高野耕一のエッセイ

2012年7月25日 水曜日 16時24分47秒
考えるTシャツ。


その朝、アートディレクターの松本隆治が、突風のように駆け込んできて叫ぶ。「このままじゃ日本に未来はない」。彼の気性は、生まれ故郷の瀬戸内気候のように、清々しく、楽天的で、物怖じをしない。だが、鳴門の渦潮のごとき力強い正義感を秘めている。
これまでラブ&ピースをテーマに多くの作品を発表し、世界から高い評価を受けてきた。「原発なあ、あれはどうもあかんぜ」。彼には、小学生の息子がいる。昨年数ヶ月間、息子をアメリカに非難させた。アメリカにいる奥さんの親戚が「放射線で日本が危ない」という地元のニュースを聞き、せめて息子だけでも非難させろと言ってきたからだ。「そこで、いま、おれにできることはないか、と考えた」。アートディレクターの彼の手には一枚のデザイン画があった。
原発問題は、極めてセンシティブだ。根本がエネルギー問題だから、あまりにも大きく広く、根強い。単純に反対を叫ぶだけでは、まるで解決にならない。賛成にしても反対にしても、やはり無責任なことは言えない。しっかりと勉強し、確信がなければ、被災された皆さんにはもちろん、真剣に叫び、活動している人たちに申し訳がない。だが「だからなにもしない」という理屈は松本の言うように逃げ口上である。気が引ける。そこで、賛成とか反対を声高に言うのではなく「みんなで考えよう」とサイレントマジョリティに訴えかけるのはどうだ、となった。原宿でコンサルティング会社を経営する原田氏が参加し、わが仲間クロスポイントの伊藤さん、プランナー小池番長が同調する。「みんなで考えよう」と訴える手段としてTシャツを作ろう、ということになって松本のデザインをTシャツの胸にプリントした。さて、これをみんなに着てもらおう。どうする? ネットで販売しよう。そう決まった。原田氏が事務局を引き受ける。われらは、それを「Think-Tシャツ」と名づけた。
「みんなで考えようTシャツ」である。そして、今回は「原発」を取り上げたが、次回はちがう何かを取り上げ、みんなで「考えるウェーブ」を起こしたいと思っている。たとえば「考えよう、滅び行くトキ」でもいいし「考えよう、世界の飢饉」でもいい。みんなでいっしょになって考えることに意義がある。そう思う。「未来の日本のためである」と松本が駆け込んできてからずいぶん時が過ぎ、先週やっとTシャツが出来上がった。松本のデザインはやはりすごい。力がある。シャツの生地も悪くない。一度洗濯するとよれよれになって寝巻きになる運命のTシャツもあるが、これは高松うどんのごとく腰がしっかりとしている。着やすい。ユニクロでも売りたいくらいだ。早速、渋谷のまちを着て歩く。「ほら、ふりむけ、たのむ、ふりむいてくれ」と念じつつ歩く。一枚のTシャツがどれほどの力になるか、想像はできない。日本の未来に、まったく影響を与えることはないかもしれない。だが、街では好評だ。
「どこで売っているのですか?」と聞かれる。「買いたい」と言う声があちこちで起き始めた。「わたし、主義主張はないの。でも、このデザインかわいい」と言う若い女性が多い。松本は「それでいいんじゃないか」と笑う。「それでいいんですね」と答える。日赤を通して、一着につき500円を福島に送ることができる。とにかく傍観者でいたくない。日本は、いつの間にか傍観者国家になった。自分の国を諦めているのだろうか。規則規則でぴりぴりした国だから「なにかやると文句を言われる。それならなにもしないでいよう」という傍観者国民を増やしたのだろうか。ニュースでは、復興はこれからだと言い、地道にすばらしい援助をしている人たちもたくさんいる。そういう人たちから見れば、たかがTシャツである。だが、微力ながらできることから始めて、傍観者でなくなったことがうれしい。今日伊藤さんが「奥さんにどうぞ」と一枚わたしに手渡した。妻は、はたして着るだろうか。
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2012年6月19日 火曜日 10時56分49秒
神様の仕事


街角の八百屋の庭の紫陽花が美しく咲いた。見上げる空から小粒の雨が落ちてくる。雨の一粒一粒が、きらきら輝きながら一心に地上をめざす。紫陽花の葉の上で水滴がやわらかく跳ねる。ニュートン、万有引力の法則。子どもの頃に覚えたそんな言葉が頭に浮かぶ。と同時に、ある発明家の言葉を思い出す。
「ニュートンは、万有引力という偉大なる発見をしました。だが、こういう考え方もあるでしょう」。その発明家の次の言葉に思わず息を飲む。「ニュートンが発見するはるか昔から、万有引力は存在していました。物質には重力があり、重力がお互いに引き合う。その力は、いったいいつからあるのでしょう。いったいだれが創ったのでしょう。140億年前に宇宙ができたといわれますが、そのときから物質には引き合う力というものが存在していたのでしょう。なんのために、だれが創ったのか」。
小雨が空から落ちてくる。小雨が落ちてくるのか、大地が小雨を引き寄せているのか。あるいは、小雨は落ちているのではなく、上に向かって昇っているのか。ニュートンがいなくても、わたしたちは人類創生以来地球の上で暮らしている。地球の下側にいる時でも、空に向かって落ちてはいかない。地球が引っ張ってくれている。あるいは、わたしたち一人一人の人間が、地球を引っ張っている。
いま、この時間、日本人が上を向いて立っているのか、ブラジル人が上を向いているのか、さて、わたしにはわからない。「だれが、なんのために引き合う力を創ったのか。科学はどこまでも追究していくと神様にたどりつくのです。万有引力は、神様が創った。そう思うしか考えようがないのです。となれば、ニュートンは、神様の求めに応じて神様の創った引力を人間が理解し使いやすいように体系化してみせた。神様の仕事のお手伝いをした。そういうことになります。アインシュタインもそう。ガリレオしかり。発明も発見も実はそうなのです。みんな神様の仕事であって、人間はそのお手伝いをしているだけなのです」。
発明家は、宗教家ではない。帰依している宗教はない。だが、宇宙の意思を見つめ、神の存在を容認し、その上で科学を語る。科学は、追究すればするほど神に近づく。文学もそうだ。音楽も美術もそうだ。学問とはそうしたものだ。つまり、人間を追究し、生命を追究していくと神に近づくしかないのだ。「他人の創った公式や理論に頼らず、利用せず、自分からものの本質に迫る。神に近づく。ゼロからものを考える。それが、考えるということで、発明はそこから始めるしかないのです。小手先の真似や発想は、考えることにはなりません。類似品を生み出すだけで、発明とはいえません」。わたしは、発明家の言葉に身体が震えた。心の奥でパチンとなにかが弾けた。本質に迫って考える。他人の役に立つ価値を生む。それがなにも壮大な発見や発明ではなくても、たとえば、わたしの広告コピーの仕事や、エッセイを書くという仕事でも、どこかで神様が運命的な力を発揮して、さあおやりなさい、とわたしに順番を回してくれたと考えれば、誠心誠意尽くさなければ申し訳ないのである。面倒くさいとか、いい加減にやるとか、手を抜くなど言語道断。ぶつぶつ言っては絶対にいけないのである。神様に感謝し、最善を尽くしてお手伝いをする。発明家は、仕事とはそういうものだ、考えるとはそうしたものだ、と教えてくれた。
発明家は天才だから、彼の崇高な理論のほんの少ししか理解できないが、心の底から共感を覚える。だれもみな、神様の求めに応じて、人々の役に立つよう日々仕事に務める。なんでいい加減にできようか。紫陽花が喜々として雨を受け、八百屋の庭で咲き誇る。この紫陽花は、だれが創ったのか。この梅雨という季節は、だれが創ったのか。なんのために梅雨はあるのか。考える。傘屋のために梅雨があるのではない。
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2012年6月19日 火曜日 10時50分52秒
キヨとシゲル


ゴールデンウィークが始まったが、予定も天候も定まらない。ところへ「あんたあ、5月5日茨城に行かない?レンタカー借りるからさあ」と、妻がメールで言ってくる。
茨城県土浦市荒川沖町に妻の実家はある。98歳になる妻の母キヨがいる。81歳になる長兄のシゲルがいる。認知症の進むキヨは、町はずれの介護ホームにいる。われらの仲人を務めてくれたシゲルは、数年前に梯子から落ち、脳の半分を破壊する重傷を負った。死の淵をさまよい奇跡的に蘇えったが頭にチタンを入れている。夏になると暑い陽射しのためにチタンの頭蓋骨が焼けて熱を帯び、「頭がおかしくなりそうだ」と、常人には想像のできないことをシゲルはつぶやいた。
昨年、脳溢血で倒れ、キヨとは別の介護施設にいる。そのシゲルも、記憶が日々遠のいていくという。もう2年も会っていない。ゴールデンウイークは車が混む。そんなことはわかっているが、キヨとシゲルに会いたいと思う。「連れて行ってくれ」。そう返事をする。わたしは、ある病気のために電車に乗ることができない。40年間電車に乗っていない。だから、遠出のときは息子がレンタカーを借りて運転を買って出てくれる。ぐずっていた天気は、5日の日だけ奇跡的な晴天を天が用意した。
晴れ上がった朝、マツダデミオのハンドルを握る息子は、ナビを活用して見事に渋滞をすり抜ける。青空に突き刺さる東京スカイツリーの足元を走る。妻が「写真写真」と叫ぶが、走る車窓から見る世界一の電波塔は、足でも生えたようにあっちこっちと動き回る。シャッターを押せないまま、いつの間にかどこかに消えてしまった。まったく落ち着きのない世界一である。
高速道路もスムースで、利根川の手前で念願の田植えを見る。窓を開け、胸いっぱいに空気を吸い込む。実家はいま、美容師である妻の姉の妙子が一人で守っている。妙子の長女のマミが娘のシュリを連れて取手から駆けつけ、いっしょに昼食を取る。キヨのいる介護ホームは、町はずれの街道沿いにぽつんと建っている。穏やかな陽射しにすっぽりと包まれ、そこだけ時間が止まっている。キヨの顔を見たら、わたしは泣き出すかもしれない。そんな心配をしながら廊下を歩く。ロビーの中央に四角いテーブルが一つあって6人の年寄りがちょこんと座っている。一斉にこっちに目を向ける。右側の真ん中にキヨがいた。笑いかけると、全員が笑い返してきた。キヨも笑い返してくる。小柄で愛嬌のあるキヨは、昔からきれいに笑う。今日もきれいに笑っている。ほっとする。だが、ふと不思議に思う。そして、不意に哀しさに襲われた。ほかの、見ず知らずの5人と同じ笑い方だ。だれか知らない人が笑いかけてくるのでそれに答えて、一生懸命に笑っているといった笑い方だ。弱い命が生み出す防衛本能としての精一杯の愛想笑いだ。それから1時間、結局キヨはわたしを思い出すことはなかった。息子のことも、ほかのだれも思い出すことはなく、きれいに笑いつづけた。ただ、妙子と妻のことは思い出した。進む認知症の中でも忘れていなかった。それが唯一の慰めになった。キヨは話している最中に眠った。
シゲルの施設は大きく近代的で設備も整っている。シゲルは、車椅子に乗ってテラスにいた。いつも会うときはそうするように、わたしは遠くから手を差し伸べた。キヨのようにわかってくれなかったらどうしよう。不安だった。シゲルは遠くから手を差し出してくれた。泣き出した。手を握る。強い握力がうれしかった。シゲルは隣村の殿里の農家に生まれ、マラソンが得意で県の記録を保持していた。長い間、電話線を敷設するために全国を回った。体力は人一倍ある。往年の頃を思い出す握力の強さがうれしかった。妙子がしきりに目の回りをハンカチで拭く。シゲルは幸せな顔をして妙子のなすがままにまかせ、うれしいうれしい、妙さん、ありがとう、と何度も言う。孫のシュリを見て、このきれいな人はだれ、と繰り返し聞いた。どんどん記憶が遠ざかっていくのだ。シゲルと別れて外に出る。車椅子のシゲルがテラスにいて、いつまでも手を振る。街道を中学生たちが自転車で駆け抜ける。生きていればいい。たとえわたしを忘れてしまおうと生きていてほしい。田んぼでは、青々とした苗が暖かい春の陽射しを浴び、風に揺れている。
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2012年6月19日 火曜日 10時48分40秒
カムイと生きる。


カムイとは、神のことです。アイヌとは、人間という意味です。渋谷、道玄坂、午前11時、映画館2階のティルーム、友人の映画監督小松秀樹氏が、熱く語る。
窓の外は、昨日から降りつづく雨だが、少しも寒さを感じさせない。彼はいま、一本の映画を完成させた。北海道浦河で生まれ育ったアイヌの浦川治造さんを撮りつづけたドキュメント映画だ。ナレーションを、浦川さんの甥にあたる俳優の宇梶剛士さんが担当した。だが、小松監督は、アイヌを民族問題の観点から見つめて映画を撮ったのではない。カムイに感謝し、自然を敬い、自然とともに生きるその純粋な生き方、日本人の原点的な「たくましさ」を、彼は映画にしたのだ。
アイヌの人たちは、山には山のカムイがいて、川のカムイ、風のカムイ、火のカムイ、と自然の中には多くのカムイがいると信じている。山のカムイは、ヒグマやシマフクロウなどの生き物の姿となってアイヌの人たちと共存して恵みをもたらす。川のカムイは、鮭という恵みをもたらす。「それは、神道の概念に似ているね」。國學院大學出身のわたしは、神道学部でもなく文学部でもないが、神道の影響を受けている。「え、國學院大學なのに文学部ではなくて経済学部なの?」と、怪訝な顔で尋ねる友人もときどきいて、「そう、日本そば屋でラーメンを食うようなもの」と答えることにしている。入りやすい学部に入っただけのことだ。
話はそれたが、そういう理由でアイヌの人たちのカムイを信ずる自然崇拝の心と自然との共存感覚には、諸手を挙げて賛成するのだ。わたしの中にも、自然にたいする畏敬の念と、神道の無常観が根付いている。「治造さんは、中学を卒業すると北海道浦河で就職し、その後荻伏で土木屋をやっていたそうです。会社が倒産したり、奥さんが病気で倒れたり苦労をしました。東京に出てきてからもアイヌの暮らしを守りつづけ、千葉の君津にカムイミンタラという大勢の人たちの憩いの場を造ったり、アイヌ熊ラーメンというラーメン店をやったり、たくましく生きています」。「アイヌ熊ラーメンて、聞いたことがあるなあ」。「八王子のほうです。大月やあきる野市にもチセを復元していますよ。チセっていうのはアイヌ語で家という意味です」。雨はまだ止まない。小松監督と別れて駅前を歩いてクロスポイントに向かう。雨だというのに、駅前には若者たちが多い。パチンコ屋の前では若い娘さんたちが、広告のティッシュペーパーを配っている。ふと思う。以前、渋谷のギャルたちが発起して、ギャル米という米づくりを行ってニュースになった。好奇心の強い渋谷ギャルたちが、アイヌの暮らしを通して自然崇拝の心を養い、自然との共存に目覚めたら、日本は強くたくましくなるのではないか、と。わたしたちは、経済大国という時期を経験し、もはや経済抜きで物事を判断することは現実的ではない。だが、日本人の根幹として、自然との共存を真っ向から考え、行動しなければならない時がきている。渋谷ギャルのたくましい行動力と情報発信力は、日本をリードする勢いがある。そんなことを考え、アイヌの浦川さんと渋谷ギャルの組み合わせを想像すると、なにやら痛快でもある。小松監督作品「カムイと生きる」は、5月12日より、渋谷で公開される。
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2012年4月17日 火曜日 12時50分8秒
ボトル入れよう、ハトヤマ君。


桜の花が、はらはらと風に舞う。渋谷は、爛漫の春である。さて、今宵も天下国家を論じますか、と伊藤さんと桜並木の坂道を下って、いつものガード下社員食堂やまがたに向かう。肩にふりかかる花びらを片手でふりはらいながら、ふらりと坂を下るなんぞ至極贅沢な気分である。
「いやはや、われらのハトヤマ君が、またまたやってくれましたね」。われらの目の前の関心事は、元総理のハトヤマくんと北朝鮮の衛星打ち上げである。普段、酒の席では政治と宗教はあまり語らないが、ハトヤマ君のトンチンカンぶりは、同じぶりでもぶり大根以上の酒の肴となる。トンチンカンとは、鍛冶屋が、調子よくトンテンカントンテンカンと打つのに、どうも調子が狂って、テンといかなきゃいけないところに、チンとくる。トンテンカンが、トンチンカンと聞こえる。トンチンカントンチンカン、つまり、調子っぱずれ、調子が狂うということだ。元総理が「個人で行ったのよ」と言ったときから不安だった。単純に、個人で行ったらあんなえらい連中が会うか?と思った。例によって、お得意のトンチンカンが始まった、と思ったら案の定、最後までトンチンカンを貫いた。
「ボンボンなんだよね」。「実は、いいやつなんじゃないでしょうか」。「大王製紙のボンボン社長、やっこさんもいいやつかもね。友だちにはいいな。金もちだから。やまがたでいっしょに酒を飲むくらいがちょうどいいんだ」。
「そういえば、わたしの前の会社の社長、これが面白い。いい人です。清水というのですが」。「いいねえ、ボンボンの名前だ、ボンボンといえば、ハトヤマか清水か長嶋だ」。
伊藤さんの前の会社、銀座にある交通広告の代理店だが、その社長は、父親が社長時代にアメリカ留学をしていて、帰国して父親の会社に入社した。
「まだ社員の時代ですが、みんなに飲みに行こう飲みに行こうと、誘われるんです。いい人だから断らない。にこにこついて行くんです。そして、ボトル入れろボトル入れろって言われるんです。うれしそうに、にこにこしてボトル入れるんです」。「いいねえ、いやな顔ひとつしないんだ」。しません。それこそ、ここが自分の出番、いまこそ自分の使命と、うきうきしてボトルを入れるんです」。
「それこそ立派なボンボンだ。ボンボンの鏡だ」。
そこで、われらは「ボンボンの定義」について論じる。ボンボンとは、まず、親が金持ちでなくてはいけない。大地主とか、大会社の社長とか、有名スポーツマンや大物芸能人とか、そういう類の親でなくてはいけない。ハトヤマ君のように、「生まれてから一度もお金で困ったことがない」と、さらりと言えるようでなくちゃあだめだ。下落合の染物屋の倅は、逆立ちしてもボンボンにはなれないのだ。次に、ボンボンとは、トンチンカンでなくてはならない。トンチンカンで、いいやつでなくてはならない。宇宙人と評されるくらいのトンチンカンがいい。一茂君も、いいとこ行っているが、ハトヤマ君に比べたら、まだまだ足りない。
「清水社長の息子がまたすごいんです」。伊藤さんが言う。「子どものときから知っていますが、いつも青っ鼻たらしてるって感じです」。「そう、その感じ、青っ鼻、それは重要なことだ」。でも、そうなるとボンボンとは、ある意味天才でなくてはならない。赤塚富士夫の天才バカボンのイメージである。天才バカボンの父親は、金持ちではない。となると、われらがハトヤマ君は、バカボンを超えているわけだ。バカボン超えである。できれば、ハトヤマ君に、やまがたにボトルを入れてもらいたい。そして、政治以外の話をしてみたい。罪のないトンチンカンは好きである。夜になった。風はおだやかだ。桜の花も散り急いではいない。「風はないけど、金もない」。それが、いま、われらのさびしい合言葉となっている。
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2012年3月30日 金曜日 15時7分47秒
孫子のヘイヘイホー


やれ、ぐうたらしてるんじゃない、ほれ、畑へ行け、それ、働け、と女房に尻を叩かれる。それがいやでいやで、ふらりと旅に出る。(なんだかわたしのような男で身につまされる)。いろいろな国をぶらぶらと渡り歩いて、この男なにをしていたかというと、土地の人々から話を聞いて情報を集めたり、戦場の跡をつぶさに眺めたり、地形や自然を念入りに調べたりして、書きとめている。そして、そこらへんにごろりとひっくり返って戦略戦術を考える。だが、本人は戦争が大嫌い。戦略戦術を練ることだけが大好き。痩せて、ひょろりと背が高い。家来の少年に注意されて「あ、そうかそうか、ごめん」と謝ったり、貫禄なんてものがまるでない。孫子とは、そんな男だった。
もっとも、孫子は実在しなかった、とも言われている。子とは、先生とか師という意味だから、孫子とは、孫先生という意味で、それは孫武とその末裔の孫濱のことだ、と言う説が有力である。女房に尻を叩かれ、あわてて、そしていつもふらりと旅に出るのは、斉の国の出身である孫武のほうだ。
斉といえば、魚釣りをしながら王の誘いを待ちわびたという逸話の主、かの太公望呂尚の国として名高い。中国、群雄割拠する戦乱の春秋時代、いまから2500年ほど前から伝わり、いまもって貴重な書物として各方面に愛読されている「孫子の兵法」は、孫武とその末裔孫濱の二人の兵法を著した書であり、後に三国志で有名な曹操によって研鑽された、として有名だ。
ところで孫武は、出世欲というものがまったくない。働くことが嫌いで、父から受け継いだ領地を手放して田舎へ引っ込んでしまった。その村の名を孫家屯と言う。一族と使用人に畑をやらせ、自分は暇さえあれば離れの部屋でごろごろひっくり返って戦略を練っている。最初の女房が死に、後妻をもらうが、これがしっかり者、鬼嫁、そして冒頭のように孫武は尻を叩かれ、旅に出る。
この男の13篇から成る兵法は、日本でも天下の戦略武将武田信玄が用い、日露戦争においては東郷平八郎がバルチック艦隊を破った戦法にも使ったと言われている。単なる兵法書にとどまらず、処世術の書、経営の書、政治の書、人間の書とも言われているが、それは、人の心を読み、人の行動を予測し、裏をかき、思うがままに勝利する高度な方法論が説かれているからである。「敵を知り、己を知れば、百戦して危うからず」のことばで知られるが、実は「戦って勝つのではなく、勝ってから戦え」とか「戦わないことが最善である」とか、孔子と同時代の男だけに、理屈が明快なだけでなくどこか哲学的で「孫子の兵法」は読み物としても実に興味深い。当時、敵を打ち破ればその国も財も人もすべていただいてしまう時代なので、なるべく損害を与えずにおくことが重要だった。もちろん、こちらも損害の少ないほうがいい。だから、戦わないで相手を降伏させることが最も善いのである。
13篇の最後の「用間」篇は、スパイ、諜報部員、山本勘助とかジェームス・ボンドの重要性を説いているが、「戦争は人間と人間のやること、だから人間を知れ」と言う。この「人間を知る」というところが面白い。さんざん戦略を構築した上で、人間を知れとくる。「人は、人に始まって、人に帰する」。これほどすぐれた兵法書、処世の書が、孫子の趣味の産物だと思うと、実に皮肉で、面白い。
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2012年3月19日 月曜日 11時33分43秒
みんな、いいやつ。






映像プロデューサーの高橋達也くんは、少林寺拳法の初段である。試合の近づいたある日、あまり稽古に熱を入れない先輩に言った。「先輩、稽古しなくていいんですか?」先輩は答えた。「バカヤロー、熊が稽古するか!?」試合当日、一回戦でころりと負け、すごすごと帰ってきた先輩が言った。「むこうの熊は、稽古しやがった」

友人3人で久しぶりに飲んだ。一軒二軒と行き、かなり酩酊してきたが、「まあもう一軒、タクシーでワンメーターだから」と3人で乗る。すぐ目的の店の前に着き、支払いとなった。友人の和田くんが言った。「760円。よし、割り勘な、一人200円な」すると、運転手が振り返って言った。「だんな、わたしも入ってませんか?」

トキワ松教授の研究室でいつものように酒宴となる。歴史学の教授の話は例によって面白く、書物の山からがさごそと、時代を超え、地域を超え、それはそれはいろいろな品物が次々と出てる。あるとき、ぬっと取り出したのは火縄銃だった。伊藤さんが、思わず叫んだ。「先生、許可証はお持ちですか?」

コピーライターの中島敬一郎氏から聞いた話だ。ある広告代理店の新人営業マンが、寿司チェーン店に飛び込み営業に行き、その報告を課長にすると、課長が言った。「そんな店じゃ、ちらしくらいしかないだろう?」新人営業マンが、胸を張って答えた。「いえ、にぎりもあります」

空手部の後輩である日下部諒くんとは、飲むとえせ哲学話となる。その日も「どっちがえらい話」となった。「経堂駅と千歳船橋駅は、どっちがえらい?」とか「鉛筆と消しゴム、どっちがえらい?」とか「ジャガイモとナス、どっちがえらい?」とか、よくわからない。数軒はしごをして、千歳船橋の駅前でラーメンを食う。「二つに割ったこの割り箸、どっちがえらい?」という話になり、ふとカウンターの向こうの大将に聞いた。「大将、どっちの箸がえらいのかなあ?」しばらく考えた大将、ぽつんと言った。「ラーメンに聞いてください」

沖縄出身、空手道部次呂久秀樹監督の若き日の話だ。渋谷道玄坂を心地よく酔いふらふらと歩いていると、二人の外国人にどんとぶつかった。外国人が血相変えて大声でなにか叫んだ。次呂久監督、にこりと笑って言った。「おぬし、名はなんという」

漫画家はらたいらさんとよく飲んだ。雪の日、窓の外で一人の男が滑って転び、立ち上がって、また転んだ。はらさんがぽつんと言った。「起きなきゃいいのに」

クロスポイントの社員食堂と勝手に決めているガード下の「やまがた」で、後輩のコピーライターと熱燗を飲んでいる。サントリーの「水と生きる」というコピー、あれだけ開き直ってやられると、まあ、キリンやアサヒも手が出ませんね。後輩が言い、そうだ、あれ以上のコピーとなるとなかなかなあ。隣のテーブルで熱燗を手酌で飲んでいたお年寄りがぼそりと一言、「酒と生きる」

経堂で飲んで自転車で帰る途中、警察の尋問にかかった。住所と名前を聞かれた。「わかりません」そう答えると、若い警察官は、「おやっ」という顔をして懐中電灯をこちらに向けた。「すいません、いま、妻に電話して聞いてみます」そう言って、ケータイをかけ、「おい、おれはだれだっけ?」電話は、がちゃんと切れた。それから30分、警察官はわたしを離さなかった。

世田谷のテニス仲間が駅前のカラオケ酒場で待ち合わせをした。クラブでいい加減飲んだあとで、いい気分に酔っている。いちばん遅れてきたのは大村くんだった。「お待たせ」見ると、自転車ごと店の中に入っていた。

友人のアートディレクターの松本隆治氏が、世界的な賞をもらった。みんなが祝った。同じアートディレクターの男が笑いながら近寄り、さらに笑いながら握手を求め、ずっとうれしそうに笑っていた。横にいたコピーライターの友が、耳元で言った。「あいつ、悔しいと笑うんだ」

「正義(まさよし)」という名の友人がいる。飲んだ勢いであるとき聞いた。「正義(せいぎ)って本当にあるのか?」友人が答えた。「おやじに聞いてくれ」
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2012年3月12日 月曜日 16時28分32秒
島の国、陸の国。


孔子の姿は彷彿と浮かぶが、孫子の姿は漠然としている。まだ出会って日が浅いせいもある。「孫子」の主人公は、孫武と孫濱である。だから、孫氏といっても二人いるし、はたして実在の人物であるかどうかも疑わしい。
「論語」の現代訳を著したのは2年前だから、孔子と馴染み深いのは当然のことだ。いま、テーブルのワイングラスの横には、海音寺潮五郎先生の「孫子」が一冊置いてある。さて、孫子との付き合いはこれからだ。海音寺先生はわが大学の先輩にあたるので、気後れはするものの、実に面白い小説だ。孔子もそうだが、孫子は中国春秋の時代、つまり群雄割拠する戦国の世の傑出する偉人である。楚や呉や晋、斉が、隙あらば攻め込んでやろうとぎらぎらした目で四方八方を睨んでいる時代だ。兵法家として高名な孫武は、こうした戦国の世であるから当然戦いの場で大活躍と思っていたが、実はこの男、戦いが大嫌いなのだ。広大な領地を捨てて、孫家屯なる田舎へ引っ込み、一族の者や家人や奴隷に田をまかせっぱなしで、一日中ゴロゴロしている。それならわたしも似たようなものだが、孫武は、ただゴロゴロしていたわけではない。そこがわたしとちがう。
頭の中は戦術が渦を巻いている。兵法を考えることが大好きだ。兵法とは、一種の読心術ともいえる。そういえば聞こえはいいが、いかにして敵を欺くか、裏をかいて勝つか、ということだ。孫武はそればっかり考えているが、田の忙しいときは、かみさんに怒られる。その上、就職して出世しようなんて気はさらさらないのだから、これは怒られるのも当たり前。
「忙しいときは、田の見回りくらいしなさいよ、まったく」と、尻をびしびし叩かれる。再婚したかみさんはしっかり者だ。だから、あまり家にいたくはない。これもわたしと同じだ。ちょろちょろと旅に出て、あちこちの情勢を見聞きして、情報を集めている。読心術には、情報こそ不可欠である。有名な「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」を、身をもって実践研究していた。
「先輩、そういえば中国4000年、いまを除いて平和の時代っていつでしょうか?」テーブルの向こうで赤ワインを飲む次呂久英樹師に尋ねる。「さて、どうだろう?始皇帝の頃はどうだったか?」漢民族は、集合離散を繰り返し、巨大化してゆく民だ。黄河のごとく、長江のごとく、あるときは呑み込み、あるときは吐き出し、そうしながらやがて大海に注ぐ。秦の始皇帝が、初めて中国大陸を統一したが、平和であったかと聞かれれば、わたしたちには知る由もない。
「先輩、中国4000年は、戦いの歴史ともいえるのではないでしょうか?」「もしそうならば、すぐれた兵法が生まれるのは自然の理だな。それは、陸の国であるがゆえの宿命かも知れんな。島の国の日本には想像のできない兵法の深さや妙があるかも知れなんぞ。そういえば、東郷平八郎も孫氏の兵法を抱いて、日本海海戦に勝利したのは有名だ」
そこだ、とわたしは思う。広がろう広がろうとする中国と、まとまろうまとまろうとする日本では、発想のすべてがちがう。価値観がまるでちがう。島の国日本は、スケールよりも緻密、力よりも繊細な情感である。陸の国中国は、比類なきスケールの大きさをもち、歴史という時間さえも世界の頂点にいる。まさに大河である。わたしたちは、多くの知識、多くのものを中国に学んでいるし、アジアの同胞という意識から、同じ感覚をもっているかに誤解しているのかも知れない。戦争とか平和についても、基本概念に誤差があるかも知れない。そしていま、日本の経済戦争の中で、わたしは孫子に学ぼうとしている。孫子のように、戦うのは大嫌いであるが、企業には戦い続け、勝ち残る兵法が必要だと思うからだ。だが、白状すれば道徳を説いた孔子のほうが、わたしは好きである。いずれにしろ、孔子も孫子も信じ崇めた天を信じて日々を送っている。天は、島も陸も区別することはない。
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2012年2月7日 火曜日 16時50分4秒
男は、とがって、三角で。


天王洲アイルからのバスが遅れ、渋谷に着いたのは、トキワ松教授との約束の午後6時を回っていた。小池くんと伊藤さんが先に行ってくれているので安心は安心だが、今日は土門拳の弟子で仏像写真家として高名な藤森武氏を教授に引き合わせることもあって、駆け足で日赤行きのバスに乗り換える。
トキワ松教授は歴史学者である。博物館学の重鎮である。和歌山県出身で、温厚な性格がそのまま丸い穏やかな顔に表れ、これが大学教授かと驚くほど気取りがない。失礼だが、子どものようなそのむき出しの人間性に真っ直ぐな人柄がうかがわれる。学生たちの人気もそこにあるのだろう。わたしの学生時代は、教授は偏屈で近寄りがたいと相場は決まっていたが、トキワ松教授にはそんなイメージは微塵もない。だが、ひとたび歴史学の話になると火がついたように夢中になる。話が面白い。熱中のあまり、次から次へと話題が飛び出てくる。
遅れて研究室の扉を開けると、ちょうど教授と同じ博物館学の下落合准教授も到着し、楽しき研究室の新年の宴が本格的に始まった。「男は、とがって、三角です」。トキワ松教授が焼酎グラスを振り回して言う。研究室の中央にあるテーブルには、日本酒、焼酎、ビールが並び、炙った魚、漬物、練り物、乾き物などのつまみがおもちゃ箱をひっくり返したように広げられている。
トキワ松教授は職業柄、当然のごとく話はうまい。魅きつけられる。ひと口焼酎を飲むたびに、話に翼が生える。ふた口飲むと、話は大空を飛び回る。「男は、とがって、三角です。女は、白くて、丸やかです」。教授がそう言うと、下落合准教授が横で口をとんがらして見せるが、「まあ、そうよね」と、しぶしぶ相槌を打つ。トキワ松教授と下落合准教授の心地よいボケ突っ込みの掛け合いも楽しい。みんなは、思わずテーブルの上に身を乗り出す。
いつでもどこでも、男は、大変なのだ。だから、ついついとんがってしまう。三角にもなってしまう。仕方がないのである。その点、女は見た目も美しい。白く、ふっくらとして、豊かである。中身はそうでもないのだろうが、表向きにはおっとりと見える。穏やかにも見える。「それに、その男女比率がすごいです」。教授は、どんぐりのように目を剥く。「なんと、男1に対し女68です。どうです、ね、すごいでしょう」。
背筋に冷たいものが流れる。男として、男滅亡論につながる目の前の事実に、本能的恐怖を覚える。「わたしはこれをね、果肉のついたまま丸ごと食べるんです」。ふんふんと鼻を鳴らして教授が言う。「え、臭くないですか?」わたしが尋ねる。季節になって道端に落ちているこいつを踏んづけたりすると、独特の強烈な匂いを発し、周囲にすこぶる迷惑をかける。「臭いです。でも、この臭さこそが、こいつの生き残るための強力な防御策です。この匂いのために、恐竜時代からこれまで見事に生き延びてきたのです。それにこの色ですね。葉っぱと同じ色、黄色、金色。葉っぱの陰に隠れて恐竜にはこいつが見えない。これも生き残る防御策です」。
テーブルの中央には、銀杏の実がいくつも転がっている。それぞれが手で銀杏を転がしながら、大勢の女の中から男をさがす。「あった!!」藤森氏が嬌声を上げる。手先を見ると、なるほど、とがって三角、68分の1の哀しき男がつままれている。並べて比べると、たしかに男と女ではまるでカタチも大きさもちがう。男は、小さくて情けない。ひがんで見える。無残なほど貧弱である。下落合准教授が、へへんと得意顔でみんなを見回し、ひとつ威嚇してから日本酒を口に運ぶ。
いつものことながら歴史の扉を開け、さまざまなものを興味深くわれらに提示してくれる教授との時間に、わたしは感動する。学生時代に勉強をしなかったわたしに、神が与えし至宝の時である。その上、授業料なし。トキワ松教授と下落合准教授に深く感謝します。
tagayasu@xpoint-plan.com



2012年1月27日 金曜日 13時55分36秒
見知らぬあなたにありがとう。


正月早々、失策です。4日、クロスポイントの新年顔合せの日、小池番長と伊藤さんとわたしの3人は、渋谷の守護神、金王神社に参拝に行きました。清々しい気分です。神殿の中では、恰幅のいい社長と幹部の方々が宮司のお祓いを受けています。わたしはというと、兄弟、家族と愛犬のために祈り、お世話になった方々のために祈り、東北の復興、日本と世界の平和を祈りました。これで100円のお賽銭はないなと思い、もう100円を追加しました。横の社殿で、昨年けがをした妻のために健康祈願のお守りを買い、息子のためにお金が貯まるお札を買いました。穏やかないい日です。さあ、社員食堂の東横線渋谷駅のガード下「やまがた」でお神酒です。日ごろお世話になっているおばちゃんにも新年の挨拶をし、熱燗を差しつ差されつ、3人で新年の抱負を語ります。話題はやはり伊藤さんの結婚問題です。昨年の社員食堂での話題は、伊藤さんの恋愛問題。新年は話題も成長し、結婚問題に発展しました。小池番長の家庭は、かわいい奥さんとさらにかわいい二人のお子さんと、日々ほどよく仲よく暮らしている様子、だから結婚を薦めても、それなりに説得力があります。問題はわが家です。火宅のわが家の火宅のわたしですから、幸せな家庭づくりの話にまったく説得力がなく、伊藤さんはまるで寄席気分、一生懸命になればなるほどただ面白いだけ、そのうち話しているわたし自身も面白がってしまうのですから、どうやら伊藤さんの結婚の邪魔をしているのはわたしではないかと反省。でも、わたしはブレーキの壊れたトロッコ状態、もう止まりません。いつものことです。明るく、楽しく、気分よく。クロスポイントは、そういう小池番長の性格そのままの会社ですから、深刻になろうとしても、どうしてもなれない。伊藤さん、今年も結婚しないなあ。さて、気分よく帰ろうと渋谷西口からバスに乗ります。すると、「いま、どこですか?」というメール。リンクレコードの楠真由美くんと徳永くん。よし、と走りかけるバスを止め、二人と再び社食へ。おばちゃんに「あんまり飲んじゃだめよ」などと言われます。居酒屋でこの台詞はおかしいでしょう。もうひと騒ぎ。音楽は世界を救うとか、人間は歌がなければ生きてはいけないとか、話題はあっちへよろよろ、こっちへひょろひょろ、話に翼がはえて飛び回る。そして、次の店、はい次の店、と、「あれ、財布がない」と突然わたしは顔面蒼白。でも、酒を飲んでるから蒼白にならない。むしろ、真由美くんと徳永くんが「捜しましょう」と真剣。結局、見つかりません。銀行カード、健康保険証、東京診療センターの診察券、イラコクリニックの診察券、あっちこっちの診察券、ツタヤのポイントカード、フレッシュネスバーガーのポイントカード、モスバーガーのサービス券、1000円床屋キッズの会員カード、居酒屋一休の会員カード、いろいろな領収証、渋谷図書館のカード、とにかく火宅のわたしは流離人ですから、モンゴルの移動の民のごとく全部財布に入っています。お金もなくなった。家にも帰れない。まあ、歩けばいいか。と、真由美くんが「タクシーで帰ってください」と、5000円を貸してくれました。渋谷の夜に舞い降りた女神です。「すぐ警察に届けてくださいね」。なぜか、妻と息子へのお守りは失くさなかった。「あんた、カードを停止しなさい。保険証も悪用されるわよ」。妻は、心配しているのか、バカにしているのか。罵声を浴びつつ翌朝、銀行と警察に行って、ぺこぺこ頭を下げました。通帳と印鑑は無事だったけど、唯一の自分証明の保険証も財布の中。お金が下ろせない。窓口ですがるやら、区役所で保険証の再発行を頼むやら、大騒ぎ。と、ありました。財布、ありました。「渋谷警察です」。いつもならすぐ切りたい相手ですが、このときばかりは神の声。警察の2階の会計課で美人警察官から財布を受け取りました。東横線渋谷駅にあったそうです。届けてくれた方に熱く深く御礼申し上げます。「捨てる神あれば、拾う神ありですね」。伊藤さんが言います。見知らぬ神にありがとう。本当に助かりました。
tagayasu@xpoint-plan.com



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