、新しい波が押し寄せている。鯉にもともと世代も国境もない。さていつの日か、恋も世代と国境を越えるのだろうか。
2020/10/05
■ 偽りの山

都会に真実はなく、男たちは都会の偽りに耐え切れず山に逃げる。五日市街道を北上すると山はぐんぐん近づき、武蔵五日市駅前の交差点を左折する頃には里山に囲まれていた。橋を越え緩やかな坂を登り、道は五日市の古い町並みに続く。辺りの山々は頂上から紅葉が徐々に下り始め、街路樹の葉もすでに色を変えている。思った以上に山々の緑が濃く紅葉が目立たないのは、植林による針葉樹が多いからだ。
街道沿いの古い二階建ての古民家に貸家の看板が掲げられていて、家賃はいくらだろうと話しているうちに道はなだらかに下り、目印の「黒茶屋」の看板が見えた。雨は上がり、この状態なら予定通り河原でバーベキューができます、とハンドルを握る空手部の後輩が言った。「黒茶屋」の看板の角を川に沿って左折すると道は急に細くなり、細かい起伏も増え、右に左に曲がりくねりながら里山の麓をぬって走る。車がやっと一台通れるほどの道幅で、たまにすれ違う農家の軽トラックとも、どちらかが道の端に避けなければならなかった。
民家の柿が赤く熟れ、柿の木の上から二羽のカラスがわれらを見下ろす。なんとものどかな気分になる。川を越え里山をいくつかかわし、森はさらに深くなる。しばらく走るとやがて道は上り坂になってゆっくりと右に迂回する。そこに突然目指す欧風レストラン「メリダ」の白い瀟洒な建物は現れた。
里山の中腹を刻んだ道路から左の川にせりだした崖の上のちょうどいいスペースに、いずみ先生が手造りで造ったレストランだ。南仏かスイス・アルプスを彷彿とさせるその佇まいは、眠る森の中でふと目覚めたときのような清々しさを与えてくれる。道の反対側に美術館があり、その建物も先生の手造りだ。そして、先生はいま美術館の前に道にせりだすテラスを造っている。われらは美術館で作品を鑑賞し、うまいコーヒーを飲み、先生秘蔵の貴重な品々を見せてもらう。
先生は、美術と古武道について屈指の人だが、いまは料理人で大工です、と笑う。妻に言わせれば、「先生はまるで仙人か天狗ね、あんたはきっと憧れるわ」という方で、なるほどと頭を下げる。スーパーいなげやで材料を買い、われらは深い谷の河原で肉を焼き、野菜を焼き、山を見、川を見、酒を飲む。総勢9人。全員男というのはなにかもの足りないが、それはそれで楽しいものだ。
山奥で男たちが集まって飲み食いする様は、落武者のようであり、山賊のようであり、中国の梁山泊のようでもあって、清々しい気風がある。清流と語り、山と語るわれらの心は、一枚づつ都会の偽りの衣を脱ぎ、むき出しの真実に近づくかに見える。都会では、むき出しの心は傷つけられる。都会の気づかいがまた、嘘や偽りを生み出す。人は、やさしいから嘘をつく。都会で日常についている嘘や偽りは、やがて人間を侵食し、人間そのものを偽りのかたまりに変える。われらは、その偽りの衣を洗い流すために清流と語る。山と語る。むき出しの心のまま夜、レストランでうまいチリワインを飲み、アンダルシア地方の味覚に酔う。
朝の目覚めも格別で、朝食もまた見事な味だ。「空気がうまいから料理もうまいのかな」、と言うと店の人に、「料理がおいしいのです」、と訂正された。先生に、「山には真実があります」、と言うと、「この山は死んでいるよ」、と答えた。
山は死んでいる。木は死んでいる。だが、偽りの原因は山や木にあるのではない。人間にあるのだ。そう聞こえた。都会の偽りも、街にせいではない。人間のせいだ。人は、自分で問題を起こし、自分で騒いでいる。山も木も雲も、こんな愚かな人間を許してくれるのだろうか。子どもたちがむき出しの心で生きられる社会は、夢か。
2020/10/05
■ 午後3時の酒の言い訳

父が酒を飲み、ふらふらと駅前通りを帰ってくる。まだ陽は高く、外は明るい。ぼくが生まれてすぐ父は戦争に行った。甲府の練兵所から出征する前に、軍服の父がぼくを抱いている茶色に変色した写真が、ぼくの写真の中で最も古いものだ。
ぼくは1歳くらいだろうか。帰る確率などほとんどない中国戦線に、若い母と乳飲み子のぼくを残して否応なく送られた。心の広い聡明な父であったが、学歴がなかったから、おそらく最前線の消耗品の兵士として送られたのだろう。運がよかったのか、逃げ回って生き延びたのか、父は帰ってきた。父が帰り疎開先の長野県飯田市からぼくらは東京の高田馬場に帰った。
父はシミ抜き職人だったが、戦後にそんな需要はない。だからぼくらを食わせるために消防士となった。一日置きに消防士をやり、非番の日にも休むことなくシミ抜きの仕事をもらって歩いた。そんな父は酒を飲み、ふらふらと生きた。
ぼくには、戦争の後遺症から逃げるための酒に見えた。幼いぼくには正確には理解できないが、戦友が目の前で弾丸に倒れ、あるいは人間に銃を向けて引き金を引き、理性では納得しえない地獄に置かれたのだろう。父は、いっさいぼくに戦争の話をしたことがない。だからぼくには父が中国でなにをどうしたのかまったくわからない。だが、戦場という非人間的な地獄の中で3年以上をすごした男に、その後もし人間的な感情が残っていれば、酒に逃げるか自殺をするかしかないのではないかとぼくは思う。
酒に溺れる父に、母は絶対に愚痴をこぼさなかった。ただ、淋しそうに見ていた。母は、明るかった。戦後の時代を笑って生き抜いた。父は戦場で戦い、母は時代と戦った。ぼくは、いま、新橋駅前で空を見上げながら、酒を飲んでいる。午後3時。妻にも子どもにも会社にも世の中にも隠れてコップを右手に持ち、流れる雲を見ている。父が笑い、母があきれている。
父さん、父さんは酒に逃げたのですか? ぼくは聞く。そんなことはおれに聞かずに酒に聞け。父はそう言って笑う。酒は逃げ場ではないよ。酒はおれの最高の友だ。父はそう言う。母はこう言う。「耕一、いい加減におしよ。お前は人のためになる人間におなり。お前は一番になれる子だからね」。気の強い母だった。
父は、絶対に他人のせいにするなと教え、母は、結果を恐れず向かっていけと教えた。自由に生きろ。人のために思いきり生きろ。そういう二人だった。父も母も無類に明るかった。戦争に巻き込まれた父も、時代に翻弄された母も、いつも笑っていた。なにがあっても笑っていた。辛いときは陰で泣く母だった。83年間、酒を離さなかった父と、88年間笑って生きた母は、すでにいない。新橋駅前、根室食堂という飲み屋で「つめ酒」を飲んでいる。焦がした花咲ガニのつめがコップにどかんと入っている。つまみは白菜。日本は未曾有の不況下にある。政治家も、官僚も、社長も、猫も杓子も、「かって経験のない」時代だと言う。「おれもそうだったよ」と父が言う。人生たかだか生きて100年。たいした経験もできやしない。だれもかれも「かって経験のない」世の中を生きていくものだ。人間も動物もそうだ。そう言う。そう、みんな経験のない時代を日々いきているのだ。ぼくも経験のない今日を生きている。なにも恐れることはない。だから勉強すればいい。学べばそれでいい。新橋駅前。空を見上げ、酒を飲み、父母と話す。酒飲みは言い訳をしつつ「つめ酒」を口に運ぶ。「母さん、ぼくは一番にはなれなかったよ」。母は言う。「おまえはおまえの一番でいいのよ」。
2020/10/05
■ そう思ってほしい

わたしがそう思うのだから、あなたにもそう思ってほしい。世の中の出来事や価値観について、相手にそう同意を求める気持ちがあって、さらに、その同意を求める度合いが徐々に強くなる。そう思ってくれよ、頼むよという願いになり、ついにはそう思えよこのやろう、と命令になる。だからわたしはいやがられる。
そんなに大げさでなくても、晩飯は魚がいいとわたしが思うのに、かみさんは餃子がいいと言う。このやろうと思うわたしが悪いのだろうか。そんな「そう思ってほしい」感覚は、淋しがり屋や自己顕示欲の強い人間に限ることなく、だれにでもあるコミュニケーションの原点ではないかと馬事公苑の入口にあるスターバックスのテラスでアイス抹茶ラテを飲みながら「中国古代史の謎」という本を読みながらふと思った。
世界の風の吹きようで、なにやら中国とはもっと正面から付き合う時期がきたような気がして、そのために彼の国をもっと知ってみたいと思い、学びのためにこの書を紐解いた。中国4000年とひと口に言うが、4000年の昔、紀元前2000年頃、中国は殷周時代と呼ばれ初めての帝国が形作られた。考古学上、200万年前の猿人、50万年前の北京原人などものすごい発見はあるが、わたしのあたまはとてもそこまでついて行けない。
そこで殷周時代から始めたわけだ。殷帝国の前に夏という伝説の帝国があったと言うが、これが実在か伝説かの結論がない。後日息子が最近の中学の歴史の本を示し、夏帝国が実在したことがわかった。殷帝国が周帝国にとって代わるときに活躍した人物が、夏帝国を形成していた「キョウ族」であり、その族長がかの太公望呂尚である。
釣りをやるわたしには太公望が他人とは思えず、いまも多摩川あたりに行くと、やあと呂尚が笑いながら振り向くのではないかと思うほど身近な人物だが、実は中国史上大変重要な男である。
さて、現在の中国の9割を占めるという漢民族だが、この民族が単一民族ではないという学説が有力だ。日本の25倍の国土をもつ中国に、イラン、トルコなどの西方遊牧民族が羊を追いながら大山脈を越えて移住し中国に住み着いたというが、その悠久の時の流れの中で多くの民族が融合し、排他しながら漢民族を形成したというのだ。その説は大いにうなずけるものであり、黄河の流れのように多くを飲み込み、拡大と分散を繰り返しながら巨大化して行く様子が目に見えてくる。あまりに大ざっぱな見方だが、詳細はこれから勉強して行く。
話はもとの「そう思ってほしい」にもどる。西方民族が大山脈を越えるにしても、おい、向こうに行ってみようぜ、という者がいて、「そう思ってほしい」「そう思う」という仲間が集まった。そんな民族が帝国を創った。つまり、「そう思ってほしい」「いいよ、そう思うよ」という気持ちがふくらんで帝国を創った。向こうへ行こうぜが、国を創ろうぜになった。立地条件とか環境とか時の流れとか、さまざまな条件で国ができたが、大きな要素として「そう思ってほしい」「いいよ」が、実は絶大な力を発揮したのだと思う。そう思うと、世の中のすべてが「そう思ってほしい」「いいよ、そう思う」で成り立ってくるのではないかと思えてくる。
戦争もそう。平和もそう。人は人を誘いたい。一人じゃなにもできない。おい、飲みに行こうぜ。いつもの仲間が声をかけてくる。「いいよ、そう思う」とうなずくわたしである。
2020/10/05
■ 他人に花もたせてこそ男

せっせと種を植え、水をまき、苗木を育て、苦労して花を咲かせたら、笑ってその美しい花を他人に捧げる。それが男というものである。そんな聖人君子のような生き方にあこがれているが、いやはやむずかしい。最大のむずかしさは、実は陰で苦労することではない。花が咲いたら捧げようと思っている相手が、横から、その種の選び方はいかがなものかとか、ちょっと水をまきすぎではないかとか、その肥料よりこっちの肥料のほうがいいとか、ぎゃあぎゃあうるさいのである。そのうるささに笑って従えるかどうか。これがむずかしい。
じょうだんじゃない。おまえさんになんか花はやらない。そういう感情が自然に湧きあがる。わたしは、男になれない。主君のために命を捧げる葉隠武士のごとく完全な陰の中で、他人のための花を育てることができない。
わが国学院大学空手道部のOB会はいま、現役部員数の激減問題に直面している。OBの参加人数も増えることがない。地方のOBと若いOBの参加が少ないのである。そんな中で空手道部は創部60周年を迎える。現役のために9代次呂久英樹先輩を監督に迎えた。OB会の発展のために12代小柴先輩を会長に据えた。次呂久監督のもと、2年生の大角くんと遠藤くんが急速の進化を遂げている。1年生も日々逞しく成長している。
次呂久監督は、国大空手部に次呂久あり、と詠われたほどの剛の者でありながら、いま、自分を陰に置いている。現役に花をもたせるために、水をまき、肥料をまいている。黙々と空手の基本を現役の体に叩き込んでいる。大会での優勝を視野においてはいるが、監督の視線はその先の彼らの人生の勝利に向けられている。
空手は、スポーツでありながら武道である。道である。中には愚かな先輩たちもいて、試合に勝たなければ意味がないという。違う。試合に勝つだけでは意味がないのである。その違いがわからぬまま、横からごちゃごちゃいうOBがいて、それを指摘すると彼らはOB会に参加しなくなる。彼らは自分のために参加しているのであって、他人に花をもたせようと思っているのではないのだ。若いOBは参加しても発言の機会がない。古老長老の発言を聞いているだけだ。これではつまらない。
会長も改革の糸口がつかめない。注意すれば古老長老はOB会にこなくなる。地方のOBの不参加理由は二つ考えられる。空手部なんか忘れたいのだという者もいる。また東京を中心とするOB会には遠くて参加できない。15000円の年会費を払っても、東京の連中が渋谷で飲んでしまうに違いない。主にこの二つの理由だ。
一つ目は、どうしようもない。青春時代の4年間を過ごした空手道部を大事にしてほしいというしかない。そして助けてほしいと素直に願う。
二つ目は、いま、会計は明快である。OBたちはむしろ自費の持ち出しでやっている。道場に顔を出せば、帰りに現役たちにラーメンを食わせる。自費である。みなさんの会費をこそこそ使うなんてケチなOBはもはやいない。現役に花をもたせる。若いOBに花をもたせる。地方のOBたちに花をもたせる。
日下部くん、斉藤一久くん、斉藤あきひこくん、海上くん、上原くん、河野くん、田中くん、その他にもいる。陰に生きる男たち。人に花もたせる本当の男たち。空手道部創部60周年。創部者、初代小倉基先輩に深く感謝し、すべての関係者の絆を強めたい。
2020/09/14
■ 犬も歩けば

犬の目を見ていると、鏡で自分の目を見るのはもちろん、人間の目を見たくなくなる。
一点の濁りもなく、微塵の疑いもなく、まっすぐに見つめる宝石のような犬の目の純粋な輝きにこころが洗われるのだが、その後、人間の疑いに満ち満ちた目に合うとなんともやり切れなくなる。犬の目の奥には、切ないほど主人に寄せる信頼の光がある。こちらのこころを一生懸命に理解しようと努め、最後は自分が人間ではないので、理解できなくてごめんなさい、という切なさにいきつくのだ。こんなに相手を理解しようと努力する人間はもはやいないから、よけいに犬と話していたいと思うのだ。
わが家の初代愛犬は、三河柴のテツだった。日本犬である。息子のゴウタが小学生のころ、妻と二人で新宿のペットショップで買ってきた。ゴウタが臨海学校に行っている間に買って、驚かしてやろうと思った。ペットショップのガラスケースには、ころころ転げ回るかわいい子犬がたくさんいて、どの子犬も夢中で駈け寄ってくる。秋田犬の子、柴犬の子、どの子犬も丸い顔につぶらな瞳が愛くるしかった。
うわ、かわいい。妻はもうどの犬がいいのかわからなくなっていた。わたしにしても同様だ。そのうちふと妻が一匹の子犬に目をつけた。あれ、かわいい。ほら、あれ。その子犬は、こっちに駈け寄ることもなく、部屋の奥できょとんと座っていた。子犬なのに堂々としているわ。妻は言う。風格さえあるわ。小熊か狸のようにも見える丸顔。丸い黒目。全体が薄いグレー。ぬいぐるみのようだ。堂々という言葉と風格という言葉が、たいそう気に入った。あれだな。私が言い、店主が横で、お目が高いともみ手をする。三河柴です。猟犬です。堂々です。風格です。店主の言葉にうれしくなっていると、あと3万円いただければすぐ血統書を作りますが、と店主が続けて言う。え、わたしと妻は絶句して顔を見合わせる。血統書って、店の奥で簡単に作っちゃうものなの。すぐできますよ。妻がわたしのシャツの裾をちょんちょんと引っ張り、小さく首を振り、店主と目が合って愛想笑いをする。血統書はいりません、わたしにだってないんだから。わたしはわけのわからない返事をする。段ボールに入れて子犬を連れて帰り、その夜臨海学校から帰ったゴウタと対面した。
わ、ぼくの犬。ゴウタは子犬に抱きつく。子犬もゴウタをぺろぺろなめる。子犬はテツと命名された。テツに異変があったのは次の日だ。突然ぐったりした。どうしたんだ。わからない。ぼくのテツ、死んじゃうの? ゴウタはすでに泣き顔だ。やっと見つけた環八の向こう側の実相寺の近くのペット病院に行く。テツ、大丈夫? 妻もうるうるし始める。この犬は生まれつき腸が弱いようですね。医者が言う。生まれつき? なんだ、それ。あれ、それでペットショップでも走り回っていなかったのか。座りこんでいたのか。堂々じゃないじゃないか。だれだ、風格なんて言ったのは。あの犬屋のおやじ、お目が高いだと。テツはすぐ元気になったが、妻はしばらく機嫌が悪かった。なんで3万円の犬に10万円も医者代払うのよ。わたしに文句を言っても仕方ないだろ。テツは16年生きた。水が大嫌いな猟犬だった。子どもと女性が好きだった。犬を見るとけんかを吹っ掛けた。自分を犬と思っていなかった。ゴウタとは兄弟のように育った。いま、深大寺に眠っている。二代目のトイプードルのチュウを連れて、深大寺のテツに会いに行く。テツがゴウタの兄弟なら、チュウはゴウタの分身のようである。テツと同じく、チュウもまた純粋な瞳で相手をじっと見つめ、相手のこころを理解しようと努力する。その瞳の奥に切なさがきらりと光る。人間でなくてごめんなさい、と犬の瞳が言う。
2020/09/14
■ キムタクと対決

JR線吉祥寺駅、井の頭公園側の商店街、ある金曜日。狭い通りに人がひしめき合い、おまけに通行人を押しのけるようにひっきりなしにバスが通る。
通りに面した店も、小さな雑居ビルにも、飲食店が目につく。大型のチェーン店の居酒屋、昔からある小さな居酒屋、回転寿司屋、回転しない寿司屋、ラーメン屋、コーヒーショップ、牛丼屋、蕎麦屋、それらの飲食店の間にパチンコ屋とゲームセンターがある。
祭りのように赤い提灯がずらりと並んでいる。並んだ提灯に明かりが灯った。通りはまだ暑く、わたしは汗をかいている。井の頭公園からの風も、ここまでは届かない。わたしは、古い雑居ビルの急な階段を上がった2階の居酒屋にいる。天然素材を使った和風の店で、店内も天然木を多く使ったつくりで広い。友人と待ち合わせをしているが、時間はまだたっぷりあった。広いカウンターの隅に座る。飲み放題888円にこころ引かれたが、結局普通の生ビールを頼んだ。とりあえずビールを飲んで、2杯目に熱燗を飲みたかったからだ。500円の刺身盛り合わせとお新香を頼む。
なあ、キムタクよ。わたしは、目の前で爽やかに笑う青年にいう。長い髪。陽に焼けた肌。今日もキムタクは爽やかに笑う。勝負しようぜ。わたしがいい、いいよ、とキムタクが答える。二人でいつもの勝負をする。今日もおれの勝ちだけど。わたしはいう。最初は、柔道だ。最初から、そうくるか。それは、文句なしの負けだ。キムタクがあきれて、ビールを飲む。おれ、格闘技はあんまりねえ。よし、1対9で、わたしの勝ち。じゃあ、サーフィン。なんだよキムタク、お前だって最初から強力にくるじゃないか。うん、おれも勝ちに行く。9対1で、キムタク。わたしはボディボードしかやったことがない。じゃあ、英会話。英会話ねえ。4対6で、わたしだ。いや、6対4でおれだ。よし、じゃあ実戦だ。ハウドゥユウドゥ。アイアムファイン。よし、引きわけだ。5対5。ダンス。ダンスか、やばいね。そりゃ、キムタク、そっちはプロだからな。10対0。ベーゴマ。ベーゴマ? 聞いたことあるけど、やったことないもんな。よし、1対9でわたし。ボーリング。ボーリングか。キムタク、お前のベストスコアは? 255点。まいったねえ、わたしの最高点は、ジャスト200。6対4でキムタク。駈けっこ。駈けっこかよ、この前テレビ番組で坂を駈け上るやつをやっていたなあ。あれ、頑張ったもんな。わたしの負けだ。7対3だ。キムタク有利。よし、どっちが女の子にもてるか、とわたし。高野さん、それは勝負にならないよ。そうじゃないよ。ファンの数じゃない。女の子が本気で惚れるかどうかだ。そういいながら、やっぱり止めよう、これはやっぱりわたしが不利だ。ね、そうでしょ。キムタクはお新香をつまむ。預金。おい、キムタクよ、勝負にならないよ。高野さんだって、バブルで稼いだ口でしょ。芸能人といっしょにするなよ。ましてやキムタクと預金の勝負してどうするのよ。で、キムタクよ、お前さんは、いくら貯めているんだ。20億円か、30億円か。そんなにあるわけないでしょ。3億円か、5億円か。いけねえ、やめよう。話がつまらない。高野さんも意地っぱりだなあ。当たり前さ。30年前のわたしなら、文句なしにわたしが勝つ。キムタクが腹を抱えて笑ったとき、わたしの携帯電話が鳴った。高野さん、遅れてごめん、いま、駅に着いた。あと5分で行く。待ち合わせをしている広告代理店の部長からだ。はい、待ってます。じゃあ、また。キムタクが軽く頭を下げて出て行く。先日、わたしはツマブキくんとも勝負した。妄想は時間潰しに最高である。日々、好日。
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